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【前回のあらすじ】

ハウンドの親友、フォーからUSSAに提案された和平交渉。USSAはその提案を受け入れ、27番地に和平交渉を持ちかける。しかしその魂胆はあまりに見え透いていた。


当然、27番地は猛反発した。

しかしニコラスは和平交渉を受けるべきだと住民に訴える。


――これは、俺たち何者か示すための戦いである。――


「俺は、あの子をテロリストにしたくない」


そう告げるニコラスの想いに店長ライオール・レッドウォールは応え、和平交渉の代表に志願する。そして交渉人を志願した者が、もう一人――。




【用語紹介】

●合衆国安全保障局(USSA)

12年前の同時多発テロ発生直後に急遽設立された大統領直属の情報機関で、年々発言力を増している。現長官はアーサー・フォレスター。


●失われたリスト

イラク戦争中、国連主導で行われた『石油食料交換プログラム』を隠れ蓑に世界各国の大物たち(国連のトップ、現職の大臣、資本家、宗教関係者など)がこぞって汚職を行った『バグダッドスキャンダル』に関与した人物らの名が記されたブラックリスト。

このリストを公表するだけで、世界各国代表の首がすげ変わるほど破壊力を持った代物。『双頭の雄鹿』の資金源と目される。


●絵本

ニコラスがハウンドから譲り受けた手書きの絵本。人間に連れ去られた黒い子狼が、5頭の犬たちの力を借りながら故郷を目指す物語が描かれている。作者はラルフ・コールマン。

炙り出しで謎の文がページの各所に仕込まれており、それらを解き明かすと『証人はブラックドッグ』、『リーダーはアーサー・フォレスター』となる。


●《トゥアハデ》

『双頭の雄鹿』の実働部隊。世界各国の特殊部隊から引き抜いた兵士で構成されており、長のフォレスターが自ら選んだ幹部“銘あり”が数人存在する。

現時点で確認されている“銘あり”は『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』、『モリガン』、『ディラン』、『スェウ』、オヴェドの七名。

現時点(11節冒頭)で『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』の三名は死亡。

またなぜかオヴェドは名を与えられていない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――






 合衆国安全保障局USSA交渉団代表、ルイス・ボアズは設営された会場を一望した。


 前哨基地アウトポスト、と言った方が正しいだろう。

 政府関係者による記者会見と聞けば大半は、大統領官邸内のジョージ・S・ブレイディ記者会見室の洗練された青い一室を思い浮かべる。

 だがここはそうではない。


 大蛇がとぐろを巻くがごとく、鉄条網付きの高さ2.5メートルからなる防弾プレートが、幾重にわたって囲う防御陣地。

 USSAが独自に開発した移動型防御陣地である。


 瓦礫のバリケードからなる山脈を乗り越えてきたマスコミが、その光景に唖然としながら必死にカメラを回していた。


――上出来だな。


 ボアズは予想以上に堅牢なその出来に大いに満足した。


 今回の和平交渉にあたり、USSAは27番地に対し、一時間だけヘリコプターによる資材搬入のため、対空防御を一時的に解くよう要求した。


 バリケードのせいでUSSAは車両の類をこれまで一切送り込めず、侵入を試みたヘリはすべてRPGやカールグスタフ無反動砲によって撃墜されていたためだ。


 27番地は一時間だけならと交渉は成立した。

 短時間であれば、大した資材は運べないと踏んだのだろう。


 しかしUSSAはその一時間に、稼働できる限りありったけのヘリを導入し、五台の特殊装甲車両と大型トラック、自爆車両対策の障害物を可能な限り運び込んだ。

 なにもヘリを一機しか使わないなどとは、一言も言っていない。


 それに気づいた27番地が猛抗議してきたが、後の祭りだ。こんなことにも気づかない馬鹿な連中の方が悪い。


 かくしてUSSAの防御陣地は完成した。それも移動できる防御陣地だ。

 鋼鉄製防弾プレートは特殊車両が、障害物と人員はトラックが運ぶ。橋頭保の出来上がりである。


――これまでは歩兵しか送り込めなかったからな。これで今後の戦闘もいくらか楽になるだろう。


 そもそもボアズたちUSSAは今回の和平交渉に何も期待していない。


 交渉にかこつけて、敵の本物の地下水道の位置を探ること、車両の運搬とこの防御陣地を内部に構築することが第一目標だ。


 そしてそれらはすでに達成された。これだけでも任務完了と言っていいだろう。


 次に第二目標。


――マスコミの前で27番地を糾弾する。連中がテロリストであることを完全に印象付ける。


 ボアズは悠々自適に構えていた。

 すでに第一目標が達成されたことによる安堵と、27番地の交渉人が誰なのか予想がついていたからだ。


「27番地側の交渉団が到着しました!」


 マスコミが一斉にフラッシュをたく。

 トゥアハデの武装兵に囲まれて歩み寄ってくるその姿を見て、ボアズは胸の内でほくそ笑んだ。


 銀髪を丁寧に整えた老紳士、ライオール・レッドウォール。


 元国立大学教授であり、専攻は国際政治経済学。

 特区ではカフェを営み、代行屋『ブラックドッグ』の拠点となっていた。烏合の衆、棄民の27番地において唯一警戒すべき元エリートの秀才だ。


 一方、ボアズはそのレッドウォールの隣にいる人物を見て、眉をひそめた。


「あの男は誰だ、データにあったか?」


 部下はタブレットから、事前に収集したデータを参照し、提示した。


「ジル・アンドレイですね。27番地唯一の医者です」


 ボアズは経歴に目を通しながら、男を観察する。


 鷲鼻に眼鏡を引っかけた、いかにも気難しげな男である。


「国際NGO医療団体に所属し、紛争地帯や難民キャンプで外科医を務め、義肢装具士でもある……慈善家きどりか」


「はい。経歴がやや特殊ではありますが、それ以外に目立ったものはありません。高学歴だから駆り出されたものかと」


「なるほどな。にしても、新手か。ニコラス・ウェッブが出てきてくれたら楽だったんだが」


「奴なら糾弾材料がいくらでもありましたからね。さすがに出てきませんか」


「本人が一番自覚しているだろうからな。となれば、警戒すべきはやはりライオール・レッドウォールか」


 ライオール・レッドウォールはイーリス・レッドウォールの夫だ。これまで散々USSAを振り回してきたあの女狐の伴侶だ。

 こちらにとって不利益となる情報を知っている可能性が高い。


 今のところレッドウォールも医者も苛立った様子はない。マスコミの多さに驚きながらも呆れ、苦笑しながらやってきている。


 ボアズは警戒しつつも、にこやかに二人を交渉席へ案内した。


 交渉人は二人ずつ。武器を所持していないことをマスコミの前で確認し、一つのテーブルに対面座で腰を据える。

 それを下座からマスコミがカメラを向け、見守った。


 ボアズは設置されたマイクの電源が入っていることを確認し、しっかりと真正面を見据えた。


「ではこれより、USSAと27番地による、第一回和平交渉を開始させていただきます」




 ***




「始まったな」


 カルロはそう呟きながら、真横のひじ掛け椅子にふんぞり返る当主フィオリーノを伺う。

 フィオリーノは無表情に退屈そうに、壁掛け画面の光景を眺めていた。


 相変わらずの様子に嘆息して、続いて背後を振り返る。


「こちらを。ただのスポーツドリンクで申し訳ございません。セントラルタワー内の自販機以外の飲み物は持ち込むなと言われまして……」


「いいわ。最初から期待してないから」


 ソファーにへたりこむターチィ一家妓女元ナンバー・フォーの前で、一人の優男が跪いている。

 たしかヨンハとか言ったか。


 フォーの隣には、ターチィ一家当主代理のロンダンも寄り添っていた。


「シバルバ一家の説得、よくやってくれました。それと、よくぞ耐えてくれました」


 憔悴し、げっそりとやつれた妹分の背をロンダンがさする。


 トゥアハデ“銘あり”のモリガンから、フォーが何をしようとしていたのかはあらかじめ聞かされていた。

 親切心ではなく、単純に弄んでいるだけだろう。


 現にこうして、ヴァレーリ・ロバーチ・ターチィの三家が、武器を取り上げられているとはいえ、当主と幹部・側近が一部屋に集うことが許されている。

 つい先日まで、当主との面会も一苦労だったというのにだ。


 この期に及んで何を企もうがすべて無駄、打開策が浮かぶならやってみろという、USSA側の余裕の表れだ。


 業腹だが認めざるを得ない状況ゆえ、腹の奥底で揺蕩わせるにとどめる。


 フォーは一気にペットボトルの半分をあおり、乱暴に口元をぬぐって息を吐く。

 この粗野で無遠慮な態度の方が彼女の素なのだろう。


「ええ、ホント苦労したわ。ひとまずシバルバ当主を狙い撃ちでドMに調教したから、一方的に貪られることはなかったけど。百人相手の女王プレイはさすがに堪えるわ。モリガンだか何だか知らないけど、あの女、いつか絶対あの厚い面の皮はいでやる」


「お疲れ様です……」


「本当によくやりましたね……」


 ヨンハとロンダンが心底気の毒そうにフォーをねぎらった。


 根性のある女だとカルロも評価した。


「で、この茶番になんの意味があるわけ?」


 ロバーチ当主の横で、セルゲイが片足で床を叩きながら憤然と腕を組む。


「今回ので橋頭保つくられちまってるし、せっかくのあのバリケードも無効化されちまった。しかも見た感じあの防御陣地、移動式だろ? とんだ不利じゃねーか」


 セルゲイの不平はあくまでブラフだ。

 監視カメラとトゥアハデ兵の死角をついて、組んだ腕の上で素早くジェスチャーをする。


 それを見たフォーは大きく頷き、


「和平交渉の間は戦闘が中断されると聞いています。27番地としては一時でも休息の時間が欲しいんでしょう」


 と、適当に返答しはじめた。


 すなわち、事前にフォーをはじめターチィ一家から提案された作戦が、順調に進んでいるということだ。


 そしてシバルバ一家が今回の和平交渉に賛同したということは、連中もまたこの作戦に同意したということ。


「シバルバ次期当主が打算高い男で助かりました。前の当主といい、抜け目ない一家です」


 フォーの発言を聞いて、カルロはふんと静かに失笑した。


 目の前に餌があれば誰よりも先に飛びつくくせに、逃げ足もやたら早い。

 あの一家らしい判断だ。だからこそ、これまで生き残ってこれたのだろうが。


――番犬の提案だってのが腹立たしいところだが……。


 けれど三家だけで現状を打破するのは困難だ。

 ターチィは当主を人質に取られ、ロバーチは祖国に、ヴァレーリは本部にほぼ切られている。


 本部が『失われたリスト』の主要メンバーで、USSAと協力体制なのはほぼ裏が取れている。

 恐らくロバーチの方もそうだろう。


 今こうして当主の首が繋がっているのは、USSAとの交渉材料として残されているだけだ。完全な捨て駒である。


 であれば、こちらも好きにさせてもらう。


「にしても、意外な人物が出てきましたね。店長、レッドウォールはまだ分かりますが、あちらの殿方はジル・アンドレイですね?」


「はい。27番地の外科医です。ヘルハウンド様によれば、ウェッブ様の主治医だとか」


「医者なんか出してきてどーすんだ。交渉できる脳のある奴が他にいねーのかよ」


 ロンダン、ヨンハ、セルゲイの会話を聞き流しながら、カルロは当主フィオリーノに顔を寄せる。


首領ドン


「……少しはマシな余興が見れそうだね」


 フィオリーノは画面に映るアンドレイの姿を眺めながら、小さくそう呟いた。




 ***




 交渉にあたって、まずは軽い自己紹介から始まった。


 それに際し、店長は自分の経歴だけでなく、自分が現在の27番地の防御戦においてどのような役目を果たしているかまで、事細かに説明した。


 27番地が暴力的な民兵集団ではなく、調達・管理整備・輸送・情報統制に至るまで、戦闘能力だけでなく兵站能力も備えた自己完結型の武装組織であることを、マスコミにアピールするためだ。

(ちなみに自分は給養班を手伝う片手間、後方支援業務の統括を行っている)


 人間というのは基本きちんとしていないものは信用しない。

 服装がだらしない人間の第一印象が悪いのと同じだ。こちらがきちんとした組織であると知れば、多少見方も変わってくる。アンドレイもそれにならった。


 しかし、USSA側もそれを見抜いてきた。


「そこまで手の内を明かさずとも結構ですよ。我々としては、あなた方がこちらの申し出を受け入れてくださっただけでも大変嬉しく思います」


 こちらを気遣う優しい言葉で、やんわり戦法を封じてきた。


 店長も負けじと朗らかに返す。


「いえ、こちらもあなた方の譲歩には感謝いたします」


――私たちの背後でこっそりやってる地下水道の探索をやめてくれるならね。


 内心舌を出しつつ、店長たちは紹介をやめ、本題を切り出した。


 しかし、これがなかなか本題の和平交渉に持ち込めない。

 USSA側が27番地のこれまでの悪行と称して、マスコミ前でプレゼンを始めたからだ。


 やれ中立地帯とは名ばかりの五大マフィアの手下だの、民主的統治といっても実態はハウンドによる独裁だの、国内企業を誑かして五大マフィアの悪事の片棒を担がせただの。

 散々な言われようである。


 しかも、見方によってはそういう見方もできなくはない程度の主張なため、非常に質が悪い。

 嘘は言っていないのだ。


「――以上の点により、我らUSSA、ひいてはアメリカ合衆国としては、あなた方の悪事を止め諫める責務があります。

 こちらの案としましては、即時停戦、27番地の完全武装解除。こちらが要求する特定犯罪者の引き渡しと、非戦闘員の保護のための米陸軍部隊の投入を、和平案とさせていただきます」


 いつからUSSAは国の代表になったのだろうか。


 店長は怒りを覚えながらも、相手の主張を最後までしっかりと聞き、反撃に転じた。


「そちらの主張はおおむね理解しました。ですが、いくつか齟齬があるようですので説明させていただきます」


 相手の間違いを指摘するのではなく、あくまで「齟齬」を解消するための説明である。その姿勢を示しつつ、店長は持ってきた鞄を机下から取り出した。


 マスコミのカメラが鞄へ向けられる。


「特区の内情は外部の者へは理解しにくい部分が多々あります。ゆえに資料を用意させていただきました。アンドレイ先生、報道陣の方へこれを配っておくれ」


「ミスター・レッドウォール、お気遣いは感謝しますが、そちらの資料の信憑性は――」


「信憑性につきましては私の説明の後に判断していただきたい。今はご静聴ねがえませんか?」


 暗に黙って聞いてろと伝えつつ、店長はUSSAの指摘を一つ一つ説明していった。


「まず五大マフィアの手先ではないのかという指摘ですが、27番地はこれまで五大マフィアのうち三家、ターチィ一家、ヴァレーリ一家、ロバーチ一家と同盟関係を結んでおりました。

 資料にある条約内容を見ていただければお分かりになると思いますが、27番地と三家との立場は対等なものです。実際、27番地は五大マフィアだけが参加できる五大会合への代表者の参加を特別に許されておりました。もし本当に手先であれば、そのような待遇は受けられなかったでしょう」


「つまり、対等な立場を維持できるほどの力を持っていたということですね。逆に言えば、五大マフィアに協力したともいえる。

 なぜそれほどの力を持っていながら、五大の悪事を暴露せず、彼らに組したのでしょうか? 悪におもねったのですか?」


「よい質問です、ボアズ交渉官」


 店長は人差し指を立て、にっこりと笑ってみせた。


「私と亡き妻は、特区設立直後の三年間、五大の悪事を訴えてきました。27番地を代表し、新聞各社や政府へ嘆願書を送ってきました。その結果、どうなったでしょうか? 

 誰も応えなかった。誰も報道に取り上げませんでした。五大マフィア、ヴァレーリ一家の圧政に苦しみながら必死の思いで出した嘆願書はすべて黙認されました。

 ゆえに我々は国に頼らず、特区内で自力で生き延びていくことを選択したのです。我々の判断はなにか間違っているでしょうか? 悪を暴露すべきというなら、なぜあの時、我々の悲鳴を無視したのでしょう?」


 ボアズが黙りこくる。報道陣も静まり返った。だがカメラは回っている。


 店長は二秒ほどその沈黙をカメラに収めさせ、次の議題へ移る。


「次にあなた方がテロリストと主張するヘルハウンド……すみません、彼女の本名はサハルというのですが、ここでは通り名の方で通させていただきます。彼女が独裁者という話でしたね。ボアズ交渉官、彼女の年はご存じですか?」


「18歳と聞いています」


「そうです。彼女が特区に来た直後は15歳でした。15歳ですよ? そんな子に小さな街とはいえ、統治ができるでしょうか?」


 マスコミがざわつき始める。こんなに幼いとは思ってなかったのだろう。


 ボアズがすかさず冷静に反論する。


「ですが、27番地の代表がヘルハウンドであったことも事実ですよね? 資料によれば、彼女は27番地代表として五大会合に出席しています。

 矛盾していませんか。あなた方は彼女がまだ子供である自覚しながら、権力者の座に置いたのですか?」


「その点は大変心苦しかったのですが、残念ながら特区は五大マフィアの意向こそルール、五大会合への出席が許可されたのは彼女だけだったのです。

 これも大変ショックな話なのですが……ヘルハウンドは三年前、先代ヴァレーリ一家当主を暗殺しています。27番地をヴァレーリ一家の圧政から解放したのは、彼女なのです」


 マスコミのざわめきが大きくなる。

 護衛のトゥアハデ兵が「静かにしろ」と怒鳴るが、なかなか収まらない。


 ついに黙ってられなくなったのか、マスコミの中から一人が手を挙げた。


「つまり、テロリスト『ヘルハウンド』は27番地を五大マフィアの支配から解放したということでしょうか? 彼女は救世主だったと?」


「報道陣の質疑応答は交渉後に設けています。交渉の妨げとなるので控えてください」


 USSA側のもう一人の交渉官が一喝し、マスコミは黙りこくった。


 けれど店長はあくまでマスコミの質問に答える形で説明を続けた。


「本心を言えば、ヘルハウンドは私たちにとっては紛れもなく救世主でした。ですが、それは15歳というまだ子供の彼女の手を血で汚すことを許容する、恥ずべき行為でもあります。

 けれど五大マフィアは27番地の代表にヘルハウンドを指名しました。そして当時、我々にはまだその意向に逆らうだけの力はありませんでした。

 結果、我々はヘルハウンドに、街の代表となってもらい、実際の統治は住民で行うことにしました。いわば、ヘルハウンドには27番地の象徴として君臨してもらったのです。

 資料をご参照ください。これまでの我々が維持してきた統治体制とそれに伴って設けた各役職、担当した者の名が書いてあります」


――自分はきっと碌な死に方をしないな。


 店長はそう思った。


 象徴として君臨してもらったなど、嘘八百だ。実際はハウンドにおんぶに抱っこだった。


 統治体制や役職だって、自分はハウンドに助言を求められて骨組をつくっただけで、実際に住民に指示して任命したのは彼女だった。

 それ以降の細かいルールだって、ハウンドに求められてつくった。


 ヘルハウンドは紛れもない統治者だった。名君だった。


 それに甘えて、自分たちは彼女が倒れるまで、ニコラスがやってくるまで、彼女に寄りかかり続けた。

 そんな自分たちのなんと情けないことか。


――今になって、君の警告が心に染みるよ。


 あの子に甘えるな、と住民を叱り飛ばした亡き妻の顔を思い浮かべ、店長は咳払いで意識を切り替える。


「以上の点により、27番地はヘルハウンドの独裁ではありませんでした。これは特区に住む者であれば、誰もが知っている事実です」


「……よく分かりました。我々の誤りを認めましょう。ですが、27番地がアメリカ国内企業の情報を五大マフィアに売る斡旋業をやっていた、これは事実ですか? すでに各企業から裏はとれています。

 大変申し訳ないが、あなたはヘルハウンドに随分と心酔しているように見受けられます。確かに彼女は幼い。ですが、彼女が幼い頃からタリバンによる英才教育を受けていたのも事実です。

 あなた方はヘルハウンドに利用されたのではないですか? これはあなた方にとって大変ショックなことだとは思いますが……27番地によくしたのも、あなた方を利用し、国内企業や五大マフィアをも利用し、活動資金を蓄えるためだったのではないでしょうか?」


 上手い言い回しだ。

 自らの非を認め、こちらに共感する姿勢を示しながら、自分に有利なように誘導する。


 さすが、情報機関が選出してきた交渉官なだけはある。


 店長はそれには答えず、鞄から新しい資料を取り出した。

 こちらは枚数が多すぎて、報道陣に配るほどの部数が用意できなかったのである。


「お気遣いありがとうございます、ボアズ交渉官。ですが、別の意味でショックを受けました。国内企業の情報を五大マフィアに売り飛ばした、そう企業側がおっしゃったのですか?」


「私はそう報告を受けています」


「でしたら大変ショックなことです。ですよ。企業側が、五大マフィアとのコンタクトを求め、我々に斡旋するよう求めてきたのです。こちらがその際の各企業とのやり取りの記録です」


 店長は報道陣へ資料を向けた。

 シャッター音が姦しく響き、かき消されそうな中、声を張り上げる。


「現在、27番地を攻撃している者の中には特区内企業の要請を受けた傭兵が多数存在します。彼らは特区内企業の命令で我々を攻撃しています。なぜでしょうか? 

 我々が暴露するとまずい情報を持っているからです。それがこの資料です。こちらは印刷したものですから、あとで報道陣の皆様にお渡しします。

 特区内企業も、特区外の国外企業も、五大マフィアを利用して一儲けしようとしていたわけです。悪事の片棒を担いでいたのは企業の方なのです」


「ですが、27番地も企業の要求に応えたわけですよね? それは、あなた方も悪事に加担したということでは?」


「ボアズ交渉官、特区での我々の仕事がどういったものかご存じですか?」


「斡旋業と運送業ですよね。五大マフィア各領の物流を一部担っていたとか」


「現在はそれが主要産業ですが、企業に斡旋を求められた当時は、建築業と清掃業でした。簡単に言うと、五大マフィアが各領で平定していた際に発生した、破壊された家屋の修復と、死者の埋葬です。汚れ仕事が我々の仕事だったんです。しかも給料は安かった」


 店長の主張に、カメラが数機戻るが、他は机端に置かれた資料を映すことに夢中だ。思いもよらぬ糾弾相手が登場したことに狂喜乱舞といった感じだろうか。


 店長はこっそり苦笑した。


「当時は27番地も独立直後でしたから、各番地のギャング等の他勢力からの攻撃が相次いでいました。五大マフィアから土地をもらった土地があると聞けば、奪いに来る人間がでるのは当然のことです。それを防ぐためには武器がいる。資金も必要です。

 そんな折に連絡をしてきたのが、企業だったというわけです。悪事に少なからず加担したと言われれば、厳密にいえば事実でしょう。ですが、我々の当時の事情も考慮していただきたい。

 国も頼れず、悲鳴も無視され、そんな時にヘルハウンドのおかげもあって、やっと街の自治権を勝ち取ったのです。それをまた奪われかけた。悪に加担するくらいなら、黙って奪われろ、黙って殺されていろというのは、あまりに酷な話ではないでしょうか?」


 これでボアズの指摘のすべてを否定した。


 マスコミの視線は今やこちらに釘付けだ。

 これまで特区の情報はUSSAの工作もあって、かなり限定されたものだった。それが違っていて、しかも証拠となる資料まで用意されれば、マスコミは必ず食いつく。


 それこそが狙いだった。


 自分たちはテロリストではない。

 それをマスコミに喧伝してもらう。


 これは交渉という名の、情報と舌戦による殴り合いなのだ。


 しかし、ここまで理路整然と反論しても、ボアズは余裕の態度を一切崩さなかった。


 まだ隠し玉があるのかと思った矢先。


「なるほど。我々が知り得なかった情報ばかりです。提供感謝します、ミスター・レッドウォール。そのうえで大変心苦しいもですが、私はあなたに残酷な事実を突きつけねばならない」


 やはり来た。


 店長はぐっと顎を引き、「なんでしょう」と尋ねた。


「あなたはこれまでずっと、ヘルハウンドがテロリストではないと主張したがっているように思えます。確かに彼女はあなたたちにとっては悪でなかったのでしょう。ですが、彼女は取り返しのつかない罪を犯しているのです。そして、我々は彼女がテロリストであるという、確たる証拠を持っています」


「……聞きましょう。その罪とは何でしょうか、証拠とは?」


「ヘルハウンドはUSSA局員だったクラレンス・ワイアットを殺害しています。彼の妻と、幼い娘も。しかも首を切り落とすという残忍な方法で殺害した挙句、屋敷に火を放って隠蔽まで行ったのです」


 資料に群がっていたマスコミがぎょっと我に返る。


 まずい、と店長は思った。


 事前に今回の交渉で弱点となり得る部分は、ニコラスと話してきた。その弱点の一つが、ワイアット一家の殺害だ。


――『ワイアットは当時、“手帳”の一時的な保管と移送を任されてたんだ。ハウンドの養父ゴルグ・サナイ氏が遺した手帳と、恩師シンジ・ムラカミの手記だ。それを取り戻しにいったんだと思う』――


 ぽつぽつと語るニコラスの声を思い出しながら、店長はどう反論すべきか思考を回した。


 ハウンドからすれば、大事な人を殺され、傷つけられ、挙句の果てに大事な人たちの遺品と所持品まで奪われたのだ。怒り狂って当然だろう。


 だがそれは、ワイアット一家殺害を擁護できるものではない。少なくとも事情を知らぬ者たちを説得するには、あまりに重い大罪だ。


 そしてハウンドの本当の素性を、マスコミも国民も知らない。USSAの誤情報を信じ切っている現在、証拠もないこの状況で、どう説明したものか。


 ボアズはさらに畳みかけた。

 アタッシュケースを机に置き、何かを取り出す。


「また我々は、ヘルハウンドが五大に渡した生体チップを回収しています。この生体チップはヘルハウンドの父、タリバンのゴルグ・サナイが彼女のうなじに埋め込んだ物であり、この中に『失われたリスト』が入っていました。

 すでに破損してしまっていますが、我々は破損したデータの一部の抽出に成功しています。ヘルハウンドは『失われたリスト』を確かに持っていたのです」


 密閉袋に入れらたチップを頭上に掲げ、ボアズは高らかに訴える。


 しまった。

 店長は平静の面持ちの下で臍を噛んだ。


「テロリストの父が託したリストを、娘であるヘルハウンドが持っていた。これでもまだ彼女がテロリストでないと言えますか? ああ、こちらからも資料を出しましょう。少々込み入った話ですからね――」


 店長はここにきて初めて焦った。


 アッパー半島での激闘で、トゥアハデ“銘あり”の『ヌアザ』によって、生体チップは破壊されてしまったが、摘出したチップそのものは物的証拠としてヴァレーリ一家に渡していたのだ。


 それが当時、ヴァレーリ一家がニコラス一行の援護したことへの見返りだった。


――ヴァレーリ一家から奪ったか、あるいは一家がUSSAに渡したか。いいや、この際どっちでもいい。あのチップは現物。それをひっくり返す反論は用意できても、証拠がない……!


 そう、証拠がない。それがこちら最大の弱点だった。


 USSAは実に用意周到だ。尻尾を一切掴ませなかった。


 どうする。

 ハウンドがすでにUSSAに捕らえられていることを暴露する? いいや、それも証拠がない。


 ではあの拷問のビデオは? 合成だと言われればお終いだろう。


 どうする。いっそこの際、すべての真実を暴露して、場を混乱させるか。


――いいや、ここはUSSAの根城。言ってもすぐ周りの兵士たちに取り押さえられる。錯乱しているなどと言われて退場させられれば、それこそUSSA側の証言の信憑性を高めることになる……!


 八方塞がりだった。


 証拠がない、ただそれだけのことで、店長たちは窮地に立たされていた。


 そこでようやくボアズが笑った。勝利を確信した笑みだった。


「申し訳ありません、ミスター・レッドウォール。ですが、どうかご理解ください。これらすべては紛れもない事実であり、真実なのです。恩人であるヘルハウンドをテロリストにしたくない気持ちは痛いほどわかりますが――」


「あー、少しよろしいか?」


 そこで店長は我に返った。


 隣でジル・アンドレイが挙手をしていた。


 割り込んだ新手の存在に、ボアズがわずかに眉をひそめる。


「なんでしょう」


「そちらが主張する事実とやらに対して、いくつか言っておきたいことがある」


「繰り返しますが、いま言ったことはすべて事実であり、証拠もすでにそろっています。これでもまだ否定しますか?」


「ああ、否定する。君たちはまだ。言っておかねばならないことを、自分たちに不利だからと言って隠すのは、議論の場では有効だろう。だが国民に対してその態度は、あまりに不誠実ではないかね?」


 店長は敵の攻撃を切ってくれたことに感謝しつつも、不安だった。


 アンドレイが今回の交渉の同行を申し出てくれたのは、大変ありがたいことだった。27番地屈指の毒舌家の彼であれば、交渉の場で遺憾なくその能力を発揮するだろう。


 だがアンドレイは事前の打ち合わせで、「その時が来たら援護します」とだけ言って、その援護する内容がどういったものなのか話してくれなかった。


 一方、あまりに不遜なアンドレイの態度に対し、ボアズは「ほう!」と芝居がかった仕草で両手を広げた。


「ではどうぞ話してください。我々の主張のどこが間違っているというのでしょうか?」


「知らん」


「はあ?」


 アンドレイはぶっきらぼうに机に頬杖をついた。


「知らんと言っている。そのワイアットとやらも、『失われたリスト』とやらの話も、私は興味がない。君らが正しいというのなら正しいのだろうよ。、誰しも自分の正義を真実としたがるのが人の性だ。

 『確証バイアス』という言葉を知ってるかね? “自分の仮説を真実にしたいがために、自分の都合の良い情報ばかり集める”ことだ。成果を出さないと来年には予算が削られる、追いつめられた哀れな研究者がやりがちなミスだよ。今の君らのことでもある」


「言葉遊びをしたいのですか? であれば、別の機会にしていただきたい。反論がないのであれば、ヘルハウンドはやはりテロリストだ。自らの良心に則って、我々の和平案に賛同していただきたい。否定するというなら、あなた方はテロリストを擁護する悪の一味と言わざるを得ないが?」


「テロリスト、か。私の患者を、随分と好き勝手言ってくれるじゃないか」


 店長はハラハラした。

 アンドレイは基本口が悪いだけで温厚なのだが、あることをすると途端に狂暴化する。


 一つ、患者がアンドレイの指示を無視して自己流の治療を試みた時。

 二つ、他者が自分の患者を貶した時である。


 アンドレイが鋭い眼をさらに鋭利に眇めて、じろりとボアズを見上げる。毒霧を吐き出す邪竜が首をもたげた瞬間だった。


「そんなに反証が欲しいというならくれてやろう。そのワイアット一家の件も一、二点引っかかる部分があるが、私が指摘したいのはその生体チップのことだ」


「こちらですか。手に取ってごらんになりますか? 正真正銘の本物ですが――」


「必要ない。私はそのチップをよく知っているのでな。君らは私の素性を知らんのかね?」


 ボアズは眉間にしわを寄せた。本日一の表情の変化だ。


 するとアンドレイは意地悪くニヤリと笑い、マイクを手に取った。


「知らんようだな。結構。では改めて自己紹介といこう。元アメリカ国防省研究機関、国防高等研究計画局DARPAの防衛科学研究室所属だった『アンドレ・フィリップ・ペルタン』だ。概要は私の論文データでも見たまえ。そしてそこの生体チップを開発したのは、この私だよ」






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次の投稿日は8月9日(金)です。


【お休みのお知らせ】

本職が繁忙期のため、8月16日(金)はお休みとさせていただきます。

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