お父様の訃報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。
時間が経っておりますこと、何卒ご容赦ください。
二年前、私のマンションで同居していた母を亡くしました。
大動脈乖離、いわゆる突然死です。お手洗いの中で亡くなっていました。
中々出てこないので、声を掛けたのですが返事がなく……
具合が悪い様子もなく、毎日元気そのものでした。
ほんの二、三十分前にも普通に会話していた母。
人の命の儚さを実感しました。
葬儀のバタバタで悲しむ暇が無い、というのは本当ですね。
自宅で亡くなったので、警察の現場検証とかもありましたし……
ふと涙が出たのは、母のお骨を部屋へ持ち帰った後でした。
今や孤独死一直線。
せめて生きている時は笑顔で過ごしたいと思います。
作者からの返信
下東さん、こんにちは😊
お母様とのお別れは、あまりにも突然だったのですね。
心よりお悔やみ申し上げます。
いつもと変わらず過ごされていたお母様だけに、ショックは大きいですね。
自宅で亡くなると、警察が絡んでくるんですね。
自分でも状況がはっきり掴めてない状態に警察の介入はますます混乱しそうですね。
大変だったと思います。
自分の命さえ、いつ終わりを迎えるのか分からないですよね。
仰る通り、生きてるときは笑顔で過ごしたいですね。
下東さん、沢山読んで頂きコメントありがとうございます✨✨
つい半月ちょっと前に姑が亡くなったばかりなので、思い出して涙が出ました。
そばについていればよかった、まだ温かかった、というのは本当によく分かります。
お父様のご冥福をお祈り申し上げます。
作者からの返信
カワセミ様。
お姑様、半月ちょっと前にお亡くなりになったばかりなんですね。
謹んでお悔み申し上げます。
まだ悲しみが癒えませんね。
亡くなったばかりの時は気が張っているのですが、時間が経つうちに色々思い出されフッと涙が溢れることがあります。
カワセミ様もこれから暫くは色々お忙しいと思います。
無理をなさいませんように、お身体に気をつけて下さい。
カワセミ様、たくさん読んで頂きコメントもありがとうございます✨✨
後から「ああしてあげれば」「こうしてあげれば」って、そう思うんだからとわかってはいても、当時は忙しかったり疲れていたり、もう知らんわって怒ったりして…、そしてあれからずっと「ああして」「こうして」と思い続けております。
父が入院してから亡くなるまで、面会はできませんでした。
だからかもしれませんが、あの日、眠っている父の顔を見ても、何だかピンと来ず、涙は出ませんでした。
最近仏壇じまいをし、京都のお寺に納骨をして、段々と実感してきているのでしょうか、このお話を拝読していると、もう一度体験しているような気がして、やっと泣けるような気がしています。
お父様との思い出は、この美のこ様の中で生き続けている、それが一番です。
思い出して、笑って、泣いて、たまに文句を言ったりして…それで良いんだと思っております。
ご冥福をお祈り申し上げます。
作者からの返信
千千様、こんにちは😊
お父様、入院されてから面会が一度も出来なかったとなれば尚更、あれこれ思いますね。
私は面会は出来ましたが同じような思いです。
又、父が亡くなってから、やらなければいけないことも多く、しばらくは泣いてる暇もないほどでした。
今頃になった、父の愛用していた帽子などが出てきて、それを見て涙ぐんだりします。
仰るように、ああだった、こうだったと時々思い出すことが供養にもなる気がします。
千千様、いつもご丁寧なコメントありがとうございます✨✨
編集済
別れは突然にやってくるんですよね。私の父は「多発性骨髄腫」という奇病に掛かってから呆気なかったです。余命半年が三か月しか持たなかった……。
年末に病院へ見舞いに行き、12月31日の除夜の鐘を聞き、寝ようとした時に病院から電話が……。まさか、急にとは思わないから酒を飲んでいたので妻に病院まで送ってもらいました。どうやら危ない感じがして、妻に実家の母を起こしてもらい病院まで連れて来てもらいました。それから、午前四時に父は息を引き取りました。私と妻と母で最期を看取れたのは幸いだったと思います。享年八十歳。
初めての身内の葬儀に本当に悲しむ余裕など無かったですね。四十九日に納骨し落ち着きましたが、亡くなった当時には葬儀屋、お寺、親族への連絡などでバタバタ。後日に、家や山、田んぼ預貯金などの名義変更や、生保の請求に振り回されました。法務局など回る、いい経験になりました。
のこさんのお父様は、享年九十一歳。言い方は悪いかも知れませんが、大往生じゃないですか。看取れなかったのは残念だったと思いますが、お父様は安心してあの世に行かれたと思います。今自分が生きているのは両親のお陰。お陰様でという気持ちを忘れず、両親に感謝したいですね。
上手く言えなくて、スミマセン。
作者からの返信
甲斐さん、こんにちは😊
お父様、治療が難しい奇病だったんですね。
余命3ヶ月とはあっという間で辛かったでしょう。
八十歳は今でいうとまだ若いですよね。
しかし、最期に家族でお父様を看取ることができて良かったですね。
本当に私も経験しましたが、亡くなった後の色々な手続きなんかも大変です。
四十九日まではあっという間で忙しかったです。
父は突然ではありましたが、もう高齢だったので覚悟も出来ていたし大往生です。
仰る通り両親、ご先祖様のお陰という気持ちを忘れず感謝したいと思います。
甲斐さん、いつも温かいコメントありがとうございます✨✨
お父様、病を抱えて頑張って長く生きられましたね。
少しずつ弱っていく親を見守るというのは子どもとしては辛いものでしょう。
お忙しくされていた時、お母様とお父様の両方に気持ちを向けなくてはいけなかったのは、さぞ大変だったのではないでしょうか。
実父見送ったときのことを思い出しました。
私事ですが
リハビリ施設で車椅子でブイブイ言わせていた父が、だんだんと弱り、結核を発症して遠くの専門病院に入院。
一気に生きる気力を失っていくのをそばで見ていました。
仕事柄15時には体が空くので日参していましたが、それでも何か出来たのではと後悔はあります。
最期の時、子守唄を歌って父を送りたかったです。
作者からの返信
小烏 つむぎ 様、こんばんは😊
父は糖尿病だったにも関わらず男性の平均年齢はゆうに超え、長生きしてくれました。
ちょうど、母も介護が必要になったり、仕事もありで大変な時期だったので、父には十分なことはしてあげられなかった気もします。
お父様、亡くなられているんですね。
入院中、遠いのに毎日、顔を見に行かれてたのは凄いです⤴⤴
その時には精一杯できる限りのことをしていたとしても、後から考えると悔いが残るものですよね。
最期の時に、子守唄を歌って送りたかったなんて……。
その思いはお父様に届いているのではないでしょうか。
つむぎ様、コメントありがとうございます✨✨
ずっとそばにいてあげたかったと思うのこちゃん( ; ; )
お辛かったでしょうね。最期は看取れなかったけれど、お父さん、
色々してもらって喜んでいたと思うのです。
家族は悲しんでいる暇がないですね。
3回忌までがあっという間に過ぎる……義母で経験しました。
作者からの返信
ハナスちゃん。
感傷に浸るのもあっという間。
亡くなった瞬間から、あれこれ段取りすることがあり、ゆっくり悲しんでいる暇もありませんでした。
ハナスちゃんも経験済みですね。
1週間仕事はお休みを頂きましたが、葬儀の後も色々な手続きであっという間でした。
四十九日も、すぐなんですよね。
香典返しなどの手配や、法要の準備でこれまたあっという間でした。
今頃になって父のものを見つけると、涙が溢れます。
ハナスちゃん、コメントありがとうございます✨
編集済
突然のことで、本当の意味で悲しむ暇もなかったことと思います。最後の最後に会えなかったとしても、お父様は、この美のこ様とお母様に、本当に感謝しながら、お亡くなりになられたのだと、私は思います。
私事になりますが、義父が亡くなった時は、とにかく全く葬儀を取り仕切ったことのない義母の代わりに、ずっと動き回り、それこそ悲しむ暇もありませんでした。が、所謂「おくり人」の方が髭をあたって下さって、その顔を拭いてあげている時、「入院の度に髭剃り持ってこいってよく喧嘩したなあ」って思い出したら、急に涙がブワッと湧いて出て、大急ぎで廊下に出て、ひとり号泣してしまいました。最初は物凄く私に辛く当たる義父だったのに…。人間って不思議ですよね。悲しみって突然実感するものなのかも知れないと思います。
※すみません、大変失礼かと思いますが、「のこさん」でもよろしいですか?
追記】
お返事ありがとうございます。私も「緋雪さん」でも「緋雪」でもお好きなように呼んで下さって構いません。よろしくお願いいたします。
作者からの返信
緋雪様。
私も父が亡くなってから葬儀の準備などでバタバタしっぱなしで、泣いてるどころではありませんでした。
その後も、色々な手続き、初七日、四十九日、納骨等々、やる事が多くて・・・。
落ち着いた頃に、父の遺品を見てやっと涙が零れてきました。
あっ!呼び名は、のこさんでも何でもご自由に!
私は「緋雪さん」ってお呼びしてもいいでしょうか?
たくさん読んで頂きコメントありがとうございます✨
本当に別れって突然、きますね。前日まで、「また明日」と話していたのに……。皆、必ず何かしら、後から思うことがあると思います。91歳で私の祖母も亡くなっていますが、やはり皆から大往生と言われました。それでも、もっと生きれそうでした。家族はそう思ってしまいますよね。
でも、葬儀のことも一人でなさって、のこさんには、本当に頭が下がります。
お父様のご冥福をお祈りします。
作者からの返信
美央ちゃん、こんにちは😊
ここまで読んで頂きありがとうございます✨✨
父の死もそうですが、これで充分だったと思える事はなかなかないですよね。
それでも、その時は精一杯やったと思うしかありません。
葬儀は、地元に葬儀屋さんがあって、良かったです。
色々こちらがしなければいけない事も代わりにやって下さり、近所の人の手を煩わすこともなく助かりました。それから、母が色々な段取りを全て紙に書いていてくれた事も大変助かりました。父が亡くなった時、母は多少は頭が今よりしっかりしていましたが細かい事は分からなくなっていたからです。と言っても周りのみんなの協力があったからに他なりませんけどね。
美央ちゃん、いつもありがとうございます✨
ちまちま読ませていただいております(苦笑
それにしてもお父さん、長生きしましたね。こんな言い方は大変失礼ですが、おめでたい部類じゃないでしょうか。それも迷惑をかけずにですからね。
うちのおふくろは最後は自宅でってことで、実家で過ごしたんですが、仕事をしてる時に親父から電話がありましたよ。うすうすは予感してましたが、やはりって思いが強かったですかね。最後はあっけなかったです。
作者からの返信
知備語理さん、ちまちま読んで頂きありがとうございます!嬉しいです😊
お母様の事、覚悟はしていたとしても急な事でしたね。父は糖尿病だったので、こんなに長生きできるとは思っていなかったのに男性の平均寿命を超えて亡くなる二日前までは変わりなかったのでもうこれ以上の事はありません。
これからもお時間があればちまちま読んで頂ければ幸いです。
第17話まで一気に読ませて頂きました。この後も読ませて頂きますが、この話を読んでどうしても感想をと思いまして😢
お父様との別れはつらすぎますね……
私の父は健在ですが数日前に仕事中に怪我をしたらしく、幸い大したことは無かったのですが、今回読ませて頂いた後、もし亡くなっていたら……と不意に思い怖くなってしまいました。
関係の無い話をしてしまいすみません🙇♂️
お父様のご冥福をお祈りいたします。
作者からの返信
るっちさん、コメントありがとうございます。
こんなにも一気に読み進めて頂き嬉しいです。
本当にありがとうございます✨
るっちさんのお父様、怪我が大したことなくて良かったですね😊
私の父の死は突然で思いがけないと思っていましたがもういい歳だったので
老衰みたいなもので大往生だったと今では思っています。
るっちさん、これからもよろしくお願いします。
お父様が亡くなられたのは、残念ですが、
91歳も生きてこられたとは、素晴らしいです。
私はまだ介護を始めて2年ですが、これからも
できるだけ両親が無事でいることを祈りますが、
いつかは別れの時が来ますね。
でも、心の準備はなかなかできないものです。
作者からの返信
ポンポコ様。
父は亡くなったと言えど91歳で男性の平均寿命は超えているので大往生だと思っています。
長生きしてくれて良かったです。
そうなんですよね。
いつかは母とも必ず別れは来ると覚悟はしていますが、できればもっと先であってほしいです。
ポンポコ様のご両親はまだ健在でいらっしゃるので、このままずっと無事で元気でいらしてほしいですね。
ポンポコ様、コメントありがとうございます✨✨