10-7

「えぇー、またその話ぃ? もう話すこと話したってばぁ」


 落ち着いたピンクベージュのスリットドレスに身を包んだツーは、そう言ってぷくっと頬を膨らませそっぽを向いた。


 ニコラスは自分の顔の横に写真を掲げ、淡々と質問を重ねた。


「ええ、ですから被害者の話ではなく、こちらの映画監督についてです。元はツーの客だったんですよね、彼について何か知っていることはありませんか?」


「……それいま話さなきゃダメなの? 不機嫌な時に奪われた男の話しろとか超最悪なんだけど」


 なるほど。それで二等区のこの店にいたのか。


 ツーの周りにいる男娼はどれも背が高く美男子ぞろいで全員が白人系だ。

 平均身長かつ有色人種のニコラスとヨンハは店内で浮いて仕方なかった。


「来店当初のことは覚えていますか。どんな目的であなたを指名したのか、とか」


「そんなの娼館に来る時点でやることなんて決まってるでしょ。答える意味ある?」


「ですが非礼を承知で言わせていただくと、この監督はツーの客層には少々合わない気がします。というか、経歴や報道を見る限りでも娼館に来るような性格には見えない。実際、既婚者で妻子との関係も良好です」


「その辺にしておいたらどうだ。代行屋だか何だか知らないが、話す相手は選んだ方がいい」


 ツーのお気に入りらしい男娼の一人が、露骨に見下した口調ですごんでくる。今すぐつまみ出したくて仕方がない、といった感じだ。


 現にヨンハの右後ろに立っている黒服の男はこの場で一番屈強で、腕組みをしながらいつでもこちらの襟首を掴めるよう待機していた。


――よく言うぜ。フォーには面と向かって被害者を侮辱したくせに。


 歓迎されていないのはよく分かっている。来店からツーに通してもらうまで二時間もかかったのだから。


 しかもヨンハが必死に交渉してくれてそれだ。

 格下の妓女の付き人とはいえ、二等区の男娼より地位のあるはずのヨンハですらけんもほろろなのだから、自分への態度なぞ推して知るべしである。


「5分だけ面会を許可するとのことでしたので。あと2分43秒で帰ります」


 しれっと答えると周囲から舌打ちが飛んだ。が、ニコラスとしては舌打ちしたいのはこちらである。


 この女がハウンドに吐いた侮蔑を、ニコラスは一言一句覚えている。許す気は毛頭なかった。


 微粒子の針が飛び交っているような、緊迫した沈黙がしばらく続く。


 隣でハラハラしながら様子を伺っていたヨンハが、遠慮がちに質問した。


チュリップツー様、何かご存じのことはありませんでしょうか。それだけお答えいただければ、すぐお暇致しますので」


「おい、お前に質問を許可した覚えはないぞ。格下妓女の下人の分際で口を挟むな」


 先ほどから喰ってかかってくる男娼がそう言うなり、背後の黒服が動いた。

 問答無用で拳をヨンハの後頭部めがけて振り下ろす。


 そこに、ニコラスは右手だけ差し込んだ。


 拳の上から包むように掴み、外向きにひっくり返すように捻じる。


 黒服はあっけなく膝をついた。

 手首の関節を極められて、激痛から何とか逃れようと必死に藻掻いている。


 ヨンハが慌てて横に飛び退った。


 ニヤついていた男娼らが一瞬にして顔色を変える。

 不意打ちで殴りかかった黒服が止められた挙句、身長も体格も劣る自分にあっさり動きを封じられたのが信じられないという顔をしていた。


 ニコラスとしては不思議でも何でもない。


 どれだけ筋肉をつけようと、関節部は鍛えられない。

 加えて、ジムトレーニングで着けた筋肉が見栄えのわりに実用性に乏しいのは有名な話だ。


「鍛えるのは結構だが格闘技もやった方がいい。せっかくつけた筋肉が泣くぜ」


 手を離した瞬間、黒服が急いで拳を引っ込めて後ずさる。


 ニコラスはそれに目もくれず、腕時計を見た。


「時間だな。行こう、ヨンハ」


 呆気にとられる周囲を無視して踵を返す。そこでようやくツーが口を開いた。


「強引に押しかけたわりにあっさり引き下がるのね。それで代行屋助手が務まるの?」


「断られた場合の想定もしてあります。それに、俺が助手に相応しいかどうか判断をするのは、あなたではありませんので」


「あはは、まさに忠犬だねぇ。噂ってほんとだったんだぁ。けど、他人の意見ももうちょっと聞き入れた方がいいと思うなぁ。女の人が苦手なのは結構だけど、ヘルちゃんの役に立てないのは困るでしょ? それに私、何も知らないだなんて一言も言ってないわけだし」


 意味を図りかねてニコラスは足を止めた。


 ツーは先ほどとうって変わって妖しく微笑んだ。


「知ってるよ、あなたヘルちゃんに拾われたんだってね。忠実なのはいいけどさ、それってヘルちゃんだけが助けてくれた恩人だから縋ってるだけだよね? あんま圧し掛からない方がいいと思うよ? そうでなくとも、あの子って背負うもの多いんだし。あんま重たいと嫌われちゃうよ?」


 真相、知りたい?


 ツーはねっとり艶やかに目を細めた。


「知ってた? アネモネフォー、嘘ついてるよ。それに案内させてるあたり、何も知らないんだろうけどさ」


 真横のヨンハが瞬時に顔を強張らせてこちらを振り返る。

 それを見てツーの口元がつり上がっていくのを、ニコラスは無感情に眺めていた。


「私についてきてくれるんなら全部教えてあげる。けどヘルちゃんには内緒ね。私、ヘルちゃんと喧嘩したいわけじゃないし――」


「結構です」


「へ?」


 虚を突かれたツーがきょとんとした。意表を突かれると、本当に幼い表情になるのだなと改めて思った。


「嘘かどうかはさておき、フォーが開示した情報に矛盾があることはすでに承知しています。そのうえで今回ヨンハに同行を頼んでいます」


「ふぅん。じゃあ敢えて騙されにいくんだ? 役に立たない番犬だねぇ。ヘルちゃん可哀そー」


「あなたの情報が不要なだけです。こちらにはこちらの手段がありますから。それに、ニンジン一本ぶら下げりゃ走る馬に、木箱いっぱいのニンジン用意する御者が親切なはずがないでしょう。死ぬまで働かされるのがオチだ」


 妓女とは一芸に秀でた高級娼婦である。

 売春防止法のため枕営業が原則禁止の国内と違って、ターチィの妓女は、客と寝るかどうかの判断を店か妓女本人が下す。


 そしてツーは身体を一番の武器とする妓女だ。


 夜を生きる女にとって最も価値のある資本の身体を武器にする。そんな女が持ちかける取引など、なにを要求されるか分かったものではない。


「その様子だと俺の生まれも知っているんでしょう? 俺自身の価値の低さは俺がよく分かっています。分不相応な取引に応じるつもりはありませんよ」


「……あっそ。つまんない男」


 今度こそ踵を返し、店を出る。


 出た直後、盛大にガラスが割れる音がした。が、構わず車へ向かった。こんな場所、とっとと立ち去るに限る。


 小走りに駆け寄ってきたヨンハがはにかんだ。


「よく断りましたね。彼女の信者全員を敵に回すかもしれないのに」


「嫌われるのは慣れてるんでな。にしてもあの女、ほんとイイ性格してるぜ」


 ニコラスは吐き捨てた。


 ナンバー持ち妓女上位四名にはそれぞれ『特技』がある。

 『話術』のワン。

 『魔性』のツー。

 『知識』のスリー。

 『武力』のフォー。


 古来の妓女は教養に秀で、外見や所作の美しさはもちろん、舞いや詩、楽器等の芸事も一流でなければならない。

 だが現代の妓女はそれでは足りない。

 これらは前提条件であり、ここからさらに客を虜にする何かを持っていなければならない。それが特技だ。


 例えばフォーは、毒舌キャラという強烈な個性に加え、交渉次第でどんな過激なサービスにも応じる度胸を兼ね備えた妓女だが、部下が非常に優秀であることで有名でもある。


 ヨンハをはじめ、客が巻き込まれたトラブルにも『武力』での対処が可能なため、力づくでの解決を望む客はまずフォーを頼るのだという。

 ハウンドがヨンハに案内役を頼んだのも、この評判からだ。


 そして『魔性』のツー。

 どんな客でも、彼女が相手をした者は必ず彼女の元へ通うようになるという。


 なぜそうなるのかは、先ほどの対話で嫌というほど理解した。


「他人の劣等感に塩塗り込んでそれを治療しようとしやがる。そりゃハマる男は多かろうよ」


「実際、当家に収める額はともかく、個人で稼ぐ額は当家一ですからね。熱狂的なファンからの貢物が桁違いなんですよ。噂じゃ、親衛隊もいるんだとか。ですがウェッブ様にはその『魔性』の魅了も効かないようですね」


「俺は生粋の負け犬だが、飼い主が誰か忘れるほど落ちぶれちゃいない。それだけのことだ」


 ヨンハはおやおやとばかりに肩眉と片頬を吊り上げ、一変、真面目な顔で目礼した。


「にしても、先ほどはありがとうございます。助かりました」


「別に俺がやらなくたってあんたがやってたろ。黒服が背後に立った時点でこっそり構えてたじゃねえか」


 実際、ヨンハは足先をこっそり外に向け、やや首を竦めて体幹に力を込めていた。

 いきなり殴られて床に膝をつくような醜態を晒さないように。


「過度な専守防衛はおススメしねえぞ。特に頭部への攻撃は許すもんじゃない」


「あはは、そう言われるとぐうの音も出ませんね……。あの場にヘルハウンド様がいらっしゃれば、こうも舐められることはなかったんでしょうが」


「あー、あいつは今日ちょっと立て込んでてな。出かけてくる前に色々あって」


 ニコラスは出かける直前、ハウンドに起こった出来事の数々を思い返しながら遠くへ目を向ける。


 今朝のことである。


『しばらくイヤドとは距離を取る。チコともだ。今、情報班に二人を再調査させてるが結果次第じゃ依頼の中断もあり得る。構えておけ――っと電話……ってなんだヴァレーリ一家当主フィオリーノかよ。


 なんだ。ああ? 部下がやらかした件について謝罪したい? 却下だ。どうせターチィと進めてる取引を中断させたいんだろ? ふざけた態度取っておいて今さらご機嫌取りとか舐めてんのか。部下の尻拭いは上司テメエの仕事……はい? もうその部下は処分した? 知らねえよ、適当にその辺に埋めておけ。これはもう決定事項だ。今後その件に関してはお前らと取引しない――ちょっと黙ってろ。


 店長、どうしました? ああ、いや構いませんよ。フィオリーノからなんで。……はい? ヴァレーリからうちに大量の武器が届いた? 新品のM4カービン百挺と5.56㎜弾が一万発? ……ちょっと待っててくださいね。


 おい、なんだこれは。は? お詫びのプレゼント? あのなあ、そりゃ銃も弾もあるに越したことないが、私らがいま欲しいのは充分に整備された車両なの。やらかした挙句、謝罪ごり押ししてくんじゃねえよ。今すぐ持って帰れ。うちの銃火器は同盟条約の一環で基本ロバーチからだけ――ちょっと待て。


 どうしたクロード。急ぎの用件って。……ロバーチ当主から面会の要求? あーもうっ、このクソ当主どもが……!』


「――ってな感じで。ヴァレーリ一家当主とロバーチ一家当主と急遽会談を開くことになってな」


 毛を逆立て足音荒く出かけていったハウンドを思い出しながら説明すると、ヨンハは「ヘルハウンド様も大変ですね」と苦笑した。


「本来は依頼人に案内してもらうつもりだったんだが、諸事情でできなくなっちまってな」


「なるほど、そういうことでしたか。いきなりヘルハウンド様から頼みがあると連絡を受けた時は何事かと思いましたが、ご依頼人の方も手が離せないのであれば仕方がありませんね」


「ああ。ただ、再捜査の公平性の観点から、あんたに開示できる情報は引き続き限られる。勝手を言ってすまないが」


「構いません。情報を絞っているのはこちらも同様ですから」


「……話す気はない、と?」


 足を止めて真っ直ぐ見据えると、ヨンハは先ほどと同じ苦笑を浮かべた。

 笑ってごまかす類のものではなく、これ以上踏み込むなという警告だ。


「協力はさせていただきますよ? なにせアネモネ様のご友人の頼みですから。ですがその頼みがアネモネ様を害するとなれば話は別です」


 こちらが余計な真似をしない限り協力するということだ。分かりやすい自己申告である。


「構わねえさ。こっちはこっちで大人しく仕事をするまでだ。ところであんた、さっきのツーの前での殊勝な態度は素なんだよな? わざと怒らせてこっちの仕事の邪魔しようってんなら遠慮してもらいたいんだが」


「演技でも何でもなく素ですよ。ただ私が彼女と彼らに嫌われているだけです」


「けどあんたナンバー持ち妓女の付き人だろ。それも四番目の。ツーはともかく、なんで男娼なんかの好きにさせてるんだ」


「あー……私は“売れ残り”組なんですよ」


 売れ残り?


 ヨンハは片頬にえくぼをつくりながら苦くはにかんだ。


「文字通りの意味ですよ。早い話、アメリカ国内の風俗業出身で、容姿にも能力にも恵まれなかった『持たざる者』のことです。かつて思想家と政治家が結託して国内の風俗業界をこの特区に集約したのはご存じでしょう?」


「それは知ってるが……ターチィはそういう業界の人間を吸収して勢力を拡大させたんじゃなかったのか」


「ええ、多くの者がターチィ傘下に下りました。女性はね。ターチィが吸収したのは国内の娼婦だけです。男は基本、二束三文なんですよ。ターチィが謳う保護には一つ仕かけがありまして」


 ヨンハは指で宙に三角を描きながら、領内のヒエラルキーを軽く説明してくれた。


「まず一等区にいる、元からターチィ一家に所属している者。彼らが基本領内の富と権力を独占しています。

 次に二等区、これは国内の風俗業出身者で、一家にとって益になると選別された者たちで構成されています。容姿に優れる者は男娼に、身体能力に優れる者は兵士に、頭脳に優れる者は官僚に。

 それすらない持たざる者は三等区、一般労働者として領内の各業種に務めます。これが“売れ残り”です。私はナンバー持ち妓女の侍者の中で、唯一の売れ残り出身なんです。序列的には男娼より下ですから、ああいう態度になるんですよ。それに男娼は侍者になるための登竜門でもありますから」


「自分たちを差し置いて出世したのが気に食わないってことか。だったらますます堂々としてりゃいいじゃねえか。実力で勝ち取ったんだろ? それにあんただってなかなかの男前だぜ。ターチィの選別ってのはそんなに厳しいのか?」


「ありがとうございます。ですがまあ、そんなところです。それに、昔はそうでもなかったので」


 そんな含みのある返答をしながら、ヨンハはターチィ専用車のロックを解除した。


「さあ、次はリーリワン様とロンダンスリー様の元へ向かいましょう。幸いおふた方とも、今日は同じ館で公務をなさってますから」




 ***




「まあまあ、どなたかと思えば。ちょうどいい時に来たわね。そろそろお茶の時間なの」


 女神が微笑んだという表現が相応しいほど美しい笑みを浮かべて、ワンは白地に花柄のワンピースを翻しながら扉に駆け寄って出迎えてくれた。


 花瓶に挿そうとしていた花をほっぽりだして、手づから自分たちに茶を淹れようとしてくれるほどの歓迎ぶりである。もちろんヨンハの分もだ。


「リーリ様、私の分は構いませんから……」


「あらあら、後輩の面倒を献身的に見てくれる部下に日頃のお礼をするのはそんなに不思議なこと? それにちょっと退屈してたところなのよ、付き合ってちょうだいな。ロンダンったらちっとも私に構ってくれないんだもの」


「意地悪をおっしゃらないでください、リーリお姉さま」


 苦笑を浮かべたスリーが奥の部屋からやってくる。

 以前の夜会とうって変わって藍のタイトスカートスーツで、手にはスマートフォンを持っていた。やり手の女社長という風体だ。


「もう少しだけお時間を頂けますか? 30分で片づけて参りますので」


「ええ、早くね。でないと三人でこのタルトを全部食べてしまうわよ」


 そうワンが悪戯っぽく笑う。その横顔にニコラスは既視感を覚えた。

 どことなくツーに雰囲気が似ているような……。


「分かっていますよ。ウェッブ様、もうしばらく失礼しますね」


 やれやれといった眼差しをワンに向けながら、スリーはまた奥の部屋に引っ込んでしまった。


「ロンダンは若いけれど一家の中では古参なの。よくああしてご当主様の補佐をしたり、一家の業務を統括しているのよ。しっかりしているでしょう」


「お邪魔でしたでしたか? であれば日を改めますが」


 ニコラスはあえて下手に出た。


 本音を言えば今すぐにでも聞き出したいところだが、マフィア相手の場合、こういう時は大人しく引き下がるのが吉である。

 我慢の限界に達した時点で問答無用で叩き出されるか、拳銃を取り出されるからだ。ヴァレーリやロバーチの場合はそうだった。


 しかしニコラスの予想に反して、ワンは柔く首を振った。


「いいの、いいの。私はああいう仕事じゃ役に立たないから。ナンバー・ワンだなんて言われて持てはやされているけれど、所詮私はただの妓女。できることと言えば、こうやってお客様の接待をして、笑顔でお話を聞いてあげるくらいよ」


 意外な返答だった。

 マフィアの頂点に君臨する妓女だというのに、随分と謙虚な姿勢だ。それともこの謙虚さが人気の秘訣なのだろうか。


 自嘲気味に目を伏せたワンだったが、面を上げた時には笑顔に戻っていた。


「湿っぽくなってしまったわね。それで、今日はどうしたのかしら?」


 ツーに尋ねたものとまったく同じ質問に対して、ワンは首を捻った。


「例のお客様がチュリップを指名した理由……ごめんなさい。私、基本他の妓女の仕事にはあまり口出ししないようにしているの。私の立場だとどうとらえられるか分からないし、トラブルになるのもいい気分ではないから」


「構いません。どんな些細なことでもいいですから、覚えていることはありませんか」


 ううん、とワンは首を傾げ、しばらくして言いにくそうにゆっくり口を開いた。


「私ね、お客様からもよく相談を受けるのだけれど、他の妓女からも相談を受けることが多いの。けどこういうのは他人に決して口外しないからこそ成立するものなの。だから本当は話してはいけないことなのだけれど……」


 要するに、客や他の妓女に漏らされるとまずい内容、ということだ。


 それをいち早く察したヨンハが席を立った。


「では私は部屋の外にて待機しております。何かあればお声がけください」


 部屋を出ていくヨンハを見送って、ワンが小さく息をつく。


「本当に気の利く子ね。やっぱりアネモネの見立ては正しかったわ」


「彼女が侍者に抜擢したんですか?」


「ええ。彼ね、元はサンフランシスコのとある風俗店の顧問弁護士だったのよ。でもなり立てほやほやで、依頼もほとんど経験したことがなくて」


「ペーパーだったんですね」


「資格はあるんだけれどね。だからターチィは彼に価値を見出さなかった。でもアネモネは違ったわ。当時は大騒ぎしたものよ。一般労働者から侍者なんてって。それにこう言ってはなんだけど、当時の彼、なかなか愛らしい姿だったから」


 愛らしい? 


 ニコラスが考えあぐねていると、ワンが「写真見る?」と暖炉上に置いてあった写真立てを一つ持ってきた。


 それを見るなり、ニコラスは固まった。三度見ぐらいした。


 フォーの影に隠れるように、一人の男性が立っている。

 太ったニキビ面で長い前髪で顔を隠すように俯いた、自信なさげな陰気な男性だ。


 引きつった笑みの片頬にえくぼがある。


「えっと、ヨンハ、なんですよね?」


「ええ。随分変わったでしょう? 今でもびっくりするとオドオドするところは変わっていないけれど」


 変わったというか、もはや別人である。


 それであの反応か、とニコラスは男娼たちの態度をようやく理解した。


――相当頑張ったんだなぁ……。


 見栄えが何より問われるターチィだ。さぞかし苦労したことだろう。


「でも結果的に正解だったわ。侍者の中でもあの子ほど優秀な子はそういない。今では他の妓女から譲ってほしいと申し出があるほどなのよ。アネモネが全部蹴っているけどね。それにアネモネも似たような子だったから、惹かれ合うものがあったのかも」


「と、言いますと?」


「アネモネはね、特区ができて数年経ってからターチィ傘下に入った妓女なのよ。一番妓女同士の競争が激しい時期のね。今でもそれなりだけど、当時は今の比ではなかったわ」


 成り上がり者、ということか。ハウンドはフォーを野心家だと言ったが、あながち間違いではないのだろう。


「私は設立直後の黎明期の妓女だったから、比較的簡単に出世できたの。元からターチィ所属のロンダンもそうね」


「ではツー、チュリップは」


「あの子はご当主様自らスカウトした子ね。なんでも噂を聞きつけて、ご当主様に直接会って自分を売り込んだと聞いてるわ。なかなかアグレッシブな子でしょう? あの子の教育は私が担当したの。色々と誤解されちゃうことの多い子だけど、本当にチュリップは悪い子ではないのよ? 私にもすごく懐いてくれたし、それこそ実の姉のように慕ってくれて……私に憧れて、髪質や体型も私を目標にしてくれるほどなの。そのために豊胸もしたっていうし」


 それはまたまた。ニコラスは内心呆れ返った。

 好き嫌いの激しい人物であることは察していたが、好い方もなかなかぶっ飛んでいる。嫌われても好かれても面倒なことになりそうな女だ。


 そこでふと、ニコラスは先ほどの既視感に気付いた。


「もしかして、化粧品とか同じ物を使われてます?」


 よくよく見ると、ワンとツーの化粧の色合いはよく似ている。それに背格好も、髪型と服装を同じにすれば、姉妹に見えなくもない。


 そう指摘するとワンはぱっと顔を輝かせた。


「ええ、ええ、よく分かったわね。殿方で気付いてくださる方はそういないのに、あなたって目が良いのね」


「それが取り柄ですから」


「まあそんなことを言って。本当にすごいことなのよ? ふふふ、チュリップは美容業界のお客様と親しいから、新作のメイク用品なんかをよくプレゼントされるの。それを私にも分けてくれてね。双子コーデ、だったかしら? 服や髪形やメイクをお揃いにして、ときどき遊ぶこともあるのよ。お客様もそっくりだって大喜びで」


 ニコラスは「はあ」と生返事を返した。

 男には理解できない感覚である。お揃いというのは、そんなに楽しいものなのだろうか。


 にしても、つくづく妓女らしからぬ女性である。謙虚でつつましい女性かと思えば、こうして無邪気にはしゃいだりする。

 すれた金持ちがこぞってワンと話したがるわけだ。


 我に返ったのか、ワンは小さく咳払いをした。


「話がだいぶ脱線してしまったわ。例のお客様がなぜチュリップを指名したのか、だったわね。さっきも話した通り、私とチュリップはいわば師弟の関係で、頼られることも多いのよ。むしろ相談回数でいえば一番あの子が多いんじゃないかしら」


「となると、彼女から何か相談を?」


「相談というか愚痴ね。例のお客様、新しく撮る予定の映画の助演女優を探していたのよ。それに特区の妓女を選ぶなんてそれこそもう大抜擢なのだけど、あの子ったら、なんで私が主演じゃないのって怒ってしまってね……」


 いかにもツーが言いそうな発言である。ニコラスは苦笑いした。


「ではそこにアネモネが売り込んだということでしょうか」


「そうね。アネモネはもともと――」


 ノック音にワンが口をつぐむ。


 入ってきたのはヨンハと、ダークグレーのスーツを着たワンの侍者だ。胸元に白い百合のコサージュをつけている。

 二人はそろって困ったような顔をしていた。


「リーリ様、ベリーズ様がお見えになっているのですが……」


「あら、プラヌス・ペルシカ大学病院の? 今日は特に同伴のお話は聞いてないけれど……」


「ええ。今日の夜、特区近郊で学会があるらしく、店に顔が出せないからと」


「あらまあ。わざわざ顔を出しに来てくださったのね。それで、二人ともどうしたの? なにかあったような顔をしているけど」


「それが先ほどチュリップ様がこちらの館に到着されまして、ベリーズ様と鉢合わせに……」


「まあ大変。今すぐ行くわ。あなたもまたね。楽しいお茶会だったわ」


 侍者にエスコートされて、ワンは急いで部屋を出ていった。直後、ヨンハが事態を説明してくれた。


「チュリップ様はリーリ様に対して独占欲のようなものをみせることがありまして。それでリーリ様の常連客とトラブルになることがあるんです。先ほど来訪された方はリーリ様の一番の古参客の一人ですから」


「ツーが客に粗相しないか心配だから、急いで仲裁しにいったってとこか」


「そんなところです」


 肩を竦めるヨンハがバルコニーを指差した。


 下を覗けば、なるほど、ツーと客らしき初老男性がすでに何やら言い争っている。


――基本的に幼稚なんだろうな。


 本質はガキだが、頭は回るうえ大人のやり方で他者を蹴落とそうとするので、余計に性悪にみえるのだろう。


 ハウンドにしでかした無礼を許す気はないが、いい年した女がああも噛みついているのをみると相手をする気も失せる。

 駆け付けたワンがなだめるのもお構いなしだ。


 ニコラスは狼にキャンキャン吠えまくる、金持ちに甘やかされたポメラニアンを思い浮かべた。


 そう思えば多少腹も――いや、やっぱ許さん。あれはない。絶対にない。


 やはり二度と近づけないようにしようと、改めて誓った、その瞬間だった。


 パスッ、と下で何かが鳴った。


 常人なら鞭がクッションに当たったような音にしか聞こえないが、ニコラスは違った。


 血の気が一瞬で引いた。

 バルコニーの欄干に飛びつき、下に向かって怒鳴る。


「伏せろッ、狙われてるぞ!」


 ワンとツー、客がぎょっと顔を上げる。


 直後、ワンが見えない誰かにぶつかったように倒れた。その横たわった地面に、腹に、深紅の色が広がっていく。


 ニコラスは欄干を飛び越えながら、凍りつく周囲に向かって叫んだ。


「狙撃だ! ワンが撃たれた!!」

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