4-8

 ニコラスは久々に焦っていた。


 焦燥の原因は複数。

 一つ、見張り役だった同班の住民二名が首を掻き切られて絶命していた。

 二つ、後頭部を殴られたブルーノにまだ息があった。

 三つ、今まさに眼下で暴動が勃発しつつある。


 しかしその三つをもってしても、手元の書類には及ばない。


「ハウンド! 俺の声が聞こえるか!?」


 もどかしくも狙撃台に寝そべり、眼球を走らせてスコープ越しに階下の光景に目を凝らす。


 幸い、その姿を捉えるより早く、相棒は返答した。

 喉笛に喰らいつく寸前の獣に近い唸り声で。


『聞こえてる。トラックの陰だ』


 ニコラスは視線を巡らせ、トラック後部車輪の陰に蹲る2つの人影にほっと息をついた。

 取りあえずハウンドとローズ嬢は無事だ。


「ミハイルは――」


 ニコラスは口をつぐんだ。


 銃撃と逃げ惑う人々が入り乱れる中、勇敢な27番地住民数名が倒れたミハイルを必死の形相で物陰へと引きずっていた。

 その痕跡は紅い道筋となって道路にべったりと残っている。


 どう見ても助かる出血量ではない。


『……狙撃された。特定できるか?』

「無理だ。候補が多すぎる」


 ニコラスは周囲に乱立する公共住宅の群れを睨んだ。


 弾の抜けた方向的に二時の方角と思われるが、狙撃手の姿は一切視認できない。

 恐らく自分と同じく室内から撃ってきている。これは向こうが撃ってくるのを待って特定するしかない。


 そう返すと、ハウンドは苛立ちを吐き出すように鋭く一息ついた。


『で、屑ども殲滅の前にボランティア中止の理由を聞こうか』

「罠だ」

「罠?」

「ああ。こいつはロバーチが仕組んだ罠だ。連中は最初からボランティアをさせる気なんてさらさらなかったんだよ」


 ニコラスは手元の書類を引き千切らんばかりに握りしめた。


「さっき俺のとこにロバーチの連中が来やがった。アリビツキーとリベラルモーターズ社が手を組んだんだと。だが本当は――」

『……んのクソ企業、ロバーチ一家に持ち込んだな?』

「恐らく」


 左耳から無線越しに舌打ちが聞こえ、右耳から呻き声が聞こえた。

 一瞥すれば視界の端で、後頭部を押さえたブルーノが上体を起こしていた。ずいぶん手酷く殴られたようだが、命に別状はなさそうだ。


 それを視認して、説明を続ける。


「連中のの筋書きはこうだ。正義感の強い世間知らずの令嬢は、自社の行いを悔い改めるべく特区でのボランティアを計画する。実家は彼女を懸命に止めたが、彼女は忠告を無視してボランティアを強行し、発生した暴動に巻き込まれて命を落とした。彼女の死を悼んだリベラルモーターズ社は私兵を雇い、凶悪な犯罪者アリビツキーを殺して仇を取った――って感じか。これなら世論への言い訳も立つし批判も逸らせる」

『悲劇中毒の三流脚本家が書きそうなシナリオだな。ロバーチはその私兵ってわけか』

「ああ。しかもロバーチの奴ら、俺に資料を寄こしていきやがった。ご丁寧に顔写真と今日着てる服装まで書かれたやつがな。対象者はアリビツキーと一味とリベラルモーターズ社幹部だ」

『……私らに口封じさせる気か』

「正確には手伝わせるだな。たぶんミハイルは――」


 相棒の唸り声に遮られて、ニコラスは口をつぐむ。


 恐らくミハイルを撃ったのはロバーチ一家の者だ。

 少なくとも徒党を組んで、即製戦闘車両テクニカルから機関銃を乱射しながら突っ込んでくるようなお粗末な連中が、大群衆の中から特定の人物を正鵠に狙撃できるとは思えない。


 そして狙いはローズ嬢だった。

 狙撃手の腕が悪かったか、それとも射線上にミハイルが出てしまったか。


 いずれにせよ、ローズ嬢はまだ生きている。となれば、また狙ってくるに違いない。


「で、どうする? 大人しくロバーチの思惑通り踊るか?」

『クソ食らえだね』

「奇遇だな。俺もだ。……俺はロバーチの狙撃手を迎撃する。その前に――」

『ああ。馬鹿どもの鼻面へし折ってやれ』

「了解」


 引金を引く。綿毛に触れるが如き繊細さをもって。


 標的は聞くまでもなく。照準、弾道計算ともに捕捉完了ロックオン済み。

 着弾。

 群衆を掻き分けていた先頭の即製戦闘車両テクニカル、そのフロントガラスが真っ赤に染まる。


 助手席の人間が運転を代わったのか、ドアが開き、車内から射殺された運転手が蹴り出される。


 が、ニコラスは照準を変えない。


 次の方どうぞ。


 発砲。

 代わりの運転手は、己が役目を数秒と果たさず死亡した。


 この時に至りようやく全車両が停車し、アリビツキー一味の進軍が止まる。


 ビシッ チューン


 弾丸が窓枠のコンクリートを抉り取る。狙撃手の放った弾丸だ。


 ニコラスは旧式アナログの射距離測定を行うことにした。


 着弾と同時に、1秒の間に1から5まで数えるのだ。


――1、2、3、4、5……。


 バーン……


 聞こえた。銃声だ。


――マズいな。


 ニコラスは舌打ちした。

 かなり遠い。900メートル以上はあるか。


 現在使用しているドラグノフSVD狙撃銃の有効射程は800メートル。

 慣れぬ銃で当てられるかどうか。


 否。当てるしかない。


 必中必殺。それこそが狙撃手の原則だ。

 百点以外はゼロ点であり、すなわち死を意味する。


 乾いた唇にゆるりと舐め、先ほどの音と弾道だけを頼りに焦点を絞り、探る。


 屋上、屋外非常階段、貯水タンクの影、ベランダ、室内……。


――あれか。


 前方方位52、公共住宅の15階付近、壁にラグビーボール大の穴が2、3か所開いている。


 開口部ループホール

 視界と射界を確保すべく穿たれた、狙撃手専用の潜望鏡だ。


 さらによくよく目を凝らせば、カーテン下の隙間から黒い筒状の物体が覗いている。弾着観測用スポッティングスコープだ。


 間違いない。


 ニコラスは引金を引いた。


 外れ。開口部のある隣室の窓が砕け散る様が映る。


 直後。


 バキュッ チューン


「ひっ」


 ブルーノが頭を抱えて身をすくめる。


 己の腹の下、窓前に盾として置いた本棚に穴が開いている。

 敵からの返答だ。


――残念。上だよ。


 敵の居場所を再確認したニコラスは、敵の潜伏場所に照準を定める。


 風速、偏流現象、空気抵抗、さらに交錯風の影響を踏まえ、念入りに弾道を計測し、算出する。


 バキュッ チューン


 もう一発返ってきた。今度本棚に空いた穴は先ほどより上だ。


 敵はこちらの位置を探りに来ている。時間をかければこちらが不利になる。


 致し方ない。


 ニコラスは引金から手を放し、指を伸ばして安全装置を「半自動」に切り替えた。


 ドン ドン ドン ドン――!!


 鎖骨下を木槌で直接叩かれたような衝撃が上半身に走る。反動で暴れもがく銃身を腕力と上半身で押さえ込み、7.62×54㎜R弾の連射を見送る。

 

 敵狙撃班が潜む窓ガラスは四散し、焼け焦げた洞がカーテンに穿たれていく。


 弾を全て撃ち切ったニコラスは、手元に目もくれず弾倉を換え、割れた窓の向こうで蠢く影めがけてさらに撃ち込んでいく。


 2つ目の弾倉を撃ち切った頃、ようやく敵は沈黙した。


 よし。


 安堵の一息をつくが、まだ終わりではない。ハウンドたち地上班の援護に回らねば。


 ニコラスはスコープから目を逸らすことなく、バックパックに片手を突っ込んで。――硬直した。


 弾倉がない。


 慌ててバックをひっくり返すが、出てきたのは弾倉が一つだけ。

 残り80発はあったはずの弾丸が忽然と消えていた。


「ブルーノ! 弾は!?」

「わ、分からねえ。いきなり頭ぶん殴られて、目が覚めたら……」


 怯えたようにフルフルと首を振るブルーノに、ニコラスは瞠目し、すぐさま無線に怒鳴る。


「ハウンド! 友軍の誰かここに寄こしてくれ! 弾が無い!」

『はあ!? なんで!?』


 流石のハウンドも声に焦りが混じる。

 だがニコラスにはどうすることもできない。


 ニコラスはたった一つしかない弾倉を渾身の力で握りしめ、奥歯を軋らせる。


「ロバーチ一家の仕業だ。クソッタレがっ、弾もっていきやがった……!」


 忌々しげに吐き捨てたニコラスの視界に、ルスランがわざわざ寄こした資料が目に入る。


 そして納得した。


 奴の資料にリストアップされた人物は30名だ。

 そして、残された弾丸数も30発。



『それらを排除すれば最悪の事態は免れるだろう。ありがたく受け取れ』



 脳裏にルスランの愉悦に塗れた声音が蘇る。


――そういうことかよ。


 選択肢など端から存在しない。

 ロバーチ一家は、何が何でも自分たちに口封じをさせる気だ。


 ふざけやがって……!


 ニコラスは額から冷や汗を吹き出しつつも脳をフル回転させる。


 弾は残り10発。

 地上部隊は合流すらできず、敵アリビツキー率いる暴力団は未だ50名近く残っている。


 挙句アリビツキーについた26番地住民の総数も、そうでない住民との判別もつかない。


 たとえルスランがもたらした資料を活用して対象者を排除しても、もう暴動は止められない。


 さらにルスランの言から察するに、あと1時間と経たずにロバーチ一家がやって来る。

 目的は暴動の鎮圧。これこそが真の目的だ。


 故意に暴動を引き起こし、その混乱に乗じてローズ嬢とアリビツキー一味を殺害。さらにリベラルモーターズ社幹部も殺害して目撃者を消し、依頼人たるリベラルモーターズ本社から報酬を受け取ると同時に、弱みを握る。


 ロバーチ一家は得しかしないというわけだ。


 先に事態の重大さを理解したらしいハウンドの鋭い指示が無線に飛ぶ。


『総員、撤収準備! 合流次第、27番地に撤退せよ!』

『待ってください……! まだ26番地の皆さんが――』


 傍にいるらしいローズ嬢の悲痛な声が割り込むが、ハウンドの返答は冷徹だった。


『アリビツキー側についた26番地住民と、抵抗してる住民の区別がつかない。これ以上は27番地うちにも危害が及ぶ』


 階下に目線を向ければ、ローズ嬢が息絶えたミハイルをひしりと抱えていた。


 ニコラスは人懐っこい青年の笑顔を思い浮かべて奥歯を軋らせる。


 考えろ。何か打開策を。


 考えろ。考えろ。考え――ふと、一つの案を閃く。


「ハウンド。提案がある」

『何だ』

「一か八かの大博打になる。それと、ローズ嬢にも協力してもらうことになる」


 それでも乗るか?


 ニコラスの問いに、眼下の女性二人は顔を見合わせた。そして、ゆっくりと頷く。


『よし乗った。概案を聞かせてくれ』

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