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〈西暦2013年7月18日午前11時 アメリカ合衆国北部ミシガン州 元デトロイト市街〉


 現職、代行屋『ブラックドッグ』の仕事は実に多岐にわたる。


「だからこれ壊れてないって」


「そんなことはないっ、突然電話が通じんくなったんだ! 全くバカ孫め、不良品なんぞ寄こしおって……!」


 そりゃ電池切れただけだろ。


 本日五度目となる溜息をついたニコラスは、依頼人の頑固老人、マクナイトから携帯電話を受け取る。カウンター裏にある充電器に差し込めば。


「……やっぱ電池切れじゃねえか」


「むむっ直ったのか!?」


「いやだから最初から壊れてないって」


「おお直ったか! 流石は元海兵隊、わしの後輩なだけはある。それに比べてあのバカ孫ときたら――」


 また始まった。うんざり顔を仏頂面の下に隠したニコラスは手元の請求書に一ドルと記入し、老人の手元に置いておく。

 これで本日の依頼五件目が完了だ。


「ジェーン、コーヒー出してやってくれ」


「はい!」


 意気揚々と厨房から出てきた愛らしい新人従業員の少女、ジェーンを見送り、今日も平和であることに感謝し欠伸を噛み殺す。


 ハウンドに拾われて二ヶ月。

 ニコラスは今や、代行屋の助手兼カフェ『BROWNIE』の店員として、今日のようにハウンド不在のあいだ店番を任されるようにまでなった――と言いたいところだが、ぶっちゃけ金になる仕事はハウンドが出張でやってしまう。


 今日のように。そのため自分が任される依頼は雑用ばかりだ。

 本日こなした四件にしても水道管工事にパラボラアンテナの設置、息子の婚活相談にトイレ修理まで。さらに今度は孫の愚痴である。


 特にベトナム帰還兵であるこの老人は自分を気にかけているらしく、こうして頼むまでもないことを依頼に持ってきては孫の愚痴を吐いていく、実にありがた迷惑な爺さんだ。

 こんなことなら、朝から出張依頼で出かけたハウンドについて行くべきだったか。


 リン、と鈴が鳴る。

 これ幸いとばかりに老人を店長マスターに押し付け、ニコラスは席を立った。


「なんだ、先生か」


「なんだとはなんだね。店の売り上げに貢献しにやってきたんだぞ」


 尖った言葉と裏腹に愉快そうに笑ったのは、27番地で唯一の医師ことジル・アンドレイだ。

 薄茶の髪に青い瞳、鷲鼻に眼鏡をかけた相貌は気難しく見えるが、それなりに冗談も口にするし腕も立つ。


「しかしまあ君、まだ代行屋の助手やってたのか。物好きなものだ。あの小娘の手伝いをするぐらいなら、ラーテルを相手にダンスを踊った方が百倍マシな気がするが」


 毒舌なのがたまに瑕ではある。ちなみにラーテルとはサバンナ最恐といわれる猛獣だ。


「それなりによくしてもらってますよ。で、先生は何をしにここへ?」


「それを私に聞くかね? 君、今日が何の日か忘れたのか?」


「……あ」


 しまった。今日は週に一度の診察の日だった。ものの見事にすっぽがしてしまった。さらに思い返してみれば、先週の分もすっぽがしている。


「ま、その調子だと問題なさそうだな。顔色もいいし隈も薄くなった。健康な食事と睡眠がとれている証拠だ。――取りあえず二週間分の睡眠導入剤と精神安定剤だ。用量を必ず守ること。そうでなくとも君は使用制限ギリギリを飲んでいるからな。これ以上増やすと一晩の眠りが永遠の眠りにとって代わるぞ」


「気を付けます」


「うむ。素直でよろしい。では来週また診察に来なさい」


「……まだ、駄目ですか」


「いちおう君は戦傷後遺症だからな。今はまだ睡眠障害と薬物の過剰摂取オーバードーズで済んでいるが、麻薬や酒に手を出すと手が付けられなくなる。油断は禁物だぞ。それにまだ悪夢も見るんだろう?」


「ええ、まあ。三日に一度ぐらいにまで、頻度は下がりましたが」


「だったらまだ来なさい。睡眠は人間の三大欲求の一つだ。それを阻害されれば、どんな屈強な男も気が滅入る。何も恥じることはないし、構える必要もない。ちょっと医療に詳しい友人に会いに行くものだと思って、気軽に尋ねてくるといい」


 ニコラスは視線をずらし、小声で「ありがとうございます」と言った。こちらの心情を察した上の助言が、だいぶ気まずかった。

 この期に及んで『弱い男』と見られたくないと駄々をこねているのを、窘められた気がした。とうの昔に負け犬の癖に。


「で、生活の方はどうかね。あの小娘とは上手くやってるのか?」


「まあ、たぶん」


「たぶん?」


「その……反応に困る時があって。今朝もそうだったんですが――」


 そう、今朝のこと。起床し、いつものトレーニングとストレッチを行い、シャワーを浴びて出てきた時だった。


 自分の着替えの上に、アヒルが乗っていた。それも、タオルでできた。


 調べてみたところ、タオルアートとかいうやつらしく、無駄に精巧にできているうえ、顔がこっちを向いているのが、ちょっと腹立たしい。


 とはいえ、タオルはタオルなので問答無用で解いてそのまま使い、リビングに戻ると――今度はソファーの上にアヒルが鎮座していた。毛布でできた、三回りほど巨大なアヒルだった。


 それだけではない。部屋中の布という布がアヒルに姿を変え、ニコラスの方を凝視していたのである。


「って感じで、ちょくちょく寝起きに悪戯しかけてくるんですよ。どう応じるのが正解なんかと」


「ふっ……それで、どうしたのかね?」


「いや。普通に解いて畳みましたけど……」


 そう言うと、医師は笑いを堪えるのを早々に諦め、腹を抱えて爆笑した。なぜだ。解せぬ。


「いや、失敬。君が真顔でアヒルと見つめ合っていたシーンを想像するとね……くく。ともかく、気に入られているようで何よりだよ、26代目くん」


「26、何です?」


「26代目だよ。そのおてんば娘の相棒のね」


 一瞬考え。


「え、アイツそんなに相棒とっかえひっかえしてたんですか」


「そうとも。あの小娘の男の偏食ぶりは相当なものでな。大抵は小娘が追い出すか、男の方が耐えられなくなるかで一週間ともったことがない。ただ顔は良いから言い寄る男は数多なんだがね。過去の最長記録は……どのくらいだったかね?」


「一ヶ月ですね。それに、彼女が自ら相棒にすると宣言したのはニコラスだけですよ」


 老人を見送った店長が医師の疑問に答えると、医師は「ほう」と含み笑いをした。


「というわけだ。期待の新人ルーキー君、是非とも頑張りたまえ」


「はあ……」


 気に入られた、ということなのだろうか。正直まったく心当たりがない。

 金なし、職なし、家なしの傷痍軍人。おまけに片足で、過去に問題も起こした(冤罪だが)訳アリだ。拾って飼うにしてもマシな男は大勢いただろうに。


――ああでも、あの子のために金貯めてるっつったら嬉しそうだったな。


 いつだったか。ハウンドから給料を受け取った際に「何に金を使う」と聞かれ、例の子供への仕送りと答えると、ハウンドは驚き軽口を叩いたものの嬉しそうに笑った。

 珍しくいつもの胡散臭い笑みではなく、本気の笑顔だった、と思う。だからか、やけに印象に残っている。


 だとすれば、女気もないのに所帯じみたところが受けたのだろうか。

 なるほど、よく分からん。


 乱雑に頭を掻いたところでまた鈴が鳴る。平日のわりに客が多いなと思いつつ振り返ると。


 閃光。


 反射的に手を伸ばし、閃光の光源らしき物体を鷲掴み、持ち上げると驚いた声が上がった。


「ちょっと君! それ俺の商売道具!」


「だからいきなり撮るのはまずいって言ったじゃないですかっ。すみません、あの写真消しますんで返してもらっていいですか……」


 ニコラスが鷲掴んでいたのはカメラ。立っていたのは、冴えない中年カメラマン風情の男と、泣き黒子が特徴的な20代の青年だった。


 当然、面識はないし、確実に客ではない。けれど、この手の非常識な行為を働く輩に経験があるニコラスの顔は自然と険しくなった。


「ちょっと俺のカメラ返せよ! 万が一壊したりしたら公務執行妨害で訴えるぞ――」


「会社は」


「は?」


「社名を言え。テメエらどこの新聞社だ? それともゴシップ誌か週刊誌かなんかか」


 ドスの利いた声ですごむと、中年が目に見えて怯んだ。そこに助手らしき青年が割って入る。青年は視線を左右に走らせながら言い訳を並べ立てた。


「大変失礼しました。私たちは『ニュー・ウィーク』の記者です。現在、『ティクリート暴行事件』に関する真相の調査を――」


「待った、待った! ちょっとタンマ!」


 中年は慌てて若者の首根っこを引っ掴み、どたばたと玄関脇へ退散したかと思えば、ごにょごにょと話し始めた。


「(なんですか急に)」


「(馬鹿かお前、なんで正直に言うんだっ。ここは世間話とかなんとか話を振ってそれとなーく本題に入るのがセオリーなんだよ)」


「(ならなんでいきなり写真撮ったんですか。警戒されるに決まってるでしょう)」


 こいつら内緒話してる自覚あんのか。丸聞こえである。


 ニコラスは本日六度目となる溜息をつくと、カウンターへ戻った。


「店長、コーヒーを二つテイクアウトで。少し裏口の方で話してきます。そう長く時間は取りませんから」


「それはいいが……大丈夫かい? さっき『ティクリート暴行事件』って……」


「こいつは驚いたな。まだあの事件を漁るハイエナがいたのか」


 店長は不安と気遣いを混ぜこぜにした顔を向け、医師は露骨に嫌そうに舌打ちした。


 冤罪の元凶たる国連が公式に謝罪しようと、合衆国政府が遺族の賠償請求に応じようと、あの事件が実際にあったと信じる陰謀論好きは後を絶たない。この記者たちのように。


「……ああいう手合いのは慣れてますから。すぐ戻ります」


「うん。気を付けてね」


「店長、コーヒーを思いっきり熱く淹れてやれ。ムカつくことを言われたら、連中の頭にぶっかけて追い払えるようにな。人の不幸に味を占めたハエどもには丁度いい仕置きだ」


 医師の物騒極まりない助言に、温和な店長まで「おお、その手があった」とばかりに手を打った。きっと明日は雪が降るに違いない。ニコラスは思わず吹き出した。


 本当に、27番地ここはいつも自分に温かい。


「ありがとな先生、店長。適当にあしらって追い返してくる」


 少し気にかかることもあるしな。

 内心そう呟き、ニコラスは招かれざる客を振り返った。

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