2-3
眼下の光景に
一等区中心部、ゆうに百階を超える高層ビルの最上階が本日の会場だ。吹き抜けホール二階に陣取ったハウンドは、階下の光景に欠伸を噛み殺す。
十七世紀フランスを想起させるブルボン王朝風バロック建築の壮麗かつ絢爛な内装に、贅を尽くした調度品。そんな豪奢な空間で、格式高く着飾った男女が上品に笑いさざめく。おぞましい本性と欲をひた隠しして。
特権階級たる特区市民は、よくこうして呼ばれもしない五大会合を見物に来る。五大に取り入りたがる者や手下として召集された者もいるにはいるが、大抵の連中は暇つぶしだ。
顔ぶりは多種多様、裏社会の人間も多いが全体の七割は堅気の人間だ。あらゆる業界の経営者に実業家、議員、NPO法人代表、他国の要人、宗教関係者など。
表向きは立派な肩書を持つ人間が何食わぬ顔で特区に居並んでいる。
売春、麻薬、密輸、賭博、贈賄、人身売買、資金洗浄、殺人。五大マフィアという巨悪の名の元、合法化された暴悪と背徳に病みつきになった彼らは、自由と無法が同義と化したこの街で常に刺激に飢えている。
世間は、悪事を働く者を悪人と呼ぶが、悪人に手を貸し、そのおこぼれにあずかろうとする自称一般人は何と表現するのだろうか。
――もう少し話してもよかったかな。
ニコラスの存在をこの伏魔殿の住民に知られたくて早々に電話を切ったハウンドだったが、今はそのことを後悔していた。
早く27番地に帰りたい。早く家に帰ってあの無愛想で不器用な男と他愛もない話がしたい。
腹の探り合う必要もなく、打算も欺瞞もない無欲な兵士。いつも自嘲を絶やさぬ卑屈で悲観的な狙撃手。
顔を覚えてなくてよかった。
痛みを堪えるように目を細めたハウンドの横顔は苦くほの暗い。
もう『あの子』として会うことは叶わない。それでも『ヘルハウンド』であれば、まだ彼と一緒に居られる。
いずれ消え去る身としても、今は少しでも長く彼と居たい。
やっぱ帰ろうかと踵を返そうとした、その時。
「あれぇ? ヘルじゃない。こんなとこでなに黄昏てんの?」
軽薄な声にハウンドは即座に無表情の仮面を被る。ニコニコするのは27番地限定、それ以外の場所で表情筋を動かすのは面倒くさい。
振り返れば、案の定。
「なんだ、ヴァレーリ、ロバーチ」
「お堅いなぁ。家名じゃなくて、フィオって呼んでよ」
「この私を呼び捨てで呼ぶか。相変わらず不遜で結構なことだ」
二人の男が立っていた。
一人は細身、長身で女受け抜群の色男。もう一人は巨躯、屈強な肉体に冷厳な面持ちの偉丈夫。
二人の登場に階下がどよめく。特に女性陣からは甲高い歓声と溜息が聞こえた。
五大マフィア『ヴァレーリ一家』と『ロバーチ一家』の現当主にして、五家の中でも成長著しい《特区の双璧》と称される二人の若き首魁だ。
細身の男、シチリアンマフィアの『ヴァレーリ一家』当主、フィオリーノ・ヴァレーリは拗ねたように唇を尖らせた。
「ヘルってば全然俺のこと名前で呼んでくれないよね。俺、五大の中じゃ一番付き合い長いんだけど?」
「必要性を感じない」
「ええ~なんでよぉ。もっと仲良くしようよ~」
グダグダ文句を言いつつも、抱き着こうとする色男に辟易する。この男も面倒だが、階下から突き上げてくる女性陣の憎悪に近い嫉妬の眼差しはもっと億劫だ。
コンマ数秒の熟考の末、ハウンドは偉丈夫の背後に回り込むことにした。
「あ、なんでそっちにつくのさ」
「お前が鬱陶しいからだろう」
しごく面倒そうに返答した偉丈夫、ロシアンマフィアの『ロバーチ一家』当主、ルスラン・ロバーチは、興味深げに肩眉を上げて見下ろす。
「引きこもりのお前が自ら出向くとは珍しいな。どういう了見だ?」
「ヴァレーリんとこの側近が出てくれってせがんできた。出ないとボスが拗ねて面倒なんだと」
「なるほど」
愉快そうにくつくつと喉を鳴らす偉丈夫だが、口角はピクリとも動かない。目元が愉悦に歪むだけだ。
それに対し色男の方は実に表情豊かで、幼子のようにぷくっと頬を膨らませている。
「ちょっとロバーチ、いつの間にヘルと親密になったのよ?」
「ビジネスパートナーと談笑することに何か問題でも?」
「だってお前、ヘル以外の女に見向きもしないじゃん」
「色恋沙汰しか頭にない雌の相手はせん。金と時間の浪費だからな」
頭上で言い争いを始めた当主二人にハウンドは静かに溜息をついた。こんなのが世界最大の犯罪都市の頂点に座すうちの二人なのだから、特区という街はつくづくツイてない。
とはいえ、27番地は二人の領土のちょうど中間地点に位置している。すこぶる面倒ではあるが、ご近所付き合い上、避けては通れないのだ。
頭上で騒ぐ二人をよそに、スマートフォンのバイブが鳴る。二人に見られないよう画面を盗み見たハウンドは、ショートメールの送り主と内容に眉をひそめた。
「お、なになに? 誰から?」
覗き込もうとする色男の視線に画面を消して遮り、「定時連絡」とそっけなく言い放つ。けれど話はそこで終わらず、今度は偉丈夫が話しかけてきた。
「そういえば久々に相棒を雇ったそうだな、ヘルハウンド」
ハウンドは胸中で舌打ちした。
ニコラスのことは、一ヶ月前のジェーン救出の一件でヴァレーリの部下には見られたが、ロバーチの者には見られていないはずだ。これだから軍隊上がりのマフィアは油断ならない。
「えっ、ホント? マジ? ねえねえヘル、相棒雇ったの? 男と女どっち?」
「……お前の部下に聞いたらどうだ。彼のことならお前の側近が見てる」
「俺はヘルの口から聞きたいのっ。にしても男かー、ヤダなぁ」
「随分可愛がっていると聞いたぞ。しかも雇ってからもう二ヶ月も経つそうじゃないか」
「二ヶ月!? 嘘でしょそれもう囲ってるレベルじゃん! ねえヘルその男――」
「フィオリーノ、ルスラン」
切り裂くような口調に、二人はぴたりと口を閉ざす。
「会場、どこ」
「お、あからさまに話逸らしてきたねぇ」
「じゃあ帰るわ」
「えっウソウソごめん帰らないでー!」
「うるさい抱き着くな離れろ」
「茶番はその辺にしておけヴァレーリ。本気で逃げられるぞ。ヘルハウンド、こっちだ」
偉丈夫が先導し、ハウンドは色男に抱き着かれたままその後を追う。何やら色男が話しかけてくるが、思考は先ほどのショートメールのことだった。
送り主は、ニコラス。
ハウンドは思い切り悪態をつきたい気分だった。
このタイミングでFBIが出しゃばってくるのはおかしいと思ったが、やはり動いてきたか。
――
忌々しき墓荒らしの名に、黒妖犬の名をもつ少女は漆黒の双眸を眇める。
***
「USSA?」
素っ頓狂な住民らの問いに、ニコラスは頷く。非常呼集で急遽集結した、27番地の実働部隊たる数少ない壮年男性たちだ。うち数名、血気盛んな老人もいるが。
彼らを代表し、27番地住民のクロードが少ない頭髪を撫でながら尋ねた。
「USSAってあれか?
「ああ。United Stats Security Agency 、略して
「それは分かるけどよぉ。何だって急に……てかその手帳、FBIのなんじゃなかったのか?」
右手の手帳に視線が集中するが、ニコラスは首を振った。
「写真見てくれ。このクルト・バウマンって男、口元に黒子があるだろ? 俺が今日撃退した奴は泣き黒子だった。顔は写真そっくりだったがな」
「ってことは、偽物……?」
「恐らくな。さらに奴は自分のことを『我々』と言った。つまり、どこか組織の人間ってことだ。この特区に変装までして侵入する組織の連中、加えて外国扱いの特区で活動できるとなれば、USSAしかいない。連中の活動範囲は主に国外、しかもその目的は〈国益を守る〉ことだ。邪魔者とあれば他国の大統領でも失脚させるし、国益に適うと見なせばテロリストすら支援する」
「詳しいな」
「イラクじゃ随分と世話になったからな」
USSAはイラク戦争でも大いに暗躍し、ニコラスたち合衆国兵はUSSAからもたらされる情報を頼りに作戦を実行していったのだ。時おり間違った情報を掴まされたこともあったが。
「連中からすりゃ特区は金の卵だ。無法ゆえに莫大な富がこの街で生み落とされる。不況続きの合衆国にして見りゃ、喉から手が出るほど欲しいだろうよ。だが五大の全一家がUSSAに友好的なわけじゃない」
ハウンドが言うには、五大マフィアの各一家は親米派と反米派に二分しているのだという。もともと国外からきた犯罪組織ということもあり、皆がみな合衆国と仲良しというわけではないらしい。
「じゃあ27番地に来たのは、五大に擦り寄るため俺たちを利用しようって腹か?」
「利用だけならいいけどな」
「というと?」
「立地が良いんだよここ。国境沿いだから外部とのやり取りもしやすいし、ヴァレーリ領への関所があるから監視ポイントとしても有効だ。元デトロントなだけあって道路もデカいし港もある。おまけに住民のほとんどが強制排除しても問題ない棄民だ。橋頭保にするにはうってつけの場所だろ?」
ニコラスの発言に、クロードら住民の顔が憤慨と失望に歪む。
職を失い合衆国を追われた彼らにしてみれば、27番地はようやく辿り着いた安寧の地だ。激怒するのも無理はない。
「非常呼集したのはそういうわけだ。ハウンドからは
「しゃあねえな。そのUSSAとやらの企みは分からねえが、万が一に備えてやっとくか」
クロードを始め頷いたものは少数、大多数は疑わしげな目でこちらを見ている。こちらの発言の真偽を勘繰っているか、または
いずれにせよ、ハウンドの頼みと言ったのが功を成した。不承不承ながらも、住民は大人しく武器の点検を始めた。
にしても――。
「指揮所があるのは知ってたが、武器庫もあったんだな」
「おう! このカフェはもともと禁酒法時代の
「へえ」と嘆息したニコラスはカフェのカウンター裏の飾り棚――隠し扉の向こうの指揮所横に併設された武器庫――を感心しながら眺めた。
しかもその広さと量ときたら。
小銃、拳銃、短機関銃、散弾銃、グレネードランチャー。
それだけではない。手榴弾や信号弾、照明弾、重火器だとブローニングM2重機関銃、
イラク解放戦線の民兵すら度肝を抜く量である。しかもこの店だけではない。道路を振り返れば、あちこちのビルから武器を屋外に運び出しては整備する住民で舗道が埋め尽くされている。
街の至る所にこれほど多くの補給ポイントを仕込んでいるとは恐れ入る。絶対に攻め込みたくない。もし攻め込むなら全力で航空支援を要請する。
「これ今日中に終わるか?」
「うーん、夜通しぶっ続けでやって明日の午後に終わるってとこだな」
「ならまず小銃メインでやってくれ。次に機関銃と散弾銃、次にRPGと迫撃砲だ」
「ははあ。市街戦で使える武器から優先的に整備するってか。伊達にイラクで生き残ってないな」
ニヤッと笑ったクロードは住民に呼ばれるがまま外へ出ていった。と、そこに入れ違いで医師がやって来る。
「私は
「杞憂だと思いますけどね」
「人間の勘は馬鹿にならん。それが経験と知識によって裏付けをされたものなら尚更だ。私は君の忠告を信じよう。ま、そうならないことを祈っているがね」
「念のため住民の避難も呼びかけておいたよ、ニコラス。それともっと自信を持ちなさい。君は27番地でも数少ない実戦経験者なんだから」
医師の真摯な言葉と店長の柔和な笑みにほっとする。最近ハウンドや店長たちの温かさに慣れてしまったせいか、他人からの冷たい視線が堪える。少し鈍ったか。
気恥ずかしさに髪を掻き混ぜながら医師を見送ったニコラスは、外で作業する住民を眺める片手間、無作為にスマートフォンを手に取った。用も無いのにいじってしまうのは、現代人の性なのか。
画面を起動すると、ぽんと最新ニュースの通知が流れてきて。
「――は?」
記事の題目に目を疑う。
――FBI捜査官、特区27番地で消息を絶つ。五大マフィアによる拉致か?――
何だこれは。
と、次の瞬間。血相を変えたクロードが店内に飛び込んできた。
「全員逃げろ!!」
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