5-6

「酷い目にあった……」


 全くだ。鼻にティッシュを詰め込むケータに「ああ」とぶっきらぼうに返す。


 ふらつきながら歩くこちらを周囲の棄民が胡散臭げに一瞥するが、すぐに憐れなものを見る目になる。


 それもそのはず。ケータはあちこち服が裂けて血が滲み、ニコラスは全身おがくずだらけ。しかも左脚側のカーゴパンツはもはやボロ雑巾で、ブーツには大穴が開いている。

 傍から見れば、物取りにあった直後のように見える。


 おかげで周辺に溶け込めてはいるが、気分は最悪だ。


『はいはい。気取り直して。もう少しで現場だから』


 ナビゲートのハウンドの声に面を上げれば、黄色のテープで仕切った一画が見えてきた。

 連続爆破事件の最新現場、47番地の地下ナイトクラブである。


「イヤドに残ってもらうべきだったかな」

「いや、これ以上は巻き込まない方がいい。さっきのこともあるしな」

「それもそうか」


 そう言いつつも、ニコラスは名残惜しげに去っていったイヤドの寂しげな顔を思い出す。

 随分と慌ただしい出会いになってしまった。いつかちゃんと彼の店に行こう。


 そうこうしているうちに現場に到着した。


 黄色のテープが張り巡らされたナイトクラブ入り口は、現場保存の原則で当時の姿のまま残されている。


 折れたハイヒール、割れたグラスの残骸、くしゃくしゃに丸まったチケット。それらが地下へと伸びるコンクリート階段に散乱している。

 壁には色あせたポスターが破けて風にたなびき、大きく破損した玄関扉が軋んだ音を立てて無意味に開閉している。


 実に不気味な光景だった。


「いくか」

「ああ」

『んじゃこっちは一度切るぞ~。地下じゃどうせ無線届かないだろうし』

「了解した」


 ニコラスはナップザックからMP5短機関銃を取り出し、一つをケータに放った。


 H&K社の短機関銃で、命中精度の高さと取り回しの良さから、各国の特殊部隊が好んで使う。今回の任務にあたり、ニコラスがチョイスした相棒だ。


 付属のフラッシュライトをつけ、互いにアイコンタクトをとって、現場内に入る。ニコラスが先行し、ケータが後に続く。


 こちらの位置を察知されぬよう、ライトをつけたり消したりしながら、慎重に歩を進める。人の気配はないが、浮浪者や流れのギャングが居座っている可能性もある。万が一の時は容赦なく発砲するつもりだった。


「ここか」

「ああ」


 ニコラスはダンスホール中央、床に空いた大穴の淵に跪いた。爆破地点である。


 焼け焦げた縁をなぞりながらニコラスはぼやいた。


「よく死者が出なかったな、これで」

「もともとこのナイトクラブは地下倉庫跡地に建てられてんだ。それを木造で二つに仕切って、上の階にダンスホール、下の階に倉庫や厨房や楽屋をもってきてたんだと。んでこの下は楽屋だ。当時は空きだった」

「爆破の勢いが下に逃げた?」

「恐らくな。ただ爆風が全部下に逃げたわけじゃないし、穴に落ちた奴もいた。重傷者は多かったよ。死者が出なかったのは本当に奇跡に近い」


 ふむ、と顎に手を当てたニコラスは付近を捜索する。


 床板についた煤を手で取って確認していると、ふと足跡が目に入った。


 ニコラスは奇妙に思った。


 真新しい足跡だ。煤まみれの床にくっきりと残っている。やはり棄民か浮浪者辺りが現場を物色していたか――。


 瞬間。全身が総毛だった。


「ケータ! 外に出ろっ!」

「え」


 固まるケータの腕を掴み、ニコラスは玄関へ走った。

 己の迂闊さに歯噛みしながら。


 あれだけはっきりした足跡なら、足跡の主の靴には煤がこびりついていたはず。

 なのに玄関前の階段に足跡はなかった。


 出入口は一つしかないというのに。


 だとすれば、足跡の主はまだ中にいる。


 その時、玄関扉が閉まった。

 壊れた扉ごと鉄板かなにかで覆ったのか、光が全く入ってこない。


 閉じ込められた。

 嫌でもそれを理解したニコラスたちは互いの背を盾に、周囲に警戒をほとぼらせる。


 刹那。ダンスホールの照明が一斉についた。


 あまりの眩さにニコラスは目を眇める。

 だがニコラスの眼は、ダンスホールの障害物の影から覗く無数の銃身と、刃物の煌めきに気付いていた。


 それを持つ影法師にも。


 影法師が光の中にその身を現す。


 かなり若い。10代後半から20代前半の青少年、中にはどう見ても中学生ぐらいに子供もいる。

 全員が先住民系だ。


 と、その時。玄関扉の方からガタガタと盛大な音が鳴った。


「ニコラス! 玄関が開くぞ……」


 ケータの声が尻すぼみになる。


 現れたのは追手のシカゴ・ギャングだ。武器を手にどっとなだれ込んでくる。


「……こりゃどうしようもないな」

「……みたいだね」


 ニコラスたちはそろって武器を放棄した。

 流石の自分も、近距離にいる30人強を相手などお手上げだ。


 弾倉を抜き、床に銃をそっと置いた瞬間、後頭部を強打される。

 見れば先ほどのシカゴ・ギャングの一味だ。


 ケータはそのまま倒れ込んだところを踏まれるだけで済んだが、ニコラスはさらにもう何発か背中に振り下ろされた。先刻の追いかけっこチェイスの仕返しだろう。


――今日はこんなばっかだな。


 あまりの運のなさに毒ついた時。


「銃を下げなさい!」


 よく響くアルトの声に、背中の攻撃がぴたりと止んだ。


 面だけ上げれば、ダンスホールの奥からすらりとした長身の女性が堂々と闊歩してくる。


 低い位置のポニーテールに、丈の短いTシャツとジーンズ。照明に反射する肌はミルクチョコレートのように滑らかできめ細かく、揺れる黒髪はこしがあって艶やかだ。


 女性はこちらを見るなり柳眉を逆立てた。


「手を出したのね。乱暴はしない約束のはずよ」


 女性はひと睨みでギャングを下げさせる。そしてニコラスの目の前に手を差し出した。


「あんたは……?」

「アレサ。アレサ・レディング。オーハンゼーの一人孫よ」


 掴んだ手は、美しく華奢な見た目に反して力強かった。




 ***




 ニコラスたちは地下ナイトクラブの隣の廃墟に移された。

 かつてはショッピングモールの自走式駐車場だったのか、地下から10階まであるかなり大きなアジトだ。


 ナイトクラブから手製の地下経路を通って 駐車場に出る。どうりで足跡が階段にないはずだ、と思っていると、ニコラスたちは警備員の詰所跡に案内された。


 アレサと名乗った女性は手下たちに手当てを命じて、向かいのパイプ椅子に座った。


「改めて、私がアレサ・レディング。現当主の孫でこの『まだらワンブリー・ガレシュカ』のリーダーよ。手荒な真似をしてごめんなさいね。ギャレットにはくれぐれも穏便に連れてくるよう強く言っていたのだけれど」


 そう言ってアレサは隣に立つ、頭部に剃り込みの入ったグラサン男を睨んだ。

 シカゴ・ギャング『ブラック・ヘキサグラム』のリーダーである。


 若者好みのファッションで初見では気付かなかったが、このリーダー、わりと年上だ。もしかすると自分と同い年かもしれない。


 ギャレットは面白おかしく、といった感じに肩をすくめた。


「言うことを聞かなかったんでね。聞かん坊には拳骨が一番だろ?」

「拳骨ですって? 銃撃戦からのカーチェイスまでやっておいて何をぬけぬけと、危うく2人とも死んでしまうところだったのよ!」

「なら他を当たるべきだったな。俺たちギャングが動くってのはこういうことだ。恨むならテメエの人選ミスを恨むこった」

「なんですって……!?」

「あー、その喧嘩の途中に悪いんだが」


 ニコラスの割り込みにアレサとギャレットの剣吞な視線が突き刺さる。

 ニコラスは両手を上げ、争う気はないと示した。


「そこのグラサン男のやったことに関しちゃ何も言わない。こちらも散々やり返してるからな。お互い様だ」

「話が分かるようで助かるぜ、兄ちゃん。なかなかイカす脚もってんじゃねえか。手下どもがたまげてたぜ。あとで俺にも見せてくれよ」


 飄々と軽口を叩くギャレットにアレサが怒り半分、呆れ半分でむすっと腕を組む。


 2人の様子を慎重に観察したニコラスは、手当てにもたつく手下の少年から包帯を取り上げながらアレサに尋ねた。


「ただしいくつかこちらの質問に答えてほしい。いきなり命を狙われたんだ。そのぐらいの譲歩は欲しい」

「いいわよ。私の答えられる範囲なら」


 あっさり了承したアレサに拍子抜けするも、意を決して尋ねる。


「まず一つ、アンタらはどこ陣営の人間だ? 維持派か、改革派か、それとも救済連合か?」

「元改革派よ。でも今は違う。彼らのやり方に不満を持ったから独立したの。第4勢力、とでも言ったらいいかしら。正確にはギャレット率いる『ブラック・ヘキサグラム』と私の『まだら鷲』による連合団体といったところね」

「じゃあ救済連合とは一切関りが無い?」

「あの馬鹿どもと一緒にしないでちょうだい。私たちは暴力をご立派な正義で取り繕ったりはしないわ」

「ならなんで俺たちを追い回した?」

「なんでって……私が特警に捜査を依頼したのよ。本部を追い出されたって聞いたから、慌てて迎えに行ったのよ」


 ニコラスたちは仰天した。


「あんたが捜査を依頼したのか?」

「そうよ。っていうか、それすら知らされずに追い出されたのね、あなたたち」


 じとっとしたアレサの視線を、ニコラスたちは気まずげに視線を左右に受け流す。


 けんもほろろという言葉すら生温いほどの門前払いだったとは、口が裂けても言えない。


 ケータがおずおずと切り出した。


「えっと。じゃあ君らが、たびたび現場に訪れてたってのは……?」

「独自に調査してたのよ。誰も捜査しようとしないんだもの」

「んじゃさっきのミチピシ本部爆発の鬨、君らが現場付近にいたのは?」

「たまたま居合わせただけよ。おかげで改革派からも維持派からも酷い目にあったわ。あれじゃあしばらく戻れないわね。皆、私たちが爆破事件の犯人と思ってるみたいだから。あなたたち特警がもっと早くに動いてくれたら、私が出しゃばる必要もなかったんだけど」


 ケータが申し訳なさげに身をすくめた。

 そもそもここまで捜査が遅れた原因は、特警が調書を削除して隠蔽していたことにある。


 叱られた子犬よろしく身を縮めるケータに怒る気が失せたのか、アレサは仕方がないとばかりに溜息をついた。


「……まあいいわ。私たちの捜査では目撃者の証言と爆弾の残骸と不発をいくつか回収したぐらいだし」

「不発があるのか……!?」


 ニコラスは即座に食いついた。


 非常に貴重な遺留品だ。爆破前とほぼ同型を保った爆弾を調べれば、かなりの情報が入手できる。

 さっそく調べねば。


 しかし、アレサは胡乱気にこちらを睨んだ。


「あるにはあるけど……あなた代行屋の助手よね? なぜヘルハウンドが来てないの?」


 ニコラスはまたも驚愕し、困惑した。


「なんでそこでハウンドが出てくるんだ?」

「なんでって、『六番目の統治者』だからに決まってるじゃない。五大に匹敵する実力者で、こっちの頼みをまともに聞いてくれそうなの彼女ぐらいでしょ。で、来てないのね? OK理解したわ。ミチピシ如きの問題なんて出るまでもないってことね」

「来るも何もアンタの爺さんに出禁にされて領内に入れないんだよ。だから俺が――」

「なんですって!? ああもうほんっと余計なことしかしないわねお爺ちゃんは!」

「……いや、まあ爺さんは出禁にする気はなかったと言ってたから、多分なんか誤解があったんだと思う。多分」

「……………………はあ。なんてこと」


 アレサは片手で額を覆って天を仰いだ。

 彼女はそのまま疲れ切ったように項垂れると、独白するように呟いた。


「……今、ミチピシ領が大変なのは知ってるわよね」


 ニコラスはケータと顔を見合わせ、今まで見聞きした情報を正直に話す。


 維持派と改革派の内部分裂。救済連合による治安悪化。連続爆破事件。それらが合わさった、維持派・改革派・救済連合による三つ巴抗争の危機――。


 アレサは頷いた。


「ええ。その認識で合ってるわ。でも問題はもっと根深いところにあるの。――ギャレット」


 ギャレットが大柄な背を丸め、アレサの顔に耳を寄せる。そして頷くと、手下を連れて警備室の外へ出ていった。


 ふと十代半ばと思わしき少年の一団が、途方に暮れた表情でアレサを見つめた。先住民系が多い中で、珍しく白人が多い。


「大丈夫よ。ちょっと話をするだけだから。彼についてきなさい」


 一団は、心細げにギャレットたちの背を追った。


「……新入りの子たちよ。元は救済連合にくっついてきた家出少年だったんだけど、連合があまりに酷いから途中で逃げてきたの」


 そう呟くアレサの横顔は、年の離れた弟を案じる姉のようだ。

 純粋に彼らのことを心配しているのだろう。


 短く嘆息したアレサは髪を掻き上げると改めてこちらに向き直った。


「護衛以外は席を外してもらうことにしたわ。遺留品も持ってきてもらう。その代わり、私の話を聞いてちょうだい。ギャレットたちが戻るまででいいから」


 きつい口調の中に、どこか嘆願するような声音を聞き取ったニコラスたちは無言で頷く。


 それを合図に、アレサは静かに語り始めた。

 これまで溜まりに溜まったものを吐き出すように。


「『非成員部族』って言葉は聞いたことある?」


 ニコラスたちは首を振った。アレサは「そうでしょうね」と切なげに笑った。


「『非成員部族』。先住民でありながら、先住民として認められなかった先住民よ。この非成員部族とインディアン・カジノが全ての元凶なの」


 ニコラスは腕を組み、事前に調べた情報を遡った。


「インディアン・カジノっつーと、アンタらミチピシの主要産業だったな」

「ええ、そうよ。私たち先住民社会の構造は複雑でね。保留地という自治区で、独自の社会システムを運用してきた。私たち部族は『国内依存国家』なのよ」

「国内依存国家?」

「部族はアメリカ合衆国という国に依存することで、自身の自治権をもつ。つまり、アメリカという国は、私たちの土地の上に新しくできた国なの。私たち部族は土地を譲る代わりに、自治権をアメリカから保護してもらってる。本来わね」

「えっ、アメリカが奪ったんじゃないのか?」


 ケータの質問にアレサは一瞬目を見開き、少し苦笑する。


「そうしたかった連中は多かったみたいだけどね。でも多少の良心が残っている連中もいたってことよ。私たちは国家に依存することで国家の庇護を受けることができる。それが『成員部族』。アメリカから公式認定された、庇護政策の対象になる先住民よ」

「じゃあ成員部族じゃない先住民は、国家の庇護を受けられない?」

「ええ。今まで免除されていた税金を国に払わなくてはならなくなるし、部族からはあらゆる社会サービスを受けられなくなる。自由の代償ってやつね。もっとも、国家の庇護があまりにも当てにならないから先住民をやめた人も多かったわ。国家予算も年々削減されてたし。アメリカで最も貧しい人種、あなたたちも知ってるでしょ? 庇護を受けててあのレベルなのよ」


 ニコラスたちは黙りこくった。


 この国の貧困最下層は先住民だ。

 保留地内の失業・自殺率は依然高く、アルコール依存や薬物依存が蔓延している。


 しかも彼らは、長年にわたる迫害と虐殺、強制移住、同化政策による被害者なのだ。


 だからカジノ産業に手を付けた。


 インディアン・カジノは、先住民にとって一か八かのビジネスチャンスだったというわけだ。


「ま、自分から出ていったなら文句は言わないわ。自分で選んだ結果だもの。でもお腹の中にいた頃に保留地を出ていったから先住民じゃありません、なんて言われた側はたまったもんじゃない。非成員部族の中には自らの意思に反して成員資格を剥奪された人も多いの。特に、私たち若い世代はね。ここにいるのは、みんな居場所を追われた子たちよ。先住民として生きてきたのに、先住民になれなかった。それが私たち『まだら鷲』よ」


 ニコラスは先ほどの少年たちを思い出した。

 俯きがちに立ち尽くす、若い先住民たちを。


 彼らも皆、アレサと同じ、知らぬうちに資格を剥奪された先住民なのだろう。


「私の場合は父が黒人だから、先住民じゃないと言われてもまだ納得がいくわ。けど血縁的に問題が無くても、保留地に住んだ経歴が無いと成員部族と認められないこともある。おかしいでしょ? 直系の先住民なのに、居留地に住んでないから先住民じゃないなんて。だから私たちは、保留地からの恩恵は一切受けられない。たとえカジノ産業で保留地が一気に潤っても、私たち若い世代は縁のない話なの」

「じゃあミチピシの維持派と改革派って……」

「ええ。元から保留地にいた先住民で、インディアン・カジノの恩恵を受けてきたのが『維持派』。保留地から出ていったせいで、恩恵を受けられなかった先住民が『改革派』なの。皆アメリカから虐げられてきたのは同じなのに、今度は先住民同士で争ってるの。滑稽でしょ?」


 ニコラスたちは何も言えなくなった。


 脳裏にイヤドの言葉が蘇った。

 同じイラク人なのに殺し合っていると嘆く、彼の横顔を。


 アレサは暗い空気を一蹴するように、パンと一拍打った。


「そういうわけで。お爺ちゃんが柄にもなくマフィアの真似事までして特区に乗り出したのはこれが理由なの。特区にインディアン・カジノを建てて、今まで恩恵が受けられなかった非成員部族に富を分配しようとしたのよ。インディアン・カジノに手を出していいのは成員部族だけだからね。非成員部族によるカジノ産業を始めようとしたのよ」

「じゃあアンタら、元は犯罪をする気が無かったのか?」

「当たり前でしょう。そんなことしたら国内の他の先住民の地位が危うくなるわ。なのに改革派ときたら、もっと利益が欲しいからって汚い商売に手を出しちゃうし、維持派は維持派で富を持っていかれるのが面白くないって邪魔するし。挙句に救済連合とかいう馬鹿はやってくるし、今度は爆破事件よ……。もうどこから手を付けたらいいか分からないわ」


 腹立たしげに頭を掻き毟るアレサにケータは同情の眼差しを向け、ニコラスは腕を組んで呻いた。


 実に嫌な泥沼だ。


 みんなここから這い上がりたいという願いは共通しているのに、いつまでたっても仲間揉めが止められず、皆そろって絶望に沈んでいく。


 天災や大事な人の死がもたらす、圧倒的な絶望とも違う。


 光はそこに見えているのに、歩いても歩いても闇から抜け出せない。いずれ歩くことすら諦めてしまう。

 そんな、解決に糸口すら見えない絶望だ。


「ひとまずアンタらがどういう状況なのかはよく分かった。そんで俺たちと同じく爆弾魔を探してるのも理解した。なら協力してくれないか?」


 すると、アレサはすっと顔を上げた。


「犯人の目星ならついてるわ」

「え」

「へ?」


 揃って間抜けな返答をしてしまったニコラスたちに、アレサは乱れた髪を撫でつけながら答えた。


「あくまで目星、だけどね。確証はないわ。けど……もし彼らが犯人なら、私たちの手に負えない。だからあなたたちを呼んだの。力を貸してくれるかしら、代行屋助手さん」


 ニコラスはケータと目配せした。そして向き直り、姿勢を正した。


「誰だ」

「ロバーチ一家。実行犯は別かもしれないけれど、黒幕は間違いなく奴らよ」




 ***




 あー、くっそだりぃー。どうしてこうなるかなー。


 カウンターテーブルに頬杖をついたセルゲイは、立て続けに起こる予想外の出来事に苛立ちを強めた。


 スマートフォン画面を盗み見る。


 ニコラス、ケータ両名の端末はすでにハッキング済み、位置も通話内容も完璧に把握している。


 さらにセルゲイは2人の端末に、独自に開発した盗聴アプリを仕込んだ。

 傍目には標準アプリの『ビデオ』そっくりなアプリだが、セルゲイの指示ひとつで持ち主の端末は盗聴器と化す。


『……ありがとう、ギャレット……これが一番最初の爆弾の残骸。20日前のね。それからこれが15日前の、これが13日前の残骸ね。最近のやつは回収できてないから証言集を見て。現場にいた人たちの証言よ』

『助かる』

『こりゃ……おもちゃ? いやラジコンか?』

『ええ。最初のはラジコンに仕掛けられてることが多かった。これは12日前の。馴染みの店に見かけないラジコン飛行機があったから確認したらビンゴだったの。不発だったけどね。ほら、このオレンジの爆薬を見て』

『……セムテックスか』

『そうよ。しかもマーカーなしの違法物。違法物のセムテックスなんて使うのロバーチぐらいでしょ』


 ハイきた。素人丸出しの迷推理おつですー。


 セルゲイは忌々しげに欠伸を噛み殺す。


 確かにセムテックスは、社会主義諸国に流通していた高性能プラスチック爆弾で、かつては中東やIRAアイルランド共和軍暫定派らを筆頭に、東欧諸国の犯罪組織でよく使用された爆薬だ。そのため現在は、厳重な管理下のもと流通が行われている。


 なので、マーカーなしのセムテックスが違法物なのは、あながち間違いでもない。


 だがマーカーが付けられるようになったのは1998年からであり、それ以前のものはノーマークだ。そして流通量からいえば、20年前の方が圧倒的に多い。


 つまり、今回使用された爆薬は98年以降の代物である可能性もあるわけだ。

 マーカーなしなら違法物、違法物とくればロシアンマフィアという発想は非常に短絡的だ。


 しかしセルゲイは、底辺ギャングの女に濡れ衣を着せられたことに苛立っているのではない。


――これでまた計画変更かよ。ホント使えねーな、この番犬。


 女と話し合うニコラスの声に、セルゲイは舌打ちを必死に堪えた。

 番犬よりもっとおっかないものが背後にいるからだ。


 先ほどのドローン墜落の一件で、ヘルハウンドはミチピシ領内にいる27番地住民と連絡を取っている。


 ドローンが当てにならないので人力に頼ったといえば聞こえはいいが、その本心は見え透いている。

 自分を端から信用していないのだ。


――信用なんぞ期待しちゃいなかったが……ミチピシにまで潜り込ませてたのは予想外だったな。


 住民と顔を寄せ合って話し合う華奢な背を、セルゲイはちらりと睨む。

 つくづく可愛げのない女だ。


 27番地の主要産業は特区内の汚れ仕事だ。


 廃棄物処理業、建設業、清掃業、運搬業――死体処理に破損した家屋の修復と特殊清掃、人間と物の密輸運搬。

 足がつきやすいうえ面倒なので五大マフィアが嫌がる仕事を、この女は率先して引き受け生業としてきた。


 そしてそれは、棄民向けの就職問題を解消するためではない。


 自分の息の根がかかった監視兼偵察役を五大各領に配置するためだ。

 有事の際には尖兵にもなる。今のように。


 ロバーチ・ターチィ・ヴァレーリの三家は互いの監視の必要性を鑑みたうえ、ヘルハウンドに公平な情報提供をすることを条件に見逃している。

 しかし、仲の悪いシバルバ・ミチピシは27番地住民の入国を許可していなかったはずだ。


 だが今、こうしてすでに潜り込んでいる。

 いったいどんな手を使ったのやら。


――前からオーハンゼーと密会してたつー噂はあったが……この様子だとビンゴかもな。


 はてさて、どうしたものか。


 セルゲイの計画はこうだ。


 あのいけ好かないアメリカ人が食いつきそうな餌を用意し、首輪をつけたうえで単独でミチピシに潜り込ませる。端末をハッキングして偽アプリを仕込み、オーハンゼーとの会話からヘルハウンドとの関係を聞き出させる。

 あとは適当に泳がせて情報収集させ、入手次第とっとと撤退する。


 これでセルゲイは、オーハンゼーやミチピシの内情だけでなく、ニコラスから手帳の情報も聞き出すはずだった。


 が、今のところ計画が狂いまくっている。

 ここまでくると、もはや狙っているのではないかと思うぐらいだ。


――どうすっかねー。番犬は使えねーし、ヘルの奴は厳戒態勢だし。


 セルゲイは煙草を咥えながら今後の方針を思案する。


 現地の使えない番犬とペンギン警官はともかく、こうなったヘルハウンドは厄介だ。

 ひとたび警戒すれば、出し抜くのはまず不可能。


 全く、うちの当主が気に入るはずである。

 こんな厄介な性悪娘は見たことない。


 ルスランが真っ先に同盟を結び、自ら『人狼ヴィルコラク』の呼称を与えたのは、後にも先にも彼女だけ。そして、そうした理由も大いに頷ける。


 こいつは放置してはならない女だ。


 しゃーねーか。


 セルゲイは奥の手を使うことにした。ついでに番犬に次の餌を撒いておく。


 メールを送信し終えたセルゲイは、スマートフォンを取り出して電話をかけ始めた。

 ヘルハウンド対策である。


 触らぬ神に祟りなし。

 化物の相手は、化け物にやってもらうのが一番だ。


 通話相手が出るまでの間、セルゲイはヘルハウンドの険しい横顔を眺めながら薄ら笑いを浮かべた。

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