028 兄ならば、故に

 鬼毛迫る猛攻が嵐のごとく咽び泣き、鋭い細剣レイピアが髪を散らす。

 紙一重。

 目で追うことすらできない高速の刺突に、独特な歩法による距離感、そしてそれら余すことなく底上げする闘気と殺意が混沌の様相を呈しているようで、うまく噛み合っていた。

 


 強い――こいつは、これほどまでに強かったのか。

 脇腹を通り過ぎたかと思えば首を、コンマのうちに眼球へ剣先が切り替わる。



「――はは」


「何がおかしい?」


「いや、アリシアも強かったが、おまえはまた別次元だな」



 アリシアは、天賦に恵まれた肉体フィジカルを全面にゴリ押ししてくるタイプだった。

 己の才能に甘んじることはなく、努力を積み重ねて、掴み取ったスキル【剣豪】に恥じないスペックを持っている。



 一方でヨシュアこいつは、恵まれた肉体、才能に加えて圧倒的なまでの努力で剣を磨いている。

 アリシアの数倍、俺の倍は剣を振るっているのだろう。努力の血生臭さが垣間見える。



 そして何よりも、アリシアにはない己の覇道のためならば殺戮すら許容する、意志の波濤。

 


 こうして剣を重ねているだけでわかる。

 ヨシュアは、優秀な基本スペックの上で努力を惜しまず、願望を成就させるために本気になれる男だ。



「ああ、実に俺好みだよ。さすがは弟と言ったところか。その願望がどうであれ、おまえのり方は気に入った。

 ――悪かったな。兄のくせに、おまえら兄弟のことをまったく視ていなかった」



 うねり、咆哮を上げるドラゴンの突進にも似た一撃が、俺の顔面目掛けて放たれた。

 危うく右耳が吹っ飛ぶところだった。

 背後で特大の悲鳴と破砕音が地響きのごとく轟いた。


 

「だから愚兄と呼んでいるのだ。俺たち兄妹など存在しないかのように、視界の隅にすら入れない。己が一番だと信じてやまないその傲慢さが、おまえを殺すんだよ」


「否定はしねえよ」



 射殺すようにめつけるヨシュアの視線を真っ向から返して、嗤う。

 目元にシワがより、キツく釣り上がっている。加えて剣を握りしめ、怒りにワナワナ震えている姿はまさに鬼。

 剣に狂う鬼のようだった。



「そう怖い顔するなよ。俺だって多少なりとも後悔しているんだ。おまえたちとももっと、話をするべきだって」


「口を閉じろ下衆。実の妹に発情するような畜生ごときが俺と会話だと? 甚だしいことこの上ない。分を弁えろ」



 痛いところを突かれたが、なぜバレた?

 まさか視線だけでわかるとでも?



「おまえもわかるだろ、ユースティス家うちにまともな女がいないってことが」


「会話する気はないと言ったはずだ……ッ」


「比較的かわいい部類に入るミュリエルだってあいつ、無愛想で剣に処女捧げたような女だろ? ぜんぜん興奮しねえ。それに加えてアリシアは、男との距離感も近いし無防備だ。妹とはいえ惚れちまうだろ」


「黙れと言ってるんだ……ッ!! そんな話、誰に需要がある、気持ち悪いんだよ死ねッ!!」



 下から弧を描くように突きが顔面を狙って空を穿つ。

 また速くなった。

 まだまだギアは上がるようだ。



「そういうなよ。積もる話があるだろ? 思えば、こうして話すのも初めてじゃないか」



 物心つく前から、俺は剣を振るっていた。

 親父は剣以外のことは何も教えてくれなかった。だから、俺に兄妹がいたことも最初は、知らなかった。

 


「初めて会ったのは、六年前か。急に仕合をしてみろって木剣渡されて……それがおまえとの初邂逅だった」


「……そんなこと、おぼえていない」


「そりゃあ残念だ。俺はしっかりおぼえてるぜ? なんたって、年下のガキに攻めて責められて、危うく負けそうになったんだからな。怖かったぜ。でもうれしかった」


「……」


「親父に似た剣筋だった。だからすぐにわかったよ。直感的に、おまえは俺の弟なんだって」



 剣筋が、わずかに衰えるどころか、そのキレが増した。

 おいおい、どこまで跳ね上がるんだよ。

 笑みが溢れる。細剣の一撃を撫でるように刀で捌いた。



「その次にアリシアが来た。バケモノ染みた強さのおまえらを引き剥がそうと、俺も躍起になって剣を振った。

 まあその結果、一番大事なことに気付くのが遅れちまった」


「……大事な、ことだと?」



 震えた唇で訊き返すヨシュア。

 怒りを通り越して、全身を震わせているようだった。

 憤怒想いを糧にスペックの底上げを図る【剣鬼】の、限界が垣間見える。



「兄として一番大事なことだ」



 瞬間、そこで初めて俺は、攻勢に転じた。

 守りに徹するのではなく、攻める。

 かわいい弟が頑張りを見せたのだ。

 ここからは、のターン。



弟妹ていまいが間違えを犯したならば、兄がそれを正してやらなければならない」


「ぐ、ぅッ!?」


「むかしを思い出せよ。純粋な気持ちで剣をれ。醜悪な欲望が見えみえだぞ、ヨシュア」



 細剣の突きに合わせて一歩踏み込み、間合の内に入り込んだ俺は、硬く握りしめた拳でヨシュアの頬を打った。

 ついで、流れるように裏拳を叩き込み、眼鏡ごと鼻を粉砕する。



「まあ、あんな環境じゃしょうがねえか? 女に狂っちまうのもよくわかる。男にとっては、歪な環境だよな。性欲とは切っても切り離せねえ」


「ふ、ふざ、ふざけたこと……抜かしてんじゃ――ッ!?」



 鼻血を撒き散らして膝を折るヨシュアに回し蹴り。

 数メートル先で仰臥ぎょうがする弟の首に刀を這わせて、笑う。



「俺の勝ちだ。たのしかったぜ。かわいい弟の成長が見れて、満足だ」


「……」



 たったの三撃。しかも剣ではなく拳と蹴りによる打撃で満身創痍となったヨシュアは、怒りを滲ませるどころかピクピクと頬を痙攣させて、笑った。



「……ほんと、あんたは埒外だ。どれだけ努力しても、目の前が霞んでた。あんたの背中が、俺の行手をいつも阻んでた」


「そんなに評価してくれてたのか?」


「剣技だけは……ああ、本物だよ。飄々とした態度も、カッコつけたがりなところも、周囲に興味をもたないくせに性欲には忠実なところとかは、大っ嫌いだが」


「ほぼ全否定じゃねえか」



 首から刀を戻して、鞘に納める。

 痛みに呻きながら、なんとか起きあがろうとするヨシュアに手を差し出して、訊いた。



「俺たち、やり直せるか?」


「……僕はおまえの女か」



 手をとって、よろよろと立ち上がるヨシュア。



「女で思い出したけど、おまえシャロの婚約者なんだっけ?」


「……それに関しては僕も訊きたい。なぜ彼女を攫った? 僕への嫌がらせか? それ以外に検討もつかん」


「あー、それな」



 忌々しく俺を睨みつけるヨシュア。

 考えてみれば、弟の女を奪って奴隷にするとか、正気の沙汰じゃねえ。

 自嘲気味に笑いながら、かつ真剣味をおびた声音で宣ってやる。



「惚れたからに決まってんだろ。シャロは誰にも渡さねえぞ?」


「…………」



 ものすごく不満気に、かつ憎悪の込められた瞳で兄を見上げる弟。

 将来が不安だった。

 この先、兄弟仲良くやっていけるだろうか。

 

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