013 ラヴァ・サタニ

「と……到着しました。ユウリ様、奥様」



 外から、おそるおそるといった様子でライラの声音が聞こえてきた。

 身だしなみを整えたマナフが、最後に俺の唇に舌を這わすと、



「ふふ、ライラさん。いつから私のこと奥様だなんて呼ぶようになったの? もしかして媚びてる? それとも皮肉?」



 ドアをひらくのと同時に、マナフは意地の悪い言葉責めを放った。

 ライラはあからさまに目線を逸らした。かすかに頬を紅潮させ、あたふたして言葉を濁す。



「い、いえ……あの、マナフ様こそが奥方にふさわしいので……」


「ふぅん……? べつに、いいけどね」



 不敵に笑い、ライラの手を取って馬車から出るマナフ。

 赤いドレスがふわりと舞い、側近の者が日傘を差し出した。



「ゆ、ユウリさん、お手をどうぞ」


「おまえとマナフは、相変わらずだな」


「いえ……苦手ってわけじゃあ、ないんですよ?」



 チラリとマナフを見遣った親衛隊隊長は、怯えとも恐怖ともちがう……どちらかというと、そう――畏怖のようなものを孕ませているようだった。



「あいつはおまえと仲良くなりたいと思ってるんじゃないか?」


「そ、そんな……畏れ多いです……」



 いち奴隷の前に、俺の側室という認識が強いのだろうか。それとも、他に要因があるのか。

 まあ、女の社会に口を出すべきではないだろう。俺の知らない序列なんかも存在しそうだし。

 俺が無闇に介入することではない。



「ま、いいさ。険悪にさえならなければ」



 懐から取り出したサングラスをかけると、見計らったようにライラが葉巻を差し出した。

 要望に応えて葉巻を咥え、火をもらう。

 慣れない独特な芳香を空に吹き出して、目線を正面に向ける。



 公領の外れ、広大な土地に構えたクラン【ラヴァ・サタニ】。

 俺が拠点に使っている居館やかたよりも少し大きめな建物と、その背後にあるコロッセオ染みた景観のホール。



 金をかなり注ぎ込んで作ったと一眼でわかるクランの表には、一律に着込んだ黒スーツの男たちが左右に集まり待機していた。



「……すげえ景観だなあ。毎度のことながら感動をおぼえるぜ」



 三百は越えているであろう黒服の男たち。

 これら皆、クランに所属する【ロア・サタン】の兵隊たちだ。

 


「――よう。待ってたぜ大将ボス


「お待ちしておりました、我が主」



 そして、クランを管理している優秀な幹部二名が出迎えに現れた。

 


 兵隊たちの総合戦闘力、その底上げを行ういわば教官的役割を担うライルと、依頼の発注や集計など事務作業を統括するブラディ。

 下っ端である兵隊たちとは違い、他を圧倒する風格はその服装にまで表れていた。

 


「ライルぅ? ボスには敬語使いなさいよ敬語を」


「使ってるじゃあねえかよ、ケー語。文句ばっかいってんじゃねえ」



 ライルが着崩しているスーツは、王国の中でもごく限れらた地位の者が愛用する、超が着くほどの高級スーツ。平民では逆立ちしても手に入らない、貴族でさえ手に入れるには相当の覚悟が必要な代物だ。



「あなたもクランから出直した方がいいのではありませんか、ライル。言葉遣いから態度まで、全て叩き直して差し上げましょう」


「バカいうな。ゴブリンと熱戦繰り広げてそうなおまえが俺を飼えるかよ」



 ライルのそれにはさすがに劣るものの、ブラディが着こなしているスーツもまた高名な代物で、スタイリッシュな雰囲気を彼に与えている。

 二人とも、随分と気合の入った装いだ。



「お暑いでしょう。陽に焼けてしまうまえに、どうぞこちらへ」



 ブラディに促され、止まっていた足を動かしす。

 俺を先頭に、ライラとマナフが左右を、そのさらに左右をライルとブラディが並び、屋敷へ向かっていく。

 


 道の左右に並んでいた概算三百の黒服たちが、一斉に頭を下げた。



「ライルぅ? ボスとおなじブランドのスーツじゃん。もしかして憧れてんのー?」


「大将ほどシビィ男はこの大陸にいねえだろ。そういうおまえこそ、気合入った服着てんじゃねえか。マナフに張ってんのか?」


「そ、そんなことできるわけないでしょ……!」


「そういや、元からおまえマナフにビビってたな。……何されたんだよ」


「ふふ、ふふふ。私はなにもしてないのよ? ちょっとばかし対等にお話しただけよね?」


「……え、ええ。そうですね、マナフ様」


「奥様、でもいいのだけれど?」


「マナフ様、奥様はマズイのでは……――いえ、申し訳ございません。出過ぎた真似を」


「大将。俺、うちの序列がわかんねーや」


「……」



 俺も、そこに関しては気になっていたが、探ろうとは思っていない。

 なんとなく、怖いから。



「すげえ……あれが、うちのボス……」


「じ、実在したのか……神様みたいなモンだと思ってたぜ……」


「し、シビィ……! 俺もいつか、あんなシビィ幹部になりてえ!」



 背後からたくさんの視線を浴びつつ、俺たちは騒がしく建物内に足を踏み入れた。




****



 

 きょう、この場に足を運んだのは定期巡察のためではない。

 近いうちに、俺は親父であるユリウス・ユースティスと戦争をはじめる。



 そのためにはまず数を揃えなくてはいけない。だからといって、いくら量を揃えたところで質が悪ければ、公国お抱えの騎士団【ガリーザ・エルトス】に半刻も経たず制圧されてしまう。



 ライルには兵隊の戦闘力底上げを急がせているが、それがどの段階にまで至ったのかという視察が目的だった。



「――依頼はどうなってる? 俺らからの依頼はしばらく出さないようにと伝えてはいるが、領民からの依頼は多いだろう」


「はい。そちらに関してましては、戦力外の者にこなさせています。とくに新入りですね。他にも一定以上の実力に達していない、戦争になればまず無駄死になると思われる者にも、戦力外通告しています」


「なら、ここに集まった連中が戦友か。反感はあったろう?」


「しっかり理解させています。ことの一件を終えるまでは、修練に励むようにとも」


「アフターケアをしっかり頼むぞ。ちいさなほつれが組織崩壊の因子を生むかもしれない。一度組織に入ってしまえば、俺たちは一蓮托生。ファミリーなんだ」


「了承しております。口下手なライルに報告を任せておりますので、問題はないかと」


「適任だな。教官でもあり兄貴分でもあるあいつからの言葉は、よく響くだろう」



 修練場に移動した俺たちは、ブラディがあらかじめ用意していた椅子に腰掛け、鍛錬の様子を眺めていた。

 兵隊たちは黒スーツから一変して、みな上半身裸となって木剣を振るっている。

 中には槍や斧など、多種多様な得物を握っている者もいた。



「いい汗かいてきたなあ、おまえら。そろそろ仕合をはじめようかオイ」



 上着を脱ぎ捨て、ワイシャツ姿になったライルが木剣を手に取り、修練場の真ん中に立つ。



「よし、いつものように組め。グズグスすんなよ、きょうはボスが見てんだ。かっけえところ魅せろよ」



 気合の込められていない、惰性でやっている感マックスでライルが木剣をバシバシ床に叩きつける。



「あいつが一番やる気なさそうじゃん」


「緊張してるんですよ。主に見られていますからね」


「だって、ユウリ。とはいえ、視線を外しちゃダメよ? ライルさんもあなたのことが大好きなんだから」



 マナフの言葉に相槌を打って、二人一組となった兵隊たちの動きを見るために集中した。

 そんな中、だれとも組まず木剣を垂らしているひとりの少年と目があった。



「……?」



 一眼でわかるほど、荒んだ性格をしていそうな少年だった。

 目の下には目立つ傷があり、気の強そうな、そして目に映るものすべてを憎んでいるような……まさに裏社会を象徴する少年が、俺をめつけていた。



「――あれは?」


「申し訳ございません。いますぐ彼を――」


「いや、いい」



 ブラディを手で制し、木剣で昏倒させようとしているライルを視線で止めさせる。

 立ち上がった俺は、分かれた兵隊たちの間を通って、少年の前に立つ。



「悲しい眼だ。憎くてしょうがないといった眼をしている」



 燃えるようなあかを髪と瞳に宿した少年は、無言のまま俺を見上げている。



「名は?」


「……カイト」


「カイトか。いい名だな――いいだろう。ライル、貸してくれ」


「うぇ? マジっすか……?」


「マジだ」



 ライルから半ば強引に木剣を受け取った俺は、カイトに向き直り、



「――っ」



 大人気なく剣を振るい、少年スレスレを撫でる。

 なにが起こったのかは理解できたのだろう。しかし、咄嗟に身構えることすらできなかったカイトは、射殺さんばかりに目を釣り上げ、唇を噛んだ。



「どうした、カイト。構えろよ。もうはじまってるぞ――さあ」


「……どうなっても、知らねえぞ……!」



 歯を剥き出しに、木剣を構えるカイト。

 懐かしいな……少し前まで、俺はこの視線にずっと晒されていたというのに。

 今じゃすっかりそういうのもなくなった。逆に新鮮だ。



「打ってこい。殺す気でだぞ――さあ。さあ。さあ!」



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