11-3

お待たせしました!!!




【前回のあらすじ】

 総攻撃から一週間。


 27番地の自爆攻撃は、USSAに思わぬダメージを与えていた。だがUSSA長官アーサー・フォレスターに焦りの色は全く見えない。


 一方、27番地は二枚目の切り札を切る準備にかかっていた――。




【27番地の登場人物】

●店長(ライオール・レッドウォール):カフェ『BROWNIE』の店長


●クロード:禿げ頭を野球帽で隠してるのがトレードマークのおっさん


●ルカ:口が達者でおませな少年団『雨燕』のリーダー


●テオドール・ファン・デーレン(3節登場):ちょっと古風な話し方のちょび髭商人


●ローズ嬢(4節登場):リベラル・モーターズ社の元令嬢


●ケータ・I・マクナイト(4節登場):元特警の生真面目な巡査部長


●ジャック(5節登場):ドローンの改造と操縦が得意のお調子者の少年


●ウィル(6節登場):ハッキングが得意な内気な少年


●アレサ・レディング(5節登場):五大マフィア『ミチピシ』一家当主の孫娘


●ギャレット(5節登場):ミチピシ領から27番地に移住したモーターサイクル・ギャング






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 特区27番地への総攻撃から、一週間が経過した。


「国境線沿いの建物を爆破し、その瓦礫でバリケードをつくる、か。大したものだ。切り落とした己が肉を積み上げ盾にしたわけだ。実にテロリストらしい選択だよ」


 上司にそう言われ、オヴェドもモニターに目を移した。


 廃墟と化した街が映っている。

 空襲にでもあったかのような様相だが、破壊の爪痕は27番地を見事に四角く切り取っている。予め周到に準備していたのだろう。


 オヴェドにとっても、こんな自爆装置を街に仕込んでいたのは予想外だった。いかれているとしか思えない。


「だが我々の勝利だ」


 上司、合衆国安全保障局USSA長官アーサー・フォレスターは、背を向けたままそう言った。


「今回の自爆で27番地は六割が倒壊、インフラも完全に破壊された。番地内へ通ずる道は地上も地下もぐちゃぐちゃだ。ほぼ途絶したと言っていいだろう。制空権も掌握済み。籠城したところで、時間が経てば経つほど有利になるのはこちらだ。

 27番地残党は地下を拠点に、残された地上への通路を出入りしてゲリラ攻撃を繰り返しているが、その巣穴の把握も着実に進んでいる。ひとまず、我々の勝利といっていいだろう」


 オヴェドは姿勢を正した。


 ひとまず、の言葉の通り、こちらも無傷とはいかなかったからだ。


「だが思った以上に世論の風当たりが強い。特に、国内外にブラックドッグの素性が公開されたのは痛かった。アフガニスタン紛争において我が国が『現地女性の解放』を政治戦略の一つに掲げていたことが裏目に出たな」


「野党などは、さっそく大統領批判の材料にしているようです。ブラックドッグを公聴会に召喚しようとする動きもあるとか」


「政治家の質も下がったな。『これまで虐げられてきたアフガニスタンの少女が、狂った父親のせいで誤った道を選んでしまった』……愚民ならまだしも、この程度の虚像を政治家まであっさり受け入れるとは」


「同時多発テロからもう12年です。あの悲劇が風化してしまうのも、無理はないかと」


「だから愚民は愚民なのだ。あの惨劇で失われた尊い犠牲、それを繰り返さぬようにと命を捧げた兵士。彼らを侮辱する行為にほからなないというのに、自覚がまるでない。

 今や国民の関心はテロリスト撲滅より、兵士の犠牲と軍費の財政圧迫に移っている。そうならないようコントロールするのが政治家の役目だというのに、どいつもこいつもライバルの足の引っ張り合いに夢中だ。まったくもって嘆かわしい。それにつけこんだ27番地もな。いかにもテロリストらしい姑息で厭らしいやり方だよ。もっとも――」


 フォレスターは指でつまんだ何かを眼前に掲げた。


 捕縛した標的が、肌身離さず身に着けていたものだ。


「こうするよう奴が彼女を唆したのだろうがね。ニコラス・ウェッブ……奴がブラックドッグに過去接点があったことは盲点だった。とんだ失態だ。いま一度、調査報告体制を見直す必要がある」


「そのネックレスを回収しようとした時が、一番暴れたそうです」


「そうか。またも騙されてしまったのだな」


 フォレスターはネックレスをぞんざいにデスクへ放り、長く息を吐く。


「つくづく哀れな娘だ。タリバンに、人道家きどりの反逆者の次は、偽善者の狙撃手だ。悪い大人に振り回され続けた結果、このような最悪の結果になってしまった。本当は彼女が望んだとおり、静かにすべて終わらせるつもりだったんだがね」


「……例の絵本は、どうされますか?」


「どうもしない」


 オヴェドの重々しい問いに、フォレスターはあっさり返した。気に病む必要もないと言わんばかりに。


「その絵本の作者がラルフ・コールマンであることは、状況証拠から明らかだ。公表されたところで、反逆者の一兵士が書いたものなど誰も気に留めんよ。国外からの反発にしてもいつものことだ。反米国家お得意の陰謀論満載のネガティブキャンペーンで片づけられる。時が経てばみな忘れる。それよりも、ヴァレーリ・ロバーチ両家当主の方が問題だ」


 こちらを見据えたフォレスターの視線が尖る。オヴェドは背で組んだ拳を握りしめた。


 ヴァレーリ・ロバーチ両家当主は絵本の告発内容を知っていた。

 本来であれば、即拘束しての尋問か、その場で射殺してしまうところだが、それができない。


 USSAもとい『双頭の雄鹿』はのである。


 なぜなら――。


「ヴァレリー一家本部の『晩禱の七傑』、ロバーチ一家最大後援者の一つ『ロマノフ正教会』。この二組織は『失われたリスト』メンバーの中でも最大出資者たちだ。身内の若手もコントロールできないとは嘆かわしい限りだが、迂闊に手を出してごねられても面倒だ。――両家の当主は今どうなってる?」


「零番地セントラルタワーに監禁しています。ですが、二組織とも我々が当主を拘束したことは知っているようで、説明を求むとの声が上がっています。二組織は、今回のリスト公表と特区廃止にも最後まで反対しましたから。当主二人に危害を加えれば、敵に回る恐れもあるかと……」


「それはない。二組織が我らを裏切ることはない。のだよ。仮に二組織が我らを害そうとリストのことを暴露すれば、我らもろとも二組織も破滅する。我が身が一番かわいいのが悪人だ。自爆まがいのことなどできまい。我らは運命共同体なのだよ。文字通りな。だが――」


 フォレスターはそう言いながら、デスク上の薬品瓶を手に取った。中に強力な腐食液が入っている。


 フォレスターのこだわりの一つだった。

 手こずらせた獲物ほど、自ら手を下したがる。


 司令であるがゆえに前線に出られない欲求不満を、こうして解消するのだ。


「いずれあの二組織も消す。正義の鉄槌を下し、必ず抹消する。悪人はこの世にいてはならんのだ。父上もとんだ汚点を残したものだ。古くからある強大な組織とはいえ、犯罪者に協力を仰ぐからこうなる。遺志も信念もなき輩に、我らの悲願の一翼を担わせたのが大いなる過ちだったのだ」


 唾棄するように口元を歪め、フォレスターは弾丸のネックレスを腐食液に放り込んだ。ジュウと音を立てて、黒煙と鼻をつく悪臭が漂う。


 弾丸のネックレスが泡に包まれ、溶けていく。


「人も世も正しくあるべきだ。悪を許してはならない。悪は抹消せねばならない。特区も五大マフィアもあの狙撃手もすべて消す。そのためにもまずは国民の目を覚まさせねばならん。巨悪を前にしてなお奮い立ち、自らの手で正義の名のもと裁きを下すのだ」


 殺気すら漂わせるその怒気に、熱狂に、オヴェドは生唾を飲み込んだ。


 そうだ。アーサー・フォレスターは狂っている。

 正義に狂っているのだ。


「冷戦が終わり、太平の世は我が国に安定をもたらさなかった。開拓者の定めというやつだな。我らは常に前へ進まねばならない。少しでも歩みを止めれば、これまで踏みにじり続けた過去が、我らを引き裂きにやってくる。我らは進み続けねばならん。前へ進むための指針がいる。

 そのための特区だ。いま一度、国民が一丸となるための巨悪――我が国に打ち滅ぼされるためだけに生まれた“絶対悪”。それがこの犯罪都市だ。だからこそ、私はこの街の誕生を祝福したのだよ」


 猛り狂う熱に気圧されながら、オヴェドは慎重に口を開いた。


「では。どう、されますか」


「二組織には私から説明をしよう。ヴァレーリ・ロバーチ当主への説得も私がやる」


「長官自らですか?」


「無論だ」


「例の絵本についてはどう説明します? ヴァレーリ・ロバーチ当主が知っているということは、二組織も知っている可能性がありますが……」


「必要ない。というより、話したところで無意味だ。あれは我々の脅威になりえないからな」


 怪訝な顔をしていたのだろう。フォレスターが振り返るなり、ふっと表情を和らげた。


「随分と心配性になったじゃないか。かつて出会って早々に私を試してきた青年とは思えんな」


「意地悪をおっしゃらないでください。あの時のことはいたく反省しております」


「分かっている。冗談だ。それで、私は君の試練を乗り越えられたかね?」


「ええ。あの時のものは」


「手厳しいな。今後も励むとしよう」


「冗談ですよ。ですが、心配しているのは本心です。本当に大丈夫なのですか?」


「ああ、問題ない。君は不思議に思わなかったか? その絵本が、本当に我らを脅かす物であるなら――」




 ***




「なんで公開しない……!? その絵本さえあれば、勝てるかもしれないんだろ!?」


 ニコラスの膝の上の絵本を奪わんと、今にも飛びかかりそうな勢いだった。


 怒りをあらわに詰め寄る住民らに対し、ニコラスは至極冷静に説明した。


「理由は三つある。一つ、絵本の謎が完全に解けていない。あの絵本が何かしらの役割をもって作成されたのは確かだ。USSAの悪行を告発しているのも事実だ。だが恐らくそれだけじゃない。まだ秘密が隠されてる」


「告発が事実ならいいじゃないか。あれから一週間たったが、ネット上の騒ぎはまだ収まってない。今のうちに絵本のことを投稿しないと――」


「そのネットの騒ぎとやらで、USSAは動揺しているのか? マスコミの反応は? おもだってUSSAを批判してる連中はいるか? 陰謀論好きのネット民が少し騒いでるだけだろ」


 住民らは一瞬鼻白んだが、すぐさま口を開く。


 それより早く、成り行きを静観していた店長が、静かに口をはさんだ。


「今、情報を開示しても陰謀論で片づけられる可能性が高いということかな、ニコラス」


「はい。今、公表するのは悪手だと思います。あの絵本は必ず切り札になる。不完全な状態で公表するのは避けたい。言うまでもないが、俺たちにはもう後がない。カードの無駄遣いだけは何としてでも避けたいんだ」


「一理あるね。それで、残りの二つは?」


 店長が話の流れをそれとなく搔っ攫う。

 会話を持っていかれて、詰め寄っていた住民らは渋々口をつぐんだ。


 ニコラスは内心店長に感謝しつつ、説明を続けた。


「二つ、これは現在USSAが全く動じてないことと繋がるんですが、仮に万全の状態で絵本を公開しても、USSAはラルフ・コールマン軍曹に反逆罪の罪をかぶせて誤魔化す可能性が高い」


「今のところ世間は『失われたリスト』のことを、“テロリストが資金獲得のために作成したもの”と信じてるわけだからな。完全にUSSAのでっち上げなわけだが」


 ケータの声に、ニコラスは頷く。


「ああ。だからUSSAの言い分を世間はすんなり受け入れるだろう。それじゃあ意味がない。そうでないと示す証拠が必要になるが、生き証人であるハウンドはUSSAに捕まってる。別の証拠が必要だ」


 説明を重ねるごとに、住民らの熱が下がっていく。

 水が完全に干上がった地下水道のコンクリート壁に熱を奪われてしまったかのようだ。


 だがそれは決して良い兆しではない。熱と引き換えに、言い知れぬ不安と不信が膨れ上がってくる。

 携帯ランプの光が届かない闇の中から、じわじわと迫ってくるように感じる。


 ニコラスは声を和らげ、言い聞かせるようにゆっくり喋った。


「大丈夫だ。ハウンドは必ず助けだす。そのためにも、まず俺の話を聞いてほしい。――で、三つ目の理由だ。絵本の告発をハウンドは知らなかった」


「え、そうなのか?」


 クロードの驚いた声がした。住民らも驚愕のあまり目を見開いていた。


「というより、ハウンドには読めない仕組みになってたんだ。彼女が色盲なのは、みんなももう知ってると思う。彼女にあの絵本の告発文は読めないんだ。唯一の生き証人であるにもかかわらず、だ」


「マジかよ。そいつは確かに妙だな。あの嬢ちゃんは、その絵本とやらとセットで超重要人物なんだろ? なにも知らねえってのは、ちっと不自然だな」


 剽軽だが真剣なこの声音はギャレットだ。

 ミチピシ領での騒動以来、27番地に移住したモーターサイクル・ギャングのリーダーは、普段のおちゃらけ具合が嘘のように冷静だった。


 ニコラスは目を落とし、絵本の表紙を撫でる。


「ああ。俺が思うに、これが一番重要な鍵じゃないかと思ってる。全部の謎が解けてからとは言わないが、少なくとも今、絵本を公開すべきじゃない。もう少し様子を見るべきだ」


「じゃあ今、その絵本は何の役にも立たねえってことなのか……?」


 住民の一人が恐る恐る尋ねた。嘘だと言ってくれという顔をしていた。


 ニコラスはすぐ首を振り、視線を合わせて力強く発言した。


「役に立つから待ってるんだ。どうせなら最大限の効果を発揮できる瞬間に切りたい。本来1万ダメージを与えられるはずのカードを、10ダメージしか与えられない時に出しても仕方ない。やるなら徹底的にやりたいんだ」


 ニコラスの言い分に住民は一応納得した形は見せてくれた。

 だが不安と落胆が消えたわけではない。皆が肩を落とし、途方に暮れていた。


「じゃあ、これからどうする? このままゲリラ続けてもジリ貧よ?」


 アレサの真剣な問いに、そうだ、そうだと声が上がる。


 ニコラスは、ミチピシ当主族長の孫娘からの合いの手に、心から感謝した。

 よくぞ聞いてくれた。


「ああ。だから二つ目の切り札を切る。この絵本の告発の信憑性を高めるため、ハウンド以外のもう一人の生き証人と連絡を取る」


「それって……」


 ケータの予想に応え、ニコラスは大きく頷いた。


「ああ。『シバ』とコンタクトを取る。ハウンドの恩師であり、長年アフガニスタンに尽くした日本人学者――シンジ・ムラカミだ。彼に協力を要請し、告発を裏付ける証言をしてもらう」


 全員からどよめきが起こる。


 シンジ・ムラカミ――ハウンド以外で、唯一存命している証言者であり、かつて『失われたリスト』が記されていた“手帳”の持ち主であるが……。


 真っ先に手を挙げ、異論を唱えたのは店長だった。


「無礼を承知で聞くが。彼、本当に実在するのかい? イーリスが遺してくれた情報によれば、アフガニスタンでUSSAの暗部実働部隊トゥアハデに捕まった際の拷問で重傷を負い、日本に帰国して以降、生死不明となっていたはずだ。仮に生きていたとしても、拷問の際に受けた傷が原因で、寝たきりで言葉も話せない状態と聞いている。そんな彼に証言ができるのかい?」


「いや。少なくとも話す程度には回復していると思います。俺の爺ちゃんが拉致された時、俺に電話かけてきたんで」


 ケータの反論に、店長は「君に……?」と訝しげに顔をしかめる。ケータも肩をすくめた。


「はい。なんで俺にかけてきたかは分からないんすけど……少なくともシンジ・ムラカミがちゃんと生きているのは確かです」


 ケータの発言に便乗するように、ニコラスは会話を繋げた。


「俺たちには絵本でだけでなく、“手帳”も手元にある。『失われたリスト』がすべて千切り取られて、証拠品としての価値は失われているが、シンジ・ムラカミ直筆の名が記された“手帳”だ。彼がUSSAの暗部実働部隊トゥアハデに捕まるまでと思しき記録も書かれてある。

 彼とこの“手帳”二冊、これらすべてがそろえば、絵本の告発以上の武器になり得る。これが、二つ目の切り札だ」


 住民の目に光が戻ってきた。


「そうか。そうだよ、俺たちにはまだ“手帳”があるじゃねえか……!」


「リスト書かれたページ全部千切られて意味なくなったって聞いてたから、すっかり忘れてたぜ」


「こいつさえあれば……」


 住民たちの間に、消沈してしまった熱が再び戻ってくる。


 が、それも数秒のこと。


「でもどうやって連絡とんの? その『シバ』って人、USSAが血眼になって探したのに見つけられなかった人なんでしょ? どうやって探すの? オレら、ここから出られないのに」


 ジャックの発言に、舞い上がった熱が急速に鎮火してしまう。


 ルカが呆れた声を出した。


「君さ、こういう時まで逆張りすんのやめなよ。ただでさえ追いつめられてるって時に」


「なっ、別に逆張りじゃねえよ! 追いつめられてるからこそちゃんと考えて行動しないと……」


「おお、そういう思考ができるようになったんだ。偉い偉い」


「頭なでんなっ。つかお前の方が年下じゃん!」


「……ジャックとルカの『どっちが一番のお兄ちゃんか』競争はともかく」


 ウィルが冷静に話を戻す。即座に少年二人から「してないっ」と返ってくるが、ウィルは見事にスルーする。


「……通信施設も潰されてる。妨害電波も日に日にひどくなってる。その『シバ』って人に協力してもらうにしても、外部に協力者がいないと厳しいと思う」


「だがこうして俺たちに話すってこたァ、当てがあるんだろ? なあ、ニコラス」


 クロードが繋ぎ、全員の視線が集中する。


 ニコラスは「ああ」と力強く頷き、立ち上がった。


「二人いる。コネも金もある強力な助っ人だ」




 ***




『なるほど。それでわたくしたちの出番というわけですね』


 かつての依頼人――ローズ嬢こと、ローズ・カマーフォード氏は朗らかにそう言った。


 崩壊してない地下水道を介し、通信妨害網の外まで移動したにも関わらず、音声は途切れがちだ。ここもすでに敵の手が回っているのかもしれない。


 それでもローズ嬢の明るい声は、ずっと張りつめていたニコラスの心をそっとほぐしてくれた。


『現在わたくしたちはフィリピンにいます。日本に潜伏中のそのミスター・ムラカミを探すなら、わたくしたちが適任でしょう』


「相方の方は大丈夫か?」


『今、わたくしの隣で子犬のように可愛らしく震えておりますが、大丈夫です』


 直後、「もうっ、いつもいつも無理難題ばっかり!」という男の情けない叫びが割り込んでくる。


 ニコラスは苦笑した。


 いちおう役職上はローズ嬢の上司でもあるこのちょび髭商人、テオドール・ファン・デーレンはビビりかつ小狡いところがあるが、やることはやってくれる男である。


『まったくっ、ローズ嬢が資金提供するというから動いてますけども。これ完全にボランティアですからね! 次はありませんからねっ、二度としませんからね!?』


「ああ、危険な仕事になると思う。二人とも、迷惑をかけてすまない」


『お言葉ですがミスター、わたくしは、わたくしが助けたいと思ったからこうして動いたのです。ねえ、テオ?』


『ええ。ヘルハウンド氏とウェッブ氏の無茶ぶりはいつものことですからねっ。はい、旅券確保しました。今すぐ空港に向かいますよ』


『ありがとう、テオ。――ミスター・ウェッブ、自分を守る術ならとうに身につけております。誰かを助けるなら、まずは自分を守れ、でしょう?』


「……ああ、そうだったな」


 かつて自分がかけた言葉を返されて、笑みが自然とこぼれた。


「頼む、ローズ嬢、ファン・デーレン。俺たちを助けてくれ」


『ええ。頼まれました』


『出世払いにしておきます。あとできっちり回収しますからね』


 ローズ嬢は嬉しげに、テオドールは溜息交じりに。だが二人とも、はっきり応えた。

 頼もしい返答だった。


「『シバ』の潜伏先については、イーリスが遺してくれてた」


『店長の奥様ですね』


「ああ」


 場所を伝えながら、ニコラスはかの老婦人に感謝した。


 『シバ』の潜伏先を突き止めたのは店長だった。

 イーリスの遺品を整理した際、金庫の中にファイル一冊に丁寧にまとめられて置かれてあったのだ。


 まるで自分たちがこうすることを予期していたように。


「イーリスによれば、シンジ・ムラカミ氏は過去の負傷で現在もまだ療養しているらしい」


『“トゥアハデ”の拷問にあったのでしたな』


『惨いことを……』


「ああ。だから日本政府もUSSAを警戒して独自に匿ってる。同盟国とはいえ、戦争の絡んでる陰謀に巻き込まれたくなないだろうからな」


『となると、ミスター・ムラカミと会うには、日本政府や公安警察からの妨害も予想されますね』


「できそうか?」


『やってみせますよ。――物資の方は、どれくらい持ちそうですか?』


「場所にもよるが、水と食料に関しちゃ平均して半年はもつだろう。あんたのクリスマスプレゼントのおかげだ」


『お役に立てたようで何よりです』


「ただ弾と医薬品がものすごい勢いで減ってる。本当は三か月分の量があったんだが、ここ一週間の攻勢で消費スピードがどんどん上がってる。この調子が続くなら、もって一月だな」


『ではそれまでに、なにがなんでも結果を出さねばなりませんね』


 ローズ嬢に「ああ」と返して、ニコラスは口をつぐんだ。


 穴の付近で待機していた通信班が、険しい顔で上を指さしている。


 上空を常時徘徊している偵察ドローンが近づいてきているのだ。潮時だ。


「すまない、ここまでみたいだ。なるべく通信設備も復旧しながらやってくが、今後の連絡は期待しないでくれ」


『承知しました。ご武運を』


『支払い前にくたばったら許しませんぞ』


 二人との通話を終え、すぐさまニコラスはマンホールへ逃げ込んだ。土煙と日光が消え、湿気とくぐもった反響音に包まれる。


 27番地の惨状は、通信設備が破壊される直前、ローズ嬢たちにもすべて伝えてある。

 先ほどの会話でローズ嬢がハウンドの名を一切出さなかったのは、彼女なりの気遣いだろう。


――『大丈夫だって。自分で使ったりしないから』――


 別れる直前、ハウンドは指先に挟んだ物を振りながらそう言った。


 奇襲を受け、騒然とする中で、場違いなほど穏やかな笑みで、どこか得意げだった。


「言っとくが。お前だけじゃねえからな、ウェッブ」


 振り返ると、通信班の面々が立っていた。


 うち一人、某野球チームの赤いパーカーがトレードマークの中年男が進み出た。

 平時は配線工事屋をやっているアトラスだ。


「クロードも店長もみんなハウンドのことを心配してんだ。俺たちに黙って飛び出してったのはお説教案件だが……ぜってえ助けに行くんだろ?」


「ああ」


「なら今は祈ろうぜ。ハウンドは大丈夫だ。なんてったって俺たちのリーダー、『六番目の統治者シックス・ルーラー』サマだぜ? あいつが簡単にくたばるもんかよ。大暴れして敵を振り回しまくってんに決まってる。だろ?」


 ニコラスは心から感謝した。

 自分とこれまで出会ってきた人々が、今こうして手を貸してくれる。この縁は、ハウンドが繋いでくれたのだ。


「ありがとな、アトラス」


「礼は今日の戦闘で返してくれよ、狙撃手スナイパー。今日はB2とG6ブロックに攻撃だとさ。朝食前の運動に、ひとっ走り行こうぜ」


「ああ。B1・G5ブロックのトラップエリアに誘いこむ。できれば物資の回収もしたいところだな」


「おうよ。敵からぶん捕ってやろうぜ」






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

次の投稿日は7月12日(金)です。

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