第10話 包丁

 だいぶ暖かくなってきた。世間はゴールデンウイークを満喫しているころだ。

 鉄心は海の浅瀬の部分で洗濯しながら、ぬれた古着で包丁の血糊ちのりをぬぐった。銀さんを刺した例の包丁だ。もし、銀さんを刺した岸部というやつが捕まったら、包丁のありかを吐かせられるだろう。そうなれば島の隅々まで探索が行われ、囚人たちもみな持ち物検査を受けることが容易に想像できた。決行するなら急がなくては。砂浜に腰をおろし、試しに包丁を足の裏に当ててみた。ところが、右利きの鉄心が右足の裏に包丁を当ててみると、包丁は届くには届くが、足の裏に触れる程度が精いっぱいで、とても発信機が埋まっている固い皮膚の部分を切り裂くことなど出来そうにない。当然だ。手より足のほうが長いし、膝を折って作業をしようにも包丁を入れる角度がつけにくい。そういえば、左利きの銀さんの発信機は左足にあると言っていた。

ここに至って初めて鉄心は、発信機が足の裏に埋め込まれた理由を知った。

「チクショー、こんなことまで想定してやがったのかよ」

これを考え出した人間と、刃物さえあればと甘い考えをしていた己の知力の差を、まざまざと思い知らされたのである。

 とにかくこの方法がダメとなると他の手を考えなくてはいけない。だが、その前に包丁だ。所持しているのがばれたらまずいに決まっている。鉄心は島の南側にある簡易トイレの脇に穴を掘り、そこに包丁を埋めた。いざ掘り出す時には簡易トイレが目印になる。


 「おまえ、何埋めてたんだよ」ヒロトと呼ばれているオッサンがニタニタしながら話しかけてきた。

「上から見た限り、刃物だったようだが、もしかして、ジイさんを刺したやつか」

「あんたには関係ねえだろ」

「へえ、そうかい。隠すんならあの黒メガネの女にチクってやるぞ」

うかつだった。前後左右には気を配っていたが、まさか頭上から見られるとは。

「いや、その、釣った魚を刺身にしようと思ってさ。あんたも食いたいだろ、刺身」

「そんで、何で包丁を砂の下に埋めておく必要があるんだ」

「・・・」

必死に言い訳を考えるが何も思いつかない。

「もしかしてこれか?」

ヒロトが自分の右足を指さす。鉄心はあきらめて首を縦にふった。

「で、取り出したのか」

「ダメだ、この態勢じゃ包丁をうまく扱えない」

鉄心は先ほどと同じように、地面に腰をおろし、包丁を足裏にあてがう仕草をした。

「なるほどな。それで足の裏に埋めたってわけか」

「なあ、オッサン、お互いの発信機を取り出しっこしねえか」

「取り出してどうする」

「泳いで逃げるのさ」

「本土まで何キロあると思ってんだ。おれはせいぜい100メートルくれえしか泳げないんだぞ。それに足の裏に包丁ぶっ刺されるのも嫌だしな」

「それじゃあ、あんた、ずっとこのままでいいのかよ。腐れかけた弁当食わされて、ごつごつした岩の上で眠らされて。毎日ぼーっとしてるうちに年だけくって、出所するころにはすっかりジジイだぜ」

「そんなこと言われなくてもわかってら」

こんな不毛な会話をしても詮無せんなきことと思ったのか、二人は押し黙った。

やがてヒロトが口を開く。

「なあ、俺に考えがあるんだが、聞いてみるか」

鉄心がうなずくと、ヒロトは声をひそめて話し始めた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

聞き終えた鉄心はうなった。

「一か八かの策だな。だいぶヤバいがおれなりに考えてみる。少し時間をくれ」

「わかった、明日またここで話し合おう」

そう言って二人は別れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る