第184話 後先を考えて

 教員総出で学園の清掃をしている中、サモンはエリスと学園長室にいた。いつものように、お茶とお茶菓子を拝借して、勝手に嗜む。エリスはそれを咎めもせず、サモンの前に座った。


「ホムラから、緊急で聞きました。あなたの口から直接聞きたいです」

「随分と切羽詰まった言い方だねぇ。いつもなら、『勝手に備品に手をつけないでください!』って怒るのに」

「はぐらかしは効きませんよ」

「今回ばかりはダメか」


 サモンはため息をつくと、菓子をつまみながら話した。

 サモンが人間の身で精霊に目覚めたこと。妖精のような魔力を持ち、かつ、五人の精霊を育ての親に持つから出来た稀有な出来事だ。簡単に言えば、エルフの上位互換になった。

 魔力の安定を引き換えに、自分の利用価値がより上がったことも伝える。暴走の危険性はないので、学園で教員を続けられるが、このまま学園に留まればまた学園が狙われるかもしれない。

 エリスはそこまで聞くと、眉間にシワを寄せた。


「怖いようだねぇ。さすがに精霊の魔法を悪用はしないし、学園に敵を寄せ付けたりもしないさ」

「馬鹿ですか。それとも自己肯定感が低いんですか。私はあなたの心配をしているんですよ」

「そ、そうかい」


 サモンの心配なんて、あって無いようなものだ。森に帰ればいい。精霊の森は、妖精も人間も入れない特別な場所だ。そこに帰れば、襲われる心配も、誰かが狙われる心配もない。

 サモンはエリスにそう言ったが、エリスの心配はそれだけでは無いようで。


「生徒たちのことです。監視魔法を使っていますから、あなたが誰と仲良いかくらいは知っています。……放っといていいんですか。帰ったら、二度と会えませんよ」


 そうだ。サモンは、また森で引きこもっていなくてはいけない。世界がサモンを忘れるまで。自分という世界最高峰の兵器を忘れるまで。

 それは何十年とかかるだろう。サモンの寿命が人間のままなら、きっと彼が死ぬまで、死んだ後も続くかもしれない。

 世界から記憶を奪い取ることも考えた。しかし、精霊の途方もない魔力をもってしても、容易ではない。特に、サモンは精霊なりたてのひよっこだ。自分の力が周囲にどのくらい影響を及ぼすかも分かっていない。


「会えなくてもいいよ。教えるべきことは教えた。契約通りね」


 サモンがへらっと笑うも、エリスの表情は固い。彼女が何を心配しているか、サモンは分からない。エリスはため息をこぼして、「片付けの手伝いを」とサモンに命令した。サモンは膝に落ちた食べかすを払って、学園長室を出ていった。


「……何も、分かってないわ。あの馬鹿」


 サモンがいなくなった部屋で、エリスの呟きが虚しく響いた。


 ***


 サモンは呑気にグラウンドに向かった。

 学園の施設や花壇は修繕が早かったが、サモンが破壊したグラウンドはまだ手付かずだ。地面はボコボコだし、芝生はすっかり無くなっている。イチヨウを呼ぶためだけに植えた桜も、枝が無くなるほど折れて、無惨な姿で立っていた。

 これを直すのは、骨が折れるだろう。


「人間なら、ねぇ」


 残念なことに、サモンはもう人間ではない。

 指先を立てて、手をひと振り。それだけで、自然の全てがサモンにかしずく。



「大地の傷は 痛みは 永久には続かない

 大地の癒しは 安らぎは 永久に続く


 恐れるなかれ 不安になるなかれ

 朝日が登れば その痛みは消えるのだから」



 サモンは呪文を唱えた。それだけで、見るに堪えないグラウンドが元の姿を取り戻していく。

 サモンは手で器を作ると、それに息を吹きかけた。



「『朝焼けの微睡み』」



 サモンの魔法で、修繕は直ぐに終わった。サモンは元に戻ったグラウンドで、大きく息を吸った。駆り立ての芝生の匂いが肺に満ちる。ふと、一学期のことを思い出した。


 エリスに芝刈を命じられた時、レーガがいじめを助けてもらったことで、律儀にお礼を言いに来た。その時、初めて精霊魔法を見せたっけ。

 レーガは妖精の魔法のメリットもデメリットも知っていた。その上で、妖精魔法を一番好きだと言っていた。妖精魔法を熱く語る眼差しも、初めて精霊魔法を見た笑顔も、よく覚えている。

 それも、もう終わるのだが。


「……あれ?」


 頬を伝う水が、少し熱い。肌と同じくらいのそれが、止めどなく溢れてきた。

 おかしい。私が泣くなんて。出会いも別れも、等しく訪れるもので、それに対して何の感情も持たなかった。それなのに、あの子たちと離れるくらいで、私が泣く?


「ありえない」


 悔しい。悔しい。

 たった一年で私を改心させたことも、面倒事ばっかり持ってきたことも、私の生活をすっかり変えてしまったことも。

 悪くない。悪くなかった。だからこそ、離れがたくなっているのだ。

 成長していく彼らを、もう少し見ていたかった。もっと魔法を教えたかった。きっとレーガは面白がるし、ロゼッタは「変だ」と言うだろう。ロベルトは正しいかどうかも分からないが、「すごい!」と言って、目を光らせるに違いない。

 それももう、終わってしまう。あんなに懐いてくれて、慕ってくれて、信じてくれた彼らを残して、森の中でひっそりと生きるのだ。それが、寂しくてたまらない。


「あぁもう」


 止まらない涙を拭って、サモンは悪態をついた。それも、ただの強がりにしか聞こえない。強くなったというのに、すっかり弱くなった。それもこれも、あの子たちのせいだ。人の温かみなんてものを思い出させたから、こんな目に遭っているんだ。文句を言ってやりたい。思いつく限りの皮肉と嫌味で罵ってやりたい。……いいや、きっと三割くらいしか伝わらないだろう。


 サモンは堪えきれなくて、すすり泣いた。これからどうしよう。エリスとも話し合いが残っているのに。離任式だってもうすぐだ。時間が無い。別れを惜しむ時間も、喜びを分かち合う時間も。

 何もかもが遅すぎる。人が嫌いな時期に戻りたい。そうすれば、この痛みなんて知らなかった。




「私は、人間が大嫌いだったのに」




 そう呟いたって、サモンは元に戻らない。精霊の力を抱えて、どうしようもない未来を待っている。それなのに、あの三人と塔で過ごした日々が脳裏に焼き付いている。楽しかった思い出に後ろ髪を引かれて、踏み切れないでいる。


「文句を言ってやらないと、気が済まないねぇ」


 涙でびしょびしょの顔で笑う。サモンは服の襟を引っ張って、顔を拭いた。

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