10-6

 翌日、ニコラスとハウンドはさっそくチャンの同僚に会いに、ターチィ領三等区を目指していた。


『となると、やっぱり噂は本当だったのか』


『うん。フォーがツーの客を奪ったっていうのは事実みたい。一月前の事件だそうだ』


 そうハウンドは手元の端末に文字入力してみせた。盗聴対策である。


 ニコラスはちらと振り返り、フルスモークのリアウィンドウから後続車両を確認した。

 相変わらず一台の車両が、自分たちの乗る車両をぴったり後から追ってきている。加えて先頭にも一台、似たようなのがいる。


 ハウンドは続いて素早く指を動かした。


『けどちょっとやり方がらしくないんだよね』


『というと?』


 ニコラスはメモにペンを走らせた。ハウンドほど文字入力が早くないからだ。


『結論からいうと、彼女らしくない。たしかにフォーは野心家だ。他の妓女の客でも奪えると判断すれば容赦なく奪う。けど奪う時はいつも正々堂々としてるんだ。フリー客相手に、場内指名を勝ち取って、そこから本指名に持ち込んで長く緩く関係を続けていくのが彼女の基本戦術。ニッチな性癖プレイができる妓女はそういないから、新規の顧客をいかに増やしていくかが権力維持の鍵。ナンバー持ちの妓女といえど、客が取れないとすぐナンバー外されるから』


 そこまで入力して、ハウンドは首を回した。長文の入力で肩が凝るのだろう。


『けど今回のフォーは違った。店に無断で同伴を客に頼んだらしい。それも何回もだ。客に頼んだ時も店の外でなかば突撃訪問の形で無理矢理コンタクトを取ったらしい』


 同伴とは、ホステスもとい妓女が、出勤前に客と一緒に食事をしたり買い物をしたりしてから共に店へ行って出勤する接客サービスのことである。


 同伴には客から頼むケースと妓女自らが頼むケースの双方があるものの、基本は多少親しくなってから行うもので、初対面の客に対して妓女がアタックを仕掛けるケースはまずない。

 しかも店の外で、アポも取らずに訪問するというのは、妓女にとって無謀と言わざるを得ない行為である。


『店に無断でやるのは規約違反?』


『イエス。減俸か降格、最悪クビだね。フォーの場合、客が彼女をすごく気に入ったから、事を荒立てずに済んだらしい。けどツーからしてみれば騙し討ちにあったようなもんだ。こういう規約違反までやって勝ちにいくのはフォーらしくない』


 それに、とハウンドは周囲に視線を巡らせて、こちらを見て肩を竦めた。


『この護衛。今までフォーが私に護衛をつけることはあったけど、こんな大所帯で警護するのはみたことがない。しかも付き人のヨンハまで同行させてる。単なる護衛か、あるいは』


『監視役』


『その可能性は捨て切れない。どちらにせよ、フォーは私らに何か隠してると思う』


『“銘あり”の可能性は? お前からみてフォーはどうだ?』


 ハウンドは一瞬打つのを躊躇してから、再び入力を始めた。


『分からない。けど、無いとも言い切れないかな』


 ひとまず、と入力して、ハウンドは両眉を吊り上げた。ニコラスは頷く。

 ここで証拠もなしに疑ってもしょうがない。まずは現場検証だ。


 無言にアイコンタクトを交わして、ニコラスは書いたメモを千切り取り、ハウンドは入力した文章をすべて削除した。




 ***




 到着してからも、ひと悶着があった。現場検証に、ヨンハたちが立ち会おうとしたのである。


「依頼人は公平な再捜査を望んでいる。君らは外で待機していてくれ」


「ですが、それではヘルハウンド様の護衛ができません」


「非礼を承知で言うが、君らの上司フォーも被疑者の一人なんだ。外に出ていてくれ」


「おいおい、そりゃあないだろ。姐さんはあんたを守るために俺たちを寄こしたんだぜ?」


 ヨンハの隣の小柄な男が、不快感を露わにして詰め寄ってきた。

 フォーの部下の、スシロという東南アジア系の男で、すばしっこそうで抜け目のない目つきをしている。


 足取りからして、キックボクシングかムエタイ経験者だろう。アジア人はどいつもこいつも小柄で細っこいので侮られがちだが、瞬発力からなる蹴りや拳の威力は凄まじいものがある。

 そして、気性も決して穏やかではない。


 ニコラスはハウンドの前に立ち塞がった。


「俺たちだってあんたらの上司を疑いたいわけじゃないんだ。むしろ疑惑を晴らしたいからこうして動いてるんだ。彼女はハウンドの大事な友人だからな」


「ここまで護衛してくれたことには本当に感謝している。不快に思うのであれば、帰ってもらって構わない。ターチィの治安であれば、護衛は助手ニコだけでも十分だ」


「……いえ。外でお待ちしております。なにか異変を感じられましたら、すぐご連絡ください」


 そう言ってヨンハは引き下がった。スシロの方は振り向きざまにこちらを睨んでいたが、ヨンハの指示には素直に従った。


「やれやれ。……で、ここがチャンの会社なんだよな? けっこうデカいアパートだな~」


「資料によると、事務所と制作現場と従業員寮を兼ねてるらしい。一階のコンビニも、部屋を貸し出して呼び込んだみたいだ」


「アニメをつくるためだけのアパートか。特区に来てまでやるんだから、よっぽど情熱かけてたんだな~」


 ニコラスとハウンドは事務所があるという二階の角部屋に出向き、チャイムを鳴らした。

 事前に連絡していたこともあり、すぐにパタパタと慌ただしい足音が近づいてきた。


 チャンの同僚は、ファンという30代後半と思しきベトナム系の女性だった。


 曰く、チャンとは同じアメリカのアニメ会社に勤めていたらしく、先輩後輩の仲だったという。


「先輩があんなことになって、私もまだあまり事態を飲みこめてないんです。しかも大事なデータもいつの間にか盗まれちゃってて……」


 目の下にくっきり隈をつくったファンは、寒さに耐えるように指をすり合わせた。


 盗まれた当時のまま現場を保存していたと語る彼女の言う通り、被害にあったとされる事務所は荒れ果てていた。


「あの日、先輩の行きつけのバーのマスターさんから連絡があって。私、パニックになっちゃって、朝だったのもあってともかく出勤しなきゃって思って、事務所に行ったんです。ここに住んでるから、階を降りるだけなんですけど。でも行ったらこの有様で、まさかと思って制作現場も確認したら、似たような有様で……」


「盗まれたのは、アニメのデータですか?」


 ハウンドが声を和らげてゆっくり尋ねると、ファンは深呼吸して大きく頷いた。


「はい。ブルーレイディスクに焼いた動画データです。もう編集もしてダビングもやって、そのままアオンエアで放送してもいい本当の完成品だったんですが、ディスクごと盗まれちゃって。データを保存してたPCもこんな状態で」


 ファンは見るも無残に破壊されたデスクトップPCを振り返る。

 本体からモニターに至るまで、丁寧に破壊されている。HDDハードディスクが抜き取られた形跡もある。


「私はここに住んでますけど、当日、音とか全くしなかったんです。だから私、泥棒が入ったなんて夢にも思わなくて。それに保険のため、データは三台のPCで保管していました。制作現場の先輩のデスクのと、この事務所のと、後は先輩の自宅のアパートのですね。でも三台とも全部壊されてました。

 ただ先輩の自宅のやつは本体がお風呂に沈められてただけで、HDDも残ってたんです。だからなんとか復旧できないか頑張ってみたんですけど、駄目でした」


 肩を落とすファンの背後には、デスク上に山と積まれたパソコン修理に関する入門書と機材とノートPCが置かれていた。

 素人ながら必死に頑張ったのだろう。


 そんな彼女に椅子を勧めてやりながら、ニコラスは質問した。


「盗まれたのはPCのデータだけですか? 他の資料とかは」


「いえ、他の資料は無事でした。けど、アニメの最終的な微調整は全部先輩がやってたんで……資料が残ってても、私には無理です。完成させられない。あの人、監督だけじゃなく、シナリオもキャラクターデザインも編集も全部自分でやってたんで……それにスタッフだって、もう私のほかは三人しかいないし、どうしたらいいのか……」


 ファンは嗚咽をこぼしながら顔を覆って俯いてしまった。


 心血を注いだ作品を盗まれたばかりか、同僚まで無惨に殺されたのだ。無理もない。


 ハウンドは近くにあったひざ掛けをファンにかけてながら「少しお邪魔しますね」とことわって事務所内に入っていった。


 ニコラスもファンに一声かけて台所を拝借し、置いてあったココアを彼女に淹れた。

 今のファンにあれこれ聞くのは酷だろう。


 ニコラスがハウンドの元へ向かうと、ハウンドは破壊されたPCを観察していた。


「見たところ、鈍器で破壊されたみたいだが、破片があまり散らばってないな」


「そこの毛布に包んで上から破壊したんじゃないか? 物音しなかったっていうし」


 仮眠室と思しき部屋の入口に捨てられていた毛布を、ニコラスは指差す。


 持ち上げると案の定、パラパラと細かいプラスチック片が床に散らばった。


「でもチャンの自宅のやつは破壊じゃなくて水損だった。それもHDDも抜いてない。複数犯で行ったがゆえの個人差か、」


「あるいは時間がなかったかのどっちかだな」


 ハウンドの言に頷き、ニコラスはファンに借りた鍵を使って、制作現場の方にも向かってみた。


 制作現場とだけあって、あちこちに積まれた資料や付箋付き書類等で煩雑としていたが、一か所だけ明らかに散らかり具合が違う部分があり、チャンのデスクとすぐに分かった。


 こちらのPCの近くにもひざ掛けが落ちており、これで包んで破壊したらしい。


 また、金庫や他のスタッフのデスクの電子機器類には一切手を出された形跡がなかった。


 明らかに金銭目当てではなく、アニメデータのみ狙った犯行だ。


「ライバルの嫌がらせにしては手が込み過ぎてるよな~。高利貸しが差し押さえにアニメを持っていったとしても、ここまで念入りにPCを破壊しないわな」


「ああ。それに、データが保管してあるPCだけピンポイントで狙われているのも妙だ。借金取りふぜいがそこまで内部に通じてるとも思えん」


「う~ん……気の毒だけど、もうちょいファンさんに聞いてみるか」


 ニコラスたちは事務所へ戻った。


「ミス・ファン、盗まれたアニメについてもう少し教えてくれませんか? 話せる範囲で構いませんから」


 ファンは顔を拭って立ち上がると、鼻をすすりながら、一枚のパンフレットを持ってきてくれた。


 映画館出入り口に置いてあって客が自由に持っていける、映画のポスターとあらすじがキャッチフレーズつきで印刷されたパンフレットだ。


「これです。先輩が中国にいた頃から企画して制作し続けていたものです」


 それは一枚の映画ポスターだった。


 子供向けアニメだろうか。カラフルな衣装に身を包んだ五人の少女たちが中央に立ち、それぞれ決めポーズらしきものを取っている。のだが――。


「(……なあこれ、可愛いんだけさ。目、死んでない?)」


「(死んでるな。あとこの子らの顔の横にある吹き出しの顔なんだ?)」


「(未来のこの子たちなんじゃないか? 面影があるし)」


「(そのわりには随分くたびれてるな……)」


 続いて、ポスター裏のあらすじに目を通す。曰く、


 ―――


「こんな世界、救うんじゃなかった」


 元魔法少女のメアリーは都内オフィスで働く社畜デザイナー30歳。14年前、世界を救った五人の少女の一人。

 大人の色んな汚いものをみて荒んでしまった、正真正銘の“元”ヒーロー。


 そんなアリスのもとに、かつて共に世界を救ったお伴の神獣『ぺろ助』がやってくる。


「ぼくと一緒に、もう一度世界を救いにいこうじゃないか!」


 冗談じゃないと拒否したアリスだったが、なんとペロ助によって無理やり過去にタイムスリップさせられてしまう!


 目覚めた先は14年前。

 なんとアリスは、16歳の女子高生時代の自分に戻っていた!!


 しかもその周囲には、自分と同じようにタイムスリップさせられた元魔法少女たちもいて――。


「さあ皆、世界を救いにいこう!」


「「「「「ふざけんなッ‼ こんな世界、二度と救ってやるもんか!!」」」」」


 見た目は女子高生、中身は汚い大人。

 そんなダメ大人になってしまった五人の元魔法少女たちが送るドタバタコメディ! 本格アクション!


 五人の魔法少女は、果たして世界を救うのか、それとも壊すのか。

 劇場にて刮目せよ――!!


 ―――


「ああ、それで大人の姿が載ってるのね。へえ~、なかなか面白そうじゃん」


 興味津々にパンフレットを眺めるハウンドと裏腹に、ニコラスはあまりの内容の濃さに困惑気味だった。


 ファンが苦笑しながら説明してくれた。


「けっこう攻めた内容のアニメでしょう? それ、もともと劇場版として制作されたものだったんです。それでこういう煽り文句に」


「あーいや、そういうわけではなく。自分はあまりアニメを観た経験がないんでちょっと驚いたというか……それよりこの、魔法少女というのは?」


「えっ、魔法少女をご存じないんですか……!? 魔法少女というのはですね――」


 ファンが嬉しそうに語り始める。さほど興味のない内容ではあるが、ファンが気を取り直してくれたのは行幸だった。


 要約すると、魔法少女というのは魔法など不思議な力を使って変身し、敵と戦う少女のヒーローのことらしい。


「先輩は日本のアニメが大好きでして。プリキュアは……ご存じないですよね。ともかく日本のこういう戦隊ものや、魔法少女系のものをすごくリスペクトしてて、キャラの造形も日本の萌え文化を踏襲しているんです。カートゥーン調のシンプルな絵柄や、アメコミみたいなリアル寄りのデフォルメもいいですけど、やっぱり女の子を可愛く描くんならやっぱり日本風が一番かな」


 そこまで言って、ファンは顔を曇らせた。


「でもご覧の通り、破天荒な内容のアニメですから中国では放送が厳しくて。上に企画ごと潰されちゃったんです。三話で汚職した政治家をやっつけるストーリーが、反国家的であるって言われたらしくて」


「あ~……」


「まあ、あの国だとこういうアニメは難しいだろうな……」


「はい。そういうのもあって先輩はアメリカに移住して、このアニメの制作を続けられないか頑張ってたんです。それで大手アニメ会社に転職して、私が出会ったのもその頃ですね。

 趣味がよく似ていましたし、なにより先輩のアニメへの情熱と技量に圧倒されて……あの腕ならもうちょっと威張ってたっていいのに、後輩の私にもよくしてくれて。分からないこと質問すると、すぐ参考資料を持ってきて丁寧に教えてくれて。自分の仕事だってあったでしょうに。本当に謙虚な良い人だったんです。でも、」


 ファンはパンフレットを手に持ち、埃を払うように、そっと表面を掌で撫でた。


「結局、アメリカでもこれ、放送できなかったんですよね。何度も入念にミーティングして確認したのに、制作の三分の二が進んだところでストップがかかってしまって……児童ポルノ規制に引っかかっちゃったんです」


 児童ポルノ規制? 


 聞き慣れない言葉にニコラスたちが顔を見合わせていると、ファンが解説してくれた。


「文字通り、児童ポルノを規制するもので、連邦法と州法でそれぞれ解釈が違うんですが、これまでは実在する児童を規制対象としてきました。でも最近では、アニメやコミックのような『実在しない児童』も規制対象になっているんです。このアニメの魔法少女たちは大人時代の記憶を持っていますけど、未成年の女子高生なので……」


「というと、未成年が出るアニメは全部アウトなのか?」


「いえ。そんなことはありません。18歳未満の児童がわいせつな行為を行っている描写があるとアウトです。けどこのわいせつな行為がかなり幅広くて、ちょっとでも女の子の露出が多かったり、スカートの裾が揺れたり、胸が揺れたりすると駄目ですね」


「じゃあ、このアニメもそういう描写があったんですね」


「スカートが風に揺れるのも、胸が揺れるのも自然現象ですからね。というか、エッチでカッコイイ女性がいたっていいじゃないですか。エッチなものに憧れる女性だっているんですよっ、それを中世の教会みたいに締め付けて……。

 第一、女性がどんな格好したって男性はエッチだっていうじゃないですかっ。マーベルの露出ゼロの全身タイツに興奮する人だっているんですよ。だったらスカート履こうが全身タイツだろうが変わらないじゃないですか! 女の子が好きな恰好するのが一番じゃないかと思うんですが!?」


 鼻息荒く詰め寄るファンに、ニコラスは視線を泳がせた。


 「そうなの?」と隣を目で伺うと、ハウンドはうんと頷く。


「エロい格好いいぞ。仕事が一気に楽になる。あと偉そうにしてた男どもが、ああいう格好見た途端ヘロヘロの情けない顔になるのは気分がいい」


 完全にハニートラップじゃないか。というか。


「……まさか特区に来た直後からそういうことやってんのか」


「当たり前だろ。15、6の小娘がマフィア相手にやり合おうってんだ。使えるものはすべて使うさ。第一、依頼で暗殺やってんのにその程度の非道徳なんぞ今さらだろ」


 そこまで言われると、もう何も言えなくなってしまう。


 そもそも自分が彼女と再会してからまだ一年と経っていない。それ以前の彼女の努力を咎める資格は、自分にはない。


 自分はその場にいなかったのだから。


 ニコラスが黙り込んでいると、ファンがコホンと咳払いをした。


「……失礼しました。ともかく、リアルに表現しようとすると、どうしてもそうなってしまうんです。それにこの国の現状をみるに、もう未成年が主人公のアニメを描くこと自体リスキーなことなんだろうなと思います。それでも先輩は屈しなかった」


「それで、特区へ逃げてこられたんですね」


 ファンは力強く頷く。


「はい。ですが、この規制もいずれは緩和されると思います。ここに来るまでの三等区の街並み、ご覧になりました?」


 ニコラスたちは顔を見合わせた。フルスモーク車に乗っていたのもあって、街並みには注意を払っていなかったのだ。


 窓へと向かい、外を見て仰天する。


 どこを見てもアニメ、コミックのキャラクターばかり。まるで一種のテーマパークのようだ。

 先ほど児童ポルノ規制に引っかかると言われた絵柄が、三等区を占領している。


 驚いたな、とハウンドが呟いた。


「ターチィが以前からこういうサブカルチャーに力を入れていたのは知っていたが、ここまでとは」


「結果的にそう見えてしまっても仕方がないですが、これは我々の自由意志の結果ですよ。ここ最近、先輩のように特区へ制作拠点を移すクリエイターが続出しているんです。中にはディズニーやマーベル、DC出身者もいます。すでに国内のアニメ・コミッククリエイターの空洞化が始まってるんです。国内より特区の方が自由に制作できるから」


 みんな疲れてしまったんです、とファンは呟いた。


「見せかけの人種差別配慮やキャラクターの男女比率、ただ作品をつくるだけであっちこっちに気を遣わなくちゃいけない。しかもそうして頑張ったところで、知識層が好む“リベラルな作品”が出来上がるだけで、本質はなに一つ改善されてないんです。

 盗まれた我々のアニメにしたってそうです。魔法少女の右端のこの子、アジア系でしょう? 目を細くしろと言われたんですよ。。未成年への配慮はするくせに、アジア系への配慮はしないんです。その程度の配慮なんですよ、上が好む正しさというのは」


 そう言って、ファンは自身の携帯から、スクリーンショットしたらしい画像を見せてくれた。

 それは現在のクリエイター事情に警鐘を鳴らす、著名映画監督のインタビュー記事だった。


 その記事に記された名に、思わず目を見開く。


「すでに著名人も警告を発しています。このまま規制が続けば、いずれ国内で誰も作品をつくらなくなるでしょう。今はネットがありますから、制作側がどこでつくってるかだなんて誰も気にしない。それに、視聴者だってもうとっくに気付いていますよ。制作側のしょうもない偽善を、視聴者はすぐ見抜きます。視聴者にガッカリされるような作品だけにはしたくなかったんです」


 ファンは三等区の街並みを眺めながら、グッと拳を握りしめた。


「ここが天国だなんて言いません。ドラックも横行してるし、銃撃は頻繁に起こるし、マフィアの言うことは絶対です。一本裏道に入れば過激な風俗店が居並ぶまごうことなき犯罪都市です。

 先輩も、ターチィの手の者に殺されたと聞きます。正直、とても怖いです。でも……私は、ここに残って描き続けます。たとえ私も先輩のように無惨に殺されようと、他の誰かに作品を託してしまえばいい。ネットに投稿してしまえばこっちのもんですから」


 ファンは振り返り、自分たちの手を両手でしっかりと握りしめた。


「お二人と会って、決心がつきました。アニメは最悪、私たちでなんとかします。ただ、先輩の無念だけは晴らしてあげてください。借金したのだって、私たち社員を食わせるためだったんです」


 どうか、と手を握りしめるファンに、ハウンドは小さく息を吐いた。


「分かりました。捜査は引き続き、全力で取り組みます。それと、その水損したHDDをお預かりしてもいいですか? 27番地うちの専門チームで復旧できないかやってみます」


「っ、ありがとうございます……!」


「それとここ最近、ファンさんことで気になったことはありませんか? 妓女と揉めていたとか」


「妓女と、ですか?」


 ファンはうーんと腕を組んで首を捻った。


「私の話ではむしろ仲がいい印象でしたけど。先輩、大人しい感じだったんでああいう夜遊びもするんだって、聞いた時はちょっと驚きましたね。どの子も綺麗だから一度行ってみると言いよって言われて、一緒にストリップショー見にいったこともありますね」


 綺麗、という言葉に、ニコラスは不意にイヤドの発言を思い出した。


 ――『「今日も綺麗だった」って嬉しそうに笑いながら話してたの、よく覚えてるヨ』――


 「よかった」でも「すごかった」でもなく、「綺麗だった」なのだ。


 こう言っては何だが、フォーから入手した書類に掲載されていた注文内容と感想がかけ離れているような気がする。


 であれば、フォーはチャンの情報を偽ってこちらに伝えたのだろうか?


 ニコラスがそう考えている間も、ファンはうっとりと目を細めていた。


「綺麗でしたよ。特にポールダンスがすごくてですね、かなり筋肉つけないとできないでしょうに、全然ごつく見えないんですよ。ああいう女性らしいラインを維持したままダンスのための筋力を保持するのって、かなり難しいと思うんです。女はダイエットすると真っ先に胸が縮みますから。それに、ストリップは隠すものが何もないから、誤魔化しがきかないんですよね。日頃から地道にトレーニングと食事制限してるんだと思います。

 ……まあ、綺麗なことばかりじゃない業界でしょうから、きっと嫌な思いも苦労もたくさんされてるとは思いますが。でも、同じ表現者として尊敬します。本当に素晴らしいパフォーマンスでした」


 そう語るファンの横顔からは、憧れの存在を夢見がちに語る少女の面影が垣間見えた。




 ***




「どう思う?」


 ファンと別れ、ヨンハの待つ車に向かうまでの間、ゆっくり階段を下りながらハウンドが尋ねた。


 ニコラスは先ほど思い出した疑問点を語った。それを聞いてハウンドも頷く。


「私もそう思う。仮にこれが本当なら、フォーは店に注文内容を偽って報告していたことになる」


「それって規約違反じゃ……」


「違反だ。妓女が上前はねるのを防止するためのやつだからな。クビどころか処刑されてもおかしくない、一番重大な規約違反だ。ただ、もっと疑問が残る」


 フォーはなぜ、いち客でしかないチャンのために、そこまでしたのか。


 ニコラスはしばし顎に手をあて、


「なあ、これさ。フォーがアニメを盗んだんじゃないか?」


 顔を上げたハウンドと目があった。どこか苦しんでいるような、迷っているような表情だ。


 この顔をニコラスは見たことがある。

 親友のフレッドに黙って故郷を飛び出し、海兵隊に入隊したのち、自分の後を追ってきた彼と再会した。その時のフレッドの顔がこんな顔だった。


 なぜ自分に何も言ってくれなかったのかと、咎め、落胆し、そしてちょっとだけ拗ねている顔だ。


「……私もそう思う。それに、ファンがさっき見せてくれた記事。あの映画監督――」


「ああ。フォーが規約違反までしてツーから奪った上客だ」


 国内の表現規制を憂う著名な映画監督に、その表現規制で特区へ逃げてきたアニメ制作者。そして、チャンの会社の内情を知っていないと不可能な犯行。


 ニコラスの推理はこうだ。


「あくまで推測だが、チャンはどうにかして自分たちが制作したアニメを上映できないか色々と模索してたんだと思う。けど犯罪都市に拠点を置く会社のつくる作品なんてコンプライアンス的に国内上映はまず無理だ。それをチャンはフォーに愚痴ったんじゃないか? 

 妓女には技芸のパフォーマンスや性接待だけでなく、普通にホステスみたいに客の愚痴を聞いたり相談相手になるサービスも提供してる。フォーはチャンの頼みで、例の映画監督と接触してチャンが監督へ交渉するためのつなぎ役をやったんじゃないか?」


 アニメデータの窃盗にしてもそうだ。

 フォーならば、常連客であったチャンの会社のことも知っていておかしくない。


 ハウンドは立ち止まり、踊り場の手すりに背をつけながら腕を組んだ。


「それなら次の疑問が出てくるな。どうしてフォーはそんな無茶な頼みを聞いたのか。もしアニメ上映が成功してその売り上げを一部貰う約束だったとしても、フォーにとってリスクが高すぎる」


 それに、


「フォーがアニメを盗んだ理由も不可解だ。アニメ上映は会社メンバーにとっても悲願のはずだ。普通に事情を話して協力を申し出ればいいだろう。それなのに、わざわざディスクを盗んだ挙句、保存先のPCまで破壊して回ったのはなんでだ」


「利益を独占したかったとか……」


「フォーはそんなことしない。ニコだって、彼女の部下を見ただろ?」


 部下? 確かに見たけども……。


 ニコラスが記憶のタンスをまさぐっていると、ハウンドは顔の前で手を振った。


「いや。これはいま重要な話じゃないな。ともかく、フォーとチャンの間柄をもう一度調べ直そう。どうも彼女、何か隠してるみたいだし。水損したHDDも気になる」


「そうだな。あと、事件当日の現場周辺の目撃情報も当たってみよう。何か手掛かりが見つかるかもしれん。PCの破壊方法の違いも気になるしな」


 というか。


「昨晩の女子会、いかにも高利貸しの仕業ですみたいな話の流れになってたけど、もしフォーの仕業なら、あれぜんぶ演技だったってことだよな。一人ならまだしも、四人全員が嘘ついてるって……」


「言ったろ、一筋縄じゃいかないって」


 本当に。女ってやっぱり怖い。


 そんなことを思いながら階段を降りきって、突然、背後からクラクションに小突かれた。


「イヤド?」


「や、お兄サンたち。捜査の進み具合、どうなってル?」


 古びたセダンから手を振るイヤドに駆け寄ろうとして、ニコラスは「少し待っててくれ」と言ってから踵を返した。ヨンハたちに一声かけておこうと思ったのだ。


 あのごね具合では、これ以上待たせるとどんな反応をするか分かったものではない。

 依頼人のイヤドに敵意を向けられても困る。


 そう思ったのだが。


「ん? あいつらどこだ?」


 ヨンハたちはいなかった。

 車はおろか、周辺に自分たちを監視する人影も見当たらない。どこへ行ってしまったのか。


「あいつらって黒服着た人たちのこと? その人たちならさっき急いで車に乗って走ってったヨ。一等区の方へ向かってたネ」


「走ってったって……なんでまた」


「さあ? お腹へってたのかもネー。もうお昼時ヨ」


 少なくともあの物々しさでそれはあり得まい。一体なにがあったのだろうか。


「それより二人とも乗って。チコがね、お昼一緒に食べたがってル。ここで捜査してるって聞いて、迎えにきたネ」


「よくここにいるって分かったな」


「チコの店にファンって人から電話あったヨ。それでここいるって分かったネ。前よりちょっと元気になったネー」


 なるほど。ファンには自分たちが依頼で訪問した旨の話もしてある。

 彼女にとっても、チコは先輩が生前世話になった人物だ。お礼の電話かなにかかけたのだろう。


「さ、二人とも乗って。私もうお腹ぺこぺこヨー」


 イヤドに促され、ニコラスは助手席に手をかけて。


「ハウンド?」


 彼女がまったくその場から動いていないことに気付いた。辺りをきょろきょろと見回している。


「何してるんだ?」


「ん? ああいや、この辺りから美味しそうな匂いがしたから。あそこのクレープかな」


「ああ、シャーピン(中華風クレープ、卵の生地にネギや肉を入れて焼く)ネ。ターチィの屋台、中国の多い。私あのパンダの箱のより屋台の方が好きネ」


 相変わらず飯のこととなると目ざとい。半ば呆れつつ、微笑ましく思いつつ、ニコラスは今日の夕飯の献立を考え始めた。


 そうして車に乗り込んで、数分と経たない頃だった。


「ニコラス、定時連絡だ」


「ん? ああ、情報班の――」


 ニコラスはハウンドから見せられた端末画面を見るなり絶句した。


 そこに表示されていたのは定時連絡などではなく、今朝ここに来た時に使っていた盗聴対策のメモ帳アプリだった。


 ――『このイヤドという男、あまり信用するな』――


「お兄サン? どうしたネ、オバケ見たみたいな顔ネ」


「いや、今回の依頼のことじゃない」


 そう返すので精いっぱいだった。

 なぜ、と目で問うと、ハウンドは返答をメモ帳に入力した。


『特区の電話線は基本五大マフィアが独占してる。三等区に店を構えてるチコが固定電話なんかもってるはずがない。あと、あの剣幕のヨンハたちが私たちに一言も言わずに立ち去るのは妙だ。少なくとも見張りぐらい残す。でも一人もいなかった』


 続いてハウンドはこう入力した。


『この男、嘘ついてる。もしかするとこの依頼自体、仕組まれたものかもしれない』

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