第5話 副業
早いもので、ドラゴン印刷に入社し三ヶ月目となった。
本日も成果を上げることなく、のんびりと日々を過ごしていた。
経理のオッサン(加齢臭)からは『無能』『クソ』『期待外れ』と、同輩の予告通り相応の陰口を叩かれている。
その影響だろうか、僕に対する社員達の対応にも変化が出てきていた。
まず挨拶をしなくなる。笑わなくなる。よそよそしい態度とまあ、否応なしに陰口の影響を受けているのが分かるのだ。
これはこれで面白いものである。
加齢臭自身は社内で嫌われているのに、その陰口だけは独り歩きするからだ。
まあ、これは想定内であるし、今はまだ問題視することもないだろう。
同輩のアドバイスによると「この期間は電話番で乗り切ろう」とのことだが、社内にいても居心地が悪いので、僕は普段から社外で時間をつぶすようにしていた。
だが無益に時間をつぶしているわけではない、僕はこの時間帯をフリー営業として考えている。会社のためではなく、自分のための活動時間という意味だ。
さて、本日の予定は前職の後輩と、市内のラーメン店で会うことになっていた。
僕は前職の顧客情報を、豚退社寸前の若造に売りつけようと呼び出していたのだ。
もちろん昼飯をおごらせることも目的の一つである。
「ネギ味噌のチャーシュー入りの大盛りのセットと餃子一人前」
「えっと、セットに餃子が含まれてますけど」
「もう一皿追加って意味です」
「わかりました」
豚が驚いたような表情で僕を見ている。
「田中さん食べすぎじゃないですか?」
「この図体だからな、維持が大変なんだよ」
「カロリー取りすぎで、その図体でしょ!」
「タダ飯だと食がすすむんだよね」
「なははは」
さらに、わざとらしい口調で「こんにちわ、ドラゴン印刷の田中です」と自己紹介し、ニヤリと笑いながら作りたての名刺を見せびらかした。
「うお、なんすっかこの名刺!」
「半透明処理したプラ板、ポリカって言うらしいが、それにシルクスクリーンで4色刷りした豪華版だよ」
「かっこいいですねこれ、こんなのもらったら珍しくてすてられないですよ」
「勝負名刺ってやつさ、なんせ一枚200円もするからね」
「うへぇ、たけぇ~」
「まあ、普段はこっちのプリンタ出しの名刺を使ってるけどね」
「もう、すっかりドラゴン印刷の社員じゃないですか」
「そうでもないさ。社内では腫物あつかいだだし、固有の顧客もない。全くのゼロスタートで、自分から動かないと前にすら進めない所なんだぜ」
「でも田中さんそういうのは得意なんじゃ?」
「うぅん、どうかなぁ……」
何もしていないわけではなかった。
とりあえず注文履歴から発注が途絶えた顧客を検索し、市町村別に分類したファイルを作成してある。
試しに隣の市に訪問したところ半数は廃業していることも分かった。
それ以外の問題点も見えてきている。
僕が今できることは、これらの顧客を粛々と回り種をまいていくことぐらいだ。もちろん根が出た瞬間にプチプチと積んでいくつもりで、大樹に育てる気はない。
創業五十年ともなると、ほとんどが社長や部長の唾つきで新規なんて無いからだ。
しかし……。
「ところで田中さん、例の件ですがマジ僕でいいんですか」
僕は豚の言葉に我に返る。
ただ飯に興奮していたが、今日の目的はこの豚との取引であり、そのためにここに呼び出したのだ。
「約束通り売り上げの1%を保証してくれるなら問題はないさ」
「それは手続き上、大丈夫です」
「中央町のあの爺さん、たしか見積もりは7千万だったな、成約まで持ち込めば70万か。うん悪くない」
「しかし田中さんほどのゲス……いや、ヤリ手なら、ダミー会社をつくって協力会社ってことにすれば、前職の制度上3%はとれるんじゃないですか?」
「ばれた時がめんどうだし、目的は小遣い稼ぎだからね、1%でいいんだよ」
前職には有力な情報に懸賞金をかける制度がある。
この制度を利用し成約まで持ち込めば、売り上げの1%がマージンとして懐に入るのだ。
さらに協力企業と提携し成約に持ち込めば3%と金額が跳ね上がる。
これらは社員しか知らない仕組みであり、要は退職者も無駄なく使ってやろうという前職特有のシステムなのだ。
この豚を選んだ理由は簡単で、実績がなく後がないからである。
こういうやつは裏切らない、今回成功すればなおのことだ。
中央町の爺さんに引き継ぎという名目で豚を紹介し、成約まで僕も付き合うことを約束した。元々脈ありだったこともあり問題なく話は進んでいった。
面談が終わり、近くの書店にある駐車場で車を止め、タバコをふかしながら二人で時間をつぶす。
「何者ですかあのじいさん」
豚は驚いたように尋ねた。
すぐには答えられなかった。なぜなら僕も驚いていたからだ。
融資計画のため、爺さんお抱えの銀行に出向いた時「この銀行には三億入れてあるんだ」と自慢げに話し、その言葉を裏付けるように、支店長がそそくさとあいさつに来たのだ。
三億以上の資産となると、アパート一軒では税金対策は出来ない、何処かにもう一軒必要だと告げると、適当な場所を探して見積もってくれと丸投げしてきたのである。
まさかここまで化けるとは予想外だったのだ。
「もともと目をつけていた土地を買った者がいたんだよ、企業名で購入してたから分譲かと思ったんだが、よく調べたらあの爺さんだったんだ」
「目をつけてたって、アパートの建設候補地てことですか?」
「そうだ」
僕は最後の一本だったタバコをくわえながら、手の平にあるヨレたパッケージを見つめていた。
どこにでもある安物のタバコである。
僕はそれを強く握りしめ、さらに話を続けた。
「あれはケチの典型でな、相続による税金対策の話をしただけですぐに話にのってきたんだよ」
少々語気が荒いかと思ったが、豚は気にはしていない様子だった。さすが腐っても前職の兵士である。
「あのじいさん言ってましたね。この土地に自宅を建て、発電、老人ホーム、アパートと色々やりたいって、かなり欲張りな感じはしましたが」
「今のままだと法令上無理だけどな、まあ教えてやる義理はないけどね」
「やっぱり田中さんゲスですわ」
「ゲスなのはこの会社様さ、商売だからちゃんと損が出ないようになってる。うたい文句のアパート全室借り上げなんてのも建築費でぼってるからできるんだよ、数年おきの家賃査定なんてどれだけの新オーナーが知っているのやら、どんな物件も10年もすれば価値がなくなるし、リフォームすればいいが工賃はオーナー持ちだしな」
僕は悪徳商売やっているなと思う時がある。
だが、顧客の経歴を調べればその思いは吹き飛ぶことが多い。
この爺さんも最近急成長した土木業者だが、裏ではいい話は聞かない。社員の多くを安く買いたたき利益をむしり取っているからだ。
僕はその金を、オーナーの欲に付け込んで何割かをいただいているだけなのだ。
そう考えると罪の意識はまったくわいてこなかった。
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