9-13

【9-10 修正完了しました】






(以下、本編)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 


 戦闘は、あたかも塹壕戦のような様相を呈していた。


 全長2キロメートルからなる貨物列車、EMD GP-40 2LW。電動式ディーゼル機関車で、高さは5、6メートル程度、最大出力3000馬力からなる高出力を特徴とする。


 そんな長大な貨物列車の上を、前方から撃ってくる敵の攻撃を掻い潜りながら走って前進する。


 貨車の間――貨物と貨物の合間の溝に隠れてニコラスとセルゲイが射撃し、その隙にハウンドが接近。

 同じく車両間に隠れた敵を一掃し、ニコラスたちもまた移動する。そんな塹壕戦のような戦いが続いていた。


 とはいえ、いつまでもこの状況が続くわけではない。


 前方を垣間見たセルゲイが怒鳴った。


「おい、カーブに差し掛かるぞ。どーすんだ」


「どうするも、こうするも」


 ニコラスが答えるより早く、弾丸が貨物の隙間めがけて殺到してくる。

 塹壕戦ごっこは終わった。列車がカーブに差し掛かったことで、前方から後部車両の貨物間の隙間が丸見えになっているのだ。


 こうなると、ニコラスたちは貨物の横にしがみつくしかない。


「だからどーすんだよ、これ。ジリ貧じゃねーかっ」


「ジリ貧でもやるしかねえんだよっ」


 セルゲイの愚痴に怒鳴り返しつつ、ニコラスはいつでも頭を出せるようギリギリまでよじ登った。


 幸いなことに、取りついたコンテナは側面に扉があるタイプで、手すりを足場にすれば、何とかなりそうだった。


 セルゲイの言う通り、長引くほどこちらが不利になる。


 何より、一番の懸念があった。


――俺が敵なら……。


 そう思いつつ、ニコラスは思考を巡らせる。


 銃声から敵の銃火器を予測し、その弾速と装弾数から射撃の切れ目の計算を始めたのだ。


 ゆえに、反応が遅れた。


「ニコ!」


 ハウンドが叫んだ。ニコラスが顔を覗かせようとした瞬間だった。


 敵の弾幕で貨物横にしがみついている隙に、敵の接近を許したのだ。


 咄嗟に顔を逸らそうとしたが、突如、ガクッと身体が下がる。

 列車が揺れた反動で、義足側の左脚を滑らせたらしい。


 反射でコンテナ上に肘をついて落下を防ぐ。その眼前に敵の靴底が迫った。


 蹴り落とされる。それでも顔だけは避けようと首を逸らした瞬間。


 ニコラスは飛ばされた。


 宙に放り出されたのではない。

 しがみついていたコンテナが突如、開いたのだ。


 扉に掴まっていたニコラスは、開いた勢いのまま、手すりにかけられたタオルの如き姿勢で飛ばされ、後方コンテナに挟まれて止まった。


 敵もまた虚を突かれた。


 突然蹴るべき相手を見失い、盛大に空ぶってバランスを崩した。

 情けない悲鳴が後方に飛ばされていく。それをニコラスは唖然と見送った。


「さっきから喧しいと思ったらお前らか」


「おまっ、ベネデット……!? それに、アレサとケータも……!」


 コンテナ扉を蹴り開けた張本人、カルロ・ベネデットは不機嫌そうに、手錠をはめられた手で首を撫でた。


 上等そうだった防寒コートもスーツジャケットも剥ぎ取られ、ワイシャツ&ネクタイの薄着ですこぶる寒そうだった。

 アレサとケータも同様だ。


「コンテナの中で人間ピンボールする羽目になったぞ。こちとら拷問に薬投与されての連行なんだ。もう少し丁重に迎えに来い」


「その割には、元気そうだな」


 そう返しながら、ひとまずコンテナ内に飛び移る。


 カルロがやったのか、見張り役らしき敵四人は、全員床に伸びていた。


 ハウンドとセルゲイもまた、弾を避ける片手間コンテナ内に集結した。ハウンドが鼻を引くつかせた。


「チオペンタール、麻酔薬のニオイだ。自白剤?」


「ああ。薬の類には多少耐性があってな。一般人は注射器一本でこれだ」


 肩を竦めてカルロが靴先で倒れた敵をこづく。


 ああ、揃いも揃って白目で泡を吹いているのは、そういう。


 「取りあえず」と、しかめっ面のアレサもまた、よろめきながら立ち上がった。唇が盛大に切れているのは、衝突のせいではなく拷問の痕だろう。


「あのクソ乱暴な襲撃はチャラにしてあげるわ。衝撃で中がしっちゃかめっちゃかになって、反撃の隙ができたから」


「好き好んでぶつけたわけじゃないが、悪かった。それとケータは……」


「ええっと」


 アレサは言葉を濁した。


 虚ろな半目で「うーん」と呻くケータは完全に目を回している。子供向けアニメの、ヒーローにやられて目をグルグルさせている悪役のそれだ。

 試しにハウンドが突いてみても無反応である。


「そんなに強く頭ぶつけたのか?」


「あーいや、たぶん自白剤のせい。ケータはあの双子との戦闘で、一番消耗が激しかったから」


「それとチビなせいな。平均的なアメリカ成人男性の量じゃ、そいつには容量オーバーだ」


 人質組が意見する中、近寄ったセルゲイがケータの耳元に口を寄せた。


「おーい、チビペンギン、起きろー」


「チビじゃない……俺は警官……いや、ペンギンだったっけ……?」


「駄目だこりゃ」


「天敵が言っても駄目なのは相当だな」


「しれっと人を天敵呼ばわりしてんじゃねーよ。こいつが根に持ちすぎんの。ちょっと車パクって中身ごと売っぱらっただけじゃん」


 セルゲイの抗議が軽く流される中、ニコラスたちは対応を求められた。


 現状、目下の悩みは例の双子である。近接戦でなんとか対峙できるのはハウンドとケータぐらいで、そのケータが戦闘不能となると――。


 その時、敵の弾幕が急速に止んだ。


 カーブが終わり、列車は直線路に入っていた。


 そのうえ、敵十数名がすでに列車の三分の二の位置まで到達しつつある。

 それを指揮しているのは、あの双子だ。


 やや辟易した様子で肩眉を上げて、ハウンドが振り返る。


「私が何とかするよ。アレサはケータ見てて。ニコは引き続き掩護よろしく。カルロ」


「なんだ」


「私と来い」


「俺かよ」


「他に人いないだろ。ニコは義足だし、セルゲイはもやしだし」


「もやし言うな」とすかさずセルゲイから苦情が入るも、これまたスルーされる。一方のカルロは仰々しい溜息をついた。


「ならまず手錠外してから言ってくれ」


 ぶちぶち不平を垂れながらも、さっそく足元に転がる敵の腰を物色し始める。相変わらず切り替えの早い男であった。




 ***




 こうして、塹壕戦もどきが再開されたわけだが。


――意外とやるな、あいつ。


 ニコラスはカルロの健闘ぶりに舌を巻いた。


 考えてみれば当たり前だが、手足が長くタッパもあるのでリーチが長く、体格がいいぶん拳にのる重量と勢いも増す。

 そのぶん動きが大振りで隙も増すが、その穴を小柄なハウンドが上手く埋めている。


 加えてハウンドのフォローも上手く、彼女を主軸に敢えて派手に立ち回ることで、敵の隙を誘っているようにも見える。


 ご指名がかかるはずである。なんか面白くない。


 ニコラスは射撃速度を少し早めた。


 ハウンドたちが混戦に持ち込んでいることで、弾幕が抑えられている今がチャンスだ。

 距離はすべて100メートル以内。これなら一発で二人いける。


 ニコラスは敵の重なるタイミングをぬって撃った。


 防弾着でカバーしきれない下半身がいい。止血しづらいうえ、的に占める肉の面積が大きい。上手くやれば貫通させて背後も撃てる。


 そうやって敵を撃ち続け、ふと、違和感に気付く。


 双子が来ない。


 湧き上がった疑問に答えるより早く、回答が提示された。


 突然の震動に、敵も味方も全員が膝をつく。


 耳障りな金属の悲鳴とともに、列車が急減速する。ニコラスは振り落とされないよう慌ててしがみついた。


 背後でアレサが「見て!」と叫ぶ声がした。だがニコラスは見なくても分かった。恐れていた事態だった。


 なんとか落下を防いだカルロが、四つん這いのまま呻く。


「んの野郎、車両を切り離しやがった……!」




 ***




 後方へ急速に離れていく、切り離された貨車二台を目にして、ヌアザは苛立ちを少しおさめた。


 簡単なことだ。


 敵が後部から迫っているのなら、貨車ごと切り離してしまえばいい。

 わざわざ相手をしてやる必要などない。ハリウッド映画でもよく使われる手口だ。


 運転手から聞き出したところ、走行中も貨車の切り離しは可能だが空気ブレーキ管が外れてしまうので、自動的にブレーキがかかるとのことだった。


 好都合だ。そのまま後部貨車を切り離し、ラッセル車の足止めにしてやればいい。分岐の少ない路線の弱点だ。


 現在、スーセントマリーにて待機中だった部隊がこちらに急行している。

 人質はすでに確保済み。合流までの時間稼ぎさえできれば、こちらの勝利だ。


 またも戦闘を回避させられて、双子はだいぶ苛立ってきているが、まずは人質が最優先だ。あの兄弟の個人的な闘争心を満たすために振り回されては堪らない。


 そう思った矢先。


 遠くで轟音がした。直後から耳障りな金属音が鳴り響き、徐々に近づいてくる。


 ヌアザは顔を引きつらせて振り返った。


 流石にやるまいと、端から除外していた選択肢だった。


 まさか、ブレーキのかかった貨車ごとラッセル車で強引に押し進めてくるなど、そんな馬鹿な真似はしまいと。


 けれど雪煙から現れたその光景は、その馬鹿な真似そのものだった。




 ***




 クックスとかかれた踏切の道路標識が、火花で焦げたのが視界端で垣間見えた。


 ブレーキのかかった貨車二台分を、ラッセル車が力任せに押し進めている――否、衝突したまま全速力で突進しているのだ。

 手持ち花火十本分ぐらいの火花でたって不思議じゃない。


 というか、その前の衝突で吹っ飛びそうになった。


――あのもやし野郎、後で覚えとけよ。


 ニコラスは、セルゲイの「だいじょーぶ。ラッセルのおっさんには万が一の時のことは話してあっからよ」という発言を信じたことを、心から後悔した。


「ねえこれ脱線したりしないよね!?」


「分からん!」


 悲鳴混じりのアレサの問いに怒鳴り返す。


 しがみついているコンテナは貨車にしっかり固定されているので、荷物ごと飛ばされることはないだろうが、正直いつ横転してもおかしくない状態だ。


 レール上の積雪で摩擦が減っているのか、今のところ黒板を爪で引っ掻いた音を数千倍にしたような音を立てながらも、脱線せず滑走するに留まっている。


 第一、脱線しようが横転しようが、こちらに打つ手はない。振り落とされないようにするので精いっぱいだ。


首領ドンよりひでえ運転を体験する羽目になるとはな……」


「お前も結構いい勝負だと思うぞ」


「ちょっと誰か手伝ってっ、ケータが落ちる!」


 皆が思い思いに騒ぐ中、ニコラスは眼前の光景を見て全身が総毛だった。


「全員左によれ! カーブに入るぞ!」


「嘘でしょ……!? 嘘、嘘、うそ、きゃあああああああああ!」


 アレサの悲鳴が響き渡る中、ラッセル車は貨車を押したまま、左カーブへ突入した。


 左の車輪が浮き上がった。


 内臓が浮き上がり、猛烈な勢いで右に流される。ジェットコースターの車体にしがみついている気分だ。


 遠心力に翻弄されながら、ニコラスたちは必死にコンテナに取り縋った。


 後方の貨車が横転した。

 くくりつけられていたコンテナごと、脱線して数回転がり、線路脇の雪に沈む。


 それでもニコラスたちの貨車は、バレリーナのごとく絶妙なバランスで片輪走行を続けた。


 が、それも数秒だけ。


 突如、浮き上がっていた感覚が、急速に落下する。


 浮き上がっていた車輪が落ち、線路上に戻ったのだ。

 そこに後方のラッセル車が衝突して、再び押しながら疾走する。


 落下に衝突と二度にもわたる衝撃で、ニコラスは危うく線路外に放り投げられるところだった。

 ハウンドが襟を掴んでくれなかったらヤバかった。


 同じく放られそうになっていたケータを掴んだカルロが、げっそりした顔で呻く。


「俺、今度からちゃんとシートベルトするわ」


「是非そうしてくれ」


 ハウンドはそう言いながら、自分をコンテナ上に引き上げてくれた。


 眼前に自分たちを切り離した貨物列車が迫っていた。500メートルを切っていた。


 敵が発砲を再開する。

 逸れた弾が甲高い着弾音と火花をあげて、コンテナ上に細長い溝をつくる。


 コンテナ上に伏せるニコラスたちに隠れる場所も逃げ場もないが、なぜか当たらない。


 当然だ。走行中の列車の上に立っての発砲。

 縦横無尽に吹きつける強風に、乗っている列車の振動もそれぞれタイミングが異なる。列車の速度も一定ではない。

 それらすべてが無秩序に無作為に、常に組み合わせを変えて射撃環境を複雑化させる。


 先ほどのように、同じ列車に乗った敵を撃つのとでは訳が違う。


 けれど距離が縮まれば話は別だ。縮めば縮むほど、命中率は上昇する。


 そしてそれは敵も同じ。


 ゆえに、近距離に入った時点で、より早く正確に弾道修正し、撃った者が制す。


「ニコ、使え!」


 片膝立ちになったハウンドが左肩を叩いた。その小さな肩に、ニコラスは迷わず銃身を乗せた。


 貨車の振動で自分ごと揺れるので、安定には程遠い。だが少なくとも銃身のぶれを考慮する必要がなくなった。

 その僅かな要素の除外が弾道計算を早める。


 何よりこの場において、ニコラスは誰よりも修正が早い自負があった。


 ニコラスは一発撃った。


 外れる。跳弾が耳元を通過した。けれどニコラスは姿勢を変えない。


 修正して撃つ。


 外れ。掠めた弾丸がハウンドの服を切った。けれどニコラスは一言も発しない。


 修正して撃つ。


 また外れた。けれど先ほどより、標的に近い。


 撃つ。掠った。


 けれど命中ではない。


 修正。撃つ。


 掠り、今度はいき過ぎだ。


 修正して戻す。


 撃つ。――命中。


 ニコラスは徐々に距離が縮まっていく中、着実に一人、また一人と狙撃していった。


 距離が縮まれば命中率も上がる。修正回数も減り、射撃速度も上がる。 

 ここからは早撃ち勝負だ。先に相手を殲滅した方が勝者。


 そして、勝ったのはニコラスだった。


 急いで味方を振り返る。奇跡的なことに、掠って被弾した者は、一人もいなかった。


 貨物列車後部の敵は一掃された。


 残るは凍てついた血液の結晶が彩る、無人の貨車上のコンテナだ。あと30メートルの距離に迫っていた。 


 重低音の警笛が轟く。再び突進するぞという、鬨の声だった。


「もう一度取りつくぞ! 全員構えろ!」


 弾倉を交換しながら、ニコラスは叫ぶ。




 ***




「もっと早く走れないのか」


「無理ですぜ。モーターが焼き切れちまう」


「なら貨車をもっと切り離せ」


「冗談じゃねえ。貨物一つおじゃんにするだけで、どんだけの損害が出ると思ってんですか。これ以上切り離したら、クビになるどころか俺の会社まで潰れちまう。あんた責任取ってくれんのか?」


 唾を撒き散らして車掌は怒鳴った。

 側頭部に銃口を突きつけてもこれだ。もう口で言っても聞くまい。


 ヌアザは車掌の右足と左足、どちらを撃ち抜くべきかを考えた。


 そこに、通信機を耳に当てていた部下が顔を上げた。

 朗報でないことは、滲んだ冷や汗と上ずった声から、嫌でも分かった。


「ヌアザ様、ガンマ中隊より緊急通達です。地元警察がスーセントマリーに集結してきています」


「なぜだ。司法には予め圧力をかけていただろう」


「それが、ヴァレーリ一家がなぜかスーセントマリーに来ているようなんです。当主の目撃情報も入っています。それで連邦保安庁FBIが地元警察の動員を開始したらしく……」


「あの役立たずどもが」


 ヌアザは吐き捨てた。


 ヴァレーリ一家の思惑にまんまと引っかかったFBIへの罵倒であり、一家の介入を見抜けなかった自分への叱責だった。


 そこまでして我らの行く手を阻むか。たかがマフィアごときが。

 たった一人の少女のために。


 ヌアザは即断即決した。こうなった以上、もはや選択肢は一つしかない。


「あのラッセル車を奪取する。人質を連れてこい。双子も呼び戻せ」




 ***




「止まれ、止まれ、止まってくれ!」


 ニコラスは手を振り回しながら、ラッセル車に向かって叫んだ。


 突然、貨物列車が減速し始めたのだ。ニコラスたちの貨車がぶつかっても減速は止まらず、そこにラッセル車が突っ込んできた。


 停止しようとする貨物列車に、突進するラッセル車。

 挟まれたニコラスたちからすれば堪ったものではない。このままではぺしゃんこか、脱線しかない。


 ニコラスたちは必死に声を張り上げた。


 ラッセル車がようやく停車したのは、貨物列車にならって停止したニコラスたちの貨車から、たった15メートルの距離だった。

 しかも何度も衝突した上の停止である。


 安堵に全身を脱力させる。ひとまず潰されるのは回避できたらしい。


 すると、ラッセル車の車掌室から男がぬっと顔を出した。

 寝起きのサンタクロースのような、不機嫌そうな赤ら顔の中年の髭男だ。


「一体なんだってえんだ!? 突っ込めっつったのおめえらだろ!」


「前の貨物列車が止まってんだよ」


「ああん? んでだよ」


「人質交渉だ。悪者が人質連れてこっちにやってくる、狙いはあんたのラッセル車だ」


「んだと!? こいつは俺のラッセル車Таранだ! 誰にも渡さねえぞ!」


「俺たちもそのつもりさ。あんたはそこで待機しててくれ。いつでも走れるようにな」


「言われるまでもねえよ」


 憤然と鼻を鳴らして、男(名前を知らないのでラッセル車掌とでも呼んでおこう)が顔を引っ込める。


 やれやれと肩を下ろすも、本番はここからだ。


「本当に上手くいくのか? 確実に人質を盾にしてくるぞ。ヘルの身柄も要求してくるはずだ」


 カルロが前方を睨みながら、そう呟く。ニコラスは目を眇めた。


 パメラとマルグレーテとその娘たちが歩いてくる。その彼女たちの背に、銃口を突きつけた武装兵の一団があった。


 その中央には、見覚えのある茶髪の白人男がいた。

 義手のヌアザ。『トゥアハデ』“銘あり”の一人で、冷酷非道な男。


「作戦を立てた以上、信じるさ。少なくともあいつは、自分の目的のためだけには忠実な男だからな」


 ニコラスはそう言った。




 ***




――やっと止まりやがった。マジで轢き殺されると思ったぜ。


 貨物列車の下、線路のレール間に降り立った……というより、ずり落ちたセルゲイは呼吸を整えながら冷や汗を拭った。


 ずっと貨物列車の貨車の下に張り付いていたのだ。

 最初に貨物列車に取りつき、塹壕戦もどきを繰り広げていたどさくさに紛れてのことだ。


 ニコラスの頼みだった。


――『敵は必ず人質を盾にしてくる。俺とハウンドがいなければまず勘付かれるし、ケータ、アレサ、ベネデットは顔が割れてる。消えても気付かれないのはお前だけだ』――


 頼む、と真摯な目で見据えてきた元兵士を思い出し、セルゲイは苛立ちを強める。ムカつき過ぎて吐き気までしてくる。


 あの男、ただ馬鹿正直に頼んできたのではない。


 自分が裏切ることを想定して頼んできた。


 セルゲイにとって、人質などどうでもいい。

 『失われたリスト』を入手して、そこに仇の名があるかを確認したいだけ。祖国の手厚い庇護下に置かれているあの野郎を花園から叩き出す突破口さえつくれればいい。


 早い話、あの小娘をどさくさに殺してリストを強制送信したっていいのだ。なんなら一人で逃げたっていい。


 だからこういう作戦を思いつく。

 どさくさに紛れて小娘を殺すのに最適な好機を、一人逃げられるチャンスを寄こしてくる。


 馬の鼻先にニンジンをぶらつかせるように、裏切るならここしかないぞと、ちらつかせてくる。

 いざという時は自身が身を挺して小娘を守りきるという、決意の表れだ。


 そのくせ、本心では裏切らないでほしいと願って、あんな真剣な目で頼み込んでくるのだ。


 頭にくるったら、ありゃしない。


――そのクソみてーな頼みを聞いちまう俺も馬鹿だけどよ、くそっ。


 レール間に積もった雪に埋もれながら、セルゲイは匍匐前進を開始した。

 あっという間に体温が奪われて、歯がカチカチと鳴った。


 セルゲイは、ネックウォーマーを噛むことで、それを堪えた。


 敵に悟られたらお終いだ。逃げ場がない。


 のろのろと進みながら、時おり止まって、周囲に耳を澄ます。足音がしなければ進み、少しでも物音がしたらすぐ動きを止める。それを繰り返す。


――ロバーチで無理矢理やらされた軍事訓練がこんなとこで役立つとはね……もうちっと真面目に取り組んどきゃよかった。


 そんなことを思いながら進んでいると、足音がした。


 目で確認せずとも分かった。人質を連れた敵の一団だ。それが完全に通り過ぎたのを確認して、セルゲイは前進を速めた。


 辿り着いた車掌室には見張りが三人いた。流石に操縦コントロールを手放しで放置するほど馬鹿ではないようだ。


 その中央に、銃を突き付けられた貨物列車の車掌らしき男が、不貞腐れた表情で座りこんでいた。


 他の従業員は見当たらない。今回の運送にあたって、男一人だけにするよう『トゥアハデ』が細工したのかもしれない。


 セルゲイは懐から小道具を取り出した。閃光手榴弾を二回り小さくしたような、筒状の物体だ。


 そのピンを抜き、数秒待ってから車掌室に放り込む。と同時に、ネックウォーマーで鼻先を覆った。


「誰だ!?」と敵が叫ぶのと、筒から白煙が噴き出したのは、ほぼ同時だった。


 3秒と経たぬうちにバタバタと敵が倒れる音がする。


 かつての古巣で調合を覚えた、揮発性の睡眠薬だ。強力で即効性が高く、後遺症が残る恐れすらあるが命を奪うほどではない。


 音が消えたのを確認して、車掌室に侵入する。


 敵を車掌室から蹴落とし、同じく睡眠薬の餌食になった車掌に気付け薬を嗅がせる。

 こいつも強力なものだ。ちょっとお高いので、手持ちのウィスキーで代用してやりたいところだが、今は一秒でも時間が惜しい。


 しばらくして、車掌は呻きながら虚ろな目で何度も瞬いた。


「おっはー。調子どーよ。助けに来たぜ」


 車掌の瞬く速度が上がり、焦点があってきた。焦点を合わせるなり、車掌は絶望した顔でこちらを見上げた。


 セルゲイが心臓に拳銃を突きつけていたからだ。


「俺ちゃんの言うことを聞いてくれんならな。ま、悪いようにはしねーぜ?」




 ***




「あの日系人はどうした」


「あんたらが打った薬で気絶してる。まだ起きてない……ちょっと! まだ起きてないって言ってるでしょ、そんな手荒にしないでっ」


 アレサの抗議も虚しく、ケータが敵に引きずられていく。その目は未だに覚めない。


 ニコラスはハウンドを後ろに庇いながら佇むしかなかった。


「銃を捨てろと言ってるのが聞こえなかったか。遺族よりそのテロリストが大事か。非国民め」


 頭に両手を置き、膝をついた遺族たちがこちらを見た。マルグレーテの娘たちは泣いていたが、その母とパメラは泣いてはいなかった。


 失望と諦観に満ちた、けれどどこか冷ややかな目でこちらを見ていた。


 イーリスの言った通り、敵の言い分を信じたのだろう。ニコラスは奥歯を噛み締めた。


「ニコ」


 ハウンドがこちらの腕を叩き、愛銃の銃剣二挺を捨てた。

 続いてカルロからも背を小突かれた。


「諦めろ番犬。ここまできたらどうしようもねえよ」


 背中のベルトの隙間に何かを押し込まれる。ニコラスはようやく銃を手放した。


 ヌアザが僅かに片頬を吊り上げた。その薄ら笑いを睨みながら、捨てた銃から数歩後ずさる。


「次だ。小娘をこちらに寄こしてもらおう。人質と交換だ」


「ならまず人質をこちらに寄こせ。でなきゃハウンドは渡さない」


「断る。同時だ。それすら嫌ならまずはこいつからだ」


 ヌアザがマルグレーテの娘の一人を蹴り飛ばした。

 マルグレーテが短い悲鳴を上げて庇うが、即座に敵の銃床で打ち据えられた。それを見た娘のもう一人が声を上げて泣き始める。


 すかさずパメラがぎっとこちらを睨みつけてくる。眼光だけで人を射殺せそうだ。


 けれどニコラスは動かなかった。

 あと少し、あと少し時間を稼ぐ。


 自分の一番はハウンドだ。何があってもそれだけは譲れない。

 たとえ遺族に恨まれたとしても、ハウンドに消えぬ傷を残したとしても。これだけはもう、絶対に譲れない。


 しかし。


「ニコ。もういいよ」


 ハウンドが前に進み出た。駄目だ、と手を伸ばすが、やんわり押さえられて、左腕を撫でられた。


「頼んだよ」


 そう言って彼女は歩き出す。振り返りもしなかった。


 ヌアザの薄ら笑いがますます歪んだ。愉悦、嘲笑、その手の類の笑みだ。腸が煮えくり返る。


 パメラたち遺族も立たされ、こちらに向かって歩き始めた。


 ハウンドが進むと同時に、遺族も歩を進める。


 パメラもマルグレーテも、ハウンドを睨みつけていた。

 対するハウンドの表情は見えない。


 ニコラスは、掌にじっとり浮かぶ汗をぬぐいながら、その光景を注視し続けた。


 ハウンドと遺族との距離がゼロになり、交錯する。


 その時だった。


 貨物列車が、ぎい、と微かに動いた。


 前に。


 ぎょっとしてヌアザたちが振り返る。ニコラスは天を仰いだ。


 前方へ遠ざかっていく列車を見て、カルロがぼそりと呟いた。


「賭けは俺の勝ちだな」




 ***




 進行方向を理解するなり、セルゲイは焦った。


――やっべ、これ逆か!


 恫喝の弊害だ。恐怖心で頭がいっぱいなため、こちらの指示を曲解することがある。


「あっ、馬鹿、いきなり切り換えたら……!」


 車掌が止めるのも聞かず、セルゲイは逆転レバーを思い切り下げた。


 途端、車両全体がガタンと大きく揺れ、急制動がかかって身体を持っていかれる。


 一瞬制止した、と思った刹那。


 列車は猛烈な勢いで後方に下がり始めた。


「ちょ、速い速い速い!」


「速度上げようとしてっところで急にバックしたらそうなるに決まってんだろ! ぶつかるぞ!」


「ブレーキ、ブレーキ!」


 セルゲイはさらに慌てることになった。




 ***




 急速に下がり始めた貨物列車を見て、カルロが舌打ちした。

 ニコラスは両眉を吊り上げながら頷いた。


「真の勝者は俺みたいだな」


「馬鹿なこと言ってないで逃げるわよ、潰される!」


 アレサに頭をひっぱたかれ、意地の張り合いを一時中断する。


 カルロとアレサは硬直する遺族の元へ、ニコラスは背に手を回しながら地面に片膝をつく。


 ハウンドはもう駆け出していた。


 列車に気を取られて、ほんの数秒、敵の反応が遅れる。


 ハウンドが飛びかかった。


 刃物も銃も何も持っていない、丸腰だ。だが彼女は人ならざる戦い方を知っていた。


 敵の頭部にハウンドが絡みついた。そのまま首をへし折り、次の獲物へ向かう。


 事切れた敵が雪に倒れて、ようやくヌアザたちが我に返る。


 無数の銃口が一斉にハウンドへ向けられるが、ニコラスが発砲する方が早かった。


 シグザウエルP250フルサイズ。

 カルロが見張り役から鹵獲した得物で、ダブルアクションオンリーの.45ACP弾仕様。先ほどカルロが背中に突っ込んだ物の正体だった。


 引金は重いが目標制止力ストッピングパワーは高く、反動は大きい。

 50メートルと離れていない距離だ。外す道理はない。


 装弾数11発、うち5発を撃ち、同じ数の敵が倒れる。直後、ニコラスは線路左脇に転がった。


 貨物列車が突っ込んできたのはその時だ。


 間にあった切り離された貨車が挟まれて、ついに脱線する。


 貨物列車にはね飛ばされ、コンテナごと横転した貨車は、退避していた線路右脇の敵を巻き添えにして雪面を滑走した。

 自分や人質のいるこちら側に飛んでこなかったのは幸運だった。


「ベネデット、弾倉!」


「ほいよ」


 どこに隠し持っていたのか、カルロがP250の弾倉を三つ投げてよこす。


 それをキャッチし、一つを口で交換して残りをポケットに押し込みながら、ニコラスは叫ぶ。


「ラッセル車に乗れ! 行けゴー行けゴー行けゴー!」


 カルロとアレサが遺族を連れて走った。


 それを横目に、ニコラスはハウンドの掩護を続ける。


 当然、敵も撃ち返しては来るが、それ以上に敵は混乱していた。


 ハウンドの接近を許したためである。


 混戦状態に持ち込んだ彼女は強い。優れた嗅覚から相手の動作を察知して弾を避け、敢えて複数の射線上に飛び込むことで友軍誤射フレンドリーファイアを誘発する。味方を殺す覚悟で撃たねばまず当たらない。


 加えて、武器を一切使わぬ原始的な戦闘スタイルは本能的恐怖を掻き立てる。その一瞬の躊躇を、彼女は見逃さない。


 だが多勢に無勢だ。

 敵も気付いて混戦を避け、貨車などの物陰に隠れて距離を取り始めた。潮時だ。


「ハウンド、退くぞ!」


「はいよっ」


 ハウンドが後ろに飛びずさった。ニコラスも後退しながら撃ちまくった。


 ラッセル車が警笛を鳴らす。


 そのまま後ろ向きに走り始めたのを見て、ヌアザは何やら悪態をつくと、身を翻して走り始めた。貨物列車先頭の車掌車に向かったのだ。


 敵の弾が追いすがってくる。そんな中、ハウンドが悠々とこちらを追い越してラッセル車に飛び乗った。


 ハウンドが手を伸ばす。その血に染まった小さな手を、迷うことなく掴んで飛び乗る。


 その時だった。


「おーい、おーい! 待った待った置いてくなぁーっ!!」


 後方から必死の形相のセルゲイが叫びながら走ってきた。貨物列車の荷台上を跳び移りながらの全力疾走だ。

 今まで見た中で一番速い気がする。


「役目はちゃんと果たしたらしいね」


「ああ」


 ニコラスは掩護をしつつ、セルゲイに向けて手を差し出した。


 数分後。


 停止したままの貨物列車を視界の端に収めて、ニコラスたちはようやく一息ついた。


 どうせ追ってくるだろうが、休息は必要だ。武器を奪われた分、装備も補充しないといけない。

 万が一に備えてラッセル車に多めに積んでおいてよかった。ロバーチからの速達便ゆえ、ロシア圏の武器ばかりなのが難点だが。


 ニコラスたちが各々再装備する中、ハウンドは車外に降り積もった雪をすくって、両手でこすり合わせて返り血を落としていた。


 そんな彼女の背に近づく者が一人。


「ねえ、あなた。私たちにまず話すことがあるんじゃない?」


 遺族の一人、『ボクサー』の妻パメラが、ハウンドの背後に立っていた。







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次の投稿日は12月8日(金)です。

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