第11話 取引

 「黒川君」

小山田課長は麻衣香の名前だけ呼び、A会議室のほうを指さす。何かあるたび二人だけでA会議室にこもって話し合っているせいか、課内では妙な噂が立っているらしい。南彩花が教えてくれた。

「あんなショボいジジイと何があるっていうの」

麻衣香はそういって軽く受け流したが、やはり気分のいいものではない。課員に知られても問題のない事案については、なるべく職務室内で話し合うよう要求しておいたのだが、A会議室を使うということは内密な話だと推察した。

 会議室に入り着座すると、小山田が口を開いた。

「根津を刺した岸部貫一が捕まった」

「どこに隠れていたんですか」

「都内のネットカフェ。前科のあるやつだし、盗んだモーターボートからも足がついて、あっけなくお縄になったって」

「今どこに?」

「東京拘置所」

「マスコミにはバレてないでしょうね?」

「ああ、ひっとらえてからは私服警官が少人数で連行してるし、救急車を使って偽装搬送したみたいだから、疑われた心配はないと思う」

「で、今後の処置は?」

「君に任せるって。法務大臣が直々に連絡してきたよ。鉄の女・黒川麻衣香ならうまく処理してくれるだろうってね。君のこと気に入ったみたいだよ、川合さん」

「わかりました。すぐに面会に行きます。できれば警視以上の私服警官を一人つけていただきたいんですが」

「それじゃあ、警視庁に連絡入れとくから、虎ノ門に立ち寄って捜査一課で私の名前を出し給え。取り計らってくれるよう頼んでおくよ」

 警視庁につくと、すでに連絡がついていた模様で、捜査一課に通される。磯田という警視正の階級を持つ刑事が、早々と出かける準備をして麻衣香を待っていた。

 

 留置所の面会室に入ると、看守に腰縄を引かれ手錠をかけられた岸部が現れた。そこでまず、磯部が看守に話しかける。

「警視庁捜査一課の磯部警視正だ。悪いんだが、少しの間出ていてくれないか。これから国家機密に関する重要な話をしなきゃならない」

看守は困惑しながらも、警視正の肩書がものを言ったのか、素直に従った。磯部は拳銃を片手に罪人側の部屋に入り、腰縄で両足を縛って磯部を椅子に座らせた。手錠はもちろん嵌めたままにしてある。麻衣香のそばに戻ってくると、隣の席に腰を下ろした。

「磯部さん、申し訳ありませんが、岸部と二人だけで話させてもらえませんか」

磯部は少し思案顔で目を閉じていたが、やがてうなずき、万一のためにと言って拳銃を渡して退室した。銃など扱ったことのない麻衣香は内心ドキッとしたが、岸部に悟られぬよう冷静を装った。

「早速ですが、岸部貫一、あなたには根津銀五郎殺人未遂の犯人としてあの島に行ってもらいます」

「おれはやってねえ。弁護士を呼んでくれ」

「島の多くの囚人が根津を刺すところを目撃しています。モーターボートからもあなたの指紋が検出され、物証として根津の血とあなたの指紋がついた包丁も警視庁に保管してあります」

包丁のことはもちろんハッタリである。

「裁判もなしにもう囚人扱いかよ。そんなのこの法治国家で許されるわけねえだろう」

「裁判で裁かれたいならやってあげます。ただし、前科のある人間が殺人未遂を犯したからには、少なくとも15年は食らいますよ」

「おれは精神を病んでるんだ。必ず無罪にしてみせる」

「おだまり!そんなもの精神鑑定をすればすぐに嘘だとわかるのよ。あんたのような頭の悪い人間が鑑定士をだましおおせるとでも思ってるの?」

いらだちを募らせた麻衣香は語気を荒くした。その迫力に気圧けおされた岸部は反論する言葉を失い、一転して弱腰になった。

「でもよ、あの島行ったらリンチされるの目に見えてるじゃねえか。せめて別の島にしてくれねえか」

「できないわ。あなたにはあの島でやってもらうことがあるのよ。眼鏡をかけて髭をぼうぼうにしていけば、あなただってバレないわ」

「何をしろってんだい」

「この薬をある囚人の食べ物に混入してもらうの。それを1週間に3度やり続ければ、一年で島から解放してあげるわ。取引条件としては悪くないでしょう」

「なんの薬だよ、それ。危ねえやつじゃねえだろうな」

「ただの下剤よ。あなたに食料を配る役割を与えてやるから、1週間に3度入れるくらい難しくないでしょ」

「その囚人てのは誰だよ」

「この男よ。名前は西村鉄心」

麻衣香はそう言って、鉄心の顔写真を見せた。

「なんでコイツなんだ」

「余計な詮索はしなくていいから、言われたことだけやって。どうする?取引に応じるの、それとも何もない岩だらけのごつごつした島で10年以上暮らしたいの」

「1年って約束は本当に守ってくれるんだろうな」

「保証するわ」




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