第31話 枝垂れ桜の木の下で

 サモンは塔の傍にある森の中を突き進む。

 クロエはその後ろをついて歩きながら、サモンに怪訝な目を向けた。


「ホンマにこの先にあるん?」

「あるよ。妖精には優しい私が言うんだから」


 クロエの不安を、サモンはバッサリと切り捨てる。

 木のトンネルを歩き、小石の道を真っ直ぐに進む。多少の曲がり道はあるものの、想像していた森の道より歩きやすいことに、クロエは不思議に思っていたようだ。

 サモンはクロエの様子をチラと見てから、「変だろうよ」と呟く。


「本当なら、この森は手入れされていない。樹木の間隔だってまばらだし、根っこが飛び出て絡まってるから歩きにくいし、道もぐにゃぐにゃだ。場所によっては高低差もある。でもこの道だけは、私の手で整えた。魔法を使わずに、丁寧にね」

「何でそないな事を?」


 クロエの質問に、サモンは少しだけ弱い声で答えた。



「敵だらけの世界に放り込まれた私の、命綱となる人がこの先にいるからさ」



 クロエはその言葉の意味を何となく察した。

 人間嫌いなサモンはエリスのスカウトと精霊たちの承諾によって学園に身を置くことになった。

 けれど、サモンだって大人しく学園に行ったわけでは無いし、精霊たち全員が、納得したというわけでも無い。


「私は精霊たちの話し合いの結果、学園に置かれた。けれど、反対してくれた精霊の一人が、何時でも会えるようにと学園の森に自分の一部を植えた」

「精霊やから、出来る所業やな」


 妖精は自分たちの領域にあるものの管理をする。

 例えるなら、花の妖精は花の世話を、動物の妖精は動物の世話をする。


 しかし、精霊は自分たちの領域の一切を管理できる。

 例えば木の精霊は樹木の管理の他に、新たな命を芽吹かせ、今ある命を枯らすことも出来る。

 木の根を遠くへ伸ばしたり、枝を伸ばしたり。······やろうと思えば、樹木を操り、攻撃する事も出来る。




 話している間に、開けた空間に出た。

 そこだけぽっかりと穴が空いたような野原に、大きな枝垂れ桜の木がどっしりと構えている。

 サモンは青葉を揺らす桜に近づくと、片膝をついて木を見上げた。




「久しぶり。······今日も綺麗だね。イチヨウ」




 そう声をかけると、どこからか風が吹いて、桜の葉を散らす。

 サモンとクロエが顔を覆うと、木の上からくすくすと笑う声がした。


「あなたはいっつもおかしな事を言うわね。私が綺麗なのは当たり前よ。八重紅枝垂桜の美しさ、今一度叩き込んであげようかしら?」


 太くて立派な木の枝に座る、マキシワンピースの儚げな女がサモンを見下ろしていた。緑のアイシャドウが、彼女の優美な雰囲気を助長する。


「どうしたの? もう帰ってくるのかしら。嬉しいわ。ご馳走を用意しなくっちゃ」

「ああ、いや。言い難いんだけど」


 サモンは浮き足立つイチヨウに、気まずそうに頬を掻いた。チラとクロエの方を見ると、察したイチヨウがプクッと頬を膨らませる。


「何よ。まさか彼女連れてきたんじゃないでしょうね!」

「やめてくれはります? 嘘でもその男と付き合うてるなんて、言われたくあらしまへんわ」

「それ私が言うセリフなんだけど?」


 クロエはイチヨウ二近づくと、恭しくお辞儀をした。


「ナヴィガトリア学園魔法学科──占術学の担当してます、クロエ・ディヴァインいいます」

「白狐の獣人ね。サモン、どうして獣人を連れて来たの?」

「君の手を借りたいからさ」


 イチヨウは「私の?」と不思議そうだった。

 クロエは頭をあげると、耳を伏せて頼む。



「桜の葉を、分けて貰えまへんか?」



 ***


 イチヨウに会いに行く前の事。

 魔法学科に向かう道で、クロエは『精霊の桜の葉』が欲しいとサモンに言った。


「精霊の? 何でまたそんなものを」

「喘息の生徒がおってなぁ。今まで獣人用の薬使つこてたんやけど、最近酷うなっとんねん。だんだん授業の欠席も増えとるし、同じ部屋の子ぉに聞いてみたら、薬切れてもーてんねんて」


 クロエのしゅんとした様子に、サモンは「あっそ」と返す。


「門番の双子にでも頼めばいいじゃないか。薬の調達くらい、あの二人なら御茶の子さいさいだろう。それか購買に行ってごらん。薬の取り寄せくらい、出来たはず」

「それじゃ遅いねん」


 クロエはニコッと笑う。けれど、どこか焦った様子だった。


「獣人族の薬は、大きな街に行かんとあらへん。この辺りやと、東の街や。けど紛いもんも多くて」

「ああ、そうだね」


 クロエは「せやろぉ」と言った。


「生徒の喘息、もう市販の薬や間に合わへん。病院に行こうにも、王都まで行かんといかんし。行ったところで獣人族には危険でしかあらへんやんか」


 先月は、クロエが人攫いに捕まりかけた。その前はレーガとロゼッタだ。

 以前までは安全だった学園付近も、今や悪意が這い回る危険な場所だ。

 クロエは「図書室で見たんや」とサモンに言う。


「桜の葉は、喘息に聴く薬になる。精霊の守る葉っぱなら、強い効果があるって、昔の文献にあってん。······嘘でもええから、それが欲しいねん」


 クロエの真剣な表情に、面倒くさいと思っていたサモンも断れなかった。

 サモンは「良いだろう」と承諾するが、それと同時に忠告もした。



「私は桜の精霊を知ってる。けれど、彼女は学園の教師を嫌っているよ」



 もしかしたら攻撃するかも、とサモンは言った。けれど、クロエは鼻で笑うと「そんなん、障害にもならしまへん」と、口元を隠して笑った。


 ***


 イチヨウは眉間にシワを寄せて、「私の一部を寄越せと?」と尋ね返した。

 クロエは強気に「はい」と返事をする。



「嫌よ。私は、学園の奴らに手を貸すつもりは無いわ」



 案の定イチヨウは拒否した。

 けれど、クロエも引き下がらない。


「一枚だけでええんです」

「嫌。絶対に嫌」

「頼んます。一枚貰えたら、それでええんです」

「ぜ〜〜〜ったいに嫌! どうして学園のやつが私を頼るのよ! さっさと学園にお帰り! サモンは置いてって!」

「いいや、私も戻るよ。後ちょっとで試験が始まるからね」


 イチヨウはヤダヤダと駄々をこねる。

 クロエは「どうしても」と、イチヨウを説得する。


「頼んます。そこいらで売っとるもんやアカンのです」

「何でわざわざ私の葉を欲しがるのよ」



「喘息の、獣人の生徒がおるんです」



 クロエは生徒の為だと、イチヨウを説得する。イチヨウは「だから?」と興味無さげだった。


「あなたが助ける必要なんてないじゃない。他人でしょ? なんで血の繋がりも、絆も無いような赤の他人を助けるの? 無意味じゃない」

「······サモン先生と良う似てはるわぁ。せやけど、同じ種族として放っとかれへんのです。ウチは力づくでも構へんで」


 クロエが杖を抜くと、イチヨウは目を見開き、右手を払う。

 その直後、枝垂れ桜がボコォッ! と音を立てて根っこを鞭のようにしならせた。


 イチヨウが右手を前に突き出すと、桜の根っこがクロエに叩きつけられる。クロエが転がり避けると、根っこが叩きつけられた地面は、三十センチもへこみ、野原の遠くまで亀裂が入る。


「私を欲する割りに、力づくで? 冗談はよしてちょうだい。私があなたに負けるとでも? 私があなたに屈するとでも? やってごらん。精霊を侮った罪を思い知らせてあげるわ」


 イチヨウは両手を前に突き出した。クロエの左右から挟むように根っこが襲いかかってくる。クロエはその場を跳ねて根っこを避けるが、根っこ同士がぶつかった衝撃で、空中での体勢を崩してしまった。


 直にぶつかれば、風船ガムのように体が弾けてしまう攻撃に、サモンも絶句する。だが、クロエは「生徒の命かかってんねん!」と杖を振るった。



炎華乱舞フレイム・ワルツ!」



 いくつもの火の玉が、不規則に飛び回ってイチヨウに襲いかかる。

 だが、イチヨウはそれら全てを根っこで叩き落とした。


「その程度の火で私が焼けると思うのかしら。腹立たしい」


 イチヨウは両手を胸の前で交差する。それを、自身に引き寄せて手を蕾の形にした。

 サモンは「イチヨウ!」と彼女を止めようとする。けれど、遅かった。




「『神隠し』」




 サモンの得意技『妖精の悪戯ハイド・アンド・シーク』の上位互換。

 精霊の魔法で奪い取られたクロエの魔法は、イチヨウの手のひらの中で虹色に輝く蓮の花となる。


「これでもう魔法は使えないわ。さっさとお帰り」

「たかが葉の一枚に······! 命がかかってても嫌やと言うんか!」

「ええ。私はサモンを奪ったあなた達が大嫌いよ。私たちの愛しい子供を」


 イチヨウは蓮の花を大事に抱えて木に戻る。クロエは悔しそうに歯を食いしばる。

 サモンは少し考えて、「イチヨウ」と姿を消す前に呼び止める。


「一枚だけ、葉っぱをくれないか」

「······まさか、この獣人に味方するつもり?」

「本当なら興味無いんだがね」

「どうして! あなたを苦しめる学園の奴に、私が手を貸さないといけないのよ!」



「君は手を貸さなくていい。葉っぱが欲しいのは私だ」



 サモンの言葉に、クロエもイチヨウも「はっ!?」と叫ぶ。

 サモンは「ちょうだい」と手を差し出した。


「な、何であなたがそんなものを欲しがるのよ」

「うん? えーと、お茶。お茶に入れようと」

「そんな、適当な理由で」

「いいじゃないか。君はクロエ先生に手を貸したくない。クロエ先生は葉っぱ欲しい。なら、私が仲介すれば良いんだろう」

「サモン、あなたはそんな事しなくていいのよ」


「君に殺しをさせないためなら、何だってするよ」


 先程の戦いで、クロエは精霊を怯ませるだけに留めようとした。けれど、イチヨウは本気でクロエを殺すつもりでいた。

 もしも魔法を奪われてなお、クロエが戦いを挑んでいたら? きっとイチヨウはクロエを殺して養分にしていたに決まっている。


 サモンとしては、精霊を汚すようなことはしたくない。

 その妥協点なのだ。


 イチヨウは「サモンが言うなら」「でもやっぱり」と頭を悩ませる。

 クロエは杖をイチヨウに差し出した。


「······水晶で出来とる。魔法と交換で構へんから、······葉っぱ、貰えませんか」


 たかが精霊の葉っぱ一枚。その為にクロエは教師人生を閉ざすつもりでいる。たかが生徒だ。赤の他人だ。そこまでして助ける価値などあるものか。

 けれど、クロエは「頼んます」と頭を上げない。


 イチヨウは頬を膨らませると、左手を振った。

 風が吹き、木から葉っぱがひらひらと落ち、十枚の束を三つ作ってサモンの手に収まる。


の作り方は知ってるでしょ」

「っ! あぁ。もちろん」

「台無しにしたら許さないわよ」

「分かったよ」


 サモンは葉っぱをハンカチに包む。イチヨウはクロエをチラと見ると、蓮の花をサモンに渡す。


から、あなたにあげるわ。私には必要ないもの。そこにあなたがいたから、で渡してるだけよ」


 クロエの魔法もサモンに渡し、イチヨウはさっさと木に帰る。

 すっかり姿が見えなくなったイチヨウを見上げ、サモンはクロエに「戻ろう」と声を掛けた。


 ***


 水を満たしたゴブレットに蓮の花を浮かべる。

 花が溶け切ると、サモンはそれをクロエに飲ませた。


「薬の作り方は平気かい?」

「······図書室の文献に載ってたから、作れるはずや。ダメそうやったら、ルルシェルクにでも、マリアレッタ先生にでも手を借りるつもりやし」

「それならいいや。はい」


 空のゴブレットと葉っぱを交換し、サモンはクロエに「気をつけて」と言って塔に入る。

 クロエは「おおきに」と言って、学園に戻ろうとした。


「······サモン先生」

「ん?」

「何で手ぇ貸したん? 最後、ウチが魔法取られた後」

「別に、何となくさ」



「······味方したんは、ウチにやのうて、精霊の方でっしゃろ?」



 クロエの質問に、サモンはあっさりと「そうだよ」と答えた。


「イチヨウは一見、穏やかに見えるが、実は頑固で極端な性格をしてる。彼女が『必要ない』と判断すれば、それは見限るのではなく、淘汰を表す。私は、彼女に殺しをさせたくないだけさ」


 クロエは呆れたように笑う。


「······レーガと関わって、変わったかと思うてましたけど、変わってへんのやなぁ」


 クロエはむしろ、安心したようにサモンの前を去った。

 サモンはクロエの姿が見えなくなるまで、ドアの前に立っていた。



「······ほんのちょっとだけ、『助けなくちゃ』って思った。そう言ったら、一体どんな顔をするんだろうねぇ」



 サモンは自分の変化にまだ戸惑っている。サモンは心を塞ぐように、塔のドアを閉めた。

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