9-14

【9-10、9-11 修正完了しました】








―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ちょっとでも息を吐いたら、ひび割れて粉々になってしまいそうな緊迫だった。


 ニコラスはすぐにパメラとハウンドの間に割って入ろうとしたが、セルゲイに肩を掴まれた。

 睨んで振り払おうとするが、珍しく引き下がらない。


「火に油注ぎてーのか? 黙ってみてろ」


 正論である。自分が割って入ったところで公平性を損なうだけだ。

 ニコラスは不安を抱えながら、ただ見守るしかなかった。


 ひりつくような沈黙を、先に破ったのはハウンドだった。


「ベルナルド・バンデラス曹長のご遺族、パメラ・バンデラス様ですね。遺品を受け取った旨も、すでにイーリスから聞いています」


「へえ、そう。で、彼女は?」


「死亡しました。我々の身代わりに、敵の足止めを引き受けてくださいました」


 パメラが少したじろいだ気がした。マルグレーテが息をのんで口元を押さえる。


「……そう。お礼を言っておきたかったのだけど」


 パメラはそう呟くと、打って変わってアイスピックの先端のような目でハウンドを睨んだ。


「ねえ、なんで嘘ついたの」


 ハウンドは心底面食らった様だった。ニコラスもまた虚を突かれた。


 嘘? 一体なにが?


「確かにあの人は腕時計を集めるのが好きだったし、いざという時の路銀にするために任務の時は必ず値の張る腕時計を持っていってたわ。けどあの人は金属バンド好きじゃなかった。使うバンドは必ずラバーか、ポリアミドだったわ」


 そう言って、パメラは胸の内ポケットから小箱を取り出した。

 中には古傷が入った、けれど丹念に手入れされた、金属バンドの腕時計が輝いていた。


「これ、あの人の物じゃないでしょ。なんで嘘ついたの。そんなに私たちのこと馬鹿にしたいの?」


 これまでのパメラなら「なんとか言え」と詰め寄ったことだろう。しかし今回は沈黙を保った。ハウンドの次の言葉を待ち構えている風だった。

 言葉次第では刺し殺してやると言わんばかりの険相だった。


 ハウンドはしばし押し黙ったのち、ふっ、と伏し目がちに視線を落とした。


「……確かにそれは彼の物ではありません。彼が私に送ってくれた品です」


「なら――」


「それ以外に、何も残ってないんです」


 瞬時に開いた口を、パメラはぐっと堪えるように閉ざした。怒りと憎しみに燃え上がっていた瞳に、僅かばかりの困惑が浮かんで、すぐに見開かれた。


「残って、ない……?」


 マルグレーテだった。

 抱きかかえていた娘たちから手を離し、よろめくように一歩踏み出す。


「それは、遺体すら残ってないって意味……?」


「……現在も捜索中です。遺品もすべて処分されました。残されたのは、彼らが私にくれたクリスマスプレゼントだけです。あれらは私の私物扱いでしたから。ベルの腕時計と、ロムとレムが自作したDVD、トゥーレの小説、それからラルフの“木箱”。これらは一時的に処分を免れました。結局、それもまた奪われてしまいましたが……」


 マルグレーテが膝から崩れ落ちた。パメラは片手で口を覆って、必死に小さく頭を振った。


 彼女たちにとって、一番知りたくなかった真実だった。


「本当は、棺に納めてもらったんです。彼らの戦友が、ちゃんと搔き集めてくれて。けど、それごと遺棄されてしまった。遺品にしても、現時点で取り返せたのはベルとロムとレムの分だけです。今、あなた方の手元に返せるものが、それぐらいしかないんです」


 ハウンドはそこまで言って、静かに、大きく息を吸った。


「私の発言を真実と証明するものは何もありません。ですから、信じるかどうかはあなた方の判断になります。ただ、これだけは伝えさせてください」


 申し訳ありません。

 私のせいで、私が弱かったせいで、五人を連れ帰ることができませんでした。


「ごめんなさい」


 消え入りそうな震え声だった。


 誰も、何も言わなかった。言えなかった。


 ラッセル車後部に接続した機関車の喧しい駆動音が、これほどありがたいと思ったことはない。


 その時だ、パメラが口から手を離した。


 腕時計の入った箱を持つ手に添えて、両手で包み込んだ。何があっても落とすまいと、震えながら胸のうちに抱え込むように。


「……なんて、言ってた?」


「え」


 不意を突かれたハウンドが顔を上げた。パメラは腕時計を額に押し当てるように俯いていた。


「渡す時。あなたにこれ渡した時、彼は、ベルナルドはなんて言ってた?」


 ハウンドは返答に窮した様だった。


「その」やら「えっと」やら口ごもって、視線をあちこちに飛ばして、酷く気まずそうに口を開く。


「最初は『役に立つから』って色々使い方を教えてくれたんですが、その、ロムとレムが途中から口を挟んだせいで喧嘩を始めてしまって。……えっと、それから謝られました。私の骨が細すぎて、手からすっぽ抜けてしまったので……」


 するとパメラは、ふっと小さく息を吐いた。


 背が忍び笑いをするように小刻みに震える。けれど、上げられた顔は――。


「ああ、やっぱり。あの人だわ。こんなセンスのない贈り物するの、あの人ぐらいだもの」


 泣き笑いだった。その笑みすら消え、声も次第に震えて嗚咽に変わった。


「指輪買う時あんなに叱ったのに、全然なおってなかったのね。こんなごつい腕時計、子供に送ってどうすんのよ。しかも男物だし、ロムレム兄弟にからかわれて当然だわ」


 最後の方はもう聞き取れなかった。


 くしゃくしゃに顔を歪めて泣きじゃくるパメラに、ハウンドはどうしたらいいか分からないようだった。

 手を伸ばして、触れていいのか迷った風に引っ込めて。口を開いては閉じて。


 唐突に慌てて手で口を押さえた。嗚咽が漏れるのを堪えたのだと、すぐに分かった。


 濡れた顔のまま目線を上げて、パメラは「ああ」と呟いた。


「そう。あなたも泣くのね」


 弾かれたように肩を跳ね上げたハウンドは、ふるふると首を振った。

 ごめんなさい、と小さく呻いて、必死に嗚咽を飲みこもうとする。


 そんな彼女の姿を、パメラはじっと見つめていた。


「許す、なんて言わないわ。まだ私はすべてを知ったわけではないから」


 途端、ハウンドが動きを止める。その凍り付いた彼女の手に、パメラの濡れた手が重なった。


「ただあなたは腕時計を直してくれた。ベルナルドのために泣いた。それだけは覚えておくわ」


 そう言って、パメラはハウンドの頭を抱き寄せた。ハウンドは当惑したように、何度も何度も瞼を瞬いていた。


 パメラが腕を解いた。ハウンドは未だ困惑したままの様だったが、さっと目をこすって横を振り向いた。


 そこには、何も言えずにただただ硬直するマルグレーテがいた。


「えっと、私は」


 そう言ったきり、マルグレーテは視線を彷徨わせた。はくはくと口を開閉させたが、言葉らしいものは何も出てこなかった。


 ハウンドが「いえ。構いません」というと、マルグレーテは驚いたように顔を上げた。


「トゥーレの遺品はまだ回収していません。言いたいことは、それからでも」


 必ずお返しします。


 そう告げるハウンドに、マルグレーテは放心したように俯くばかりだった。




 ***




 列車は基本、方向転換ができない。

 線路という直線上を走行する弊害だ。車のようにUターンとはいかない。転身したければ、もと来た道をそのままバックするしかない。


 現在のラッセル車がそうだった。


 このラッセル車の場合、動力部であるディーゼル機関車の前後にラッセル車が連結しており、その先頭部には空母船首のようなヘッドが取り付けられている。

 スコップのような下部が前下へ、弧を描いて突き出した形状のヘッドだ。


 このヘッドが敵の侵入を食い止めていた。


 単純に乗り移りにくいのである。


 激しい銃撃戦の最中、圧倒的に弾幕が薄いニコラスたちにとってはありがたい利点だった。


 ただし、通常の兵士が相手の場合だ。


「来たぞ。雑技団のお出ましだ」


 カルロが呟いた。


 双子が現れた。


 相も変わらず揃いの黒づくめの服、癖まで同じ黒髪に褐色肌。何人か分からぬ、表情も掴めぬ面持ちで、手下どもの背後から、弾幕の間を縫って跳び移るタイミングを見計らっている。


「乗り移らせろ。弾幕が少しはマシになる」


「大丈夫か」


 ハウンドにニコラスが問う。けれど彼女はとっくに覚悟を決めた顔をしていた。


「死んだ後まで追っかけてくる気満々の馬鹿がいるんだ。おちおち死んでられないよ」


 窓から身を躍らせ、天井部に降り立った。


「ストーカーの鏡だな」


「うるせえよ」


 カルロに言い返して、ニコラスたちもまた窓から身を乗り出した。


 対峙するハウンドの姿を見て興奮したのだろう。双子がそろって不気味な笑みを浮かべて、助走に入っていた。


 ドン、と派手な音を立てて双子が着地する。


 この双子は体格に似合わず音を立てない。

 そんな彼らが音を立てたのは、着地と踏み込みを同時に行ったためである。


 目にも止まらぬ速さで蹴りと拳がハウンドを左右から襲う。


 右の蹴りをハウンドが捌き、左の拳は割って入ったカルロが受け止めた。


 ニコラスも発砲を開始した。


 ハウンドが攻め、カルロが防御に回る。止めた双子をニコラスが狙う。


 肉弾戦が開始されたことで、敵の弾幕が急激に薄まった。


 当てないようにするためか、邪魔をするなと厳命されたかは知らないが、双子が肉盾になるなら好都合だ。

 顔を出す敵はセルゲイとアレサに任せておけばいい。


 問題はこっちだ。


――くそっ、動きが……!


 銃を奪われる可能性を考慮して、距離は十分とった。

 ハウンドとカルロの奮闘で双子はニコラスに近づけない。


 距離、10メートル未満。


 なのに当たらない。


 双子が動きを常時入れ替えるスイッチするためだ。


――こいつら、俺の眼を。


 明らかにニコラスの狙撃を意識した動きだった。


 以前のデンロン社屋上での戦闘で、ニコラスは双子の兄と弟の動きを観測し、記憶した。


 中国拳法を主軸とした、型のある動き。手数は豊富で組み合わせも自由自在。

 ただし、体軸がぶれないため、胴体部を的にすれば予測は可能だった。


 そこを双子は対策をしてきた。


 兄が弟の動きを、弟が兄の動きを、そっくりそのままコピーしたように真似をする。兄と弟では使用する型が異なるため、体軸の位置も変化する。


 入れ替えたと思ったら、戻し、入れ替えて、戻す、戻したまま、入れ替える。


 これでは旗上げゲームだ。

 予測ができない。当てられない。


 そのうえ一つ一つの動きは電光のごとく、威力も一切変わらない。


「ぐっ」


 カルロが膝をついた。


 体格はほとんど変わらない。膂力にも差があるようには見えない。

 ただ相手に与える衝撃と破壊力が桁違いなのだ。


 いかに効率よく打撃や蹴りに力を乗せるか、双子はその術に長けている。まともに受け続ければ、蓄積したダメージは洒落にならない。


 カルロの首めがけて双子の片割れが直刀を一閃する。


 寸前、その刃が折れ飛んだ。


 ニコラスの狙撃だ。ようやく当たった。


 片割れが舌打ちして後方に飛び退る。飛びかかったハウンドの銃剣が空を切った。そこにもう片割れが襲いかかる。


――まずい。


 カルロはもう限界だ。

 ハウンドだけでも双子を押さえられないことはない。ただし、地形や障害物を活用した場合だ。


 列車の上という、落ちたら即退場の狭いリングでは、ハウンドの能力を生かせない。

 加えて体力は双子の方が上だ。持久戦に持ち込まれる。


「……! ニコ、右!」


 弾かれたように顔を上げたハウンドが叫んだ。


 少しでも意識を逸らしたのが不満だったのだろう。双子が不機嫌そうに動きを加速させ、ハウンドを猛攻する。ゆえに訳は聞けなかった。


 だがニコラスの目は捉えていた。


 列車右側、約220メートル先。


 幹線道路らしき雪の轍を走行する数台の装甲車。その先頭車の天井から、兵士が一人上半身を出している。

 その肩に担がれているものは、


「ジャベリンだ! 狙われてるぞッ!」


 ニコラスは叫んだ。


 視界の先で、対戦車ミサイルFGM-148ジャベリンが、火を噴いた。




 ***




 ホワイトウォッシュ川の鉄橋の上。


 出発地点のグラッドストン駅から12キロ未満であり、ラピット・リバーの目と鼻の先であった。


 着弾は、前方ラッセル車と機関車の合間。それも線路下の鉄橋に命中した。


 機関部狙いではなかったのか、照準をしくじったのか、いずれにせよ爆風と衝撃は容赦がなかった。


 列車が停止する。


 ギリギリで機関車と後方ラッセル車の合間に滑り込んで、爆炎と飛散する破片を辛うじて凌いだハウンドたちだったが、衝撃で列車同士に潰されそうになった。


「火力支援,你说 ……!? 我们没有要求这样做!(火力支援だと……!? そんなもの我らは要請してないぞ!)」


「又是努阿扎……!(またヌアザの仕業か……!)」


 同じ場所に逃げ込んだ双子が大声で悪態をついた。邪魔されたことがよほど腹立たしかったのだろう。こちらのことすら眼中にないようだった。


 ハウンドは鼓膜への激痛と、三半規管の乱れからくる吐き気を堪えながら、運転室に怒鳴った。


「機関部は!?」


「無事だ、ありがてえことにな」


 全身を強打したらしい運転手の列車マニアが、呻きながら操縦席に取りつく。


「連結部をやられたな。だがまだ進める。ただ……ああ、電気系統がダウンしてやがる」


「修復には」


「五分くれ」


「来るぞ!」


 ニコラスの警告で顔を上げる。


 停車したこちらに、貨物列車から敵が銃撃しながら殺到してくる。


 双子はまだ揉めている。無線越しに喚き散らしているあたり、指揮官の指示に不満なのだろう。

 ただ今はともかく、彼らが参戦していないことがありがたかった。


 乱戦が始まった。


 ハウンドやニコラス、カルロも奮戦しているが、数が多すぎる。


 自分の確保はもちろんのこと、遺族のこともまだ諦めていないらしい。


 接近戦に持ち込んで敵の発砲をある程度抑えてはいるものの、列車に取りつかれるともうどうしようもない。


 アレサはスコップで、セルゲイは銃で対応しているが、とてもではないが追いつかない。


「おい、そこでまだグースカ寝てる馬鹿をたたき起こせ! 肉弾戦はそいつの担当だろ!?」


 遺族を車両前部へ避難させながら、セルゲイが上ずった声で怒鳴る。一瞥した視線の先には、遺族に介抱されるケータの姿があった。


 介抱の甲斐あってか、ケータがようやく上半身を起こした。ただし目の焦点が合ってない。 


「あれ、ここどこだ?」


 状況が掴めてないのか、目が完全に覚めてないのか、ケータはぽやんとした表情であたりを見回した。


 そこにアレサが顔面にスコップを叩きつけた敵が、倒れ込んでくる。


「おいチビペンギン、そいつをどうにかしろ!」


「……天敵の声がする」


「今そーいうのいいから倒せってば! 敵だよ敵っ、お得意の格闘術で締め上げろ!」


「…………なんだって?」


「だから敵だつってんだろ! とっとと締め上げろ!」


 セルゲイの怒声がだんだん悲鳴じみてくるが、ケータは目をしょぼつかせてポリポリ頭を掻くばかり。


 そこでアレサが叫んだ。


「転売ヤーよ、ケータ! 捕まえて!」


「まじか。任せろ」


 秒で足を引っかけて転ばせ、寝技で締め上げ始めたケータに、アレサが満足げな顔をする。セルゲイは「マジかよコイツ」とばかりにドン引いていた。


 しかもケータ、まだ目が覚めてないせいか、加減が利かないらしい。敵が盛大に悲鳴を上げてあちこちタップするが、聞こえていない。


「あっちは大丈夫そうだな」


「だね。そのままへし折っちゃえ」


 ニコラスの背を守りながら応じて、ハウンドは再び敵中に飛び込んだ。


 一方の双子たちは撤退することにしたらしい。不承不承に苦虫を噛み潰しながら後方へ下がっていく。


 警笛が鳴った。

 機関部の修復が完了したのだ。


「全員乗り込め!」


 ニコラスの叫びでハウンドたちは一斉に身を翻す。


 当然敵も追ってくるが、ハウンドたちは銃撃に応じず、列車に取りついた敵を蹴落とすことを最優先した。


 金属がきしむ音がした。

 下からだった。


――鉄橋が……。


 全員の顔に焦りが走った。


 先ほどの対戦車ミサイルジャベリンの着弾で、鉄橋が崩壊しかけている。


 けれど敵はまだ減らない。


 跳弾から遺族を庇い、群がる敵を殴り蹴って突き落とす。

 弾ももはや尽き欠け、持ち弾を片っ端からニコラスへ集中させて、代わりに銃床で殴りにいく。

 その時だった。


 列車が動いた。


 破壊された前方ラッセル車の後部と連結部とが、地面と接触して火花を上げる。それを無視して機関車が轟然とラッセル車を押し進める。


 その推進力に、いささかの衰えも見られない。

 ついには、前方ラッセル車を押しのけ脱線させ、押し通った。


 一方、列車が走行するたび、軋む音がどんどん増していく。


 列車内の手すりや座席に掴まった一同は、固唾をのんで見守った。


 鉄橋の先まであと20メートル、10メートル、5メートル……。


 大きな震動を立てて、鉄橋が崩壊した。


 後部ラッセル車が通過した直後だった。


 全員が一気に全身を脱力させた。


 これでもう敵は追ってこれない。身から出た錆だ。


 ハウンドは額の汗を拭って、ふと、後方へ目を向けた。


 顔をしかめた。


 自分の視力はあまりよくない。だからなぜ、貨物列車の最後方貨車の上に立っていた男を真っ先に捉えたのか分からなかった。


 視線の感触のせいだろうか。誰かはなんとなく判るが……。


 瞬間。


 ハウンドは列車を飛び降りていた。


 ニコラスが叫ぶ声が聞こえるが、構わず走った。


 男の右手に握られていた物が、何なのか気付いたからだ。


 大人の掌の一回りは大きな木箱。

 セイヨウネズの樹脂と亜麻仁油を混ぜたオイルを丹念に塗り込んだ、大胆ながらも繊細な彫り細工の施された宝箱。その中に、あの絵本が入っていた。


 ラルフの遺品だ。


 鉄橋の崩壊した部位を易々と飛び越え、驚く敵や双子たちを抜いてひたすら奔る。


 男の顔が見える位置まで来た。嗤っていた。


 男の口が動く。


 “お前の飼い主の首はよく飛んだな。”


 全身の血液が沸騰するのが分かった。


 思い出した。


 右手が義手の白人の男。ラルフたちが弄ばれる様を、離れた場所から冷めた目で見ていた男。オヴェドの隣に立っていた男。


 ヌアザと言ったか。

 お前、あの時、あの場所にいた男か。


 ハウンドは前傾し、弾丸の如く男めがけて突進した。


 簡単に首など刎ねてやるものか。あの五人にやったことをやり返して、それから首を刎ねてやる。


 悲鳴が上がった。


 背後からのそれに、ハウンドは急停止した。

 飛んできた弾が数発髪や服を掠ったが、気にならなかった。


 ラッセル車からマルグレーテが落ちかけていた。


 彼女が手を伸ばす先を見て、ハウンドは凍り付いた。


 トゥーレの遺品だった。


 彼の妻であるマルグレーテが自ら家族のために執筆した小説。カバーが取っ払われ、中身が露わになっている。

 まだ見ぬ読者のため、そして愛する夫のためにマルグレーテ直筆のメッセージが表紙に記された私書だった。


 それが線路上に転がっていた。


 そのすぐそばに、双子がこちらを凝視しながら立っていた。


 マルグレーテは泣き叫んでいた。

 今にも飛び降りようとする彼女を、パメラやアレサ、ニコラスたちが必死に止めていた。


 かえして、と。唇が何度も何度も動いた。


 ハウンドは選択を迫られた。


 ラルフの遺品か、トゥーレの遺品か。そして背後には、五人の仇がいる。


 ハウンドは真っ白になった頭で、必死に考えた。



『これは……本を入れる箱ですか?』


『う~ん。本入れてもいいけど、箱としては宝箱かな』


『宝箱? 絵本しか入ってないのに?』


『うん』


 星のように輝く髪をした青年はしゃがみこみ、膝に頬杖をついてにかっと笑った。

 彼を思い出す時、真っ先に浮かぶ笑顔だった。


『こいつは未来の宝箱だからな。だからちょっと大きめに作ったんだ。これから先、お前が宝物だと思ったものを入れていけばいい。あっという間にパンパンになるさ』



 狗でいいと言ってくれた、狗になってくれた大事な人。


 焼き付いた光景が、脳裏をよぎった。


 ぎり、と奥歯を噛み締めて、ハウンドは駆け出す。


 トゥーレの遺品の元へ。


 選ばれた双子が狂人の笑みを浮かべる。


 けれどハウンドは見ていなかった。双子の後方、崩壊した鉄橋をなんとか渡ろうとしている、相棒だけを見ていた。


「ニコ!」


「ああ、取り戻すぞ……!」


 ニコラスが叫び返すのと同時に、ハウンドは地を踏み切った。銃剣を抜き、双子に襲いかかった。




 ***




「馬鹿者! なぜ遺品を捨てた……!?」


 無線めがけてヌアザは怒鳴りつけた。

 応答はもちろんない。ヌアザは無線機ごと引き千切って線路に叩きつけた。


 あの戦闘狂どもが、小娘と戦いたいばかりに貴重な餌を……。


「ヌアザ様、狙撃チームがポイントに到着しました」


「狙撃しろ。双子に当たっても構わん。ここでブラックドッグを確実に仕留める。通信妨害は?」


「すでに。我々を除いて、半径五キロ圏内は通信不可能です」


 部下からの報告に、いったん気を落ち着かせる。


 これで小娘の小細工は完封した。殺したところで『失われたリスト』が暴露されることもない。

 ただ小娘が死ぬだけだ。


「ヌアザ様、別動隊との交信が途絶えました。恐らくは……」


「ロバーチ一家の仕業か。構わん。別動隊との通信をすべて遮断しろ。逆探知されてはかなわん」


 そう告げて、ヌアザは前方を睨んだ。

 鉄橋崩壊部の、ひしゃげた鉄骨に隠れるようにして、一人の狙撃手が反撃の隙を伺っているのだ。


 小賢しい奴め。


「まず奴から仕留めろ。あれが死ねば、小娘の動揺を誘える」




 ***




――狙いがほんと的確だな、くそっ。


 なんとか鉄橋を渡り終えたニコラスは、恐ろしく正確に飛翔してくる弾丸を前にして、動けずにいた。


 ジャベリンで引き千切れた鉄骨を背に隠れ、かじかんだ指を義足関節部と接合部のヒーターで温める。

 極寒環境でも問題なく駆動できるようにするためであり、凍傷を防止するためだ。


 幸いなことに、双子の動きは予測できるようになっていた。


 ハウンドと再戦できて興奮しているのだろう。動きの入れ替わりは、今はほとんどない。問題はどうやって掩護するかだ。


 敵狙撃手は完全にこちらの位置を掴んでいる。身体の向きを変えようと身じろぎしただけで、はみ出した箇所を狙い撃ちしてくる。

 完全に身動きが取れない。


「っ」


 ハウンドの呻く声が聞こえた。垣間見れば、腹を弾が掠めたらしい。


 双子たちも同様だ。味方であるはずの狙撃手に狙われている。けれど二人は好戦的な笑みを崩さない。

 すでにハウンド以上に被弾しているのに、動きがまったく衰えていない。


 狙撃に晒された状態で、掩護のない白兵戦をやらねばならない。


 圧倒的にハウンドが不利だ。


――敵狙撃手の位置なら掴めるんだが……。


 ニコラスは指に息を当てながら、思考を回し続ける。


 ふと、違和感に気付いた。


 前方の川岸、木立の中で何かが動いた気がした。


 ニコラスは肉眼を駆使した。

 視力には自信がある。あれは――。


 それに気付いた瞬間、ニコラスはポケットに手を突っ込んでいた。




 ***




「あの男は何をしているんだ?」


 鉄橋を支える脚、鈑桁近くの橋部の鉄骨に辛うじて身を隠している男に、ヌアザは目を眇めた。


 猛禽類に追われるレミングのようだ。

 崖っぷちに追い詰められて、いつ足を滑らせてもおかしくない。少しでも首を伸ばせば、猛禽類より遥かに強力な見えざる鉤爪が男の首を持ち去るだろう。


 けれど男は諦め悪く、手に持った端末をかざしては自身の方に戻し、かざしては戻すを繰り返している。

 何をしているのか。


「端末画面を何度も見ているようですね」


 部下の報告を聞いて納得した。

 救援を呼びたいが、通じなくて焦っているのだろう。


 ヌアザは嘲笑した。


 狙撃の名手と聞いていたが、追い詰められればこんなものだ。何度画面を見たところで変わらない。


 通信は繋がらない。小娘の健気な訴えも、誰の耳にも届かない。

 ただ嬲り殺すまでだ。


――あの場で殺しておけばよかったものを……オヴェドの詭弁家が。


 調教し直せばまだ使えるからと、奴の口車に乗ったのがすべての始まりだ。


 案の定、事態を察したデルタフォースが救出しに乱入し、小娘と奴らの遺体を持ち去った。それからすべてを察して、奴らの上官とともに小娘を逃がした。

 その上官も、元教官だった情報士官率いる部隊に抹殺させたが、小娘は取り逃がした。しかも今度はその情報士官が牙を剥いてきた。


 負のビリヤードだ。


 始末しても始末しても、後から湧いて出てくる。忌々しいテロリストのように。


 あれ以来、合衆国安全保障局USSAと陸軍の仲は最悪だ。デルタフォースに至ってはビンラディン暗殺任務すら拒否するレベルである。

 中東情勢も未だ不安定、中国の挙動も怪しくなってきた今、誰が仲を取り持つと思っているのか、あの男は。


 悶々とした気持ちを抱えたまま、ヌアザは部下に報告を要求した。


 じきに新たな狙撃チームが、岸辺から男が隠れている側の配置につく。

 男を挟み撃ちにできる。逃げ場はない。


 男が死ねば、小娘も終わりだ。あの厄介な双子もどさくさに紛れて殺してしまえばいい。


 無線を聞き終えて部下が口を開く。


 その丸く開けた口が、突如、なくなった。


 顎が吹き飛んだせいで円を描けなくなったのである。


 血飛沫と肉片を浴びて、ヌアザは即座に身を伏せた。


――狙撃だと……!? 馬鹿な。


 ヌアザは理解できなかった。


 弾が飛んできたのは、ヌアザが新たに狙撃チームを配置しようとしていた岸辺からである。

 つい先ほどまで、位置情報を逐一報告してきたのに。


 顔面の半分を喪失し絶命した部下から無線を奪い、応答を呼びかける。


 誰一人として返事をしなかった。


 ヌアザは銃のスコープ越しに岸辺を覗き込んだ。


 木立の中に微かに垣間見える、虎柄の雪迷彩に身を包んだ兵士の影。

 ロバーチ一家だ。


 雪に潜んで、わざとこちらの狙撃チームを泳がせていた。


 無線から悲鳴まじりの報告が届く。


 今度は当初から配置していた、反対側の狙撃チームがやられている。次々にだ。


 ヌアザはようやく気付いた。


――あの男、こちらの狙撃チームの位置を……!


 端末を何度もかざしていたのは焦りからではない。発光信号で位置情報をロバーチ一家に伝えていたのだ。


「くそっ」


 ヌアザは部下に集結を命じた。


 アッパー半島に集結したロバーチ一家の構成員数は、こちらと同等。やりあえば甚大な損害が出る。

 早急に小娘を始末して離脱する。


 しかしヌアザの意に反して、応答した者は想定の半数にも満たなかった。

 ロバーチとの戦端は既に開かれていたのである。


 そこに追い打ちをかけるように、轟音がした。


「なっ……!」


 ヌアザは悪夢を見ている気分だった。


 あのラッセル車が戻ってきていた。




 ***




  戻ってきたのには訳がある。それはもう、深い深い訳が。


 前方の鉄橋上にて両名の無事を確認したセルゲイは、スコープから目を離して溜息をついた。



 20分前のことである。


 ハウンドの異変に、真っ先に気付いたのはニコラスだった。コールマン軍曹の遺品に釣られたと叫び、


「あいつは俺が連れ戻す、お前らは態勢整えて戻ってきてくれ!」


 列車を飛び降りた、というより転げ落ちて、ぎこちない動作で走っていった。


 この極寒で義足を装着して、凍傷の恐れもあるだろうに。着地もできなければ、ろくに走れもしないくせに。撃つしか能がないくせに。

 よくやるものだ。


 眩しいものを見たように目を瞬いて、そんな自分に苛立ってセルゲイは髪を掻き混ぜた。


「だからどこか方向転換できる場所はないのか。遠回りでもいいんだ」


 カルロがラッセル車掌に詰め寄っている。


 女嫌いの元男娼は、あのじゃじゃ馬のこととなると目の色を変えた。女嫌いになったきっかけの女を思い出すのだろう。


 車掌は頑として首を振らなかった。


「アッパーの路線だぞ。分岐なんぞ数えるほどしかねえ。遠回りしたとしても数時間はかかる。第一、お前さんらこいつらを取り返しに来たんだろ? ロバーチの旦那から聞いてるぜ」


 車掌が背後を指差した。


 泣きじゃくるマルグレーテを、つられて泣いてしまった娘たちを、パメラやアレサが懸命に慰めていた。


 その泣き声が鬱陶しくて、セルゲイも口を挟んだ。


「んじゃおっさん、あんたこのアッパーでマニア同士でつるんでんだろ。そいつらに頼んで何とかできねーのか」


「何とかって……動かせる車両はこれしかねえよ。強いて言うなら、さっき通り過ぎたラピッド・リバーに転車台ターンテーブルがあるが……」


「ターンテーブルだって? そんなものがあるなら、なんで通り過ぎたんだ」


 ケータが食いついた。


 転車台、俗にいうターンテーブルとは、列車の方向転換をするための装置だ。名の通り回転盤ターンテーブルのように、機関車を乗せて回転させ、方向を変える。


 この状況で、まさにうってつけの装置だった。


 けれど車掌は渋面を崩さなかった。


「あるつったって、ありゃ実演用だぞ。俺と同志が暇つぶしにつくった代物だ。定期メンテナンスはやっちゃあいるが、実際に列車を入れたことなんてねえし、第一壊れたらどうしてくれんだ。あれつくんのに五年もかかったんだぞ」


「ラッセル車の鼻先派手にぶち壊しといて、今さらだろ」


「好きで壊したと思ってんのか。あと列車ってのは走ってんが一番かっけえんだよ。埃被らせたままじゃかわえそうじゃねえか。これだから素人はよお」


 唾を飛ばして怒鳴りつけてくる車掌に辟易する。


 どうせ転車台を建設したのだって「回る列車がカッコイイから」とか訳の分からん理由に決まってる。

 これだからオタクは。


 白い目を隠しもせず、セルゲイは本格的に車掌を脅すかどうか考え始めた。

 カルロも同様のようで、すでに腰に手が回っている。気の早い奴。


 不意に、ケータが顎に手を当て、後方を振り返った。


「さっきの崩壊した鉄橋、線路がああなってたよな……ならあの動くダンベルと同じようにできるか……」


 おっと、こっちのオタクも訳の分からんことを言い出したぞ。


 若干引きながら傍観していると、ケータはうんと一つ頷いて、つかつかと車掌に歩み寄った。


「なあ、おっさん」


 その肩にポンと手が乗った。


「空飛ぶラッセル車、見たくねえか?」


「は?」


「はいぃ?」


「あん?」


 ケータ以外の男衆から疑念の声が漏れた。


 こいつ、やっぱりまだ自白剤の影響が抜けてないんじゃないのか。一発殴っとくか。

 セルゲイは脇にあったスコップを手に構える。


 しかしケータは大真面目に身振りを交えて説明した。


「さっきの鉄橋の崩壊部分、千切れた線路の端っこがスキーのジャンプ台みたくなってたんだよ。そこめがけてラッセル車と機関車で全速力で突っ込めば、」


「ラッセル車が飛ぶかもしんねえって寸法だな……!」


 いや、ならねえよ。落ちるだけだろ。ラッセル車の重量どんだけあると思ってんだよ。


 内心思い切りツッコむも、火のついたオタクどもは止まらない。


「見た限りの崩壊部は幅二メートル弱……飛ぶっつうより跳躍でしかねえだろうが……面白れえ! やってやろうじゃねえか!」


「おうよ、その意気だぜ、おっさん!」


「今すぐ同志たちをラピッド・リバーに集結させるぜ、俺たちの転車台のお披露目パーティーだ!」


 目を輝やかせて語り合うケータと車掌に、セルゲイたちは口を開けて唖然と見やるしかない。

 もはや宇宙人を見ている気分だ。あんなの渋ってたくせに、この変わり身はなんなのか。


 アレサがぼそりと呟いた。


「男ってほんと馬鹿ね」


 ほんとそれな。けど俺ちゃんたちは例外で。


 胸中でツッコんで抗議して、セルゲイは嘆息した。



 こうして、何のギャグだと言いたくなるようなふざけた顛末を介して、セルゲイたちは戦場に舞い戻ってきたのである。


 できれば女性陣に反対してもらいたかったが、残念なことに彼女らはロバーチ一家部隊に保護され安全地帯に、イカレた地獄行き列車の乗客は我ら男性陣のみというわけだ。


「行くぞお! 掴まってろよお」


 ワクワク顔で叫ぶ車掌を今すぐ殴り飛ばしてやりたい。ついでに隣でちょっとはしゃぎ気味のチビペンギンも。


 やっぱりコイツ、起こすんじゃなかった。


 カルロが諦めろと言いたげにポンと肩を叩いてきた。

 それをぺっと手で払って、仰々しく溜息をつき、セルゲイは手すりにしがみついた。




 ***




 最初は希望の光に思えたラッセル車が、一向にスピードを落とさないのを見て血の気が引いた。


――まさか。


 そのまさかである。ラッセル車は鉄橋の崩壊部に全速力で突っ込んでくる。


「嘘だろハリウッド映画じゃねえんだぞ……!?」


 ニコラスは鉄骨の影から、鉄橋上の線路に飛び出した。


 ロバーチ一家への即席発光信号のお陰で少なくとも半数以上の敵狙撃手が撃破されたが、まだ残っている。


 当然撃ってくるが、そんなことを言ってる場合じゃない。


 轢き殺される。


 一方、ハウンドも双子も、ラッセル車には気付いていた。


 一刻も早く離脱しようとするハウンドを、双子が全力で止めているのだ。あくまでギリギリまで戦闘を楽しみたいらしい。


 付き合ってられるか。


 ニコラスは構え、発砲する。


 入れ替わりのない予測可能な状態、さらに先ほど身動きが取れなかった際に再度観測して、精度を高めている。


 距離30メートル以内。外す道理はなかった。


 それでも双子は、獣じみた反射速度で跳んで、直撃を避けた。なんて奴らだ。


 だがハウンドが離脱する時間は稼げた。


 ハウンドが顔めがけて飛び込んでくる。


 ラッセル車が崩壊部に突入しようとしていた。


 ニコラスはハウンドを抱きとめ、倒れる形で線路外に飛んだ。落下の寸前、鉄骨の端を掴む。


 直後、ラッセル車が突貫した。


 警笛を轟かせながら、ラッセル車が跳躍する。


 重量ゆえに、放物線を描くのではなく、同じ高さから高さへ一直線に跳んだような跳躍だった。

 見えざる宙の線路を、疾走しているようにも見えた。


 頭上を走り去っていくラッセル車を、ニコラスたちはただ茫然と見上げた。


 それも一瞬。直後に襲った強烈な震動で、ニコラスは手を離しかけた。


 跳躍したのはあくまでラッセル車のみ。後方の機関車は跳びきれず、崩壊部に底部を引っかけて、盛大に脱線しながら着地した。


 飛散した石が散弾の如く降り注ぐ。


 ハウンドが抱き込んで顔を庇ってくれなかったら、当たって失神していたかもしれない。


 さらにもっと最悪なことが起きた。


 機関車が中途半端に着地したことで、鉄橋が傾き始めたのだ。加えて、着地の衝撃で鉄橋の反対側が割れ、橋が持ち上がっていく。


 ニコラスは遥か少年時代に遊んだシーソーを思い出した。


 支点を軸に、左右の重みで上がったり下がったりする、あの動きだ。


 ニコラスたちは、下がる方にいた。


「俺を踏み台にして上がれ!」


「ニコが先に上がって! 義足でしょ!?」


「いいから上がれって! 機関車が落ちてくるぞ!」


 絶対に今やる必要のない譲り合い喧嘩をしながら、ニコラスたちはなんとか上へ這い上がろうとした。


 そこに影がよぎる。


 双子だった。


 シーソーの上の方から、坂道となった急勾配の線路を駆け下りて強襲してくる。


「っんの……!」


「しつっこい!」


 ハウンドがいち早くよじ登って駆け出す。


 ニコラスも遅ればせながら登って銃を構え、発砲する。


 当たらない。銃身が向く方向を完全に捕捉されているからか。


 ハウンドが突如、双子を避け、横に走り始めた。


 遺品の小説が上から滑り落ちてくる。


 必死の形相で走り、跳躍。手を伸ばして、取った。


 その無防備な脇腹に、双子の片割れが匕首あいくちを突き出した。


 ニコラスは撃った。匕首を握った右腕に着弾し、片割れが匕首を取り落とす。だがそれでも諦めない。


 その場で大きく跳躍、追随するこちらの弾を避け、片割れはハウンドの頭上を飛んで下に落下した。


 同時に左手から縄鏢を繰り出した。

 錘付きの縄は、獲物を襲う蛇の如くハウンドの足に絡みつき、引っ張った。


 全体重をかけて道連れにしようとする片割れに、ハウンドは線路の枕木にしがみつくしかなかった。


 けれどそれすら本命ではない。


 本命はハウンドの動きを完封すること、もう片割れがハウンドに襲いかかった。


 ニコラスは即座に撃った。


 片割れの胴体に数発命中する。だが片割れは止まらない。防弾着ぐらいは着こんでいるか。


 しかし怒らせることには成功したらしい。


 片割れが矛先をこちらに向けた。


 動きを封じたハウンドを調理する前に、邪魔な方を排除しようという腹づもりだ。望むところだ。


 ニコラスは続けざまに発砲した。


 胴体が駄目なら下腹部と足だ。そこならばプレートがない――はずだった。

 片割れは止まらない。命中したはずなのに。


 しかも最悪なことにここでスライドが完全後退ホールドオープンした。

 弾切れだ。


 ニコラスはM9A1自動拳銃を振り上げた。そこに腰刀の刃が激突する。


 鍔迫り合いに持ち込まれ、片割れの顔が迫った。微笑んだと称するには獰猛すぎる笑みだった。


磁気粘性MR流体を使用した全身ボディアーマーだ。科学者どもは問題ないと言ったが……やはり駄目だな。衝撃を殺しきれん。骨にひびが入ったぞ」


 ひびが入ってこれかよ。


 ぎち、と音を立てて、刃が拳銃を押し返して迫ってくる。髪が数本、切れて落ちた。


 単純な膂力では向こうが上、このままでは押し負ける。


「ニコラス!」


 後方の機関車からケータが飛び出した。こちらめがけて全速力で駆けあがってくる。


「訓練と一緒だ! 行くぞ、一、二の……」


 三。


 瞬間、ニコラスは両腕からふっと力を抜いて、右横へ流した。


 脱力と受け流しの訓練だ。

 力と力で真正面からぶつかり合うのではなく、ベクトルをずらして流し、相手の体勢を崩して隙をつくる。


 その成果が今、遺憾なく発揮された。


 片割れは大きくバランスを崩した。ケータに気を取られて、こちらへの反応が一瞬遅れたのである。


 それだけで充分だった。


 よろめいた片割れの襟を、追いついたケータががしりと掴んだ。


 ふっ、と鋭く息を吐いて、素早く身を反転する。


 背負い投げ。ケータは片割れを下に投げ飛ばした。

 完全に虚を突かれた片割れは、そのまま川へと落下していった。


「兄者!」


 ハウンドを引っ張っていた片割れ、弟が縄鏢から手を離し、後を追った。

 追随して水面に落下していく弟を見て、ニコラスたちはぐったりと脱力した。


「助かった」


「いや、こっちこそごめん。遅くなった。……ハウンド、大丈夫か?」


「ああ。遺品は無事だ」


「いや、そうじゃなくてね……」


 ケータが言いかけた瞬間、目の前で火花が散った。レールに着弾した弾丸が跳ねて頬を掠める。


 ヌアザが部下を残った部下を結集して、坂の上から撃ちおろしている。何がなんでもハウンドをここで始末するつもりだ。


「ニコ、ケータ、落ちるぞ!」


 そう言うなりハウンドがレールを伝って下へ滑り降りる。ニコラスたちもならって滑走した。


 川に落ちるためではない。

 流水が結氷するほどの気温だ。水温は零度近く、落ちれば15分以内に意識を失う。下手するとショックで心臓が止まってしまうだろう。


 ニコラスたちは、落下寸前で鉄橋の端を掴み、ぶら下がった。


 その掴んだ手を狙って、ヌアザたちは撃ってくる。


 顔に石が当たった。


 嫌な予感がして顔を上げれば、機関車がラッセル車ごとこちらにずり下がってくる。

 まずい、と思った次の瞬間。


 機関車が雄たけびを上げた。

 警笛を轟かせ、モーターがフル稼働を開始する。


 ノッチが徐々に上昇し、業火を吐く竜が如く白煙の吐息を吹き出す。


 機関車が脱線したまま、ラッセル車を押し始める。


 浮き上がった車輪が空転し、直下の小石を撒き散らす。

 それでもなお機関車は前進を止めない。むしろさらにノッチを上げて加速し続ける。


 機関車から人が飛び出した。カルロとセルゲイだ。

 二人してラッセル車掌を機関車から引きずり出そうと躍起になっている。


「止めるんじゃねえ! まだだ、まだいけるぞ! 俺のラッセル車は止まらねえ!」


「喧しいわっ! ここがし、お、ど、き、だぁッ!」


 車掌が引っこ抜かれた、刹那。


 機関車が射出した。制御を失ったミサイルのように。


 脱線していたがゆえにラッセル車を真っ直ぐ押すことができず、直線上から逸脱した瞬間、左横へ吹っ飛んだのだ。


 機関車が横転し、川へ落下していく。


 けれど、その衝撃は充分過ぎるほどラッセル車へ受け継がれた。


 強烈な推進力を受け、発射されたラッセル車がヌアザたちに突っ込んだ。


 人数名が跳ね飛ばされ、宙を舞った。同じく、ラッセル車のヘッドと鉄橋端とで圧殺され、千切れた人体の一部が飛んでいく。


 ラッセル車は見事、敵を一網打尽に粉砕したのである。


「やったぞ! 見たか、これが俺の――」


 車掌は勝鬨を言い切れなかった。


 鉄橋が再び傾き始めたのである。シーソーの端にラッセル車が乗ったことで、反対側のニコラスたちは、急速に持ち上げられた。


 全長50メートル以上の巨大シーソーだ。それが急上昇したとなれば、端に乗っていたものは上へ放り出される。

 ニコラスたちも例外ではなかった。


 宙高く放り投げられ、声にならぬ悲鳴を上げながらニコラスたちは上昇し、落下した。


 不幸中の幸いだったのが、放り投げられた高さが五メートル程度だったことか。


「今だ! 渡れ渡れ!」


 落下の衝撃に呻きながら真っ先に駆け出したのはカルロだ。


 シーソーが上になったことで、広がった崩壊部の向こう岸に、勢いよく飛び降りれば辿り着ける距離になっていた。


 カルロに続いてセルゲイが飛び、ケータに促された車掌が飛び降りる。


「ニコラス!」


 ケータが端に立ち、早く来いと腕を振る。けれどニコラスは立ち上がれなかった。


 落下の衝撃で義足が破損したらしい。足首の関節が動かない。


 脇に軽い衝撃が走った。ハウンドだった。

 脇下に身体を滑りこませ、自分を立ちあがらせてくれた。その反対側に、ケータが回った。


「飛ぶぞ! 三、二、一――」


 ニコラスたちは、一斉に踏み切った。


 直後、視界の端に炎が映った。


 こちらに向け発射された、対戦車ミサイルジャベリンの噴射炎だった。


 ニコラスたちは知る由もなかったが、すでに『トゥアハデ』部隊はロバーチ一家との戦闘で壊滅しつつあった。集結した別動隊もすべてロバーチに潰された。

 その残党の、断末魔の一矢だった。


 ロバーチ狙撃手に射殺される寸前、『トゥアハデ』兵士はミサイルを撃つことに成功したのである。


 ミサイルは外れた。


 けれど高速で飛翔する衝撃波は凄まじいものだった。


 ニコラスとケータは衝撃波で流され、崩壊部端に辛うじてしがみついた。


 一方、最も体重が軽かったハウンドはさらに吹き飛んだ。どんなに手を伸ばしても届かない宙へ。


 背を下にして、ハウンドが下へ、下へと落下していく。


 ニコラスは最大限、腕を伸ばした。

 が、届かない。

 

 それでもめいっぱい腕を伸ばして、指先がかろうじて届く――その瞬間。


 ハウンドが遺品をこちらへ投げた。


 ハウンドが遠ざかり、手の中に遺品が飛び込んでくる。


「ハウンドッ!」


 ハウンドが落下する。極寒の水面に。


 ニコラスは加勢にきたカルロに小説を押し付け、手を離して川面に飛び込んだ。


 反対側のラッセル車がずり落ちて着水したのも、その時だった。


 重石を失った鉄橋が反動で落下する。シーソーの対面相手が急に飛び降りたように。

 落下した橋は、ニコラスたちが飛び込んだ箇所の水面を叩きのめした。








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次の投稿日は12月15日(金)です。

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