032 臥滅流

 激戦化するユースティス公爵の敷地内。

 至るところで熾烈な戦いが繰り広げられ、その激しさで公領が覆われているというのに。

 この場所は、とても静謐だった。一種の神聖さすら感じる。

 


「―――」



 修練場に足を踏み入れた俺は、ユリウス・ユースティスを両眼で捉えた。



 いつもとなんら変わらない愛染の胴着に、無造作に伸ばされた長い髪。鍛え上げられたムダのない肉体は、剣を振ることのみを追求して削ぎ落とされている。



 剣士の理想像、一つの到達点。極地。

 親父を表す言葉ならいくつも出てきそうだが、どれも的を射ている。

 彼ほど、剣にのめり込んだ男はそういない。

 

 

 だから、だろうか。

 親父が右手に握る剣を見た時、違和感を拭えなかった。



 それは、十字を模した黒い剣。

 一見細身だが、ツヴァイヘンダーと呼ばれる剣に部類される大きさで、二メートル近い親父の身長とほぼ同等の長さを誇る。

 重量も相当なもののはずだろうに、親父は意に介さず、肩に担いでいた。



 それは別にいい。

 問題なのは、明らかに親父の肉体が、その黒剣を振るうのに適した体格ではないことだ。



「―――」



 とはいえ、そんな心配など不要だろう。今は考えなくてもいい。

 この高ぶる気持ちをそのままに、俺は剣を振るえばいい。

 ただ、それだけだ。

 互いに無言。視線だけはヤツから離さず、足を前に動かした。



 明確な殺意と闘気をもって近づく息子を、いったい親父の目にはどういう風に映っているのだろうか。

 


 質のいい経験値か。それとも血を分けた家族としてか。

 どちらにせよこの戦いの結末は血生臭く、ハッピーエンドなんてありえない。

 どうきれいに取り繕ったところで、これは子が親を殺して奪う物語ストーリーなのだから。



 互いの距離が、五メートルを切る。

 既に間合の中。

 相手が格下の雑魚ならば、この距離で息を吐くように斬り伏せられる。

 両者ともに必殺の間合。

 だが、動かない。

 まだ、動かない。



「―――」



 そして親父と向き合い、側を通り過ぎたその刹那――――振り返り様に互いの得物が交差した。



「この瞬間を、俺は待ち望んでいた。あの日から、あの時から……おまえがシュリエの腹から生まれた瞬間から、俺は待ち侘びていたぞ」


「シュリエ……? 誰だよその女。母さんの名は、アリエルだぞ」



 十字を模した黒剣が、轟く。

 黒い稲妻のように剣閃が、俺の剣閃を相殺し周囲の床を剥ぎ飛ばした。



 剣と剣が打ち合うたびに地が荒れ、都合五つの鍔迫り合いで修練場は跡形もなく消し飛び、十を越えたあたりで暗雲の下に立つ。

 


 血生臭く生暖かい風が、前髪をかき分けた。むせ返りそうなこの匂いこそ、戦場を戦場たらしめる要因のような気がしてならない。



「アリエルは、実を言うとおまえの母ではない。母代わりの女であって、生みの親ではないんだよ」


「……動揺をさそってんのか?」


「そのような無粋を俺が犯すものか。ただ思い出しただけだよ。おまえの剣は、昔からシュリエを思い出させる」



 この最終決戦の場で、相応しいといえば相応しい内容だった。

 俺が認識していた母が母ではなく、他にいるということ。それ自体、貴族なんかではよくある話で。

 俺の剣技は、癖はそのシュリエたるおんなに似ていると。

 なんだか、あれだな。



「女々しいんだよ、おまえ。救世主フシェーダルに縋ったかと思えば、今度は女かッ」



 下から上へ、跳ね上がる刃が黒剣を真上に弾いた。

 この刹那を、逃しはしない。



「臥滅流・赤炎ノ型――破蛇ハジャ



 一歩まえへ、親父との距離をさらに詰めて刀を振り下ろす。

 頭部から股下まで、一刀の元に両断するために、気勢を爆ぜさせた。



「白露ノ型――」



 しかし、仰け反った姿勢のまま、親父の体がその場から消える。

 空を切り、踏み込んだ足下が蜘蛛の巣場に割れた次の瞬間――



「男が女を想うことの何が悪い、息子よ」


「ッ、ぐぅ――ッ!!」

 


 いつの間にか、真横に立っていた親父の足蹴が腹部に突き刺さる。



樹鎧ジュガイか。そういえば、おまえは苦手だったよな。防御の型は」



 厳しく指導するように、黒剣が振り下ろされる。

 全身の筋肉を引き締め、刀を剣との間に滑り込ませ、その強烈な一撃を耐え凌ぐ。



 黒堅ノ型・樹鎧ジュガイ――臥滅ふめつ流にある三つの型のうち、より防御に特化した型の術技。



 地面が割れ、下半身の骨が軋む。

 重力が俺を押し潰さんとばかりに膨れ上がっているかのようで、噛み締めた奥歯が砕けた。

 樹鎧を使っていないければ、今頃死んでいる。



「さあ、反撃してみろよ。防御に徹していては、この俺を殺せんぞ」


「……る、せぇよ、こっからだろクソ親父――ッ」



 再度、黒剣を振り上げた隙に呼吸を整え、刹那、振り下ろされた剣撃の軌道を逸らす。

 地面を抉る黒剣。刃が反転し、袈裟からうねるも、そこに俺はいない。

 


「らぁぁぁッ!!」



 そして振り出しに戻り、剣戟が響き渡る。



「俺の想像通り、いやその倍は強い。再三と言わせれくれよ――おまえは優秀だ、よく成りおおせたな。俺の目に狂いはなかった」


「そうかよ」



 親父は、黒剣の重量など感じさせない、軽やかな運足フットワークで俺を翻弄し、並外れた剣撃を浴びせた。

 防御が意味をなしていなかった。

 刀を通じて、凄絶な破壊力がそのまま俺の体を駆け抜ける。しかし――

 


「か、はッ――あぁ、素敵だ。子に乗り越えられるというのもまた、一興かもしれんな。だが」



 ――それは相手も同様で。

 互いに愉悦を浮かべ、技を競う。



「俺にはまだ、成すべきことがある。おまえにもあるのだろう? 譲る気はないのだろう? ならば結構、殺して奪うのみ――」



 空気が冷たくなる。

 比喩ではなく、間違いなく周囲の温度が数度下がった。

 目を細めた親父が、黒剣をす。



 ――来る。



 感じたその刹那に、親父の姿は掻き消えた。

 刹那、



「臥滅流・赤炎ノ型――破蛇」



 視覚外からあらわれた親父の、この世全ての暴力を体現したかのような一撃が振り下ろされた。

 完全なる不意打ち。

 視覚外からの、一撃必殺。

 だが、問題ない。予測の範疇だ。



「臥滅流・赤炎ノ型――戟虎ゲッコォッ!!」



 振り下ろされるよりも速く、俺の体が技を繰り出し相殺させた。

 眉間を寄せる親父。

 今のは、予測外だったろ?

 逆の立場なら、俺だって疑問に思う。



 結果をねじ曲げ新しい結果を上書きした――そんな出鱈目、推察できるワケがない。



 【我が栄光の光よ、シャンス・巡れ廻れレジュルタ】。

 必勝の後出しジャンケン。

 望んだ結果を自由に手繰り寄せられる――ここからは、遠慮なく願わせてもらう使わせてもらうぞ。

 


「精々抵抗しろよ。俺の勝利は揺るがない」



 

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