第28話 失せ物と亡き者 4

 何かの本で読んだ、真夜中の魔法使いの物語。

 舞踏会に行けなかった哀れな娘のために、美しいドレスを作り、素敵な靴を履かせて送り出した、優しい魔法使いのおとぎ話。



 けれど、この世界にそんな優しい魔法使いは居ない。



 サモンは女子寮の敷地に足を踏み込む。

 眠っている少女たちを起こさぬように、警戒させぬように、静かに芝生を踏む。

 真っ直ぐ裏手にある湖の上のガゼボに向かい、サモンは腕を組む。ガゼボの下で、一人の少女を見つけた。


 少女は盗んだ物を着ようとするが、全てすり抜けて落ちてしまう。

 アクセサリーも、ポタと地面に落ちて、少女は座り込んで泣いてしまう。



『あぁ、今年もプロムに出られないのね』



 そう嘆く少女に、サモンは「そりゃそうだ」と声をかけた。



「君は死んだ。死んだ者が、生きている物を着られるはずがない」



 そう声をかけると、少女は振り返る。

 顔半分を覆う大きな火傷が、とても痛々しい。少女は泣きながらサモンを見ていた。

 サモンは片手を前に出し、少女に言った。


「君が、『踊れないマーサ』だね? 悪いが、生徒から盗んだものを返しておくれ。困ってるんだよ。専門外の私に相談が来てね」

『ごめんなさい。私も、悪いことをしたと思うのよ』


 マーサは泣きながら『卒業したかったの』と話す。


『私はプロムに出たかった。卒業式の後、めいいっぱいおめかしをしたかったの。それなのに、死んでしまった。ごめんなさい、いつまでもここに留まるのは良くないわ。けれど、どうしてもプロムで踊りたかった。借りた服でおめかしして、未練を消したかったの。ごめんなさい』


 マーサは誰も恨んでいない。

 したかった事が出来ずに死んだことだけを、六十年もの間後悔していた。

 マーサは着ることの出来ない服に、顔を覆って泣き崩れた。腕も、足も、火傷の跡が残っているからか、余計に哀れだ。

『踊れないマーサ』、妬みに焼かれて死んだ救われないゴーストに、サモンはため息をつく。


 サモンはマーサの傍にしゃがんだ。

「泣くのはおやめなさい」と、キツいことを言った。


「アンタが泣こうが喚こうが、死んだことに変わりはない。生き返ることも、プロムに出ることもない」


 マーサは涙を拭い、『分かっているわ』と返す。


『借りたものは全部返す。叶わない夢は、手放すべきよね』

「あぁ、そうだねぇ」

『でも最後に、ドレスを着て踊りたかったなぁ……』


 マーサの未練の呟きに、サモンはにぃ、と笑う。




「その夢なら、叶えてあげられそうだねぇ」




 マーサはサモンの言葉に、キョトンとしている。サモンは湖を覗きながら、ガゼボの柵を三回叩く。


「持ってきておくれ」


 そう言うと、湖の中から水の妖精がラッピングをした包みを持って、ガゼボに飛んでくる。包みを置いて、妖精たちはサモンのローブに潜り込む。サモンは「はいはい」と言いながら、クッキーの入った小袋を渡した。


「開けてご覧なさい。アンタが欲している物が入っているよ」


 マーサが包みを開けると、中には薄紫色のドレスとハイヒールが入っていた。


『素敵……』

「それを着るといい。アクセサリーも底の方に入っているよ」


 サモンはマーサに背中を向ける。

 マーサはドレスに袖を通してみた。


『!? ドレスが着れる。どうして?』

「妖精が作ったドレスというのは、生死問わず着ることが出来るものだよ。だって同じ、『人ならざるもの』だからね」


 この世界に哀れな娘を救う魔法使いは居ない。

 けれど、手を差し伸べる人嫌いはいる。真夜中に解けるような魔法じゃなくて、真夜中にだけ続く魔法をかけるような、天邪鬼あまのじゃくな魔法使いが。

 サモンは着飾ったマーサに手を差し出す。


「私は人間が嫌いだが、君は死んでるから良しとしよう」

『……踊ってくれるの?』

「本当ならお断りするよ。けれど、いつまでもこの世に留まられては、また面倒事を押し付けられる」


 サモンは恭しくお辞儀をした。



「……お手をどうぞ。レディ・マーサ」



 マーサは目尻に涙を溜めて、サモンの手を取った。

 音楽もなく、静かでこじんまりとしたプロムが開かれた。

 湖の上で、ガゼボなんて小さな会場。月の光で照らされたロマンチックな雰囲気なのに、ドレスを着た火傷のゴーストと、ローブを着た羊飼いのような服の教師。踊った経験の少ない二人が繰り広げる、よろよろのダンスに葉風の歓声が聞こえてくる。


 めちゃくちゃで、それでも楽しいダンスにマーサが笑みをこぼした。


『うふふ、こんなに楽しいなんて』

「私はちっとも楽しくないよ。踊ったことなんてほとんど無いんだ。アンタの足を踏みそうだよ」

『踏んだって、すり抜けてしまうわ』

「ハイヒールに当たったら、私の足が痛いだろう」

『あはは! それもそうね!』


 マーサは年相応の笑みを見せた。

 しばらく踊っていると、マーサは不安そうに呟いた。



『私は、みにくいかしら?』



 美しかった顔も焼けた。綺麗なドレスに、不釣り合いなほどに。

 髪の毛だって、短くなってしまった。せっかくのドレスも、身体の火傷のせいで浮いてしまう。

 女の子なのに、女の子になりきれない彼女に、サモンは「知らないよ」と返した。


「私は人の容姿なんざ、気にしないからねぇ。アンタの火傷にだって興味無いよ」


 サモンはマーサを胸に閉じ込めるように、優しく抱きしめた。

 触れないと分かっていても、本当にそこにいるかのような力を入れて、マーサを抱きしめる。



「けれど、誰も恨まずに自分の未練に向き合ったアンタは、美しいと思うがね」



 自信をお持ちなさい、と声をかけると、マーサは泣きながら『ありがとう』と言った。

 サモンが手を離すと、マーサはいなくなっていた。

 サモンはマーサが返し損ねた服やら何やらを回収する。


「可哀想な、生徒でしたね」


 いつの間にか現れたマリアレッタが、サモンと一緒に物を回収する。寝る前だったのか、寝巻きにカーディガンというラフな服装で、マリアレッタはサモンに話しかけた。

 サモンは「そうだねぇ」と、それらしい返事をする。


「顔の美醜びしゅうで如きで殺すなんて。やれやれ、女の嫉妬っていうのは恐ろしい。美しい顔だからなんだ。望めばいくらでも変えられるものに、嫉妬する理由があるのかい?」

「生まれついてのものは、いかなる力でも変えられませんもの。最初から与えられた美しさは、数多の女性からすれば精霊の恩恵のように、羨ましいものでしてよ」

「ふぅん、そんなものなのか。ちっとも分からないなぁ」

「うふふ。ミスタには、難しいでしょう」


 マリアレッタはくすくすと笑うと、盗まれた品物を撫でて、目を伏せた。


「ただの羨望せんぼうが、いつしかびて嫉妬に変わってしまったのでしょうね」


 マリアレッタは、サモンから品物を受け取ると、女子寮へと戻っていく。


「盗まれた物……いえ、ものは、こっそり返させていただきますわ」


 サモンは「お好きになさい」と言って、さっさと女子寮を出ていった。

 マリアレッタはそんなサモンの背中に「面白い方」と笑った。



「人が嫌いだと仰る割に、その目は優しさに溢れてますのね。まるで、おとぎ話のような魔法使いですわ」




 塔への帰り道で、サモンはくしゃみをする。

 冷たい風が、サモンの鼻をつまんだ。

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