020 解放成就
「――もう……やめてください」
いやに大きく、わたしの声が反響しました。
飛び出したわたしを見て、彼――ヨシュアさんは動きを止め、まじまじとわたしを見つめ、体を震わせます。
写真でしか見たことのない、わたしの婚約者になる予定のお方は、先ほどまでの鬼のような形相とは打って変わり、好青年のように破顔しました。
「キミが……シャーロットだね。シャーロット・ロールイス……っ! なんて美しい……そして、なんて哀れで度し難いッ」
再び鬼のような形相を浮かべると、首を掴み上げていたユージさんの巨体に
夥しい量の血液が玄関ホールに染み渡り、ユージさんの側近たちを濡らしていきます。
凄惨な虐殺。
耐えきれず、わたしは叫びました。
「もう、もうやめてくださいっ! もう、ユージさんを……離してください……!」
「シャーロット。僕のかわいい許嫁。キミを写真で見た時、僕は一瞬で心を奪われた。キミが好きなんだ。愛しているんだ。キミがいなくなってからのこの半年間……僕は、ずっとこの煮え繰り返る感情を抑えて生きてきた。
美しいキミの純潔を、誰ともしれぬクソの骨が犯していると考えただけで僕はもう――ッ」
「ッ、が……ぁ……」
一段と激しい
大きな体に振動が走り、ヨシュア様の手から逃れたユージさんの体が壁に激突し、倒れ伏してしまいます。
思わず駆けつけると、それよりも早く誰かがわたしの手を掴み、捻りあげました。
「うぅぐ、よ、ヨシュア……様……っ」
「もしかして、
「わ、わた、わた、しは……っ」
「ああ、なんてかわいそうなシャーロット……奴隷に落とされ、心身ともに汚されてなお、キミには色褪せぬ高貴が宿っている。……そう、どんなに穢れていようと、ね」
ムリやり身を引き寄せられたわたしは、ヨシュア様に後ろから抱きしめられてしまいました。抵抗を許さんと言わんばかりに力強く腰元を抱かれ、嵌められた首輪を指で触ります。
「あの愚兄が、まさか僕の婚約者を攫っていたとはね。あの気持ち悪い白髪女がてっきりタイプだと思っていたが、どうやら勘違いらしい」
すぅっと指先が首輪から首筋へ移動し、流れるように下へさがっていきます。
気持ち悪いのにくすぐったいような――そんな感覚に抗えぬまま、指はうなじから胸の谷間へと移動して……
「眼鏡おにい」
「ん? おぉ、アリシアじゃないか! 無事だったのか……って、おまえも奴隷に……ッ!?」
玄関ホールにアリシアさんが、ユウリ様に没収されたはずのキセルを咥えて出てきました。
シックなメイド服のアリシアさんをみて、ヨシュア様はわたしの体を離すと、感激した様子でそちらに行ってしまいます。
ほっと息を撫で下ろしたのも束の間、複数人の騎士がマナフさんを捕らえてこちらへやってきました。
「ヨシュア様。奴隷のダークエルフを見つけました。どうしましょう?」
「ふむ。報告にあった愚兄のお気に入りか……人質として使えるかもしれん。連れていけ」
「はっ」
「……」
無言のまま、目を伏せたマナフさんは複数の騎士たちに連れていかれてしまいました。
マナフさんのことは心配ですが、それよりも先にわたしは、ユージさんが気がかりでした。
壁際で倒れ伏しているユージさんに駆け寄り、血溜まりの中に膝をついて、脈を確認します。
「そん……な」
脈が、ありません。よくよく見ると、風穴は、本来心臓のある位置にあいていました。
信じられませんでした。
ユウリ様の次に付き合いの長い彼が、いつも優しく、わたしの護衛をしてくださっていたユージさんが……死んでしまった。
「そのようなクズに涙を流すな。キミの気品さが失われてしまうじゃないか」
「きゃぅ……っ!?」
髪を引っ張られ、わたしはムリやり立たされました。
舐るようにわたしの顔を覗き込むヨシュア様。
唇を赤い舌で濡らしたヨシュア様は、どこか興奮した顔つきで言いました。
「だが……キミの泣き顔はそそる。これは、他の男たちも黙っちゃいないはずだ。相当使い込まれたんだろう? なあ?」
「……っ」
その酷い言い草に腹を立てたわたしは何か言い返そうとして、でも涙で言葉が出てこなくて。
わたしは、俯くことしかできませんでした。
「眼鏡おにい。どうしてシャーロットがここにいるとわかったの?」
「それはだな、アリシア。この組織の人間から情報提供があったんだ。どちらにせよアリシアは助けにいかないといけなかったし、一石二鳥ってわけ」
「情報提供、ね……」
キセルから煙を吐き出したアリシアさんは、視線を屋敷全体に彷徨わせて、
「おにいが、近づいてきてる」
「それは大変だ。戦闘に巻き込まれるのは勘弁だよ。相手はあのザリシュさんだから。今のうちに帰ろう」
「ザリシュ……? ふぅん。あのお爺ちゃんもきてるんだ」
「ああ。これで愚兄のくだらないギャングごっこも終わりさ」
ぞろぞろと玄関ホールに入ってくる騎士たちが、臨戦態勢に入り、ユウリ様を迎え討とうと陣形を組んでいます。
すると、正面から見覚えのある騎士が馬に乗って現れました。
「ザリシュさんが負けるとは思えないが、万が一もある。ロールイスの騎士には、ここで確実に愚兄を討ってもらいたい」
「お任せあれ、ヨシュア様。完膚なきまでにこのロア・サタンとかいう痛々しい組織を壊滅させてやります。して――ご無事で何よりです、シャーロット様」
「ハカンさん……」
まさか、お父様の騎士団まで援軍に来ていたとは……思いもよりませんでした。
ハカンさんはわたしの首輪を見ると、途端に勇ましく獰猛な表情を浮かべ、
「シャーロット様を奴隷になどと……許さんッ!! このハカン・ハリベル、身命を賭して必ずや首を討ち取ってみせましょうッ!!」
馬に乗ったまま、ハカンさんは屋敷の中へと這入っていきました。
正面玄関から外に出ると、たくさんの方達が倒れ伏していました。
どれも見覚えのある方達で、奴隷のわたしにも優しく接してくれた方達です。
そして、特に……彼は。
「お、い……てめえが、触っていい女じゃ……ねえんだよ、ッ」
「ら、ライルさん……っ!?」
わたしを連れ出さなんと、全身から血を垂れ流し、立っているのもやっとの状態でライルさんが道を塞いでいました。
その場に立っているだけで血が滴り落ち、血溜まりが広がっています。
その姿を直視できなくて、涙で視界がおぼろげになっていきました。
「なんだ、ゴミクズ。そこでへばっているのがお似合いだろうに。死に急ぐか」
「そ、……その、子を……離せよ」
「なに馬鹿なことを吐いてる。寝言は死んでからいえよ」
「ま、待ってくださいヨシュア様、おねがいしま――」
わたしの静止よりも早く、ヨシュア様の
何度もバウンドを繰り返し、ようやく止まったライルさん。わたしは、思わずその場に膝を折ってしまいました。
「どうしたんだい、シャーロット。ああ、もしかしてうれしいのかい? キミが望み、恋焦がれた自由がもう目の前にあるんだからねっ!」
「わたしの……望んだ……?」
そう……わたしは、助かることを望んでいました。
温かい家族のもとへ帰って、お気に入りの人形を抱いて、ふかふかのベッドで眠る。
午後には友達とお茶会をひらいて、たまに外でお買い物を楽しんで。
誕生日には、お父様がお母様に内緒で宝石をプレゼントしてくれたり。
「……解放、される……?」
「そうとも」
後ろを振り返って、屋敷をみます。
わたしが奴隷となった数ヶ月間。まだ慣れないこともありましたけど、それでも悪くない居心地を感じていた屋敷です。
辛いことも悲しいこともありました。
でも、最近は楽しいことも嬉しいこともあって。
「ゆう、り……さま」
「安心してくれ。こんな時のために、奴隷を解放するための術式が込められた呪符を常備させてあるんだ。ちょうどふたつある。……キミは、奴隷から解放されるんだ」
耳元で、ヨシュア様の声が耳朶を打ちます。
それが、まるで甘い報酬をぶら下げ、のちに取り立て貪り尽くす悪魔の囁きに聞こえてしまうほど呆然と、火の手が上がった屋敷をわたしは、いつまでも眺めていました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます