10-9
27番地倉庫街の片隅の一棟にて。
積みあがった段ボール箱の山の頂で、ニコラスは鼻面にしわを寄せて胡坐をかいていた。
「これからどうするんだ」
「どうもならなないよ」
同じく山頂に寝そべったハウンドがそう答えた。
棟全体を埋め尽くす段ボール箱からは、香りつきトイレットペーパーのようなフローラルな香りがした。
「拘束されたフォーは罪を認めた。一家の規定に背いてチャンを優遇し、それがバレて一家にチャンを殺され逆上し、ワンとツーの暗殺を依頼した……。どんな事情があったにせよ、本人がそう自白した以上、こちらにできることはもう何もない」
「あの自白で、本当にそうだと思ってるのか? たしかに俺も、フォーがアニメを盗んだところまでは推測していたが……。ワンとツー暗殺については、どう考えても部下を人質に取られて、仕方なく一家の筋書きを飲んだだけだろ?」
ニコラスは先ほどのやり取りを思い出しながら腕を組んだ。
数時間前、ニコラスたちは、一等区娼館街の北部エリアにいた。
一等区で最も低ランクの妓女が集う区画であり、何かしら問題を起こした妓女を収容する折檻所がある場所でもあった。
問題を起こした妓女を処分ないし再教育し、型落ち価格で競りにかけ外部に売り飛ばすのだという。
フォーは中でも、一番の重罪人が収容される牢に入れられていた。
肌が傷つかぬよう内に絹布がはられた手枷足枷をつけられて、椅子に固定されていた。
約六時間に及ぶ交渉の末、ようやく面会が認められたニコラスたちは、そのやつれ果てた姿に驚いた。
最後に会ってからたった数日しか経っていないというのに。
「へえ、そこまで辿り着いたのね」
面会はたったの三分。
手短にニコラスが今回の騒動の真相を、推測を交えて説明すると、フォーは小さく嘆息した。
病人があえぐような苦しげなものだった。
「この情報屋に心当たりは?」
話を聞き出す前にスリーに射殺されてしまった情報屋の写真を、ハウンドが目の前に掲げた。
フォーは「知らないわね」ときっぱり答えた。
「ヨンハは
「あたしが知らないことをあいつが知っているのはよくあることよ。あいつは馬鹿なあたしに代わっていろいろ工面してくれていた。そんなに聞きたいなら本人に聞けばいいじゃない」
「聞こうにも聞けないんだよ。君の部下は全員拘束されている。君の拘束に抗議した結果、一家への反逆罪で全員が解雇され、一部は北部エリア(ここ)に収容されてる。ヨンハもだ」
「……そう。さっきぼろぼろのスシロがここに連れてこられたから、嫌な予感はしてたけど。そう。自白したところで、意味なんて何もなかったのね。近いうち、あいつもここへ連れてこられるかも。指が切り落とされてなけりゃいいけどね」
そう自嘲気味に笑って、一転、フォーは表情から一切の感情を振り落とした。
「聞きたいことならもう散々一家の尋問官に話したわ。昔馴染の客を殺されてムカついたからワンとツーを殺そうとした。それだけよ。話すことなんて何もないわ」
「部下の独断ということは、」
「ない。全部あたしの命令よ」
こちらの質問を、フォーが口を塞ぐように語気を強めて答えた。
その強引な受け答えが、ニコラスにはこれ以上奪われまいとやけっぱちになる人間特有の強がりにしか見えなかった。
――類は友を呼ぶ、か。
ちらとハウンドを一瞥し、フォーに目を戻して、ニコラスは静かに深呼吸をした。
そして敢えて、挑発的な質問をフォーに投げつけた。
「部下のことを把握していないといいながら、部下の罪は背負おうとするんだな。あんたはさぞ都合のいい上司だったろうさ。部下に利用されただけじゃないのか?」
途端、フォーは無気力な無表情をかなぐり捨てた。
喉笛に食らいつきたいのを、椅子に縛り付けられているため不承不承になんとか堪えた。そんな表情で、真っ白の歯を軋らせるような声音で、こちらを睨み上げた。
「あんたに何が分かるのよ。頭のいい女に飼われて、自分の技量に見合う采配をしてもらってここまで来たくせに。あたしにそんな頭はない。あたしはヘルのようにはできない。あたしにできるのは、気に入った男を可愛がって、持ってきた成果に見合うものを与えるだけ。チップもらってもう一曲踊る、可愛がった客からプレゼントをもらう、娼婦の時と変わらない。あたしはしょせん田舎者の芋くさい売女なのよ。あたしがここまで来れたのも、運がよかったのと、部下たちが勝手に頑張っただけ」
「どうしてそこまで一人で罪を背負おうとする。真相はまだ――」
「これでいいの!」
金切り声に、ニコラスは思わず口をつぐんだ。
たったそれだけですべての体力を使い果たしてしまったように、フォーは荒く息をつくと乱れた髪で顔を隠してぽつりと呟いた。
「これでいいのよ。もう、疲れた。何もしたくない」
それだけ言って、フォーは俯いたまま、首をかしげてハウンドを見上げた。
「ヘル、あんたなら全部分かってるんでしょうね。あんたの鼻はなにもかもお見通しだもの。でもあんたにできることは何もないわ。ここから先は一家の問題。代行屋が口出しできる範囲を超えてる」
三秒ほど黙りこくって、ハウンドはそうだなと頷いた。
「君の言うとおりだ。私にできることはもう何もない。ただ君から嘘のニオイはしないよ。泣いてる人間のニオイがするだけだ」
フォーは何も言わずに、視線を足元に戻しただけだった。
「あれはどう考えても、何か知っている人間の反応だぞ?」
「だからこうして監視してるんだろ。フォーがわざわざ去り際に言ってきたんだ。何か意味があるはずだ」
上半身を起こし、ハウンドがこちらに寄ってきた。
ニコラスが先ほどから覗いているノートパソコンの画面を見るためだ。
ターチィ領三等区、シバルバ領に隣接する38番地のとある一角。
そこに停車した車両整備出張用トラックの荷台の、天井四隅に設置された小型車載監視カメラが、道路反対側にある黒褐色のビルをリアルタイム映像で映していた。
結局なにも語ってくれなかったフォーだったが、去り際に頼みごとをしてきた。
『
『ターチィが合衆国内の娼婦を積極的に引き込んでるのは知ってるでしょ? うちじゃそういうのはバスで迎えにいって、そのまま三等区の施設に連れていって教育すんのよ。そのバスが足りてないの。余ってんなら貸してくんない?』
面会時間の終了を告げる尋問官に妨害されてそれ以上は聞き出せなかったが、ハウンドは何かのメッセージではないかと考えた。
だからいったん大人しく27番地に帰り、協力者のトラック荷台に監視カメラを仕込んで、例の教育施設の監視をしているというわけだ。
「フォーと車両整備の件で連携をとっていたのがこんな形で役立つとはな」
「部品の発注業者は一般労働層の商売人であって、フォー直属の部下ではないからな。今回の処分を免れたんだろ。なんにせよ協力してくれる人間がいて助かった。ここら一帯の受注はやってないから、うちの車両がいると目立つんだ」
「だな。というか、本当にひっきりなしに来るな。大型バス一台とはいえ、一時間に一度はかなりのハイペースだぞ」
バスから降り、トランク一つを引っ提げて施設の中へ続々と入っていく、若い女たち。年は10代後半から20代後半といったところか。
「ターチィの給料、最低でも国内娼婦の平均月収の二倍だからな。そりゃみんなやってくるよ。ツーやフォーみたいな成功者もいるわけだし」
「ツーも国内出身なのか?」
「ネバダ州老舗娼館の新星でね。いわば国内娼婦の上澄み層で、ターチィ当主の目に留まったのも、そもそも目に留まりやすい立場だったからってのがある。本当に普通の娼婦から成りあがったのはフォーだけかも」
その新人妓女の憧れが拘束か。アメリカンドリームを夢見た女たちはさぞ失望するだろう。
意気揚々と施設へ向かう若い女たちを眺めながら、そんなことを思った。
そんな矢先、妓女の卵たちの前を、プラカードを掲げた集団が覆い隠していく。
「なかなか大規模だな」
「一般労働層の男性からしたら特にね」
ニコラスは画面を注視した。
デモを行う一般労働層の男たちを、三等区の妓女たちが冷めた目で眺めている。
ターチィでも底辺であるはずの彼女たちは、化粧や衣装こそ派手だが健康状態はよく羽振りもよさげで、他領とは大違いだった。
一方の男たちは他領の三等区住民と同様、貧民街のどこにでもいそうないでたちで、有色人種、特にアジア系の比率が多かった。
ヨンハが語っていた“出遅れ組”である。
彼らが虐げられた要因は、人種差別ではなく単純に身長が低いせいだろう。顔は整形、体格は鍛えればどうにかなるが、身長だけはどうにもならない。
「ターチィ領の男は妓女にとっての働き蟻だ。見てくれのいい数匹は女王蟻の交尾相手になれるが、それ以外は労働力として使い潰される。自然界だと働き蟻は雌しかいないんだけどさ。ともかく、官僚にも兵士にもなれなかった彼らからすれば、フォーは唯一残された出世コースだったんだ。フォーは出自や外見を問わず部下を雇うことで有名だったからね。しかもトップ5に入る大物だった」
「そんなフォーがいきなり幽閉されて、自分たちの唯一の道が断たれて怒り狂ってるわけか」
「というより、前から限界だったんだと思う。今回のは、火薬庫に煙草を投げ込んだようなもんさ。国内の政治団体もターチィでの男性搾取についてはだんまりだからね。連中にとっちゃ男は女を性的搾取し続けた悪人で、虐げられても文句の言えない救済対象外なんだ。社会的お墨付きがある以上、彼らが救われることはない。だからこそ、今回の騒動は大問題なんだ」
真相はどうであれ、領内ではフォーが一家に刃向ったことになっている。
虐げられる一般労働層の男性からすれば、フォーは彼らにとってのジャンヌ・ダルクだ。
「暴動が起きるぞ。ただでさえ一家の武力の一翼を担っていた妓女が幽閉されたんだ。部下も全員拘束されてるみたいだし、鎮圧できるだけの兵が残ってるかどうか」
「自分の首を絞めるようなもんじゃないか。なんでまた」
「ターチィはもともと極東アジア圏を主軸に活動してたから、こっちでの活動にあまり重きを置いてないんだよ。中国政府との繋がりも深いみたいだし。ともかく、しばらくターチィへの配送業務は外部に委託しよう。しばらく揉めるぞ、これは」
「……本当に、何もできないんだろうか」
「情報屋も刺客も死んじまったからな~……。嘘かどうか確かめようにも、本人が死んでるんじゃなぁ」
頭を乱暴に搔くハウンドを横目に、ニコラスは目を伏せた。
あの時のヨンハの反応を見るに、あの情報屋はフォー陣営とも接触したのだろう。
フォーにも“銘あり”にもいい顔をしようとして、しくじったか。
「けどあの時、情報屋は『フォーがワンを殺した』と言った。たしかに致命傷ではあったが、本人が死んだかどうかを知っているのは、あの場で俺たちしかいなかったはずだ。なのにあいつは知っていた」
誰かが情報屋にワンの死亡を伝えた。
「情報屋が“銘あり”の指示で動いてたってこと?」
「可能性としちゃありだろ。“銘あり”こと『双頭の雄鹿』にとって、特区の混乱は願ってもない機会だ。やり方としちゃかなり回りくどいが、27番地を攻めるなら、ヴァレーリ領に隣接するターチィ領を橋頭保にするのは大いにありだ」
「そうだな。けど確かめようがない」
それなのだ。
情報屋も刺客もスリーに射殺されてしまった。
独断で動こうにも、ターチィに侵略疑惑をかけられればもっと面倒なことになる。
完全に手詰まりだった。
唯一残されたのは、フォーが残したメッセージだけ。この妓女の教育施設が、いったい何を意味するのか――。
「フォーはああは言っていたけどさ、人を見る目はちゃんとあるんだよ。気に入った男を可愛がるだけじゃ、あの地位には辿り着けない。学歴がないコンプレックスに囚われているだけで、決して馬鹿じゃないんだ」
独り言つようにハウンドが呟いた。
手元の指を何度も組みなおして、その隙間から零れ落ちたものがなかったか確かめるように。
「彼女に見抜けなかったことがあるとすれば、自分が反旗を翻せば部下たちは自分を捨てるに違いないと思い込んでいたところだ。自分の利益だけ求めてる連中なら、フォーが捕まった時点でとっくに他の妓女に鞍替えしてる」
ハウンドは長く息を吐きながら、再び段ボール上に寝そべった。
「ああ見えて、フォーは自己肯定感がすごく低いんだ。自分が無能だと思い込んでいるからこそ、絶対に部下の邪魔しないし、忠告も素直に聞く。部下たちはちゃんと慕ってたんだよ。それを本人が気づいていなかったことが、彼女の最大の欠点だな」
「彼女のこと、よく分かってるんだな」
「まさか。単にフォーがターチィで一番絡みやすかっただけさ。フォーだって、私に利用価値があるから仲良くしてただけ、その程度の友情だよ。本当のところは何も知らない。彼女からチャンみたいな客の話も聞いたことがなかったし……」
「それはただの守秘義務だろ。少なくともフォーはお前を大事に思ってるよ。こないだの夜会だって――」
ニコラスは口をつぐんだ。
不審な人物が監視カメラに写っていた。
施設一階の開け放たれた窓から、一人の女性が見えている。
「ハウンド、これ」
「この女、どっからやってきた。バスから降りた中にはいなかったよな?」
「おそらく表の店からだ。建物の外観から察するに、この教育施設は三等区表通りの娼館と連絡通路でつながってる。私服姿の妓女という可能性もあるが――」
そう言いつつ、すでに頭の中でその説を否定していた。
堂々としているが、妓女ではない。
化粧に夜職特有の派手さがないうえ、施設に来るのは初めてなのか、あたりを興味津々に見まわしている。
妓女の卵にしても身なりがよすぎる。年齢も高めだ。それに――。
「この顔、見覚えがあるな」
「どこで見た? 国内か、特区か?」
「いや、テレビで見かけたことがあるって話だ。たぶん女優だったような……」
すぐにブラウザを開き、記憶にあるドラマのタイトルを片っ端から入力して調べてみると、ヒットした。
「こいつだ」
「去年のアカデミー助演女優賞とった人だな」
「そんな大物がなんでここに……」
ハウンドは「ふ~ん」と唇を指で挟み。
「まあ、こっちの方が足がつきにくいっちゃつきにくいか」
「は?」
「愛人だよ、愛人。セフレ、ベッドのお供。名の知れた妓女だといろいろ噂になっちゃうだろ?」
ニコラスは発言の意味を理解するのに二秒ほどかかった。
「愛人って……女性だぞ?」
「別に珍しくないだろ。ヴァレーリが提供するエスコート・サービス (日本でいうデリヘル)の顧客も二割は女性だぞ。女性指名の客も少なくない」
「い、いや。それはともかく。わざわざ新人もっていくか?」
「初心なのがいいって奴もいるんだよ。ターチィの風俗は国内でも有名だし、一旗あげたいって未経験の若い娘もやってくるんだよ。私も昔、そういうのの世話になったことがある」
「……はあ!?」
「大声出すなよ……別に身体は売っちゃいないよ。フランスの大富豪でな。女のくせに大の処女好きで、15歳以下の少女で見どころがありそうなのを拾っちゃ、自分好みの女に育てるのが趣味の変わり者さ。金がありすぎてやることなすこと全部すぐ叶って退屈だから、予測できないものに投資したいんだと」
「は、はあ」
「使いようによっちゃすげ~役に立つんだぞ? 特区に来たばっかで金も人脈もなかったころ世話になったもんさ」
「……それってそのぶん見返りも求められるんじゃないのか」
ハウンドはさっと目をそらした。ピップピュ~だなんて口笛まで吹いている。
「緊急招集、今すぐ組合で緊急会議だ。店長呼んでくる」
「待て待て待て。落ち着け、な? 別にちょっとなんだよ。ちょっと出世払いにしてもらっただけなんだって。変態と馬鹿とはさみは使いようって言うだろ?」
「じゃあその変態に見返りで何を要求されたんだ?」
途端、ハウンドは耳まで真っ赤になって固まった。
あわあわと視線をさまよわせ、よく分からないジェスチャーをしたかと思えば、急にシュンとしおらしくなって指先をもじもじさせる。
大変愛らしい様子だが、その態度が答えである。
「まずその変態の暗殺から始めるか……」
「わあ待って、待って! ナニやったか話すから殺すなっ、貴重な金づるなんだよ~……!」
「べっ、別に内容が聞きたいんじゃないっ。つかその金、お前ぜったい自分のためのじゃないだろ……!? 俺たちそんな金に困ってないからっ」
「金はいくらあったっていいだろ! それにもとはと言えばニコのせいなんだぞっ。あの変態、数年ぶりに電話かけてきてツケの話しだしたかと思ったら、なぜかニコのこと知ってて持ち出してきて……」
「待て、その見返りに俺も入ってるのか!?」
「そうだよ! ニコと○○(すごく小声でごにょごにょ言ってて聞き取れない)してるとことか、○○○してるとことか、お互い○○○〇しあってるとことか! ともかくやることなすこと全部お前がセットなんだよ!」
「分かった分かった、俺が悪かったから! 緊急招集も店長呼ぶのも止めるから……」
「当たり前だ馬鹿っ。言ったら一週間毛布の中に籠城してやる!」
こうして脅された(?)ニコラスは、なぜかハウンドのイケナイ秘密を共有することになった。
そんなわちゃわちゃしつつも、真面目に監視を続けて八日後のこと。
事件は起こった。
***
「断る」
確固たる口調のハウンドを背後から見守りつつ、ニコラスはさもありなんと思った。
「代行屋への依頼ならまだ分かる。だが27番地の兵力の半数を寄こせとはどういう了見だ?」
「別に無理難題ってわけじゃないだろう。ターチィと27番地は同盟関係にある。同盟者に助力を乞うのは、そんなにおかしなことかねえ?」
そう、うそぶいてみせる妙齢の婦人は、螺鈿に赤漆の古風な椅子にもたれながら煙管をくゆらせた。
ターチィ一家当主ヤン・ユーシン。
外見は30代半ばといったところだが、実際は60を超える老婆である。容姿といい振る舞いといい、魔女という表現が似つかわしい女だった。
ハウンドは意に介さなかった。
「その同盟者の警告を散々無視しておいてよく言う。こちらから再三忠告したはずだぞ。このままでは暴動が起きると。案の定じゃないか」
ハウンドの予見通り、今朝からターチィ領では大規模な暴動が発生していた。
一般労働層の男性が、一斉にストライキを開始したのである。
すぐにターチィ一家の兵士が鎮圧に乗り出したものの、武器を隠し持っていたのかデモ隊は激しく抵抗した。
すでに三等区の半数以上がデモ隊に占拠されている状態である。内乱といってもいい。
「そもそも支配体制に無理があるんだ。人口三割の妓女のために、七割の男たちが汗水たらして環境を整える。インフラ、建築、物流、防衛、サービス。肉体を酷使するブルーカラー職はすべて一般労働層の男性が担ってきた。その対価が国内の平均給与の三分の一と蔑視で、それが当然の報いであるかのような待遇だ。見栄えのいい男だけ妓女たちに可愛がられ、そうでない男は奴隷扱い。これでは不満がたまって当然だ。その不満を和らげていたフォーを幽閉すれば、こうなることは分かっていただろう?」
「だから一家に背いた反逆者を野放しにしろと? そいつは無理な相談さねえ」
「なら自力でどうにかするんだな。デモ隊の四分の一にも満たない兵士で、官僚と男娼もすべて招集して。なんならナンバー持ちが囲ってる男娼の一人か二人、デモ隊にくれてやったらどうだ? 駄々をこねるガキでも玩具をもらえば多少満足するだろ」
「ヘルハウンド様、ご当主様に対してお言葉が過ぎます」
当主の背後に控えていたスリーが抗議する。ツーもまた「そうだよ」と唇を尖らせた。
「たかが棄民でしょ? ちょっとぐらい貸してくれたっていいじゃん。第一、ヘルちゃんのとこの兵士って年寄りばっか――」
そこまで言って、ツーは口をつぐんだ。
目の前のいるのが五大と比肩する『六番目の統治者』だったことを、今さら思い出したらしい。
そんな人物の一番の地雷を踏んだことも。
「お前たちは自分たちがどれだけ恥知らずな頼みをしているのか理解してないらしいな? マフィアとは暴力機構だ。力こそすべて、力のない組織に価値などない。身内の揉め事すら自力で解決できない弱小が、他の五大に頭を下げるならまだしも、その棄民集団とやらに上から目線で兵を寄こせだと?
身の程を知れ、小娘が。うちの住民は、お前の後ろにいる見た目だけの人形どもの百倍は価値があるんだ。老いさらばえてなお武器を取り、
これにはスリーも周囲の護衛も冷や汗を浮かべ、顔面蒼白に息をのんだ。
ハウンドの本気の殺気は、それほどまでの威力がある。
顔色一つ変えなかったのは当主ぐらいだろう。
「聞き捨てならない台詞さねえ。うちの女どもの価値が、棄民に劣るとでも?」
「無価値とは言わないさ。ただ意図的に吊り上げられた価値であるのは事実だろ? 吊り上げたのはあんただ、ヤン・ユーシン」
当主は怒るでもなく反論を述べるでもなく、無言に微笑んだ。
内からこみ上げる愉悦を堪えたような、粘着質な笑みだった。
「不特定多数の男に股を開き、唯一無二の身体を売って金を稼ぐ、男に貪られるだけの哀れな女たち。妓女への世間一般のイメージはこんなもんだ。この哀れみこそがターチィを強者たらしめる。兵が少ないのも、いざとなれば世論が必ず味方するという絶対的自信の表れだろ? 心底気に食わん統治法ではあるが、理には適っている。被害者面さえしておけば、勝手に白馬の王子様が現れるんだからな」
ハウンドの発言に、当主はますます目元の弧を深くした。魔女の使い魔の黒猫がニタリと笑ったような目元で、ニコラスはだんだんうすら寒くなってきた。
この女、なぜ笑っている?
「妓女の哀愁や苦難がゼロとはいわないさ。ただそれは誇張された張りぼてなのも事実だろ。
実際、妓女には大企業並みの福利厚生と、米軍兵士並みの医療サービスが提供される。最底辺の妓女であってもだ。一日に取る客数は厳密に絞られ、候補者には自己申告の経歴書の書類審査が軽く行われるだけで
一方で客の素性は個人情報保護法ガン無視で徹底的に調べ上げられる。領内の男にしても、最も格上のはずの男娼であっても、一家から受けられるサービスはゼロだ。身体を売るという行為は同じであるにもかかわらずだ。そうだろう?」
男娼たちがこぞって目をそらし、俯く。
一方、その前に立つツーは、ハウンドの指摘の意味が分からなかったようで、心底不服そうだった。
「それのなにが悪いの? 男は今まで何十年も何百年もさんざん女を食い物にしてきたんだから、別にいいじゃない」
「なら外で暴れてる連中も自力でどうにかするんだな。棄民の年老いた男どもの力なんぞ借りず、自分たちだけで花園を守るといい」
そう、花園だ。
たしかにターチィ領は、冷遇され続けた国内娼婦にとっての花園だったのだろう。ただそれは、弱者男性の犠牲の上に成り立った花園だった。
ともに冷遇され、苦難をともにしてきたはずの風俗業界の男たちを、妓女となった国内娼婦は顧みなかった。
踏みつけて、ただただ利権を貪っただけ。
ハウンドは椅子を蹴倒すように立ち上がった。
「こんなのが二番目だから駄目なんだ。この部屋が綺麗で清潔なのは誰のおかげだ。デモ隊が荒れ狂ってる中、のんきに話し合いに興じていられるのは誰のおかげだ。たとえ替えがきく役職であろうと、名も知れぬ誰かが整えた場に立っている分際で、偉そうに権力者ぶってるから反乱を起こされるんだ。
権力を持ったならそれだけ与えるべきだった。与えないのなら抑え込める武力を持つべきだった。その両方を持たないお前らに、一体なんの価値がある?」
話にならん、とハウンドは吐き捨てた。
「兵なら他を当たれ。それでもうちを使いたいというなら、一人当たり相場の十倍は用意しろ。話はそれからだ」
ハウンドは立ち上がり、踵を返した。ニコラスもそれにならった。
これ以上の会話は無意味だろう。
その時だ。
「やはりお前、いいなあ」
当主だった。
その粘着質さを増した笑みは、ハウンドだけに向けられていた。ニコラスは先ほどの嫌な予感が外れていなかったことを自覚した。
「お前たち、下がっていな。ここから先はあたしが交渉する」
「護衛も、ですか? ご当主様、いくらなんでもそれは」
「
スリーはびくりと全身を硬直させたのち、一礼して部下とともに下がった。ツーもまた、男娼たちに促されて渋々退室した。
一気に静まり返った室内で、当主が足を組んだ時の衣擦れと、煙管の燻ぶる音だけが響く。
「なあ、
口火を切ったのは当主だった。
ハウンドは椅子に座りなおすこともなく、鼻を鳴らした。
「乗っ取られることも想定して動いている。滅びたきゃ勝手に滅べ」
「そうかい。だがその計画には、フォーが必要不可欠だったはずさね。違うかい?」
ニコラスは表情が強張るのをかろうじて堪えた。
この女、まさか――。
「お前が以前からフォーとやり取りをしていたことは知っている。アレはあれでもターチィ国境守備隊の一部を任されていた。それもシバルバ国境付近をねえ」
お前はとても分かりやすい。
当主は愉快そうに笑った。
「お前はよき統治者よ。民を思い、民のためだけに動く。ゆえに予想も容易い。ミチピシが国へくだり、シバルバが滅んだ今となっては、いよいよ特区の存続も危うい。ならば船が沈む前に民を新天地へ逃がそうとするのが道理さね。フォーはそのために必要不可欠な存在だった。だからこんな依頼にしゃしゃり出てきたんだろう?」
ハウンドは椅子の肘をぎゅっと握りしめた。
ニコラスはまずいと思った。これでは完全に当主のペースだ。
「シバルバは今、本格的な内乱状態にある。かつては特区一の不法移民の窓口も、管理者がいないのでは混迷を極める。だが、その混乱に乗じようとする者がいる」
つ、と当主は流し目にこちらを映した。総毛だつようなまとわりつく視線だった。
「ターチィは運輸の四割を27番地に外注している。多少領内に27番地住民がいても誰も怪しむまい。ましてやそれが、ターチィを経由してシバルバへ向かい、国外脱出を図ろうなどとは夢にも思うまいよ。こうなることも見越したうえでずっと仕込んでいたこともねえ。お前は本当に賢い。ヴァレーリとロバーチの坊やどもが、こぞって欲しがるのもよく分かる」
ニコラスは自身の迂闊さを悔いた。
手帳争奪戦に参戦しない隠居老人と油断していた。この老婆、ずっと機会をうかがっていたのか。
「ミチピシの爺様はただの平和主義者ではない。自分たちの被害者性をよく弁えている。国に迫害され続けた哀れな少数民族という立場を最大限いかした交渉で、ミチピシの統治権を平和的に国へ委譲した。あれではUSSAとて手を出しづらかろう。
だがシバルバは違う。内乱状態のあそこであれば、暴動鎮圧を名目に一気に手中に収めるだろう。そうなれば、特区の五分の二がUSSAの手に渡る。我らの領地も時間の問題さね。
そして不法移民の主な窓口はシバルバ領。皮袋の口が結ばれてしまっては、棄民の逃げ場はいよいよない。それを利用して国外に脱出しようと計画していた者も、変更を余儀なくされる」
いうなれば。
と、当主は煙管を差し出すように、組んだ足の上に肘をついて煙管で指さす。
そこから立ち昇った白煙は幾重もの白糸となり、もつれ合ってハウンドの上半身に絡みついた。
「お前は焦っている。フォーを殺されて一番困るのはお前よ。そしてあたしはその命運をこの手に握っている。本来ならば逆らえる立場にない。それをチュリップ(ツー)の失態につけこんで打って出てくるとは、胆力も一級品よなあ?」
「多少の計画変更も想定内だ。一つ潰された程度で破綻する計画など意味がない」
ハウンドは語気を強めてそう言ったが、切り抜けられるとは思えなかった。
当主の言う通り、特区崩壊から27番地住民を守るには、国と直接交渉するか、国が特区をつぶす前に海外へ逃げてしまうかの二択しかない。
そして国にUSSAがいる以上、実質的な選択肢は一つだけだ。
そのうえ今の27番地には、ハウンドには、金がない。
ハウンドがシバルバ領からの国外脱出にこだわっていたのは、それが最も安価な方法だったからだ。
案の定、当主はそこを突いてきた。
「ごもっともな意見さね。以前のお前なら、全く問題なかっただろうさ。だが今はどうだい? アッパー半島でだいぶ金をすっただろう?」
「あんたに心配されなくとも金なら――」
「如果你愿意臣服于我,我将满足你所有的愿望(お前があたしに身を委ねるというなら、お前の望みをすべて叶えてやろう)」
唐突な中国語でニコラスは理解できなかった。
けれど顔を引きつらせて硬直するハウンドを見て、何となく想像はついた。
「看来我们祖国的领导人对你很感兴趣。 我不会做坏事。 就算你要无形中工作,我也会保护你。 所有你珍贵的科目。 我不是那种特别喜欢有前途的下属的人。(我が祖国の指導者はお前にとても関心がある。悪いようにはしないだろうさ。仮に無体を働こうと、あたしが守ってやる。お前の大事な臣民共々な。あたしは見込みのある部下はことさら可愛がるタイプでねえ)」
そこまで言い切って、当主は言語を英語に戻した。
「
ハウンドの瞳が微かに揺れた。
それを当主は、恐怖のあまり固まる蛙を見つめるように、愛おしげに嗤った。
「特区の双璧がお前に協力したのは、手帳や失われたリストの付加価値だけではない。それを手札に勝負を仕掛けてきたのか、まだ十五のいたいけな少女だったからさ」
「それは……」
「我が身を売って大勢を守る、実に結構。それでこそ戦女の生き様よ。お前にはそれを可能にするだけの美貌と知性があり、あたしはそれをよく理解している。価値も分からぬ暴漢どもの刃に身を晒して刻まれるより、徒花となって周囲を狂わす方がよほど効率的だと思わないかい? なぁに、お前はまだ若い。これからもっと美しくなる。孕む腹がなかろうと、男にとっては――」
そこで当主は口を閉ざした。
ニコラスが椅子を投げつけたからだ。
椅子は壁にぶち当たって砕け、破片が数片、当主の肩にかかった。
当主がそれを一瞥する様を、ニコラスは冷え切った目で見ていた。
「27番地の主権は住民にある。この先どんな危険が待ち受けていようと、どんな結末に至ろうと、俺たちは受け入れる。もう
当主の視線からハウンドを遮るように一歩、踏み出す。
「そしてハウンドがどう在りたいかは、ハウンドが決めることだ。上っ面だけ見て後見人を気取るのはやめてもらおうか。見物人の分際で後からしゃしゃり出て、偉そうにご高説たれてんじゃねえよ」
右袖の後ろ端を、微かにきゅっと掴む感触がした。指先を引っかけただけの、ささやかな希求。
その袖を掴む手に、ニコラスはそっと指先を絡めた。
指数本だけが触れ合うだけのささやかな握手。それだけで十分だったようだ。
ハウンドは手を離すと小さく息を吸い、前に進み出て当主を見据えた。
「結論は出た。私たちは協力しない。暴動鎮圧は自力でやってもらおう。あんたの戯言にも興味はない」
ニコラスは率先して扉を開け、ハウンドを待った。これ以上この場にハウンドを居させたくなかった。
扉を閉める直前、性懲りもなく当主が話しかけてきた。
ニコラスは問答無用で閉めてやるつもりだったが、ハウンドが足を止めたので我慢した。
「三日待ってやろう。乗るというならここへ一人で来るといい。その時点でフォーを無罪放免にしてやろう。まだ信じられぬという顔だねえ? では手始めにフォーの側近の一人を解放してやろう。あたしは本気だよ。手帳やリストがなかろうと、お前には価値がある。女としての価値が、な」
ハウンドは応えることなく歩き出した。
館を出る直前、宣言通りヨンハが連れられてきた。青痣と腫れで酷い面ではあったが、解放は解放だった。
当主の言う本気が、口先だけのものでない証拠でもあった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次の投稿日は4月12日です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます