10-10
ニコラスたちはいったんチコの店に負傷したヨンハを担ぎ込んだ。
「恩にきます。解放してもらっただけでなく、治療まで……」
スツールに浅く腰かけ、前のめりに俯きながらヨンハはそう言った。
巨漢に似合わず手先の器用なチコのおかげか、顔の痛々しさはだいぶ半減した。それでもまとった黒スーツのネクタイは歪んでいて、カフスも留められていない。
負傷の身を鞭打って着替えたはいいが、それが限界だったのだろう。
カウンター席にもたれたハウンドが肩をすくめた。
「礼には及ばないさ。解放したのは私らじゃない。かといって、あんたがあの当主に感謝する必要もないと思うがな」
「であれば、私があなた方の監視役を仰せつかっていることもご存じなんですね。安心しました。私もあなた方を欺くのは本意ではありませんので」
ヨンハの乾いた笑みは、苦笑ではなく本当に苦痛を堪えた笑みのようだった。
それが治まるのを待って、ニコラスは尋ねた。
「その言い方から察するに、協力してくれるってことでいいのか」
「はい」
ヨンハは即答した。
「すべてお話しします。
固唾をのんで見つめるイヤドやチコを見、ハウンドに目を向け、最後にこちらに視線を合わせて、ヨンハはゆっくり語り始めた。
語られた内容は、ニコラスが推理した内容とおおむね一致していた。
チャンがフォーの昔馴染みの客だったこと。
特区に来る以前から、ポールダンサー兼娼婦として働く彼女のもとへ通っていたこと。
「本当に大事なお客様だったんです。アネモネ様が年頃の女の子のようにはしゃぐのは、チャン様の前だけでしたから」
アニメデータを盗んだのも、ヨンハたちだという。
「ただし盗んだのはチャン様のご自宅からで、職場の方には手を付けていません」
「PCの破壊方法に違いがあったのは、そのせいか」
とどのつまり、犯人が二人いたのだ。この場合、二グループというべきか。
「アネモネ様はただチャン様の遺産を守りたかっただけなんです。ただそれも、一家に拘束された際に破棄されました。予備に複製していたものもすべてです。残るはアネモネ様が例の監督……アネモネ様が
「すでに一家が手を回しているから?」
「はい。それに、監督の制作陣でデータ管理を行っていたプロデューサーが、実はターチィ娼館の常連客なんです。こう言っては何ですが、うちの客でもとびきりの好色家なので、言いくるめるのは容易かと」
つまり、チャンのアニメデータはすべて抹消されてしまった可能性が高いということだ。
ハウンドが溜息をついた。
「折檻所でフォーが投げやりだったのはそのせいか」
「はい、手は尽くしましたが……」
そこでチコが小さく挙手をした。
「アネモネやあなたたちがチャンの遺産を守ろうとしてくれたのは分かったわ。それで、誰がチャンを殺したの? どうしてあんな殺され方をしなければならなかったの?」
「……チャン様を殺したのは二人の妓女です。あるいはどちらかか。……私としては一人に絞ってしまいたいところですがね。そして、殺された理由は、アネモネ様への制裁です」
順を追って説明します、とヨンハは言った。
「ターチィの妓女は娼館での客接待だけでなく、独自に事業を始めることがあります。ビジネスに参入することで客層を広げたり、個人収入を増やして一家に還元し、自身の順位付けを上げたりできるからです。ナンバー持ちの妓女ほどこの傾向がみられます」
「その辺は他一家幹部と同じだな」
「はい。一番いい例が
合いの手を打ったハウンドをなぜか気づかわしげに見やりつつ、ヨンハは咳払いをした。
「ともかく、アネモネ様もこういった例にもれず、事業を始めようとしておりました。ですがあの方はその手のことには疎いため、すでに他の妓女たちが立ち上げた事業グループに後から参加する形で始めたんです。参加したのは
苦手なうえに初心者だから、先人に倣おうとしたわけだ。
だがヨンハは、これがまずかったと言った。
「ターチィはしょせん犯罪組織です。どれだけ綺麗事で着飾ろうと本質は変わらない。汚い事業も少なくありません。アネモネ様もその点は覚悟されておりました。ですが、その参加した事業グループが、ターチィ一家転覆を謀ろうとしていたことまでは見抜けませんでした」
「ちょっと待て。ということは……」
「そうです。暗殺されたリーリ様とチュリップ様、この二人が一家転覆を謀った張本人です。そしてあの暗殺もチュリップ様、いえ。もうツーと呼びましょう。あれは、彼女が仕組んだ自作自演です」
ヨンハは一番痣が集中していた腹をさすりながら、事の経緯を淡々と語った。
「皆さんもあの情報屋のことはご存じでしょう? 例の暗殺を請け負った刺客と行動を共にしていた男です。あの暗殺が起こる一週間前、あの男が我々を訪ねてきたんですよ。『殺したい相手はいないか? いるなら自分が取り次いでやる』と」
ヨンハたちはすぐに追い返したという。
「気味の悪い男でしたからね。ですがあの後に暗殺が起き、一家の者たちがアネモネ様の拘束に乗り出して、何が起こったのかを理解しました。ツーは事業が明るみに出ることを恐れ、隠蔽しようとしたんです。パートナーのリーリ様を殺害し、アネモネ様に罪を着せて逃れようとした」
「でもワンはビジネスパートナーだったんだろ? 口封じするにしてはリスクが高い気もするが……」
「事業の中心人物はツーで、リーリ様は、ツーが権威を借りるために利用していただけなんです。リーリ様はアネモネ様と同じくビジネスは苦手な人でしたから。それにリーリ様を殺せば、ナンバー・ワンの座はツーのものになる」
「ならターチィ一家も、その女にだまされたってコト?」
イヤドの質問に、ヨンハは首を振った。
「いえ、逆です。ターチィ一家もまたツーを利用しようとしているんです。
一家も馬鹿ではない。ツーがこれまでしてきたことぐらい気づいていたでしょう。ですがあえて黙認していたんです。
ターチィの強みは、女性人権を保護することで社会的正義を味方につけることです。ですがこれは犯罪組織にとって諸刃の剣だ。自分たちの商売に制限を設けることになりますから。
もっと儲けたい、でも法的に反することはできない。ならどうするか? 簡単なことです。自分たちの手を離れた元妓女が勝手に起こしたことにしてしまえばいい」
なるほどな、とニコラスは理解した。
「ツーは今回のことを見逃してもらう代わりに、その事業とやらで得た利益の一部を一家に渡す……これなら両者ともにウィン・ウィンなわけだ」
「そういうことです。一家からすれば、万が一の際はツーを切るだけで済む。それこそ暗殺で口を封じてしまえばいい。ですがこのまま一件落着とはいかない。ナンバーワンが暗殺されたわけですから。客を鎮めるためにも、一家の体面を保つためにも、偽の反逆者をでっちあげる必要がある」
「それでフォーが担ぎ出されたわけか……」
「待って、待って。ならアネモネはどうしてそんな筋書きに従ってるのよ。どう考えてもおかしいじゃないっ……!」
チコが逞しい肩を怒らせてカウンターから身を乗り出した。
なぜ自ら絞首台にあがった。なぜ大人しく殺されるのを待っている?
もっともな問いに対し、ヨンハは治療される前より顔を歪めて、俯いた。
「恐らく、待っているんだと思います。我々がチャン様の自宅に乗り込んだ時――」
「待った」
ヨンハの回答が強制的に中断される。ハウンドだった。
「ハウンドちゃん、止めないで。今は、」
「しっ」
ハウンドが口元に指を立てると、チコは口をつぐんだ。
途端、店内が静まり返る。
ニコラスも気づいた。微かだが、カウンター棚の酒瓶が揺れている。
「この震動……爆発か?」
ハウンドがそう呟いた瞬間、ハッとしたヨンハが店の外へ飛び出した。
「ちょ、おい!」
ニコラスたちは慌てて後を追った。そして店の外に出るなり、唖然とした。
北の夜空が赤く染まっている。まるでそこだけ昼間なように。
天に還る星屑のごとく、大量の火の粉が空へ舞い上がって煌めいていた。
「一等区の方角だぞ……」
「何があったんだ?」
近隣住民も外に出て、何事かとざわついている。
そんな中、ヨンハは膝から崩れ落ちた。
「やられた。
「おい、どういうことだ」
「……拘束された時、我々は同じ独房に押し込められました。そこで話し合ったんです。最悪の場合、脱出してフォー様を連れて逃げようと。私は以前、あの折檻所の看守もやっていましたから、監視の死角や抜け穴を知っているんです。ただタイミングを間違えれば自分たちが危うくなるし、抜け穴を知っているのは私だけです。その私がいないのでは――」
ニコラスは理解した。
残された連中は、ヨンハが釈放されたことを知らなかったのだ。独房から出された時も、別の部屋に移されただけだと思ったのだろう。
だから予定通り、脱獄した。フォーと連れて、いつの間にか成功率が極端に下がっていることも知らず、大博打に打ってでた。
――これも当主の狙い通りってわけか。
その時、盛大にクラクションを鳴らされた。
振り返ると、27番地輸送班のメンバーの一人が、トラックを急停止させたところだった。
「おいハウンド、ニコラス、今すぐ乗ってくれ。まずいことになった」
「何があった?」
ハウンドが尋ねると、メンバーは「どうもこうも」と咥えた煙草を噛み締める。
「一等区で大規模な反乱だよ。ナンバー・フォーだっけか? 折檻所にいたあの妓女が手下ども連れて脱出したんだと。一等区は逃げ出す客とデモ隊でもうめちゃくちゃだぜ」
ああ、とヨンハが顔を覆った。
その肩を掴んだ者がいた。チコだった。
「話はまだ終わってないわよっ。ツーは一体何をしようとしていたの、どうして
ヨンハの肩を掴んだまま、チコもへたり込んでしまった。丸まってしまったその大きな背を、イヤドが静かにさすった。
「おい、早くしろって! このままここにいたら巻き込まれるぞ」
メンバーからの呼びかけに、ハウンドは迷っているようだった。
こうなった以上、フォーを救う手は完全に断たれた。
でっち上げられただけなら不当な拘束と当主に訴えられるが、脱獄してしまってはそれもできない。本当の反逆者になってしまったのだから。
それでもハウンドはその場から動かず、じっと空を焦がす炎を見ていた。
「ハウンド」
彼女が顔を上げる。その黒く覆った瞳をじっと見据えながら、ニコラスはほんの少しだけ躊躇した。
本当は、これ以上彼女を関わらせない方がいいのだろう。
この問題は彼女にとって、いや――彼女だからこそ、辛いものになる。
だが、それでは彼女は納得しないだろう。
だから声をかけた。
「ここから先は、きっとお前にとってきついものになる。それでも、行くか?」
「うん」
ハウンドは即答した。散歩にでも行こうかと尋ねられた時のように、あっけらかんと。
「その話しぶりから察するに、お前だってまだ諦めてないんだろ? それに私がまだ気づけてないことに気づいてる」
「気づきたくなかったけどな」
「そうか。なら決まりだな」
頷きあい、ニコラスたちはうずくまるヨンハたちやイヤドのもとへ歩み寄った。
「店に戻ろう。私たちの仕事はまだ終わってないからな」
「本当の答え合わせといこう。そのうえで、あんたらの知恵を貸してほしい」
***
「いつから、気づいておられたんですか」
チコの店に戻り、ようやく落ち着いたらしいヨンハが弱弱しく尋ねた。
ニコラスは僅かに目を伏せた。
「俺は娼婦の子だ。んで俺がガキの頃、娼婦の摘発が進んでてな、売春を制限された娼婦どもが他にどんな手を使って稼いでいくのかこの目で見てきた。あとは……あんたの視線だな。さっき、あんたハウンドのこと気づかわしげに見てたろ。あれで確信した」
「……参りましたね。それで気づきますか」
チコとイヤドが「何の話だ」と怪訝そうに、こちらとヨンハを見比べた。
一方のハウンドはスツールに腰かけ、じっとこちらを見つめていた。
「結論からいこう。一家転覆をもくろんだツーが立ち上げた事業はなんだったのか、アネモネが制裁を食らった理由は何なのか。その答え合わせだ」
視線が一気にこちらへ集中する。誰かが息をのむ音がした。
ニコラスは静かに深呼吸をして、口を開いた。
「代理出産だ。ツーは特区初の代理出産産業を興そうとしていたんだ」
チコとイヤドがぎょっとした顔で目を見開き、ヨンハが無言に項垂れた。
対して、ハウンドはきょとんと目を瞬いた。
「代理出産? それってあれか、浮気とか托卵みたいな?」
「いいや、文字通り出産を代理することだ。方法としては、代理母の卵子を使う場合とつかわない場合の二パターンがあるが……早い話、他人の子供を妊娠・出産して生まれた赤子を依頼主に引き渡す、これが代理出産だ」
「他人の子供を妊娠……? そんなことできるのか?」
「できる。身も蓋もない言い方をすれば、子を授かるために金を払って女性の身体を一時的に借りるってことだ。ボランティアの場合もあるがな」
「なんでそんなことするんだ?」
「不妊治療や性的少数者カップルのためよ」
そう答えたのはチコだ。
彼の場合、女性言葉を使うだけの男性――いわゆる『OKAMA』らしいのだが、少数界隈の出なだけにこの手の話題には明るかった。
「子を産みたくても産めない女性、ゲイカップルだけど子供が欲しい人たち。代理出産は本来そういう人たちのためにあるの。彼らではどう頑張ったって産めないから」
「ワタシからしたらおぞましくて仕方ないネ。まるで肉屋ヨ、女の人の胎、売りさばく。孕み袋ネ。家畜売り買いするのとわけが違うヨ。神も恐れぬ恐ろしいことヨ」
「イヤドちゃんの言う通り、代理出産がいろんな問題を抱えてるのも事実よ。宗教的理由、契約上の問題、親子関係はどうなるのか、妊娠・出産のリスク……赤ちゃん工場だなんて言われたりもするわね。女性を子供製造マシーン扱いしてるとか」
「実際に起こった問題だと、ベビーM事件があるな。代理母が出産した赤子を依頼主に引き渡すことを拒否して裁判になった有名な事例だ。生まれた子が障害を持っていたために、依頼主が引き取りを拒否してトラブルになることもある」
「……詳しいね、ニコ」
「俺の故郷でも、食い扶持に困った元娼婦が何人かやってたからな。市場の半額以下の価格で代理出産を請け負うんだ。薬物・飲酒・喫煙はもちろん食事制限に運動に何からなにまで制限されるから苦労してた。中には妊娠途中で依頼主が離婚したから、中絶を強制されて泣いてた人もいた。他人の子だって分かっていても、割り切れないところがあったんだろうな」
「…………つまりツーが手を出したのは、女の胎を他人に有償で貸し出すビジネスというわけか。どうやって気づいた?」
だんだんと声が低くなっていくハウンドに、これ以上続けてもいいものかニコラスは迷った。
だが彼女の目や表情が「止めるな」と言っていた。
ニコラスは、慎重に言葉を選びながら続けた。
「違和感なら最初からあったさ。ターチィの妓女は健康状態が良すぎるんだよ。ナンバー持ちの妓女ならともかく、最底辺の三等区の妓女でもびっくりするぐらい健康的だ。病気どころか、食うに困ったことがねえんじゃねえかってレベルで肌ツヤがいい。
俺が今まで見てきたのが酷かっただけかもしれないが、いくら国内世論の目を気にしているとはいえ、犯罪組織のターチィ一家が最底辺の妓女にまで心を砕くとは思えなかった。
けど実際の彼女たちはいたって健康的だ。となると、彼女たちよりさらに下の層がいるんじゃないかと考えた」
「それはターチィ領内の男性だろ。ここの最底辺は一般労働者層の男だ」
「いいや。彼らだけじゃ足りない。ターチィ一家が五大会合に提出した資料によれば、ターチィの人口は約30万人、男女比は7対3だ。となれば、女性だけで9万人もいる計算になる。そのうえでだ、俺たちが監視してた教育施設あったろ? あそこに集まってた合衆国中の新米妓女、彼女たちがこの9万人にプラスされるんだ」
ここでハウンドも気づいたらしい。
ターチィ一家が仕組んだ巧妙な罠がなせる業、『ポチョムキンの村』だ。
ターチィは確かに人が多い。人口30万といわれれば、つい頷きたくなる。
だがそれは、一般開放で入ってきた観光客でかさ増しされた光景なのだ。
ニコラスもこの盲点に気づくのに時間がかかった。
「新米を運んでたあの大型バスは、大きさ的に定員50名ってとこだろう。それが毎日運行してて、運用時間は朝から晩までのの10時間、一時間に一回のペースで運んでくる。
単純計算でいえば、一日に500人の新米妓女がターチィに入国していることになる。一年間だと約18万人だ。元からいた9万人と足すと女だけで27万人だ。男の21万人を軽く超えちまう。
第一だ、本当に新米妓女が18万人も領内に流入してんなら、なんでターチィは女で溢れかえってない? いるはずの18万人はどこへいった?」
そもそもあの教育施設は狭すぎるのだ。明らかに募集した人数と釣り合っていない。
ターチィの番地すべてを開放しても足りないだろう。
そしてそこになぜか現れた有名女優。
調べてみたところ、彼女は子宮頸がんで子宮を全摘出した過去があった。
つまりあれは愛人探しではなく、自身の子を身ごもってくれる代理母を自ら選出しに来ていたのだ。
そのうえ、もっとおぞましい事実がある。
「あと、ターチィの女性は9万人いるって言ったが、たぶん9万人もいない。せいぜい2万か3万ぐらいだと思う」
「は?」
「え?」
ハウンドとチコが同時に声を上げる。
対して、さっと青ざめるヨンハを見て、これも当たりかと暗鬱な気分になる。
「ハウンド、教育施設を監視してた時、俺たちがいた倉庫を覚えてるか?」
「あ、ああ。ターチィ向けの商品を備蓄してたとこだろ」
「その商品な、生理用品なんだよ」
ハウンドは一瞬考えこんで、「ああ」と顔を上げた。
「やたらフローラルな匂いがすると思ったら、あれ生理用品だったのか」
「ああ。で、あそこで備蓄してるのは来月納品予定の商品なんだが、2000人分しかないんだよ」
「……それって少ないのか?」
「女性はだいたい月一で生理がくるのよ、ハウンドちゃん」
チコがそう言うと、「そんなに?」とハウンドは目を剥いた。
「もちろんターチィの女性全員がいっせいに生理になるわけじゃないし、すでに閉経した人だっている。生理不順やピルの服用によって周期に遅れが発生することもある。けど……いくらなんでも月に2000人分は少なすぎるわよねぇ」
「ああ。少なくとも9万人の若い女性を支えるには、月に2000人分じゃ到底足りない。そして生理用品においては、27番地がターチィ領内のすべての納品を請け負ってる。となれば、この量はどう考えても少なすぎる。多く見積もっても3万人だ。
となれば流入したはずの新米妓女18万人と、資料上に存在しない6万人、合わせて24万人。これだけの数が、ターチィ領から消えてる」
消えた女たちはどこへ行ったのか?
その答えに、ハウンドもすでに辿り着いていた。
「フォーが担っていた国境守備隊の管轄は、シバルバ国境……」
「そうだ。かつて不法移民の一大窓口だったあのシバルバ領だ」
「そこから海外へ送り出してたのか。その代理母ってやつを、妓女になれると偽って」
ハウンドの視線がヨンハに向けられた。その「嘘だと言ってくれ」と言わんばかりの眼差しに、ヨンハは折れた。
「ウェッブ様が推察した通りです。ツーが立ち上げた事業は代理出産産業、生殖アウトソーシング・サービスだったんです。アネモネ様を事業に誘ったのも、アネモネ様がシバルバ国境の守備を担当していたからです。文字通り、海外に“出荷”するのに自陣に引き入れておいた方が、ツーにとって都合がよかったんですよ」
「……妓女候補者のチェックがザルだったのは」
「ええ。必要がなかったからです。欲しいのは優れた容姿でも経歴でも能力でもない。母体となりうる健康な身体、それだけです。本格的な身体検査は受け入れ後に、例の教育施設にて行われていました。あそこは妓女の教育を施すための場ではなく、母体の状態を調べて選り分けるための医療施設だったんです。競りと一緒です、値札をつけて後は出荷するのを待つだけ」
ハウンドは、五秒ぐらい押し黙った。再び口を開いた時には、声がかすれていた。
「女性にとっての理想組織、か。その実態がこれか」
「残念ながら。結局のところ、この花園を享受できたのは一部の女性だけで、残りの女性は男性と同じく――いえ、それよりもっと過酷な搾取を受けていたんです。ごく一部の強者女性が、弱者女性を搾取する……」
「ということは、チャンが殺されたのは」
「アネモネ様が、代理母となる女性の一部をツーに黙ってこっそり逃がしていたからです。バスが故障したから引き返させたとか、シバルバの内乱悪化で輸送ができないだとか。
……あの方も国内娼婦から、それも底辺の出から成りあがったお方ですから。かつての自分と同じ境遇の女性たちが、知らぬ間に代理母として海外に出荷されていく様に耐えられなくなったんです」
だがそれがバレてしまった。
「最初は、チャン様への妨害だけで済んでいました。彼がやっとの思いで通したアニメ放映企画が一方的に破談となり、スタッフの退職が続出しました。くわえて融資元の金融業者からも利率と返済期間を急に変更され、会社が一気に傾きました。
あの女は実に巧妙でしたよ。はたから見たら、企画に失敗してスタッフにも金融業者にも愛想をつかされたようにしか見えませんから」
「ですが私は気づきました」とヨンハは拳を握った。
「アネモネ様もすぐ何が起こっているのか理解されました。チャン様を国外へ逃がそうとしました。ですが彼は拒んだんです。『今さらどこへ行っても変わらない、だったら君にすぐ会える場所がいい』と。……我々の事情を話さなかったことが裏目に出ました」
そこで仕方なく、ヨンハたちはチャンの護衛を厳重に行うことにした。
その合間に、フォーはツーに妨害されてしまったチャンのために動いた。
「ツーから例の監督を奪った騒動は、それが原因だったのか」
「はい。あの女は気まぐれな性格ですから、ああいうスカウトをしょっちゅう受けては袖にして、自慢していたんです。普段からそういう様子でしたので、アネモネ様も一人ぐらいなら接触しても問題ないだろうと思ったようです。
あの時のチャン様の落ち込みぶりは相当なものでしたから、見ていられなかったんだと思います」
けれど、その時に限ってツーは客を取られたと大騒ぎした。フォーが規約違反をしたことも明るみになってしまった。
「アネモネ様は謹慎を命じられ、我々も活動を縮小せざるを得ませんでした。それがあの女の狙いだったんです」
ヨンハの握った拳が震えた。
チコが口元を覆い、イヤドが沈痛な面持ちで黙りこくる。
「謹慎の影響で部下の半数以上が自宅待機を命じられました。本来なら十人がかりだったチャン様の護衛も、そのせいで二人に絞らざるを得ませんでした。それで、やられました。護衛との定時連絡が途絶えて、すぐに探したんですが……何もかもが手遅れで……」
ツーはフォーへの制裁を成し遂げた。彼女の大事な客の命を奪うことで。
あるいは格下の女に客を奪われたことへの意趣返しがしたかったか。
「チャンの職場からデータを盗み出したのも、ツーの仕業か」
「はい。ただあの女の狙いはデータの破壊でした。何もかも奪ってやるつもりだったのでしょう。間一髪でチャン様のご自宅のデータは確保できましたが、それも……」
それきりヨンハは黙りこくってしまった。
ニコラスもハウンドも、全員が重苦しい沈黙に沈んだ。
しかしそんな中でも、真っ先に立ち直ったのはハウンドだった。
「……事情は理解した。それで、ここからどうするかだ。二人とも、どうしたい?」
「どうもこうも」
「アネモネは今や本当の反逆者になっちゃったし……」
イヤドとチコが言いにくそうに呟く。もう打てる手なんてない、そういう顔をしていた。
実際その通りではある。しかしハウンドが言いたいのはそういうことではない。
すかさずニコラスが合いの手を挟んだ。
「そういうことじゃない。俺たちは代行屋として依頼を請け負ってここにいるんだ。だから依頼人であるあんたらの意見を聞いている。イヤド、チコ、あんたらはどうしたい?」
二人は顔を見合わせると、
「ワタシはチコに従うヨ。もともと依頼したがったのチコ、ワタシもチャン大事だったけど、チコもっと大事。フォーも大事。だからチコが決めたらいいネ」
と、イヤドは肩をすくめた。
チコは「アタシは」と一瞬口ごもり、一息入れてから、再び口を開いた。
「アタシは、チャンの敵討ちがしたい。落とし前をつけてやらなきゃ気が済まないわ。ツーって女の陰謀を木っ端みじんに打ち砕いて、アネモネを救い出す。これがアタシの望みよ」
そう言ってチコが拳を振るった。彼なら本当に木っ端みじんにできそうだ。あくまで物理的な対象に限るが。
だが当然、現実は甘くない。
「ちょっと現実的じゃない気がするネ。全部は無理ヨ」
「なによ、イヤドちゃん。アタシの好きにしていいっていったのあなたじゃない」
「それとこれとは話が別ネー」
「なに言ってんの! どんな不利な状況でも、気持ちで負けてたらそこで試合終了なのよ。もっとパワフルにいかないとっ。アタシたちは絶対に勝つ! 男だろうが女だろうが、根性さえあればなんとかなるのよっ」
「うーん、そうカナー……」
「そうよっ、イヤドちゃんも気合入れなさいっ」
「パンチの練習する?」
いや、パンチの練習はしなくていいと思う。
というか、なんかリベンジマッチを望むスポーツ選手のようなことを言っているが、実際にやるのは血みどろ殺伐の仇討だ。分かっているのだろうか。
あとチコ、いつまでシャドーボクシングを続ける気なのだろう。繰り出すパンチの拳圧でなんかもう扇風機みたいになっているが。
その時だった。
「いや。あるかもしれん」
ハウンドが呟いた。
ヨンハが「本当ですか……!?」と真っ先に食いついた。ニコラスもすぐさま話に乗った。
「具体的にはどうやって?」
「
「狙うつったって……当主が黙認したのは、今回のツーの悪事が金になるからだろ。説得すんなら対抗馬を用意しねえと厳しいぞ。フォーに別の商売でも始めさせる気か」
「いや、そうでもない」
こちらに反論しつつ、ハウンドは人差し指を振った。
「あのババアが本当に金の亡者なら、私の争奪戦に真っ先に参戦してきたはずだ。でも高みの見物を決め込んだろ? 壺の中で互いを喰い殺しあう毒虫を眺めるようにな。
あのババアは金と娯楽なら娯楽を優先するきらいがある。それにターチィは北米ではなくアジア圏での活動を重要視している。今回の騒動は当主にとって風で落ちた果実のはずなんだ」
「つまり?」
「フォーがツーより“おもしれー女”だと証明すればいい。かつフォーが当主に従順で、アジア圏で役に立つ女であることを示す。これなら当主を説得できるかもしれない」
憶測からの判断であるが、筋は通っている。が――。
「ただこの案は、フォーが頑張ってくれないことにはどうにもならないんだよな~……」
「そうですね。チャン様の遺品も奪われてしまいました。この状態から奮い立つのは、もう……」
ハウンドが天井を、ヨンハは床を見て、お互い深々と溜息をつく。
ニコラスも同じく溜息をつきかけ、出しかけた呼気を喉元で戻す。
待てよ?
「なあヨンハ、さっきチャンがツーにやっと通した企画を台無しにされたって言ってたよな?」
「え? ええ、そうですが」
「なら、その企画相手にチャンがデータを渡した可能性は? アニメの企画がどういうもんか知らないが、もし先に作品が完成してんなら、完成データをみせてから交渉するんじゃないか? フォーが落ち込んでるのが、なんとか守り切ったはずの遺品を奪われちまったことなら……」
青天の霹靂とはまさにこのことだったのだろう。ヨンハの目に見る見るうちに光が満ちていく。
「ええ、ええ。そうです、その通りです……! どうしてこんな簡単なこと、思いつかなかったんだろ」
すぐ調べますとヨンハは自身のビジネスバッグに飛びついた。
彼が自身の車の座席下に埋め込む形で隠していたもので、彼の釈放と同時に自分たちが回収しておいた。
中にはヨンハがこれまで関与したすべてのデータと資料が入っていて、ターチィ一家が気付かなかったのは行幸と言える。
一方のハウンドは、すでにある場所へ電話をしていた。
「チャンの同僚に確認した。例の監督に渡したものほどブラッシュアップされてないが、データを渡したのは確からしい」
ようやく活路が見えてきた。
打開策というには博打が過ぎるが、このまま指をくわえて黙ってみているよりよほどいい。
思えば、自分たちの依頼はいつもこんなものばかりだ。
「ありました! これが企画相手の――」
歓喜の声が急速に絞んだ。
また何か問題がと振り返ってみれば、なぜかヨンハは困惑顔で立ち尽くしていた。
「あの、これが企画相手なんですが、その」
ヨンハは資料の一部に記載された名を示した。
『マシュー・アンドレス・バレンシア』
どこかで聞いたことのある名だ。
続けてヨンハがこの人物の説明をした。それを聞くなり、ニコラスたちはあまりの偶然に目を見開いた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次の投稿日は4月19日(金)です。
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