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 〈西暦2013年10月29日午前9時3分 アメリカ合衆国ミシガン州 特区五50番地〉


 その日もイヤドはバイクを走らせていた。


 弁当配達ではなく私用でだ。 


 50番地は活気に満ち溢れている。

 皆どこか顔が明るいのは無理もない。あれだけ街で無作法を尽くしていた救済連合がいなくなったのだ。


 正確には、いられなくなったというべきか。


 一週間前、ミチピシは維持派・改革派・救済連合による三つ巴で抗争勃発の危機だった。


 一時は特区外退去もやむを得ないかと思いきや、三派は突如、休戦協定を結んだ。


 原因は、今イヤドが走っている幹線道路横、鉄条網付きフェンスの向こうにたむろする戦闘服の男たちだ。


 五大マフィア、ロバーチ一家とヴァレーリ一家。

『特区の双璧』と謳われる五大屈指の実力派組織である。


 もとより50番地は、特区外とロバーチ領に隣接する区画だ。

 なのでイヤドも国境警備隊のロバーチ構成員を見るのは初めてではない。


 だがこれほどの人数は初めて見る。普段の10倍は確実にいる。


 しかもロバーチだけでなく、本来なら一切関わりのないヴァレーリ一家まで、臨戦態勢で国境線沿いに待機しているのだ。


 イヤドは視界の端を流れていく装甲車や戦車に驚嘆する。


 ソ連製の旧式戦車なら見たことがあるが、ここにあるのはどれも違う。

 恐らく新式、しかもそれが数台どころか十数台単位で、国境線沿いに砲塔を揃えて鎮座している。


 数、装備の充実性、兵士の動き。どれをとってもミチピシ一家とは格が違う。


 ミチピシが慌てて休戦協定を結ぶはずである。それにすら劣る救済連合が逃げ出すのも道理だ。


 当初、50番地住民は五大マフィアが攻めてくるのではないかと心配したが、イヤドは無用だと確信していた。


 賢い指揮官ほど無意味な流血を嫌う。

 仮にこの二家がミチピシに大規模攻勢を仕掛ければ、合衆国が黙っていない。確実に軍を派遣してくるだろう。そうなれば泥沼は避けられない。


 これほどの武力を誇る二家が、そんな愚策を取るとも思えなかった。


 イヤドが心配しているのはの方だ。


――また集まってる。


 イヤドは前方の50番地の国境線外、49番地に集結した救済連合に険相を構えた。


 ハンドマイクで拡張された声は、音割れして何を言っているのか理解不能だが、それが罵声であることぐらいは分かる。


 罵声の矛先は彼――ニコラス・ウェッブと彼の上司に向けられている。


 というのも今回、『特区の双璧』がミチピシに干渉してきたのは、27番地の『六番目の統治者シックス・ルーラー』が絡んでいるからだ。


 ミチピシ当主、オーハンゼーは当初、27番地に救援要請を求めた。しかし、27番地は自身では戦力不足と判断し、『特区の双璧』に助力を請うたのである。


 抗争回避のためのやむを得ない処置ではあるが、外部干渉を招いたという批判は免れない。


 そのため、ミチピシ改革派・維持派・救済連合の怒りは、当主のオーハンゼー以上に、27番地――もといその関係者に向けられている。


 特に、つい最近やってきたばかりの彼などいい標的だ。


――また虐められてないといいんだけど……。


 イヤドはバイクのスピードを上げる。


 行かねば。


 姪と再び会わせてくれた、彼への恩返しだけではない。

 今度は自分が、彼の味方になるのだ。


 それが恩を仇で返してしまった彼への、せめてもの償いだった。




 ***




「……ねえ、これ本当に必要?」


 アレサの訝しげな声に、ニコラスはゴミ回収箱から顔を上げた。


「ぶっちゃけ必要ない。ふりだからな。だが万が一、爆弾仕掛けられた際の良い訓練になる」

「それはそうだけど……これで本当にあの南瓜頭が来るの?」

「来るさ。奴の性格ならな」


 そう言って、ニコラスは汚れた手をカーゴパンツの尻で拭った。


 南瓜頭が爆弾魔である、と判断したのは、オーハンゼーとの会談が終わった直後のことだ。


 セルゲイから送られてきた情報により、南瓜頭の初期アカウントが判明したのである。


 初期アカウントは登録者数3000人程度の小規模なもので、内容は自作の電子工作を見せて解説するだけの、実に地味な動画だった。


 そして、その動画で紹介された無線受信装置の電子回路が、不発ラジコン飛行機爆弾のリモコン起爆装置の電子回路と完全に一致したのである。


――完全にナズドラチェンコの野郎に誘導されてるが、限りなく黒に近いのは事実だからな。


 少なくとも、南瓜頭が爆破事件に絡んでいる可能性は非常に高いだろう。


 ニコラスは疑り深いアレサのため、作戦のおさらいをすることにした。


 結論から言えば、陽動作戦である。


「いいか。まず偽の犯行声明を領内全域に発表して、一連の爆破事件のあらすじと、改革派・維持派の暴走を暴露する」

「双方の動きを止めるためね」

「ああ。んで、両者は必ず爆破事件の真犯人捜索に躍起になる。騒ぎをデカくしちまった罪悪感もあるだろうが、責任回避のために何が何でも犯人を突き止めようとするはずだ。でっちあげることになってもな」

「共通の敵がいると仲良くなれるの方式ね。ここまでしないと手を組めないだなんて」


 忌々しげに嘆息するアレサに、ニコラスは「だが」と頷く。


「これで両者の抗争をひとまず阻止できる。んで次に、50番地に爆弾を仕掛けたと嘘の情報を流す。それからオーハンゼー伝にロバーチ・ヴァレーリの双方に救援要請だ。国境周辺を包囲してもらって、救済連合を50番地から追い出す。最後にケータに頼んで関所に特警を配備して50番地を完全封鎖する。――んで今、その大半が終わったわけだ。あとはここで爆弾探してる振りしながら待ってりゃいい」

「50番地が、魚を捕らえるうけってわけね。一度入ったら出られない」


 アレサは神妙に頷いた。


 すでに彼女の配下の手下とギャレットたちの働きにより、街中に監視役が配備されている。今はニコラス同様、仕掛けられてもない爆弾探しに奔走しているが、何かあればすぐ報告を飛ばすよう命じている。


 なお、この作戦を知っているのはアレサとギャレット、そして自分とケータだけだ。


「奴は根っからの目立ちたがり屋だが、それ以上に臆病だ。だからこそ、改革派・維持派が引き起こした爆破現場を撮らなかったし、犯行声明を出してアピールすることもなかった。自分に罪が及ぶのが怖かったんだ。だからこそ、偽の犯行声明を出されれば確実に慌てる。そして奴が唯一逃げられる場所は、50番地の関所だけだ」

「その他の国境線はぜんぶ囲まれてるしね」


 ニコラスも頷いた。


「それに、もうじき餌も来るしな」

「餌?」

「見ればわかるさ」


 と、ニコラスは髪についた粘っこい液体を拭った。


 甘ったるい匂いがする。先ほどゴミ箱に頭を突っ込んだ際、空き缶かなにかに残っていた清涼飲料水の残りを頭からかぶったのだろう。


 甘い匂いに誘われて蠅がたかってくる。

 アレサは呆れた。


「今のところあなたが餌になってるみたいだけど?」

「……洗ってくる」


 ニコラスは周囲を見渡し、建物脇についたホースを見つけた。


 蛇口をひねると、茶色い液体が出てくる。臭いを嗅ぐが、水道管内の錆が混じっているだけで、それ以外の異物が入っているわけではなさそうだ。


 ニコラスは頭から茶色の水をかぶった。


 真横でアレサがうわあとばかりにドン引きしているが、蠅にたかられるよりはマシである。奴ら、耳元でぶんぶん飛んで鬱陶しいのだ。


 頭を振って水気を払い、顔を上げて自分の行いを後悔した。


「あらあらあら。野良犬ふぜいから本当に野良犬になっちゃったよ」

「ゴミ捨て場がよく似合うな、駄犬サバ―カ。餌は見つかったか?」


 路地の入口に、ムカつくほど完璧な美青年と、筋骨隆々の大男が立っていた。


『特区の双璧』、フィオリーノ・ヴァレーリとルスラン・ロバーチだ。


 背後でアレサが息を呑む音がした。

 よもやこんな薄汚れた三等区の路地裏に、特区を統べる5人のうちの2人がやってくるとは思うまい。


「やあやあ、久しぶりだねぇ軍曹。元気してた? 路地裏暮らしが随分と堂に入ってるじゃないの。もういっそここに永住したら? ヘルのことなら心配なあ――!?」


 フィオリーノが横に吹っ飛んだ。


 彼の尻を蹴飛ばした不遜きわまりない人物が、その背後に立っていた。


 全身黒一色の装いに、胸元に光る孔雀石のループタイ。うなじに流れる黒の尻尾髪がどこか逆立って見えるのは、見間違いではないだろう。


 額に青筋を浮かべた、真顔のハウンドが立っていた。


――あ、これ終わった。


 内心で終了宣言を出したニコラスは、思わず後ずさりをした。

 彼女が何に怒っているのか不明だが、まだ死にたくない。


 しかしハウンドが歩み寄る方が早かった。


 視界を布が遮った。

 嗅ぎ慣れた洗剤の匂いと、見覚えのある布地に、ハウンドがハンカチで顔を拭いているのだと気付く。優しいには程遠い手つきだ。


 乱暴に頭と顔を拭かれ、布が取り払われる。

 そして頬っぺたを思い切り引っ張られた。


「この馬鹿ニコラス! 今までどこほっつき歩いてた!?」


 どこって、と思い至り。


「あ」


 しまった。ハウンドへの連絡を忘れてた。


 セルゲイの盗聴を恐れて、電子機器の使用を控えていたのが仇になった。


「あ、じゃないこのスカポンタン! 連絡ぐらいよこせバカ! 何のためにうちの連中を派遣したと思ってんだ!? 伝令なりなんなり走らせろ!」

「わ、悪い」

「バカ! アホ! 間抜け! このむっつりおたんこなす!」


 貧弱な罵倒用語の羅列に閉口する。あとむっつりは余計だ。


 すると「うぉっほん」という音がした。見ればフィオリーノがきざったらしく咳払いをしている。

 さりげなく尻を撫でていたのは、見なかったことにした。


「ヘル、これからオーハンゼーとの会合だよ? 番犬も見つかったことだしもういこっか」


 ハウンドはあからさまに舌打ちした。

「最初から私を介入させる気なんてないくせに」と毒づくが、二人はどこ吹く風だ。


 不承不承でハウンドが踵を返す。

 その様に二人は満足げな表情をしたが、その手に引っ張ってきたものを見るなり不機嫌になった。


「えっと、ハウンド……?」


 己の腕を抱えて歩くハウンドに困惑するも、彼女はじろりと睨んだ。


「一週間近く連絡なしで放置したあげく、見送りもなしって?」


 要するに、自分が2人の車に乗るまで見送れということだ。

 ニコラスは大人しくついていくことにした。


 しばらくして歩調を落としたハウンドは、こちらにしなだれかかった。


「――で、私にも秘密なの? あの偏屈爺さんを口説き落とした経緯」


 そう悪戯っぽく囁いたハウンドは上目遣いで覗き込んできた。けぶるまつ毛の下の瞳は好奇心と期待で煌めいている。


 ニコラスはほとほと参った。こういうあどけなさと妖艶さが見事に合わさった彼女の雰囲気は苦手だ。吞まれそうになる。


 大人の維持を総動員して動揺を隠蔽したニコラスは、平常を装って手身近に囁く。


 ハウンドはやや目を見開き、ほころんだ。


「思いきった手に出たね。悪くないと思うよ」

「上手くいけばな」

「いくさ。それこそオーハンゼーの悲願だからな。――奴をつるし上げるときは私に任せろ。慣れてるからな」


 不敵に笑うハウンドに頷きつつ、内心で詫びる。


 すまない、ハウンド。そいつは聞けない。


人狼ヴィルコラク


 顔を上げると、ルスランが自家の公用車のドアを開けて立っていた。

 フィオリーノが眦を吊り上げる。


「ちょっと。ヘルはこっちだよ」

「私の交渉相手はオーハンゼーの老いぼれだけではない。時間は無駄にしたくない」


 ぴしゃりと跳ね除けたルスランはこちらを睨む。


 ニコラスはハウンドの背を押した。早くいかないと、こちらが蜂の巣にされかねない。


 ハウンドの腕が離れる。

 その温もりの残滓を名残惜しく思っていると、急にぐいっと引かれた。


 頬に柔らかな感触。

 軽くリップ音を立てて離れたハウンドは、悪戯成功とばかりに笑った。


「少し早めのハロウィンだよ。悪戯もお菓トリック・アンド・子もトリート。ってことで、帰ったら埋め合わせよろしく~」


 手をひらひら振って立ち去るハウンドに、ニコラスは茫然と立ち尽くす。

 周囲の殺意に近い憎悪の視線も気にならないほど、顔が熱かった。


 ハウンドを乗せたロバーチ・ヴァレーリの車列が走り去り、背後でアレサが呆れたように腰に手を当てた。


「あなた、奥さんができたら確実に尻に敷かれるタイプね。賭けてもいいわ」




 ***




 うわっ、信じらんねえ。


 セルゲイはハウンドがキスをした相手にドン引きした。


 さっきまでごみ箱に頭突っ込んでた男にキスするか普通。しかも泥水もかぶってるし。

 やっぱあの女、趣味悪いわ。


――あーあーあー。ボスの機嫌の悪いこと。


 上機嫌に車に乗り込むハウンドを見下ろすルスランの表情に変化はない。だがドアを掴む手は白く血管が浮き上がっている。


 うちの公用車が頑丈でよかった。一般車だったら確実にへこんでいる。


 しばらく近寄らんとこ。


 そう判断したセルゲイは車から降り、浮かれポンチのアメリカ人の元へ歩み寄った。呆けていたニコラスだが、こちらの姿を認めるなり顔に剣吞さが戻る。


 セルゲイは吹き出すのを必死に堪えた。まるで毛を逆立てる野良犬のようだ。


「ハーイ番犬ちゃん。ご機嫌いかがー?」

「何しに来た」

「ナニってお仕事ですよ、お仕事。不本意ながらね」


 胡乱気にこちらを睨む男に内心で肩をすくめる。


 やれやれ。ジョークの通じない堅物相手は疲れる。


 ニコラスの背後から、背の高い女が「誰こいつ」と睨んでくる。オーハンゼーの一人孫だ。


 セルゲイはしっしと手を振った。


「用があるのは番犬ちゃんだけですよん。あんたは引っ込んでちょうだいな」

「なんですって?」


 突っかかりかけたアレサをニコラスが押し留める。こちらをキッと睨んだアレサは鼻息荒く踵を返した。


 そして10メートル離れたところで仁王立ちし、腕を組んでこちらを睨みつけてくる。あくまで立ち去る気はないということだ。


 色気のない女。内心で悪態を呟いたセルゲイは、改めてにこやかに向き合った。


「で、番犬ちゃん。手帳の手掛かりは掴めた?」

「それなりに」


 即答したニコラスに若干鼻白む。まさか正直に返されるとは思っていなかったのだ。


 が、セルゲイは表情一つ変えず「それはそれは」と言った。


「いーじゃないの。んじゃその情報と交換で、南瓜頭の居場所教えてあげてしんぜよう」

「必要ないな」


 セルゲイはチッチッと指を振った。そう反論すると思っていた。


「状況分かってねえなー。今回の俺らロバーチとヴァレーリの仲裁は一時的なもんよ。軍隊動かすのもタダじゃない。抗争停戦のため俺らを借り出したミチピシはかなりの額の仲裁料を払わなきゃならない。そりゃあもうべらぼうな額よ。万年金欠のミチピシに支払えるかどうか。そして金が払えないんなら、俺たちは撤退する。したらば抗争の再開よ。南瓜頭さがすのに手間取ってる余裕はないのよ?」

「……猶予は」

「もって今晩までね。それ以上かかるようなら――」

「ああ。なら問題ないな。奴ならもうここに来てる」

「あらまあ強がっちゃって。……へ? 今なんつった?」

「奴ならもうここに来てる。そもそも、今回の国境封鎖は奴を50番地から出さないためのものだからな。協力感謝するぞ、ロバーチ一家」


 不遜に口端を吊り上げる男に、セルゲイは表情を消し去った。


「…………テメエ、なに企んでる?」

「お前がいかにも喜びそうなことさ」


 ニコラスがついと目を逸らし、空を見上げた。太陽はすでに傾き始めていた。


「そろそろ収穫の頃合いだな」




 ***




 M-53ミシガン州高速道路に立ったニコラスは、周囲の光景の壮観さに息を呑んだ。


 文字通りの全員集合であった。


 前方にはミチピシ維持派・改革派・救済連合が、後方にはロバーチ・ヴァレーリ領一家が相対するように集結している。


 そしてここから1キロ先、ミチピシ勢の後方に関所があり、そこには特警が待機している。


 ニコラスはアレサたちとともに、その真ん中に立っていた。


「流石に緊張するわね……」

「両側から撃たれたら逃げ場ねえからな」

「縁起でもないこと言わないでよ、ギャレット」


 アレサにとがめられた大男は、芝居ぶった仕草で両手を掲げると、前方10メートル先の橋を指差した。


「ま、万が一どうにもならなくなったら、そこの橋からダイブして川に飛び込もうぜ。上手くいけばトンズラできる」

「あなたねえ」


 緊張しつつも和気あいあいとした背後に和みつつ、ニコラスはハウンドを見た。


 ハウンドはロバーチ・ヴァレーリ両陣営側に立っていた。

『特区の双璧』に挟まれた彼女は、ロバーチ一家主力戦車――T90MS戦車にもたれかかったまま、こちらに手を振った。


 今回ハウンドの手は借りれない。自分たちで何とかせねば。


「お兄サン!」


 訛りの強い英語の声に振り返るなり驚く。

 救済連合に混じってイヤドが何とか顔を出そうともがいている。


 ニコラスは彼の背後を見るなり顔を強張らせた。


「どうしたんだ、こんなところで」

「手伝いにきたヨ」


 ようやく群衆から抜け出したイヤドはそう言ってはにかんだ。


「大丈夫? 無理してなイ? ワタシ、爆弾さがすの得意。イラクでIED何度も見てきタ。力になるヨ」


 ドンと胸を叩く青年に、ニコラスは胸がじんわりと熱を持つのを感じた。

 が、それはそれ、これはこれだ。


「ありがとう。でも大丈夫だ。俺に任せてくれ」

「でも」

「大丈夫だ。考えがある」


 イヤドはまだ納得していない様子だったが、ニコラスが耳打ちした言葉を聞くなり、真剣な面持ちで頷いた。


「大丈夫だヨ。ワタシ、そのぐらい平気ネ」


 にっと笑ったイヤドは再び群衆の中に戻っていった。


 含みのある言い方に引き留めようとしたニコラスだが、大音量の拡張音声に阻まれた。


『代行屋助手ウェッブ! 我々をこの場に集まらせたからには、何か了見があるんだろうな!?』


 車の拡声器片手に怒鳴っているのは、ミチピシ改革派代表のアラン・サンプソンだ。


 先日本部に忍び込んだ際の傷が癒えてないのか、あちこちガーゼと包帯で覆われている。


 それに負けじと声を張り上げたのが、維持派代表のビリー・ルタだ。


『我々の要求はただ一つ、一連の爆破事件の真犯人の身元を特定することだ。本来ならば、我らミチピシだけに明かせば済むこと。それをなぜこのような場で明かさねばならないのか? 我々は貴様の探偵ショーに付き合う気はない!』


 そうだ、その通り、と改革派・維持派から次々に怒りの声が上がる。

 今にも撃ってきそうな剣幕だ。


 それを冷やかす救済連合の罵声が混じって、辺りは一挙に騒然となった。


 そこに、ハンドマイクを持ったアレサが一喝した。


『黙ってなさい! 今回の爆破事件の被害を拡大したのはあなたたち改革派と維持派でしょ!? 我らが当主、オーハンゼーは全てを知っているわ! 捜査に協力するならまだしも、事件に乗じてライバル潰しを始めるなんて! 恥を知りなさい!!』


 途端、改革派・維持派からの罵声がぴたりと止んだ。

 調子づいた救済連合がブーイングを始めるが、今度はギャレットが声をあげる。


『ヘーイ救済連合の諸君、これ以上醜態をさらしたくなきゃ黙ってるこった。そもそも、テメエらに選択する権利なんぞねえ。テメエらは一般人だからな。大人しくお口チャックでもしときな』


 一瞬の沈黙の後、救済連合は撃発した。

 これ以上ないほどの形相で、口々にマイク片手に喚き始める。


 砲撃。


 救済連合から悲鳴が上がった。そしてそれがロバーチの主力戦車の放った空砲と覚るなり、真っ青な顔で口をつぐむ。


 自分たちの対面にいる相手が誰なのかようやく理解したのだろう。

 次は確実に砲弾が飛んでくる。


「……ねえこの茶番いつまで続けんの?」


 フィオリーノが至極退屈そうに呟く。その隣に立つルスランも冷ややかに述べた。


「我々が頼まれたのは抗争勃発の阻止だ。何なら、そこにいるインディアンどもを砲撃して帰ってもいいのだが?」

「そもそもなんでオーハンゼー来てないの? あの爺さんがここで決着つけるって言ったんじゃん。ねえ、代理人?」


 代理人、と呼ばれたニコラスに、全ての視線が集中する。


 圧死してしまいそうな雰囲気の中、ニコラスは懸命に肺を広げて深呼吸をした。


「オーハンゼー当主は特警との話し合いで到着が遅れている。代わりに俺が今回の爆破事件の概要を説明することになった。オーハンゼー当主は犯人を公平な裁きにかけることを望んでいる」

『ふざけるなっ! 我が領をこれだけの混沌に落としておきながら、裁判などもってのほかだ!』

『そうだ! 正当なる報いを! 圧倒的な制裁を!』


 ミチピシ一家を分断していた二派は怒りによって統一された。


 ロバーチ・ヴァレーリの空砲ですら黙らない彼らに、ルスランは無言のまま組んでいた腕を解き、フィオリーノは欠伸を噛み殺す。


 ロバーチ・ヴァレーリ両陣営が臨戦態勢に入る。数多の銃口・砲塔が対面に向けられ、救済連合は及び腰になった。


 しかしミチピシ一家は黙らない。


 ロバーチ・ヴァレーリ構成員は各自当主を仰ぎ見た。

 ルスランが手を掲げ、フィオリーノが襟元のマイクに口を寄せる。


 ニコラスは冷静に腕時計を見た。


 3、2、1――


 閃光。直後、轟音と振動。


 辺り一帯に悲鳴が満ちる。

 振り返れば、ミチピシ一家後方に黒々とした爆煙が上がっている。


「関所が爆破されたぞ!」


 誰かの叫び声をきっかけに、恐怖と動揺のどよめきが一気に場を支配する。

 そしてそれはすぐさま怒りにとってかわった。


 そら見たことか。ぐずぐずしてる合間に、またも被害が出たぞ。


 怒りの矛先が、一斉にニコラスに向いた。

 皮膚を食い破らんばかりの圧倒的多数の敵意に、全身から本能的な冷や汗が噴き出す。


 しかし、ニコラスは一点だけを見つめていた。


 まだだ。もう少し。奴が正体を現すまで。


 その時だ。


「見つけたぞ、このイスラム教徒め! コイツが犯人だ!!」


 甲高い叫び声は、救済連合から上がった。


 見れば、赤のメッシュが入った先住民系の少年が、一人の男の襟首を掴んでいる。


 イヤドは叫んだ。


「何をするネ!?」

「コイツだ! コイツが爆弾魔だ!」


 興奮状態の少年は、無我夢中でイヤドを押さえつけようとする。


 アレサが悲鳴に近い静止の声を上げ、ギャレットが血相を変えて駆けだす。


 しかし、場が急変する方が早かった。


 爆発で恐慌状態に陥った救済連合は、少年の「犯人」という単語に、怒りと恐怖を爆発させた。


 怒り狂った群衆がイヤドに殺到する。


 だがニコラスは目を逸らさない。


 まだだ、この目で確認するまで――――――。


 見えた。


 ニコラスは駆け出した。と、同時にイヤドが怒鳴る。


「今だヨ! ペンギン警官!!」

「誰がペンギン警官だっ!」


 群衆の中から、ケータが飛び出した。


 ケータは両腕に抱えたなにかを、タックルの要領で引き倒し、そのまま両脚で挟み込みこんんで地面に叩きつけた。


「痛い痛い痛い痛い痛いっ――!!」


 ケータに腕ひしぎを極められた白人の少年は、痛みに悲鳴を上げた。


 ケータはそのまま少年をひっくり返し、後ろ手に手錠をかける。


「容疑者確保ぉ!!」


 周囲に動揺が走った。みな我先に犯人を視認しようと首を伸ばし、そして唖然とする。


 連続爆破事件の犯人は、まだ14、5歳の子供だった。


「嘘……!?」


 アレサが口元を覆った。

 取り押さえられたのは、アレサ配下の新人だった家出少年だった。以前の気弱そうな面持ちは一変し、怒りと屈辱で必死にもがいている。


 それを一瞥して、ニコラスはイヤドの元に駆け寄り、怒気を顕わにした。


「馬鹿野郎! 下がれっつったろ!」

「このぐらい平気ヨ。こんな子供より、故郷の子たちの方が怖かっタ」


 そう言いつつ、よろめきながら立ち上がったイヤドの口元はすでに切れ、右腕がだらりと下がっている。脱臼したのだ。


 イヤドは額に脂汗を浮かべながら作り笑いをした。


「……カバンからカメラ出してるの見えたから、前に立って邪魔してやったヨ。お兄サンの言った通り、警官ちゃんと捕まえてくれたネ」

「ああ、そうだな。二度とするな」


 ニコラスは怪我を負わせてしまった申し訳なさを隠して、苦々しく吐き捨てる。


 そうでなくともここ数日、南瓜頭が振りまいた憎悪のせいで、イヤドを含むイスラム系住民への疑念が高まっていた。こうなる恐れは容易に予想できた。


 けれどイヤドは、「聞けない相談ネ」と首を振った。


 ニコラスが手を貸そうとすると、先に太い腕がイヤドの腹に回った。


「ったく、あらかじめ聞いちゃいたが。つくづくとんでもねえことやってくれるな、兄弟」


 イヤドを立たせてやったギャレットのサングラスはひび割れていた。


 その背後では、彼の手下と暴徒と化した救済連合が争っている。

 未だ状況が掴めていないのだ。


 同じく維持派・改革派も、突然の事態に混乱が収まらない。

 ロバーチ・ヴァレーリは決断しかねて各当主の指示を仰いでいる。


 ルスランとフィオリーノですら、しかめっ面のまま静観していた。


 轟音が三発。救済連合が動きを止めた。


 そこには、愛銃のMTs255回転式リボルバー散弾銃ショットガンを掲げたハウンドが立っていた。


「そこまで」


 歩み寄ったハウンドはケータが取り押さえた少年を一瞥すると、こちらを見た。


「こいつ、アレサ・レディングと本部に潜入したガキか」

「ああ」

「最初から分かってた?」

「確証はなかったがな」 


 ニコラスは種明かしをすることにした。


「単純な消去法だ。ミチピシ本部が爆破された時、維持派と改革派は救済連合と小競り合いの最中だった。本部を防衛する側の彼らが、わざわざ本部を爆破する必要はないし、仮にオーハンゼーの暗殺が目的だったとしても、女子トイレを爆破する意味はない。そして救済連合でもない。彼らも被害を受けてるし、余所者の彼らでは本部に侵入できない。ミチピシが使う手話の味方確認をクリアできないからな。となれば、本部爆破の一件は南瓜頭の仕業である可能性が高い。そして本部に侵入できたってことは、手話が使える協力者がいる」

「今回の場合は協力者っていうより、利用された感じか」


 ハウンドは自失茫然に立ち尽くすアレサを見やった。

 彼女とて、自分が保護した子供が爆破事件の犯人などとは、夢にも思わなかっただろう。


「で、彼が犯人だって分かったのは? あの監視カメラ映像じゃ、顔の特定は不可能だったろ。分かったのはせいぜい性別と人種ぐらいだ」

「視点の位置だ」

「位置?」

「南瓜頭は潜入撮影の際、必ず鞄に仕込んだカメラを使用していた。影を見る限り手提げじゃないし、胴体に身に着ける鞄となれば、映像の位置から撮影者のだいたいの身長が割り出せる。だから最初から、大人の身長じゃねえなと思ってたんだ。視点の位置が低かったからな」


 ハウンドは南瓜頭の少年――面倒なのでジャックとするが、彼のボディバッグを見て頷いた。


「んでもって、南瓜頭は当初、救済連合に属していた。アレサの陣営で、救済連合から逃げてきた一団は新人の家出少年グループだけだ」

「けどグループってことは他にも白人の子いたろ?」

「左手の絆創膏だ」


 ニコラスは手錠をはめられたジャックの左手を指差した。


「今回使用された爆弾の初期のものは、爆薬に弾薬を使ってた。弾薬を弾丸から取り出すには、利き手じゃない方の手で弾丸を固定する必要がある」


 絆創膏が左手の親指と人差し指の付け根に貼られていたのはそのせいだ。

 何十、何百という弾丸から弾薬を取り出したせいで、掌の皮が擦り切れたのだ。


「だが証拠がなくてな。仮に捕まえて尋問しても、証拠品かくされたら手の打ちようがない。時間もなかった」

「それで運搬チームに頼んで関所にダミー仕掛けさせたわけね」


 ハウンドは群衆に紛れてしたり顔で笑う運送チームを見やった。


 彼らは実にいい仕事をしてくれた。ケータを介して特警の配置を確認し、彼らに危害が及ばない位置にダミーを仕掛けた。


 先ほどの爆破で爆風が来なかったのはそのせいだ。


 さらに少年の監視はケータに頼んだ。

 長年警官として養ってきた、彼の観察眼にかけたのだ。


 そして、ダミーは爆発した。


 ジャックは多少驚いたものの、すぐに前へ向き直った。

 そして赤メッシュの少年がイヤドに襲い掛かった時、ボディバッグからビデオカメラを取り出して撮影し始めた。


 それで現行犯逮捕となったのだ。


「でもコイツ、なんでさっさと逃げなかったんだ? ここに集結してる間に、無理やり関所突破しちゃえばよかったのに」

「あそこにとびきりの餌がいるからさ」


 ニコラスが振り返ると、憤慨した様子のルスランとフィオリーノが歩み寄ってくる。

 自分の役回りを理解したのだろう。


「こいつは臆病だが目立ちたがり屋だ。逃げ道をふさがれれば必ず慌てる。だが五大現当主を撮影する機会は逃したくない。しかも相手は『特区の双璧』と称される2人だ。確実に視聴率は跳ね上がる。だから2人を撮ってから、適当な爆破で関所の目を逸らして逃げようとしたんだ」

「欲をかいたわけね」


 ハウンドは納得した。


 ジャックがダミー爆破の後も暢気にカメラを回していたのは、陽動する手間が省けたと思ったのだろう。


 その間にも、全員が集まってきた。


 改革派・維持派は言葉を失い、ルスランとフィオリーノは心底不快げに見下ろす。


 口火を切ったのは『特区の双璧』だった。


「で、コレをどうする気だ? まさか情けをかけろなどとは言うまいな?」

「子供だから許してなんて言わないよねぇ。俺たちを巻き込んだ代償は高くつくよ?」


 今すぐ殺せと言わんばかりの2人に、周囲が蒼褪める。


 しかし改革派も維持派も止めようとはしなかった。


 ニコラスは冷静に首を振った。


「ひとまず特警に護送する。今回のはミチピシから特警への公式依頼だ。あとは特警とオーハンゼーとで――」


 と言った瞬間、ケータが弾かれたように少年から飛びのいた。


「全員逃げろっ! 爆弾だ!!」


 全員が弾かれたようにジャックを見た。


 後ろ手に手錠をかけられた少年がゆらりと起き上がる。


 はだけたパーカーの隙間、少年の胴体に4つもの爆薬が括り付けられていた。

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