005 悩み

 運よく隠れ家を確保してから、すでに三日が経った。

 幸運なことに隠れ家には、多少の食料と水が備えられていた。

 さらに寝室も浴室もあるから生活するには困らない。我ながら、ついている。



「あの……ユウリさん。と、トイレ……いきたい、です」



 ジャリ、と鎖を鳴らして、ブロンドの少女――シャーロット・ロールイスが俯き気味に言った。



 ご存知、俺が誘拐してきた伯爵家のお嬢様だ。

 


「マナフ、頼めるか?」


「うん。いいよ。――シャーロットちゃん、お姉さんとおトイレいこっか?」


「ま、マナフさん……わたしとそう変わらないじゃないですか……」


「んぅ? そう? じゃあまだまだ赤ん坊だねえ」


「うぅ……エルフの基準はわからないです……」


「今年で一〇八歳だから♡」



 両足に繋がれた鎖を慣れた手つきで外したマナフは、シャーロットを引き連れてトイレへと向かった。

 ふたりを見送った俺は、カウンターに置いたままのグラスに口をつける。

 


「もう三日か。そろそろ食料を調達しに行かないといけないな……」



 倉庫に蓄えられていた食料と水がそろそろ底をつく。最悪、水は浴室から汲めばいいが、食料はどうにもならない。

 


 グラスの中の液体を飲み干して、ため息を吐く。

 俺が隠れ家から出るのを渋るには、理由があった。



 一つは、単純に怖いから。

 シャーロットを誘拐し、犯罪に手を染めた。

 バレていないとは思うが、もし目撃者がいて、顔がバレていたら。偶然、事情聴取され、後ろめたさからヘタなことを口走ったら。



「怖いのは……衛兵だけじゃない」



 下手すると王国の軍徒ジハードまで出てくるかもしれない。そうなると非常に厄介だ。



 ゴロツキ程度ならどうとでもなるが、さすがに戦慣れした白騎士エスクードや、万が一にも黒騎士エスパーダが出張ってきたら、俺は終わる。



 そこら辺は出てこないことを祈るしかない。

 そしてふたつ目は……



「――また、お水飲んで酔ったフリ? 何か悩み事かな?」


「マナフ……。シャーロットは?」


「お風呂。服も洗濯してるから、しばらくこっちに出てこられないよ」


「そうか。ありがとう」



 隣に座ったダークエルフのマナフが、腕を伸ばして下から俺を見つめる。潤んだ橙色の瞳が、細まった。



「……いつまでその格好でいる気なんだ?」


「仕方ないでしょ。あのクソども、こんな感じの服しか置いてってないんだから。――あ、臭くないよ? これ三着目だから。あと二着あるし、汚れてもへいき」



 助けた時となんら変わらないビキニメイドのまま、マナフはニヤリと悪い笑みを浮かべた。

 視線を逸らした俺の両頬を挟み、ムリやり目線をマナフに固定させてきた。


 

「お、ま……」


「えへへ……。ちゃんとこっち向いてよ」


 

 はにかむマナフに、心臓がはねた。

 このダークエルフ……見るところに困るし超絶美形だからタチが悪い。

 好きになったら、責任とってくれるんだろうか。

 


「それで、何か悩んでるの?」



 しかも、相談にも乗ってくれる心遣い。完璧か、惚れてまうやろ。



「……食料についてだ。そろそろ買い出しに行かないと」


「なるほど。それもそうだね……うん。それで、外に出向いちゃマズイ理由があるの? もしかして、あの子を誘拐するときに顔を見られた?」


「大丈夫だとは思うが、万が一があるし……それに」



 マナフの首に嵌められた輪っかを盗み見る。

 首輪に繋がった鎖は奥の寝室から伸びていて、出入り口にたどり着けないよう調整してある。



 それ以外は行動可能で、また開放する気は今のところない。

 できることならダークエルフの村に返してやりたいが、万が一、こいつが俺のことをしゃべってしまうと詰む。



 ……いや、もう人生詰んでいるんだけど。



「? 金欠?」


「いや、金はギャングの死体から拝見したし、一ヶ月と少しは食える」


「じゃあ、……あ、もしかして脱走とか疑ってる?」



 首輪に繋がった鎖を掴んで、ジャリジャリと上下に振って音を鳴らした。



「これがなかったらもう逃げてる。鍵もユウリが持ってるし、私は逃げられないよ。あの子は……私なら逃がせるね。だからユウリは必ず、外出時には足枷の鍵を私から受け取ること。いい?」



「申し訳ないけど、トイレにはいかせてあげられないなあ」などと笑うマナフに、恐るおそる尋ねた。



「……俺がいうのもアレだけど、協力的だな。故郷に帰りたくないのか?」


「帰りたいよ。今すぐに帰りたい。だけど」



 一拍置いて、マナフが言った。



「あの子が先に帰るのは許せない。逃げる時は一緒だし、解放される時も一緒。どちらか片方が助かるなんて許せない」



 一瞬、瞳に影を落としたマナフが、なんともなかったかのように笑った。



「だから安心して。あの子は絶対に逃がさない。早く解放してもらうためにも、ユウリのお手伝いがんばるから」


「……ああ」



 彼女から目を逸らして、俺はカウンターから立ちあがった。

 唇を噛み締めて、胸の痛みを無視する。



 何も考えるな。

 考えるな。

 恥を捨てろ。

 善人ぶるな。

 おまえはもう、止まれない。

 落ちるところまで落ちて、死ぬだけだ。

 責任なんてとらないし後悔もしない。



 無慙無愧という言葉があるように。

 良心なんて捨ててしまえ。



「お買い物?」


「……いや、予想どおり


「来た……?」



 木剣を手に取り、部屋から出る。

 路地裏の最奥にある廃工場。その中にこの隠れ家はあった。



 広い工場に乱雑したガラクタやゴミと、積み重なったギャングの死体。

 一箇所しかない出口を取り囲むようにして、そいつらは集まってきた。



「――てめえか。うちのモンをやった挙句、俺らの領地シマ奪ったってヤロウは」


「シャミりやがってクソが、そこに積み重なってるモンうちの兵隊やないかいゴラァッ!!」


「生きて帰れると思うなよ小僧……一族皆ツメこんだるわッ!!」



 全員、一律の特攻服を着込み、釘バッドやら鉄パイプやらを携えこちらをめつけている。



 隠れ家を出たがらなかった理由、二つ目。

 ここを狙った襲撃の可能性があったから。



 一人だけ、しぶといことに生きて逃げ出した奴がいた。

 そいつが仲間を引き連れて戻ってくる可能性があったため、俺はこの場から動きたくなかったのだ。



 買い出しにあの二人は連れて行けない。 

 ダークエルフのマナフは目立ちすぎるし、シャーロットは言わずもがな。

 行くならひとりで買い出しに行くしかない。

 だが、俺と行き違いでギャングが乗り込んできたら?



 あのふたりは、なんの抵抗もできず辱めを受けることになる。



 だから、俺は、向こうから来てくれるのを待っていた。

 食料が完全に尽きる前でよかった。

 やはり俺は、運がいい。

 


「なにガンくれとるんじゃシャバ僧ッ」


「質問、してもいいか?」


「あァ!?」


「おまえら、それで全員か?」


「この人数に囲まれて頭おかしくなったんか、オマエ」


「いいから教えろよハゲ。でかいのは態度と身長タッパだけか?」


「……わぁった。おまえはもう――死ね」



 ピシリと青筋を額に浮かべた首領らしき男が大きく息を吸い込んで、瞬間。




「―――ゥゥゥォォォオオオオオオッ!!」




 大声を張り上げて地を蹴った。それにつづき、後ろの兵隊たちも気迫を飛ばし、濁流のごとく押し寄せてきた。



 対して、俺は。



「上等上等……生きて帰れるなはこっちの科白セリフだ劣等どもッ!!」



 同じく気勢とともに木剣を叩きつけた。


 

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