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 その日。


 アメリカ屈指の大企業、リベラルモーターズ社会長の孫たるローズ・カマーフォードは、SNS上に動画にてアストルム社子息との婚約破棄を発表した。


 彼女は会長たる祖父の生前遺言状を盾に、相続の完全放棄とカマーフォード家からの離脱を宣言した。


「これよりわたくしはローズ・ブレッドを名乗り、特区27番地の皆さんとともに、特区三等区住民の救援活動を行います。まずは特区で最も困窮状態にある26番への支援活動を始めさせていただきます」


 彼女の発表した支援内容には、合衆国だけでなく特区住民にも衝撃を与えた。


 1000万ドルという大金を投入した、1人当たり千ドル分の配給支援という大規模な活動にも関わらず、支援対象者を先着1万人に絞ったのである。


 26番地住民の総人口が6万人強であることを考えれば、6人に1人しか救わぬ計算になる。


 当然、ローズ嬢には特区外から批判の集中砲火を食らった。

「令嬢は支援活動をスーパーマーケットのタイムセールと勘違いしているのではないか」などと痛烈な非難が声高に騒がれる中、ローズ嬢は毅然と次の動画を投稿した。


「支援を希望の方は27番地北ブロックB3に設置した受付会場にまでお越しいただき、受け取りたい支援物資を要望欄にご記入ください」


「何でも構いません。千ドル以内であれば家電でも衣服でも家具でも何でもご用意いたします。ただし、受付期限は本日を含めて2週間だけといたします。特に要望がなければ千ドル分の水・食料・医薬品を自動的に配布いたします。また支援物資の配布は2週間後の3日間のみとさせていただきます」


「可能な限り全力を尽くしますが私の力にも限度はある。だからこそ、まずは1万人の人々を確実に救います。1000万ドルを全住民に配布しても1ヶ月分の食料しか用意できませんが、1万人に千ドルであれば5カ月は暮らしていけます。それなら次の支援に間に合う。今回の支援物資の配布後は就職支援活動に移行し、いずれは自力で生活できるよう援助して参ります。そうすれば、いずれ全員をお救いできます」


 この発言にまたも報道陣やネットは荒れに荒れた。「配布しても食料の奪い合いが起こる」「机上の空論」「自社でリストラした社員を救済など恥知らず」などと散々叩かれる中、意外なことに当事者たる26番地は比較的冷静だった。


 あれほど活発化していたデモ活動は次第に収まり、荒れ狂っていた通りの人々も恐ろしいまでに大人しくなった。


 暴れまわっていたのは26番地支配者のアリビツキーとその一味である。


「支援をするのであれば、まず支配者たる自分に許可を取るべき。支援金も自分が配る」と声高に主張し、一時はローズ嬢に面会を求めて27番地に手下を引き連れ押し寄せてきたが、そのつど鉛玉をプレゼントして丁重にお帰り頂いた。


「どこまでも図々しい野郎だな」

「全くです」


 逃げかえるアリビツキー一味を一瞥するニコラスの横で、珍しく博愛主義かつ平和主義のローズ嬢が苛立ちを強めて吐き捨てた。


 彼女の苛立ちは焦りからだ。

 有限の支援活動という事で期限を定めたのは良かったが、ローズ嬢が支援金の手渡さなかったことに怒ったアリビツキーが、26番地住民が受付会場に行けないよう妨害しているのだ。


 そのため受付会場の設置からすでに1週間が経っていたが、まだ訪れた人間は1人もいなかった。


 受付期日が残り3日になろうかという時、ローズ嬢の元に救世主が現れた。


 26番地住民である。


 アリビツキーの妨害に腹を立てた住民が、とうとう反旗を翻したのだ。

 鉄パイプや火炎瓶といった手製の武器で武装した彼らは、27番地国境線沿いで抗議 (という名の脅迫)中だったアリビツキー一味の背後を急襲した。


 あわや大混乱となりかけたが、ハウンド率いる27番地国境警備隊との挟撃により、見事アリビツキー一味を撃退。アリビツキーは取り逃がしてしまったが、結果的に多くの26番地住民が受付所に到達した。


「……すげー剣幕だったな」

「飢えて死ぬのも撃たれて死ぬのも死ぬことに変わりないからね~。文字通りの死に物狂いさ」


 アリビツキーを撃退したハウンドはすぐさま次の指示を飛ばした。

 炊き出し用の食料と調理場を用意するためである。


 実際、受付所にやってきた住民の様子は悲壮の一言で、ハウンドが急遽設けた炊き出し所は大活躍した。

 無論、ニコラスも『BROWNIE』の店長らと仕込みに奔走し、炊き出しを行いながらの受付は27番地住民総出で行った。


 物資の希望は現金や水・食料が圧倒的に多かったが、腹が膨れて安心したのか、別のものを頼む者も少なくなかった。


「食料は500ドル分だけでいいです。残りのお金で本を買ってください。勉強がしたい」

「お袋が売っちまった結婚指輪を買い直してやりたいんだ。食料は残りの額分だけくれ」

「金より就職先を紹介してくれよ。俺は金を恵んでもらうほどまだ落ちぶれちゃいない」

「娘にウェディングドレスを用意してあげたくて。800ドルで足りるでしょうか……?」


 ローズ嬢は彼らの願いを熱心に聞き、すぐさま手配を整えた。


 最初こそ懐疑的な態度だった彼らも、寝食を削ってでも活動に励む令嬢の姿を見て、次第に見る目が変わっていった。それは27番地住民とて例外ではなかった。


 その様子を安堵しながら眺め、ニコラスはハウンドに尋ねた。


「支援物資の調達の方は?」

「その辺は問題ない。テオドールが張り切ってくれてるからな」


 顎髭がトレードマークの海運業者にして、27番地とも懇意の商人テオドール・ファン・デーレンは今回の令嬢の企画を全力でサポートしてくれた。


 自身が所有する船舶をフル活用し、デトロイト川を介して物資を特区内に運搬してくれたのである。


 当初はてっきり儲けにならないから嫌がるかと思っていたが。


『あなた暴徒の恐ろしさを知らないんですか!? デ・ウィット兄弟 (十七世紀オランダの政治指導者)を見てごらんなさい! 民衆に引きずり回された挙句、お腹ぱっかーんされて内臓ずるっとされたんですぞ、ずるっと!! 第一、住民が飢えていては商売どころではなくなってしまうではないですか!』


 とのことらしい。


「……まあ理由はともかく協力してくれるのはありがたいな」

「だね」


 苦笑するハウンドに頷きつつもニコラスはテオドールに感謝した。


 資金があっても物資が用意できなければ住民は飢えるだけだ。

 正直、金さえあれば必ず注文の品を用意してくれるテオドールのような商人の存在はありがたい。


「おお、盛況だな」


 聞き覚えのある声に目を向ければ、紺の制服姿の小柄な警官が立っていた。ケータだ。


「うちからもやる気のありそうな連中を引っ張ってきた。手伝うよ。何からすりゃいい、統治者さん」

「んー、なら列の警護と見張りをしといてくんない? 盗難と喧嘩が頻発してる。あとアリビツキーの部下が出たらすぐ知らせて。私らが対処する」

「あいよ。いやぁ、久々に警察らしい仕事ができるねぇ」


 嬉々として部下に指示を飛ばすケータに、ニコラスは嬉しく思った。


 当初はどうなることかと思いきや、存外うまくいきそうだ。


 しかし、嫌なことというものは、上手くいっている時ほど起こるもので、列を見張りつつケータが声を潜めた。


「それとちょいとマズい事態が起きててな。あのお嬢さんに話す前におたくらに話しときたいんだが……」


 気まずげに声のトーンを落とすケータに、ニコラスたちは顔を見合わせた。


「何かあったのか?」

「今朝方、うちの特殊実働SWAT部隊の全隊員に出動要請が入ったんだ。一応あのお嬢さんの護衛ってことになってるが、恐らくマスコミ対策だ。今ロバーチ領関所に凄まじい数の報道陣が詰めかけてんだ」

「ちょい待ち。ロバーチが入れたの? 一般市民を?」

「ああ。一家と大手報道局との間で裏取引があったんだとよ。噂だけどな。一時的に民間人の入国を許可したらしい」


 ハウンドが流麗な眉をひそめる。ニコラスも不自然に思った。


 ロバーチ一家は秘密主義な一面があり、外部の人間の介入を極端に嫌う傾向がある。

 何を企んでいるのだろうか。


「それだけじゃないぞ。どうもリベラルモーターズ社の人間が来てるらしいんだ。しかも幹部連中が」


 ニコラスとハウンドはそろって顔をしかめた。


 ローズ嬢は、社も一枚岩ではないと言っていたが。


「連れ戻す気だな」

「連れ戻す気だね~。あの会社は今、アムストル社に完全に依存してる。いわゆる言いなりの立場だ。ローズ嬢がアムストル社の息子と結婚すれば多少なりとも主権を取り戻せると思ってんだろ」


 呆れたようにうそぶくハウンドにケータの咳払いが割り込んだ。


「ともかく、そういうわけだ。マスコミ、リベラルモーターズ社、それからアリビツキーの三つ巴だ。当日はかなり荒れるぞ」




 ***




「よろしかったのですか?」


 珍しく口答えをする部下に、ルスランは目を眇める。


 部下は有能な男だ。

 機先を察し、指示を待つことなく自発的に準備し、従順に行動する。そして命令以外のことは決して行わない。


 だからこそ、ヴァレーリ一家がヘルハウンドを強制連行しようとした際に、この男を派遣したのだ。


 そんな出過ぎた真似をしない男が、出過ぎた真似をしている。


「珍しいな。お前はそういう言動はしない男と思っていたが」

「……以前の閣下であれば、自領内を余所者が行動することをお許しになりませんでしたので。ヘルハウンド様はともかく、あの令嬢や報道陣にまで自由を与えなくともよかったのでは?」

「自由を与えた覚えなどない。あの小娘にもな」


 ルスランは艶やかな黒髪の揺れる華奢な背中を思い出し、人知れず口元を歪める。


 美しい獲物を見れば心躍るのが捕食者というもの。それが手強ければ尚更だ。


 3年前まで27番地はただの取るに足らぬ貧民街の一角に過ぎなかった。


 それが今はどうだ。五大マフィアと対等に渡り合うとまではいかないものの、経済・統治・武力ともに自立し、並みの暴力団では到底太刀打ちできないほどの急成長を遂げた。


 実際、元特殊部隊で構成された合衆国安全保障局USSA実働部隊を、住民だけで撃退している。


 それを率いたのが、まだ18歳の少女なのだ。


 まだ成長途上とはいえ、稀に見る悪党の素質を持つ女だ。

 いずれは己と互角に渡り合うほどの強者へと成長するだろう。


 素晴らしい。実に素晴らしい。


 未来の好敵手の成長ぶりに、ルスランは胸を高鳴らせる。


 ルスランは生まれついての強者だった。


 恵まれた体格と明晰な頭脳。

 軍に入ったのは単純に力試しでしかなかったが、それでも己の全力を存分に揮える環境に、ルスランは満足した。


 しかしそれも、第22独立親衛特殊任務旅団に配属されるまでだった。

 参謀本部情報総局GRUの「目と耳」であるGRU特殊部隊スペツナズとしての活躍を待ち望むルスランを待っていたのは、くだらぬ連邦軍内の派閥抗争と政治闘争や外交上の駆け引きに引きずり回される兵士の実態だった。


 大いに失望したルスランは新天地を求めた。

 手強い獲物が数多蠢く、世界の裏側へ。


 より強い獲物を求め彷徨い続けて早10年。

 新興のロシアンマフィアとして頭角を現した己に、面と向かって刃向かうものは最早いない。

 

 それがルスランにはつまらない。


 誰か噛み殺し甲斐のある人間はいないものか。

 そう思っていた矢先に現れたのが、あの『人狼ヴィルコラク』だ。


 ああ。早く。育ってくれないものか。

 

 興奮にも似た焦燥を、ルスランは首を振って紛らわす。


「元より我が領の統治を連邦制にしたのは無駄を省くためだ。飢えた家畜の世話も荒れた土地の開拓も貧民の仕事、適当な人材に任せればよい。我らが出向くまでもない。その点、小娘はよく理解している。具体的な仕事は住民に任せ、指示だけを行う。しかも民主主義の体裁を保ってやっているぶん不満も溜まりにくい。若いが賢く大胆だ。番犬としてあれ以上の人材はそう見つかるまい。ヴァレーリの若造が目の色を変えるのもよく分かる」


 一方、アリビツキーはヘルハウンドと真逆だ。


 支配欲と独占欲ばかり大きい器量の狭い小心者。

 統治者でありながら末端の人間の仕事にまで口を出し、そのくせすべての業務をさばくどころか把握すらできていない無能者。


 全く、無能な働き者は銃殺刑にせよとはよく言ったものだ。


「あの令嬢を担ぎ上げますか」


 こちらの思考を読み取った部下の眼光が鋭利に瞬く。


 己が一つ頷けば、部下はアリビツキーを早急に始末し、令嬢を26番地の支配者の座に据えるのだろう。


 だがルスランはそれを望まなかった。


「人道や正義などと言った個人の思想に基づく価値を私は信頼しない。万人が認めぬ価値など価値ではないからな」


 この世で最も信頼できる価値は貨幣、すなわち金だ。金こそ至上。


 常人は金にがめつい者を強欲の権化と蔑むが、太古より万人が認めてきた価値を拒む輩こそ真の無能者と言える。


「アリビツキーは無能だが良い無能だ。金の価値を大いに理解している。実に扱いやすい。だがあの女は真逆だ。制御不能な有能者は不要。早急に退場してもらうとしよう」

「…………では最初からヘルハウンド様を介入させぬ方が良かったのではありませんか」


 部下は言い切る前に口をつぐんだ。

 やはりこの男は賢い。こちらの苛立ちに気付いたのだろう。


「私とて奴がここまで介入してくるとは思っていなかった。以前の奴であれば適当にあしらって追い出しただろうが……大方あの狙撃手の我儘でも聞いたんだろう。奴は弱者に甘いからな」


 ルスランは弱者が嫌いだ。


 特に不相応なものに手を伸ばし、強者の力を借りて足らぬ力量を埋めようとする弱者は大嫌いだ。


――寄生虫め。


 あの男は獲物に取り付き生き血を啜る姑息な略奪者だ。

 ルスランが最も嫌う類の人物だ。


 許してはならない。


 あれはおれのものだ。


「まあいい。誘ってきたのは向こうだからな。ありがたくそれに乗るとしよう」

「では当初の指示通りに?」

「ああ。……にしても、堕ちた強者も憐れなものだな。アムストル社に擦り寄ったところで、かつての栄光が戻るわけでもあるまいに。ああ、それと。騒ぎに乗じてアリビツキーも処分しておけ。あれももう潮時だ」

「承知いたしました」

「そうだな……26番地は小娘にくれてやることにしよう。いい囲いになるだろう」

「……ご冗談を」

「冗談なものか」


 ルスランは上機嫌に喉をくつりと鳴らす。苛立ちも焦燥も、とうに掻き消えていた。


「狼は賢いが情に篤いのが弱点だ。だからこそ群れは大きければ大きいほどいい。身動きが取れなくなるからな」


 そして26番地は我が領民、その数は27番地よりも遥かに多い。監視役に持ってこいだ。


 ヴァレーリの若造は小娘に首輪をつけようと躍起になっているようだが、己はそんな無駄なことはしない。


 狼はしょせん狼だ。いくら飼い慣らそうと森しか見ない。

 であれば、森ごと囲ってしまえばいいだけのこと。あとは煮るなり焼くなり好きにすればいい。


 27番地は今やロバーチにとって欠かせない緩衝国だ。

 番犬としてこれ以上の存在はない。今回も大いに働いてもらうとしよう。


「秩序の中に身を置く者はルールを嫌うが、無秩序の中にいる者はルールを愛する。人類が文明を築いて以来の弱者の法則だ。今や我が領はいい具合の混沌に満ちている。反乱分子も炙り出された。あとはいつも通り締め上げればよい」

「無秩序に疲れ果てた弱者ほど圧倒的な力を渇望するものですからね。そのくせ元気になってくると刃向かい始める。勝手なもんです」

「愚民はいつの世も勝手なものだ。だからこそ支配者が必要なのだ。刃向かうことすら思い浮かばぬほど圧倒的な支配者がな」


 ルスランは静かに目を眇めた。


 時は満ちた。

 低劣な支配者たちに苛立ちながらも連邦制を維持した甲斐があった。


 住民はロバーチによる支配を、圧制者を打倒した英雄と歓喜するだろう。多少締め付けても、元圧制者以上の暴政を行わなければ大人しく従ってくれる。良き領民の誕生だ。


 今こそ、とっておきの秩序を。恐怖を。暴悪を。


 『殺戮』の名に恥じぬ行いを。


 ルスランにとって、《手帳》もUSSAもどうでもよい。

 強者との闘争こそ、我が人生の全て。


 そして此度の戦は、数ある前哨戦の一つとなることだろう。

 そのためにも領内の完全統治を急がねば。


「特警襲撃以来、久方ぶりの戦争だ。大いに愉しむとしよう」

「はっ」


 瞳の奥で静かに闘志を揺らつかせる部下を横目に見送って、ルスランは準備に取り掛かった。

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