第12話 混入者

 鉄心はげっそりした顔で簡易トイレから出てきた。安いちり紙で尻を拭きすぎたせいで、穴の周りがひりひりする。島の上にあがって間もなくすると、またもや腹がギュルギュルと鳴り始めた。こんなひどい下痢は生まれてこのかた経験がない。支給品の正露丸も一時的な効果しか発揮しなかった。弁当か他の食糧が原因かと思い、食べる前に何度もにおいを嗅ぎ、変な味がしないか用心深く咀嚼そしゃくしているが、異物が混入しているようには思われない。それに、食糧が原因ならば、他の囚人たちも同じ目にあってしかるべきなのに、誰一人腹をこわしていそうな者は見当たらない。ヒロトとの脱獄計画も練りあがり、実行の機会をうかがっていたが、こんな状態ではそれどころではない。計画はいったん棚上げにした。

 

 尻が痛いので、横になってあれこれ考えを巡らせているところへヒロトがやって来た。

「どうだ、腹の具合は?」

「だめだ、いっこうに治らねえ」

「そうか。ところで、いつ頃からだ、下痢してんの?」

「一週間くれえ前からだ」

「一週間前なにか変わったことってあったか?」

「なんで?」

「いや、なんとなく。おまえの下痢と関係ないかと思ってさ」

鉄心はしばし黙り込み記憶をたどってみた。

「そういえば、眼鏡をかけたひげもじゃの新入りが連れてこられたな。それが確か一週間くれえ前だったような・・・」

他にもひげを蓄えている囚人はいるが、多くは、フケが出たりしてかゆくなるので、火をつけて燃やし短くしている。カミソリくらい支給しろと言いたいが、小さいながらも刃物なので支給されないらしい。したがって、眼鏡をかけたひげもじゃの顔は比較的この島では目立つ存在だ。

「そいつ、食糧くばってるあの野郎だよな。あいつが怪しくねえか?」

「うーん、だが食糧に何か細工しようにも、何ができるっていうんだ。島に来る前、みんな身体検査と持ち物検査うけてんだぞ」

「それもそうだが、他に何が考えられる?」

「なんにも」

「なら、ちょっと探り入れてみるか?」

「そうだな。一応やってみっか」

そういうなり、鉄心はまた腹をおさえて簡易トイレのほうへ走っていった。


 翌朝、鉄心はヒロトと連れ立って新入りに会いに行った。ヒロトがまず口を開く。

「よう、おはようさん。今日はあんたにちょっと聞きたいことがあって来た。とりあえず、あんた名前は?」

鉄心はその表情が微妙に変化するのを見て取った。

「あんたらと話をする気分じゃねえよ。あっち行ってくれ」

「おいおい、やけにつれねえじゃねえか。せっかく友達になってやろうと思ってきたのによ」

「おれは一人が好きなんだ。余計なおせっかいはいらねえよ」

そう言って、立ち上がり、その場を離れようとする。

「おまえ、おれの食いもんになんか入れてるだろ。ちょっと荷物見せてみろや」

鉄心がカマをかけた。するとひげ眼鏡は、素早く荷物を抱え上げ、速足に遠ざかる。鉄心とヒロトが追いかけると、小走りになって逃げてゆく。しかし、怪我をしているのか、びっこの足を引きずりながらではそう早くは走れない。少し走ったところで捕まえて、荷物の入ったバッグを奪い取ろうとろうとすると、相手はその上に覆いかぶさり、親鳥がひなを守ろうとするかのように、懸命にバッグにしがみついている。しかたなく鉄心は、無防備になったわき腹にしたたか拳を突き入れた。ひげ眼鏡が苦悶の表情でわき腹をおさえている間に、鉄心はバッグを奪い取った。なかを改めると、ビニール袋いっぱいに詰まった白い粉末があらわれた。

「おい、新入り、これはなんだ」

「い、胃薬だ」

「胃薬ならこの島にある救急箱の中にあるだろう。なんで所持を許可された?しかもこんな大量に」

「おまえなんかに言う義理はねえよ」

「そうかい、ならかまわん。ヒロさん、こいつを押さえつけてくれ」

ヒロトがひげ眼鏡の両腕をうしろから羽交い絞めにすると、鉄心はひげに覆われた口を力ずくでこじ開け、ビニール袋から粉末を一握りに余るほど取り出して、強引に口の中へ押し込んだ。そして、口を閉じさせ鼻をつまんで、いやでも飲み込まざるを得ないようにする。それでも飲み込まないと見るや、口と鼻をおさえながら相手が引きずっていたほうの足に蹴りを入れた。ひげ眼鏡はあおむけに倒れると同時に粉末を飲み下した。

「よし、これでしばらく様子を見ようぜ。トイレに走っていくようなら下剤で確定だ」

ひげ眼鏡は向こうむきになり、うずくまった姿勢で動かない。鉄心とヒロトは、ほかに何かないかバッグの中をかき回している。と、そのとき、おえっ、といううめき声がした。見ると、己の指を三本口の中に突っ込んで、飲み込まされた粉末を吐き出している。

「ヒロさん、もう一回飲ませてやろうぜ」

「いや、まずい、周りを見ろ、みんな見てるぞ。チクられたらどんな処分が待ってるかわからねえ。とりあえず粉を押収してあとで問いつめようや」

 

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