019 無貌

 屋敷全体が揺れ、破砕音が鼓膜を突く。

 巨大な気配がふたつ。

 ぶつかり混ざって激しくせめぎ合っているのを、ライラは明確に感じ取っていた。

 


「どちらの助けに行ったほうが賢明かなー……。ユウリさんは、逆に邪魔になっちゃうかな。でも親衛隊としてはそっちを優先したほうがいいのかもしれないけど」



「ねえ、どう思う?」問われたのは、ライラの尻に敷かれた金髪の女性だった。



 カミーユ・ハルバタン。

 公爵お抱えの騎士団ガリーザエルトスのNo.8である彼女は、まとっていた鎧を剥ぎ取られ、砕かれ、下着姿となり恥辱に顔を染め上げ、ライラの椅子となっていた。



 戦意はない。

 だが、どうしようもない屈辱と、死ぬことも許されず捕縛され、捕虜の末路を想像し苦渋を浮かべていた。



 舌を噛み切ることさえできない。

 呼吸以外、瞬きでさえもいま、彼女の許可なしに行えないでいた。


 カミーユに許されているのは、己が末路に対する想像と自責の念、後悔と呼吸だけだった。

 そして今、初めて喋ることを促されたカミーユは、静かに声を震わせた。



「……おまえなど、死んでしまえばいい」


「そんなこと聞いてないんだけど……お仕置きが必要だね。うん」


「——ひゃんッ?!」



 平手が勢いよくカミーユの臀部に叩きつけられ、小気味よい炸裂音が廊下に響き渡った。

 赤い下着と同色の手のひらがくっきりと植え付けられ、さらにもう一発――雌犬の嬌声にも似た悲鳴が漏れた。

 


「ねえ、キミたちの狙いはなんなのかなー? それによってわたしの動きも変わってくるんだけど」



 もし狙いがユウリの襲撃なら、ライラはすぐさまに彼の元へ向かわなければならない。たとえ彼が常軌を逸した強さを持ち、敗北の可能性など微塵もないとわかっていながらも。



 万が一がある。

 なんの勝算もなしに、これだけの数を揃えて襲撃しにくるとは思えなかった。



 だから、まず目的が知りたい。

 ユウリなのか、それとも他に目的があるのか。

 ライラの問いかけに、カミーユは唇を噛み締めて、



「い、いわない……私は、騎士だ……! ガリーザ・エルトスのNo.8だ……っ! たとえ辱めの限りを受けようとも、私はおまえらなんかに口をわらないぞッ!!」



 屈しない。絶対に。何があっても。

 その闘志と熱意を言葉から感じ取ったライラは、ふむと腕を組む。

 口を割らせるのは簡単だが、時間がかかってしまう。

 その間に大局が動き、取り返しのつかないことが起きてしまったら……



「ここには……ザリシュ様も来てる……! 若様も、ここで終わりだ……!」


「ザリシュ・エリトン? なぜあの老師がここに……」



 ザリシュ・エリトンとは、騎士団の師範として、騎士たちの育成に尽力している男だ。年老いてはいるものの、そんなことを微塵にも感じさせない切れ味と身のこなしは、全盛期のそれとなんら変わらないと聞く。


 

 大陸最強の剣士と謳われるユリウス・ユースティスの右腕にして、彼の師範でもある男だ。最強を作り上げた男と言っても過言ではない。



 では、今し方も感じるこの気配の相手は、そのザリシュ・エリトンなのだとすれば納得もいく。


 聞きしに勝らない、激流のような気迫がここまで伝わってくる。



「なるほど。あなた方の目的はうちのボスってことかー」


「そうよ。あのお方には誰も勝てない……我らが主、ユリウス様以外には、誰も……!」


「確かにあの老師が強いのは認めるけど、うちのボスには勝てないよ」


「な……なんだと?」



 眉間をひくつかせたカミーユから腰をあげたライラは、スーツのポケットに手を突っ込んで、顔だけを振り向かせた。


 その表情は、一片の曇りもない信頼で満ち満ちている。



「あのひとが負けるなんてありえない。負ける姿が想像できないんだよ、どうしても」


「し……しかし」


「そーいえば、急に饒舌になったね、カミーユちゃん」


「っ」


「どうしたのかなー? 訊かれたことに対して喋ってるだけだから、別に悪いことじゃないし、訊いていないと喋れないんだからさ」



 クスクスと、あえかに笑うライラに呼応して桃色の髪も揺れる。

 それはまるで、悪いことを思いついた童女のようで、カミーユは背筋に冷たいものを感じた。



「どうしてもわたしをユウリさんの元へ向かわせたいみたいだけど、何か理由があるのかな?」


「……っ、そ、そんなことは、ないっ! そもそも、おまえが訊いてきたことだろッ」


「へえ。ふぅん。まぁね。じゃあ、考えたりはしなかったのかな?」



 しゃがみ込み、カミーユと同じ目線の位置に合わせる。

 乾いた瞳いっぱいにライラの瞳が入り込む。

 鼻先が触れてしまいそうになるほど近づいたライラは、ニィッと笑った。



「わたしほど凄腕の魔術師が、あなたの思考を読まないわけがない――なんて」


「……っ!?」



 表情が引き攣る。

 一瞬にして冷汗が頬をつたい、ねっとりとした熱さに気持ち悪さをおぼえた。



 ブラフだ――ブラフに決まっている。

 なぜなら、心を最初から読めるのなら、私に訊くような真似は最初からしないはずだから。



 そう結論に達するも、視線を固定され、妙な威圧感に晒されたカミーユは、思考を逡巡する。否、それしか許されていない。



 もしかしたら本当に読めるのかもしれない。

 実はすべて読んでいて、私の表情や反応をみて愉しんでいるのかもしれない。

 この女ならあり得る。

 真性のサディストだ。短い時間とはいえ、散々弄ばれたのだ。



 数々の所業を思い出し、カミーユはキッと目前のライラを睨めつけて、



「ふぅん。ひらき直っちゃって。気にくわないなあ……そんなおまえには、ユウリさんの子袋というたいへん光栄な役割に任命しちゃうゾ☆」


「……ッ!?」


「弱々だけど剣の才能はありそうだし、見た目もいいからねー。ユースティス家のさらなる発展のために、貢献してもらうからよろしくっ」


「ま、待て――なんだ、これは……!? 体が、沈んでいく……!!」



 カミーユの体が、床に沈んでいく。

 階下に落ちているのではない。

 どこか別の次元――ここではない空間に収納されていく。



「【無限書庫アンリミテッド・ボックス】……しばらくそこで待機しててよ。夢ぐらいなら見られると思うからさ」


「お、おまえ……このッ!」


「さて、じゃあわたしはシャロちゃんでも助けに行こうかな」


「!?」



 おまえ、まさか本当に心を読めるのか!?

 問いを叫ぼうにも、許可は降りていない。

 驚愕を貼り付けて沈んでいくカミーユ。


 そんな彼女を見下すライラの破顔一笑だけが、瞼に焼きついて――カミーユ・ハルバタンは停止した。



「ふふん……読めるわけないじゃん」



 無限書庫アンリミテッド・ボックスに入ったのを確認してから、ライラはつぶやく。

 その顔は、たとえて言うならば無だった。


 感情なんてどこにもない。目と鼻や口、俗に顔と呼ばれるパーツを残して、一番大事な要素感情がごっそり剥ぎ落とされていた。


 

 意気衝天を体現したような、無邪気でよく笑う彼女にはとうてい見えない相貌のまま、ライラはインカムから流れてくる声を聞きながら歩き始めた。




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