031 殺意、微笑

 怒号と共に振り下ろされた一閃は、ライラの姿を捉えることなく空を切る。

 軽い身のこなしで迫り来る剣撃を躱し続ける幼い表情は、まるで恋バナを楽しむ乙女のようにニヤついていた。

 


「―――」


「必死だねー。少しぐらい冷静になってみれば?」



 ひたっと胸当てに手のひらがあてられる。

 剣撃を、いとも容易く掻い潜られ苦渋を浮かべるブロンドの騎士ミュリエルは、奥歯を強く噛み締めて剣を振り払う。

 瞬間、



「だから、冷静になんないと勝負にならないって」



 気がつくと、ミュリエルは背中に強い痛みを感じていた。

 視界が変だ。なぜ私は、彼女を見上げているのだ?

 血生臭い風が肌を撫でた。胸元が涼しい。何が――起きたのだ?



「守りに長けた騎士って聞いてたけど、ま、こんなもんかねー。所詮はお遊びの範疇だったわけだ」



 両手を頭の後ろで組んで、飄々と見下してくるライラ。

 己を侮辱され、言い返そうと声を張ろうとも、うまく声がでない。

 ならば斬り殺してやろうと足腰に力を入れるも、ピクリとも動かない。



 それはまるで、蛇に射られた蛙のごとく、目前の少女に竦められているかのように。

 見下ろす桃色の少女を固定され、瞬きすらできないミュリエルは、体の奥底で冷たいものを感じた。



「やっぱり埒外なのはユウリさんと親父さんだけかー。すこし期待してたんだけどな。ユウリさん、結構警戒してたからさ」



 影が蠢く。

 足元の影から這い上がってくる筒状の長いそれが、背後から襲ってきた騎士に向けられ――轟音とともに何かが炸裂した。


 

 ミスリルで誂えた騎士甲冑をまとう屈強な男の胸元に頭一個分ほどの穴が開き、さらに後方の騎士をも巻き込んでそれは炎を撒き散らした。



 一瞬にして火の海と化す戦場。

 人間を薪に勢いを広げる焔を背に、滔々とうとうと少女は破顔した。



「あながち間違いじゃなかったんだよ。ユウリさんの代わりに、私が親父さんを殺しても良かったんだ」


「……ッ」


「ただ、さすがに空気はよむよ。わたしに与えられた命令は、ボスを支えることだから。――知ってるかな、ミュリエルちゃん。女の役割ってヤツ」



 そこに、先までの感情はどこにもなかった。

 不感症に侵されたかのように、あるいは黒く満遍なく塗りつぶされた白紙のように。

 鉄のような女と揶揄されたミュリエルですら、浅瀬の域を出ていないことを痛感した。



 本当の無とは、この女のことを指すのだと。

 ミュリエルは、少女のかおをみて怖気が走った。



「それは、彼のコンディション管理。生存率を上げるために、心も体も命もすべて使って、生き残らせる。勝ち負けはどうでもいい。そんなもの、男同士の意地だから。女というものは、ただそばで、生きてさえいてくれればそれでいいんだ」



 誰にでもなく、己自身に向けた言葉なのかもわからない。

 ただ、水面を震わすがごとく流麗な声音で囁きつづける少女の遠い後ろで、この世の終わりにも似た断末魔光景をみた。



「――ま、そんなことあなたに言ったってしょうがないか。どうせ死ぬんだし☆」



 パチリと、片目を閉じて。

 小悪魔のようなかわいらしさで人差し指を立てる少女は、次の瞬間、膝を抱えるように抱き上げて、蹴りを――




「――ふふ、ふふふっ。もう少しコソコソ暗躍していたかったのですが……ヒトの話をちっとも聞きやしません」




 窓ガラスを打ち破って、屋敷から黒い影が舞い降りた。

 赤く熱い戦場に似つかない、雪のような白をさらりと振るわせて。 

 ウエディングドレスを宵闇に浸して染めたかのような風姿の淑女が、バックステップを踏む。



 間髪入れず、寸前までモノクロの淑女が立っていた場所へ、疾風と化した女が剣を突き立てていた。



「小馬鹿にしやがって……! いつもいつも、おまえの手のひらで踊るとは思うなよ」


「まあ。いつもいつも裏方に徹していたつもりはないのですけど」


「おにいがギャングを乗っ取ったのも、成長させたのも金を回らせたのも、全部おまえが仕組んだことだろ。おにいすらも操って、それで婚約者姉貴面するなッ」



 姿勢を低く構えた女――純白の戦衣を身にまとうアリシアが、凄まじい速度で淑女へ肉薄する。



 下から斜めに跳ね上がる刃。

 後ろへ逃げるより早く、アリシアの剣が絹を切り肉を断つ――かと思われた刹那、天使すらも仰反のけぞる微笑をたたえた淑女は、言った。



「あら、露呈してしまいますわよ。本当はお兄様のこと、好きで好きでたまらないってことが」



 回避不可能と思われた剣撃は、届かない。

 突如として現れた黒装束の男が、淑女を抱きかかえるようにして飛び退った。



「……ッ!?」


「お兄様に首輪を嵌められ、その実雌犬のように尻尾を掃いていらしたのに……ふふ。ユウリ様のお部屋に向かわせたのも、かわいい義妹いもうとを想ってのこと。感謝は入りませんが、被るならしっかりと獅子を被りなさいませ」



「そうでないと、甘えたがりの猫さんが、今みたいに飛び出してしまいますよ?」。地にヒールを着けた淑女――白髪を掻き上げたマグノリアは、嗤う。「しかし、素を知っている身からすると、どちらもかわいらしいものですが」



 わなわなと怒りに打ち震えるアリシアが、目を大きく見開いて地を蹴った。



「……アンタだけは、絶対にここで斃す。おにいの眼前に、二度とそのツラは出させない」


「ええ。お手を取っていただけます? こう見えて、踊りは得意な方でして」



 薄く目を細めたマグノリアの眼前で、火花が散る。

 アリシアの剣と、黒装束の男が切り結び、両者一歩も譲らずせめぎ合う。

 



 突如として乱入してきた異質な者たちに呆気を取られ、魅入る二人。

 先に自我を取り戻したのは、ブロンドの騎士だった。



 何らかの術が解けたのか、体は自由に動く感覚があった。

 なればこそ、今が勝機――少女の首筋へと、剣が鈍く光った。



「騎士が不意打ちですか。まあ、好きですよ。これは御前の仕合ではないのですからね」


「な……ッ」



 剣は、割り込んできた二本の指で阻まれていた。

 挟み込まれるようにして掴まれた剣は、ピクリとも動かない。

 視線をミュリエルに向けたライラ。

 警鐘を鳴らす本能に従って、剣を捨て少女から逃げるように距離をとった。

 


 それが正解だったのかはわからない。

 ただ、これで振り出しに戻ったのは事実。

 転がっていた剣を拾い、正眼に構える。

 と、そこへ背後に気配を感じて、わずかに顔を向けた。



「アリシア様……お怪我はありませんか?」


「そっちのほうが身なり酷いよ。ほぼ下着じゃん」


「……」



 あえて見ず、気づかないようにしていたことを、アリシアは遠慮なしに言ってきた。

 


「……ここは戦場です。生きるか死ぬか、身なりを気にしている暇はありません」


「死ぬにしても勝つにしても、身なりが整ってないと格好がつかないよ」


「アリシア様は、勝利よりも格好が大事だと?」


「女の子だからね。見てくれは大事でしょ。まあ、ボロボロになって興奮する性癖を持ってるならべつだけど」


「殊勝なへきなど、私には勿体ない。この身はただ、騎士として生きられればそれでいいのです。それ以外は不要」


 

 互いに互いの標的を視界にとらえながら、二人は軽口を叩き合う。

 


「ふぅん……ありなんじゃない? そういう生き方もカッコいいとおもうよ」


「恐縮です。――ところでアリシア様、援護は必要ですか?」



 皮肉めいた口調に、アリシアは鼻で笑いかえす。



「このアリシア・ユースティスが援護を必要としたことなんて、ただの一度もあったかな?」


「そうでしたね。あなたはいつも、剣一本でねじ伏せてきた。当主様のように」


「おにいには負けたけどね」


「これから挽回すればよろしいかと」


「それもそうだ」



 懐かしい感覚だった。

 昔はよく、姉妹のようにこうやっておしゃべりを交わしていたというのに。

 会話のタネはいつも一人の男の話で。

 恋敵でもあり、親友でもあり、良き理解者でもあった。



 だがそれは、大人になるにつれて育まれ肥大化した欲に阻まれて、いつしか気軽な会話すらなくなっていた。



 それがまさか、このような形で再び軽口を叩きあえるとは。

 奇しくも、あの時のように、一人の男が中心になっているのは、何かの皮肉か。あるいは運命なのか。



「ふふ。そろそろお口をお閉じになっていただけます? 興味のない話ほど、苦痛なものはありませんの」


「ほらミュリちゃんおいでー、きみの相手はわたしだよー?」



 悠然と左右から近づいてくる、歪なほど愉悦に釣り上がった破顔一笑。

 ここが、戦火に覆われた戦場でなく、煌びやかに光をさんざめくシャンデリアの下ならば、あるいは壮大に咲き誇るバラ園であったならば、どれだけ美しい微笑だったろうか。



 地獄の様相を背景に歩みよる二つの影は、一糸まとわぬ純然たる殺意を瞳に、足を止める。



「ごきげんよう、朧。すこし、おんなの顔になられましたか?」



 マグノリアの微笑を湛えた問いかけに、桃色の少女は表情を殺した。



「お戯れを。主様の身を案じておりました次第です」


「嘘ばっかり。ユウリ様を独占して楽しんでいましたね?」


「そんなことはございません」


「本当でしょうか。まあ、その話はあとでゆっくりお聞かせください」



 異様な雰囲気を発する二人の視線が、それぞれの敵を捕捉する。

 


「蒼炎」


「――ここに」



 いつの間にか消え、いつの間にか現れた黒装束の男が、膝をついてマグノリアの背後に現れた。



「可能なら生きて捕縛してください。殺してしまっても構いませんが」


「御意」



 立ち上がった黒装束の男が、マグノリアの前に立つ。

 不穏な男だった。そこにいるのに、いないような感覚。

 気配が曖昧で、かつ視界から得られる相手の情報が『黒い装束の男』のみ。

 意識を集中させていないと、視界から霞のように消えていってしまいそうな不安定さがあった。



 厄介なスキルだと、アリシアは唇を噛む。

 マグノリア本人に戦闘能力は皆無だ。一騎打ちタイマンなら、アリシアが負けることはほぼない。

 だというのに、ここまで決定打どころか傷ひとつ負わせられなかったのは、あの男の存在に他ならない。

 


 どこにいるのかわからない。視界から外せば見失ってしまう。そして、そんな男がいたことすら次の瞬間には忘れてしまう。

 こうして対峙し続けていなければ、男を認識するどころか記憶のカケラすらも己を欺く。



「――アリシア様」


「……なに?」



 背後の声に、視線は逸らさず訊き返す。

 声の主は、遠いあの時に巻き戻ったかのように、穏やかな声音だった。



「ご武運を。――この戦が終わればまた、あの時のように語らいましょう」


「……」



 なんか、臣下のクセに生意気。

 胸の奥で温かく染み渡る熱に、自然と表情を綻ばせたアリシアは、かつて姉のように慕っていた彼女へ、言った。



「じゃあ、とっととバカおにいの奇行を止めないとね」


「――はい」



 そして二人は、ほぼ同時に地を蹴って、各々の標的へ駆ける。

 



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