プロローグ
相変わらず狭いな、ここは。
特区三等区、32番地に居を構える特区警察本部――通称『特警本部』の屋上に立ったケータ・I・マクナイトは、紫煙を薫らせ眼前の光景に目を眇める。
警察本部たる白亜の建物は一見小ぎれいだが、その姿は周囲の大小さまざまなビル群に包囲されて、100メートルも離れれば見えなくなってしまう。
その外観は、あたかも暴徒が寄ってたかって罪人へ私刑を加えているようで、特区における特警の立ち位置を象徴している。
もっとも、警察嫌いの市民からすれば立場が逆だと言うかもしれないが。
燦々たる太陽光を、手をかざして何とか耐える。
一般男性に比べれば、それなりに鍛えている自負はあるが、25を過ぎてからはがくっと体力が落ちた。今じゃ短時間の直射日光すら堪える。
まったく歳は取りたくないものだ。それとも寝不足のせいだろうか。
と、そこに陽気というにはやや間延びした声が背中を小突いた。
「ああ、いたいた。やっぱりここに居たか」
振り返れば、人のよさそうな中年男性がやや息を切らして階段の最後の段に足をかけていた。
「クルテク警部補」
「やあ、マクナイト。相変わらず今日も寝不足かい?」
「ええ。不謹慎すぎる同僚のせいでね。まったく大迷惑ですよ」
煙草を咥えたまま吐き捨てると、クルテクは「君、意外と柄悪いよねぇ。大人しそうな顔してるのに」と苦笑する。
ケータは渋面を隠さなかった。
アジア系ゆえ童顔と言われるのは分かる。大人しそうというのも、まあ滅多なことがない限りは攻撃的になったりしないのでまだ分かる。
だが大人しそうだからと、周囲から仕事を押し付けられまくるのは非常に不本意だ。
今回のだって、ターチィ一家の娼館に出入りしていた同僚が、娼婦とよろしくやっている動画を、よりにもよって勤務中にSNSへ投稿しやがったのが原因だ。
お陰で特区警察本部は火消しでてんやわんやである。
元より常識が欠落した同僚だったので、端から仕事仲間として数えたことはなかったが、こちらに火の粉を飛ばしてくるようなら話は別だ。
今度会ったら腕ひしぎ極めてやる、絶対に。
煙草のフィルターを嚙み千切らんばかりに歯軋りしていると、視界の端を白いものがよぎった。
見れば、昼行燈の上司が指に挟んだ書類をゆらゆら振っている。
「そんな苦労性のマクナイト君に申し訳ないが、一つ頼まれてくれないかね」
「嫌です」
「日本人はNOを言わないんじゃなかったのかい?」
「四分の一はアメリカ人ですので」
「そういえばそうだったね。まあそこを何とか。手当て出してあげるからさ。今ならなんと有給付きだよ? どうだい、魅力的だろう?」
下手くそな新米訪問セールスマンのような文言の上司に顔をしかめ、ケータは白煙と一緒に溜息を吐き出した。
「話しだけは伺いましょう」
「いやぁ助かるよ」
白々しい台詞にケータの眉間にしわが刻まれたが、内容を聞くなりますます深くなった。
「ミチピシ領で単独捜査、ですか?」
吸殻を携帯灰皿に突っ込んだケータは、書類を受け取るなり訝しげに首を捻った。
「これミチピシ一家の公式依頼要望書じゃないですか。なんでまた。こういう領内の揉め事は一家が対処するものでは?」
「半年前の政策のせいでミチピシは荒れに荒れてるからなぁ。自分たちでは手に負えないということなんだろう」
「ではなぜわざわざこちらに? ミチピシにも駐在所はあるでしょう」
「公平性を保つため、外部の第三者視点での捜査を願いたいとのことだ」
「……つまり駐在警官も関与している可能性があると?」
「少なくとも彼らはそう考えている。といっても、今のミチピシ領では誰が敵か味方か分からない状態だからな。事実上の内戦状態と考えてくれていい」
そう言って、上司はファインダーを差し出した。
そこにはすでにクルテクの署名がされた銃火器・装備品の使用許可書と、ケータが事件捜査のため単独行動する旨の報告書が挟まっていた。
「上にはすでに話を通してある。気を付けて行ってくれ。そこに記載してある装備は全部持っていっていいから。ああ、あと補佐役として二人まで同行者の随伴も許可する。人選は君に任せるよ。同僚でも良し、民間人でも良し。――そういえば、君の駐在先に便利屋がいただろう。ほら、代行屋とかいう。君もこないだ推薦してただろう?」
よく言うよ。その推薦却下したのアンタじゃないか。
内心そう独り言つが、案としては悪くない
道案内と護衛の双方をこなせる人間はそうそういるものではない。
「あー」とケータは、視線を下から上へぐるりと回して言い淀んだ。
「こういっちゃなんですが、あの代行屋、汚い仕事もやってますよ?」
「その辺に目くじらを立てるほど私は狭量ではないよ。これから紛争状態の危険地帯に出向こうってんだ。用心棒はそれなりの実力者に頼むべきだろう。それに君、彼女とは付き合いがあるんだろう?」
ケータは苦笑した。
代行屋『ブラックドッグ』とは昔、ロバーチ一家に愛車を盗まれた時以来の付き合いになる。
ついこないだも、とある令嬢の護衛任務で外注依頼をしたばかりだ。
それに最近は、彼女の助手である元海兵隊員の近接格闘訓練の面倒を見ているので、貸しがある。依頼代さえケチらなければ引き受けてくれる可能性は高いだろう。
問題は――。
「あそこ、依頼代そこそこ高いですけど経費で落ちます?」
「1000ドルまでならね」
「足らない場合は?」
「そこは君のポケットマネーで――」
「謹んでお断りいたします」
「ははは。ジョークだよ、ジョーク……ってちょ、待った! ああ、帰らないで! 頼むよ! 本当に君以外に頼れる奴がいないんだ!」
必死に追いすがる上司に渋々足を止め、ケータは腕を組んだ。
「こちらの収入と貯金にも限度はあります。なるべく予算内に収まるよう交渉しますが、超えた場合は経費で落とすようにしてください」
「分かった分かった。その時は私が何とかしてあげよう。あと有休も最低10日は出してあげるから――」
「やりましょう!」
「君のそういう現金なとこ、嫌いじゃないよ」
一度は苦笑した上司だったが、話がまとまって嬉しかったのかすぐさまホクホク顔に転じた。
日当たりの良い窓際に寝そべる猫――と言いたいところだが、やや気抜けした顔につぶらな瞳は昼寝前のカピバラと言った方がいいかもしれない。
「それじゃあ頼むよ。準備が整い次第、すぐに出発してくれ」
スキップをしそうな足取りで去っていく上司に、ケータは深々と嘆息をついた。
またもや仕事を押し付けられてしまった。
だが。
「持つべきものは話の分かる上司、か」
なにはともあれ、支援なしにほっぽりだされるよりははるかにマシだろう。有休も手当ても出るみたいだし。
うん、と自分を納得させたケータは、来たる新たな任務に備えて仮眠室へと向かった。
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