第17話 助けてストレンジ先生 2

 サモンがグラウンドに着くと、そこは思っていたよりも酷い有様だった。


 ロベルトが言っていたように、草木も土も、人も、皆が固い石に変わり果て、時すら凍りついたような冷たい世界が目の前にあった。

 石像作品とは言い得て妙だ。けれど、これは作品というよりも、別世界という方が相応しい。


 灰色のグラウンドで、ブロンドの髪が目立っている。

 エリスが魔法で石化を解こうとしているが、力及ばず疲れて座り込む。それでもまた立ち上がって、エルフの魔法をかけ続けていた。


 事故が起こった直後からやっているのだろうか。汗を流し、息を切らしても魔法を使うエリスの様子は、懸命とも無謀とも取れる。

 サモンは呆れながら、石のグラウンドに足を踏み込んだ。


 コツ、と草ならざる音がして、サモンは顔をしかめる。

 足を踏み込んでいく度に、魔力の元は濃くなり、頭が痛くなる。


(学園長の魔力で解けないだなんて、一体どんな魔法の使い方をしてるんだ)


 合わない杖の暴発でも、こんなになることは無い。これ程大規模で複雑な魔法の暴発は、杖との相性がとことん合わないか、身の丈に合わない魔法を身につけようとした術者の傲慢から生まれるものだ。


「元に戻ったら、少しばかり説教してやらないとね。クラス担任にもお小言は言っておこう」


 サモンはブツブツと独り言を言いながら、エリスの肩を叩く。

 エリスはサモンに気がつくと、額の汗を拭った。


「ストレンジ先生。お呼び立てしてすみません。アーキマンからの伝言は受け取ったようですね」

「もちろんだとも。だがね、私の持っている『メデューサの涙』では、グラウンドを戻すだけの量には程遠いよ」


 サモンはそう言って、『メデューサの涙』が入った小瓶をエリスに見せる。エリスは思っていたよりも少ないそれに、少し残念そうな顔をした。


「それでも構いません。魔法をかけた生徒に後始末をさせましょう」

「やめた方がいい。その生徒に直させようとして、また魔法が暴発したらそれこそ『後始末』が面倒だろう。飛び散った体を集めるのが趣味なら、私は止めないけれど」

「──血も涙もないことを」

かよってるからこそ、忠告したんじゃあないか」


 エリスはサモンに小瓶を握らせると、「なら私が責任を」とまた魔法を使おうとする。サモンは軽く息を着くと、「ロベルト」と彼を呼んだ。


「学園長を石化してない範囲まで遠ざけなさい」

「はいっ!」

「ストレンジ先生、私が力不足だとでも?」

「そうさ。早くお退きなさい。ロベルト、丁重に扱うんだよ。護衛対象だからね」

「最善を尽くします」


 ロベルトはエリスをグラウンドから遠ざけようとするが、エリスも頑固で動こうとしない。


「ストレンジ先生。エルフである私が、この程度の事で身を引く訳にはいきません」

「エルフの魔力は万能じゃない。そうでなければ、私を呼んだ意味が無いだろう。ほらほら、早くお行きなさい」

「……やはり、『メデューサの涙』を渡してください。私が、何とかしてみせます」

「頑固な妖精だねぇ。いい加減になさい。アンタの意地で直るんなら、とっくに事は終わってるんだよ」


 サモンは杖先をくるんとひと回しして、エリスを宙に浮かせた。


「きゃあっ!?」

「そのまま意地を張って私に飛ばされるか、大人しくロベルトに手を引いてもらうか、お好きな方を」

「私をっ、地に下ろす選択肢は無いのですか。私にこのような真似をするとは、いい度胸ですね!」

「学園長に構っている時間は無いんですよ。残してきたサンドイッチが、パッサパサになる。お茶なんてとっくに冷めてるだろうね!」

「ここまで来て自分の事ですか! サモン、あなたって人は!」



妖精の浮遊サファイア・スカイ──あっ、間違えた」



 少しばかり苛立っていたせいか、サモンはかける魔法を間違えた。

 エリスは空高く放り投げられ、悲鳴を上げる。ロベルトも青ざめた顔で悲鳴をあげた。


「うわぁぁぁ! ストレンジ先生、どうするんですか!」

「困った。ロベルト、助けに行ってくれ」

「無理ですよ!」

妖精の浮遊サファイア・スカイ

「うわバッカあんた何考えてうわぁぁぁぁぁぁぁぁ…………!」


 ロベルトを空高く放り投げて、サモンはグラウンドにゴブレットを置いた。

 エリスを放り投げたのは想定外だが、グラウンドの『外』に追い出せたから良いとしよう。


「落ちてくる前に何とかしないと。私が石にされてしまうなぁ」


 サモンはゴブレットの縁を杖で叩き、水を満たす。そこに『メデューサの涙』を一滴と、『妖精の瞳』を一欠片入れて杖を大きく振り回した。



いかだ流れる川 鳥の泳ぐ海

 流れるものは留まることを知らず 真の姿の誤りを知らぬ

 愚かなる人の祈りに 救いの手を差し伸べたまえ」



 ゴブレットの水はゴボゴボと泡を立て、空に溢れる。それがグラウンド一帯にまで広がると、輝く水の日陰を生み出す。

 サモンはそこに穴を開けるように、杖を突き立てた。



「水の精霊──『しとどに濡れる柳葉』」



 空に溜まった水は、呪文を唱えた瞬間に弾け、滝の如き勢いと水量がグラウンドに降り注いだ。

 サモンは顔を拭い、ぐっしょりと濡れた服を引きずってゴブレットを回収する。


 空から悲鳴が聞こえてきて、サモンは杖を、二人が落ちてくるだろう辺りの地面に向けて振った。



「風の精霊──『南風の揺りかご』」



 辺りから風が吹き始め、風溜りを作る。二人がそこに落ちてくると、強い風の流れに巻き込まれ、三回ほど回された後に地面に優しく落とされる。

 ロベルトは未知の体験に吐き気を催し、エリスは恐怖で腰を抜かす。


 サモンは「お疲れ様」と、濡れた手をエリスに差し出した。エリスはその手を払い除ける。


「結構です! 一人で立てますから! 本当にあなたって人は!」

「でも腰が抜けたら、一人では立てないよ?」

「アーキマンに借ります。サモンの手は借りません!」


 だが、ロベルトは目を回し、うずくまったまま動けないでいる。到底エリスを気遣える状態ではないロベルトに、エリスも憐れみを覚えた。

「ほら」なんて言って、意地悪な笑みを浮かべるサモンの手を、エリスはとても不満そうに掴んだ。


「あなたが優しい人であったなら」

「お忘れのようだね。私は妖精には優しいよ」


 水浸しのグラウンドは、石化が解けた生徒たちの声で騒がしくなる。

 エリスは「どうやって」と、グラウンドの様子に驚いていた。


「──『メデューサの涙』を使ったんだ」

「あれは、グラウンド全体を戻すだけの量は無かったはずです」

「あと、『妖精の瞳』を」


 綺麗な水に、一滴の汚水を入れただけでその水全体が『汚水』となるように、ゴブレットに溜めた水に『メデューサの涙』を垂らせば、その水は『メデューサの涙』となる。


 だが、水の入ったコップにインクを入れても色が変わらないように、その効果は限りなく薄くなる。



 そこに、『全ての魔法薬を強力なものに変える』力のある薬材が入ったなら?



「ゴブレットの水は、原液の『メデューサの涙』とそう変わらないだけの魔力を含む。何なら、それ以上かもしれないねぇ」

「そんな貴重な薬材を……よくお持ちでしたね」

「今日たまたま手に入ったんだ。……かなり大きいものを砕くことになったんだから、このくらいは許しておくれ」


 サモンは、杖を構えて驚いている生徒に近づいた。

 生徒はサモンを見上げ、涙を浮かべている。サモンは生徒の顔を、容赦なく引っぱたいた。

 エリスはあんぐりと口を開ける。



「──自分の、身の丈にあった魔法をお使いなさい。アンタのせいで、何人の人間に迷惑がかかったと思ってる。ガラスの杖は二度と使うな」



 サモンは生徒を叱ると、エリスに「処罰はお任せするよ」と言って、塔に戻っていく。

 ロベルトは、何とか持ちこたえて立ち上がる。エリスは「保健室に行きなさい」と、ロベルトに言った。



「優しくするだけが愛とは限らないように、人と接するだけが、その人を変えるとは限らないのね。──サモン、あなたは優しい人だわ」



 エリスはそう呟いて、グラウンドの後始末をしに行った。

 ロベルトはエリスの言葉に口を結ぶ。


 ***


(──てっきり、ロベルトを気に入ったのかと思っていたのに)


 サモンはテーブルの上の、からの皿とコップにわなわなと震えた。思い出されるホブゴブリンの姿、今思えば口元が汚れていたような気がする。



「ホブゴブリンめ、昼飯の『お礼』が言い訳か!」



 すっかり食べ損ねた昼ご飯に、サモンはテーブルを叩いて怒る。

 妖精学の教師が、妖精に騙されるなんて。そんなおかしな話があるだろうか。

 サモンは仕方なく昼ご飯を作り直す。空の皿の下には、『お腹いっぱい』と書かれたメッセージカードがあった。

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