4-10

追いかけてくださってる方すみません!

4-8と4-9を間違えて逆に投稿してしまいました💦

(4-8をすっ飛ばして4-9を4-8として投稿してしまいました……)


お手数ですが、順序よく読む場合は4-8を確認の上、4-10を読んでください。

そのままでも通じなくはないです。はい。


寝ぼけ頭で投稿するもんじゃないですね。

誠に申し訳ありませんでした。


―――――――――――――――――




 あの凄惨なボランティアから一週間。


 ハウンドは、今や生ける屍同然たる面持ちのローズ嬢とカフェ『BROWNIE』で対峙していた。


 化粧もせず、髪も梳かさず。真っ白なワイシャツは清潔だったが、逆に血色の悪さを際立たせてしまっていた。


「約束の報酬、50万ドルです。ご確認ください」


 差し出された2つの鞄、トランクケースとショルダーバッグのうち、ハウンドはショルダーに目をやった。茶色の牛革に黒い染みがついている。

 亡くなったミハイルの血痕だ。


「拝見します」


 ハウンドは無言で札束を数え始めた。ローズ嬢は一言も発しなかった。


 ショルダーの方を数え終え、トランクに手を伸ばしたハウンドは唐突に呟いた。


「私は以前、あなたのような人に会ったことがありましてね」


 ローズ嬢は顔をあげなかった。だがこちらに耳を傾けようとする気配がした。


「最初は意味が分かりませんでしたよ。なぜ無関係の人間をわざわざ苦労してまで救おうとするのか。今はそれなりに理解できるようにはなりましたが、共感はできません。今も昔も、私には支援ボランティアという行為が無意味にしか見えない」


 視界の端で影がぐらりと揺らめいた。

 どうしようもない悲嘆と奈落の如き絶望のニオイがする。


 だがハウンドは、この優しすぎる女性を追い詰めたいわけではなかった。


「私は救われない世界で生きてきました。誰も助けてくれないのが当たり前で。手を差し伸べてくる人間は自分を利用したいだけの連中で。だからこそ私は、他人を救うことで承認欲求を得ようとする行為も、ただ救われるのを待つだけの選択も分かりません。26番地住民のように待っていれば助けは来るなんて暢気に楽観できるほど、この世界に期待してないし、希望を持つ気にもなれない。けどね――」


 パタンとトランクを締めた。


 紐解かれた己の記憶を納めるように、託されたものを挟んで。


「そんな私でも救おうとしてくれた人がいるんですよ、ローズ嬢。あなたみたく、呆れるほどお人好しでお節介で物好きな人が」

「私の、ような……?」


 酷く掠れたか細い声に、ハウンドは「ええ」と頷いた。


「他人の問題にいきなり首を突っ込んで、勝手に解決しようとする正義のヒーロー気取りがね。もっとも、あなたはあの馬鹿どもよりずっとおしとやかでこちらの話を聞いてくれる人でしたけど」


 身勝手で傲慢で。そのくせ、泣きたくなるほど温かくて。


 そんな物好きが、5人いた。


 彼らの匂いを、声を、温もりを。自分は覚えている。

 一日たりとも忘れた日などなかった。


――いや。今は6人か。


 ハウンドは、お節介な大人たちの大きくて広い、手を伸ばしても届かぬ高みにあった背を思い出し、一人ほのかに苦笑する。


「私はとうに手遅れでしたが、少なくともそういう人間がこの世界にまだいると知れてよかった」


 ハウンドは2つの鞄をローズ嬢の方へと滑らせた。

 一瞬ポカンと呆気にとられた彼女は我に返って慌てた。


「ミス、報酬を取り忘れています」

「なに。事前投資というやつですよ。それにあなたはこれから金がいくらあっても足りない状況になる」

「え」

「今ここにうちの助手がいないのは何故だと思います?」


 そう言えばとローズ嬢は頭を巡らす。それを見てハウンドは今日初めて微笑んだ。


「われわれ代行屋は他人の代わりに願いを叶えるのが仕事でして。もうそろそろ出張から帰ってくる頃合いですね」


 と、言った直後。玄関のベルが鳴った。


「おかえり~」

「悪い。遅くなった」


 こめかみから汗を流して一息ついたニコラスはおぼつかない足取りでこちらにやってきた。

 原因は彼のカーゴパンツ左裾からのぞく木製の棒義足である。


 以前の義足がとうとう寿命を迎えたのだ。

 元より日常生活用に製造されたものを酷使したことに加え、前回の戦闘の帰り際、道路脇に転がっていたプラカードに躓いたのが致命傷となった。膝継手内部のアダプターがぽっきり折れてしまったのだ。


 元より古い型だったのもあり、替えの部品の発注もできず、仕方なく某アニメ海賊よろしく超骨董品の義足で渋々我慢している。


 不自由そうに歩み寄ったニコラスは、小脇に抱えていた大きめの封筒を令嬢に差し出した。


「アンタ宛てだ。ローズ嬢」

「これは……?」

「何も聞いてないのか?」


 ちらっと批難がましくこちらを見るニコラスに、ハウンドは舌を出す。


「サプライズの種明かしは参加者が揃ってからするもんだろ?」

「はあ……。ローズ嬢、トランクに何か挟まってるぞ」


 指差された方角を辿った令嬢は、トランクから僅かに覗く便箋に気付き、慌てて取り出した。


 そしてその差出人に首を傾げる。


「ボルダー商事、テオドール・ファン・デーレン……?」

「最近うちにやってきた商人でな。ちょっと芝居ぶった台詞が鼻につくが悪い奴じゃない。奴は事業拡大をしたがっててな、近々大々的に求人募集をするらしい。で、まずは人事部の採用担当責任者にアンタを任命したいんだと」

「――え!?」


 目に見えて狼狽するローズ嬢に苦笑したニコラスは、先ほどの封筒を差し出した。


「これが求人募集の候補者名簿だ。アンタが責任者だっつったらわんさか集まってきたよ。これからも増えるだろう。少しごちゃごちゃしてるがその辺は目をつぶってくれ。本当は名前を書いてもらうだけだったんだが、他にも書きたいことがあるって喧しくてな」


 恐る恐る封筒から書類を取り出した令嬢は、びっしり書き込まれた候補者名簿に目を落とし、息をのんだ。


 手書きで記載された候補者の出身地はみな同じ――26番地だ。


 さらに一枚めくった令嬢は名簿の裏に書かれていたものに、片手で口を覆った。



 《たくさんのお花をありがとう リリー》



 クレヨンで書いたのか、歪に並んだアルファベットはところどころ反転している。文字すら知らなかったのだろう。

 それでも、大きく力強く書かれた、一文字ごとに色が異なるカラフルな文字は、令嬢が少女に贈った花束の色に似ていた。


 名簿を一枚めくった。


 そして一枚、もう一枚。



 《来てくれてありがとよ、嬢ちゃん》

 《色々あったけど薬、ちゃんと受け取りました》

 《これでよく分かったろ。二度と来るな。ここはアンタがいるべき場所じゃない》

 《ドレスのことは気にしないで。あのドレスで誰かが助かったのならそれで十分です》

 《帰れ金持ちの偽善者!》

 《貴方が採用してくださるならそれに賭けます。どうか仕事をください》

 《今度こそ信じさせて。裏切ったら一生許さない》



 感謝、報告、忠告、配慮、批判、願望、そして憎悪にも似た信頼への渇望。


 空白が見当たらないほど書き込まれた言葉は名簿の裏面を埋め尽くし、元が白紙であることが分からないほどであった。


 令嬢は無言のまま名簿を捲り、一文一文に目を通していく。


 そしてふと、ページの端の一文に目を留め、完全に硬直した。


 書き直したのか、最初の一文は紙の裏側に抜けるほど黒く塗りつぶされている。

 その下にうっかり見落としてしまいそうなほど小さくか細い文字で、一言。



 《息子のために泣いてくれてありがとう》



 誰が書いたのか、などと尋ねはしなかった。


 持つ手が震え、名簿にしわが寄った。

 俯いたまま必死に声を殺して泣くローズ嬢をハウンドとニコラスは黙って見守った。


 名簿を濡らさぬようにと両の手で掲げた彼女の姿は、神に懺悔し祈りを捧げる聖人に似ていた。


 嗚咽が収まるのを待って、ニコラスはゆっくり語り掛けた。


「アンタが花束を渡した女の子おぼえてるか?」

「…………ええ。勿論。勿論です」

「この先、嫌なことがあって、この世の全てを恨むほど絶望したら、その子の顔を思い出せ。思い出せなかったらそれがアンタの潮時だ。そん時は全部すっぱり諦めて自分のためだけに生きればいい」

「……いいえ。忘れません。恨みもしません。私はこれからも自分のために誰かを救いに――いいえ」


 令嬢は顔をあげた。名簿を胸に、心臓に押し当てるように。


「お手伝いに参ります。私なんかが救わなくとも皆さんは自力で立ち上がる強さを持っている。27番地の皆さんを見てよく分かりました。私はまだ戦います。26番地の皆さんが自力で歩けるその日まで」


 涙を流したまま、令嬢は笑った。

 朝露に濡れた花に似て、美しい笑顔だった。


「ミス・ヘルハウンド、ミスター・ウェッブ。またここに来てもいいですか? 今度はもっと沢山のお花を持ってきますので」


 これにはハウンドもニコラスと顔を見合わせて笑った。


「大歓迎だね」

「ああ。墓場に花は付き物だからな」



 それから一月後。

 ボルダー商事に就職したローズ嬢は新たな慈善団体を立ち上げる。


 団体名は、『パンと薔薇をブレッド・アンド・ローズ』。


 二十世紀初頭、合衆国北部で発生した紡績工場の女性労働者による大規模なストライキ。

 大衆に嘲笑されつつも、貧者にも尊厳と美をと願い歌った、そんな彼女たちの奮闘ぶりを背景に人々の繋がりを描いた長編小説、その題目からとった名である。


『生まれて死ぬまで汗水たらして働く人生は心も体も飢えさせます。貧乏な方がパンだけでなく、薔薇を望んでなにが悪いのでしょう?』


 堂々とマスコミの前に身を晒し、毅然に高潔に問いかける彼女の姿を見た代行屋二人が顔をほころばせるのは、まだあとの話。




 ***




『で、例の女を自陣に引き入れたというわけか』


 事件から10日後。


 カフェに来店したルスランは無表情のまま上機嫌に葉巻を吸っていた。

 ハウンドが鼻面にしわを寄せる。


『なんだ。何か文句でも?』

『いいや? 相変わらず抜け目ないと思っただけだ。あの令嬢はリベラルモーターズ社で唯一の勝ち組だからな。悪くない選択だと思うぞ』


――勝ち組、ね。


 ニコラスは皮肉と冷笑に口元を歪めた。ローズ嬢は、天地がひっくり返ってもそうは思わないだろう。


 今回の暴動事件により、リベラルモーターズ社はアストルム社と袂を別った。ルスランの予見通り、切り捨てられたというのが妥当だろう。


 本件で同伴したマスコミは、世間知らずで酔狂な令嬢の末路より、リベラルモーターズ社の幹部共の醜態の方がスクープ的においしいと判断したらしい。


 リベラルモーターズ社もアストルム社も火消しに躍起になっているが、株価の大暴落と社員の相次ぐ自主退職と内部告発に頭を抱えているという。


 一方、視線の先のハウンドは苦虫を30匹ほどまとめて噛み潰したような顔をしていた。


『そりゃあどうも。で、そういうお前は何しに来た? いつも呼び寄せるくせに』

『こいつを渡したくてな。受け取れ』


 指を鳴らしたらしいルスランの指示に、控えていた部下の一人がジュラルミン製ケースをテーブルに置き、ハウンドに向けて開けて見せる。


『今回の手当金だ。消費した弾薬ぐらいは補給してやる。お前のことだ。どうせまた無報酬でやったんだろう?』

『無報酬じゃない。貰った報酬を投資したまでだ』

『いくら投資した? 全額か』

『……』

『そういうところが甘いと言っている。投資する気なら利益を加算した上で報酬を請求する、それが定石だ。人情に訴えたところで腹は膨れんし弾も増えん。苦労したあげく丸損では求心力が下がる一方だぞ』

『今日は随分と舌が回るな、ルスラン。領内を完全統治できて気分がいいか』


 不機嫌そうに唸る相棒に、ルスランは無論とばかりに嗤った。


『否定はせん。長年のさばってきたダニどもをようやく駆除できた。特にアリビツキーは身を弁えぬ低能のうえ、中途半端に悪知恵の働く小悪党でな。あげく人語すら通じないので手を焼いていたところだ。だがお前らが蹴散らしてくれた。感謝するぞ、ヴィルコラク』


 臓腑がとぐろを巻くような不快感に耐える。


 今回もっとも漁夫の利を得たのはロバーチ一家だ。

 暴動の直後、到着した一家はアリビツキー残党を丁寧に殲滅していった。その上で26番地を除く領内全ての他区画の支配者に実権の譲渡を迫り、12時間以内に返答がないものは即部隊を送りこんで鏖殺おうさつしたという。


 26番地を含め三等区は完全降伏、二等区もろともロバーチ一家に忠誠を誓った。

 さらに領内の住民も各区画の支配者よりロバーチ一家に従った方が良いと判断したらしく、一家の構成員の志願者は5千人を超えたという。


 要するに自分たち27番地は、ロバーチ一家の領内鎮圧の噛ませ犬役を押し付けられたというわけだ。


『……うちが保護した26番地住民、6215名の処遇は?』

『こちらに戻ってこない限りは不問とする。好きにするがいい。なんなら26番地ごとくれてやってもいいぞ』

『要らない。お前の番犬なんぞ死んでもごめんだ』

『ふむ、ひとまず今はそれで引き下がるとしよう。さあ受け取れ、ヴィルコラク。『六番目の統治者シックスルーラー』。金食い虫も増えたことだ。受け取っておいて損はあるまい』


 頑張った狗にはご褒美を。

 そう言わんばかりにケースを指で押し出したルスランに対し、ハウンドは横髪をすくって耳にかける。


――合図だ。


『答えが聞きたいか?』

『意地を張るのは感心せんな。別に恥じることはない。お前には才能と素質が十分にある。何度も言っているだろう。お前が我が一家に臣従するのであれば、私が直々に鍛えてやっても――』


 一発の弾丸が、ルスランを黙らせた。


 今まさに咥えていた葉巻が爆ぜて飛散したのだ。

 狙撃された、と気付くのにルスランも部下も1秒とかからなかった。


 ハウンドたちがつくテーブル脇の窓が消し飛んだ。護衛から放たれたAK-12小銃の弾丸に、窓ガラスだけでなく周囲の窓枠もカーテンもズタボロになっていく。


 ニコラスは渋面をつくった。

 あのカーテンは店長がパッチワークで縫ったお手製のやつだったのに。


 無論、こちらに弾は一発も飛んできてない。かすりもしない。


 クリアになった視界で、ハウンドが煙草を咥えるのが見えた。


『ドラグノフってのは良い銃だな。有効射程はせいぜい800と聞いてたが、1000でも十分撃てる』


 それを聞いた部下が即座に対応としようとするが。


『動くな』


 ハウンドの一喝で硬直する。


 ニコラスがスコープ越しに見つめる中、ハウンドは己のこめかみをトンと突いた。


『次はここだ。お前らからニコは撃てない。10の窓越しに撃ってるからな。当てられるもんなら当ててみろ』


 ここに至り、ルスランの顔つきが初めて変わった。


 元軍人の彼ならよく理解しただろう。10の窓越しということは建物を5つ隔てて撃っているという事だ。


 ルスランたちの位置からは、ニコラスが潜伏する建物屋上は辛うじて見える程度。よほど高性能の狙撃銃と射手がいない限り反撃は不可能だ。


 そしてニコラスは、そんな時間をくれてやるほど公明正大ではなかった。


 煙草に火をつけたハウンドは煙を吐いて嗤った。実に悪辣な笑みで。


『本日をもって、ロバーチ一家との貿易をいっさい停止させてもらう』


 唐突な宣言に、ルスランを含め全員が絶句した。


 ハウンドはさも当然とばかりに小首を傾げる。


『今回の暴動云々の背景事情はいいさ。私がしてやられたのは事実だ。だがニコの武器に細工をしたのは許さん。わざわざ部下を出向かせてまでの妨害工作ご苦労。注文した商品もまともに用意できない無能商人は要らない』


 ニコラスは冷静に成り行きを見守っていたが心中穏やかではない。


 いつでもルスランのこめかみを撃ち抜ける態勢ではあるが、もし部下が猛反撃すればハウンドとて無傷ではいられない。


 煽り過ぎるのは危険だと思うのだが。


『……どうやら見誤ったようだな。27番地にとって我が一家は最大の貿易相手だ。我らなしでどうやっていく?』

『ヴァレーリとターチィに頼むさ。むしろターチィ辺りはもろ手を上げて喜んでたよ。お前らに随分と商売邪魔されてたからな』


 すでに根回し済みであることをそれとなく発言するハウンドに、部下たちは蒼褪め、ルスランが見るからに殺気立っていく。


 だがハウンドはすました顔を崩さない。


『お前らの27番地市場の独占は、前から他家に指摘されてきたからな。これで釣り合いが取れるだろう。こちらが許可を出すまで、ロバーチ一家は出入り禁止にさせてもらう。今すぐ出ていけ』

『……この雌犬風情が。が手塩をかけて育てた市場を無断で他者に売り渡すか』


 カフェ室内に設けたマイクはルスランの音声を如実に拾い上げた。遠方より近づく猛吹雪ブリザードに似た、凄まじい怒気を孕んだ声だ。


 しかし、返すハウンドの声はあっけらかんとして。


『27番地の市場は棄民のものだ。最初からお前のものになったことなど一度もない。勘違いしないでもらおう。ここが誰の墓場か忘れたか?』


 椅子にもたれたハウンドは腕を組んだ。


 幼い顔が非常に不釣り合いな、それでいて声音も横顔も醸し出す雰囲気もルスランすら凌ぐ異様な迫力で、ニコラスは息を呑む。


『お前らが私らを仲介役に利用したように、私らもお前らを利用して寄生させてもらった。それだけのことだ。見誤ったのはお前の方だ。悔いるなら手前の浅知恵を悔やむことだな』


 針のむしろの如き沈黙が無線越しに耳を刺す。


 ニコラスは引金に指をかけた。妙な動きがあれば即撃つ。


 だが予想に反し、ルスランは無言で立ち上がった。引き下がるらしい。


 しかしその去り際、ハウンドはさらに追撃をかけた。


『ああ、そうだ。SV98狙撃銃を百挺、それを一週間以内に用意できたら考え直してやってもいいぞ。ついでにマクミランのTac-338もつけてもらおうか』


 虎の尾を踏むとはまさにこのことだ。


 目にも止まらぬ速度で振り返ったルスランは、太い腕をハウンドの首に伸ばして。


 発砲。


 弾丸はルスランの目前を横切り、運悪くその先にいた部下の太腿に直撃した。

 呻き声をあげる部下に、ルスランは歯をむき出しにして唸る。握られた拳が小刻みに震え、殴りたくて仕方ないと言っていた。


 無言の睨み合いの応酬の末、ルスランは立ち去った。30秒とかけず車両に乗り込み猛スピードで領内へ撤収していく車列を見送って、ニコラスはようやく無線回線を開く。


「お前なあ」

『なにさ』

「……煽り過ぎだ」

『爽快感は人生に欠かせないスパイスよ?』

「『過ぎたるは及ばざるがごとし』ってことわざ知ってるか?」

『知ってるぞ。度が過ぎるぐらいじゃ及んでないのと一緒だから、やるなら過激なぐらいはっちゃけましょうって意味だろ』


 誰だそんな嘘教えたの。命知らずの信条かなにかか。


 ニコラスは溜息をつき、スマートフォンを取り出した。修復業者に連絡をしなければ。


――あ。


「ハウンド、店長に謝っとかないと――」


 と言おうとして閉口した。


 直立不動するハウンドの真向かいに、にっこり笑った店長が、その背後に暗雲を背負って立っていたからだ。


 前門のルスラン、後門の店長。

 つくづくこの街は危険人物ばかりだ。


 自身も立派な危険人物であることを棚に上げ、ニコラスは怒られた時の言い訳を考えながら撤収作業に入った。

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