第24話 歩み寄り 2

 放課後になり、サモンはうんと背伸びをして廊下を歩く。

 明日は午前から授業があったなとか、帰る前に肉を買っていこうとか、色々考えていると、レーガが森の方へ走っていくのが見えた。

 サモンから借りたアトリエで、魔法の練習をするのだろう。


「……どうだっていいがね」


 サモンは肩を回しながら、目を離して足を動かした。

 だが、いつもサモンが嫌がっていても絡んでくるレーガに、サモンは違和感を覚える。

 うるさいくらい付きまとって来るのに、今日は一回も絡まれていない。


「……それはちょっと、面白くない」


 願ってもない平穏が、サモンには落ち着かなかった。時計を確認し、人に会いに行く予定をずらせないかと、頭を悩ませる。


「──はぁ。予定変更」


 サモンは渋々予定を変えて、レーガの元へと向かった。


 ***


 アトリエのドアが半開きになっている。せっかく秘密の特訓をしているのに、レーガは不用心だ。

 サモンは「間抜けめ」とボヤきながら、中の様子を覗いた。



妖精の悪戯ハイド・アンド・シーク!」



 レーガは、赤いボールに向かって杖を振る。だがボールは、その場から消える様子はない。

 レーガは頭をガシガシと掻き、「難しいなぁ」と唸る。


「もう一回。──『妖精の悪戯ハイド・アンド・シーク』!」


 レーガが何回呪文を唱えても、魔法が発動する様子はない。

 サモンはドアを音を立てずに開けて、腕を組んで後ろから見守った。


(ありゃダメだねぇ。杖の振り方が大きすぎる。なんで肘から回すのさ。魔法の呪文も、うろ覚えみたいな唱え方してるし。散々聞いてるだろうが)


 レーガの改善点は多々あるが、そもそも彼は、根本から直すべきだろう。サモンは顎を擦りながら、レーガの様子をうかがった。


 二十回はやっただろうか。レーガはため息をついて、「やっぱり」と萎れた声を出す。



「僕には、向いてないのかなぁ……?」



 レーガは肩を落とし、杖を指で転がす。

 サモンはつい、「間抜け」と声をかけてしまった。


「アンタ、何のために学園に入学したんだい?」

「えっ、サモン先生!?」

「私の名前を呼べとは、一言も言ってない。アンタ、学園に入学した理由は?」


 向いてないとか言いつつ、入学試験には受かっているのだ。才能がどうこうと言うのなら、最初から入学なんてしなければいい。

 それなのに、彼はここにいる。レーガは二年生にまで上がった。

 才能が無いと、ほざきながら。


「ぼ、僕は……」


 レーガは口ごもる。けれど、サモンの冷たい視線に射抜かれて、目尻に涙を溜めた。



「…………強い魔法使いになれば、生きていけるから……です」



 サモンには、意味が分からなかった。

 魔法が使えようと使えまいと、生きていくことは出来る。魔法使い優位の考えの持ち主なのか? いや、レーガは誰とでも仲良くなれる。それはありえないだろう。

 でもその憶測は、レーガの次の言葉で打ち消された。




「魔法が使えるようになれば、僕は誰にも捨てられない。いじめられたりしない。強い魔法使いは、誰にでも優しくなれる。強い魔法使いは、みんなに頼られるんです。だから僕は、力が欲しい。皆と一緒に、生きていける力が欲しいんです」




 それはまるで、昔の自分を見ているようだった。

 川に流されたサモンにも、人間をもう一度だけ、信じようと思ったことがあった。自分に使える力が、皆の役に立てば……なんて純粋で、思いやりに溢れた心があった。


 それは結局、水面の泡沫うたかたのように脆く、風の前の桜のようにはかなく散ってしまった。


 レーガはすすり泣き、ポタポタと雫を床に垂らす。

 レーガも捨て子なのか。ロベルトと同じように。──サモンと同じように。


「孤児院育ち?」

「……いえ。僕は、粉引き小屋で働いてました」

「いつから?」

「五歳の時から。……父が、僕を労働力として売ったんです。大きくなれば、もっと働けるからって」


 レーガはそう言って、胸をキュッと握る。

 サモンは自分の古傷が染みる感覚に、唇を噛んだ。


「……人は憎いかい?」


 サモンは、意地悪なことを聞いた。

 レーガには、西日でサモンの顔は暗いだろう。どんな表情をしているかも、分からないかもしれない。

 けれど、レーガは赤い目を擦って笑った。




「僕は、人を信じたい。きっと、皆も弱かったんです。それしか出来る手段がなかったから、そうしなきゃいけなかったんだと思います」




 だから自分が皆を守れたら、誰も苦しまないですよね。──そう言ったレーガの笑顔は、サモンには眩しすぎた。


 自分とは、違う道を開いたレーガに、サモンは哀れみのような感情を抱く。レーガは、サモンと違って優しすぎる。その優しさは、あまりにももろい。きっといつか、世界が持つ闇に呑まれてしまうだろう。



(今からでも、現実を見せてやった方が──)



 サモンは目をキュッとつむる。

 レーガに人の愚かさを、浅ましさを、欲深く、罪深い心の深淵を見せてやろうと考えた。




「……杖を大きく振り過ぎ」

「へ?」




 サモンは杖を抜くと、赤いボールに杖先を向けた。


「ちゃんと見ておきなさい。いいかい? 杖を肘から振るんじゃない。手首を柔らかく動かして、金魚をすくうように振るんだ」

「え、先生。教えてくれるんですか?」

「あとね、呪文はきちんと自信を持って唱えなさい。アンタ、私が目の前で何回呪文を唱えたと思ってるんだ。『ハイド・アンド・シーク』がうろ覚えだなんて、妖精学皆勤賞が笑えるよ」


 サモンは杖をしまうと、赤いボールをレーガに握らせた。


「こんな小さなものから始めるんじゃない。大きいものからだんだんと、小さくしていくんだよ。もっと大きいものを用意なさい」


 レーガは目をキラキラと輝かせて「分かりました!」と元気な返事をする。

 サモンは暗い瞳で、レーガの眩しい笑顔を見つめた。

 人の醜さを教えてやってもいい。そうすれば、彼はきっと誰も信じられなくなる。



(けれど、それを教えるのは、今この時でも、私でも無い)



 サモンはため息をつき、レーガの額を指で弾いた。


「アンタの為にやるわけじゃないよ。あんなヘナチョコな使い方されちゃ、妖精魔法が可哀想だからね。きちんと練習なさい。毎日欠かさずだよ」

「はい! わぁい、先生が教えてくれるなんて嬉しいなぁ!」

「は……?! 私が教えるなんて一言も!」

「やっぱり無しなんてダメですからね! 約束ですよ! 明日も来るんで、教えてくださいね!」


 レーガは勝手にサモンの手を取り、指切りをした。サモンは呆然として、されるがままになる。

 レーガは意気込みながら、妖精魔法の練習を続けた。

 サモンは結局、レーガに巻き込まれてしまった。

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