第32話 試験中の事件

 本鈴が鳴り、サモンはクラスにテストとペンを配る。


「これより、魔法学科一学年—―魔法薬学ペーパー試験を開始する」


 そう宣言すると、教室は一気に緊張感で満たされた。

 ペンが走る音だけが静かに響き、サモンはため息をついて教卓に椅子を引き寄せる。


 サモンはチラと教室の様子を見回しながら、隠し持ってきた本を読む。

 五分もすれば、一部の生徒が不思議そうな顔で、テストとペンを交互に見る。


(早速釣れたか。……面倒くさい)


 サモンは仕方なく立ち上がり、その生徒の前に立つ。

 生徒の左手にある紙を杖を使って奪い取ると、「さて、これは何だろう?」と意地の悪い聞き方をする。


「あ、いや……」

「うんうん。まぁ、言わなくても分かるがね。ペンを置いて、廊下にお立ちなさい。三分も立っていれば、シュリュッセルかクラーウィスのどちらかが、アンタを引き取りに来るよ」


 サモンがそう言うと、生徒は顔を真っ青にして、「見逃して下さい」と懇願する。今にも泣きそうな生徒を、サモンは冷たい目で見下ろした。



「アンタが退学しようとしなかろうと、私には何ら関係ないよ」



 生徒にとって、災難は二つ。


 一つはテスト監督がサモンであったこと。

 もう一つは、今使用しているのがこと。


 生徒は肩を落として廊下に出た。

 ドアの前に、「厄災の方から来たわよ♡」と笑うシュリュッセルがいて、サモンも生徒たちも、腹に力を入れて笑いを堪える。

 シュリュッセルが目の前にいることなんて誰も想定していないし、カンニングした生徒には悪いが、シュリュッセルはクラーウィスよりも退学手続きが雑だ。


 荷造りや馬車の手配も待たないシュリュッセルが迎えに来たのは、彼にとって三つ目の災難と言える。


 サモンはカンニングした生徒のテストとペンを回収する。

 解答用紙は名前以外記入されておらず、解答欄には筆圧をかけて書いたらしき跡のみ残り、インクは一滴も出ていなかった。

 サモンは生徒が使っていたペンを持って、テストに『カンニングにより、退学』と記入する。


 彼がいくら書いても出なかったインクは、何事も無かったかのようにサラサラと出てくる。

 サモンはペンを置いて、欠伸をした。



(さすが私。カンニング対策用に作っておいて良かった)



 テスト監督を任されるなんて、前日まで聞かされていなかった──また会議に呼ばれなかった──サモンは、仕方なく面倒事を減らすために、夜遅くまでカンニング対策を施していた。


 筆記テストでは、学園側からペンが配られ、生徒はそれを使ってテストを受ける。

 以前、持ち込んだペンに魔法を施したり、ペンの中にカンニングペーパーを仕込んだりと、悪知恵の働く生徒が多かったらしく、学園側でカンニング出来ないよう、防護魔法を施したペンを配るようにしたのだとか。


 サモンはそのペンを自作の魔法薬につけて、防護魔法を邪魔せず、『カンニングするとペンからインクが出なくなる』ように改造したのだ。


(さすがに魔法を邪魔しない魔法薬は、魔法式の計算とか薬草の組み合わせとか、色々諸々大変だったけど。それで私の仕事が減るなら、楽なものだよねぇ)


 サモンは本で口を隠しながら笑う。

 生徒は今のカンニングで更に緊張感が増したことだろう。

 これならもうテストでカンニングはするまい。



「……うん?」



 グラウンドの方から、大きな音が聞こえてきた。

 じっと目を凝らして見れば、煙が上がり、火魔法があちこちで使われている。

 今の時間は三年生の魔法実技のテストだったか。


 サモンがいる教室は二階。さすがに二階に魔法の飛び火が来ることは無いだろうが、あまりうるさくされると読書に集中出来ない。



「仕方ないな。『妖精のお守りケアテイカー』」



 サモンが頭の上で杖を大きく回して振ると、教室の窓、ドア、天井、床にそれぞれ風、水、炎、土の紋章が浮かんで滲むように消える。


 これで万が一魔法が飛んできても、教室が壊れることはない。

 サモンが杖を、袖にしまおうとした時だ。




 ────バンッ!!




 案の定、窓に何かぶつかった。

 けれど、それは血塗れの生徒の身体。手足の関節は有り得ない方向に折れ曲がり、窓いっぱいに血飛沫が飛び散る。生徒はズルズルと窓を滑り、やがて落ちた。

 ドシャッ! と音を立てると、下から教師や別のテストを受けている生徒の悲鳴が聞こえる。



「おやまぁ」



 なんて、サモンがこぼせば、この教室でも悲鳴が上がった。

 生徒たちは口を塞ぎ、目を見開き、体を強ばらせる。怖がって教室を出ようとする生徒もいた。生徒たちのこの慌てぶりに、サモンは仕方なく「落ち着きなさい」と声を掛けた。


「この教室には『妖精のお守りケアテイカー』を施してある。万が一にも、アンタたちに被害は来ないよ。安心なさい。今に校内放送で学園長から指示が来る。それを聞くまで、大人しく席にお座りなさい」


 生徒たちを席に戻し、サモンは血塗れの窓を見る。

 出血量は多いが、頭のあった位置に集中している。窓に当たったのが原因だろう。今しがた掛けた保護魔法のせいで、衝撃が逃げなかったのか。


 血の飛び散りや関節の曲がり具合いを見る限り、切られたのではなく殴られた怪我。

 だが殴られただけで、あんなにも関節がおかしな方向に曲がるものか。



『緊急事態発生。緊急事態発生。生徒たちは全員屋内に避難しな。ペーパーテスト受けてる生徒はそのまま教室で大人しくしてること』



 校内放送でクラーウィスがそう告げる。

 ……おかしい。緊急事態なら、学園長であるエリスが放送するはず。

 まさか、グラウンドの騒動の前線に出ている?



『あと、マリアレッタ先生はグラウンドに来てくれ』



 クラーウィスはそう言って、放送を切った。

 マリアレッタが必要な事態? 錬金術に関するのか? いや、もしかしたらマリアレッタの魔法が必要となるだけかも。


 サモンは色々考えを巡らせながら、生徒たちの様子を見やる。

 血だらけの窓に泣く女子生徒や、外が気になる男子生徒、「大丈夫なのか」「無事に帰れるのか」とザワつく生徒たちで、静かだった教室は騒がしくなる。


 ふと、ドアをノックする音がして、サモンがドアの前に立つ。


「サモン、ボクよ」

「シュリュッセル。外では何が起きてるんだ?」

「それは見た方が早いわ。ボクが説明しても、きっと分からないだろうから」

「そうかい。で、戦況は?」

「教師三名と、学園長が応戦中。けれど、びっくりするくらい強いのよ」

「君たちは行かないの?」

「クラーウィスは、学園内の警備システムの操作で動けないわ。ボクも、クラーウィスの補佐と巡回がある」

「なら校内は安全なんだね。さっき窓に生徒がぶち当たったんだけど」

「医務室で集中治療を受けてるわ」

「今日は私の出番は無いよ。マリアレッタ先生が向かったんだから」


 サモンが手のささくれを剥きながら言うと、シュリュッセルは「うふ」と笑う。


「ねぇ。今忙しいボクが、サモンに戦況を教えるためだけに来ると思うの?」

「……げぇ」

「いつもの『お断りだよ』なんて言わないでちょうだいね。ホントに困ってるのよ」

「悪いがね。私がこの教室を離れたら、誰がこの子達を見るんだい?」

「あら、都合の良い時だけ先生ぶっちゃって。そういう所も好きよ? けど今は緊急事態。それに、ボクたちが生徒たちを見逃すことなんてあるかしら?」


 シュリュッセルの遠回しな「さっさと行け」に、サモンは大きくため息をつく。

 一つ面倒事を避ければ、更に面倒事がやって来る。サモンが教室を出ると、ドアは勝手に施錠される。


「はい、『妖精のお守りケアテイカー』は完成。グラウンドに行ってちょうだい」


 シュリュッセルに背中を押され、サモンは杖を抜く。


「頼りにしてるわよ。サモン先生センセ♡」

「こんな時だけ先生扱いして……」


 サモンは駆け足でグラウンドに向かう。

 シュリュッセルはインカムのマイクをオンにする。


「行ったわよ、クラーウィス」

『オーケー、シュリュッセル』

「うふ、久々のお仕事ね」

『あは、ドキドキするぜ』


 シュリュッセルはサモンの背中にウインクをした。

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