11-4

【前回のあらすじ】

二つ目の切り札は、ハウンド以外の生き証人だった。

コードネーム『シバ』、シンジ・ムラカミ。


ニコラスは、絵本の告発の信憑性を高めるため、シンジ・ムラカミに証言を依頼すべく、日本へローズ嬢とテオドールを派遣する。


一方、USSAは特区を完全に掌握すべく、フィオリーノとルスランに直接交渉に臨もうとしていた――。




【用語紹介】

●合衆国安全保障局(USSA)

12年前の同時多発テロ発生直後に急遽設立された大統領直属の情報機関で、年々発言力を増している。現長官はアーサー・フォレスター。


●失われたリスト

イラク戦争中、国連主導で行われた『石油食料交換プログラム』を隠れ蓑に世界各国の大物たち(国連のトップ、現職の大臣、資本家、宗教関係者など)がこぞって汚職を行った『バグダッドスキャンダル』に関与した人物らの名が記されたブラックリスト。

このリストを公表するだけで、世界各国代表の首がすげ変わるほど破壊力を持った代物。『双頭の雄鹿』の資金源と目される。


●絵本

ニコラスがハウンドから譲り受けた手書きの絵本。人間に連れ去られた黒い子狼が、5頭の犬たちの力を借りながら故郷を目指す物語が描かれている。作者はラルフ・コールマン。

炙り出しで謎の文がページの各所に仕込まれており、それらを解き明かすと『証人はブラックドッグ』、『リーダーはアーサー・フォレスター』となる。


●《トゥアハデ》

『双頭の雄鹿』の実働部隊。世界各国の特殊部隊から引き抜いた兵士で構成されており、長のフォレスターが自ら選んだ幹部“銘あり”が数人存在する。

現時点で確認されている“銘あり”は『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』、『モリガン』、『ディラン』、『スェウ』、オヴェドの七名。

現時点(11節冒頭)で『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』の三名は死亡。

またなぜかオヴェドは名を与えられていない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――






「ミス・ローズ、少しよろしいですか」


 上司であり、友人でもあるテオドールが遠慮がちに口を開いた。


 次の訪問先へのアクセスを調べていたローズは、スマートフォンを鞄に戻し、視線を合わせた。

 彼がこういう言い方をする時は、自分を諫めようとしている時だからだ。


「はい、なんでしょう?」


「……日本に来てからこの一週間、ずっと政府や外務省関係者を訪ねまわっていますよね? それも、日本だけでなく他国の大使館まで。なぜこんな回りくどいことを? その、……は分かっているのですよね?」


 言葉を濁した部分は地下鉄構内の雑踏にかき消されてしまったが、言わんとするところは分かっていた。


「シンジ・ムラカミ氏の潜伏先は分かっているのに、なぜ直接訪問もせず、無関係のところばかり回っているのか。と、言うことですよね?」


「ちょっ、声が大きいですぞっ」


「大丈夫ですよ。この人混みです。木の葉を隠すなら森の中という言葉の通り、下手な屋内に隠れるより、こういう雑踏の中の方が意外と密会に適しているのです」


「そ、そうなのですか。それで、なぜこのようなことを? 他国の大使館はともかく、日本関係者からはほとんど門前払いじゃないですか。根回しするのであれば、脈がありそうな別の人間をあたるべきでは?」


 ごもっともな意見である。


 日本に来てからというもの、ローズは日本財界の人脈を駆使して政府関係者に訪問を繰り返しているが、成果はほぼゼロだ。

 秘書に取り次いでもらえれば御の字、下手すると電話口で名乗っただけで、適当にはぐらかされて切られる始末である。


 メールでそれとなく事情を伝えているのにも関わらず、だ。


 テオドールは脈なしとマイルドに表現したが、歓迎されていないどころか厄介者扱いである。


 けれど、ローズは構内の柱にもたれて、にっこり笑った。

 自棄になったのではなく、本心からだ。


「いいえ、これでよいのです。わたくしは此度の訪問で彼らと話したいのではありません。彼らに現状を知ってもらいたいのです」


「現状、ですか?」


「はい。ついでに爆弾も仕込んでいます」


「爆弾!?」


 本当に飛び上がりかけたテオドールを、「物理的なものじゃありませんから」と宥めて、ローズは咳払いをした。


「わが国の現状を鑑みてください。犯罪都市とはいえ、名目上国営の経済自治区に対し、一情報機関が攻撃を仕掛けているのです。他国ではなく自国の、ですよ? どう考えても異常事態です。

 たしかに合衆国安全保障局USSAは大統領直轄の独立機関で、行使できる範囲も広いですが、長官自ら宣戦布告までしての大規模攻撃です。いくらテロリスト撲滅のためとはいえ、やりすぎだとは思いませんか?」


「たしかに。日本からしてみれば、ちょっと権力のある公安警察が、国内の自治区に戦争ふっかけてるようなもんですからな……。しかもまだ戦闘は続いてますし」


「ええ。日本政府はこれまで目立った公式見解を発表せず、静観の構えを見せてはいますが、内情がどうなっているかは知りたいはずです。

 それがですよ? もし、今回の戦争がUSSAにとっての不都合を隠蔽するためだと知ったら。その不都合に、自国民が関与しているかもしれないと知ったら。日本政府はどう思うでしょうか?」


「えー、とりあえず巻き込まれないようにするとか……」


「その通りです。日本はこれまでミスター・ムラカミを匿っています。つまり、日本はミスター・ムラカミが狙われていることを知っている。そのうえでの今回の事態です。巻き込まれないよう全力で動くでしょう。そこでです。わたくしは彼らにメールと電話でとある情報を流しました」


 USSAと大統領府ホワイトハウスの間に、軋轢が生じている――。


「嘘は言っていません。USSAの発言力が増していることについては、軍をはじめ議会からも問題視されています。大統領府内からもそういった声が出始めています。すなわち日本政府は今、選択を迫られているのです。“USSAと大統領府のどちらにつくべきか”、と。これがわたくしが仕掛けた爆弾です」


 テオドールはしばし、あんぐりと口を開け、脱力したように肩を落とし苦笑した。


「また大胆なことをやってくれましたな。とどのつまり、日本政府は今、我々の爆弾発言に、慌てふためきながら話し合ってる最中というわけですか」


「ええ。今もどこかでこっそり会議が開かれていると思います。わたくしたちと話している暇などありませんよ」


「門前払いされるわけですな。日本からすれば大迷惑だ」


「ですが、これで日本政府がUSSAの圧力に屈する可能性は低くなりました。今回の戦争がUSSAの隠蔽工作の一環となれば、USSAへの不信感はより増すでしょう。私たちをつけているであろうUSSAの工作員も、日本で活動しにくくなります。

 気づきませんでした? ここ三日、わたくしたちをつけていた人間が半分以下に減りました。特に外国籍らしき人間はぱったり見なくなりました」


「……もしや、そのために爆弾を撒いたのですか? 日本政府へ注意喚起するだけでなく?」


「むしろこちらが本命ですよ、テオ。ミスター・ムラカミへの訪問が妨害されることはあらかじめ分かっていました。ですが今なら、日本からもUSSAからも妨害される可能性が低い。

 日本はアメリカへの対応でごたついており、USSAは日本政府からの警戒で活動が制限されています。我々への監視が減ったのがその証拠です。ミスター・ムラカミに訪問するチャンスですよ。

 欲をいえば日本で一人か二人、味方につけたかったところですが……ここまでですね。準備を整え次第、すぐに向かいましょう」


「やれやれ。つくづくとんでもない御仁を雇ったものだ。やっぱり私とCEO代わりません? 絶対あってると思うんですけど」


「あら、わたくしはテオが仕切ってくださるこの会社が好きですよ」


「その方が好き勝手できるから?」


「部下に自由に裁量を与えてくださる上司に惚れこんでいるからです」


 テオドールは「物は言いようですなぁ」と苦笑を深め、目的のホームへさりげなくエスコートしてくれた。


 本心なのですけど、と、ちょっとローズはむっとしたが、すぐに顔を引き締める。

 テオドールへの感謝はもちろん後ほどするが、今は自分のやるべきことをしなければ。


 あの彼が、自分に助けてくれと言ってくれたのだ。何よりもう一人の恩人は未だ囚われの身だ。


――あのおふた方が踏みとどまってくださっている間に、何とかしなければ。




 ***




「ローズ・カマーフォードの動きに変化がありました。恐らく、本命に向かったかと」


「そのまま泳がせろ。シンジ・ムラカミの居場所を突き止め、今度こそ確実に仕留める。追跡は『フライングフォックス』のみで、それ以外は下げろ。一切手を出すな」


「よろしいのですか?」


「すでに日本からの妨害が始まっている。ここでごねれば、また標的を隠されかねん。ここは日本の友人たちに任せよう。強行突破するのは“狩り”の一瞬だけでよい。事が終わりさえすれば、どうとでもなる。

 イギリスとペルーの二チームも行動を開始させろ。この際、すべて捕らえる」


 オヴェドがフォレスターに目礼したその時。


「へえ、あんたらでも手を焼くことがあるんだねぇ」


「例の日本人学者『シバ』、健在のようだな」


 二つの正反対の声が飛んできた。

 一方は軽薄なれど皮肉たっぷりに、一方は無機質かつ無感動に。


 噂通り、ヴァレーリ一家当主フィオリーノとロバーチ一家当主ルスランは、何もかもが正反対のようだ。


 オヴェドは口の減らない当主二人ににっこり微笑んだ。


「ええ。死人同然でしたので、処分するまでもなかったんですが。ここ最近、口が利けるようになったようでして」


「相手をせずともよい、オヴェド。彼らには必要のない情報だ」


 フォレスターにそう言われ、オヴェドはやや残念に思いながら口を閉ざす。


 すると当主二人の意識はフォレスターに向いた。


 諸事情により拘束こそしてないものの、左右、後ろに武装兵がいつでも撃てる態勢で佇んでいる。

 それでも平常運転なのは流石というべきか。


 ルスランが黙ってフォレスターを観察するのに対し、フィオリーノはさっそく口を開いた。弁舌を売りにする一家の当主なだけに、よく舌が回る。


「ねえねえ。さっきのイギリスとペルーのって、コールマン班の遺族と、モーガン一家追ってる組のこと? この期に及んで人質でも取ろうって? 止めといたほうがいいよ。特にイギリス組。ヘルは人質とか通用するタイプじゃないし――」


「フィオリーノ・ヴァレーリ、ルスラン・ロバーチ。今回ここへ呼んだのは、君たちにいくつか確認したいことがあったからだ」


 フィオリーノはすっと黙りこくった。


 舌を武器にする詭弁家には、ディベートを途中で打ち切られるのはさぞ屈辱だろう。

 それをおくびにも出さず、話を引き出すのが不可能と判断した途端、黙るのだから切り替えが早い。


 そのうえ、こちらの動きを完全に把握していた。


 イギリスへ亡命したラルフ・コールマンたち五人の遺族。

 キューバから行方をくらませた、ニコラス・ウェッブと親交のあったモーガン一家。


 遺族の方はともかく、モーガン一家の逃亡先まで突き止めていたとは。


 オヴェドは、この男が若くして特区に犯罪都市を築き上げた所以を理解した。


「まず確認してもらいたいのは他でもない。君たちの同盟者についてだ」


 フォレスターがドア付近で控えていた《トゥアハデ》兵に目配せする。兵士はすぐに動いた。


 ジャラジャラとした鎖の音とともに、ソレが引きずられてきた。


 列の前後をトゥアハデ最強の“銘あり”双子の『ディラン』と『スェウ』が固め、全身拘束衣の上から首、胸部、腰、脚部に鉄枷を嵌め、死体袋を引きずるように彼女が連行されてくる。


 首の枷には二本の鎖がつけられ、屈強な兵士二人がその手綱を握っている。


「随分と厳重なことだな」


 ルスランがぽつりと呟いた。


 ブラックドッグは、ディランとスェウの立つ間に乱雑に転がされた。


 彼女にはまだ意識があった。


 自害防止に口枷を嵌められたその口からは、呻き一つあがらない。だがその目には、殺気と敵愾心が満ち溢れている。


 白い拘束衣のあちこちに血が滲んでいるのを見て、オヴェドは顔をしかめた。


「拘束する前の傷だ。治療しようにもこの娘が暴れるのでな」


「命令通り、拷問はしておらん」


 拷問の傷ではないと分かって、オヴェドは小さく息をつく。


「麻酔は?」


「利かん」


「量を増やしたいが、この傷では下手に増やすと死ぬ」


「ひとまず死にかけ寸前まで放っておいた方がいい」


「下手に拘束を解くと食いつきにくる」


 猛獣より厄介ではないか。オヴェドは呆れ果てた。


 一方、ブラックドッグがわずかに頭をもたげた。当主二人がいることを確認し、じっと見据えている。


 それを横目に、フォレスターが当主二人に歩み寄る。


「さて。彼女の話よれば、君たちが彼女と秘密を共有するぐらいに仲が良いとのことだったが」


 唐突に、フォレスターが口を噤んだ。それきり黙りこくってしまう。


 当主二人が顔をしかめた。

 双子が顔を見合わせ、オヴェドも意図を図りかねて内心首を捻った。


 そこでフォレスターの視線の先を追ってみる。


 視線の先には、ブラックドッグがいた。


 オヴェドも気づいた。


 少女の頬がわずかに動いたのだ。舌先で歯茎をなぞるような動きだった。


「口を開けさせろ。何か入ってるぞ」


 フォレスターからの主命に、すぐさま双子が従った。


 一方が少女に馬乗りになり、背後から頭部を押さえこむ。その隙にもう一方が口枷を外そうとする。


 ブラックドッグが猛烈な勢いで身をよじり始めた。


 まだこんな力が残っていたのかという暴れっぷり――いや、なるほど。確かにこれは猛獣だ。

 少女とは思えぬ凄まじい膂力を目の当たりにして、オヴェドは思わず半歩後ずさった。


「鎖を離せ。我らだけでやる」


「絶対に近寄るなよ。食われるぞ」


 双子の叫びに兵士が慌てて距離を取った。


 馬乗りになった片割れが首の鎖を引いた。

 海老反り同然の体勢になった少女が激痛のあまり呻く。


 その隙に口枷を外し、口をこじ開けようとする。


 当主二人が思わず腰を上げかけた。

 すぐさま突き付けられた銃身に阻まれ、フィオリーノは渋々席に戻ったが、ルスランは強引に跳ね除けて立ち上がった。


 そんな矢先、ついに双子が口をこじ開けた。

 その中をフォレスターが素早く覗き込み、こう言った。


「奥歯に糸のようなものが見えるな。吐かせろ」


 双子はまたも迅速に動いた。


 片割れが少女の腹に容赦なく拳を叩きこむ。


 一度では吐かず、三度殴って、少女はようやく吐いた。


「散弾銃の、弾……?」


 ブラックドッグの腹から出てきたのは、一発の白い弾だった。

 それが奥歯に巻き付けられていた糸に結ばれて、ぷらんと宙を揺れている。


 白い薬莢の散弾銃弾。口径は12ゲージだろうか。


「スラグ弾」


 呟いたのは、ルスランだった。続いてフィオリーノも口を開く。


「うちで取り扱ってるやつじゃないな。お前のとこのか?」


「いいや。ロバーチが提供している弾の薬莢は赤だ。白ではない」


 ヴァレーリ一家でもロバーチ一家のものではない、所属不明の弾丸。

 それを飲み込んでいた。胃より先へいかないよう細工までして。


 えずいていた少女が我に返り、弾を再び飲み込もうとする。


 それより早く、フォレスターが弾を奪った。


 唾液と胃液まみれのそれを掌で転がし、フォレスターは納得したように小刻みに頷いた。


 薬莢には、手書きの文字が記されていた。


「『棄てられし者たちのために』、か。これは君の配下の棄民のことかね、それともあの反逆者五人のことかね?」


 ブラックドッグは答えない。


 フォレスターは少女の前にしゃがみこんだ。


「主よ、危険だ」


 双子の片割れが割って入る。

 だがフォレスターは動かず、弾を指先で挟んで少女の眼前で振った。


「それとも、あの狙撃手のためかね。奴が君にこれを与えたか」


 ブラックドッグは答えない。

 だがその眼球がわずかに揺れたのを、フォレスターは見逃さなかったようだ。


「与えたのはニコラス・ウェッブのようだな。何のための弾だ?」


「………………自害用の、弾だ」


 絞り出すような掠れ声で、少女はそう言った。


「独りにしないって、言ってくれたから」


「そうか。君はいい子だな。本当にだよ。だからまた、こうして悪い大人に騙される」


 ブラックドッグが顔をしかめた。なにを言われているのか理解できていない風だった。


 それを憐みに満ちた目で見下ろして、フォレスターは手を振った。


「この弾と、彼女の銃二挺は私が預かる。連れていけ。それと、早く手当てを。できる範囲でよい。苦しませるのは本意ではない」


 ブラックドッグがなにか言う前に、双子が口枷を着けなおした。

 それを見て兵士らがわらわらと群がり、彼女を引きずっていく。


 少女はまたも暴れたが、先ほどので体力を消耗したのか、来た時よりは大人しかった。


 それを見送って、フォレスターは「さて」と当主二人に向き直る。


「交渉を再開しようか」


「俺らに聞きたいことがあったんじゃないの?」


 フィオリーノが不快げな表情を隠しもせず問う。


 するとフォレスターは首を振った。


「いいや。先ほどの態度で概ね理解した。先ほどブラックドッグに我々が危害を加えた時、君たちは動かなかった。つまり君たちもまた、彼女を利用するだけの悪党ということだ。悪党と話し合うことなど何もない。ただ我々の要求を伝えるまでだ」


 当主二人がポカンと口を開け、こぞって同じ表情をした。


 こいつは何を言っている?


――まあ、そういう反応になるでしょうね。


 オヴェドはそう思った。

 だがこれでも一応、フォレスターの中では筋が通っているのである。


 一方、フォレスターの言動の衝撃は凄まじかった。あのフィオリーノですら反論が遅れたのだ。


「えっと。もしかして認知症はいってる……? あんたが俺らのなにを知りたかったとか、これっぽっちも興味ないけどさ。あんたも俺らも同類じゃん」


「なぜだ」


 フォレスターの問いは、ごく普通だった。普通過ぎて、逆にフィオリーノが鼻白んだ。


「なぜって……、あんた、ヘルに危害加えた自覚あるんでしょ? そりゃあ、俺らもヘルとは利用し、利用されての仲だったけどさ。あんたみたく一方的に危害を加えて正義面した覚えはないよ?」


「貴様の方がよほど碌でもないと思うがな」


 ルスランまで口を開いた。フィオリーノは「ほらね」と肩をすくめる。


「そうやって自分を正当化すんのは結構だけど、あんたも俺らと同じく立派な悪だよ。つーか、悪党がどうとか、今さらなに? マフィアなんだから悪党なのは当たり前でしょ。そんなこと言うために、わざわざ特区まで出向いてきたわけ? 頭おかしいんじゃないの?」


「なるほど。それが君の正義かね」


「正義ぃ?」


 フィオリーノの声がひっくり返った。交渉事でこの男のペースがここまで乱れるのは珍しいことだろう。


「そうやって開き直るのが君の正義なのかと聞いている。どうなんだ?」


「い、いや、なにをもって正義と定義してんのか知らないけど、こっちの主張を正義とみなすんなら、正義なんじゃない……?」


 フィオリーノは気圧されながらもそう答えた。


 するとフォレスターは満足げに頷いた。


「やはりな。君の語るそれは正義ではない。それは偽りの正義だ、偽善だ。

 君は悪を自覚することで、他者に“善悪の分別ができる更生の余地がある悪”であると思い込ませている。その実ただ開き直っているだけだというのに、他者からの情けを平然と貪っている。

 そんな生粋の悪である君の主張に、一体なんの価値があるのかね?」


「――へえ?」


 フィオリーノの声が一段と低くなった。


「なるほどねぇ。そういう冷静な思考はできるんだ? 概ね当たってるよ、あんたの言い分。間違っちゃいない。

 ただそれで自分だけ正義を名乗るのはどうかと思うけどね。ラルフ・コールマンたちを殺し、無関係の学者に危害を加え、ただの少女でしかなかったヘルハウンドを傷つけ続けるあんたは正義なのか? 本気で自分が正しいと思ってんの?」


 軽薄を排したフィオリーノの怒気を孕んだ眼光は、その場にいた全員がたじろぐほどの気迫があった。


 その中で、唯一たじろがなかったフォレスターは、一呼吸おいてから「そうだ」と答えた。


「我らは正しい。正しくあらねばならない。我らが正義であれば、これまでの犠牲がすべて報われるのだ。

 踏み躙った者のために、踏み躙られた者のために、我らは善であらねばならん。無駄死になどさせるものか。彼らは尊い犠牲だった、必要な犠牲だった。

 我らが正義でありさえすれば、彼らの生を無価値にせずに済むのだ。享楽に生きる堕落しきった君に、この重責が理解できるかね?」


 フィオリーノは絶句した。気圧されたのか、呆れ果てたのかは分からないが、言葉を失したのは確かだった。


 そう。フィオリーノの言う通り、フォレスターは自分を正当化している。ただ利己的でなく、利他的に自分を正当化するのである。


 本気で他者を思い、他者のために、自己を正当化するのだ。


 ゆえに、正義に狂った男なのである。


「この国を憐れに思ったのは後にも先にも今日が初めてだな。こんな狂った正義を押し付けるだけの男が、国の中枢にいるとは」


 ルスランが吐き捨てる。この男がここまで感情をこめて毒を吐くのもまた珍しいことだろう。


 しかし、フォレスターは微塵も揺るがない。


「まるで正義がよくないものであるかのような言い草だな、ルスラン・ロバーチ。

 では君の国は正しかったのかね? なぜ祖国で兵士を全うしなかった? 正しくなかったからだろう。正しくなかったからこそ、祖国を捨て、流浪の罪人に身を堕とした。それが今の君だ。

 国が正しければすべて報われるのだよ。君も、君の部下たちも、それをよく知っているはずだ」


 ルスランが黙りこくる。論破されたというより、反論する気も失せたらしい。

 呆れ顔で腕を組み、好きに話してろとばかりに目を閉じた。


 ゆえにフォレスターはまず、ルスランを標的にすることにしたらしい。


「『ソスラン・コビアシビリ』、『イルマ・コビアシビリ』」


 その名を聞くなり、ルスランの目が見開かれた。柘榴色の双眸が殺気をほとばしらせてフォレスターを睨む。


「ロバーチ一家での通り名は知らないが、君の右腕でもある第一遊撃部隊長『アラン・コビアシビリ』の両親だ。

 ロシア内務省FSBの工作員に暗殺されかけていたところを、我々が保護した。他、ロバーチ一家構成員の家族・親類のべ十数名、USSA第三支部の宿泊施設で匿っている。

 君の部下たちはとうの昔に彼らが殺されたと思っていたようだがな。早く真実を伝え、安心させてやるといい」


 それがなにを意味するかなど、言うまでもないだろう。


 はじめフォレスターからこの案を聞いた時、絶対に失敗すると思った。

 マフィア相手に人質など、意味がないと。


 だがこの光景に確信する。

 ルスラン・ロバーチにこの策は有効だ。彼はマフィアではない。彼の本質は兵士のままなのだ。


「祖国を失望し、祖国を捨てた歴戦の戦士よ。君が正しき道を選択してくれることを期待する」


 それは、事実上の命令であった。

 フォレスターは宣言通り、端から交渉する気などなかったのである。


 こちらの要求に応じるなら恩赦を。応じないのであれば抹消を。それだけのことだった。


 ルスランは椅子に座したまま、十秒以上は黙っていた。


 けれど、ついに要求をのんだ。


「承知した。我が軍は今後一切、動かん。27番地の要望であってもだ」


 兵士から微かにどよめきがあがる。オヴェドはひとまず第一関門突破だと、肩を下ろす。


 フォレスターもまた微笑んだ。


「感謝しよう、ルスラン・ロバーチ。君なら――」


「ただ」


 そう言った直後、風が奔った。


 オヴェドは何が起こったのか見逃した。


 気が付いたら、ルスランの背後に立っていた武装兵三人のうち、一人が宙を舞っていた。

 フォレスター背後の護衛めがけて投げ飛ばされたのだ。


 残された二人がすぐさま反応する。

 が、一方は手刀の一撃で首を折られ、もう一方は首を掴まれ、そのまま棍棒代わりに振り回された。


 人間棍棒が椅子に叩きつけられ、フィオリーノの背後の兵士らを薙ぎ倒す。


 フィオリーノは鬱陶しげに頭を下げて避けたが、椅子からは立たなかった。


 五秒に満たない出来事だった。


 あの双子ですら、フォレスターの前に立ち塞がるのがせいぜいだった。


「よくもまあにその手を使ったものだ。貴様もあの国の腐った役人や将校どもと同じだ。鳴き声が少し違うだけの同類だ」


 ルスランが首を掴んだまま兵士を高々と上げる。視線はフォレスターと双子から、一切逸らさなかった。


 ぼぐ、ごき、と鈍い音がするたび、兵士の口から溢れる泡に朱が混じる。

 直後、ぼぐっ、とひときわ大きな音を立て、兵士の身体がびくりと跳ね、痙攣する。


 股間に染みができ、ルスランは死体を無造作に投げ捨てた。それでも壁に打ち付けるほどの威力なのだから、ぞっとする。


 ブラックドッグ以外に、まだこんな化け物がいたのか。


 オヴェドは人間とは思えぬ所業を目の当たりにして、拳銃を抜くことも忘れていた。


「今すぐ人質を俺の元に連れてこい。ああ、我が軍は動かぬとも。お前を殺すだけなら、俺一人で事足りるわ」


 その発言を裏付けるだけの証拠は、十分すぎるほどそろっていた。


 双子が振り返ることなく、フォレスターに進言した。


「我が王よ、人質を連れてきた方がいい。この男、あの小娘より強いぞ」


「貴方は殺させぬ。死んでも我ら兄弟が守ってみせる。だがここで戦えば、我らのうち一人は確実に死ぬ」


 それを聞いて、フォレスターは深々と嘆息した。


「君らをこんなところで死なせるわけにはいかないな。第三支部と連絡を取れ。ルスラン・ロバーチ、今回は特別に君の要求をのもう。ただし、君が宣言通り大人しくしてくれるならだ」


 ルスランは答えなかった。


 血が付着したままの拳を握りしめ、黙って部屋のドアへ向かった。

 兵士らが一斉に銃を突きつけるが、当然のようにものともしない。逆に兵士が圧倒されて、道を開けた。


 ルスランは無言のまま部屋を去った。その背後を、兵士が慌てて、だが一定の距離をとってついていった。


 フォレスターが呆れたように嘆息した。


「やれやれ。もう一匹猛獣がいたとはな。これまで通り監視を続行しろ。ロバーチ一家はもう動かん。今のでよく分かった。第三支部には今以上に警戒を厳とするように」


 何事もなかったようにそう告げて、次にフィオリーノを見た。ロバーチが済んだのなら、次はヴァレーリだ。


 フィオリーノも黙ったままだった。当初のお喋りが嘘のような、恐ろしいほどのだんまり具合だった。


 フォレスターの口撃が悠然と始まった。


「君は裏カジノのディーラーからマフィアの世界に足を踏み入れたそうだね。フィレンツェ出身、両親は精神カウンセラーを営む一般人。当然、君もごく普通の少年だった。

 そんな君が、裏社会に興味を持つきっかけになった人物がいる。それが君の後援者であった、ヴァレーリ一家先々代当主の奥方だ」


 フィオリーノは何の反応も示さなかった。瞬き一つしなかった。


「『コーサ・ノストラ』の生き残り。連邦捜査局FBIに仲間を売った裏切者。ヴァレーリ一家の本土での評価は散々だった。たとえそれが組織を延命させる苦肉の策だとしても、部外者は声高に誹謗中傷するものだ。

 先々代当主と奥方は様々な悪意に晒された。財産はすべて奪われ、アメリカのど田舎に住まわされ、警察の執拗な家宅捜索を毎日のように受け続けた。そしてついに夫婦もろとも無惨に殺された。

 殺したのは本土から派遣された名門一家幹部を出自に持つ男――君がブラックドッグに殺させたヴァレーリ一家先代だ」


 フィオリーノは何も答えなかった。舞台はフォレスターの独壇場だった。


「いわばこの特区は、君にとって彼女への手向けであり、復讐の産物だ。

 ヴァレーリ一家再興も、先代の暗殺も、この特区設立も、すべて『コーサ・ノストラ』の復活を希った先々代奥方の夢。そして君はその悲願を見事成就させてみせた。この犯罪都市は、君が愛した女性の夢そのもの。

 だからこそ君はこの特区が維持されるよう、国が甘い汁を吸えるシステムを特区に設けたわけだ」


 フォレスターは振り返り、フィオリーノの真正面に立った。


「実は私もね、この特区をまだ潰したくはないのだよ。君の狙い通り、この特区は国にとって有益なものだ。君にとっても悪い話ではないだろう? 君が愛した女性の夢は――」


「三つ」


 ここでようやくフィオリーノが口を開いた。


 フォレスターが口をつぐむ。フィオリーノはゆっくりと三本、指を立てた。


「三つ、言っておきたいことがある。一つ、あの女は誰も愛さなかった。夫ですら駒としか見てなかった。

 二つ、なんか俺が女のためとか復讐のためとか勝手に言ってくれてるけど、俺はそういうの心底どうでもいい。俺は『人生、面白けりゃそれでいい』んだよ。

 三つ、さっきから俺に協力してほしいみたいなノリだけどさ、あの田舎者ルスランの要求はのんだくせに、俺には何もなしってのはないんじゃない?」


 フォレスターは「ほう!」と肩眉を吊り上げた。


「何がお望みかね?」


「ブラックドッグを俺に処刑させろ」


 室内がざわついた。これにはフォレスターもわずかに眉をピクリと動かした。


「今、なんと?」


「ブラックドッグを処刑する権利を俺に寄こせ。あれは俺のものだ。俺が最初に見つけたんだ。俺のものなんだから、俺にこそ処分する権利があるだろ」


「呆れた男だな。そんなに彼女を殺したいのかね?」


「殺したがってるのはあんたらの方だろ。わざわざヘルの愛銃と弾、没収しちゃってさぁ。 

 どうせそれでヘルを殺す気なんだろ? 悪党が心底お嫌いなあんたが、偽善者代表みたいなあの男を許すはずがない。

 ニコラス・ウェッブが一番嫌がるやり方でヘルを殺すはずだ。違う?」


「君は勘違いしている。死を自ら望んでいるのはブラックドッグだ。ならば早く解放してやるのが情けというものだろう。

 ニコラス・ウェッブへの制裁にしても、彼にはまだ良心がある。君と違ってね。ならば己のしでかした罪の結末を見せ、悔い改めるよう促すべきだ」


「あー、はいはい。それがあんたの正義なのね。分かった、分かった。

 でもなら、いいじゃん。俺にあの子の命を奪う権利を寄こせ。マフィアの首領が自ら処刑人になってやろうってんだぜ? 悪党にもってこいの仕事だろ。何の問題がある?」


 フォレスターは逡巡しているようだった。

 オヴェドも、まさかこんな要求をしてくるとは思わなかったので、どう助言すべきか考えあぐねた。


 そうこうしているうちに、フォレスターは結論を下した。


「いいだろう。君が特区すべてを与えてくれるなら、の話だが」


「マジ? じゃあ、あげる」


「……本当にいいのかね?」


「いらなぁい。この街創ったのだって、暇つぶしだし。

 てかこれ交渉成立よね? ってことは晴れてヘルは俺のもんってことよね? ならヘルに会いに行っていいよね? 

 今どこにいんの? まさか拷問で顔に傷とか入れてないよね?」


「…………はあ、連れていけ。交渉終了だ」


 なにかと喚くフィオリーノを兵士たちが連行する。


 ルスランには好き勝手されたが、当主二人は以前このセントラルタワーに監禁中の身だ。一部部下との面会を許すだけで、それ以外の一切を許可していない。


 今後、フィオリーノがブラックドッグに会うのは、処刑の時だけだろう。


「やれやれ。やはり一筋縄ではいかなかったな」


 そうフォレスターは苦笑した。


 こうして特区のすべてがUSSAの手に落ちたのである。




 ***




「馬鹿なんすか」


 面会するなり、セルゲイ・ナズドラチェンコはそう言った。


 どうやって27番地を抜け出してきたのか、ロバーチ本隊と合流したのか、面会に同行するためにどうUSSA側を言いくるめたのか。

 すべて定かではないが、真横で蒼白に立ち尽くす部隊長を尻目に傲然と罵倒してくる。


「マフィアが人質とられて言うこと聞いたとかどんな醜態です? なんでその場で大ボス縊り殺してこなかったんすか。あんたならできたでしょう。それとも差し違える覚悟もなくなったんすか」


「お前っ、閣下になんてこと言うんだ……! 閣下は俺たちのために――」


 我に返った部隊長が怒鳴り飛ばす。


 とうに殺されたと思っていた家族が実は生きていて、しかもずっと人質として囚われていた。

 その怒りをすべてセルゲイにぶつけているようだった。


 しかしセルゲイは眉一つ動かさず。


「俺は殺しましたよ。自分の家族も、親友の両親も、仲間も全部」


 部隊長がぎょっと固まった。ルスランは知っていたので何も言わなかった。


 だからこそFSBはこの男を身内に引き入れたのだ。祖国に復讐するためすべてを手にかけた男を、祖国に尽くす愛国者と愚かにも勘違いしたのである。


「あんたもあんたの部下も中途半端なんだよ。報復なんて端から分かってたことだろ。復讐しようってのに、大事なもんはこっそり囲っておくってか? 

 だからこうなるんだ。殺しときゃよかったんだ。奪われるくらいなら、奪われる前に! どいつもこいつも甘ちゃんだからまた奪われる。

 俺が親友の両親を殺した時、彼らは泣いて喜びましたよ。『息子の無念を晴らしてくれるなら』って、黙って死を受け入れましたよ。あんたもテメーもそうしときゃよかったんだ」


 部隊長が死人同然の顔で数歩後ずさる。

 ルスランもまた、この男の激情を見たのは初めてのことだった。


 ゆえに、「そうだな」と小さく呟いた。


「貴様が正しい。復讐を果たすのであれば、そのぐらいの覚悟は必要なのかもしれん」


「だったら――」


「だが貴様が友の両親からその言葉を欲したのも事実だろう? 少なくともその言葉は多少、貴様を救ったはずだ」


 セルゲイの激情は、ぶつける先を失って空ぶった。

 開きかけた口から言葉は出ず、グッと歯を噛み締め、ねめつけてくる。


「よき親の元には、よき子が育つ。いい友人をもったな、ナズドラチェンコ」


 セルゲイはもう何も言ってこなかった。


 ルスランは自身の発言が詭弁に過ぎないことを自覚しつつも、あえて沈黙を貫いた。


 現在、ロバーチ一家はUSSAの要望(というより命令に等しいが)で、セントラルタワー周辺に全部隊を集結させている。


 反抗勢力鎮圧に、自分たちロバーチを盾としてこき使い、万が一の際は後ろから撃ってやろうという腹づもりだろう。

 かつての祖国で悪名を馳せた督戦隊のように。


「我らを使役したいというのであれば、やってみればいいのだ」


 虚空を見たままそう呟くと、部下たちの視線が戻ってくるのを感じた。


 布石は打った。


 宣言通り、ロバーチ一家は今後、このセントラルタワーから一切動かない。

 27番地の要求であろうと、USSAの要求であろうと。


 お望み通り、冬眠する熊のごとく居座ってやろう。


――あの男は気づくだろうか。


 27番地へ通じる地下水道はすべて潰れたと聞いている。

 だがあの男なら、ニコラス・ウェッブなら、あるいは――。


 否、気づかずともよい。期待などしない。そこまで落ちぶれてなるものか。


 我らは我らで動く。

 同じ落伍者でありながら、あの男にできて、我らにできぬものがあってたまるか。


 USSAも『双頭の雄鹿』もトゥアハデも、すべて根絶やしにしてくれる。どれだけ時を費やそうと必ず追いつめて殺し尽くす。

 猛虎に首輪をつけようとしたその愚行、塵殺をもって報いてやろう。


 ルスランは苛立ちがおさまるまで、そのまま思考にふけった。


 そんな様子に部下たちは顔を見合わせたものの、面会時間が終わるまで何も言わなかった。




 ***




 カルロはどうすべきか心底迷っていた。


 人生でこれほど冷や汗を流したのは二度目だ。


 自分のものでなくなった女に手を出して、その制裁に腹を掻っ捌かれ、中に鼠を詰め込まれそうになった時以来。


 その時に救ってくれた恩人が、今、本気でぶちギレている。


 傍目にはただ、自身の腕時計を黙っていじくるようにしか見えない。

 実際、部屋の四方に立つトゥアハデ兵は「話すことがないならとっとと帰れ」と言わんばかりにこちらを見ているが、カルロはそれどころではない。


 フィオリーノが腕時計をいじくりだす時は、本気マジギレしている時だ。


 そして本気でキレた時のフィオリーノは本当にやばい。ヘルハウンドのキレっぷりが可愛くみえるぐらいやばい。


 結局そのまま、なにも言えないまま面会終了になった。


 去り際に、フィオリーノはこちらを見向きもせず一言。


「ヘルを処刑する権利と引き換えに、特区の権利ぜんぶUSSAに譲渡することになったから」


「は?」


 詳細を聞く前に、カルロは部屋から叩き出され、タワーからも追い出された。


――はぁあああ……。


 部下の手前、なんとか対面は保ったが、内心クソデカい溜息をつく。


 色々と情報量が多すぎる。

 ヘルの処刑――は、ある程度予想していたが、特区すべてをUSSAに奪われるとは。部下になんと説明すればよいのやら。


 まさかと思うが、ヘル奪われたくないから全部差し出したんじゃなかろうな? あの男ならあり得る。


――まったく。本部になんて説明したら……。


 そこに至り、カルロはふと違和感を覚えた。


 本部、『晩禱の七傑』。彼らは今回の事態をすべて把握している。

 そのうえで、ヴァレーリ一家に経過観察と情報収集を命じた。つまりは待機である。


――名誉のために死ねと平気で宣う頭の固いジジィ連中が、今回の拘束には何も言ってこなかった。いや、言ってこられても困るんだが。なんで何も言ってこない? 首領が拘束されて人質扱いされてんだぞ?


 しばし口元を手で覆い、思考する。仮説を立て、収集すべき情報を脳内に箇条書きしていく。

 そのために取るべき行動をリストアップし、計画する。


「番犬にも共有しておくか」


 カルロはそうぼやく。


 非常に不愉快なことだが、ニコラス・ウェッブという男は狙撃だけでなく、意外と妨害工作にも長けた男である。

 陰気な性格ゆえに、陰湿なことが得意なのだろう。


 ヘルもまたよくもまああんな男を助手に選んだものである。絶対、過去に救ってもらった贔屓目だ。


 ともあれ、そうなると連絡手段が必要だが、あいにく現在の27番地は瓦礫の山に覆われ、執拗な電波妨害で周辺一帯は電話も繋がらない。

 近づく者は上空を周回する偵察ドローンに発見される。地下水道も先日の爆破で崩壊し、繋がっていてもいつ崩落するか分からない――。


「おいっ、てめっ、いい加減にしろ!」


「とっとと離れやがれ! そいつはベネデットさんの車なんだぞ!」


 考えながらタワー駐車場へ向かっていると、なにやら部下の騒ぐ声がする。


 見れば、自分の愛車――マセラティ・グラントゥーリズモの周りに部下たちが群がって、なぜか脱いだスーツのジャケットを振り回している。


――やれやれ。今度はなんだ。


 カルロが「何事だ」と声をかけると、部下たちが慌てて道を開ける。


 そしてそれが見えた。


「……鷲?」


 ボンネットの上に、白頭鷲がいた。


 それが翼を広げ、こちらを威嚇している。

 身体もデカいが、なんか態度もデカい。尊大にふんぞり返って、我が物顔で歩き回るせいで、ボンネットは傷だらけだ。


「え、なにこれ」


 あまりに現実味のない事態に、カルロは呆然と呟くしかなかった。






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次の投稿日は7月19日(金)です。

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