7-12

 〈西暦2013年12月23日午後0時38分 アメリカ合衆国ヴァージニア州マクリーン〉


 アーリントンより十数キロのポトマック川沿岸マクリーン。

 ワシントン郊外らしい豊かな広葉樹林に囲まれたのどかな景観の中に、黒い立方体状の異様が鎮座している。


 合衆国安全保障局USSA第二支部――かつての中央情報局CIA本部を改造した、USSA実働部隊の本拠地であり、『双頭の雄鹿』の極秘武装組織こと『トゥアハデ』の所属基地である。


 基地内は騒然としていた。

 それはここ、ブリーフィングルームに集結した基地関係者とて例外ではない。


 祖国首都の、それも国防省庁舎の真横で勃発した銃撃事件である。


 それも特区の双璧と謳われたヴァレーリ一家・ロバーチ一家両家と、連邦捜査局による、大規模な逮捕劇の果ての銃撃戦。

 もはや抗争といってもよい。


 被害は甚大。

 真横で行われた惨事に国防省は怒髪天を衝く勢いである。ホワイトハウスを含め地元コロンビア特別区首都警察はFBIへの責任被せに躍起だ。

 対するFBIはだんまりを貫いており、各メディアから凄まじい勢いで非難が殺到している。


 すべて、USSAが目論んだ通りの流れだ。


「で、貴様は本件の責任をどう取るつもりだ」


「責任?」


 いかにも心外だと言わんばかりの少年クロム・クルアハの言に、『トゥアハデ』総指揮官『ヌアザ』は嫌悪感すら隠さない。


「強引な陽動作戦を立案し独自に敢行、貴重な餌を勝手に持ち出し、特区の双璧との大立ち回りを演じ、結局標的を殺し損ねた挙句に捕り逃がした。どれだけの隊員の人命と弾薬を浪費した? 貴様の独断専行にどれほどの局員が後始末で奔走していると思っている? 長官のお情けがなければこの場で射殺していたところだ」


「けどおいらはこうして生きてる。殺されてない。それが結果でしょ」


 脇に控える局員はそろって俯いている。こめかみから垂れる冷や汗を前髪で隠すためだ。いっそこのままブリーフィングルームの壁と一体化したいとすら思っていたことだろう。


 束の間の静寂があった。


 転瞬。


 肉を打つ、と表するには生やさし過ぎる音が、場を凍らせた。


 ヌアザの義手がギチギチと嫌な音をたて、クロム・クルアハの掌の皮膚が金属面との擦過で甲高い音を立てる。


 ヌアザの筋電義手は戦闘用の特注である。

 その駆動から繰り出される殴打は、K-1ヘビー級の世界王者が放つストレートに匹敵する。


 対するクロム・クルアハはそれを顔面寸前で、それも素手で受け止めていた。

 両手とはいえ大人の本気の拳を受けとめ、びくともせぬその痩躯。圧倒的な怪力に誰もが息をのんだ。


 その時。


「ヌアザ、子供を殴るものではない」


 途端、ヌアザとクロム・クルアハは瞬時に退き、姿勢を正す。

 周囲の局員・隊員もそれにならった。


 USSA長官、アーサー・フォレスターその人の登場である。


「たった今、説明が終わったところだ。あと30分で大統領直々の会見が開かれる。特区の双璧による大規模抗争、それに駆け付けたFBI現地部隊の誤った対応でさらに激化し、本事件に至った。FBIも首都警察もこのシナリオをのんだ。現地指揮を執っていたFBI捜査官が、指揮所の命令を数回無視していたのも幸いした。捜査官はすでに殉職している。ロバーチ一家の残した土産で大半の目撃者が消えた。これでFBIの面子は保たれた。FBIが口を閉ざし続ける以上、国防省(ペンタゴン)も議会の追及できんだろう」


「FBIが情報を漏らす、という可能性はあるでしょうか」


「ない。漏らせば己が過失も認めねばならなくなる。特区設立を阻止できなかった連中にとっては致命傷だ。組織維持のためにも、何がなんでも揉み消すさ」


 そう言ったフォレスターは「さて」と少年に向き合った。


「これだけの被害だ。クロム・クルアハ、君もまったくの無罪というわけにはいかん」


「なんでさ。アーサーもいい作戦だって褒めてくれたじゃないか」


「クルアハ! 軽率な発言は控えろと何度言ったら分かる!?」


 詰め寄ろうとするヌアザを、フォレスターは片手だけで引き下がらせる。


「クルアハ、よく聞きなさい。私が君の作戦を許可したのは、それは緊急度トリアージ『赤』の餌を使った作戦だったからだ。ドクター・ムラカミの手記はすでに解読済みだ。我らにはもう『二冊目の手帳』は必要ない。だが他の者はそうではない。それを活用し、標的を囲う五大マフィアをこちらに寝返らせる、それが君の作戦だろう?」


「うん。実際、シバルバとターチィが寝返ったよ。おいらの手柄だ。すごいでしょ」


「そうだ。よくやった。――だが、緊急度トリアージ『黒』を使った作戦を許可した覚えはない」


「けど結局、偽物だったじゃん。わざわざカバーかけ替えてまでさ」


「緊急度『黒』の証拠品はすべて偽物が用意してある。君がそれを知らなかっただけだ。君の今回の標的は五大マフィアであって、ブラックドッグではない。間違った得物を追わぬようにと、再三そう言ったはずだ」


 違うかね? 


 そう問いかけると、クロム・クルアハは黙った。


 ヌアザの冷ややかな視線が突き刺さり、その配下の兵士が安全装置を外す微かな音がさざ波のように広がる。


 満を持して、長官は軽く咳払いをした。


「それでクルアハ、まだ言い残すことはあるかね?」


 クロム・クルアハは黙したまま。

 にぃっと口端を吊り上げた。


 その華奢な指先が、つい、とヌアザを指した。


「そいつ、ヴァレーリのモグラだよ」


 ヌアザの背後、存在を殺すかのようにひっそり控えていた女性局員が、目に見えて狼狽えた。


「は、一体なにを――」


「おいらは『二冊目の手帳』のネタを流す時、8パターンの情報を用意した。そして『二冊目の手帳が失われたリストの鍵である』という情報がヴァレーリ一家から五大に伝わってる。そのパターンの情報教えたの、君だよ」


「誤解ですっ。私は、」


 くぐもった、発砲音。


 頭部を撃ち抜かれた局員が転がる。

 その骸を眉一つ動かさず見下ろしたヌアザは、白煙のあがるサイレンサー付き自動拳銃を携え、配下の兵を振り返った。


「北欧・北ヨーロッパ支部の局員だ。殺せ」


 銃撃は、たったの数秒だった。

 無数の金色の薬莢が宙を舞い、血狼煙があちらこちらで上がる。


 断末魔は一つもなく、残ったのは、その惨劇を傍観する羽目になった局員の呻きと嘔吐する音。

 一人あえて殺されなかった北欧・北ヨーロッパ支部局員が、カチカチと鳴らす歯の音だった。


「生きたいか? なら関係者すべてを洗いざらい吐いて呼び出せ。働き次第で考えてやらんこともない」


 局員は目にも止まらぬ速さでブリーフィングルームを飛び出した。失禁してスラックスの色が変わっていることも気付いていないようだった。


 それを無感動に見送ったフォレスターは、振り返って微笑んだ。


「潜入した工作員を炙り出すためだったか。流石だな、クルアハ。それでこそ私の見込んだ子だ」


「えっへへ」


「だが勝手に物を持ち出すのは感心せんな。道具というのは使い方が肝心だ。それに、あれらの元は私のものだということを忘れぬように」


「はーい」


「うむ。では行きなさい。君にはまだ仕事が残っている」


「うんっ、行ってくるよ、アーサー!」


 クロム・クルアハは元気よく駆け出していく。


 その足音が完全に消え去ると、隊員らが始末された局員の遺体の片づけを開始した。

 同時に局員が壁伝いにそろそろと、逃げ出したと思われぬ程度の早足で我先にと退出していく。


 フォレスターは一人溜息をついた。クロム・クルアハの出ていった先を見送りながら。


「憐れな子だ。強く、賢く、機転も利く。出会ったのが私でなければ、何にでもなれただろうに」


「ですが、奴の才能をここまで引き出して見せたのは長官の手腕あってこそのもの。それを長官ご自身のために使われるのも、当然のことです」


「分かっている。だが、あの娘もそうなのだろうと思うとな……。不幸な娘だ。あの五人の兵士が誑かさねば、正しき道を往けただろうに」


 ヌアザは黙った。返答を求められていないのは分かっていたし、回答する気もなかった。


「我が国の未来と世界のため、そしてあの娘自身のためだ。我ら『双頭の雄鹿』の悲願でもある。早く終わらせてやらねばな」


「はっ」


 フォレスターは振り返った。その表情にはもう、感情はひと欠片もなかった。


「娘の近辺をもう一度洗い直せ。奴が死にたがる理由を突き止めろ。必ず何かタネがあるはずだ」




 ***



 〈西暦2013年12月23日午後1時34分 アメリカ合衆国ヴァージニア州南部キング・ジョージ ドック・サイド・シティ〉


『してやられたね』


 画面の中でヴァレーリ一家当主、フィオリーノは苦々しげに吐き捨てた。


 ポトマック川沿岸の避暑地の賃貸ログハウスは、オフシーズンということもあって声がやけに響く。室内に三人しかいないせいもあるだろうか。


偽物ダミーにすり替える手は考えてた。けどまさか情報そのものが撒き餌だったなんてね。もうすでに連絡が取れない。この俺が予兆すら見抜けないとはね。いちおう情報機関を名乗るだけのことはある』


「始末されたってことか」


 ニコラスの問いかけに、愚問とばかりに色男は肩眉を吊り上げる。


『最初からこちらの工作員を炙り出すための罠だったってことさ。これでまた一から仕込みなおしだ。ああ、めんどくさ……』


「じゃああのガキはなんで手帳の偽物ではなく、兵士の遺品の偽物を持ってたんだ?」


 そう言って、ニコラスはカバーだけかけられた白紙の本をかざした。


 トゥーレヴァルド・セーデン。


 ミステリー作家の妻をもち、彼女のペンネームが直筆でカバー裏に記されている。恐らくカバーだけが本物で、中身だけ別物にすり替えたのだろう。


 一方、フィオリーノは億劫そうに頬杖をついた。


『優先順位を考えた結果でしょ。そっちの方がヘルは釣れるもの』


「優先順位?」


『思惑はどうあれ、連中は餌に優先順位をつけてるってことさ。魚によってルアーを変えるようなもんだよ。俺たちを釣るなら“二冊目の手帳”、ヘルを釣るなら“兵士の遺品”、それが最適だと判断したってこと』


「じゃあなんでこいつは偽物だったんだ?」


「身内を信用してないんだろう。もしくはあのガキの独断専行か」


 代わりに返答したルスランは、三人用ソファーにその巨体をうずめて静かに息を吐いた。それでも猛獣の唸り声のような溜息だったが。


「身勝手に動く可能性のある不穏分子があるなら、万が一に備えて偽物を用意しておくのは道理だ。あのガキのためにわざわざ対策した、という線もある」


「それより、なんで連中ヘルを殺さなかったんすかね。千載一遇のチャンスだったのに」


 セルゲイの発言に、全員が黙りこくる。最初に口火を切ったのは、意外な人物だった。


「……一つは、連中がまだ『失われたリスト』を入手していない、というのがあるだろう。もし連中が入手しているなら、我々はこんなに自由に動けていない。リストを活用して、各国の要人に我々の妨害をさせるはずだ」


 ルスランの発言を、ニコラスは訝しんだ。


 一つ? 他にもまだあるのか。


 そう尋ねる前に、フィオリーノが反論した。


『ちょっと待って。それ、連中もリストを欲してるってこと?』


「それ以外に奴を生かす理由があるか?」


『それならなんで、ヘルが特区に潜入してから3年も放置してたのさ。もしリストを入手したいのなら、自殺する危険性のある彼女をほっとくはずないでしょ』


「そこまでは私にも分からん。ただこれまでの行動を見るに、連中はヘルハウンドを殺したくないらしい。リストの在り処を聞き出してから、始末したいのかもしれん」


『わけわかんない。矛盾してるじゃん』


「……死なれると困る事態が発生した、とか?」


 全員の視線が突き刺さるのがわかった。ニコラスは無意識に口元を覆った。


「俺は、ハウンドがタダで死ぬとは到底思えないんだ。特に、敵と見なした者へは本当に容赦がない。そんな彼女が、かつての仲間への贖罪意識から、敵を前にして自殺するだろうか」


「確かに。相打ち覚悟で敵本陣に突っ込んでいきそうな女ですからね」


「むしろ敵ボスの首抱えて自爆しそー」


「では、何のために死のうとしている?」


 カルロ、セルゲイに続いてルスランが尋ねる。その鋭利な柘榴の双眸に見据えられて、ニコラスは口ごもった。


「分からない。けど、タダで死ぬ気はない、と思う。それを、敵も警戒したんじゃないか?」


『なるほどねぇ。――で。あの子の容態は』


「眠ってる。応急処置は済んだらしいが……」


「それより毒による衰弱が酷いですね。今、毒の特定を急いでいるところです」


 カルロがそう返答した直後。


 ドアが鳴った。現れたのは護衛役のヴァレーリ・ロバーチの構成員と、


「エマ?」


「ミス・モーガン。あなたには彼女の傍を離れるようにと言いつけたはずですが。見舞い役を志願したのはあなた自身ですよ」


 カルロの糾弾に、エマは「分かってるわ」と両手を鳩尾の前で組んだ。


「まだ目を覚ましてはいないのだけれど……ニック、あの子、ずっとあなたのこと呼んでるの。熱でうなされながら」


 心臓を穿たれた気分だった。


 居てもたってもいられず、外に出ようとしたところをカルロに首根っこを掴まれる。


「だ、そうですがどうします、首領ドン


『……行かせな。そのバカ犬追っかけて逃げましたなんて洒落になんないよ』


 深々と溜息をつくフィオリーノに、カルロがパッと襟首を離す。と同時に、ルスランとセルゲイも立ち上がった。


『さっきも言った通り、お前らの近辺は双璧おれたちで護衛する。夜明けとともにヘル連れて特区に帰りな。言っとくけど、お前のためじゃないからね。お前がちゃんとあの子を守っていれば、こんなことにはならなかったんだから。この俺を使った代償は高くつくよ』


「部隊動員の費用は後ほど請求する。失った弾と兵員の代金もな」


『じゃあね。たまには番犬らしい働きしなよ、バカ犬』


 当主一名が画面から消え、一名が屋外へ退出する。それにならって、カルロとセルゲイも立ち去った。


「ニック……」


 エマの気遣わしげな声が、空っぽのログハウスに虚しく響く。ニコラスは何とか床に張り付いた足を引き剥がした。




 ***




 〈西暦2013年12月23日午後1時43分 同所〉


「……つまり、連中がハウンドを連れ去る心配はないってことだな?」


「今のところはな」


 ケータがずり落ちるように椅子にもたれた。同じく一階暖炉前に詰め寄った全員から、安堵の声が漏れる。


 ケータ、アレサ、ロジャースやエマたちモーガン一家。

 一人、気難しげに腕を組んでいたバートンですら、肯定的な態度を示した。


「狙いに変わりはないだろうが、今は争う時ではない。それは連中もよく分かっているはずだ。あの包囲された現場からの即時離脱、別動隊による攪乱に、用意された完璧な避難所セーフティーハウス。見事な手際だ」


「ハウンドを奪われては元も子もないですからね」


「ああ。だからこそ、明日の陽動作戦は本気でやってくれるだろう。もうすでに、動いているようだが」


「守ってくれるのはいいんだけどよ……俺たちは、どうなるんだ?」


 ロジャースをはじめ、モーガン一家が不安げに顔を見合わせた。エマが静かに頭を振った。


「特区へ行きましょう。それが今は一番安全だろうから」


「駄目だ。エマたちは――」


「ニック、現実的な話をしましょう。さっきネットで確認したけど。今日の銃撃事件のニュース、FBIの話は出てきても、あの黒づくめの兵隊の話は出てこなかった。隠蔽されてるってことでしょう。その彼らを見てしまった私たちが、タダで済むとは思えないわ」


 ニコラスは口ごもった。


 だが、かといって一般市民であるモーガン一家を、犯罪都市に匿うことへの忌避感が消えたわけではない。

 彼らには普通の世界で、普通に幸せになってほしい。


 その時だ。


「ママ、ママ! すぐに来て!」


「グレイスどうしたの」


 血相を変えて階段を駆け下りてきた長女グレイスと入れ違いに、ニコラスはすぐさま階段を上がった。


「マートル! 何があった!?」


「あ……、ニック兄」


 末っ子マートルが涙目で駆け寄ってくる。


「助けて。さっき、あの子が起きて――」


「マートル! 今すぐ手を貸して!」


「止まって! そんな傷でお風呂なんか入ったら死んじゃうってばっ」


「アグライア! イレーネ!」


 双子の妹たちの悲鳴に、ニコラスは勢いよく扉を開け、


「何やってんだハウンド……!」


 双子の制止を振り切って無理やりバスルームへ向かおうとするハウンドを見つけた。


 ベッド脇には、ヴァレーリ・ロバーチ両家が寄こした医師や構成員が顔や首を押さえて蹲っている。


「止まれハウンド! 傷開いてんのが分かんねえのか!?」


 その背に抱き着くようにハウンドを制止する。


 ハウンドの素足が浮いた。その白い足先から、ぽたぽたと紅い鮮血が滴る。


「傷……」


 ハウンドが呟いた。虚ろに、朧気に。


「水、浴びなきゃ。早く、身体冷やして……」


「何を――」


「温かいと、見えちゃうの。早く、消さないと」


 ハッとしたニコラスは、ハウンドの身体を見下ろした。


 下着と包帯をまとっただけの裸体に、紅い傷跡が浮かび上がっている。

 皮膚移植で全身を覆ってなお、彼女の傷は消せなかったのだ。


 身体からも、心からも。


 ニコラスは手折らぬ程度に、目いっぱいハウンドを抱き込んだ。そして懇願をこめて耳元で囁く。


「大丈夫だ、ハウンド。消さなくていい」


「でも、冷やさないと……見えちゃう」


 ニコラスはハウンドを抱いたままベッドの毛布に手を伸ばした。そしてそのまま、ハウンドをすっぽり包む。


「ほら。これでもう見えない」


「ニコ……」


「少し休もう。一緒に眠れば、怖くないだろ?」


 ニコラスは毛布ごとハウンドを抱きかかえた。アーリントンの時と違って、濡れてない服を着ていないせいかやけに軽く感じる。


 ベッドに胡坐をかき、その中にハウンドを抱き囲む。


 ――昔みたいだな。


 大きくなった。


 ぼさぼさだった髪は艶やかに伸び、ひび割れ皮がむけていた黒い皮膚は白く、きめ細やかに。

 迂闊に触れられぬ女体特有の美があった。


 だがこちらの服を掴んで、身を隠すように縮こまる様だけは変わらなかった。


 ハウンドがずるりと身を預けてくる。抵抗はおろか、動くことすら限界だったのだろう。


「大丈夫だ、ハウンド。大丈夫だから」


「……うん」


「魘されてたら起こす。眠れなくてもいいから、目閉じてろ」


 これはハウンドのお決まりの台詞だった。


 特区へ来たばかりの頃、悪夢で眠れぬ自分をこう言って寝かしつけた。ずっと傍にいてくれた。


 今度は、俺の番だ。


 首元に、ハウンドが顔を摺り寄せてくる。ささやかに、控えめに。


 その様子を、駆け付けた全員が戸口前で、じっと見守っていた。


 エマが毛布をもう一枚持ってきてくれた。そのまま自分の肩にかけてくれる。

 バートンが無言でストーブに薪を入れ直した。夜、寒さで起きずに済むように。


 ハウンドが、うつらうつらし始めた。


 それに気付いたグレイスや妹たちが、抜き足差し足で差し入れを持ってきてくれた。チョコバーとコーヒーだ。


「ちゃんと砂糖は入れてないよ、ニック兄」


「ありがとう、グレイス」


 ウィンクで返答したグレイスは、呻く構成員らをそれとなく部屋から追い立てながら、去っていった。


 階段をどかどかと駆けあがってくる音がする。


 応援で駆け付けたのだろう。問答無用で闖入しようとするヴァレーリ・ロバーチ構成員を、ケータとアレサが留めた。

 それでも押し通ろうとする彼らに、ロジャースが参戦して何やら押し問答が始まる。


「扉閉めるわね、ニック」


「大丈夫か」


「平気よ」


 そう言って微笑んだエマは「お休み」と言った。妹たちもお休み、と手を振ってくれた。


 光が細まり、閉ざされる。


 喧騒が一気に遠ざかり、闇の中、二人っきりになったような錯覚を覚える。

 ストーブから漏れ出る赤々とした光源が、白い息を徐々に消していく。


 それを眺めながら、ニコラスはハウンドの吐息に、じっと耳を傾けていた。




 ***




 あれは11年前の、2002年。

 戦地で迎える二度目のクリスマスだった。


「何をしているんだ、こんな夜更けに」


 イラク南部ナシリア近郊。


 タリル航空基地に併設する格納庫わきを歩いていたバートンは、その中から漏れ出る灯りと騒ぎを聞きつけ、格納庫に身を滑り込ませた。


 ずらりと同角度で居並ぶ、砲身の槍衾やりぶすま


 M1A1戦車14輌からなる、第一機甲師団、2/70機甲大隊のC戦車中隊である。


 彼のアレキサンダー大王が率いたという、古代マケドニア軍の重装歩兵ファランクスをバートンは連想した。

 本来、M1A1戦車四輌で編成される戦車中隊の常識から鑑みて、戦争の機運が日に日に増していることを実感させられる存在だった。


 そもそも彼らがここへ来るのは、翌年の4月以降の予定だった。それが大幅に早まり、しかも空港にて待機している。

 巷では「開戦と同時にイラク内陸へ空輸されるのではないか」と噂されているが、あながち間違ってはいないだろうとバートンは踏んでいた。


 機甲師団の隊員の一人が、胡乱気に振り返った。

 戦車乗り特有の、がっしりとした体格の現場気質で頑固そうな男だ。


 階級章は大尉。なんと指揮官のセーリン大尉その人である。


 大尉はこちらを見るなり、すぐさま姿勢を正した。


「これはバートン大尉、お騒がせして申し訳ありません」


「敬語はよしてくれ。君と私は同階級だ」


「一機甲中隊の指揮官と、特殊作戦群SOCOMの情報士官では格が違う」


「役目が違うだけだ。SOCOMとて君らがいてこそ作戦は成立しうる。どちらが優れているかなど、比べるべくもない。それに所詮私は狙撃教官の域を出ない男だよ」


「……そうだな。失礼。ちっとばかし苛立ってたもんでね」


「何かあったのか」


 大尉は「あれだよ」と、背後の車輛後方列のM1A1戦車を忌々しげに指差した。


「故障か?」


「いや。子供が潜りこんだ」


「子供だって?」


 バートンは目を鋭くした。人間爆弾の可能性を考慮したためである。


 昨年の昨年の『究極の裁き作戦(Operation Infinite Justice)』――中東諸国の猛抗議を受け、後日『不朽の自由作戦』と改められる――でタリバンの自爆攻撃を幾度となく見てきたバートンにしてみれば、最も憂慮すべき事態だった。


 ところが、大尉は違うと頭を振った。


「いや。人間爆弾じゃない。見るからに軽装だし、爆弾らしきものは見当たらなかった。……だが何を言っても出てきてくれねえんだ。戦車を前に動かそうにも、いったん格納庫の外に出さないといけねえ。たかが子供一人のために騒ぎを大きくするわけにもいかんし、下手するとこの空港を監視してるイラク側を刺激しかねん。どうしたもんかと思ってな……」


 バートンはしゃがんで懐中電灯で下を照らした。


 灯りに晒され、小さな人影がさっと顔を隠す。


 確かに子供だ。黒髪、身長は110センチほど。Tシャツに裾を折り捲った半ズボンからのぞく手足は不安になるほど細く、この地の人間にしてはやけに白い。


 何より、彫りの浅い東洋系の顔立ち。ハザラ人だ。

 アフガニスタン人の難民キャンプから流れてきたのかもしれない。


 バートンは複雑な心境になった。


 ソ連のアフガン侵攻直後から、アフガニスタン国内ではあらゆる軍閥が群雄割拠し、いさかいが絶えない。昨年アメリカがタリバン政権を崩壊させ、平穏が戻ってきたかのように見えるが、その本質は変わらない。


 そしてハザラ人は、アブドゥル・ラーマン国王在位時に同王の迫害対象とされ、社会的経済的に厳しい差別を受けた。


 1993年には当時の大統領と、主任司令官マスードにより、数百人が虐殺されるという事態にまでなっている。

 西洋諸国から高潔な人物と褒め称えられ、タリバンとの戦いでアメリカが手を組んだ北部同盟司令官だった、あの「パンジシールの獅子」アフマド・シャー・マスード将軍がである。


 そしてその5年後、今度はタリバンがマザーリシャリーフを制圧した際には、わずか3日で数千人のハザラ民間人が殺害されている。


 どっちの陣営についても殺される。そんな歴史を歩んできたのが、ハザラ人だ。


 しかもこの少女の年齢から鑑みるに、ちょうどその虐殺の真っ只中の世代だ。


「確かに爆弾は持ってなさそうだな」


「ああ。ほっといても害はない、と言いたいところだが、あの薄着だろ?」


「凍死するな。真冬の、しかも砂漠の夜だ。コンクリートに寝そべった子供の体温など、あっという間に奪う」


「だろ? だから今、うちの連中がケツを突いて追い出そうとしてるんだが……これがまたちょこまかと逃げ回るんだ。まったく世話の焼ける」


 ああ、さっきからモップを持った隊員がウロウロしてるのはそういう。


 大尉が深々と溜息をついた、その時。


 格納庫の戸を叩く者がいた。


「失礼。この辺りで子供を見かけなかったか? 黒い髪にこのぐらいの背の子だ」


 突如現れた男に、バートンは面食らった。大尉は一瞬胡乱気な顔で一瞥し、直後にぎょっとした様子で二度見した。


 海兵隊であれば間違いなくバリカンで剃り上げられそうなほど伸びた頭髪に、口元と顎全体に生やした髭。髭のせいで30後半に見えるが、肌の若々しさをみるにまだ20代だろう。


 着ている服は米陸軍採用の3Cデザートカモではなく、イギリス軍採用のDPM迷彩服で、手袋も制式のものでなく、足元に至っては軍用ブーツではなくハイキング用ブーツである。唯一右胸にある迷彩柄の星条旗が、この男がアメリカ人であることを示している。


 一見ただの民間軍事会社の兵士。


 中隊の兵士たちも「こんなところにPMCが何の用だ」と言わんばかりに怪訝な表情を浮かべてはいるが、何人かは大尉と同じく唖然と固まっている。

 無理もないだろう。多くの兵士は、彼らを一度も見ることなく退役する。


 そのうえで、男はバートンの見知った顔だった。


 男の方も気付いたらしい。こちらを見るなり一瞬だけ硬直するも、すぐに何食わぬ顔で目を逸らした。


「騒がせて済まない。どうもうちの通訳が子供を連れてきていたらしくてな、目を離したすきにいなくなったと大騒ぎしてるんだ」


 それを聞くなり、兵士たちから安堵の嘆息が漏れた。それから悪態がちらほら。

 なんだ、通訳のガキかよ。脅かせやがって。


 兵士たちは「さっさと連れ帰れ」と迷惑そうに男を睨んだ。それらにさした反応を示さず、男は戦車の前に膝をついた。


「ハウンド、出てきてくれ。怒ってるわけじゃないんだ」


 それを聞くなりバートンは疑念を確信に変えた。

 現地人の子が、それも犬を不浄と嫌うイスラム圏の人間が、我が子に猟犬の英名をつけるはずがない。


 一方、子供は動かない。

 影の中でじっと蹲ったまま。こちらの様子を窺っている。

 

 男は深く溜息をついて、先ほどより柔らかな声で語りかけた。それは駄々をこねる我が子を前にして弱り果てる新米の父親のように見えた。


「お前のせいじゃない。頼むから出てきてくれ。お前が帰ってこないと、いつまで経ってもあいつが凹んだままなんだ」


 もはや懇願にも近い声音で訴えかけること数秒後、動きがあった。


 ゴソゴソと音を立てて、子供がちらりと顔をのぞかせた。周囲から僅かにどよめきが上がった。


 猫の産毛のような細く柔らかい黒髪、長く密度のある睫毛。寒さのせいか白い頬は紅く色づき、大きな瞳はエメラルドをはめ込んだような美しい深緑をたたえていた。どう見ても、年端のいかぬ少女である。


 ひどく怯えた顔をしていた。


 すかさず男が手を伸ばすも、少女はびくりと肩を跳ね上げ身をすくませた。男はばつの悪そうな顔で、仕方なくそろりと子供の脇に手を差し込んで、おっかなびっくり戦車の下から引き出した。

 男は子供の手を無理やり握ると「騒がせて済まなかった」と足早に踵を返した。


 バートンは大尉を振り返り、肩眉を跳ね上げた。すると大尉はおどけたように両手を挙げた。


「OK、OK。あれは通訳のガキだ。そういうことにしておく。俺としちゃ、戦車女房どもが無事ならそれでいい」


「感謝する」


 バートンはそう礼を言って、すぐに男を追って格納庫を後にした。


 けれど男と少女は、格納庫から数十メートル離れた場所で、立ち止まっていた。


「……あなたなら追ってくるだろうと思いましたので」


「本来、邪魔すべきでないのだろうがな。久しぶりだな、バルト」


 男は姿勢を正すと黙したまま目礼した。


 ゾンバルト・アルタウス。階級は准尉。


 短距離走者のような典型的なスプリンター体型に、鋭く引き締まった青い双眸が特徴の青年だ。陸軍狙撃学校を卒業しており、バートンの教え子の一人である。


 そして所属は特殊作戦群統合特殊作戦コマンド第一特殊部隊作戦分遣隊デルタ――通称デルタ・フォースの隊員である。


 軽く挨拶を交わしたのち、夜道を共に歩きながらバートンは尋ねた。


「で、その子はどうしたんだ? 迷子なら私が届ける。わざわざお前が出向くまでもあるまい」


「いえ、そうもいかなくて」


 歯切れの悪い返答にバートンは訝しんだ。訓練生時代から、ゾンバルトは几帳面かつ物事に白黒つけたがる性格で、曖昧な物言いと態度を嫌う傾向があった。要するに、らしくない。


 が、バートンは右手を上げて話をすぐに遮った。


「話せないことなら話さなくていい。任務を優先しろ。私に気を遣う必要はない」


「……痛み入ります」


「構わんさ。ところでバルト、もう少し歩調を緩めてやったらどうだ」


「え? あ」


 ゾンバルトが慌てて止まった。

 同隊員の中ではやや小柄とはいえ、180近くあるゾンバルトと110あるかも怪しい子供では、歩幅が大きく違う。ゾンバルトがいつもの調子で歩けば、子供の方が引きずられるのは明白だった。


 一方の子供は、何も言わない。先ほどから何度か転びかけているのだが、すぐ立て直すと黙って小走りでゾンバルトに連れられるがまま従っている。


 ふむ、と顎に手を当てたバートンは、おもむろに子供を抱き上げた。


 ビクッと全身を硬直させた子供だったが、こちらの首に抱き着かせるように抱えてやると、すぐに強張りを解いて身を預けてきた。


「抱かれ慣れているな。てっきり少女兵を再雇用したのかと思ったが」 


 冗談交じりにそう微笑すれば、予想に反して重苦しい沈黙が返ってきた。バートンもまた笑みを消した。どうも言い当ててしまったらしい。


 しばらくして、ゾンバルトは深く長く嘆息した。全身に溜め込んだ情動を一気に吐き出すように。


「うちの班の軍事工作要員です」


「なんだと……!?」


 思わず足を止めたのは不可抗力だ。バートンは耳を疑った。


 軍事工作要員。デルタ・フォースをはじめ、特殊部隊の任務を支援する非公式の工作員だ。任務の成否に直接かかわってくる。

 そんな重要な役割を、こんな幼子にやらせているというのか。


 ゾンバルトは「俺にもよく分からないんです」と首を振った。


「上から急に言われました。OGA(「その他の政府機関」の意。CIAを指す隠語)経路でうちに圧力がかかったそうです。運用もうちの班限定で、正直どう扱っていいのか判断しかねています」


中央情報局CIA……いや。合衆国安全保障局USSAか」


「恐らく」


 なるほど、道理でゾンバルトの口が軽いわけだ。


 USSA。9.11の同時多発テロ後に急遽発足した諜報機関で、アフガン侵攻時からCIAと功を競って手柄を挙げている。場合によってはCIA以上に優秀な組織だ。


 だがバートンにしてみれば、いささか手際が良すぎる。発足直後の組織によく見られる不具合がほとんど見られない。大抵の組織はその無数の不具合を解消しながら組織像を確立していくのだが……USSAは泰然自若な運用を初期の頃からずっと維持している。


 あたかも何十年も前から秘かに存在していたかのように。


 何より、彼らならやりかねない手口だ。


 アメリカ人でなければ非人道的手段も厭わぬような、黒い噂の絶えない連中である。子供を工作員に仕立てるなど、造作もないだろう。


 ゾンバルトも薄々勘付いているのかもしれない。だからこそかつての師である自分に情報を打ち明け、参考意見を聞きたがっているのだろう。


 バートンは口を開きかけたがすぐに閉ざす。突如、ゾンバルトが足を止めたからだ。


 彼はそのまま無言に右手でいくつかハンドジェスチャーをした。


 直後、背の高い影法師が、滑走路脇に生える低木の闇夜からぬっと現れた。


「見つかったんですね。よかった。てっきり基地の外に出たんじゃないかと……」


「トゥーレか」


 バートンは脳内に叩き込んだ情報ファイルから、ゾンバルト率いる班員リストを引っ張り出した。


 トゥーレヴァルド・セーデン二等軍曹。


 穏和な学者にも見える男だが、尋問の専門家スペシャリストである。優秀な通信手でもあり、一度戦場に出ればその広く柔軟な視野と正確な情報伝達で、絶妙に班を支援する。


「怪我は……ないみたいですね。よかった――ベル、見つけた。准尉と一緒だ」


 トゥーレ(ゾンバルトの呼び方で統一することにした)が無線で通達してからすぐ、またも人影が現れた。

 ベル、という愛らしい名と裏腹に、ヘビー級総合格闘家を小柄にしたような、筋骨隆々の男だ。

 

 ベルナルド・バンデラス二等軍曹。


 トゥーレと同じく30歳を超えたベテラン兵で、医務を担当する。歳をとった未去勢の闘犬のような厳めしい顔つきをしているが、愛妻家であり恐妻家でもある。


 ベル(以下略)はバートンが抱く少女の顔に手を伸ばすと、首の脈や口腔、目、額の熱を手際よく確認した。


「低体温症にはなってないみたいだな。おら、家出すんなら上着ぐらい着てけ、馬鹿」


 脇に抱えていた毛布を広げ、少女を包もうとする。お役御免かとバートンが少女を降ろそうとするも、首に抱き着いて離れない。地に足をつけたら死んでしまうかのような必死さだ。


 ベルが顔をしかめ、トゥーレが苦笑した。


「嫌われちゃったね」


「……みたいだな」

 落胆したように嘆息する二人に、バートンは強烈な不安と違和感を覚えた。


 ゾンバルトといい、この二人といい、いささか気を許し過ぎではなかろうか。


「ま、ガキに見せていいもんじゃなかったな」


「何かあったのか?」


 そう尋ねると、二人は素早く目配せし、ゾンバルトを一瞥した。ゾンバルトは頷いた。


「構わない。俺の元教官だ。この件も含めて、上にはきちんと報告する」


「了解しました。実は――」


 トゥーレは事の顛末を語った。


 本日、イラク中心部の情報収集にあたっていたゾンバルト班は、突如現れた米軍指定の最重要対象を発見し、上からの指示でその標的を確保することになった。それに際し、別の班と合流して、共同作戦を組むことになったのだという。


「この子のことはうちの連中も全員知っています。けど知っているのと、信頼してるかはまた別問題でして……」


 要は、別班の隊員が少女にむけ発砲したのだという。指揮官であるゾンバルトの指示に反する行動をとったから、というのが言い分だった。


「かなり乱暴だが筋の通った理由だな。如何なる状況であろうと、命令違反は許されるものではない」


「いえ、命令違反ではないです。コールマンがついていましたから」


「コールマンが?」


 ラルフ・コールマン。


 教え子の中で、ある意味もっとも突出した男だった。コールマンには不思議な魅力があって、どんな初対面の人間でも彼と話すとすぐ打ち解けてしまう。いわゆる人たらし、というやつだ。


「なるほど、奴なら子供ウケはいいだろうな」


「ええ。実際一番懐いてますよ。それにこの子は潜入も行うこともあるんで、コールマンを手綱役に二人組で基本自由行動させてたんです。あの手の任務は独自の判断が求められますから」


 こんな幼子にそんなことをさせているのか、という言葉を飲みこんで、バートンは会話を続けた。


「つまり、その自由行動の旨を別班は理解していなかったんだな?」


「ええ。前から言動に問題のある奴でして、愛国心が強すぎて現地人を使うことに嫌悪感みせるタイプだったんです。俺の命令を無視したのを裏切ったと勝手に判断したみたいで……俺のミスです。その辺に頭が回ってなかった。たまたま嫌な予感したコールマンが飛び出して盾になってなかったら、頭を撃ち抜かれてました」


「コールマンは」


「防弾着に当たったんで怪我はありません。ただ、帰投してから凄まじい喧嘩になっちまって……その、ガキに聞かせるような内容じゃなくて、」


「喧嘩というより乱闘ですね、あれは」


「いっそ殺し合いに近かったな。班長ガチ切れだったし」


 トゥーレとベルの発言にバートンはやや驚いた。


 底抜けに陽気でお調子者のラルフだが、あれで意外と気の長い男なのだ。あの男が激昂する様など、想像もできなかった。


「それで、その乱闘騒ぎの最中にこの子が逃げ出した、というわけか」


「そんなところです。今すぐ処刑しろだのどうのって喧嘩でしたからね……この子にはショックだったと思います」


「俺たちも腹立ってたんで対応が後手に回ったのは認めます」


 二人からの返答に、バートンは静かに、けれど深く嘆息した。


 思った以上に深刻な状態だ。少女一人を巡って部隊内で軋轢が生じている。USSAめ、なんとも厄介なものを押し付けてくれたものだ。


 さて、どうしたものか。


 その時だ。動物の鳴き声がした。犬と猫の鳴き声をかけ合わせたような濁声は、この地に生息するスナネコの鳴き声だ。


 だがこのタイミングでかけられた鳴き声の主が誰なのか、その場にいる全員がおおよその察しがついていた。


「ロムか、レムか」


「両方っすよ」


「我らファンキー兄弟ここに参上ってね」


 おどけた言葉とともに、若い兵士が二人同時に現れた。


 ロメオ・ファンキーニ三等軍曹。

 レーム・ファンキーニ三等軍曹。


 名の通り、双子の兄弟でそれぞれが工作・兵器を担当している。変わった経歴の持ち主であり、元いた部隊は海兵隊の第一戦闘工兵大隊である。

 優秀な兵士だが、平時は悪ふざけの絶えないお調子者兄弟らしく、ゾンバルトもほとほと手を焼いているという。


 余談だが、同班で一番の被害者はベルである。が、仲が悪いというわけでもないらしく、あるとき奥方の写真を男性特有のやむなき事情マスターベーションに無断借用された際、不届き者特定のため一時休戦協定を結んだこともあるとか、ないとか。


 お調子者らしくヘラヘラと現れた双子に、案の定ベルが顔をしかめた。


「おいファッキン兄弟、班長はどうした」


「相変わらずっすね、こっちの呼びかけにも応じず背を向けてだんまりっす」


「あと俺らはイカしたファンキー兄弟っす」


くそったれファッキンの間違いだろ」


「ひっでぇ。……ん? うおっ」


「あ? 急になんだよ、ってうわ」


 こちらの姿を見るなり露骨にのけ反った双子の頭を、ベルがすかさずはたく。よもや情報士官の大尉が同行しているなど、夢にも思ってなかったのだろう。


 バートンは苦笑した。


「構わん。で、その班長は今どこに?」


「あーあそこの倉庫っすね」


「二時間前にうちの隊長にこってり絞られたんすけど、まあ見ればわかるっす」


 背後の倉庫を指差され、バートンはひとまず歩み寄った。元教官の性という奴だ。同にも自分は問題児を放っておけないタチらしい。


 バートンが覗きこもうとした、その時。少女がするりと腕から抜け出した。


 あ、と言う間もなく、少女が倉庫に入っていく。


 バートンはぞっとした。


――足音が、ない。


 それだけではない。しなやかな身のこなし。俊敏で無駄のない動作。光源がほぼない倉庫内で、乱立する障害物を器用に避けて、物音一つ立てることなく奥へと向かっていく。

 まごうことなき暗殺者の動きだ。


 こんな子供に、彼らは心を砕いていたというのか。あまりに危険すぎる。


 少女は、倉庫の角のコンテナへ滑るように近づいていく。コンテナの扉は空いていて、その奥のLEDランタンの傍に、大きな影が蹲るように背を向けている。


 影がわずかに身じろぎした。その拍子にキラリと瞬く、短く刈り込まれた銀髪。

 間違いない。ラルフ・コールマン一等軍曹である。


 周囲にはノートの切れ端らしき紙が散らばっており、その中心でラルフは胡坐をかいて座りこんでいた。


 少女の小さな手が、ラルフの太い首に伸ばされる。


 バートンは咄嗟に腰の拳銃に手を伸ばした。


 が、少女は突然びくりと肩を跳ね上げると、びゃっと慌てて数メートル距離を取った。そして距離を保ったまま、コールマンの背後を半円状にウロウロし始めた。


「何をやっとるんだ」


 バートンが思わず声を漏らすと、双子が同時に「あー」と声を漏らした。


「あれは近寄るなオーラ出されましたね」


「俺らが話しかけようとしても、あんな感じなんすよ」


「こっちがなに言ってもうんともすんとも言わねえし」


「しかもひたすら絵描いてるし」


「あーなるとあの人すげー長いんすよねぇ。ぶっちゃけすんげえ面倒くさいっす」


 コメディアンよろしく交互にテンポよく会話する双子の言を聞き流しつつ、再び少女へ目を戻す。


 少女は叱られた子犬よろしく、首を縮め背を丸めてオドオドおろおろとコールマンの背後を右往左往している。

 声をかけたいが怖くて近寄れないのだろう。


 バートンは深々と溜息をつき、倉庫内に足を踏み入れた。全く、いつまで経っても世話が焼ける。


「いじけるのは大いに結構だが、相手は選んだらどうだ。大人げないにもほどがあるぞ」


 途端、日頃の彼からは想像もつかない鋭利で酷薄な眼光がジロリと睨み上げる。が、それも一瞬、すぐにポカンと口とともに見開かれた。


「いつもの目に戻ったな。結構。久しぶりだ、コールマン」


「え、えっ、教官……? なんでここに」


「私にあれこれ聞く前にあの子を何とかしてあげたらどうだ。困ってるだろう」


 えっ、と慌てて周囲を見回したラルフは、怯える少女の姿を見つけるなり更に狼狽えた。


「ハウンド……!? 戻ってきてたのか」


 急いで立ち上がって迎えに行こうとするも、少女は表情と全身を強ばらせて数歩後ずさった。身にナイフを突き立てられたような痛みを堪える顔をしたラルフは、すぐに地面に膝をついて必死に弁明を始めた。


「ごめん、ハウンド。怖いものみせた。さっき近づいたのもハウンドか?」


 少女は答えない。だが怯え切った表情に、相手の心情を探るものが混じった。返答しない少女が答えと判断したラルフは、困り果てた表情で両腕を伸ばす。


「ごめん、ほんとごめん。もう怒ってないから。頼むから一人で黙ってどっか行かないでくれ」


 それはもはや謝罪というより懇願だった。バートンは少し眉をひそめた。確かに同情を誘う幼子ではあるが、どう見たって感情移入しすぎている。

 危険だし、不可解だった。


 一体この子は何なのか。


 バートンの懸念をよそに、少女はそろそろと歩み寄ると、ラルフの腕が届く寸前で足を止め、スンスンと鼻を鳴らした。ラルフは苦笑した。


「どう?」


「……もう、こわいニオイはしないと、思います……」


「そっか。来るか?」


 途端、少女がラルフの胸の中に飛び込んだ。それを安堵の笑顔で出迎えて、ラルフは大事そうに少女を抱きかかえる。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


 少女がラルフの方に顔をうずめながら、その太い首にしがみつく。


「テロリストの子で、ごめんなさい」


 それを聞いた瞬間、バートンはすべてを悟った。


 USSAから送り込まれた工作員。彼らはこの子を仕込んだのだ。


 テロリストの娘、咎人の子。


 そう刷り込ませることで贖罪意識を植え付け、自発的に協力するように仕向ける。さっきの身のこなしにしてもそうだ。USSAは心身ともに調教した上で、少女をラルフたちの元へ差し向けた。道理で別班の隊員が毛嫌いしていた訳である。


 なんということを。


「…………俺らがこの子を気にかける理由っすよ、教官。それに出自はどうあれ、背中を預け合う仲ですし」


 小さく苦笑する教え子に、バートンは我に返ると咳払いをした。


「今すぐ上に掛け合おう。どう考えてもこれはまともじゃない。その子には、もっと別のやるべきことがあるはずだ」


「そうしたいのは山々なんですが、そうもいかないんすよ」


「……重要人物の子か」


「少なくともこの子の上の人間にとってはそうみたいっすね」


 ラルフの言に、バートンは黙りこくった。するとやり取りを聞いて察したのか、少女がおずおずと声を上げる。


「あの、やっぱり自分、出ていった方が」


「大丈夫だって。ほら、俺の呼称コールは?」


「班長、です」


「そっちじゃなくて」


「…………『ハスキー』」


「そ。お前とおんなじ犬っころ。大事な仲間だ。心配すんなって、ちゃ~んと守ってやっからさ」


 頬ずりをするラルフに、少女が戸惑いながらもくすぐったそうに身を捩る。

 その様を、バートンは何とも言えない気持ちで眺めていた。


「まあ、その反応が普通ですよね」


 振り返ると、ゾンバルトをはじめ、班員らが仕方がないと言わんばかりに苦笑していた。


「ただの駒であるのは承知しています。ですが、今回はその駒の意志が任務の鍵になってくるんです。詳細は話せませんが、力で従わせるより自らの意志で選んで協力してもらった方がいいというのが、コールマンの意見です。俺たちもそれを選択しました」


「……危険な賭けだな」


「でしょうね」


「ま、駒なのは俺らも一緒だもんなー」


「なー」


 頭の後ろで手を組む不遜な双子に、ベルが咳払いで窘める。だがその表情には同意の色が浮かんでいて、肩を竦めるトゥーレもまた似たような表情だった。


 そんな様子の彼らを見て、バートンは妙に納得した。


 精鋭とはいえ、兵士は所詮替えのきく駒。そうでなくては困る。替えが利くからこそ、いずれ終わりが来ると知っているからこそ、兵士は互いを戦友と呼び称えて、次へ託すのだ。


 もはや口を出すことはあるまい。そもそも自分は彼らの任に関わりのない人間だ。バートンはそう結論付けた。


「しっかしまあ班長、今日が何の日だか忘れてんじゃないすかね」


「一番張り切ってたのになー。俺らにも散々用意しろって言ってたくせに」


「もう始めちまうかー?」


「はじめるかー」


「いや、今は切り出せるような空気じゃねえだろ。少しは察しろ」


「「俺たちの貴重なパーリナイを無しにしろってんすか。ぜってー嫌っす」」


「妙なとこで声揃えてくんじゃねえよ、双子ども。大体お前らはいつも頭ん中パーリナイだろ」


「まあまあ、待機期間がクリスマスに被るなんてめったにないんだしさ。プレゼント交換ぐらいいいでしょ。皆ちゃんと用意した?」


「それなりにー」


「ちなベルさんが大人用男物の腕時計とかいうセンス皆無のプレゼント用意してたのは知ってますー」


「おまっ、なんでそれ知ってんだよ……!?」


「はいはい、バラされたぐらいで騒がない。ちなみに僕は妻が書いた本だよ。あの子、物語好きだからね。准尉は何か用意しました?」


「……思ってたんだが、ハウンドにとってクリスマスは異教徒の祭事だろ。祝っていいのか」


「うーん、大人からプレゼント貰えるイベントだよって感じでいいんじゃないんですかね。小難しいことは抜きにして」


「それもそうか」


 五人の兵士がやいやい騒いでいる。少女を抱きかかえるラルフの姿を眺めながら。


 そんな彼らを、バートンはずっと見ていた。

 ずっと目に焼き付いている光景だった。




 ***




「お前たちの、せめて一人でも生きていたらな」


 あの子はこうならずに済んだかもしれないのに。


 木立の中、闇夜に一人嘆くも、返答はない。当然だ。死者は口などきかないのだから。


――あれはもう、諦めてはくれんだろうな……。


 白い息を宙に吐き、二階の窓を見上げる。


 少女を後生大事に抱えていた、教え子があそこにいる。


 ラルフは死んだ。残りの四人の兵士も。


 ゾンバルトに至っては、自分が殺したようなものだ。米軍の機密情報を盗み逃走した民間軍事会社の社員を射殺せよなどという、そんなUSSAの情報を疑いもしなかった。


――迷子だ。迷子が二人、寄り添っている。


 ニコラスの姿を思い出し、バートンは目を眇める。


 仲間を奪われ彷徨う少女と、戦友を失い失意で動けなくなった兵士。

 そんな二人が、互いを拠り所に寄り添っている。


 どうして奪えようか。


――もうウェッブにとって、あの娘がいない未来など、未来ではないのだろう。


 諦めて欲しかった。たとえ恨まれても、あの少女と関わって欲しくなかった。


 けれど、結局ニコラスもハウンドも、殺せなかったのは自分だ。


「取るも捨てるもお前の自由、か」


 ニコラスは少女を守るため戦うことを選んだ。

 そして少女も、また――。


「……私も、選ばねばならんようだな、コールマン」


 老兵は一人窓を見上げる。静かな決意を秘めて。





***********************************

上記の理由により、一週間ほどお休みをいただきます。でないと作者が死んじゃう。

本当に申し訳ありませんが、次の投稿は12月8日とさせていただきます。

何年かかっても必ず完結まで執筆し続けますので、気長にお待ちいただければ幸いです。

エタり、ダメ絶対。

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