5-2

ケータが依頼を持ってきてから一週間後。

 なんやかんやで退院したニコラスは、来たるべき長期出張に備えて準備していた。


 ちなみに義足は最も原型オリジナルに近い機能にしてもらった。つまり普通の義足である。


「ほら俺、今回が着けるの初めてだからさ。一番シンプルなやつにしてくれないか? そっちの方が修理も調整も楽だし、追加武装は後からでもいいだろ?」


 この魔法の言葉はアンドレイ医師にてきめんだったらしく、無事ニコラスは一番まともそうな義足を手に入れたのである。

 もっとも、今後大改造の懸念がなくなったわけではないが。


 ニコラスがバックパックの中身を点検していると、壁に備え付けられた屋内インターフォンが鳴った。


『ニコ、休みのとこ悪いんだけど今いい?』

「トラブルか」

『いや。まあトラブルっちゃトラブルなんだけど、時には役に立つというか……。ともかく来てくれ』


 珍しく歯切れ悪いハウンドの口調に首を捻る。


 取りあえずと一階のカフェに向かい、ニコラスは目を剥いた。


「何やってんだお前」

「ん~、ちょっとミチピシ一家について調べてたんだけどね~」


 そう言いつつノートパソコンをパチポチするハウンドは、カウンターテーブルいっぱいに乱立する資料の山に埋もれている。

 夜前の仕込み時間で店を閉めているのをいいことに広げ放題だ。


 ハウンドは大きな伸びと欠伸混じりに答えた。


「今回私は依頼に参加できないから後方支援に専念する。ただ私だって万能じゃない。一家の歴史や地図調べるだけでこの通りだ。なので助っ人を呼んでおいた」

「助っ人?」

「ああ」


 資料の山の一画が振動した。見れば山の麓、ハウンドのスマートフォンが震えている。

 ハウンドは顔をしかめながら手を伸ばし、着信を切った。


「切ってよかったのか?」

「うん。こっちはね」


 また含みのある言い方だ。歯に衣着せぬ物言いが日常のハウンドらしからぬ振る舞いである。


 やはり何かあったのかと尋ねようとしたその時、玄関の扉が開いた。


 ニコラスは目を丸くした。


 男性、だろうか。一瞬性別を疑うほど中性的な容姿をしている。


 白銀の髪に薄氷色アイスブルーの瞳。白磁の肌にシミやそばかすの類は一切なく、黒のスリムスーツに身を包んだ長身は流線的で洗練されている。

 氷晶が具現化したような儚くも幻想的な風貌の青年だった。


 眉間にしわを刻んだまま店内をぐるりと一瞥した青年は、ハウンドの姿を瞳に映すなりあんぐりと大口を開けた。


「いたァ――――!? おいヘル! テメエどこほっつき歩いてやがった!?」


 大股で歩み寄る青年に、ニコラスは大いに面食らった。


 何だろう。シチリアンマフィア・ヴァレーリ一家首魁のフィオリーノと遭遇した時のようなデジャヴを感じる。凄まじく。


「お前マジでどこいたの!? もう十日も探し回ってたんだぜ!? 電話には出ねえしメールは無視するし、お前ほんと何考えてんの! お前のせいでうちのボスの機嫌がどんだけ悪化してると思ってんの!? 毎日猛吹雪ブリザードよ! 凍死するわっ!」

「私がどうしようが私の勝手だろ」

「勝手にしないで頼むから! 俺ちゃんの命かかってんの!」

「ふ~ん」

「ふ~んじゃないっ! お願いだから電話ぐらい――って、おお? 誰かと思えば巷で噂の番犬くんじゃん。ハジメマシテー」


 唐突にスンと真顔になった青年に心底困惑する。

 何だこのジェットコースターみたいなテンションの男は。


 対応しかねて黙りこくっていると、青年はむっと唇を尖らせこちらを指さした。


「なにこいつ可愛くない」

「馬鹿言え。ニコは可愛い」


 可愛い言うな。

 あとテメエは人に向かって指差すな。へし折るぞ。


 置いてけぼりを食らったニコラスは、視線でハウンドに「誰だこいつ」と問う。

 ハウンドは肩をすくめた。


「こいつはセルゲイだ。セルゲイ・ナズドラチェンコ。所属はロバーチ一家情報隊、一応これでも幹部ね」


 ニコラスは思わず二度見した。


 すらりと手足の長い体躯は細身というより華奢で、顔立ちも中性的だ。軍役上がりの荒れくれ者揃いのロバーチ一家の者にしてはあまりに異質、というか軽薄すぎる。

 流れのハッカーと言われた方がまだ納得できるだろう。


 すると青年、セルゲイはギッと柳眉を逆立てて睨んだ。


「テメエ今ぜってー俺ちゃんのことロシア人っぽくねえって思ったろ!?」

「いや。人種はともかくロシアンマフィアらしくはないと思った」

「うるせえほっとけ! 愛想がお留守の脳筋揃いロバーチにだって、俺ちゃんみたくクレバーで社交的な奴もいるんだよ! 大体テメエだって人種テンプレの正反対いってんじゃねえか! 喧しくて大雑把が取り柄のアメリカ人のくせに神経質で根暗だし! チビだし!」

「……ハウンド」

「いいよ~」

「ふぁ!? ちょっ、まっ、あー! 背骨折れるっ! 捩じ切れるぅ——!!」


 セルゲイにコブラツイストを極めつつ、ニコラスはハウンドに尋ねた。


「で、まさかと思うが」

「うん。こいつが助っ人」


 マジか。


 ニコラスは苦虫を噛み潰しながらセルゲイを見下ろす。

 なるほど。確かにコレはトラブルだ。


 一方、セルゲイは締め上げられながらもこちらを睨んだ。


「呼び出したのはテメエらだろ、このクソッタレめ……! とっとと要件吐きやがれってんだっ」

「はいはい。ニコ」

「ん」


 ようやく解放するとセルゲイは忌々しげにスーツの埃を払った。

 すでにネクタイはよれよれだったので単なる当てつけだろう。


「んで、おっかない番犬飼うのがご趣味の代行屋サマは何が聞きたいって?」

「ミチピシ一家の現状。各派閥の情勢と地形図、周辺経済への影響。あとつい最近起こった連続爆破事件について」

「爆破事件? ああ、あのボヤ騒ぎね」


 セルゲイは癖のない銀髪を乱雑に搔き乱すと、ビジネスバッグからノートパソコンを取り出した。


 ニコラスは暗証番号でも盗み見てやろうと思ったが、そのあまりのタイピングの早さに断念した。しかも指紋認証からの20桁以上の暗証番号による二重ロックだ。


 しばしパソコンをいじっていたセルゲイは、「おりょ?」と声を上げた。


「なーんか前よりもっとメンドクサイことなってるかも、これ」


 セルゲイの背後からパソコン画面を覗き込めば、一般ネット回線の掲示板である。

 しかも個人の特定や誹謗中傷、炎上騒動が頻発するかなりディープなやつの。


 ニコラスは眉をしかめた。


「ダークウェブ(非合法取引に用いられるウェブコンテンツ)とかじゃないのか」

「ミチピシみたいな素人がダークウェブの情報サバなんか当たるわけないっしょ。仮に覗きに来たとしても追い出すわ。三下はこーいうゴミ漁りで十分……ああ。これだな」


「ほいっとな」と画面ごと向けられたパソコンをニコラスは覗き込んだ。


 ミチピシ領の地図が赤、緑、青の三色で色分けされている。


「『改革派』と『維持派』と……『合衆国救済連合』?」


 ニコラスが訝しげに首を捻っていると、横でハウンドが口元を歪めた。


「随分と幅を利かせてきたな。占拠面積だけなら維持派を超えてるぞ」

「所詮は烏合の衆でしょ。『救済連合』なんて中二臭い名前つけちゃってまあ恥ずかしい。これ命名した奴ぜってー黒歴史になるよ」

「ハウンド、『救済連合』ってなんだ?」


 ちらとセルゲイと視線を合わせたハウンドは渋い顔で腕を組んだ。


「半年前にできたばっかの新しい団体だよ。特区外からやってきた民間人で結成されてる」

「民間人だって?」


 ニコラスは両眉を跳ね上げた。


「なんだって民間人が入ってきてるんだ? 棄民ならともかく、ここ特区だぞ」

「ところがどっこい。入ってた時期があったんだなーこれが」


 割り込んできたセルゲイに目を向けると、セルゲイは新作ゲームの説明をする販売店員のような口調で話し始めた。


「一昔前、ミチピシ一家の改革派つーいわゆる一家の若手どもが関所の規制を緩めたことがありましてね? 一家内の紹介さえあれば上納金を支払わなくても誰でも入れるという、貧乏人にとっちゃ夢のような政策でして。改革派としちゃ『政府に不満を持つ失業者をとりこんで仲間を増やそう!』だったんだけど上手くいくわけもなく、政策は大失敗」

「その時期に流れ込んできた民間人が結成したのが『救済連合』か」

「そそ。合衆国に巣食う悪の組織、五大マフィアから祖国を守ろうと立ち上がった有志による憂国の騎士団、正義のヒーローたちさ」

「……それ本気で言ってるのか?」

「本気さ。連中は大真面目よ。曰く『今のアメリカが抱える問題の全ては五大マフィアのせいで、政府や一般企業は彼らに騙された被害者』なんだとさ。どうよ、ヒーロー映画に毒されたオタクが妄想してそうな設定だろ。それを現実に実行しちゃうんだから感動のあまり涙が出てくるぜ」


 わざとらしく涙を拭う仕草をするセルゲイに対し、ハウンドは苦々しく補足する。


「民間人つっても入ってきたのは社会運動団体の過激派だ。右翼、環境保全活動家、フェミニスト、差別ポリティカル撤廃・コレクト主義者、自由リベラル主義者、完全菜食主義者ヴィーガン、動物愛護団体、白人至上主義者。縄張り争いに負けたギャングなんかも入ってきてる。ミチピシは今、改革派と維持派、救済連合の三つ巴なんだよ」


 ニコラスは呻いた。


 内戦状態とは聞いていたが、これは予想以上に厄介だ。

 わざわざ爆破事件の捜査を外部に依頼したのも頷ける。


 これでは一家内での捜査は無理だ。捜査より先に仲間割れしてしまう。


 黙りこくってしまったこちらにハウンドは苦笑した。


「とまあ、こんな感じでさ。ミチピシは今、刻一刻と変化してる状況なんだ。ついさっきの情報が役に立たなくなる。だから助っ人を呼んだのさ。セルゲイ、ひとまず維持派と改革派、救済連合の各主要メンバーのデータを顔写真付きで送ってくれ。それから――」


 ハウンドの指示にセルゲイはとあるファイルからいくつかのデータを送信し始めた。


 ニコラスは送信中の人物データを見ようとして、遮られた。

 セルゲイがぱたんとパソコンを閉じたのだ。


「はい、ここまでがお試し期間。こっからは有料サービスね」

「着手金ならもう払ってるだろ」


 ハウンドの抗議にセルゲイは「Noニェット, Noニェット」と指を振る。


「状況が状況なんでね。今ミチピシにいるうちの観測員すら、自身の身の安全確保に勤しんでるぐらいだ。定価じゃちょおっといただけないねー」


 つまり、追加料金を寄こせということである。ハウンドは眉をしかめた。


「対価は?」

「面会」

「面会ぃ?」


 素っ頓狂な声をあげるハウンドを睨み、セルゲイは深々と溜息をついた。


「うちのボスと会って。5分だけでいいから」


 ボス、すなわちロバーチ一家当主のルスラン・ロバーチと話し合ってほしいということだ。


 ハウンドは腕を組んだまま足も組むと。


「やだ」

「なんっっっでだよ!?」


 即座に突っ込むセルゲイに、ハウンドは思い切り顔をしかめた。


「なんでじゃないだろ。お前らロバーチが26番地でしでかしたことを考えれば当然の措置だ。暴動を誘発してこちらの仕事を邪魔した挙句うちの住民を危険に晒した。あの暴動でいったいどれだけの犠牲者が出たと思ってる?」


 ハウンドの言葉にニコラスは頷く。


 一月半前、とある令嬢が26番地で慈善活動を試みた。そしてそれは大暴動の勃発という、最悪の形で幕を閉じた。


 その暴動を誘発したのがロバーチ一家で、令嬢の護衛を務めたのが自分たちだ。


 さらに一家はこの暴動に乗じて主催者である令嬢の暗殺を目論み、自分たちに関係者の口封じをするよう迫った。

 辛くもそれを阻止した自分たちだったが、犠牲者の数は抑えられなかった。


 以来、ハウンドはロバーチ一家との取引を無期限で停止、一家の人間の立ち入りを厳禁としている。

 ロバーチにやられたことを考えれば至極当然の結果である。


 しかしロバーチ一家幹部、セルゲイは頬杖をついて鼻を鳴らしただけだった。


「被害もクソもあるかよ。26番地はロバーチ領だ。直轄の支配者が違っただけで、住民の所有は端からこっちのもんだ。何人死のうが知ったこっちゃないね」

「なら私の部下を危険に晒したことへはどう言い訳する? ニコの弾を盗んだろう」


 ハウンドの呻きに近い低音が店内の空気をひりつかせる。

 殺気立つハウンドに対し、セルゲイはてへっと小首をかしげ。


「ちょーっと番犬ちゃんの実力見たいなーって思って」

「ニコ。こいつ締め上げろ」

「Yes,ma'am」

「へぁ!? ちょ、まっ、痛い痛い痛い痛い腕抜けるゥ――――!!」


 ニコラスはセルゲイに腕ひしぎ十字固めを極めた。先日ケータに仕込まれたばかりの新技だ。


 悲鳴を上げるセルゲイに対し、ハウンドは「ワ~ン、ツ~」とやる気のないレフリーのようにテーブルを叩いている。

 とうとうセルゲイは音を上げた。


「だぁあああもう分かったよ流石にやり過ぎましたっ!! はいっこれでいいだろ!?」

「『ごめんなさい』の一言が言えんのかお前らは。ニコ」


 ニコラスはセルゲイを解放した。


 今度は睨む余裕はなく、セルゲイはよろめきながら立ち上がった。


「と、ともかくミチピシの情報提供はするから、ボスとの面会だけはなにとぞ……」

「嫌」

「お願いそこだけはマジで勘弁してよぉおお! 俺ちゃん面会の約束取り付けるまで帰れないんだよ! 頼むから面会して! ちょっと顔合わせるだけでいいから! いっそ一秒でもいいから! 俺ちゃんまだ死にたくないぃいいい!!」


 床に突っ伏してベソベソ泣き出す男にニコラスは引いたが、ほんの少しだけ気の毒に思った。


 マフィアの世界では失敗は許されない。しくじれば即死刑だ。

 あの『殺戮のロバーチ』となれば刑はさぞ過酷だろう。


 ちらっとハウンドを見ると、彼女はぷいっとそっぽを向いてしまった。


「……なあハウンド」

「やだ」

「けどコイツ助っ人として呼んだんだろ?」

「他を当たればいい」


 と、その時。ハウンドのスマートフォンが震え始めた。

 ハウンドが甲高く舌打ちする。


「ま~たかかってきた。ルスランのやつ暇なの? しょっちゅうかかってくんだけど」

「何件ぐらいかかってきたんだ?」

「500件」


 ニコラスはドン引きのあまり数歩後ずさりした。


 ストーカー男も真っ青な着信件数だ。実際、視界の端でセルゲイが人間バイブレーションと化している。


 しかし、ハウンドはスマートフォンごと暖炉の中に放り込んでしまった。


 何というダイナミックな着信拒否。

 じゃない。これはマズい。


 ルスランは特殊部隊あがりの男で存外気性が荒い。このままだと部下を引き連れて強襲しかねない。


 だが一点わからないことがある。ニコラスは未だ震えているセルゲイの前にしゃがみこんだ。


「なあ、お前んとこの当主はなんでハウンドと面会したがってんだ? あの当主なら黙って報復するだろ。なんで会いたがる?」

「……ヘルの奴が余計なことしちまったんだよぉ」

「余計なこと?」

「お前らうちとの取引をぜんぶ停止したろ?」

「おう」

「それだけですでにだいーぶご立腹だったんだけど、10日前にヘルが俺たちとの取引を再開するってボスに持ちかけちまってよ。それもターチィ一家介して。そんでぶち切れた」

「……それのどこが悪いんだ?」


 関係悪化の非はロバーチにあるため、27番地は決して謝罪しない。

 しかし、取引を再開持ちかけることで、ロバーチ側に立つ瀬を残すのは外交手段として全然ありだ。


 そしてまだ関係が完全に修復されたわけではないので、第三者を挟むのは当然である。

 一体どこが悪いのか。


 するとセルゲイは手で額をぴしゃりと打った。


「かーっ、テメエもヘルと同類の鈍ちんかよ! いいか!? マフィアってのは面子が命より大事な生業なんだよっ。取引勝手に停止された挙句、よりによって中国人キタイスキフにケツ持たれながら商売再開とかどんな屈辱よ!? 隠してた秘蔵のエロ本探し当てた挙句、置手紙付きで机の上に置いとくお節介な母ちゃんみたいな真似してんじゃねえよ! トドメ刺してんじゃねえか!」


 己の一家の危機をエロ本騒動に例えるのはいかがなものだろうか。


 しかし、逆効果だったというのは理解した。


 ロバーチ一家に立つ瀬を残すというハウンドの気遣いは、ルスランの面に泥を塗った挙句唾を吐きかけたようなもの。

 面子と矜持に命を懸けるマフィア相手にやってはならぬ禁じ手だったのだ。


「……ちなみにハウンドが断った場合は?」

「番地ごと消滅かなー。俺ちゃん、殺されるだけで済むといいなぁ……」


 遠い目で呟くセルゲイにニコラスの額から冷や汗が噴き出した。


 これは本気でヤバイ。このままでは確実に襲撃される。


 ニコラスは早急にご立腹上司の説得を始めた。


「ハウンド、あのな」

「嫌。ぜぇったい嫌。うちの住民危険に晒した挙句ピンチのニコの弾盗むとかマジありえない。面会なんて死んでもお断りだ」

「けどこのままだと報復されるぞ」

「知ったことか。自分の機嫌ぐらい自分で取れっての。いい歳した大人が面子潰されたぐらいでグダグダ騒ぎやがって。私、ああいうカッコ悪い男大っ嫌い」


 駄目だこれは。こうなるとハウンドはてこでも動かない。


 仕方なくニコラスは虚無顔で体育座りを始めたセルゲイに囁いた。


「(なあお前、俺が潜入調査中の後方支援バックアップできるか? 道案内とか武器調達したりとか)」

「(後方支援? そのぐれーできるけどよ……)」

「(戦闘中も?)」

「(たりめーだろ。んなもんもできねー能無しならとっくに殺されてんよ)」


 ならば良し。ニコラスは頷くと今度はハウンドに向き直った。


「ハウンド、後方支援はセルゲイにもやってもらうことにした。コイツなら荒事も慣れてるだろうし、役に立つと思う」

「…………それで?」

「代わりにロバーチ当主と面会してくれないか。俺やケータのためにも」


 というか、27番地が襲撃されないためにも、ハウンドにはルスランと面会してもらわないと困る。

 ハウンドが自分たちを想ってくれるのは嬉しいが、無用な争いは避けたい。


 数十秒後。はあ、と溜息をついたハウンドはセルゲイに声をかけた。


「5分だけ許可する。ただしお前の情報次第では――」

「マジ!? ホント!? 俺ちゃん助かる!?」

「はいはい助けてやるからとっとと調べてくれ」

даダー, мэмメェム (イエスマム)!!」


 先ほどの泣きべそが嘘のようにコロッと上機嫌になったセルゲイは、鼻歌を歌いながら電子機器をいじり始めた。

 相変わらず豹変ぶりが激しい男である。


 それを見たハウンドは苦々しげに溜息をつき、ニコラスは苦笑するしかなかった。




 ***




 潜入捜査当日、ケータと指定した待ち合わせ場所に立っていたニコラスは、見覚えのある銀髪頭が近づいてくることに気付いた。


 セルゲイである。


「おっつー番犬ちゃん。これから出発?」


 ニコラスは訝しんだ。


 セルゲイには今日から潜入捜査にあたることは伝えていたが、ケータとの待ち合わせ場所は伝えていない。


「……俺のスマホをハックしたのか」

「遠隔操作はしてないぜ? ただちょぉーっと盗み聞きさせてもらっただけさ。ま、これから番犬ちゃん支援するわけだし? 今からGPS情報確保するぐらいはいーよね」


 いい訳ないだろ。

 ニコラスは苦虫を噛み潰した。


 捜査から帰ったらすぐ携帯を新調せねば。


「そんなに警戒しないでちょーだいよ。これから一緒に任務にあたるんだしさ」

「……」

「あらあら睨んじゃってまあ怖い。ま、いいや。ところで番犬ちゃん」

「なんだ」

「これ、知ってる?」


 ニコラスは目と鼻の先に突き付けられたスマートフォン画面を一瞥し、硬直した。


 表示されていたのは某有名アプリのSNS。

 トレンドニュースのキーワードに目が釘付けになった。


 〈#首謀者はブラックドッグ〉


「お、その様子だと知らなかったか」


 ニコラスが凍りついていると、ひょいっと除けられたスマートフォンの後ろからセルゲイのニヤつき顔が現れた。


「前回の26番地での暴動で民間人にも死人が出たろ? その責任を誰がおっかぶせるかで世間の皆サマまだ揉めててさ。んで、つい最近首謀者の撮影に成功したってSNSにアップした奴がいんのよ」


 まさか。


 ニコラスは自身のスマートフォンを取り出し、普段めったに開かぬSNSアプリを開いた。慣れぬ手つきで情報を漁れば、大手新聞社のネット記事が目に飛び込んできた。



<若手ユーチューバーお手柄? 特区26番地暴動の首謀者らしき人物の撮影に成功か>



 タップして開けば、記事と共に個人で撮影したと思われる画像が現れた。


 そこには小柄なスーツ姿の少年――うなじの髪を上着に入れ込んだハウンドの姿が、遠目ながらも撮影されており、その周囲には武器を手にした27番地住民も映っている。


 暴動当時。ハウンドは27番地住民とともに暴徒鎮圧と、26番地住民ならび民間人の避難誘導に奔走していた。この画像はその時のものだ。


 だが知らぬ者が見れば、ハウンドが住民への攻撃を指示しているようにしか見えない。


 実際、記事にはハウンドが暴動を引き起こした張本人であり、26番地住民に配るはずだった配給品を強奪した虐殺者という、でたらめな内容が書き立てられていた。


「おめー『番犬』なんて呼ばれてるわりに爪が甘いのなー。これじゃあどっちが守られてんのか」


 セルゲイは言葉を詰まらせた。ニコラスが襟首ごと締め上げたからだ。


「随分と陰湿な報復だな。『殺戮のロバーチ』が聞いて呆れる」

「うちがやったって言いたいわけ? ご冗談を。うちならもっと徹底的にやる」

「なら誰だ」

「さあ」

「とぼけるな。マフィアの情報担当なら身元特定ぐらい朝飯前だろうが」

「知らねえってば。とりまスーツ放せ。結構高えんだよこれ」


 こちらの手を振り払ったセルゲイは鬱陶しげに首元を撫でた。


「確かに表社会シャバなら身元特定ぐれーすぐできる。だがここは特区だ。俺たち五大がFBIやらインタポールやらが監視する表社会のネット回線をそのまま使うと思うか? ダークウェブにすら捜査員が張り込んでるこのご時世に。自分たちの回線使うに決まってんだろ。そしてそのおこぼれに預かる蛆虫どもがこの街にはわんさかいる。その馬鹿みてえなのがな」


 セルゲイは形の良いすらりとした指でこちらの胸を指さした。


「お前が好き勝手使ってるそのスマホのネット回線だって、27番地独自の暗号アルゴリズムが組み込まれた特注回線だ。俺ちゃんですら突破に半日かかるし、居座れるのはせいぜい10分だ。でないとヘルにバレる。随分と可愛がられてるじゃねえか、。そんなことも知らねーでネット使ってたのか? 色んな奴がおめーのこと嗅ぎまわってるってのによ」

「………………要件は何だ。『手帳』か」


 先手を打ったニコラスに、セルゲイの肩眉がくいっと吊り上がる。

 だがニコラスは逃げも隠れもしなかった。


 コイツは自分のスマートフォンを覗き見ている。となれば、こちらのネット検索履歴も確認しているだろう。

 ニコラスが絵本の謎を解くべく調べた痕跡が。


「お前らが『手帳』の在りかを知りたがっているのは知っている。だが俺は答えられない。答えたくとも答えられない。知らないからな」

「みたいね。でも一番『手帳』に近いのもおめーだろ、番犬ちゃん」


 セルゲイは手元のスマートフォンを素早く操作すると、画面をこちらに向けた。


 個人アカウントだろうか。

 ニコラスは、アイコン画像内で嗤うけばけばしいピンクの南瓜頭に顔をしかめた。


「なんだこいつは」

「現在アメリカで最も調子乗ってるおバカちゃんよ。さっきのアホくせえ記事に情報提供した暇人さ。自称『特区潜入ジャーナリスト』だとよ。言っとくがフリーの記者なんかじゃねえぞ? ただの素人だ。読者稼ぎに物珍しいことやって注目集めようっつー迷惑系ユーチューバーさ。こいつがヘルの写真をアップした張本人」

「………………何が言いたい」


 ニコラスは琥珀の双眸を煌めかせた。一方、セルゲイは吊り目がちなアーモンドアイをニイィっと細める。


「俺ちゃんと取引してくんね、番犬ちゃん」


 取引。何の取引かなど、言うまでもない。


「『手帳』の情報と引き換えに、その南瓜頭を特定してやるって言いたいのか?」

「そそ、悪い話じゃないっしょ? それにコイツ、今ミチピシんに来てんのよ。ほら」


 画面を見れば『特区潜入成功! 世界最大級の犯罪都市の実態に迫る』という仰々しいタイトルの動画がアップされている。


 サムネイル画像に映っている道路標識を見るに、確かにミチピシ領内の写真だ。


「任務こなしてー、南瓜頭も締め上げてー、ご主人サマも大喜び。番犬ちゃんにとっちゃ良いこと尽くし。ね、悪かねえだろ?」

「……別に俺は」

「迷惑系ユーチューバーぐらいほっときゃいいって? この手合いのはほっとくと飽きるまで燃やすぜ。このまま炎上が続けばFBI辺りが乗り込んでくるかもな。こないだのUSSA合衆国安全保障局強制捜査 (二節参照)で踏み台にされてそうとーご立腹だったし」

「…………」

「疑り深い奴だなー。ま、俺ちゃんは別に南瓜頭なんぞどうでもいいし? おめーが情報も要らないってんならそれでもいいさ。でもおめーもミチピシに用があるんだろ? 検索履歴を見た感じ、どうもインディアンと繋がりがあるっぽいし?」


 あまりにあからさまな交渉に、ニコラスは胃がねじくれるような不快感を堪えた。


 要するに、手帳の情報を寄こさなければ、ミチピシ領での後方支援を行わないと言っているのだ。


 ニコラスは数秒沈黙し、口を開きかけて閉ざした。

 セルゲイの後ろ、特警のパトカーが近づいてくるのが見えたからだ。


「ありゃりゃ、時間切れだな。んじゃ番犬ちゃん頑張ってねー。俺ちゃんも見てっからさ」


 そう言ってセルゲイは剽軽に立ち去った。


 ニコラスはしばしその場から動けなかった。

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