7-11

 雨霰と降り注ぐ掃射を前にしては、遮蔽物に身を隠すより為す術もない。


 ニコラスは焦った。


 二階から降りられない。


 階段、エスカレーターは元より、エレベーターホールにまで『トゥアハデ』が周到に分隊を展開している。

 そのうえでの、一階階段から、二階通路からの機銃掃射である。


 階段前のブランドバッグ売り場に逃げ込んだニコラスは、身動きが取れなかった。


「何人か寄こせないのか!?」


『無茶言うな、こっちはFBIと地元警察のダブルヘッダーだぞ!』


 無線には、セルゲイの声に混じって鋭いロシア語が飛び交っている。

 五大マフィア一の武闘派ロバーチ一家ですら動けないとなると、増援は見込めそうもない。


 ニコラスは周囲に視線を走らせる。


 唯一残された道といえば、売り場横の屋外非常階段へ通じる通路だが、それが罠であることはニコラスも気付いていた。


 自分だったらそうする。


――どうする。


 策ならある。だが、それ一つしかない。


 強引に行こうにも、走ることすらままならないこの義足(あし)ではいい的だ。数歩進む間もなく射殺されるだろう。


 どうする。


 ハウンドはもうもたない。今すぐ急行しなければやられてしまう。

 かといって、この場から動くのは自殺行為だ。


 何か、何か、何か、敵の気を逸らせるものを――。


 携帯が鳴った。


 初期設定から変えていない軽快な木琴のメロディーが、壮絶な弾幕と合わさってひどく場違いで滑稽な曲を奏でる。


 画面を一瞥すれば、なんとエマである。


「エマ、悪いが今――」


「ニック兄、今どこだ!?」


 思いもしない通話主に、ニコラスは面食らった。


「ロジャース? お前なんで、」


『御託はいいから今どこだ!? どこもかしこも敵だらけでわかんねーんだよっ』


 悪態をつくロジャースの声は、ビョウビョウと風を切る音で聞こえづらい。一体どこにいるのだろうか。


「二階南のブランドバッグ売り場だ! そこのカウンターにいる!」


『OK、任せろ!』


 なにを、と尋ねかけた問いは、すぐに解決した。


 三階へ続く階段の踊り場から、ロジャースが猛烈な勢いで飛び出してきたからだ。


 そしてそのまま、跳んだ。


 ニコラスも『トゥアハデ』も、呆気にとられた。

 十数段の階段を勢いに任せて跳躍し、一階から上がってきていた『トゥアハデ』分隊の真正面を滑走していく。


――ローラーブレード……!


 我に返った『トゥアハデ』が発砲する。が、当たらない。


 ローラーブレードを繰るロジャースの速度が尋常ではないからだ。まるでスピードスケーターだ。


 しかも通路真ん中に設置されたクリスマスツリーやベンチ、観葉植物を上手いことかわしながら疾走していく。


 しゃがみ、跳び、回って、滑る。


 変幻自在なロジャースの滑りに、『トゥアハデ』は一発も当てることができなかった。


「今だニック兄!」


 義弟の叫びに、ニコラスはカウンターから飛び出した。

 だがそれを見逃すほど、敵は甘くなかった。


 二階にいた分隊の数名が、くるりと反転する。その銃口は真っ直ぐにニコラスの額を狙っていた。


 発砲。

 ニコラスの額が撃ち抜かれた。


 直後、破片と化して四散する。


 事態が飲み込めず、敵が硬直した。


 そこに、ニコラスが飛び出した。

 敵が撃ち抜いたのは鏡に写った虚像。実体はこちらだ。


 フルオート射撃で薙ぎ払う。真っ先に対峙していた数名が撃ち抜かれて転がった。

 残りの敵も背後からの銃撃に、慌てて物陰に飛び込む。


 今――!


 ニコラスは階段を駆け下りた。というより、半ば踊り場に向かって飛び降りた。


 受身で衝撃をいなし、勢いのまま回転して立ち上がる。

 すぐさま敵の弾丸が追ってくるが、ニコラスが一階に降りる方が早かった。


「ハウンド、どこだ!?」


 その姿はすぐに見つかった。


 フードコートを抜けた、スマートフォン売り場。

 敵指揮官の少年クロム・クルアハと対峙する黒い背があった。


 うなじから伸びる尻尾髪が、動きに合わせてさっ、さっと左右に振れる。同時に飛散する赤黒い飛沫を、ニコラスは見逃さなかった。


「くそっ」


 すぐさま膝射で掩護するも、またも銃撃に阻まれる。先ほど撃ち漏らした二階の敵だ。


 しつこい。数が多い。


 舌打ちしたニコラスは即座に柱の影から撃ち返す。


 その時だ。


「……っ、ロジャース!」


 上階の敵の顔面に、ロジャースの跳び蹴りがめり込んだ。

 急襲に一瞬怯むも、敵は即座に闖入者への反撃を開始する。


――させるか!


 ニコラスが撃ち返す。短く息を吐き、呼吸を止めたまま引金を引き絞る。


 全員を掃討した。が、二階のエレベーターホールに待機していた新手がこちらに向かってきている。


 ロジャースが得意げに親指を立てた。

 それに「無茶すんな」と言いかけて、ニコラスは黙った。


 今、あいつが命を懸けているのは何のためだ?


「ロジャース、エスカレーターだ!」


 こちらの叫びに、ロジャースが怪訝な顔をする。ニコラスは「路上喧嘩ストリートファイトだ!」と叫んだ。


「そのまま連れてきて来い! 俺が仕留める!」


 途端、ロジャースは目を見開いた。そしてニヤリと笑って、スタートダッシュを切った。


 ロジャースが通路を疾走する。


 それに気付いた敵が発砲を開始する。


 ニコラスはその妨害に徹した。


 単発で二、三発撃っては物陰に隠れ、別の物陰から顔を出す。

 敵が苛立って顔を出そうものなら、こっちのものだ。瞬時に狙撃して片づける。


 そうこうしているうちに、敵はまずロジャースの方を片付けることにしたのだろう。

 ロジャースをエスカレーターの方へ追い込み始めた。


 元来ローラーブレードは平地を滑走するためのものだ。エスカレーターのような段差では、逃げ場がない。


 ロジャースが下りエスカレーター前で急停止する。


 追い詰めた。

 そう思った敵が、ロジャースの背後から発砲した。


 瞬間。


 ロジャースがエスカレーターを駆け下りた。ローラーブレードを履いたまま。


 ローラーを垂直に立て、階段の角から面へローラーを器用に沿わせながら、猛スピードで降りてくる。


 敵の銃撃が慌ててその後を追う。

 5.56㎜弾の掃射がエスカレーターを破壊し、破片が舞い上がる。まるでレーシングカーが巻き上げる砂埃のようだ。


 けれどその猛撃をして、ロジャースを捉えることはできなかった。


 ニコラスは発砲を開始した。フルオートで素早く引金を切り、エスカレーター上に密集していた敵をことごとく撃ち払う。

 エスカレーター前に密集していたので、もはや七面鳥撃ちターキー・ショットだ。


 降りてきたロジャースがその場でくるりと回り、「どうよ?」とばかりに両手を広げる。


 ニコラスは「変わらねえな」と笑った。


「今も昔もクールな滑りだ」


「最高に、をつけ忘れてるぜ」


 拳と拳が合わさった。


 大昔、自分とフレッドとロジャース三人でつるんでいた頃。何か成功させたら必ずやっていた、三人だけの合図だった。


 束の間、和やかな空気が流れる――。


 銃撃。


 ニコラスとロジャースは慌てて柱の陰に飛び込んだ。


「一体何人いんだよコイツら! 無限湧きかよっ」


「少なくとも有限なはずなんだがな。ナズドラチェンコ、応援寄こしてくれ! あと一個で弾倉が切れる!」


『そうしたいのは山々なんだけどねー』


 ニコラスの叫びに応じるセルゲイの返答は実に無慈悲だった。


 曰く、FBIは総力を挙げて仕掛けてきたらしく、ヴァレーリ・ロバーチ両一家は完全に足止めを喰らって動けないという。


『つーわけで、助っ人呼んどいたぞん。そろそろ来るんじゃねーの』


 助っ人?


 と、その時。


 目前に敵が現れた。いつの間にか回り込んでいたらしい。


 こちらが銃口を向けるのと、敵が銃口を向けるのは、ほぼ同時だった。


 相打ち。


 そう覚悟して引金を引こうとした、瞬間。


「おらぁっ!」


 敵が吹っ飛んだ。


 直後、大型バイクが90度回転してドリフト停止。

 ハンドルを握った黒髪褐色肌の美人が、憤然と折れ曲がったゴルフクラブを担いで舌打ちした。


「何よこれ。高いわりに根性ないわね」


「流石のメーカーも棍棒としての耐久性は想定してないと思うよ……」


「ケータ、アレサ!」


 バイク後部座席から降り立つ、というより滑り落ちるに等しい動作で地面に突っ伏したケータが、よろよろとアレサを見上げた。


「君、彼氏ができてもバイクでデートだけはしない方がいい」


「そっくりそのまま返すわよ。あなたの運転だっていい勝負でしょ」


 それは同感。


 そう思いつつ、ニコラスはよよよ、とケータから差し出されたM4カービンを受け取った。


「おいポリスメン、俺の銃はねえのかよ」


「はいはい、ただ今」


 ロジャースの抗議に頭を掻いたケータは、パンと両頬を叩く駆け出した。


 右前方の柱。こちらを銃撃しようと敵が顔を出しかけている。


 その僅かに出ている足先を、ニコラスが撃ち抜く。


 悲鳴を上げて物陰から飛び出した敵に、ケータが飛びついた。

 あっという間に組み付いて締め落とすと、落とした小銃を拾ってロジャースに手渡した。


 ロジャースあんぐり口を開けた。


「すげえなアンタ」


「ポリスメンだからな」


 そう返すケータに、ニコラスはふと、一人足りないことに気付いた。


「ケータ、バートン教官は?」


「ああ、彼なら――」




 ***




『弾を寄こせ、小僧。そいつの使い方を教えてやる』


 突如現れた老兵の狙撃手に、ロバーチ前線指揮所はざわついていた。


 いきなり現れて狙撃チームのSVDを奪い取ったかと思えば、即座に発砲。FBI狙撃チームをものの数分で沈黙させてしまった。


 それから次々にFBI隊員を撃ち抜いていく。


 その手段は前方の隊員の手足を撃ち、その救助が終わるのを待って、また次の前方隊員を撃つ、というものだ。

 時おり思い出したかのように、救助しに来た隊員を撃っている。


 狙撃手の常套手段を知っているFBIの恐怖心をついた、実に効果的な遅滞攻撃である。


 その様子を無言で眺めていたルスランは、頬杖を解いた。


「もう一班、一番近くの狙撃チームを向かわせろ。協力せよ。状況に応じて武器弾薬の供与も許可する」


「はっ」


「それとの設置を急がせろ」


「はっ」


 監視カメラ映像の向こうで、死亡した構成員に一人が近づいていく。そして取り出したリモコン爆弾を、死体の腹の下へ巧妙に潜り込ませた。


 オペレーターの一人が「あばよ」と呟いた。


 セルゲイは苛立った。ロバーチのこういうところが心底むかつくのだ。ロシア人のくせに。


「ヴァレーリより入電。退路の確保が完了したとのことです。敵前線もやや後退しつつあり」


人狼ヴィルコラクの回収を急げ。あれはもう持たん」


 監視カメラ映像に写る少女を見据えたまま、ルスランは立ち上がった。


 ヘルメットを除く完全武装の戦闘服に身を包んだその姿は、巨体も相まって息が詰まるほど迫力がある。


「ヴィルコラクの戦闘は自分より身体の大きい人間相手に特化している。いかに相手の力を利用して相手を制するか。いかに相手の懐へ潜り込むか。小柄で非力ゆえの戦い方と言ってもいい。

 同体格の相手ではそもそも相性が悪い。おまけにあの銃の使用頻度、じきにもう撃てなくなる」


「撃てない?」


 思わず聞き返すと、すかさずじろりと睨まれる。

 氷点下50度環境下の、氷柱の切っ先のような眼光だ。


「もともとMTs255回転式リボルバー・散弾銃ショットガンは連発に向かん。拳銃弾より火薬の多い散弾では、使えば使うほど回転弾倉シリンダーが熱せられ、暴発の危険性が高まる。

 そもそも奴の戦闘は銃の使用を前提としていない。あれの目的は射撃ではなく威嚇。一発でも掠れば致命傷になり得るスラグ弾を撃ってくると分かれば、銃口を向けただけで敵は怯む。

 そして次に撃つ弾がスラグ弾とも限らない。そのトリッキーな戦闘スタイルが奴の売りだ。奴の腕なら、散弾の方が確実だが……」


「射撃下手なんすか?」


「下手というより見ていないな、アレは。恐らく奴は、視覚ではなく嗅覚で相手を見ている」


「嗅覚で……?」


「癌探知犬というのがいるだろう。人間の呼気の僅かな物質から、対象が癌に侵されているかどうか嗅ぎ分けるのだ。奴はそこまではいかんだろうが、少なくとも相手の体臭から何かを読み取っている節がある。

 これまで何度か奴と手合わせしたが、奴は時々こちらの動作を予知したような動きをみせることがあった。そして5メートル以上離れると必ず距離を詰めてくる。

 嗅覚でこちらの体臭から動きや感情を読んでいるのだとしたら、説明がつく」


 言われてみれば。


 セルゲイは納得した。確かにこれまで、表情筋が凍りついていると名高いルスランの無表情から的確に感情を読み取ることができたのは、ヘルハウンドだけだ。

「今はイラついてるから近づかない」だとか「今は機嫌いいみたいだよ」とか。


 あまりに正確に読み取るので、近頃は構成員が訪問したハウンドに当主の威力偵察を頼むぐらいである。


――にしても、やけに喋るじゃねえの。


 セルゲイが一瞥する中、ルスランは腕を組んだ。

 ぎゅむりという音は、盛り上がった筋肉で張り詰めた戦闘服同士が擦れる音である。


 こりゃ、相当お怒りだ。


 彼女の身を案じてのことではない。己の獲物を横取りされつつあることへの強烈な不快感だ。


「予定通り、二分隊を地上へ向かわせろ。あの駄犬に後れを取るな」




 ***




 もはや息を吸っているのか、吐いているのかすら分からない。吸い込んだ空気にむせ返る始末だった。


 ただでさえ毒で心肺がやられているところに、戦闘でさらなる負荷がかかっている。

 頭では理解しているが、ハウンドにはどうすることもできない。


 クロム・クルアハが手持ち無沙汰に鉈を左手で回して弄ぶ。

 もはや対等に戦えないと分かっての余裕だ。


「ずるいよねぇ、『ヌアザ』も『モリガン』も、あの無能の『キッホル』ですら持ってたのに、おいらだけ持っちゃ駄目なんてさ」


「……返せ」


 かすれ揺れる視界で、ハウンドは渾身の殺意を込めて目を見開く。


 視線の先には、クロム・クルアハのダウンジャケット前ポケットに無造作に突っ込まれた一冊。


 それは黒い革張りの手帳ではなく、一冊の児童小説だった。


「それはトゥーレの遺品だぞ……!」



『語学ってのは楽しみながら学ぶのが早く上達するコツなんだ。これは私の妻が書いたお話でね、娘たちも夢中になって読んだものさ。物語って一度読みだすと続きが気になるだろ? 頑張って訳してごらん』



 そういって頭を撫でてくれた、柔和な笑みが似合う年かさの兵士。

 家族思いのよき父であり、穏和な顔に似合わず勇猛果敢な戦士だった。


 甘えは許さず、けれど見捨てず。

 与えられる課題も挑戦も容赦なかったが、分からなくて困っていると、いつもそれとなくヒントをくれた。


 あの一冊は市販の物ではない。トゥーレの奥方が、家族のためにと書いた私書だ。

 それを奥方に頼んで、一冊プレゼントしてくれた。


 間違っても目の前のイカレたガキが、血塗れの手で触っていいものではない。


 一方、クロム・クルアハは首をひねった。


「遺品? あの兵士らの持ち物は全部処分したはずだけど……。ああ、そうか。君が持っていたこれ以外に残ってないからか」


 クロム・クルアハが口をつぐんだ。


 頭上から銃剣の切っ先が降ってきたからだ。


 着地と同時にスラグ弾を発射するも、難なく躱される。


 自分と同じく、銃口の向く方向から射線を見抜いて避けられる戦士だ。

 威力はデカくとも、連発が厳しくモーションの大きいスラグ弾が、当たるはずもない。


「あはは、そんなヘロヘロじゃおいらは殺せないよ。『ディラン』『スェウ』の毒が今さら効いてきてるみたいだね」


 少年の甲高い笑いが反響する。


 代われ。


 腸の底から声がした。


 代われ。代われ。代われ。代われ。


 私が殺してやる。あの人たちの思い出を汚す者はみな喰い殺してやる。


 墓荒らしは皆殺しだ。


「うるさい」


 ハウンドは自身の内から急かす自分サハルを拒絶した。


 不吉な呪われたガキめ。死人が今さら喚くな。


 私は救うんだ。今度こそ一人を救って死ぬんだ。

 ニコラスまでお前に喰われてなるものか。


 もう誰一人、お前の道連れにさせやしない。


 視線を上げれば、クロム・クルアハがきょとんと目を見開いている。

 そのあどけなさが、少年が自分より年下である唯一の証左だった。


 少年の顔が歪んだ。


 人はそれを笑みと称するのだろうが、鼻のいいハウンドはまったくの別物だと気付いていた。


 腐臭にも似た、鼻腔にこびりつく嫌悪を掻き立てるニオイ。

 執着、殺意、嫉妬、憎悪。それらを押し固めて笑顔の型に押し固めただけの、笑みとすら呼べないものだ。


「そうそう、そうこなくっちゃ」


 クロム・クルアハが鉈をくるりと回す。これが獣なら舌なめずりに相当する振る舞いだろう。


 ハウンドもまた、滴る血を舌でぬぐった。


「ハウンド、どこだ!?」


 ニコラスの叫びに、はっと我に返る。


 直後、クロム・クルアハが急襲してきた。


 ハウンドは一、二合打ち合うと、すぐさま身を翻して離脱を図った。

 それをクロム・クルアハが追撃してくる。


 『トゥアハデ』は自分を殺せない。

 そして地上にはニコラスだけでなく、『トゥアハデ』の部隊も集結しつつある。


 ならば、取るべき手段は一つ。


 ハウンドは打ち合っては逃げ、打ち合っては逃げるを繰り返した。


 そしてそのまま、地上にて勃発した渦中へ飛び込んでいく。

『トゥアハデ』と、ニコラスたちの銃撃戦の中へ。




 ***




 事態は乱戦へ突入した。


 ハウンドと『トゥアハデ』指揮官のクロム・クルアハが縦横無尽に駆け回りながら戦っているため、下手に撃てないのだ。


 そしてそれは、敵とて同じ。


「白兵戦だ、ケータ!」


「ほい来た!」


 ケータが低姿勢から勢いよく飛び出した。

 それを横目に、ニコラスは義足の各関節部位にある調整ねじを一定角度で固定した。


 いよいよ、新技のお披露目だ。


 敵が飛び出してきた。

 銃床を振りかざし、こちらの頭上めがけて振り下ろしてくる。


 それを見据えたニコラスは、一歩、踏み出した。


 刹那。ニコラスの姿が、相手の視界から消えた。


 と、敵が瞬時とまどった直後。


 義足の爪先が、敵の顔面にめり込んだ。


 数本の歯と血を撒き散らしながら倒れていく敵をよそに、ニコラスは四つん這いからすぐ立ち上がった。


 卍蹴り。

 一歩踏み出した直後に両手を地につけ、下げた上半身の勢いで跳ね上げた片足を、体全体を捻りながら相手に叩き込む。


「躰道」の技の一種で、それをフランス式ボクシング「サバット」と組み合わせたものである。



『ニコさ、せっかく金属の足もってるんだからサバットやってみたら? あれ確か安全靴みたいなの履いて戦うでしょ』


『サバットシューズだな。あれ、ごろつき同士の喧嘩が起源だし、路上喧嘩ストリートファイト主体のニコラスとも相性いいんじゃないか? いや待てよ、蹴り技を主体にするなら躰道もアリだな……』



――根気強く鍛錬した甲斐があったな。


 ニコラスは、付き合ってくれたハウンドとケータに感謝した。


 躰道とは、体幹を基軸に動かす護身術である。


 その運動変則は「旋」・「運」・「変」・「捻」・「転」に分れ、うち「旋」は平たく言うと回転技である。


 左脚が義足のニコラスは、足を上げるという動作ができない。

 体重移動で足を前へ進ませることはできるが、義足だけをひょいと上へ上げる動作はできない。


 ゆえにニコラスの近接戦は、いかに義足を振り回して戦うかというスタイルになる。


 すなわち足技である。


 卍蹴りも足技の一種だ。旋状蹴りとも呼ばれる。


 そしてフランス流ボクシングの「サバット」。こちらは、蹴りで護身術である。


――足関節を固定して、直角にした爪先で相手を刺す。予想上の威力だな、これは。


 サバットは本来、サバットシューズという靴底の固い特殊な靴を履いて競技を行う。


 もともとが義足のニコラスからしてみれば、義足そのものを武器にできるサバットは、これ以上ないほど最適な武術だ。


 体勢を戻す。


 蹴り技、それも回転技の多いこの近接戦スタイルでは、モーションが大きく隙ができやすい。

 クロム・クルアハのような俊敏な相手にはかえって不利となる格闘術だが、そうでない相手なら。


――イケる。


 続いて襲いかかってきた敵のナイフを蹴り折る。

 根元から折れ飛んだナイフに唖然としたところを、逆回転の卍蹴りで叩き込む。


 ただし今度は、膝関節の固定なしで。


 敵の首に義足が巻き付いた。

 当たった衝撃でそのまま巻き付いたのである。


 そのまま引き倒し、相手の首を義足で極める。

 直後、腰のM9A1自動拳銃を引き抜いた。


 発砲。


 右手8メートル先にいた敵を二名、左手にいた敵一名を射殺する。次いで先ほど捕えた一名を始末する。


 これなら敵を確保したまま撃てるし、いざとなれば確保した敵を肉盾に使用できる。


「新技の調子はどうだい?」


「まずまずだな」


 自身より30センチは高い相手を軽々投げ飛ばしたケータがにっこり笑った。


 日頃心配になるほど気弱なケータだが、格闘技となると途端に生き生きしてくるのだから不思議だ。


 一方――。


「そこのスケートボーイ! 新しいクラブ持ってきて!」


「ああん!? 俺はアンタ専属のキャディーじゃねえぞ!」


 ゴルフクラブを振り回すアレサに、敵の合間をローラーブレードで疾走しながら罵声を返すロジャースを見たニコラスたちは、そろって溜息ついた。


「取りあえず俺、二人の間で戦いたくないな。間違って殴られそう」


「同感だ」


 けれど、二人の奮戦もあって地上にいた敵は半数近くに減っていた。


 そして敵が減るにつれ、遠くの打ち合う音が徐々に増していく。その荒れた息遣いも。


「ニコラス!」


「分かってる」


 ニコラスはハウンドの元へ急いだ。


 彼女の居場所はすぐ分かった。返り血が後に続いていたからだ。


――ハウンド……!


 少年と打ち合うハウンドの姿に、ニコラスは息をのんだ。


 傍から見ても分かるほどフラフラだ。倒れていないのが奇跡ですらある。


 すぐさま構え、発砲する。


 当たらない。

 日頃のハウンドの動きに慣れているせいか、いつにも増して見越しが利かない。


 ニコラスはすぐさま観測を開始した。


 ハウンド、少年。動き、呼吸、踏み込み、重心……。


 着弾。


 自身の真横に撃ち込まれ、ニコラスは舌打ちした。

 二階、三階にいた敵が一階へ降りてきている。このままではまたも多勢に無勢に――。


 轟音が走った。


 正確には轟音ではなく、同時射撃のフルオートだった。

 一点を狙った斉射が、敵各分隊に雨霰と降り注ぐ。


『はーい、こちらナズドラチェンコ・コールセンター。当社の弾幕サービスはいかがでしたでしょうか?』


「このまま奴を追い立てられるか」


『お前ほんっとノリ悪いな』


 そう毒ついたセルゲイは「で、どこへ?」と続けた。

 ニコラスは「一階奥のエスカレーターホールだ」と言った。


「円形ホールで放射状に通路がのびてる。そのうちのどこかへ追い込んでくれ」


『りょーかい。けどそれどうやってあいつに伝えんの?』


「問題ない」


 そう言って、ニコラスはハウンドを見た。

 血を流し、汗を流し、死人のような顔でなお奮戦する少女を。


「ハウンド!」


 ハウンドは振り向かない。

 無理もない。少しでも気を逸らせば切り捨てられる、そんな相手だ。


 だからニコラスは、ペルシア語で叫んだ。

 ハウンドだけがわかる言葉で。


「奥のエレベーターホールだ、そこへ逃げろ! 俺たちが追い立てる!」


 ハウンドがハッとした表情で振り返った。が、すぐさま唇を噛み締め、駆け出していく。


 派兵に際し、必要最低限の文言だけしか覚えていない。最後に話したのは、もう何年前だろうか。

 けれど、言葉はちゃんと出た。


 これでもう、後戻りできない。知らないふりはできない。


 俺を救ってくれた少女兵。イラクで出会ったハザラ人の女の子。


 これからは代行屋助手のニコラスとしてではなく、イラク・アフガンで戦った海兵隊狙撃手として、彼女と向き合うことになる。


 彼女の内側に、踏み込むことになる。


 たとえそれが、彼女の願いを踏みにじることになっても。


――ごめんな、ハウンド。


 もう守られっぱなしは、嫌なんだ。

 俺だけ救われたって、意味がないんだ。


 お前が俺を英雄ヒーローにしたんだぞ?


 ニコラスは駆け出した。


 競歩一歩手前の速度でしか走れないニコラスの脇で、ロバーチ・ヴァレーリの銃撃がエスカレーターホールに展示された新車をスクラップにしていく。

 クロム・クルアハをその奥の通路へと追い立てていく。


 舌打ちした少年は、ハウンドを狩ることだけに専念し始めた。


 より激しい斬撃の応酬が続く。


 その隙にニコラスは通路の奥へ回り込んだ。

 膝射姿勢で構え、呼吸を整える。


 ハウンドの左の銃剣が弾き飛ばされた。

 カランと音を立ててタイル床を滑っていく。


 ハウンドは左腕をだらりと垂れ下げたまま、右手で応戦した。

 けれど相手は怪力少年。振り下ろされる刃を受け流すだけで、精一杯だ。


 ニコラスは焦る心を、深呼吸で無理やり鎮火した。


 見越しのための観測を再開する。


 息を吐き、残り二割を切ったところで、止める。


 撃発。


 弾丸は、クロム・クルアハの太腿の付け根を穿った。

 苦悶に身を捩った少年のポケットから、何かが落ちた。


――本、いや手帳か……!


 セルゲイが叫ぶ声がした。ケータたちが息をのんだ。敵が強張った顔で立ち尽くす。


 けれど、真っ先に手を伸ばしたのは、ハウンドだった。


 血の足跡がのびる床に落ちる寸前、ハウンドの小さな手が受け止めて――。


「返せよ。おいらが貰ったんだぞ」


 クロム・クルアハがハウンドの手ごと手帳を蹴り飛ばす。


 そしてそのまま、ハウンドの胸を真一文字に薙いだ。


「ハウンドッ!!」


 血飛沫が上がった。


 後ろ向きに倒れていくハウンドの手から、銃剣が離れていく。


 ニコラスは何もかもかなぐり捨てて走った。


 ハウンドの小柄な背が床に打ち付けられる寸前、辛うじて身を滑り込ませる。


「ハウンドッ、ハウンドッ!」


 彼女を抱え込み、必死に患部の圧迫止血を試みる。

 指の隙間から零れ落ちていく緋色に、気が狂いそうだった。


「おいらが貰ったんだ。やっと貰えたんだ」


 ブツブツと呟きながら少年が歩み寄ってくる。その以前にも増しての異様さに、ニコラスは絶句した。


「やっとあの人に認めてもらえたんだ。それはおいらのだ。おいらのだぞ。勝手に触れてんじゃないよ」


 その時、腕の中のハウンドが笑った。

 血の泡を口端に添えて、さもおかしそうに、不敵に。


「そいつはトゥーレの遺族のもんだ。はなっからお前のもんじゃない」


 瞬間。クロム・クルアハが激高した。


 即座に拳銃を構えるも、間に合わない。

 ニコラスの右手に、大鉈の刃が振り下ろされ――。


 クロム・クルアハの姿が消えた。


 上から降ってきた巨大な垂れ幕が覆いかぶさったのだ。


「今よ!」


 誰かが叫ぶ声がした。


 ニコラスは拳を握り締めた。

 ケータが掴みかかり、アレサがクラブを振りかぶり、ロジャースが跳ぶ。


 ニコラスの拳が、少年の鳩尾であろう箇所にのめり込む。

 ケータの関節技で固定された少年の頭部に、アレサのクラブとロジャースの跳び蹴りが同時に炸裂する。


 赤と緑の垂れ幕で覆われた少年は、音もなく崩れ落ちた。


「やった、わよね……?」


「いや。君たちの殴打と蹴りの衝撃がこっちにまで来た。ギリギリのところで受け流されたな」


 ケータの返答にアレサが舌打ちする。一方、ロジャースは。


「母さん!?」


 上を見上げて仰天した。


 二階でエマたちモーガン一家が手を振っていた。


 クロム・クルアハ撃退の活路を拓いた功労者たちの手には、それぞれ包丁やハサミが握られている。

 あれで垂れ幕のロープを切ったのだろう。


 彼らの真横には、騎士の如く寄り添うバートンの姿があった。


 けれどニコラスは、それすら見る余裕がなかった。


衛生兵メディック! 衛生兵メディックよこしてくれ! 今すぐ輸血しないと……!」


『うっせえ、言われなくてもやっとるわ!』


『いや、この場からの離脱が先だ。FBIの応援がモールを包囲する前に撤退を――』


 無線越しのセルゲイとカルロの声にも焦りが見える。


 ハウンドは『失われたリスト』への鍵だ。彼女の死は、リスト消失に直結する。


 駆け付けた構成員もこちらの惨状に唖然とした。

 が、それも一瞬。すぐさま動いた。


 ハウンドの救護、クロム・クルアハの捕縛、撤退準備。それを見たケータたちも動き始める。


 衛生兵とおぼしきロバーチの構成員が、ハウンドを奪い取った。すぐさま輸血と応急処置を始めるその横で、ニコラスはただ茫然と立ち尽くす。


 そうだ。手帳。


 我に返ったニコラスは、クロム・クルアハが蹴り飛ばした手帳を探した。

 けれど、ケータが先に見つけていた。


「ニコラス、これ……」


 見るからに合点がいかぬと言った表情で、ケータはそれを差し出した。


 ニコラスは目を疑った。


 それは、手帳ではなかった。

 児童小説。いいや、それですらない。


 それは、児童小説のカバーをかけられただけの、白紙の本だった。

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