2-2

 ニコラスが取材に応じたことに最初こそ喜んだ二人だったが、カフェの裏戸――その奥の路地へ案内するとあからさまに警戒した。


「なあ君、なぜさっきのカフェじゃダメなんだ?」


「俺は雇われの身だ。店に迷惑はかけられん。あまり客に聞かせたくもない」


 投げ捨てるように告げると中年は口をつぐんだ。あちこちをきょろきょろと見回し、青年の背後に隠れるようについてくる。

 一方の青年は細くごみが散乱した路地裏に顔をしかめながらも器用に避けて歩いている。


「この辺でいいか」


 路地の突き当たり、ニコラスが打ち捨てられたドラム缶に腰を下ろすと、二人はようやくほっと肩を降ろした。

 どこかギャングどものたまり場にでも案内されるとでも思ったのか。二人にとって幸いなことに、ここは無人だ。


 ニコラスにしてみれば、飽きるほど見た路地裏だ。


「……で、お前らなにしに来たんだ?」


「さっきも言っただろ? 取材に来たんだよ。俺たちは君の冤罪を晴らすべく、はるばるこの危険な犯罪都市に来たんだよ」


 発言とは真逆に、中年の表情は侮蔑が隠しきれていなかった。異様な興奮でぎらつく眼差しは、目の前にいる獲物をどう食おうか舌なめずりする捕食者の目だ。


 やたら恩着せがましい中年の話を要約すると、遺族の嘆願により冤罪にかけられた海兵隊第37偵察小隊の汚名を晴らすべく、唯一の生存者(他にもいるが精神病棟の住民なのだ)である自分に協力してほしい――というのは建前で、実際は真相究明よりも読者が食いつきそうなネタが欲しいだけらしい。典型的なゴシップ記者だ。


 ニコラスは中年の話を聞き流しつつ、視界の端で真横の青年を注視していた。青年はこちらを見ず、右手をポケットに入れたまま路地の端の十字路を交互に見ている。


 やはり。ニコラスは確信した。


「……事情は分かった。で、お前の連れは俺に何の用だ?」


「何の用だって? 彼は俺の助手だぜ? 俺の補佐に決まってるだろ」


「へえ。『ニュー・ウィーク』は記者の助手にまで戦闘訓練を受けさせるのか?」


「…………へ?」


「そいつの動き、普通じゃないんだよ。店に来た時も真っ先に裏口と階段の位置を確認しやがった。退路の確認――兵士がよくやる視線運びだ。まだぎこちないがな」


 中年が凍りついた。真横の青年もぴたりと動きを止め、呼吸が瞬時に潜めるものに切り替わった。――ビンゴだ。


「あとそいつ、歩幅が気色悪いぐらい一定だ。顔は前向いてんのに、足元のごみ全部避けて歩いてきやがった。銃を構えたまま移動する訓練やってる人間の歩き方だ。――ここは俺がトレーニングに使う路地でな。その辺のごみは俺が置いた。あとで褒めてやれ。このコースをここまで器用に歩ける奴はそういない。若いが良い兵士だ」


 ごつ、とこめかみに硬く冷たい感触。拳銃の銃口だ。


「驚きましたね、この短時間でそこまで見抜きますか。さすがは鈍ってませんか、『百目の巨人アルゴス』。それともウェッブ一等軍曹とお呼びしましょうか?」


「上等兵でいい。退役時の階級はそれだ」


 銃口が抉らんばかりに押し付けられるが、そんなもので動じるニコラスではない。この程度の修羅場、いくつくぐってきたと思っている。


 蚊帳の外に置かれていた中年が喚き始めた。


「おいどういうことだ。俺はお前が護衛だって……」


「まさか。我々がしょうもないゴシップ記者の護衛をするわけがないでしょう。道案内ご苦労様でした、サヴァールさん」


 中年、もといサヴァールは真っ青な顔で呻くが、青年はどこ吹く風で質問をした。


「正直にお答えすれば解放します。――代行屋『ブラックドッグ』はどこに?」


 それが目的か。


 脳裏に浮かぶは、嘘くさい笑顔を常時装備した黒髪黒目の美しき暗殺者、この街の頂点たる五大マフィアにも比肩する『六番目の支配者』にして、自由奔放で陽気な悪戯好き少女。


 困った女だが、恩人であることに変わりはない。ニコラスは座った体制から微動だにせず、戦闘態勢を整える。


「今は留守だ」


「居場所は?」


「知らん」


「答えないのであれば連行します」


「連行、ね。お前、連邦捜査官FBIか」


 青年は無反応だったが、声をあげたのは意外なことにサヴァールだった。


「FBI……? どういうことだバウマン――」


 乾いた銃声が一発。


 己の足元間際の着弾にサヴァールは悲鳴を上げてひっくり返った。それでも手に持ったカメラはひしと離さないのだから、感心するやら呆れるやら。


「名前を言うなと言ったでしょう。全く、これだから一般人を使うのは嫌なんですよ。言動も軽率、状況判断も鈍い」


 ニコラスのこめかみ、サヴァールにそれぞれに銃口を向けた青年――バウマンは二挺拳銃を構えたまま甲高く舌打ちした。

 そのうえ銃口でニコラスに立つよう促してくる。


「ついてきてもらいますよ、ウェッブ軍曹。無駄な抵抗はしないように。丸腰なのは分かってますから」


 バレてたか。新人ジェーンがカフェで働くようになってから、怯えさせまいと外していたのが仇になった。が、一切問題ない。


 ここは俺の庭だ。


 ニコラスはゆっくり立ち上がり、突如、消えた。


 少なくともバウマンにはそう見えたらしく、反応に遅れたバウマンは次の瞬間、宙返りする羽目になった。足払いである。


 右脚を一気に脱力させ、左脚たる義足を重力に任せてぶん回す。きわめて単純な技だが、鍛錬を重ね無駄を削ぎ落せば、敵の虚を突く一矢と化す。


 が、相手もさる者。バウマンは無様に地面に転がる愚は侵さず、受け身を取っている。


 だからニコラスは地面に手を突き、陸上選手のクラウチングスタートに似た姿勢で、後方目がけて義足の腓骨部――ステンレス合金支柱でバウマンの腹を蹴り上げた。


 現在装着しているのは吸着式単軸膝継手義足、軍病院入院中に支給された餞別品で、アナログゆえに頑丈で安定性も良い、パーツ交換もしやすいぶん多少の無茶はきく。


 鈍い殴打音にバウマンの顔が苦悶に歪む。それでも右手の拳銃の照準を合わせることは諦めなかった。


 大した男だ。そう思いつつ、ニコラスは右手を先ほど腰を下ろしていたドラム缶内に伸ばし、左手で義足の脛を掴んで持ち上げた。


 撃発音とともに銃口から火花が散る。義足足底部の金属板にはじかれた弾丸はバートンの頬を掠め、側面のコンクリート壁を抉って破片を散らす。


 鉄バットで殴られたような衝撃と痺れが、足から全身へ伝う。

 それに耐え、愛銃――トーラスPT92自動拳銃を取り出して引金を絞る。


 壁と地面に銃痕を穿ちながら、九ミリパラベラム弾がバウマンを追う。しかし奴は地面を転がり、路地の角へと逃げこんでしまった。


 直後、三挺の拳銃による銃撃戦が勃発した。


 規模は小さいが、狭い路地での戦闘となれば危険度は増す。

 四散した壁片。軌道が予測不能な跳弾。


 挙句バウマンは狙いを定めず、ばらまくように撃ってくる。自分たちの間にサヴァールがいるのもお構いなしだ。

 奴は奴で地面に這いつくばりながらも写真を撮りまくっているので元気そうだが。


 先ほどの無茶で緩んだ義足接合部ソケットの吸着バルブを閉めながら、ニコラスは障害物の影から機を待った。


 二挺拳銃使いには二種類の使い手が存在する。

 一つは西部劇に感化された目立ちたがり屋。二つは効率を重視した結果、戦闘スタイルに選んだ現実主義者。


 奴は後者だ。そして、後者の人間の場合――。


――非利き手で牽制・誘導し、利き手で狙い撃つ。


 さらに言うと、障害物の多い環境では手だけ出して撃つことが多い。『露出面は最小限に』銃撃戦の基本であり、兵士が骨の髄まで刷り込まれる定石だ。ゆえに予測は容易い。


 ニコラスは脇にある空き缶が大量に入ったゴミ袋を掴み、宙に放った。放物線を描いたゴミ袋は地面に激突、安物の鐘に似た盛大な音を立てる。


 案の定、バウマンは即座にゴミ袋めがけて撃ってきた。左手だけ出して撃っているので、目標がニコラスではなくゴミ袋だと気付いていない。


 ニコラスは左手に照準を定め、半秒。待つ。


 バウマンが遮蔽物から半身を出した――刹那。


 発砲。放たれた弾丸は二発。


 バウマンの拳銃が二挺、宙を舞った。両手を撃ち抜かれた青年の苦悶が路地に木霊する。


 ニコラスは即座に路地を飛び出し、半ばタックルの要領で取り押さえた。


「くそっ、早撃ちもやるなんて聞いてない……!」


「ああ。初めてやった」


 実際やったのは早撃ちもどきだが。本来の早撃ちは銃声が重なって一発音しか聞こえない。だが勝敗は決した。


 もがくバウマンの背を膝で抑えたニコラスは顔色一つ変えず弾倉を交換した。薬室に初弾を送り込む、無機質な金属音。青年は全身を硬直させた。


「所属と名前。それから目的を言え」


「……答えると思いますか」


「そうか」


 銃声。


 悲鳴はニコラスの膝下ではなく、10メートル先で上がった。

 破壊されたカメラを抱えて腰を抜かすサヴァールに、ニコラスは目もくれず言い放つ。


「この期に及んで撮影を止めない根性だけは評価するが俺はお前を知ってるぞ、セドリック・サヴァール。――よくもダチの実家を焼いてくれたな」


 第37偵察小隊の悪評を書きたてるマスコミは腐るほどいた。それでもニコラスがこの男を覚えていたのは、彼の記事のせいで自宅が放火されたからだ。

 記事に無断掲載された公共アパートはニコラスの住所であり、親友のものでもあった。そして、彼の遺族も。


 消防隊員が止めるのも聞かず、焼け跡から必死に親友の遺族の亡骸を探した。幸い彼らは当時カリフォルニアの親族の元に身を寄せて留守だったが、ニコラスは思い知った。自分のせいで彼らを巻き込んだと。


 事件直後、預金通帳から全財産を引き下ろし、公共アパートの管理者と遺族の元へ送りつけて、戦場へ戻るべく基地へ直談判に出向いた。

 以来、親友の遺族とは会っていない。合わせる顔がなかった。


「お、俺が焼いたんじゃない……! 俺はただ書いただけ――」


 言葉が尻すぼみに途切れた。ニコラスの本気の殺気を受け、声すら挙げられなくなったのだ。

 自分たちをどん底に突き落とした扇情報道家(イエロージャーナリスト)の言い訳など、今さら聞きたくもない。


 ニコラスはバウマンのポケットをまさぐり、中身を掴むと携帯とFBI捜査手帳だった。これで目的達成、かと思いきや。


「何がおかしい」


 バウマンは答えない。薄気味悪い笑みを浮かべるだけだ。


 ニコラスは一息つき、バウマンの右腕を脇に抱えて固定。そのまま上半身を捻る。

 ぼくり、と密着した何かがずれる感触。右肩の関節を外されたバウマンから絶叫が上がった。


 地面をのたうち回る青年の口をふさぎ、そのまま仰向けで地面に縫い留める。


「そこの下種を連れて失せろ。二度はない」


 そう言って、ニコラスは立ち上がり、踵を返した。情報は入手した。もう連中に用はない。路地の角を曲がる直前、バウマンが吠えた。


「またティクリートを繰り返しますか、ニコラス・ウェッブ。後悔しますよ……!」


 ニコラスは首だけ振り返り。


「さあな。後悔のない人生を知らないものでね」


 ニコラスは歩き始めた。もう振り返ることはなかった。




 ***




『逃がしたぁ?』


 通話をスピーカーモードにして真っ先に飛び込んできたのはハウンドの呆れた声で、だんまりを決め込むニコラスは気まずくて仕方ない。

 その様を店長は苦笑し、医師はそら見たことかと呆れ、ジェーンはハラハラしながら見つめている。


「仕方ないだろ。相手はFBIだぞ。殺してでも連行、ってわけにはいかねえよ」


『違う。私が言ってるのは記者の方だ』


「あっちはもっとマズいだろ。一応あれでも民間人だぞ」


『馬鹿かお前。今までさんざん自分のの悪口書きまくってた外道にがすとかお人好しにもほどがあるぞ。ああいうのはな、裸にひん剥いて頭から生ごみの中にでも突っ込んどきゃいいんだよ。そうすりゃ鴉が尻からつついてあっという間に白骨だ』


 鴉にだって食いたくないものを選ぶ権利はあると思う。

 ともかくニコラスは今後の対応について尋ねた。


「で、どうする?」


『クロード呼んで。それから全住民に警告。作戦形態オペレーションタイプは『Dデルタ3』で。言えば伝わるから』


 アングロサクソン系でやや頭髪が後退気味の小太り中年、を思い浮かべたニコラスはすぐさま店長と目配せした。

 慣れた様子で連絡を取り始めた店長を横目に、ニコラスはさらに指示を仰ぐがハウンドは「あとはいい」と言う。


「それだけでいいのか?」


『FBIは特区で主だった活動はできないんだよ。特区は外国扱いだからね』


「そうなのか?」


『そ。特区の正式名称は〈ミシガン州特別経済自治区〉だろ? 文字通り自治区なんだよここ。政治、経済、法規制、その他もろもろ。ぜ~んぶ合衆国とは別物なの。連邦捜査局FBIの活動範囲は〈合衆国内〉のみ。合衆国憲法に縛られない特区に連中は手を出せない。ここ大使館みたいなのも無いしね』


「ならこいつ……クルト・バウマンか。なんで来たんだ?」


 ニコラスは捜査手帳から毅然とこちらを睨む顔写真の青年に目を落としながら答えた。


『そりゃ監視のためさ。FBIは特区設立の裏で五大マフィアが暗躍していたことに気付けなかった。特区設立から五年が経つけど、未だに世論からの風当たり厳しいもん。ゴシップ記者と組んでたのもそのせいかもね』


「俺たちもちゃんと仕事してますってアピールか。けど監視にしちゃ随分と積極的だったな、あのガキ」


『いちおう『六番目の統治者シックス・ルーラー』だからな~私。FBIにとっちゃ、五大マフィアの各当主を狙うより、私みたいな小娘の方が捕まえやすいと思ったのかもね』


 なるほど。理にかなってはいる。が、何か引っかかる。

 何がと問われれば返答に窮するが、何かが引っかかるのだ。後悔するぞと言われたことを、引きずっているのだろうか。


 すると、くすりと笑う声がした。


『何か気になる?』


 ニコラスは言い淀んだ。大したことないのに、ああだこうだと勘繰ってしまうのは自分の悪い癖だ。

 いくら戦場帰りとはいえ、当然の如く過剰防衛な言動を取ってしまう自分にはほとほと嫌気がさす。


 そうしてニコラスが口ごもっていると、ハウンドは苦笑した様だった。


『別に構わないよ。その警戒心があったからお前は生き残ったんだから。自重するのはいいけど否定することないんじゃない?』


 柔く微笑んだような声音に、おやおやと言わんばかりの医師と店長の生暖かい視線が気きまり悪い。

 頭を掻いたニコラスは取りあえず、と言った。


「住民には警告だけでいいんだな?」


『うん。まあ万が一に備えて住民に非常プランの確認だけしといてもいいかな。……あ、クロードに武器庫の点検よろしくって言っといて。そろそろ時期だわ』


「分かった」


『んじゃ、しばらく切るぞ~。たぶん夜まで出れないから、何かあったらメールにちょうだい』


 そう言うなり通話は途切れ、ニコラスは首を捻った。


「店長、今日アイツどこに行ってるんです?」


「あれ、聞いてないのかい?」


 きょとんと眼を丸くする老紳士の代わりに、医師が答えた。


「小娘が出向いてるのは特区の中心部にある一等区だよ。今日は月に一度の会合だからな」


「会合?」


「五大マフィアの各一家当主が出席する会合だよ。特区の支配者たちが顔を突き合わせる。ま、悪魔の集会のようなものさ」


「……ハウンドもそれに呼ばれるんですか」


「当然だろう。『六番目の統治者』はお飾りではないのだよ」


 ニコラスはハウンドの形の良い尻に悪魔の尻尾が生えているのを想像して一人頷いた。うん、確かによく似合ってる。

 成り行きとはいえ、つくづくとんでもない女に拾われてしまったものだ。


 本日七度目となる溜息をつこうとして、不意に目を落としたものにニコラスは完全に硬直した。


 しまった。何故気付かなかったのだろう。


「店長、警報と合わせて非常呼集も出せますか?」


「できるけど……どうしたんだい急に?」


「ハウンドに伝え損ねたことがあります。ともかく大至急クロードたちを召集してください。あと武器庫の位置は?」


「あ、ああ。こっちだよ」


「おいウェッブ、一人で勝手に突っ走るな。何があった?」


「この手帳だよ、先生」


 ニコラスは先ほど青年から奪い取った捜査手帳を手に取る。


「このガキ、FBIじゃない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る