5-1

〈西暦2013年10月15日午前8時45分 アメリカ合衆国ミシガン州特区27番地 アンドレイ医院〉


「これでようやく半分か……」


 ペンを置き、スマートフォンの画面を閉じたニコラスは、ソファー代わりに腰掛けていた病室ベッドに倒れ込んだ。


 ブルーライトにやられたせいか、デスクスタンドの蛍光灯すら目に沁みる。

 長時間の姿勢維持で、背中と首の鈍痛が酷い。特に義足接合部の左脚が。


 映画で歴戦の古参兵が「古傷がうずく」なんて言ったりするシーンがあるが、ニコラスとて例外ではない。

 なくなったはずの左脚が、長時間あぐらをかき続けた時のようにしびれて痛む。調子が悪い時や疲労が溜まっている時は特にそうだ。


 ――慣れねえな、この感触。


 切断痕中央から突き出た棒状チタン合金を指ではじいてみる。


 ニコラスの左大腿骨に直接埋め込まれたばかりのそれは、さした振動も伝えることなく沈黙している。


 原理的には、肉から人工骨が飛び出て剥き出しになっている状態なのだが、痛みもなければ感覚もないというのは実に奇妙だ。


 欠伸を噛み殺したニコラスは、酷使した眼球を労わるマッサージをしつつ、サイドテーブル上の絵本を見やった。


 現在の相棒であり上司のハウンドから託された絵本は、無機質な白色灯に照らされてなお、柔和なタッチと温かな色味を失わない。

 そして、その見た目の平和さと裏腹に、得体のしれない危険性を孕んでいる。


 イラク市民への人道支援の裏で行われていた最悪の汚職事件『バグダットスキャンダル』。被害総額は101億ドルとも言われ、困窮するイラク市民を尻目に、多くの厚顔無恥が利権を貪った。


 当然もみ消されたこの汚職事件だが、この事件に関与した者の名が連なるブラックリストがまだ残っていた。


 それが『失われたリスト』であり、それが記された唯一の証拠品が『手帳』だ。


 この絵本にはその証拠品たる『手帳』への手掛かりが隠されているらしいのだが……今のところ尻尾すら掴めていない。


 現在発覚している謎は三つ。


 1、最終ページの謎の数字群と一文。

 2、各ページに記されたアメリカ先住民の言葉。

 3、大型犬の胴体に刻まれた五人の正体。


 一つ目の謎の数字群と『この物語をカーフィラに捧ぐ』という一文は本気で手かがりが無いし、三つ目の五人の名前も西欧系の男性名という以外に分からない。


 そのためニコラスは唯一解けそうな二つ目の謎の解決すべく、ネットの荒波にもまれながらアメリカ先住民が遺した文献を読み漁っていた。


 それが今、ようやく終わった。半分だけ。


「ネットの情報じゃこれが限界か」


 ニコラスは凝り固まった首を回しながら、机に散らばったメモ書きを絵本のページ順に整理する。


 元よりアメリカ先住民をはじめとする狩猟民族は口頭伝承がメジャーで、書物などの記録媒体で自分たちの歴史を遺すことをあまりしない。

 つまり参考文献が極めて少ない。


 あったとしても古い紙媒体がほとんどで、近頃出回り始めた電子書籍はほとんどない。

 民俗学の学術論文から個人のブログまで探し回ったが、できたのは一族の特定まで。どの一族の誰の言葉かまではほとんど分からなかった。


 ――唯一はっきりしてるのは……ネズパース族だけか。


 ニコラスはメモを数枚めくり、計10枚にも及ぶメモ書きに目を落とす。


【ネズパース族、またはネ・ペルセ族と呼ばれるが、これはフランス人が勝手に命名したもので、本来は『人々ニミィプゥ』という。温厚で思慮深く、平和を愛した平原インディアン。白人にも友好的で、村に訪れた探検隊を丁重にもてなしたという記録も残っている。白人社会の迫害に耐えかね、カナダへの逃避行を企てるも失敗。ワシントン州の保留地に移される。現在はアイダホ州とイエローストーン国立公園にて再導入された狼の監視・管理を担っている。】


 この絵本の作者はネズパース族に思い入れが深かったのか、ネズパース族の言葉が繰り返し出てくる。さらに言うと絵本の主人公は狼だ。


 もしかすると、この絵本の作者はネズパース族出身だったのかもしれない。


 とはいえ、まだ判明した言葉は半分だけだし、そうだと断定するのは早計だろう。そもそも刻まれた文にしたって謎だらけだ。


 たとえばこれ。


 [知識は過去のものだが、知恵は未来からやってくる。 絵本20ページ、ラムビー族]


 恐らく「たまには知識に頼らず地頭でものを考えろ」的なことが言いたいのだろうが、始終こんな感じなのだ。抽象的すぎて頭が痛くなってくる。


「こっちはすんなり解けたんだがな……」


 ニコラスはメモを投げ出しベッドに横たわった。

 寝そべったまま絵本を開けば、最終ページに挟んであったメモがひらりと舞い、鼻先をくすぐった。


【2,5 3,1,18,5,6,21,12 20,8,5 4,15,21,2,12,5 8,5,1,4 19,20,1,7】


 この数字群をアルファベットに直すと、『Be careful the double head stag. (双頭の牡鹿に気を付けろ)』という文になる。


 これまで絵本に仕込まれた細工を見るに、さほど難しい暗号は隠されていないと思うのだが――。


 そう思いながら寝返りを打って、飛び起きた。


 素早くデスクスタンドを消し、散らばったメモを搔き集めてマットレス下に押し込む。机の上をきれいに整理したら、音を立てぬようベッドに潜り込む。


 数秒後。


「はよ~ニコ。もう起きてる?」


 3回のノックが終わると同時に顔をのぞかせた美少女に、ニコラスは「おはよう」と生返事を返す。内心冷や汗まみれで。


 よもや新兵訓練ブートキャンプ時代の夜間警備担当の目を掻い潜るテクニックがこんなところで役に立とうとは。ちなみに起きていることがバレた場合は言うまでもない。


 一方のハウンドは、右手の紙袋をおどけたように掲げた。


「朝ご飯買ってきたよ。店長のご飯もいいけどたまには露店のもいいよね」


 紙袋を確認すればハッシュブラウンとコーヒー、そしてデンバーサンドイッチだ。


 刻んだピーマンとハム、玉葱を混ぜ込んで固焼きにしたデンバーオムレツに、チェダーチーズとカリッと焼いた薄焼きトーストに挟んでいただく。


 本来トーストにはバターを塗るのだが、ニコラスはマヨネーズに黒胡椒を振りかけたのが好きだ。そして今回はニコラスの好みだったようだ。


 消毒液とシーツの漂白剤の無機質な匂いが、こんがり焼けたジャガイモとチーズの匂いに駆逐されていく。それに湿った紙袋の匂いが追加されるのだから堪らない。


 さっそく腹の虫がキュウと鳴った。


「さっき焼いてもらったばっかだから熱々だよ」

「ん」


 受け取った紙袋からコーヒーを取り出しながら、いそいそとサンドイッチに齧り付く。あっという間に一つを平らげ、ホットコーヒーで一息つく。


「スープいる?」

「一口くれ」


 ニコラスは段ボール紙の巻かれた熱々の紙カップを受け取る。コーンスープだ。とろみのある甘さが胃をほっと落ち着かせる。


「美味しい?」

「ああ」

「んじゃアタリを引いたね。また買いにいこっかな」


 アチアチとスープをすするハウンドの横顔を、ニコラスはじっと眺めた。


 絵本もそうだが、こいつもよく分からない。それが一番の目下の悩みだった。


 かつてイラクで出会い、自分が助けた少女。

『偽善者』と蔑まれ嘲弄された自分に、律義に礼を言いに来た物好きなアフガニスタン人。


 深緑の瞳をカラーコンタクトで隠した彼女は、ハザラ出身ということもあって東洋人にしか見えず、美味しそうにサンドイッチを頬張っている様からは何も読み取れない。


 何も語らず、何も聞かず。


 ただかつての恩人だった己を庇護し続ける謎の少女。


 ――正体ぐらい明かしてもよさそうなもんだが……俺が信用ならないか、はたまた何か別の目的のために黙っているのか。


 ニコラスは内心嘆息しながら俯いた。


 彼女は3年前、合衆国安全保障局USSAから『手帳』を盗み出し、それゆえ命を狙われているという。今こうして必死に絵本を調べているのも、『手帳』の所在を突き止めてハウンドを護るためであるのだが――。


「ニコ」


 面を上げれば、サンドイッチを食べ終えたハウンドがこちらを凝視していた。


 ニコラスはどきりとした。

 しまった。彼女はこうした人の感情の機微に敏い。もしや、とうとう探っていたのがバレてしまったか。


 どぎまぎしながら待っていると、ハウンドが不意にこちらの顔に手を伸ばした。


「……隈が濃くなってる」

「へ」

「隈、入院前より酷くなってる。やっぱ環境変わると落ち着かなかった?」


 一瞬呆気にとられ、安堵する。


 現在、ニコラスは新たな義足装着のために2週間前から入院している。

 ハウンドから離れられたこともあり、これ幸いと暇さえあれば絵本のことを調べまくっていたのだ。


 寝不足なのははそのせいで、ハウンドが心配しているような悪夢にうなされていたわけではない。


「ちょっと寝つきが悪かっただけだ。悪夢も見てない」

「本当か~? またやせ我慢してない?」


 ハウンドは心配そうに眉根を寄せ、目下を指先でなぞった。

 そのくすぐったさと、微かな罪悪感にニコラスは顔を逸らす。


 実をいうと、近頃はあまり悪夢を見ずに済んでいる。

 次々に舞い込む依頼や、27番地統治者であるハウンドのサポート、街の警備体制の見直し、住民と自身の訓練。やることがいっぱいで夜は疲れ果てて眠ってしまう。


 悪夢も週に2、3回ていどに収まったし、以前に増して回復していると思う。


 いや――。



 『逃げてるだけじゃないのか』



 脳裏に反響した声に総毛だつ。

 親友の死に顔が脳裏を掠め、ニコラスは必死に身震いを堪えた。


 俺は、過去を忘れるために今の仕事をやっているんだろうか。

 ハウンドを救うことを言い訳に、親友や部下たちの死から目を逸らしてはいまいか。


 胸中に浮かんだ疑問に頭を振り、ニコラスはあえて明るい声を出した。


「大丈夫だって。ちょっと興奮して眠れなかっただけだ」

「興奮?」

「昨日リハビリとテストを兼ねてちょっと走ったんだ。全力疾走したの、2年ぶりだったからさ」

「ああ。確かに。今回の義足は走れるもんね」


 頷くハウンドに内心ほっと胸を撫でおろす。


 今回ニコラスが装着する予定の義足は『骨直結型義足』といって、従来の切断痕をソケット内にはめ込むのではなく、切断痕の骨部にインプラントした接合端子を直接義足と結合するタイプの義足になる。


 どこぞの漫画に出てくる、少年錬金術師とよく似た義足、とでもいえばよいか。

 

 これまで骨直結型義足は、動いているうちにが生じるため、運動には不向きな義足だった。


 しかし今回は骨に接する接合端子を人工生体骨で覆い、かつ計4つのアダプターで体重分散を行うことで、接合端子への負担を極力軽減している。

 さらに電子制御型膝継手で回旋力と衝撃を吸収して、サポートする。


 義足各部位には軍用強化服パワードスーツに用いられる非動力パッシブ系戦術外骨格が組み込まれ、足部を板バネからサスペンション機構にすることで、駆動性を大幅に向上させている。

 そのうえ空圧式シリンダーで全体的な軽量化にも成功した。


 まさしく高汎用型戦闘義足……いささか製作者に難ありだが、今回の義足はかつてニコラスができなかったことを可能にしてくれている。


 ゆえに興奮して眠れなかったというのは、嘘ではない。


「心配してもらって何だが、本当に大丈夫だ。ただ今回の義足は本当に出来がいいからさ」

「ふ~ん、ならいいけど……まあ義足の技術自体は珍しくもなんともないんだけどね。数年前から論文で話題になってたし」

「そうなのか?」

「うん。特区って金さえ払えば何でも手に入る場所でね。特に今ホットなのは情報。いわゆる機密情報の類ね。よく取り扱われるのは大学や医療機関、大手企業の研究・開発部門の機密情報。もちろん盗まれたものなんだけどね。だから特区に国内企業の幹部がこぞってやってくる。連中は自分のが盗まれると物凄く腹立てるけど、他人をから盗んだ物は欲しいのさ。しかも特区には自分の代わりに手汚してくれる便利な奴がいるもの。喜んでやってくるよ」


 ニコラスは何とも言えない顔で義足を見下ろした。

 要するに、この義足は各機関から盗用した機密情報でできているというわけだ。


 そんなこちらに対し、ハウンドは苦笑する。


「そんな顔するな、ニコ。確かにクリーンな義足じゃないが、馬鹿高い低品質の義足掴まされるよりずっといいだろ。それに近頃は各国の研究者自ら特区に乗り込んでるって話だし」

「研究者が? 何のために?」

「そりゃ未発表の機密情報使って好きなだけ研究していいなんて、研究者にとっちゃ涎もんだもん。面倒くさい書類申請なんかの手続きもしなくていいし、予算と研究施設は五大がたんまり用意してくれる。五大も積極的に呼び込んでるっぽいね」


 なるほど。そういう側面もあるのか。


 表裏一体なんて言葉があるが、特区という巨大な裏社会は、自分たちが思っている以上に表社会に食い込んでいるのかもしれない。


 そう思っていた時、病室のドアが凄まじいスピードで開いた。壁に跳ね返って閉じるぐらいの勢いで。


「おおヘルハウンド、来てたのか!」


 息を切らして登場したこの病院の院長、アンドレイ医師にハウンドは目を丸くし、ニコラスは口元をへの字にひん曲げた。


 そら来た。曲者製作者のご登場だ。


「ちょうど良かった、今さっき調整が終わったところなんだ! さっそく神経を接続しよう! 君も見ていきたまえ!」


 クリスマスプレゼントを受け取ったばかりの小学生張りに目を輝かせて準備をする医師に、ニコラスには嫌な予感しかない。


 27番地唯一の医者であるアンドレイ医師は今年で42歳。

 鷲鼻に眼鏡をひっかけた気難しげな風貌で、いつもは蛇王バジリスクも真っ青な毒を吐く皮肉屋である。


 しかしその経歴は大したもので、医大卒業と同時に国際NGO医療団体に入り、15年にわたって紛争地帯や難民キャンプで外科医を務めあげた人物だ。


 さらに地雷で手足を失った子供らのため、医療活動の合間をぬって義肢装具士の免許を習得。現地での普及に努めた。

 特区にやってきたのも、ナイジェリアで反政府組織と敵対する村民を治療したら組織に暗殺されかけ、裏社会に潜らざるをえなくなったためである。


 ここまで聞くとかなりの人道家に思えなくもないのだが。


「見たまえ! 今回は脛部に回転ノコを仕込んでみたんだ! どうだこのフォルム! この駆動音! 惚れ惚れするだろう!?」


 …………正直、現時点ではマッドサイエンティストにしか見えない。

 こんなことなら多少値が張ってもスポーツタイプの義足にすべきだったか。


 一方、高みの見物を決め込んだハウンドは興味津々で説明を聞いている。


「あれ、回転ノコにしたの? こないだは膝関節にグレネードランチャーつけるって言ってなかったっけ?」

「あれはあれで非常に捨てがたいアイデアだが脚だからね。攻撃時のバランスが悪いうえ反動を受けきれない。これが義手だったら何が何でも付けたのだが……」


 心底口惜しげに唇を噛み締める医師に、ニコラスは半眼になった。


 というか、義足に回転ノコにグレネードランチャーって何に使うんだ。その無駄に高い技術力は別の部分で発揮してほしい。


「……先生、色々と機能つけてくれるのは嬉しいが、俺としちゃ普通に動けて頑丈だったらそれでいいんだが」

「何を言っているんだ軍曹。こういうのには追加装備にこそロマンがあるのだよ。原型オリジナルだけで満足するなど勿体ない。もっと欲深くなりたまえ」

「そうだぞニコ。せっかくなんだからカッコイイのつけてもらいなよ。あ、先生。脛に刃とかどうだ? 回し蹴りの時にジャキンって出てくるやつ。カッコよくない?」


 おいやめろハウンド。話に乗っかるんじゃない。先生も本気で検討しなくていい。


 というか、どうせなら改造するならロボコップみたいに太腿に拳銃でも仕込めるスペースをつくってくれないものか。無理かな。


 とうの使用者そっちのけで議論する二人に溜息をついた時、ドアが控えめにノックされた。


 ニコラスは「どうぞ」と言うと、ドアの影からひょっこり見覚えのある人物が現れた。


「マクナイト巡査部長?」

「ケータでいいって言っただろ。相変わらず堅いね、おたくは」


 頭を掻いた小柄な警官ケータに、ニコラスたちは目を瞬かせた。


 ――数分後。


「ミチピシ領で連続爆破事件?」


 マッドサイエンティストから解放されたニコラスは険相を構えた。


 対するケータは神妙に頷き、小脇に抱えていたファイルから取り出した書類を差し出した。


「ああ。最初の事件発生は20日前。場所はミチピシ領二等区から三等区に集中してる。初期の段階の発生頻度は2、3日おきに一度で、被害も仕掛けられた屋外ごみ箱の蓋が吹っ飛ぶ程度だったんだが、だんだん規模が拡大してる。ここ最近だと、5日前に大通り沿いに路駐してあった車両が3台同時に爆破された。3日前はナイトクラブのダンスホールだ。重傷者多数。幸い死者はまだ出てないが、かなり悪質だ。放置しておけるもんじゃない」

「ちょっと待て。死者は出てないのか?」

「今のところはね」

「随分と舐めくさった爆弾魔だね~。愉快犯かな?」


 ハウンドの間延びした感想に対し、ケータの表情は実に渋い。


「問題はこれだけじゃないんだ。この事件、当然ミチピシ駐在警官の耳にも入ってたんだが……」

「冗談だと思って取り合わなかった?」

「いや。本部にバレると仕事が増えるからって駐在警官が調書勝手に削除してやがった。要するに隠蔽してた。だからこんな後手に回った」


 ニコラスは閉口した。こういう時になんと言えばよいのか。

 ハウンドに至っては同情と憐憫の視線を隠しもしない。


「お前んとこの職場ほんと大丈夫?」

「もう駄目かもしんない……」


 奇しくも『考える人』にそっくりなポーズで顔を覆ったケータを、ニコラスは気の毒に見やる。

 この場合、『嘆く人』と題するべきか。


 ケータを気遣ってか、ハウンドはパンと手を打った。


「取りあえずだ。ミチピシのお膝元でボヤ騒ぎ起こってて、んでミチピシも特警も捕まえるどころか目星すらついてないってことでOK?」

「そうなるな。んでうちに捜査協力の要請が来た。あ、駐在所の馬鹿どもはもう更迭してっからな?」

「見せしめがてら吊るせば? ハロウィンの飾りにちょうどいいじゃん」

「怖いこと言うなよ……。ともかく要請は要請だ。俺はこれからミチピシ領で単独捜査をせにゃならん。仕事だからな。けど土地勘もないし協力者もいない中での単独捜査は限界がある。そこでおたくらに協力してもらいたいんだが」

「協力はいいけど、私は同行無理だぞ」

「「え?」」


 予想外の返答に思わず声を上げてしまったニコラスは、ケータが聞くより早く口を開いていた。


「どういうことだ」

「私、ミチピシ一家当主から出禁食らってんだよ。なんでか知らないけど。だから領内に入れない。捜査への同行は無理だ」

「んじゃもし行くとしたら」

「俺とケータで行くしかない?」

「そうなるね」


 ハウンドの答えにケータは天井を仰ぎ、頭を抱えた。


「マジかぁ。ハウンドがついてくんならと思って引き受けたんだが……これならやっぱ断っときゃよかったかなぁ」


 ブツブツ呟くケータを横目に、ニコラスは相棒を振り返る。


「ハウンド、ミチピシって確かギャング上がりの組織だよな?」

「うん。五大の中じゃ一番温厚な組織だよ。犯罪レベルもせいぜい麻薬と銃火器の密売に違法賭博と強盗ぐらい。他一家に比べりゃかなり可愛いもんさ」

「可愛いって」

「可愛いだろ? 爆弾魔が領内でウェイウェイしてんのに野放しにしてんだもん。これがロバーチやシバルバだったら即刻さらし首だよ。ターチィなら死体も残らない。ヴァレーリだったら頭蓋切り開いて、脳みそこそぎ出した後に爆薬詰め込んで展示するぐらいの洒落っ気は出すかな。もちろん麻酔なしね」


 そんなところで洒落っ気を出さないでほしい。


 咳払いしたニコラスは、ミチピシが抱えるもう一つの問題点を確認する。


「ひとまず犯罪レベルは置いておいて。ミチピシっていま内部分裂してるよな?」

「だね。改革派と維持派の二派に分かれて争ってる。事実上の抗争状態だね。そもそもあの一家、創立当初から揉め事だらけだったし、むしろよく3年もったなって感じ」


 ニコラスもケータとともに唸った。


 とどのつまり、自分たちは抗争真っ只中で謎の爆弾魔を追わねばならないわけだ。危険であるのは勿論、難易度もかなり高いだろう。


 頭を抱える男2名にハウンドは苦笑した。


「大丈夫だって。行けない代わりにちゃんとサポートするから」

「いいのか?」

「ケータにはニコの訓練みてもらってるしね。それにお前、今さら断り切れないだろ?」


 ハウンドの指摘にケータが気まずげに視線を彷徨わせた。

 図星らしい。お人好しな彼らしいと言えば彼らしいが。


 そんな様子に苦笑していると、再びドアが開いた。


「話は済んだかね? 早く試運転に取り掛かりたいのだが」


 義足片手に現れたマッドサイエンティスト、ならぬアンドレイ医師に今度はニコラスが天井を仰いだ。

 この人、もしかするとこっちが素なんじゃなかろうか。


「おや、誰かと思えばマクナイト老人のお孫さんか」

「あ。いつも爺ちゃんがお世話になってます、アンドレイ先生」


 日系三世らしく綺麗にお辞儀をするケータに、医師はふむと頷いた。


「そう言えば君は日系だったね。日本人はロボットなどの機械工学に精通した民族と聞く」


 先生の中の日本人の評価どうなってんだ。


 そう内心ツッコんでみるも、もちろん医師は止まらない。


「君はこの義足の追加装備に回転ノコと仕込みナイフのどちらがいいと思うかね? 私としては回転ノコを推しているのだが」


 ニコラスが白い目で見守る中、ケータは大真面目に考え込むと。


「義足に収納可能なファンネ――小型ドローンとかどうでしょう? 偵察とかに便利だと思うんですが」

「いいねそれ! 実に素晴らしいアイデアだ!!」


 ニコラスはがっくり肩を落とした。




 ***




「ええ。特警に通報したのは私よ。だって放っておけないでしょう」


 肩をすくめる女に彼は深く短く溜息をついた。

 己の怒りと苛立ちを吐き出すように。


「……余計な真似はするなと言ったはずだが」

「ええ、聞いていたわ。でもこの状況じゃどうしようもない。お爺ちゃんがそれを一番分かってるはずでしょ?」


 女の背後に控える14、5歳程度の白人の少年が怯えきった様子で視線を彷徨わせていた。つい最近メンバーになったばかりの新米だろう。

 女は仕事を覚えさせるためと称して、新米を連れ歩くことを好んだ。


 彼は若すぎるギャングの姿に心を痛めた。


「……今どきのネイティブ・ギャングは白人も加えるのか。結構なことだ」

「お爺ちゃん、話をそらさないで。あと私たちはメンバーを差別したりしないわ。私たちはこの大陸を盗んだ侵略者どもとは違うの。自由と平等を尊ぶ新時代の先住民ネイティブよ」


 なにが新時代の先住民だ。闘い方も知らぬ子供を戦場に連れてきおって。


――ますます似てきおった。


 彼はつんと胸を反らす女を苦々しげに睨んだ。


 所詮この女も侵略者どもと同類だ。

 神が与えたもうた使命マニフェスト・ディスティニーと宣って先住民を虐殺した白人と、自由平等を掲げながら守るべきはずの弱者を戦わせる先住民の末裔。


 ――否。先住民の亡霊といった方が正しいかもしれない。


 先祖の虐殺と迫害の歴史より四世紀、先住民ネイティブアメリカンはすっかり変貌してしまった。


 ネイティブ・ギャングがその最たる例だ。

 戦士の誇りもなければ、母なる大地に命を捧げる覚悟もない。自然の恩恵を忘れ、父祖への感謝を忘れ、ただ徒に暴れるだけの暴力機関。


 そしてそれは、ネイティブ・ギャングから成り立つミチピシ一家とて例外ではない。


 その長として立たねばならぬ己の、なんと滑稽なことか。


「ニワトリの鶏冠とさかでしかない特警が来たところで何になる? 右往左往して逃げかえるだけだ」

「今回の捜査を担当するのは27番地駐在のマクナイト巡査部長よ。彼が来るということは、確実にも出てくるわ」

「『六番目の統治者シックス・ルーラー』、代行屋のヘルハウンドか」


 彼は苦々しく口元を歪めた。胸の奥がチリチリと焼けつくように痛んだ。


「奴は『茨をまとう獣』よ。周囲も己も棘で傷つける。憐れで危うい、不吉な娘だ。奴を我が領に入れるわけにはいかぬ」

「お爺ちゃん、昔の迷信はやめて。彼女は――」


 キュィ――イッ


 女は口をつぐみ、少年が小さく悲鳴を上げた。


 彼は無意味な会話を遮断した白頭鷲を、鳥籠越しに撫でてやった。


「……我らとて彼奴と同じよ。『茨の園に暮らす鷲』と『茨をまとう獣』、どちらも近寄るすべての者を意味もなく傷つける。我らもあの娘も、一人静かに死に絶えるべきものなのだ」

「お爺ちゃん」

「お前にはわからぬ、『テトン』。わかってはならぬ。深淵の際に立つお前には、わからない方がよいこともある」


 女はしばし意味もなく口を開閉し、ようやく言葉を吐き捨てた。


「私の名前は『平原を渡り歩く者テトン』じゃないわ。アレサよ」


「失礼します、オーハンゼー酋長」と言葉を残して、女は踵を返した。少年が慌ててその後を追った。


 足音荒く去っていく孫娘と少年の足音を聞きながら、ふと彼は鷲が鳥籠の中からこちらをじいっと見ていることに気付いた。


「……お主の目にはこの世界がどう映っているのだろうな。我らラコタ (※1)の創造主たる末裔よ」


 彼は鳥籠から鷲を出してやった。


 鷲は羽ばたかない。精悍な顔立ちすら、どこかとぼけて見える。

 人間に飼い慣らされた獣の末路だ。



『そんな顔しないで。私は私の旅に満足してるわ』



 満足など。

 飼い慣らされた鷲が羽ばたけぬことなど、自明だったというのに。


 彼は力なく首を振った。


「我が『息子』に拾われし雛鳥よ。お主には何が見える? お主の目には、今の私がに見える?」


 返答はない。鷲は無垢に首をかしげただけだった。





 ※1:スー族の別名。「スー」という単語は一部フランス語、一部オジブウェ族の言葉で、スー族は「ラコタ族」を自称している。

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