第10話 泣く女と赤い帽子の小鬼 4

 ロベルトの前に現れた、赤い帽子の小鬼。

 驚くレーガをよそに、小鬼は小さな宝箱にウンディエゴを納めてしまった。その宝箱を、赤い帽子の中にいそいそとしまい、小鬼はロベルトの方を向いた。


 サモンはロベルトの背中をさすって、優しく起こす。ロベルトはうっすらと目を開け、小鬼を見る。小鬼が首を傾げると、ロベルトは目を見開いて掴みかかろうとした。


「このゴブリンッ! よくも俺を殺そうと!」

「間抜け。この妖精は、アンタを助けてくれたんだよ」


 サモンは、ロベルトの肩を押さえて、彼の動きを制す。

 ロベルトは「どこが!」とサモンの腕の中で暴れるが、サモンに頭を固定された。


「ちゃんと見なさい。赤い帽子のゴブリンだ。良いかい? あの妖精は、ゴブリンとは似て非なるもの」


 サモンはゴブリンに手を伸ばした。

 ゴブリンは、サモンの指先をじっと見て、歪な手で優しく握る。



「──ホブゴブリンだよ」



 サモンがそう言うと、ホブゴブリンは帽子をちょっと上げて、挨拶代わりにお辞儀する。ロベルトは「何で」とホブゴブリンに問いかけた。

 ホブゴブリンは答えた。「お腹いっぱい」と。ただそれだけ。


 ロベルトは意味が分からなかったが、直ぐに何かを思い出す。




「孤児院の、陰に隠れてた──あの時の子」




 ロベルトは、孤児院の茂みに隠れていた赤い帽子を思い出した。

 向こうにはホブゴブリンが居たが、帽子の影があったために、彼は妖精だと気が付かなかった。

 ホブゴブリンの腹の音を聞き、ロベルトは持っていたパンを一つ、そのままホブゴブリンに渡した。


「お腹、いっぱい」

「そんな──だって、俺はあの時パンをあげただけで」


 ロベルトの疑問を、サモンはため息混じりに晴らす。


「妖精って、良い事をするとたま〜に恩を返してくれる事がある。ホブゴブリンにとって、あの時の空腹は死活問題だったんじゃないのかねぇ? それを君が、助けたから恩を返しに来たんだろう」

「でも、あんなの数年前ですよ!」

「……関係ないよ」


 サモンはロベルトを離すと、服の汚れを払う。

 ホブゴブリンは、隣に座ったサモンの膝に乗ると、ロベルトに手を伸ばした。




「アンタが彼の危機を助けたんだ。だから、ホブゴブリンはアンタの危機を助けに来た。数年経っただの、今更だの妖精には関係ない。一番の恩を、一番の危機に返しに来ただけなのだから」




 ロベルトは目に涙を溜めて、ホブゴブリンの小さな手を握った。

 ホブゴブリンは「ありがと」とお礼を言う。ロベルトはボタボタと涙を床にこぼした。



「──俺の方こそ、ありがとう。危害を加えようとして、すまなかった」



 ロベルトが謝ると、ホブゴブリンはロベルトの手に小さな白い花を握らせて消えた。

 サモンはロベルトに「良かったじゃないか」と言う。


「妖精の恩返しはとても珍しい。しかも妖精の贈り物付きだ。その花は押し花にするでも、ドライフラワーにするでもお好きになさい。手元に置いておけば、それは良いものを引き寄せるから」

「……はい! ありがとうございました!」


 ロベルトはサモンに深く頭を下げた。

 サモンはレーガを連れて、廊下に出る。レーガはロベルトの方を振り向いたが、サモンに「いけないよ」と注意されて前を向いた。


 ***


「はぁ〜、ウンディエゴが校内に現れるなんて。この学園のセキュリティはどうなってるんだか」


 学園までの道をゆったりと歩きながら、サモンは不満を口にする。

 先日のグレムリンはまだ理解できるが、どうして雪山に棲うウンディエゴが校内をうろつき回るのか。

 いつもはお小言を言われに学園長室におもむくが、今回はサモンがお小言を言う側に回るとは。


「学園長に抗議してやろう。ついでに妖精学の備品増やしてもらおうっと。今の設備は古過ぎる」


 サモンがブツブツと一人言を呟いていると、レーガはしょぼんとしたまま、口をキュッと結んでいた。

 サモンにはレーガを励ます理由が無いのだが、隣で辛気臭い顔されるのも嫌なので「気にするんじゃない」と声をかけた。


「アンタは何もしていない。杖を握っていただけだ」

「でも、呪文は僕の口から出たんですよ」

「それは、杖がそうさせたからさ」

「でも、そのせいでロベルトはウンディエゴに取り憑かれた」

「ああもう。頭の固い奴め。私の杖は少し強引なんだ。勝手に呪文を唱えさせることも、唱えた呪文と関係ない魔法を放つこともある。良いかい、レーガに必要なのは『そんなものだ』と納得する力だ」

「──『そんなものだ』?」


 全部自分の中に抱え込む必要は無い。

 全部自分が悪いと思い込む必要は無い。

 他人の責任まで抱え込んで、追い詰められるなんて馬鹿のすることだ。


「私はアンタに『杖を握ってろ。杖が何とかする』って言っただろう。その言葉通り、杖が何とかしたんだ」

「そう、ですか」


 レーガはまだ少し、に落ちないようだ。そういう状況を『そんなものだ』で片付けられるようになる事が、一番良い。

 サモンはレーガに「ウンディエゴについて」と、問題をした。



「ウンディエゴの生態を述べよ」



 なんてことは無い。授業の最初の方に出した問題だ。

 レーガは少し悩んでから、答えを述べる。


「ウンディエゴは、体長五メートル以上にもなる大型の妖精で、雪山に棲んでいます。氷の妖精とも、言われることがあります。顔は骸骨の様で、素早い動きと、怪力が特徴です。そして、人の死肉を食べる事が好き。よく生きている人間に取り憑いて、人肉を食べさせたりします」

「うん、それで」

「ウンディエゴに取り憑かれた人達は『ウンディエゴ憑き』と呼ばれ、人肉しか食べられなくなって、気が狂うとされています」

「うん。完璧だね」


 レーガはサモンに「何で」と尋ねた。

 サモンにレーガを慰める意図はない。ただ、ウンディエゴに対する偏見を、解こうとしているだけだ。


「アンタは、ウンディエゴを『邪悪な』と表現した。けれど、寒い雪山で、食料が尽きた。近くには仲間だった死体がある。極限状態に陥った時、人というのは生きるために何だってする」

「じゃあ、ウンディエゴは、本当は人を食べないんですか?」

「いいや。食べる。彼らにとって死肉は普通の食事だ。けれど人間は違う」



 このままでは飢え死にする。

 寒さに耐えられるだけの体力も無くなった時、ウンディエゴは現れる。


「ウンディエゴ憑き? まるで彼が悪いように言ってくれる。ウンディエゴは人が死なないように、わざと悪役を買って出てくれただけのこと」

「じゃあ、雪山で人の肉が食べたくなるって言われるのは──」



 ──人が死なないように。

 生かすために施された、妖精の気まぐれ。


 ウンディエゴが、わざと人の精神に干渉し、人肉が食べたくなるようにして、仲間を食わせて生き長らえさせる。

 いずれその人が狂おうとも、自分が悪だと言われようとも、自分の家である雪山で、失われる命を減らすために。

 一秒でも長く、生きるための、歪な優しさ。


 今回の件、ウンディエゴは学園に入り込んでしまい、環境の急激な変化にパニックになっただけだ。

 妖精学の担当であり、妖精の味方をするサモンにとって、ウンディエゴを悪だと思い込まれるのは避けたい。


「邪悪かどうかは、後の人間が決めることだ。でもそれで、妖精の優しさを、性質を否定するのはおやめなさい」


 サモンはレーガの額にデコピンをして、うんと背伸びをする。


「さて、学園長室に赴くとしよう。レーガは少ししたら、寮にお戻りなさい。ロベルトの事はお任せするよ」


 サモンはさっさと学園長室に向かってしまう。レーガはサモンの背中を見送りながら、「そんなもんか」と呟いた。


「……そうだよね。僕がやったことが、正しかったか間違ってたかなんて、後で知ることなんだよね。さすがサモン先生だよ」


 レーガは勝手に解釈すると、寮に戻っていく。学園長室の前で、サモンがくしゃみをした。

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