025 剣、思い出

『――剣に己を捧げろ。武功こそがこの世を示す光となる』



 何度も何度も、叩きのめされ転がされ、見飽きるほど眺めた修練場の天井。

 繰り返し打ちのめされ、膝を折るたびに床の硬さを憎んだ。

 壁際には、いつも何者かの気配を感じていて、酷く恐ろしかった。

 


『何をするにしても力だ。金も女も何もかも、腕っぷしの強さが土台にある。認めたくはないがそういう世界だ。血筋がそうしているわけじゃない。適応してきただけだ』



 悲しむように、憎むように、時には嬉しそうに親父は声音を変えて、寝ている俺へ木剣を振り下ろした。

 殺す気か。

 いや実際、殺す気だったのかもしれない。

 なぜなら俺も、殺す気で挑んでいたのだから。



『強くなれ。強くれ。強く在り続けろ』



 どうせ力が全ての世ならば。

 頂点から景色を見下ろしてやれ。

 泥臭くていい。

 恥は捨てろ。

 ヒトの目など気にするな。



 ――勝利を掴み取れ。



 それがこの場所の全てだった。

 それがこの場所が想起させる感情だった。

 それが、この場所で親父に教わったの全てだった。



「……何にも変わらねえな。俺も、あんたも。根っこの部分じゃ、まだあの日のまんまだ」



 修練場の真ん中に立つ。

 幼いあの日のように。

 禊の儀を終える前の、当たり前と化していたあの時のように。

 


 向かい合った親父は、変わらず厳格な表情に愉悦を混ぜて、拾ってきた剣を肩に担いでいる。



「そうだろうな。表面はどれだけ取り繕おうと、中身はそう簡単に変わらん。しかしおまえの場合は、アレだ。中身が外に出てきたっていう感覚か。

 本来備わっている荒々しさが顕在化した。――この半年で、よく成りおおせたな」



「昔のおまえよりかは、今のおまえの方がタイプだよ」。息子相手に気持ち悪いことを抜かして親父は、口角を上げたまま続ける。「ザリシュは死んだか」



「ああ。俺が殺した」


「いい応答だ。あいつも本望だろうよ。おまえは特に、目をかけていたようだからな」



 燃え盛る屋敷の中。

 胸に突き刺した刀の感触を今でもまだ、おぼえている。



「気持ち悪いことありゃしねえ。老師も、あんたも。強くなることがそれほど嬉しいか」



 要は、己のため。

 強い敵は、己を成長させる糧に成り得る。

 強者は、尊敬すべき経験値なのだ。

 


 ユースティスに根付く忌まわしい襲名方式だって、そういうことだろう。

 当主を殺した者が当主となる――そう取り繕ってはいるものの、その実、親が子を犠牲にしてでも強くなりたいという醜い欲の顕現だ。



 今の俺にはそれが、よくわかる。

 ザリシュも親父も、同じ顔をしている。

 更なる高みへ……目の前の俺を、経験値としかみていない。



「これも血筋なのだろうな。剣を握って幾ばくの時が流れて、俺も夢をみてしまった。この先を見たい、この先へ行きたい。もっと強くなりたい。一体誰が一番強いのか」



 夢見るように、憧憬に焦がれる親父の喜劇じみた口調が加速する。



「おまえにも、魂の髄まで教え込んだはずだ。強くなれ。強く在れ。強く在り続けろ、と。

 俺にはわかる。まだ俺は、あの日夢見た頂点に立っていない。まだ霞んで見えない。一歩前に誰か、立っている気がしてならない」


「……そいつは見つかったのかよ」


「いや。だからこそ求めているのだよ、救世主フシェーダルを」



 そして、と。

 一拍を置いた親父が、柔和に表情を崩した。



「おまえこそが俺の救世主それだ」


「……親父、おまえ」



 仰々しく救世主フシェーダルなどと宣う親父に、呆れて物も言えない。

 頂点を目指したい?

 ああ、とても崇高で純粋な、子ども染みた願望だろう。



 そこに関しては否定しないし俺だって目指していないと言ったら嘘になる。誰だって一度は夢見たはずだし憧れるはず。



 ユースティス家のみならず、男にとって〝強さ〟とは、特別なものだ。

 誰よりも強くなりたい。誰にも負けたくない。もっと強くなりたい。

 女には理解できない、強さに懸ける熱量は常軌を逸している。

 男なら当然で、同時に歪で狂気染みている。

 生まれながらに強さという呪いに取り憑かれているのが、男というものだから。

 しかし、



「そこに大義を見出してんじゃねえよ。それが綺麗なことのように飾るんじゃねえ」



 救世主だと? 

 ふざけるなよ、今さら純潔アピールしてんじゃねえ。それなら経験値だと面と向かって言われた方がまだマシだ。

 


「おまえの願望は醜悪だ。ただ強くなりたいだけなら、引き篭もってないで武者修行でもしに行けよ。おまえはただ、俺を殺したいだけだよ」



 家系、血筋だかなんだか知らないが、己の子どもに夢を託すでもなく、夢の踏み台として育てることを是とする思考が許せない。



「あんたは尊敬できる親父だった。誰よりも強さに憧れて、誰よりもストイックに努力した。俺もその夢を見たいと思わせてくれた。だが」


 

 俺と親父の目指す場所は同じ。

 今よりもっと強く、あの頂きへ。

 しかし、そこに賭ける純粋さが、俺と親父ではかけ離れてしまっていた。



「やり方がどうであれ、本気で夢を目指すあんたは尊敬に値するよ。けど、その方法は致命的に俺と反り合わない」



 恥も外聞もないといえば、ああ、確かにそうだろうよ。

 俺だって今さら綺麗なままの状態で、その場所に立とうなんて思ってない。

 汚れたままでもいい。

 泥臭くても這い上がって、勝利を掴み取ってやる。

 それくらいの覚悟はある。

 だが、俺は親父おまえを許容できない。

 


「己の望みを叶えるためならば手段は選ばない。それはおまえとて同じはずだ。ああ確かに、父が子を殺し糧にするなど、畜生の所業だとも。子が父を乗り越えるならばともかく、な。

 気に食わないのはわかる。理解しよう。どう思われようと構わん。恥も外聞も、ノエルと共に捨てた」



 ノエル……?

 聞いたことのない名前だ。

 俺の疑問など他所に、親父はどこか懐かしむように言葉を紡いだ。

 



「だがこれだけは、おまえにもわかって欲しい。俺は、おまえを殺してでも頂点アレに手を届かせたい。アレを見たい。アレが欲しいと望んでいる」



 そう、恋焦がれるように言った親父の表情を見て、違和感を垣間みた。

 しかし、その違和感も一瞬。

 すぐさま親父は、言葉を継いだ。



「兎にも角にも、俺とおまえには戦う理由がある。刃を交えるのに小難しい掛け合いなど不要。ただ目があった。気に食わない。許せない。気分が悪い――程度はどうであれ、生き残った者が大義を吹けるのだ」



 剣の切先を俺の首へと持ち上げて、親父はいう。



「能書き垂れてないで抜けよ。どのみち、おまえは俺を殺すつもりなのだろう? なら俺は、身を守るためにおまえを殺す」



 これで戦いやすくなっただろう?

 おまえのために大義を示してやったぞと、案に示す視線を受けて、俺は笑った。



「おい、俺は言ったはずだぜ。話し合いに来たってな」



 言って、俺は踵を返した。

 親父に背を向けて、そのまま修練場の出口へ向かっていく。



「あんたのいう通り、どのみち俺はおまえを殺す。理由はどうであれ、そういう運命だ」



 そればかりは血筋に乗せられたみたいで気に食わないが。



「やるなら出し惜しみなくやってやるよ。これは俺とおまえの闘争で、組織うち騎士団あんたらの戦争でもある」



 幹部ふたりが死に、多数の兵隊が死んだ。

 屋敷も燃やされ、シャーロットとマナフ、アリシアも連れて行かれた。

 ここで俺が決着をつけてやってもいいが、兵隊の怒りはそんな程度じゃおさまらない。

 


「明日。ここでおまえと決着つけてやるよ」


「……ハンッ、いいだろう。それでこそユースティスだ」



 剣を納める気配を背中に感じながら、俺は修練場を後にした。



***



「――おにい」



 戸に背中を預け、キセルを燻らせたアリシアが、煙を俺に吹きかけてきた。

 首元はすっきりとしていて、奴隷の証はどこにもなかった。



「おにいは、知ってたの?」


「……何の話だ?」



 相変わらず眠た気な瞳を俺に向けて、妹はいう。



「お父さんを殺した人間が、当主って話」



 どうやら、これまでの話を盗み聞きしていたようだ。



「そりゃあ、長男だからな。当主に相応しいと判断された者は、それを伝えられる」



 だから、当主代理を謳うヨシュアでも知らないはずだ。あいつにその器はない。



「じゃあ……おにいが追放されたのは、必然だった?」


「どうだか」


 

 首を振って、言葉を濁す。

 だが、追放されなければ、俺は……親父を殺そうなどと思わなかっただろう。

 


「お父さんを……殺すの?」


「……」



 問われて、俺は無言のまま、アリシアを見やった。

 アリシアは、びくりと体を震わせて、一歩後退る。



 殺すさ。

 親父曰く、俺は救世主フシェーダルなのだから。



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