第41話 泣き女の宿 3
人がいなくなったパブで、リエルは食器を片付ける。
テーブル一つ一つを回って、食器をトレーに乱雑に乗せると、上手くバランスをとってカウンターに向かう。
連れて来たサモンも戻ってこないし、戻ってくるまでずっと座っているのも嫌で、レーガはリエルに「お手伝いします」と声をかけた。
リエルは「いいんだよ」と笑っているが、酔っ払いたちの食べこぼしや割れた皿が散らばる床に、ビールやソースで汚れたテーブル、酒でベタベタのカウンターに、壁についた鼻血の跡などを綺麗にするなんて、一人で出来る作業量では無い。
「あんた達はお客サン。大人しくしてなって」
そう言うけれど、厨房の方にいる男たちは締め作業中で、まだ店の方の清掃には来られない。
レーガも大人しくしているのは申し訳なくて、杖を出した。
「妖精さん、お手伝いして」
レーガは指揮をするように杖を振るう。
「灰よ立ち去れ 美しく変われ
真夜中に告ぐ様変わりの魔法」
何も無いところから布巾が現れ、テーブルに落ちた。
それは勝手に動き出し、テーブルを綺麗に拭き掃除する。
レーガはサモンに言われたとおり、しっかりとイメージする。『この店の』『テーブルを』『綺麗に』『拭いて』『掃除をする』──……
「『
レーガが呪文を唱えると、布巾はシャカシャカと動き出し、人の手で掃除をするよりも綺麗にテーブルを拭いて回る。
リエルは魔法でテーブルが綺麗になっていく様子に「あんれまぁ」と驚き、ロゼッタはレーガが魔法を使えたことに驚いていた。
「レーガ、いつの間に魔法を使えるようになったの!?」
「えへへ。サモン先生に教えてもらったんだ」
「いいわね。羨ましい。私も今度教えてもらおうっと」
ロベルトはモップを借りて、床の掃除を始める。
ロゼッタはレーガの真似をして、魔法で壁の掃除を進めた。
小さな三人の生徒たちのお手伝いに、リエルはくすくすと笑った。
「サモンったら、妖精の店に妖精を連れて来たんか」
店の中にいる妖精はリエルだけ。だが、レーガ、ロゼッタ、ロベルトの三人は、真夜中にこっそり手伝う妖精のように、真面目に掃除を手伝った。
バケツに水を
壁や窓の汚れも全部落として、店は開店前よりも綺麗になった。しかもそれを、たった二時間で済ませてしまうのだから、リエルは感心した。
「ありがとうよ。坊やたちのお陰で早く済んだ」
三人はそれぞれハイタッチして、最後の椅子上げをする。
椅子をテーブルに重ねていると、リエルは三人に「家族は」と尋ねる。
「家族はどうしたんだい。家にいるんだろ? サモンにくっついて来て、心配しないの?」
リエルの質問に、ロベルトは「ウチ孤児院ですから」と答える。
「結構孤児が多いんで、部屋がほぼ雑魚寝なんです。だから、俺が早めに院を出た方が、思春期の子とかの、部屋の確保が出来るんですよ」
レーガはニコニコ笑う。
「僕は、粉引き小屋からも追い出されちゃったんで。むしろ帰る所がないっていうか」
ロゼッタは少し暗い顔をした。
「うちは、親が姉さんと旅行行ったんで、帰れないんです」
ロゼッタの言葉に、レーガは「なんで?」と返した。
ロゼッタは顔を逸らした。
「……頭が良くないと、家に居場所がないの。姉さんは、私よりも頭が良いから、両親は姉さんばかり可愛がるのよ」
ロゼッタは既に学年で一番優秀だ。それよりも頭の良い姉がいるのは、さぞかし居心地が悪いだろう。
劣等感ばかりが膨れる家に、居たいなんて思えるはずがない。
「だから、ストレンジ先生について来たかったのよ。帰らなくていい理由が欲しかったから」
リエルはロゼッタを強く抱きしめた。
ボロボロと泣くリエルは、ロゼッタだけでなく、レーガはロベルトも引き寄せて、ありったけの力で抱きしめた。
ぎゅうぎゅうに抱きしめられる三人は、息が苦しくなるが、リエルに順番に頭を撫でられるので、それが少し心地良かった。
「可哀想な子供たち! あたしバンシーだからすぐ泣いちまう。あぁ、本当に哀れな子供たち。『妖精は族守』って言うけどさぁ」
「『妖精は族守』? なんだそれは」
「妖精は種族同士で集まる特性があるの。いわゆる『類は友を呼ぶ』と同じ言葉よ」
「妖精学でしかやらない言葉だから、ロベルトは知らないよね」
だが、リエルは三人だけのことを言ったのではない。
リエルはちょっとだけ教えてあげる。と三人に教えてあげた。
「あたしはね、サモンが子供の時から知ってんの。サモンは精霊の森で育った、哀れな子供。『桃色の目が気持ち悪いから』なんて理由で、川に流され捨てられた子供なのさ。……あんた達と似た経験をしてんのさ」
サモンには内緒だよ、なんてリエルは言うが、その後ろに当の本人がいるとは知らなかったようだ。
サモンは「こら」とリエルと怒る。
「勝手に人の話をするんじゃないよ」
「なんだ、いたんかい。……ってうわ! 酒臭いな! あ、まさか人の酒蔵空にしてないだろうね!」
「さぁね。何杯飲んだかなんて覚えてないもん。あのさぁ、ワインの量もうちょっと増やしておくれよ。全然足りなかったんだけど」
「はぁ!? あたしのワインの仕入れにケチつけんのかい! ノックスは!?」
「潰れたぁ」
「潰したんだろっ!!」
リエルは怒りながら厨房の方へ走っていく。
サモンは「ほらもうお眠りなさい」と三人を二階に押した。
レーガはサモンの様子を
顔にほんのり赤みが差して、鼻が痛くなるほど酒臭いが、呂律も意識もしっかりしている。本当に寄っているのか、怪しいくらいだ。
「あの、ストレンジ先生」
「何だいロゼッタ。言っておくけど、私は生徒が傍にいようと酒を飲む時は普通に飲むよ」
「いえ、その」
ロゼッタはサモンの前で躊躇いを見せた。
サモンの過去を聞いてしまった以上、同情してしまったのだろう。
サモンに慰めも励ましも必要ない。自分からかけられる言葉もない。ロゼッタは何と言おうか考え込んでいた。
サモンは「あのさぁ」とロゼッタに前を向かせる。
「川に流されたのはつい昨日の事でも、さっきの事でもないんだよ。ロゼッタには、私がその程度の事でクヨクヨしてるような、弱っちいもやしに見えてんのかい。冗談はおよしなさいな」
「何度でも言ってやるがね、私は人間が大嫌いなんだ。川に流した親だって大っ嫌いなんだよ」
サモンの言葉に三人は呆れて笑った。
サモンはそういう人だった事を、すっかり忘れていたかのように。
サモンは三人を、それぞれ部屋に送り届けた。最後にレーガが部屋に入るのを確認すると、サモンは階段に腰掛ける。
軽く息をつくと、両手で口を覆う。
「人間は大嫌いだよ」
口癖を呟いて、サモンは顔を覆った。そのまま軽く擦り、手をだらんと下ろす。
「でもアンタたちは別。──なんて、思う自分がいる」
自分の中に芽生える静かな変化。
摘み取るべきか、このままにするべきか。サモンにはまだ分からない。
サモンはうんと背伸びをした。
まだ答えは出さなくていい。焦る必要もない。サモンは自分の揺らぎを抑えるように、そう言い聞かせた。
少し重い足取りで、階段を降りていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます