第182話 成長を見守る 2
覚醒したロゼッタを前に、兵士たちは手も足も出ない。少しでも前に進もうものなら、ロゼッタの雷魔法が炸裂し、気絶させられてしまう。その上、レーガと違って魔法の種類が豊富だ。強力な一撃の後や、隙を突いた攻撃も、あらゆる属性の魔法でカバーしてくる。
覚醒した今の彼女とは、頼まれても戦いたくない。
「イチヨウに加減って言葉はないからなぁ」
ロゼッタの戦いぶりに、アズマが引きつった笑みでこぼす。
「そりゃあ。花の一生なんて、私ら人間にだって一瞬のことさ。悔いを残さず、持てる全てを出さないと。そうしないと、気がついたら自分の一生が終わるんだもの」
サモンはロゼッタの背中を見つめて、微笑んだ。
どこか遠慮しているような魔法を、気にかけていた。干渉しないようにしていたから、今更声を掛けることも出来なかったが。強引なイチヨウが起爆剤になってくれて、良かった。
「さぁて。残るは一番の問題児だ」
サモンは大きく伸びをして、レーガを見据える。
出力・精度共に良好。ロゼッタ、ロベルトへのサポートもこなす気配りも出来ている。しかし、魔法の連続使用がまだまだ下手だ。なにより、へっぴり腰が目立って格好がつかない。
せっかく好きな妖精魔法を使えるようになったのだから、堂々としていて欲しいし、教えたサモンの方が不満だ。
サモンは生徒のサポートを一時打ち切ると、レーガの元に歩み寄り、背中を軽く叩いた。
「いったぁい!?」
土の精霊の剛力が、思った以上に強くなっている。ヨクヤがそばに居たからか? そうなると、アズマが近くにいた影響も大きそうだ。
レーガは涙目でサモンを見上げた。
「いったいんだけど先生!」
「ごめん、もっと弱くやったつもり」
「背骨折れたよ! 絶対折れたぁ!」
「水でも飲んでおくかい?」
「今はいいや」
「折れてないじゃん」
軽口を挟んで、サモンはレーガに助言する。
レーガの手ごと杖を持ち、肩と同じ高さに持ってくる。
「いいかい。杖を振る時は、基本この高さで。目線もお上げなさい。背中を丸めて、腰が逃げてるのは、敵に『僕はビビってるので、どうぞ襲ってください』って言ってるようなものさ」
レーガは息を吸い込むと、サモンの助言通りに魔法を振るった。先程よりは、切り替えが上手くなった。けれど、まだ足りない。妖精魔法は十分使えるようになったけれど、妨害とサポートばかりで、レーガの元の兵士は減らない。このままでは、兵士に戦力の偏りに気づかれて、レーガが一点集中攻撃を受けてしまう。
(基礎は出来てる)
基礎が出来たなら、次のステップに進んでもらおう。
サモンはレーガに耳打ちをした。
「『
レーガは困惑した様子で、サモンに言った。
「あれは、対象に幻惑を見せる魔法で、今使っても
サモンはにぃ、と笑って、レーガに教えた。
「そうとも。幻惑を施し、相手を惑わすのがあの魔法さ。でも、
「ど、どういうこと?」
まだ理解できないレーガに、サモンはヒントを与えた。
「びっくり箱なんて呼ばれているけど、あれの本髄は『いないいないばあ』だよ」
「…………あっ!」
レーガは気がつくと、杖を大きく振って、魔法を使った。いつも通りの魔法。習った通りの魔法。それなのに、敵は困惑している。
「っ!? き、消えた!?」
いいや、いいや。
目の前にいる。サモンも、レーガも、立ち位置を全く変えていない。それなのに、兵士たちの視界から二人は消えてしまった。
「普段の魔法は『ばあ』の部分。今のは、『いないいない』の部分。妖精魔法は、戦闘魔法と違って、曖昧で、応用に富んだ魔法だよ。さぁ、レーガ次はどうするべきかな?」
「任せて! 『
レーガが放った魔法は、兵士たちの足を凍らせて、その場に留める。急に動けなくなった彼らはパニックになり、わぁわぁと聞くに絶えないほど騒ぎ出した。
サモンはそのうるさい声に、堪らず耳を塞ぐ。レーガは、杖を大きく振り上げた。
「『
地面いっぱいに咲いた色とりどりの花が、甘くて優しい香りを放つ。サモンは袖で花を塞ぐが、魔法の意図が分からない兵士は、その香りに酔いしれる。一人、また一人と香りに抱かれて眠りに落ちる。
レーガは眠った兵士に、杖を向けた。……が、何の呪文も唱えない。困った表情で、サモンを見上げた。
「先生、眠らせたのはいいけど、どうしたらいいと思う?」
何も考えてなかったのか。考えた上で、あの魔法を使ったと思っていた。
妖精魔法で兵士を運搬することは出来るが、魔法使いも移動することが条件で、その場にいながら遠くへ運ぶことは出来ない。それをするとなると──
(精霊魔法の範囲だな)
けれど、レーガにそんな大掛かりな魔法がつかえるだろうか。出来たとしても、魔力の消費量が多すぎる。
いいや、成長を見守りたいと決めて、ここに残ったのだ。自分のわがままが、今の状況を作っているのだ。なら、すべきことは一つ。……契約だって、まだ切れていない。
「レーガ、今からアンタに精霊魔法を教えるよ」
「い、今ぁ!?」
レーガが驚く暇もなく、サモンの授業が始まる。
サモンはいつも以上に真剣に、レーガに魔法を教えた。
「精霊魔法は、妖精魔法に属性を掛け合わせて、妖精魔法を強化する。通常の魔法に比べて魔力の消費量が多く、体力も削がれるけれど、威力は妖精魔法と比べられないほど強くなる」
普通に使えば、一度の魔法で魔力が枯渇するだろう。魔力が多い人でさえ、二発使えば三日は魔法が使えない。そのくらい強力だ。けれど、それをサモンは魔力を気にする様子もなく、バンバン使っていた。それには、きちんと理由がある。
「魔力を注ぎ込まないで。妖精魔法と変わりない力で、詠唱を増やす。短い言葉で魔法を使うと、魔力が足りなくなるよ。属性も、しっかり盛り込むわけじゃない。元の妖精魔法の作用に、ほんのり添えるくらいで」
魔法使いでは思いつかないような、サモンらしい魔法の使い方。妖精と精霊を別物に考えてはいけない。
妖精の上位互換が精霊で、精霊の下位互換が妖精なのだ。別物に見えて、似たもの同士。属性の強さが違うだけ。
「彼らを運ぶのは浮遊魔法だ。そこに、付け加えるとしたら、属性は何かねぇ?」
「風の力」
「そう。風さ。精霊魔法を使ってごらんなさい」
レーガは息を大きく吸って、集中する。サモンは出来るが、精霊魔法なんて使う機会は無い。そもそも、本来精霊魔法なんて存在すらしない。
それを、妖精魔法が得意だというだけの生徒に、魔法が何たるかも学びきれていない子供に。──教えるなんて、頭がおかしい。
「風は 遠くまで吹き抜ける
風は 遥か彼方へと旅をする
精霊魔法!」
レーガはサモンに言われた通りにチャレンジするが、魔法は発動しなかった。サモンは厳しい声でダメ出しをする。
「詠唱が短い。組み込みが甘い。もっとちゃんとおやりなさい。私の側で何を見てきだんだい。それとも、呆けて話を聞いてなかったのかな」
「うぅ、難しいよぉ」
「泣き言を言うんじゃない。今覚えないと、明日があるかも分からないよ。精霊に呼びかけるように」
サモンの助言を得ても、レーガの魔法は上達しない。サモンは失敗する度に、レーガに助言をする。何度だって、根気よく。けれど、レーガに成功の兆しは無い。
「先生、やっぱり無理だよ」
「信じる心が、妖精魔法を使えるようにする。精霊魔法も同じだよ」
「でも、先生だから出来ることだ。先生だから、精霊魔法が使えるんだ」
「泣き言をこぼすんじゃないよ」
サモンは冷たく突き放して、レーガに指導する。そうでもしないと……そうじゃないと。
「私は今年で教職を終える。アンタが出来るようになったら、困り事が起きても解決出来るだろう?」
ずっと伏せていたことを、レーガに伝えた。
サモンという補助輪を外して、レーガは残り一年を過ごす。今まで頼ってきた教師がいなくなっても、右往左往しなくていいように。自分がすべきことが分からなくなっても、ひとつの道標となるように。出来ることなら、精霊魔法で、サモンを思い出して欲しい。そんな気持ちを込めて。
レーガは驚いた。驚いたけれど泣かなかった。唇をかみしめて、言いたいこと全てを飲み込んだ。
「分かったよ」
もう、レーガは泣き言を言わない。何度失敗して、サモンに突き放されても、大きな声で返事をする。
幾度も失敗を重ねていれば、眠っていた兵士だって起きるし、後に続く兵士も増える。
その度に、レーガは魔法で眠らせ、精霊魔法に切り替えて練習を重ねる。
きっともう体力も魔力も少ないだろう。あまりにも繰り返しすぎた。けれど、サモンも指導を止めない。今覚えなかったら、彼は今後一生覚えないと思っていた。厳しすぎる。普段と比べても、過酷な教育で、サモンが契約した内容ともかけ離れているだろう。サモン自身も心が痛かった。けれど、精霊魔法の指導を打ち切らなかった。
サモンはレーガを信じていた。
何十回目かの精霊魔法で、奇跡が起きる。レーガは言われたように、詠唱を伸ばし、精霊に祈るように魔法を唱えた。
「風の行方は風にしか知らない
風は遥か彼方を目指して旅をする
風の鼻歌 風の口笛
遠くまで聞こえる音は気まぐれに起きる調べ」
レーガの詠唱に反応して、魔法が少しだけ発動した。サモンも、レーガの上達に感心した声を出す。しかし、あと一歩まで及ばない。
もう少し、あと少しの何かが足りない?
サモンは考えた。詠唱も組み込みも十分なのに。サモンじゃないと本当に出来ないのか? いいや、レーガにだって出来るはず。彼に必要なのは──
「レーガ信じて。出来てる! ちゃんと精霊魔法が使えてるよ! だから」
サモンはレーガに聞こえるように、大きく息を吸った。きっと、精霊が聞いたら笑うだろう。けれど、これはレーガにしか出来ない。
「精霊を、遊びにお誘いなさい!」
サモンは、精霊を敬い、自らを卑下することで精霊魔法を紡いできた。けれど、レーガは違う。
種族の違いも、格の違いも気にしない。学園で、あらゆる種族の生徒と仲良くなる彼にとって、精霊も良き隣人なのだ。だから、サモンのような詠唱では、あと一歩及ばなかったのだ。
レーガはハッとすると、サモン野意図を汲み取り、直ぐに詠唱を切り替えた。
「風の歌は遠くへと響き 風の踊りは世界を巡る
それは帰る場所を無くしたものへの癒し
それは黒く淀んだものへの息吹である
風よ 吹け
風よ 遥か彼方まで吹け
世界はいつだって驚きに満ちている!」
詠唱が変わると、今まで使えなかったのが不思議なくらい、簡単に、レーガは精霊魔法をものにした。
眠った兵士を風が優しく抱き抱える。風は、兵士たちを空高く吹き上げると、どこか遠くへと運んでいく。
レーガは笑顔で、飴を得た子供のように、無邪気に杖を振り回した。
「風の精霊──『新時代の風』!」
ロゼッタやロベルトの前にいた兵士たちすら吹き飛ばし、辺りにいた敵の全てが、レーガの魔法で消え去った。一瞬、何が起きたか分からないロゼッタとロベルトも、レーガの活躍に、全身を使って褒めたたえた。
サモンも静かに拍手を贈る。ヨクヤが肩を回しながら、サモンに言った。
「役目は終わりましたか?」
それは、サモンの手をしっかりと掴んだ。元々、ヨクヤはサモンが森の外に出ることを反対していた。彼にとって、呪縛が解けたとしても、帰ってくることが嬉しいのだろう。
サモンは喜び、笑う生徒たちに目を伏せた。
「あぁ。たった今、ね」
そう、サモンの役目は終わりだ。
……もう、教鞭を取ることはない。
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