第183話 覚醒

 レーガが全ての兵士を吹き飛ばした後、シュリュッセルから電話がかかってきた。サモンはスマホを取り出すと、画面とにらめっこをする。


「えーと、緑をタップ……あれ?」

「サモン先生、違うよ。スワイプ」

「す、すわいぷ?」


 サモンがモタモタしていると、ロゼッタがスマホの画面を操作する。

 通話画面にして、スピーカーを押すと、サモンは文句を言った。


「シュッてするならそう言ってよ」

「そう言っても先生出来ないじゃん」

「そうだけど?」

「開き直った!」


 電話の向こうから、疲れた声のシュリュッセルが『はぁ~い』と挨拶をする。


『グラウンド一体の監視カメラが面白いことになってたから、連絡してみたわ。皆、無事かしら?』

「お陰様で。アンタは地下室にいたのに、疲れきってるねぇ」

『今は皮肉に乗ってあげる体力がないわ。監視カメラの確認に、迎撃機能の展開、新作のドローンの操作に、地下室に侵入してきたおバカさん達の相手……体がいくつあっても足りないわ』

「そりゃ大変だ。ついでに状況を聞かせておくれ」

『ヤダちょっと。少しくらい休ませてあげようって気持ちは無いわけ?』

「アンタは任務中に休憩があったのかい?」

『……酷い聞き方するわね。ボクじゃなかったら燃やしてたわよ』


 シュリュッセルは呆れたため息をついて、状況の報告をする。


 学園の入口は、クラーウィスによって殲滅。残りの小隊が送られてくることもない。森側はエイルのほぼ独壇場で、危機感を覚えた妖精たちは自主退避。カメリアは避難の補助でとにかく忙しいようだ。

 校舎内は、魔法学科の教員によって制圧終了。一部損壊が激しいところあり。学園の敷地内は、現在剣術学科の教員たちによって、残党狩りが行われている。


 戦況としては、学園側の勝利。

 手が空いた人は皆、けが人の治療と、生徒の安否確認に勤しんでいる。今のところ、学園側に重傷者は居ないそうだ。

 生徒たちは胸を撫で下ろす。サモンも、安堵のため息をついた。


「これで、決着ですか?」


 ヨクヤが尋ねた。電話の向こうでシュリュッセルが『そうね』と肯定する。アズマとヨクヤが撤収の準備を始めた。サモンも、生徒たちを寮に送ろうと、彼らに向き合った。




 ──だれが、想像しただろうか。




 ロベルトの首から、鮮血が吹き出している。

 状況を察する間もなく、ロベルトは地面に倒れた。誰も、読み込めない。今目の前で起きていることが分からない!

 痙攣し、血を流し続ける彼に、サモンは頭が真っ白になる。自分に出来ることが、何も思いつかない。

 我に返ったヨクヤが、「気をしっかり持て」と、ロベルトに声をかける。サモンもようやく、自分が持つゴブレットのことを思い出した。



「動くな!」



 サモンがロベルトの治療をしようとした時だ。屈強な男が三人、サモンの前に立った。うち二人は、レーガとロゼッタを人質にとっている。吹き飛ばした兵士たちとは別の部隊だろう。音も気配もなかった。血生臭くて、酷く濁った水の色をしている。

 生徒の白くて細い首には、似つかわしくないほどゴツゴツとしたアーミーナイフが当てられていた。


「こいつらがどうなってもいいのか」


 どうやら、男どもは、生徒たちと引き換えに、私を手に入れたいらしい。そのために、若い命が失われても構わないようだ。

 ロベルトはどんどん冷たくなっていく。自力で体温調節する力もない。このままでは一分も持たないうちに死ぬ。

 精霊たちも、生徒が人質に取られているので、下手に動けない。


『サモンが人質だったら違った』──精霊たちの殺気立った考えが、男どもにまとわりつく。

 男は、何も返さないサモンに苛立った。


「早くしろ。子供の命がどうなってもいいのか!」


 男が脅す。その瞬間。ロゼッタの首が切られた。ロベルト同様、赤い血が勢いよく飛び出した。それは、桜の木の根元まで飛び散る。イチヨウが嫌悪感を隠さず、男を睨みつけた。


 レーガの足が震えている。サモンが決断を下さないと、次は自分だ。サモンが大人しく投降しようとすると、精霊たちに止められる。


「おめぇが行くこたぁねぇ」

「アズマ、私が行かないと生徒たちが」

「諦めな。おめぇにゃ酷だが、俺たちはサモンがいればいい」


 アズマにしては、冷酷な答えにサモンも息が詰まる。けれど、見殺しにしてまで、自分を守るわけにはいかない。


 ロベルトも危険だ。ロゼッタも、いつ死ぬやら。

 それなのに、決めあぐねている自分が情けない。



「先生」



 サモンが悩んでいると、レーガが震える声で、言葉を紡ぐ。


「僕たちは、どうなっても大丈夫だよ」


 大丈夫なものか。あんなに足を震わせて。今だって心の底から怖いはずだ。何が大丈夫だ。


「先生は絶対に、誰にも渡さないから」


 渡さないなんて。自分の身が脅かされているのに。平気なフリをするんじゃない。大人のフリをするんじゃない。



「僕が、サモン先生を守るから」



 その言葉を最後に、レーガの首が切られた。

 美しい、とすら思ってしまうような赤が、視界を埋め尽くす。男は、交渉材料にならなかったレーガを踏みつけて、サモンに手を伸ばした。

 サモンは、早る鼓動の中、思考が加速する。



 生徒たちを守れなかった。契約に違反している。自分が連れていかれたら生徒たちは守れたのか? 否、投降してもこいつらは生徒たちを殺した。どっちみち殺される運命にあった。なら今抵抗しても、従っても、どの道運命は一緒だ。どうしたらいい? 今このときを打開する、とっておき。何がある? 生徒たちを救って、奴らを打ち砕いて、自分も救われる。何がある? 赤い血が地面にいっぱい広がっている。命が尽きる音がする。デュラハンが近づいてくる音がする。誰の泣き声が、バンシーの鳴き声が聞こえてくる。この状況、どうしたらいい? 解決策が浮かばない。なんでもいいから思いつけ。なんだっていい。一度きりだろうが、自己犠牲だろうが。この学園ごと、なんなら世界をぶち壊したって構わない。何が出来る? 精霊魔法? それっぽっちの事で状況がひっくり返るものか。あぁ、レーガ、可哀想なことをした。ロゼッタも、ロベルトも、私が答えを渋ったばかりに。私のせいで死にかけている。何が出来る? そんなことを考えても仕方がない。あぁもういっその事──……



 男の手が、サモンに触れる直前。

 サモンからおびただしいほどの魔力が溢れ出した。目に見えないそれは、触れようとした男の手を塵にするほどの威力があった。命の危機さえある魔力放出に、精霊たちもあんぐりと口を開ける。

 サモンの魔力は、大気に、地面に、浸透していった。浸透した魔力に触れた生徒は、みるみるうちに傷が癒えていく。流れ続けていた血も、嘘のように消えた。


「ば、馬鹿な!」


 男がたまらず叫んだ。サモンが落ち着き払った声で、ようやく口を開く。


「いいや、現実だとも」


 服装も、髪型も、特に変わった様子は無い。しかし、桃色の目がとても輝いていた。

 サモンは冷静だった。腸が煮えくり返るような怒りを抱え、生徒たちを守れなかった悔しさを抱えているのに。いいや、抱えきれないほどの感情の渦巻きがあるから、落ち着いているのかもしれない。


 サモンが手を払うと、地面が割れる。息を吐くと、風が吹き荒れる。彼の一挙一動が、自然と繋がり、厄災にも祝福にもなった。

 男たちは何が起きたか、何も分からない。それを見ていた精霊たちでさえ、考えることを放棄していた。



「露草の一雫 焔の火花 東風のひと吹き

 沃野の一粒 枝垂桜のひとひら


 それは命を育む愛情にして 命を枯らす非情である


 世界の流転は理 人が人であるように 精霊は精霊である」



 サモンの詠唱は、淡々と紡がれる。詠唱の危険を本能で感じ取った男たちは、妨害しようとサモンに襲いかかった。ヨクヤは、サモンを庇うように立つと、鈴をひとつ鳴らした。

 シャン、と聞こえた直後、土が茨のように伸びて、男たちの足に巻きついた。


「やめろ。人間どもに、わしから忠告します。死にたくなかったら、今すぐここから逃げろ。お前たちが相手にしようとしているのは、もう、人間じゃねぇです」


 ヨクヤはサモンの方に向き合った。憐れむように目を細め、サモンに場所を譲った。

 サモンが詠唱を続ける。



「己の行く末を受け入れろ 己の業を憎め

 これより先は人ならざるものの領域


 抗うなかれ 逃げることなかれ

 人の祈りは 届かなかった」



 大木が幹からしなるほどの暴風に、地面が悲鳴をあげる。サモンが手を前に出すだけで、世界がサモンに味方する。

 男たちは逃げようとした。ヨクヤも魔法を解いて協力する。しかし、逃げられなかった。目の前の運命から、目を逸らせなかったのだ。


「た、助けてくれ」


 恐ろしい目に遭うと分かっていて、何もしない人はいない。男たちも同様に、サモンに命乞いをした。サモンは彼らの言葉に、じっと、耳を傾ける。


「お前を連れて来いって、王様からの命令だったんだ! そのためには、何をしてもいいって、報酬のためだったんだ! もうお前に手を出さない! 二度とお前に近づかない! 約束する、絶対に約束するから!」


 それぞれが、それぞれの命乞いをする中で、サモンは胸の高さにまであげた手を下げなかった。うるさいだけの言い訳。命乞い。自分勝手な都合の弁解に、サモンが返したのは一つだけ。




「生徒たちは、助けを求めることも出来なかったんだよ」




 サモンは、彼らの必死の許しを聞いてすらいなかった。

 今から起きるそれに、男たちは奥歯を鳴らして怯えた。サモンが、最後の呪文を唱える。



「『厄災か祝福かハイド・アンド・シーク』」



 サモンが指を動かした。その瞬間、男たちは存在ごと消え去った。何一つ、何一つとて残らなかった。

 風は穏やかになり、木も折れた枝が元通り治る。削れた地面はボコボコと音を立てて平地になり、小さな花が咲いた。


 サモンは空を見上げた。

 青い空に、血なまぐさい匂いが漂っている。空を飛ぶ鳥の鳴き声も、生徒たちの笑い声も、今日ばかりは聞こえてこない。

 気絶したレーガたちの頬をそっと撫でて、サモンはひとりで三人を抱える。ロベルトを背中に背負って、樹木で固定し、右腕と左腕それぞれで、レーガとロゼッタを抱き上げた。そのまま、寮に足を運ぶ。


 アズマがサモンの背中を追いかけようとして、ヨクヤがそれを止めた。


「行かせてやりましょう」

「サモンは、どうなる」

「知りません。こんなこと、生きていて初めてです」


 ヨクヤは、サモンの背中にため息をついた。

 この先、どうなるかなんて分からない。けれど、一つだけ分かっていることがある。



 サモンが、精霊になったということだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る