10-4
ジャケットの両脇を膨らめた黒スーツの従業員が、重厚な細工の扉を開ける。その先の光景に、ニコラスは圧倒された。
フォーは部屋と言ったが、ラウンジと称する方が正しいだろう。
屋内バスケットコート場ぐらいほどの空間に、白亜の絢爛な柱が壁沿いに天井へと伸びている。なんたら式なのかは分からないが、柱の装飾だけでかなり金をかけているのが分かった。
ボックス席なのか、歌劇場のバルコニー席のようなものが壁をくりぬくように設けられ、七、八人は余裕で寛げそうなソファーやディスプレイが置いてあった。
「今日はヨーロッパの方か」
軽くラウンジ内を見回したハウンドがそう呟く。視線を向けると、彼女は解説してくれた。
「青楼では客層によって部屋を分けてるんだ。部屋は四つあって、それぞれ内装がアジア風だったり、ヨーロッパ風だったりすんの。ここは古代ローマのティトゥス凱旋門をメインテーマにセッティングしたって言ってたっけな」
「ここは?」
「上から二番目のランクの部屋だね。ナンバー持ちの妓女はここと最高ランクの部屋にしか出入りしないから」
ニコラスは改めてラウンジ内に目を向ける。
多種多様な大理石からなる床はモダンアートのような幾何学模様を描いている。
壁沿いのボックス席では着飾った男女がさざめき、時おり品定めするような一瞥が投げかけられる。
奥には飲食物を提供するカウンターバーと、立派なピアノが置かれた演奏スペースがあり、ラウンジ中央には、上から吊るされたクリスタル製シャンデリアを包み込むように左右の螺旋階段があった。
そしてフォーは、螺旋階段前にいた。
いつの間に合流したのか、先ほどハウンドのコートを預かったヨンハとかいう側近と話している。
ニコラスはそちらへ足先を向けた。
向かう最中、一人、右奥のボックス席からやってくる女性に気付いた。
「お待ちしておりました、ヘルハウンド様。半年ぶりのご訪問でしょうか」
「久しぶり、スリー」
スリーと呼ばれた女性は微笑を浮かべ、両手を鳩尾前で恭しく揃えると、軽く会釈した。
ターチィ一家直轄娼館専属の妓女、ナンバー・
藍のチャイナドレスがよく似合う、これまた目を見張る美女だ。
けれどフォーとは美しさの種類が違っていて、スリーからは知的で涼やかな印象を受ける。顔立ちも中性的で、男装したらさぞモテるだろう。
ハウンドと同じく極東アジア系らしく、どこか雰囲気が似ている。
「話は伺っております。殺人事件の再調査のご依頼とか」
「うん、そう。なかなか不可解な事件でね。なにか聞けることないかなって」
「ええ、もちろん喜んで協力させていただきますよ。ヘルハウンド様が我々を頼って下さることなんて滅多にありませんもの」
そのタイミングで、側近と話し終えたフォーがこちらに戻ってきた。それに気付いたスリーもまた階段上へ誘った。
「さあ、立ち話も何ですから、席へ――」
「来たよぉ、ヘルちゃん!」
突然後ろから飛びついてきた女性に、ハウンドがよろめいた。
ニコラスは慌てて手を伸ばすが、フォーの方が早かった。こちらと向き合っていた彼女の方がいち早く気付けたのだろう。難なくハウンドを抱きとめた。
一方、飛びついた女性はそんなことはお構いなしで。
「元気してた? また遊ぼって約束したのに、半年も待ちぼうけさせるなんてひどいじゃんっ。『チュリップ』寂しかったんだよぉ?」
愛らしく唇を尖らせて、子猫のようにハウンドに頬ずりする。
ターチィ一家直轄娼館専属の妓女、ナンバー・
こちらは、可愛いという表現が真っ先に出てくるタイプの美女だった。
けれど振る舞いはともかく外見から幼い印象はなく、どこぞの令嬢が久々に再会した両親の前ではしゃいでいるような、愛らしくもちゃんと大人の女性の色香漂う美女だった。
ハウンドがよしよしを頭を撫でると、えへへと表情が緩まった。
元がちゃんと大人な顔立ちなだけに、愛らしい笑顔とのギャップが激しい。これは男はイチコロだろう。
薄ピンクのプリンセスドレスも相まって、守ってあげたくなる系の女性だ。
そんな様子のツーに、フォーが眉をひそめた。
「チュリップ姉さま、仮にも五大会合の参列者なんですから。もう少し丁寧に……ヘル、大丈夫?」
「うん。ありがと」
「えぇー、充分丁寧だよぉ? 今日のお客さんほっぽいて真っ先に駆け付けたんだからっ。ヘルちゃんきて嬉しいのは分かるけど、チュリップ、独り占めは感心しないかなぁー?」
「いえ、そういうつもりではなく。あとお客をほっぽりだすのはマズいのでは……チュリップ姉さまのお客って年単位の予約ですよね?」
「まあまあ、アネモネ。チュリップ姉さまの奔放ぶりはいつものことですから。お客様も分かってくださいますよ」
「あれ、チュリップもしかしてディスられてる? うわーん! ヘルちゃん、アネモネとロンダンが虐めるよぉ!」
またもツーがハウンドに抱き着いて、フォーが小さく溜息をつき、スリーが微笑ましげにクスクス笑った。
右も左も前も美女に囲まれて、ニコラスは今すぐその辺の柱か壁紙になりたくなった。マジでどうしたらいいのか分からない。
すでに空気と変わらない扱いだが、このままここに居てもいいものか。
それに、この美女三人は――。
「あらあら、思ったより早く着いたのね」
上から声がかかった。振り向くと階段の上で、銀のマーメイドドレスに身を包んだ美女が佇んでいた。
ツーが「リーリお姉さま!」と嬉しげに声を高めた。
ターチィ一家直轄娼館専属の妓女、ナンバー・
青楼最高ランクホステスであり、当主に次ぐターチィ一家最高権力者である。
「駆けつけてくれた、ってことでいいのかしら。ふふふ、にくい登場をしてくれるじゃない。やっぱりあなたには黒がよく似合うわ」
「ワンの見立てだからな」
「あらあら。そんな嬉しい言葉、いつの間に覚えたのかしら。差し色を赤と白のどちらにするか悩んだのだけど、赤で正解だったみたいね」
シルクグローブに包まれた手を手すりに滑らせて、ワンは一段一段ゆっくりと降りてきた。
母性みのある美女だ。フォーのような近寄りがたい美人ではなく、隣に座っても気後れすることのない不思議な親しみと包容力を感じる。
けれど四人の美女の中でも一番存在感があった。
「けど髪が寂しいわ。せっかく綺麗な黒髪なのに」
そう呟きながら、ワンが目を伏せハウンドの髪を一房すくう。その艶っぽい仕草にニコラスはドキリとした。
「あんまアップできないんだよ。結ぼうとしてもすぐ解ける」
「ストレートだとその辺りが不便よね。あたしからすると羨ましい限りだけど」
「アネモネのウェーブがかった髪も素敵ですよ。かんざしなんかいかがですか? 私もストレートですが、ご覧のとおりちゃんと上がってますし」
「スプレーで固められないの? あ、今度チュリップがやったげよっか!」
「んじゃ今度」
「やったぁ! 約束だよ? 絶対だからね?」
きゃいきゃい騒ぐ美女たちを前にして、ワンは緩やかに微笑んだ。
「二階奥のVIPルームを取ってあるわ。ふふっ、今夜は楽しい夜会になりそうね」
***
容疑者は出揃った。
イヤドからの依頼はもちろん大事で、きちんとこなす。ヴァレーリ一家の件も見過ごせない重要案件だ。
けれど、それらはあくまで表向きの訪問理由だった。
自分たちにとって、特にニコラスにとって一番重要なのは「誰が“銘あり”なのか」ということ。
ニコラスは案内されたVIPルームで、ハウンドが座るソファーの背後に控えながら、目の前の美女四人をそれとなく眺めた。
ナンバー・ワン、『リーリ』。
ナンバー・ツー、『チュリップ』
ナンバー・スリー、『ロンダン』
ナンバー・フォー、『アネモネ』。
この四人の中に、“銘あり”がいる。
これはただの推測ではなく、これまで入手した情報からかなりの確信をもっていえることだった。
『……例の“カラスの情報屋”が出してる広告に、携帯電話の番号のってたからハッキングで通信会社のデータあさってみたんだけど……ごめん。何も出てこなかった』
申し訳なさげに肩をすぼめる少年ウィル(6節参照)の背を、27番地情報班班長が軽く叩いた。
『お前に無理なら他の誰にも無理さ。むしろ、お前がここまで調べてくれたおかげで、次に繋がったんだ。そう凹むな。――ウィルの言う通り、通話記録やメールの送信履歴からは何も出てこなかった。どうもこのご時世にアナログでやり取りしてるタイプみたいでな。一昔前のスパイみたいに、依頼主の
『何か分かったか』
ニコラスが尋ねると、班長は得意げにニヤリと笑った。
『当然。ただ伝令個人の特定には至らなかった。だが“カラスの情報屋”と伝令が待ち合わせに使ってた車は特定できたぜ』
『車?』
『車の中で情報の受け渡しをするんだ。盗聴の心配もないし、移動できるから場所も特定されにくい。んで、利用されたのは、ターチィ一家所属娼館が運営してるタクシーだ』
なるほど、とニコラスは思った。
娼館のタクシーであればターチィ領のそこらじゅうを走っているうえ、客を装えば乗っても誰にも怪しまれない。なかなか賢い情報屋だ。
『ただこのタクシーにも種類があってな。娼館によって車種が違うんだ。つまり、どの車種のタクシーに乗ったかさえ分かれば、情報屋がどこの娼館の伝令と接触したかが分かる。――で、こいつがその記録だ。運送班の連中に協力してもらって聞き込みやってもらった。ヴァレーリの件の仕込みと同時期に仕掛けたから、こちらの意図が向こうにバレることはないはずだ』
こうして、27番地情報班と新進気鋭の若手ハッカーの協力により、“カラスの情報屋”の行動記録が明らかになった。
――ナンバー持ちの妓女は、与えられた番号に応じてチームを組み、曜日ごとに複数の娼館を移動しつつ客を取る……。
そして驚くべきことに、情報屋の行動範囲は、なんとトップナンバー持ち妓女五人の勤務ローテーションと一致したのである。
つまり、ターチィ一家最高幹部ともいえる五人の妓女――うち、ナンバー・ファイブは四年前からマレーシアに長期出張中なため除外する――が、“カラスの情報屋”を雇った高級娼婦ということになる。
この四人の中に、“銘あり”がいる。
ニコラスは顔が強張らないよう努めて平静を保った。
「でね、でね。そのセクハラ親父、アネモネの胸が小さいからって『胸揉んで大きくしてやろうか』って言ったの。そしたらアネモネ、『そういうあんたは髪が寂しいわね。頭皮揉んであげようか?』って。ヤバくない?」
「よく殴り返さなかったな。カフェにそういう客きたら速攻で叩き出してるぞ」
一方のハウンドは、妓女らと和気藹々に談笑している。報告は当然彼女も知っているが、おくびにも出さない胆力は流石だ。
「するわけないでしょ、ここ娼館よ? あの程度のセクハラ発言で凹むぐらいなら、言い返して面白い女判定させて指名取った方がよっぽど有益じゃない」
「実際、アネモネは指名をとってきたんですよ。今ではすっかり彼女の常連客です」
「へえ~、やるじゃん」
「意外とああいう客の方が上客になったりすんのよ。客は育ててなんぼよ。些細なことに目くじら立ててたら仕事になんないでしょ」
「アネモネってばМ男製造マシーンだもんねぇ」
「人聞きの悪いこと言わないでください、チュリップ姉さま」
フォーは思い切り顔をしかめた。
どうも彼女はツーのことがあまり好きではないらしい。言葉も丁寧で態度に示すこともないが、ツーと話す時だけやや声が低くなる。
逆にハウンドと話す時は少し表情が明るくなる。口調も遠慮がないし、友人だというのは本当のことのようだ。
席に着く時も、ツーを差し置いてハウンドの隣をぶん捕っていた。
そんな中、スリーの淹れた紅茶を飲んでいたワンが、カップとソーサーをテーブルに置いた。
「もう少しお喋りを楽しみたいところだけど、ヘルも忙しいだろうから、そろそろ本題に入りましょうか。あなたもこっちにいらっしゃいな」
ワンがこちらを振り返り、ニコラスは自分が呼ばれたのだと気付くのに数秒かかった。
「俺ですか?」
「もちろん。あなた、ヘルの助手なんでしょう? ならあなたも私たちのお客様だわ。隣を取っちゃってごめんなさいね」
そう言ってワンは席を立ち、向かいのソファーに座った。
ワンが席を譲ったので、フォーもまた渋々立ち上がった。
移動しながら「さっさとこっちに来い」とばかりに睨んできたので、ニコラスは恐る恐るハウンドの隣に座った。
座ると同時に、スリーが手元にある書類をめくった。
「ヘルハウンド様から事前に頂いた報告書によれば、被害者はチャン・トォウフォ様。特区在住のお客様で、当店にもそれなりの頻度で通われていたようですね。ご職業は――」
「はいはーい、チュリップ知ってる! ちっちゃいアニメーターちゃんだよね。見た目は癒し系っていうか、いつもびくびくオドオドしてていじめ甲斐があるっていうか。割と有名なアニメーターだったらしいよ。中国にいた頃からアメリカでも知ってる人がいるくらいだし。けどあの国って、ああいう表現系には色々と厳しいじゃん? だから逃げてきたっていうかぁ」
それでアメリカに移住か。移住後、すぐに大手アニメ会社に就職するくらいなのだから、かなり優秀だったのだろう。
「あとこう言っちゃなんだけど、あんまここのお客さんっぽくなかったかなぁ」
ツーがそこまで言ったところで、スリーが窘めるように小さく咳払いをした。
「チュリップの言う通り、故人をこのように言うのは心苦しいですが、チャン様が少々背伸びをしておられたのは事実です。負債額も、チャン様のご収入だと返済に20年はかかるでしょう。もちろん利子除外の額に、全収入を投じた場合です」
「そうまでして私たちを求める殿方がいるのは、こちらとしても冥利に尽きることなのだけれど」
ワンの嘆息に、スリーは「ええ」と相槌を打つ。
「借入日時から換算するに、返済をすでに求められていたことと思います。また借入先は当家所属の貸金業者です。それとご報告によれば、ご遺体の首に“応報の証”があったとか」
チャンの首に開けられていた、蛇の噛み痕のような四つの穴のことだ。
ハウンドは頷いた。
「ああ。遺体安置所でも確認した。添付してある写真の通りだ」
「となると、やはり事実なのですね」
スリーが重々しく息をつき、フォーが顔をしかめた。
ワンも僅かに柳眉を寄せる。
「妙ね。状況的に取り立て屋に追われていてもおかしくないけれど、返済に失敗した程度で証はつけないわ。あれはターチィに刃向かった罪人につけるものですもの。余罪があったとして、私たちが把握していないのはおかしいわね」
「私もそう思います。また仮に貸金業者が
スリーの発言に、ワンとフォーが頷く。対してツーは小首を捻った。
「けどそれってなんかメリットある? うちの名前なんか使ってどうすんの」
「まず考えられるのは、集金を早めるための見せしめ、でしょうかね。滞納利用者が多いと経営不振になりかねませんから、ターチィの名で滞納利用者に揺さぶりをかけたかったのかもしれません」
「けど殺しちゃったら借金回収できなくない?」
「ええ。ですからチャン様が選ばれた、という可能性もあります。チャン様は三等区の不動産をいくつか所有しておられましたから」
「不動産を、ですか?」
ニコラスはここで初めて口を開いた。
特区における土地や建物などの有形固定資産は、すべて五大マフィアが所持していると思っていたのだ。
「土地の所有に関しては当家ですが、それ以外は住民の自由に任せているんです。その方が市場も活発になりますし、当家の負担も減りますから。もちろん他家による不動産買収の防止のため、身元調査は徹底して行っております」
なんだか頭がこんがらがってきた。
計算と数値の丸暗記は得意だが、経済だの金融だの小難しい話にはあまり詳しくないのだ。
「ええっと、つまり被害者を見せしめに殺して、所有していたターチィ領三等区の不動産を強制回収して換金しようとした、ってことですか?」
「はい。三等区といえど特区不動産はそれなりの額になります。それにここ最近は三等区の住宅価格が高騰しておりまして」
つまり、売るには絶好の機会だったというわけだ。
回収の見込みは薄いが、財産だけはいっちょまえに持っている借主。
売れと脅したものの拒まれ、業を煮やして手にかけてしまったか。
見せしめになって、金も回収できるのなら一石二鳥だろう。
――こりゃなかなか辛い依頼になりそうだな。
まだ犯人と決まったわけではないが、状況的に一番得をするのはチャンに金を貸していた高利貸しだ。
証拠をそろえるまで結論を出す気はないが、イヤドやチコに厳しい真実を突きつけることになるかもしれない。
そう思っていた時、ツーがおもむろにフォーに向かって尋ねた。
「ねえ、アネモネはなんか知らないの? そのチャンさん? だっけ。アネモネのお客さんだよね。常連だったんでしょ、なんか悩みとか聞いたりしてないの?」
途端、フォーがぎろりとツーを睨んだ。
スリーが頭痛を堪えるように額に手を当てる。
「チュリップ姉さま、故人といえど顧客情報を部外者に漏らすのはご法度とあれほど」
「でもこのままじゃ犯人は高利貸しで、借金早く返さなかったチャンさんの自業自得ってなっちゃうじゃん。それはあまりに気の毒じゃない? アネモネだってそう思うでしょ。ご当主様の命令は絶対だけど、ここでだんまりはチュリップよくないと思うなぁ」
「……アネモネ、できる範囲でなにか教えてあげられないかしら。あなたの友人の依頼に関することでもあるんだし。ご当主様には黙っておいてあげるわ。ね?」
三人の美女の視線を浴びて、フォーは腕を組んだまま黙りこくった。そして、ちらと向かいのハウンドを見る。
「私は黙っていても構わない。伝えられる情報に限りがあるのは承知の上だ」
それを聞いたフォーはしばらく俯き、次いで目頭に手をあてて、側近の名を呼んだ。
側近はすぐ扉の向こうから現れた。
「ヨンハ、チャンの資料をここに持ってきて。来店報告書以外は全部」
「かしこまりました」
すぐさま踵を返す側近に目もくれず、フォーは鋭い眼光をこちらに向けた。
「私と姉さま方とでは客層がだいぶ違う。アブノーマルな要求をする人も多い。そのぶん顧客情報の取り扱いには慎重な客が多いのよ。誰だって性癖他人に暴露されたくないでしょ。死人であっても例外じゃないわ。特に青楼に来る客は社会的地位の高い人が多いから、そういうゴシップをすっぱ抜かれると致命傷なのよ。仮にあんたらが私から顧客情報を入手したってバレたら、あたしの売上どころか青楼全体の売上に響きかねない。くれぐれも慎重に扱って」
「もちろんだ。フォーの不利益になるようなことはしない」
「……そう。そうなることを願ってるわ」
あとは、と口をつぐみ、フォーは組んだ足の先にある底が深紅の黒いピンヒールの爪先を揺らした。
「アニメが消えた、って言ってたわ」
「「アニメ?」」
ニコラスはハウンドと顔を見合わせた。
「彼の同僚が電話で問い合わせてきたの。彼の訃報を知ったのもその時。詳細は何も知らない。その同僚もかなり気が動転してたみたいだから。それに会社もってるとは聞いてたけど、アニメはもうずっと一人でつくってるって聞いてたから、同僚がいたことも私は知らなかった」
「消えたっていうと、アニメのデータが消えたってことか?」
「たぶん。というか、私もその辺のことそんなに詳しくないし。ただデータが消えた、盗られたって何度も言ってたわ。それ以上はもう訳わかんないこと喚き散らすばっかで話になんないから、切っちゃったのよ。あたしの立場上かけ直すのも気まずいし、かけ直したところでねえって感じで。それきり」
盗られた、となるとパソコン内の電子データを抜き取られたとか、そういうことなのだろうか。
というか、そもそもアニメは一人でつくれるものなのだろうか。
ハウンドが膝に肘をついて前に身を乗り出した。
「その同僚の連絡先は分かるか?」
「それも合わせてヨンハに用意させてるわ」
ハウンドにそう返答した直後、側近が戻ってきた。手にはA4サイズの茶封筒があり、それを受け取ったフォーは内容をひとめ確認して、こちらに差し出した。
「さっき言った同僚の連絡先よ。三等区の繁華街、チャンの会社の住所と同じね。それからチャンの基本的な個人情報。住所・連絡先のほかは来店日時、その日の使用額、注文内容ね」
「私からもお願いします」と、ロンダンが目礼した。
「犯人が誰にせよ、ターチィの名が悪用されたとあっては、我々としても見過ごせません。バックアップであれば可能な限りさせていただきます」
「くれぐれも口外すんじゃないわよ。特に注文内容。人によっては墓まで持っていきたい内容だから」
フォーから茶封筒を受け取ったハウンドは、さっそく中身を確認した。
ニコラスも上から覗き込む。
――●月●日 使用額■■ドル 注文内容:快楽拷問・ドS女看守の愛のムチと搾精地獄――
他人にバレたくないはずである。
顧客に対する誠実さを目の当たりにして、ニコラスは少しだけフォーへの評価を改めた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次の投稿日は3月1日(金)です。
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