022 荘厳たる炎
「ゆ、ユウリ……ユースティス……っ!? 貴様、まだ生きて……!」
驚愕に目を剥いたハカンの動揺が、騎士全体に広がった。
彼から放たれる威圧感。気迫、闘志……それらすべてが、本能を刺激し格の違いを瞬時にわからせた。
あれは――バケモノだ。
うっすらと三日月のようにひらかれた口。
燃える屋敷を背景に、刀を抜いた少年は、恍惚と目を細めた。
「いい舞台だ。時間をかけ、積み上げてきた物が一瞬にして燃え落ちる様相は、一種娯楽のような趣さえ感じるよ。貴重な体験をありがとう、ハリベル卿」
「な、何をしているおまえらッ!! あの男を殺せ!!」
「相変わらず胆力のないヘタレっぷりだな。人望のなさがうかがえるぞ。
「き――貴様ァッ!? その名で私を呼ぶなクソボケがァァァッ!!」
禁忌に触れたユウリへ、我先にと馬を走らせるハカン。目を血走らせ、激昂した彼の前ではもはや、体に突き刺さる殺意も闘気も関係なかった。
一種の中毒症状にも似た感情の昂りのまま、ハカンは腰から剣を抜き、振り上げる。
「感激だよ。指揮官みずから先制とは。よろしい、貴様の気概をもって闘争をはじめよう」
「死ねええええッ!!」
「指揮官ならば見届けろよ。おまえは最期に殺してやる」
ユウリの言葉を両断するがごとく、振り下ろした剣は一瞬の抵抗も見せず真上へ弾かれ――後ろに倒れたハカンは馬上から落ちた。
背中を強打し、息もできぬほどの衝撃が走る。
必死に酸素を吸い込もうと口をあけ、見開いた目に映ったのは、長年苦楽を共にした愛馬の首だった。
「はえ……!?」
地面から生えるように落ちている愛馬の首に、酸素を吸うことすら忘れ――続く残響に意識を引っ張られた。
黒い影が、蠢いていた。
百に近い騎士たちの群れの中で、黒閃が猛威を振るっていた。
一振りで十の騎士が引き裂かれ、横薙ぎの剣閃が百メートル先の外壁もろとも数多の騎士を凌辱していく。
「何を怯える。何に恐怖している。その震えはなんだ? さんざん殺してきたのだろう? 甚振ってきたのだろう? なら順番が来ただけだ。喜べよ、死神が微笑んだのだ。讃美歌をうたえ。貴様ら劣等に許されているのは、歌うか戦うかだ」
歴戦の騎士たちが、たった一人の少年に殺戮の限りを許していた。
地獄の底から悪鬼が湧いて出たかのように。
否、この場に地獄そのものが顕現してしまったかのように。
この世の終わりにも似た凄惨な光景を、ハカンは見た。
「戦え。戦えよ劣等、剣を
もはや、彼と戦う者など誰ひとりとしていなかった。
あれほどまでに勇ましかった騎士たちは、すでに死んだ。
「たの、頼みます! どうか殺さないでくれ、俺には子供が――ギィあええええええええッ!?」
「つまらんことはするなよ劣等種。騎士ならば己を貶めるな、誇りを胸に抱いて死ねよ」
地に頭を擦り付けた男の首を刎ね、侮蔑とともに死体を蹴り上げる死神。
泣き崩れ、赦しを乞うても殺されると認識した騎士たちはこぞって正門へ走る。恐慌状態の中、さらに与えられた恐怖が一周して冷静さを取り戻させたのだ。
震える足に鞭を打ち、躓きそうになりながら、共に走る仲間を殴り転ばせて時間を稼ぎ、騎士にあるまじき恥知らずの群れが正門に群がる。
しかし――地獄の歯車は止まらない。
「――ケジメはしっかりとらせていただきますよ。うちに喧嘩を売ったのですから、もちろん覚悟はできているのでしょう?」
正門を塞いでいたのは、百を越える黒服の男たち。
その先頭に立つ眼鏡をかけた長身痩躯の男が、ひどく冷静な顔つきで告げる。
「殺さず捕まえてください。ここが地獄なら、我らは悪鬼だ。ならば地獄のルールを、憤怒をその体に刻み込んでやりましょう」
「「「応ッ」」」
そして、黒い波が残党を呑み込んでいき、程なくして、視界に騎士の姿が消えた。
残ったのは、未だ呆然と栄光に浸かる醜い男だけ。
「喜べよ。あいつの到着がすこしでも遅れていたならば、全滅していたのだから。無論、おまえも殺すつもりだった。しかし」
「――そちらが大将ですね。こちらでツメさせていただいても構いませんか?」
悠然と歩み寄ってくる細身の男。艶感のある髪をオールバックに整え、生真面目そうな風貌の彼が、虚空を見つめるハカンの顔面に前蹴りを放った。
「――ぶべらっぁぁ?!」
鼻血を振りまき
「構わんよ。そいつの処遇はおまえに任せる。好きにしろ」
「御意。……到着が遅れて申し訳ありません」
「問題ない……とは言い難いが」
公領の外れからここまで、馬車でどれだけ急いでも一時間はかかる。
間に合わないのは承知済みだった。
だが、例えようのない感情の奔流が、胸の奥で渦巻いている。
「至急、片付けてくれ。あとは頼んだ」
それだけを告げると、ユウリは燃える屋敷の中へ戻っていった。
***
壁に背中を預けて、煤に塗れた床に腰を下ろすと、葉巻を口に咥えた。
そこでマッチを持ち歩いていないことを思い出し、俺は隣に寝そべる彼に頼んだ。
「なあ、火をつけてくれないか?」
返事は、なかった。
仕方ないので、すぐそばで燃えている炎で炙り、葉巻を燻らせる。
「最近、これにも慣れてきたよ。ぶっ倒れそうになる感覚も無くなってきた。味は最悪だが、ふとした時に吸いたくなる。……いよいよ、ハマってきたのかもしれないな」
オレンジ色に染まる世界に、俺の声だけが生を帯びていた。
口に含んだ煙のなんとも言えぬ味を堪能し、立ち込める黒炎にかぶせるよう吹きかける。
「おぼえているか? 俺らがはじめて出会ったときのこと。タイマンでボコってやった時と同じ顔してるぜ、おまえ」
思い出しながら笑って、でも相方はずっと無言で。
いつものバカみたいに大きな声で笑ったり嘆いたりすることなく。
苦しみに顔を歪めて、目を閉じている。
「おまえ、こんなところでバカしてないでよ……早く彼女さんのところに向かってやれよ。挨拶なしに行っちまったら……後が怖えだろ」
笑うように、返答するかのように上階が玄関ホールに落ちてきた。
爆風が前髪を揺らし、酸素も薄くなってきた気がする。
そろそろ出なくては、流石の俺でも危ない。
立ち上がった俺は葉巻を炎の中に捨てると、ユージの体を抱き起こした。
「寂しがんなよ。おまえは黙って俺についてくればいい。半年前のように、あの時のように、俺が連れてってやる。どこまでも」
俺の二倍はある巨体をなんとか担いで、火の中を歩きはじめた俺は、返事をかえさない友にずっと語り続けていた。
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