第15話 逃走

 陽が西に傾きかけたころ、ヘリは病院に到着した。外来患者もあらかた帰ったようで、駐車場にはヘリが着陸するのに十分なスペースがある。鉄心の読み通りだった。

「なるべく裏口に近い場所に降りろ」

鉄心がパイロットに指示する。

 万一に備えパイロットとドクターヘリの女を先にたたせて院内に入ると、ナースセンターで二人、医師を二人、そして最後に院長を人質にとって手術室に入った。それから、医師二人を除いた人質たちを入り口の扉の前に並ばせ、両手を上げるよう命じる。鉄心が彼らにマシンガンを向けている間に、ヒロトが一人づつ両手両足を包帯で縛りつけた。

「よし、これで人間バリケードのでき上がりだ。銃を使って入口から強行突破しようものなら人質が犠牲になる」

島にいるとき頭の中で何度も繰り返した通りになったことに満足した鉄心が言った。

 外からの視界を遮るためカーテンを閉め終わるころには、パトカーが何台も到着したらしく、サイレンがこれでもかとうなりを上げてやかましいことこの上ない。早速、例によって例のごとく「おまえらは完全に包囲されている」が始まった。カーテンの隙間から様子をうかがうと、パトカー十数台と救急車が二台見える。


 「部分麻酔を用意しろ、少量でいい、二人分だ」

鉄心がマシンガンを向け、医師の一人に指示する。

「わかった、わかったから銃を下ろしてくれ」

医師が懇願する。

「いいから早くしろ。注射器も忘れるな」

医師は薬品の並んだ棚を物色し、一つの瓶を手に取ると、それをいったん棚に戻し別の瓶を取り出した。

「部分麻酔だ。これをどうするつもりだ」

「そうだな。試しに一本院長に打ってみろ」

医師の目に明らかな動揺が浮かんだ。医師がしばらくためらっていると、鉄心はマシンガンの取っ手の部分で医師の顔面を殴りつけた。

「やっぱりな。劇薬か、あるいは全身麻酔だろう。なめたことしやがって。今度はおまえ自身を実験台にするからもう一度薬を持ってこい」

医師が殴られたところを押さえながら再び棚に向かうと、ヒロトが近くに来て鉄心にスマートフォンを見せた。

「看護師の女に借りて調べてみた。部分麻酔はドイツ語でTeilnarkose、英語でPartial anesthesiaだ。薬品の瓶に貼ってあるシールを見ればわかるだろう」

医師がふり向いて薬品の小瓶を差し出す。Teilnarkoseの文字が確認できた。

「よし、やってみるか。おれがまず試してみる。もしおれに異常が起きたときはこの医者をハチの巣にしてくれ」

鉄心がヒロトに言う。

 医師は言われた通り、鉄心の右足に部分麻酔を打った。数分待つと足首から下の感覚がなくなった。ほかの体の部分には異常はない。もう一人の医師がヒロトの足に麻酔を打つ。鉄心は腕で右足を持ち上げ、手術台の上に乗せた。ヒロトもそれに倣う。

「この傷跡があるところに発信機が埋まってる。それを取り出すんだ。ここ以外のところにメスを当てたらすぐに発砲する」

「手術には助手がいる。看護師を二人解放してくれないか」

「だめだ。助手が必要ならもう一人の医者がやればいい。2人一組で一人の手術に当たれ。それを2回やれば済むことだ」


手術は二人合わせて30分ほどで終わった。傷口にガーゼを分厚くあてがい、その上から包帯を幾重にも巻かせて、血が流れ出るのを極力おさえる。鉄心は取り出した二つの発信機を水道の水で洗って、付着した血を洗い流すと掌中しょうちゅうに収めた。

「よし、今から人質を一人解放する。解放するのは車で通勤している者だ。運転して自宅に帰れ」

「私はマイカー通勤だ」

院長が真っ先に名乗り出る。

「いいだろう。ヒロさん、包帯をほどいてやってくれ」

ヒロトがメスを使って院長の手足を縛っていた包帯を切った。

「院長、自宅まで車でどれくらいだ?」

「だいたい40分だ」

「そうか、ところであんた、虫歯はあるか?」

「いや、ないと思う」

「口を開けてちょっと見せてくれ」

「なんのつもりだ」

「質問は受け付けない」

鉄心がマシンガンをつきつける。院長はしぶしぶ口を開けた。

「よく見えない。もっと大きく。もっとだ」

もうそれ以上開かないというところで、鉄心は掌中の発信機二つを院長の口の中に投げ入れた。院長はごくりと飲み下し、げほげほとしばらくせき込んでいる。

「今あんたの胃袋には小型時限爆弾が入っている。今から20分後に爆発するが、その前にこちらから爆破解除することもできる。解除の条件は一つ。20分以内にあんたの自宅に着くことだ。20分したら自宅に電話する。あんたが電話に出れば即解除だ。

自宅の固定電話をそこのホワイトボードに書いて急いで出発しろ。さあ、急げ!」


 院長があたふたと走り去った後、鉄心とヒロトは医師二人にマシンガンを向け、白衣の上下を脱ぐよう命じた。自分たちも上着とズボンを脱ぎ、医師たちが脱いだ白衣を身にまとう。これで院内を堂々と通り抜けられる。

 鉄心はカーテンの一つをわずかに開き、外の様子をうかがった。二台の救急車以外は一台のパトカーも見当たらない。いまごろ院長の車を追っていることだろう。

「いまだヒロさん、ここから出るぞ」

二人は右足を引きずりながら懸命に院内を走り抜け、外に出て救急車のところにたどり着いた。二台とも人が乗っている様子はない。ドアの開閉を確かめる。ヒロトが取りついた車両は施錠されているが、鉄心のほうは運転席のドアが開いた。

「こっちだ、ヒロさん。カギもついてるぞ」

鉄心が運転席に乗り込み、ヒロトが助手席に収まる。鉄心が鍵に手を伸ばした瞬間、後頭部に何かが当たった。銃の撃鉄らしきものがギリギリと音を立てる。間を置かず女の声が命じる。

「そこまでよ、西村鉄心。両手を上げて頭のうしろで組みなさい。さもないと頭が吹っ飛ぶわよ」

「おまえもだ、長峰博人」

どうやら二人が待ち伏せていたらしい。

「ちっくしょー。まさか婦人警官につかまるとはな」

鉄心が叫んだ。

「婦警じゃないわ。私は法務省の黒川。となりは警視庁の森岡警部補」

「なんで法務省の役人がここにいるんだ」

「法務大臣を通して警視総監に頼んだのよ」

「なぜだ、なぜここに来るとわかった?」

「あんたの考えることなどすべてお見通しよ、おバカさん」

「おれは死刑になるのか?」

「死刑なんて生ぬるい。終身刑になって生き地獄を存分に味わってからお逝きなさい」

 西村鉄心と長峰博人は戻ってきたパトカーに押し込まれ、警視庁に連れ去られた。


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