第2話 島の生活

 「もう1か月くらい経つんかな、銀さん」

釣糸を眺めるともなく眺めていた鉄心が訊いた。

「まだ27日だ」

となりで釣竿をこきざみに動かしながら銀五郎が答える。

「よく覚えてるな」

「毎日数えてっからな」

「いつまで続くやら。刑期あと7、8年あんだろう」

「ほかにすっことねえからよ」

「だよなあ。食うことしか楽しみねえもんなあ」


 食料はコンビニやスーパーの協力を得て、賞味期限切れ寸前の弁当や飲料、菓子や果物などを無償で譲り受け、刑務所の職員が都内の各店舗を回って集め、二十あるという流刑地に、三日に一度自衛隊のヘリで運んでくる。毎日運んでくれないのは、ヘリの燃料代節約と担当職員の負担軽減が目的だろうか。それでもないよりはましだ。

 ほとんどの食物は、賞味期限を2、3日すぎても問題なく食べられるが、万一食あたりしたときのために、一人一瓶正露丸を支給されていた。売れ残りの食品だから、当然、多い日もあれば少ない日もある。よって、一日一食しかありつけない日もあれば、三食デザートつきなんて時もたまにある。どの食べ物を選ぶかはその日その日によって順番が決められており、一番旨そうなものを奪い合うというようなことは起こらなかった。

 一日一食の日は、受刑者全員が、鉄心や銀五郎のように、日がな一日海に向かって釣り糸を垂れ、釣った魚を焼いて食べる。島に流される前は自給自足の予定だったが、無人島に耕せる土地などほとんどなく、一面岩だらけの島であるため、やむなく支給制度となったらしい。


 「よし、これで10匹目だ。半分わけてやっから焼いて食おうや」

銀さんはいいやつだ。刑務所にいたときも、トラブルに巻き込まれそうなところをうまく収めてくれたり、ムショ内での処世術をいろいろ教えてくれた。二十五の鉄心より四十近く年上のジイさんだ。俺に親切なのは、亡くなった息子にどことなく似ているからだそうだ。シャバにいた時は釣りが趣味で、この日も大ぶりの魚を釣り上げて、オケラの鉄心に半分わけてくれた。

 空になった弁当の容器に支給品のマッチで火をつける。そして、二週間に一度、海上保安庁の大型船で大量に運ばれてくる建築廃材に火を移し、石ころを集めて作ったかまどの上に、建築廃材の中にあった金網状の物を載せ、そこで魚を焼いた。食物の容器や袋を焼き払うのは受刑者たちの義務で、たまったごみを海に捨て、外国の海岸に流れ着くのを防ぐためだとか。この義務を一人でも怠ると、島全員の食糧配給が一回分とばされるという厳しさだ。公務員なんてロクな仕事をしていないと思っていたが、意外と用意周到だ。塩も何もつけずに焼いた魚は何の味もしない。が、背に腹は代えられず、二人は黙々と焼き魚を食った。

 

 ここ無人島(いまは有人島)には決められた就寝時間も起床時間もない。寝たいときに寝て、起きたいときに起きてかまわない。それが自由でいいかといえば、そうでもない。昼間体を動かさないから夜になってもなかなか寝付けない。しかし、春先のこの時期、夜気はまだ冷たい。やむなく各自、支給された寝袋にもぐり込む。寝袋ももちろん中古だ。あちこちに虫食い穴が開いていたり、キズがついていたり、なかには持ち主だったと思しき人の名前が書いてあるものもある。雨が降った日にはブルーシートで寝袋ごと全身を覆うだけという粗末な扱いだった。


 隣では銀さんの安らな寝息が聞こえる。刑務所の同房にいるとき話してくれた息子のことを思い出す。難関大学の受験に失敗し、自暴自棄になって半グレ集団と付き合ううちにトラブルに巻き込まれ、保身のため密かに仲間を警察に売ってしまったらしい。それが仲間たちにばれてリンチされ、ついには殺されてしまったという。手塩にかけて育てた大事な息子を殺された怒りは、銀さんを私刑に駆り立てた。結局、二人をあやめ、一人に重傷を負わせた。銀さんの寝息は、そんな過去が本当にあったのだろうかと思いたくなるような安らかなものだった。


 とりとめもなく過去を回想しているうちに尿意をもよおした。おっくうだが海岸近くに設置された簡易トイレまで用を足しに行く。あちこちについた汚れや傷を月明かりが照らしている。これもどこかの建築現場で使われたものを買い叩いたに違いない。簡易トイレは島の三ヵ所にあり、いずれも使い込まれた跡があちこちに見られた。

 トイレの隣には水飲み場がある。海水を真水に変える装置が、これも島の三ヵ所に設けてある。30年ほど前から、海岸近くに立つ工場や施設などに大型のものが設置され始め、やがて小型で価格を抑えたものが出回るようになって、今では水不足に悩む外国向けに大量生産している。刑務所にいた時流れていたラジオのニュースで聞きかじった話だが、普通の水道水をあたりまえに飲んできた自分がこいつの世話になる日が来るとは思わなかった。蛇口をひねって水を出し両手で受けて口に運ぶ。ほんのわずかだが、塩の味を舌に感じる。こいつも中古かよ、と半ばあきれたようにつぶやいた。

 

 翌朝は雲一つない晴天で少し暑いくらいの陽気になった。

 三日前に体を洗ったきり、衛生面では何もしていない鉄心は、ワキのにおいをかいだ。けっこう臭う。支給品の液体洗剤とタオル、それと替えの服をもって海岸に降りた。上着から下着まで全部脱ぎ、それらに洗剤を回しかけると、まとめて海水につけ、ごしごしとこすり合わせて泡立てる。その中から泡立ちのよいものを選んで全身をくまなくこすり洗う。洗い終えると海に入って泡を落とし、同時に着衣につけた洗剤もじゃぶじゃぶと洗い流す。体と服の両方を洗い終えるころには、少なからず体が冷えていた。海から出ると、濡れた着衣を数回きつく絞り、水滴が落ちなくなるまで脱水した。この『一石二鳥洗い』は島に送られる前に教えられた方法だが、考えたやつは、よほどの貧乏生活経験者に違いない。

 風邪をひくといけないので、濡れた体をタオルで素早く拭き、替えの服にそでを通した。着替え用の服は、NPO JAPANと書かれた段ボール箱数個の中から好きなものを選べる。NPO JAPANの文字の下に横文字で何か書かれているから、途上国に送るために寄付されたものだと察せられた。いらなくなった服ゆえ、当然、高価なものやシャレたものは入っていない。最初こそ囚人たちが、よりよい服を求めて段ボール箱をかき回したが、事情を知った今では、サイズさえ合えば、となり、服の取り合いや争いは起きなくなった。さすがに下着までは入っていないので、洗った服が乾くまで、上着とズボンだけで過ごすことになる。

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