第46話 サモンの揺らぎ
報告を済ませた後、サモンは一度塔に戻ってきた。
塔の前には、待ちきれずに出てきたレーガ、ロゼッタ、ロベルトの三人が、期待した眼差しでサモンを見つめている。
「先生! 早く早くっ!」
「はいはい。レーガ、もう少し落ち着いて」
サモンの周りをクルクル回るレーガを押して、サモンはゴブレットを揺らした。
サモンはゴブレットを地面に置く。水が満たされ、ジャバジャバと溢れるそれに、サモンは杖を向けた。
「親愛なる水よ。洗練されし
「水の精霊──ツユクサ」
サモンが杖でゴブレットの縁を叩くと、水は空中で風船のように膨らんでいく。それがパァンッ! と弾けて雨のように降り注ぐと、短い髪を切りそろえた、着物の男が現れた。
赤いアイシャドウが紅葉のようで、透き通った青い髪に映える。
ツユクサと呼ばれた男はとん、と地面に着地する。
ゆっくりと目を開けた彼は、柔らかい声で問う。
「汝、我を呼ぶものよ。その名を我が御前に──ん?」
ツユクサは、キラキラと目を輝かせる三人に首を傾げる。
顎を擦りながら、三人の顔をじっと見つめる。
「おかしいな。君たちが私を呼んだのか? サモンに呼ばれたと思ったのだが」
「いいや、私が呼んだよ」
「おや、私の記憶が正しければ君は人間嫌いだったと。いつから子供好きになったかな」
「正しいよ。何も間違ってない。それはただの生徒だ。相手してやっておくれ」
「君ほどの人間嫌いが、ただの生徒に私をあてがうと? ……あぁ、ふふ。
ツユクサはふふ、笑う。サモンは彼の言いたいことを察すると、面白くなくて頬を膨らませた。
「
「そうだよ。ほら、相手してやって。私はこれから
サモンがツユクサの横を通ろうとすると、ツユクサが前に立って足止めをする。
サモンが避けようとすれば、ツユクサはわざと前に立ってを繰り返し、サモンの邪魔をする。
「ちょっと! 邪魔をしないで」
「悪いが、君を行かせない。君の
「……シュリュッセルとクラーウィス」
もう着いた荷物を、勝手に開けて
今行ったところで、何一つ残っていないに決まってる。
「分かった。じゃあ、ここにいよう。食べたいものは?」
「結構だ。さっきホムラに、しこたま食べさせられた」
ツユクサは死んだ目で腹をさする。ホムラは大食いだが、ツユクサは少食だ。腹がはち切れるまで食べさせられたのだろう。サモンは「お茶でも」と塔に戻る。
ツユクサはサモンがいなくなると、三人に目を向けた。
「さて、自己紹介から始めねば。私はツユクサ。太古より変わらぬ森の、水の精霊だ。君たちの名前を尋ねよう」
「レーガです!」
「ロゼッタ・セレナティエです」
「俺は、ロベルト・アーキマンと言います!」
「うんうん。良い名を持っている。さて、食後の運動だ。──水遊びをしよう」
ツユクサは両手を空に差し出した。
***
「ツユクサは緑茶が好きだったな。どうせホムラの事だ。肉まんとか揚げ物とかばっかり食べさせたに違いない。水の精霊に油物を食わせるだなんて、他の精霊だったら森ごと消されてたってのにさ」
サモンは独り言を呟きながらお茶の準備をする。
缶から茶葉を出して、ティーポットに入れる。
事前に沸かしたお湯を少し冷ましてから、ティーポットに入れて、少し煮出す。
二分くらい待ってから、お茶をコップに注ぐ。
それを持ってサモンは外に出た。
「──────うん?」
泡の中に入ってぷかぷかと浮かぶレーガ、ロゼッタ、ロベルトの姿。
浮いて沈んでを繰り返す彼らに、ツユクサはゴブレットを振って、イルカや蝶々の形をした水を彼らの周りに飛ばす。
空を泳ぎ回る水に、レーガ達はキャッキャと騒いで喜んでいた。
「相手してやってとは言ったけど、私は別にここまでサービスしろとは言ってないよ」
「私の気まぐれだ。食後の運動ついでに」
ツユクサは、愛おしそうに三人を見上げる。
泡の中で魚の形の水と戯れたり、くっついて離れてを繰り返す泡の中で踊ったり。それぞれが思い思いの楽しみ方をしている。
「……良い子達じゃないか。純粋で、一点の汚れもない。サモンのようにね」
「褒めてくれとも何とも言ってないよ」
「私は森を出る君に、ゴブレットを渡した。君がゴブレットを持っているうちは、私と君の心は繋がっている」
全て筒抜け、というわけか。
そう思うと少し恥ずかしい。だが、ツユクサはサモンの感情、心の全ての把握している訳では無いようだ。
「必要な時にだけ」とツユクサは笑う。
「最初の頃よりも良くなった。森を出たばかりの頃は、いつも水が黒く濁り、ドロドロと溢れていたものだ」
「環境も住処も変わって眠れないし、慣れない仕事とか知らない礼儀作法とかで頭痛いし、学園長にはめちゃくちゃ怒られるし」
「毎晩様子を見に行った。その時は大体、布団の中で首掻きむしって叫んでた」
「うなされてたって言ってよ」
サモンはゴブレットと緑茶のカップを交換する。
ツユクサはカップを両手で持って飲む。
サモンはゴブレットの底を覗き込み、湧き出る水をじっと見つめた。
「──私は、どうすればいいと思う?」
なんて、子供じみたことを言えば、ツユクサは「不安か?」なんて聞き返す。
当たり前だと言いたいが、それすらも分からない。
ツユクサは薄く笑うと、サモンの頭を優しく撫でた。
「信じるも信じないも、自分の好きにしなさい。私が意見したところで、サモンは大人しく聞かないだろう。でも、君のその揺らぎは、とても良い事だ」
何かあれば、いつでも駆けつけるから、と言ってツユクサはゴブレットに手を浸した。
すると、水の泡はゆっくりと地面に降りて、戯れていた水は雨のように地面に降り注ぐ。
「もうお終いだ。私はそろそろ帰ろう」
「えーっ!」
案の定、三人から不満げな声が上がる。
サモンはそれが少し面白くて、共感する。じんわりと広がる胸の熱が、心地良かった。
「また会えるさ」と、三人を説得し、サモンはツユクサにゴブレットを向ける。
「皆によろしく」
「サモンも、元気でいるんだぞ」
ツユクサがゴブレットに触れると、体が水になって消えた。
ロベルトはその様子に「し、死んだ!?」と慌てるが、それすらもおかしくて「なわけないだろ」と頭をポンポンと撫でた。
「さぁ、そろそろ寮にお戻りなさい。そろそろお昼ご飯の時間だろう」
「あっそうだった! ロベルト、早くしないと」
「待て、塔に教科書置きっぱなしだろ!」
「あ、私も借りた本置いてきちゃった」
バタバタと忙しなく走る生徒たちに、サモンは優しい目で見つめる。
この胸の温かさは、何と言うものだろうか。
(──『愛おしい』、なんて。物語の中にしかない感情だろうに)
素直になれないまま、サモンも塔へと戻った。
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